Asagaya Parkside Gallerie
記憶写真
「手に負えん子 」
座敷ではもう宴会がはじまり、父の声で「まあ、一杯どーぞ、そう仰らんと、
まあ一杯」と言うのが聞こえる。外はすっかり日が暮れて、我が家の賑わしさが
大川の橋からもうかがえそうだ。
11月も終わりに近づいたある日のこと、夕飯の席で父がこう切り出した。
「暮れの宴会はうちでやることにしたけん、よかろうが?」
すぐに母の眉が八の字に変わった。
「へー、そりゃあまた何であんたはそげんことを勝手に決めるんでえ」
「せえじゃけど、どっちにしてもいつかはやらんとおえんのじゃけん。
建前の祝いをもろうて、それっきり言う訳にゃあゆくまあが」
「それでも押し迫ってからに・・」
「呼ぶんなら、新しいうちの方がええじゃろうが」
「はぁー、家の都合も何にも考えんでええ気なもんじゃなあ」
そばで聞いてた姉も一番上の兄も反対した。
「私しゃあ出んよう、恥ずかしい。そげん酒飲みばあおるとこへ」
「なんで、うちでやるんなあ。うるそうて勉強できんわあ」
父は説得をあきらめて黙ってしまったが、顔にはいまさら断れんわと書かれて
あった。
冬休みに入ると私はこの日がくるのを楽しみに待つようになった。
家にお客さんが来ることが嬉しくてたまらなかった。それも10人も大勢で。
何か歌ってくれと言われたら何にしようかとか入賞した絵と賞状を見てもらおう
かとワクワクしていた。
「あー遅うなりました。出がけにうちの坊主が一緒に行く言うてきかんもんで・・」
玄関に入って来るや、松野さんはそう言って後ろにへばり付いていた男の子を
前へ押し出した。
「ほりゃあ、はようあいさつせんけえ。松野富男です、6才です。ほい!」
「・・・」
「だめなんですわー、もう手に負えんのですわ。ちっとも言うことを聞きません。
ほらそんなことじゃあ、家に上げてもらえんでえ。ほい、あいさつせえ!」
「・・」
「まあ、そげえな堅苦しいことはよろしいがあ、もう皆さん来られて始まっとる
けん、どうぞ上がってつかあせい」
応対に出た母がこの日最後に来た会社の松野さんにそう言ってスリッパを差し
出した。私は母の着物の裾の横からその子の足から頭までをじっと眺めて見た。
かさかさの茶黒いほっぺた、しもやけで真っ赤に腫れあがった耳たぶ、鼻水で
ゴワゴワになった口元。新品だけどブカブカの靴。スリッパをじっと睨んでる目。
・・こんな子を見るんは初めてじゃ。
でも部屋に上がってみると、お菓子にも手を出さずしおらしく座っている。松野
さんも「おとなしくしとれよ」としきりに気に掛けていた。一通り皆にお酒が回っ
た頃には私も用意していた図画を見てもらったり、校歌を3番まで歌ったりして
盛んに頭を撫でられたりご祝儀を頂いたりしていた。兄達は最初に全員揃っての
挨拶を無理やりさせられた後は部屋にこもってしまった。あれほど厭がってた
姉の方はいつの間にか座敷の皿を片したり料理を運んだりしている。
長女のキミ子です・・、「おー、こりゃあべっぴんさんじゃあ」と言われたのが
よっぽど嬉しかったに違いない。
いよいよ皆の出し物も出尽くし、あとは松野さんの腹踊り(松野さんの十八番、
花見でもやった。)と全員から声が掛かる頃には、男の子も煎餅やらガムやらを
口いっぱいにほう張り手当たり次第にお客さんの背中に抱きつくほどに慣れて
いた。
「ほら、あっちのあんちゃんとこへ行っとけ」松野さんは用事の言いつけを待って
いた私のほうを顎でしゃくって言った。姉が後ろからお銚子を持ってやって来て、
「ユウちゃんと遊びねえよう」と猫なで声をかけた。私は仕方なくその子の手を
取り廊下へ連れてった。
スケートをするように床を滑って見せてやった。すぐに気に入り真似しはじめ
たが何回やっても尻もちをつき、頭も打った。それでもクシャクシャの顔をして
面白がった。しばらくやって、今度はかくれんぼをした。私が隠れるとその子は
いつまでも見つけられないので、私が鬼になった。
分らない振りをしてそばに近づくと「ヒィェー、ヒィエー」と興奮して息をするのが
聞こえた。それでも気づかない素振りを続けたら、「ここじゃ!」と我慢できずに
自分から飛び出してきた。お客さんが帰る頃になると、すっかりなついて私の
脚を離さなくなった。ほぼ大半の人がいなくなり、座敷には食べ尽くされたお膳
と紫の座布団だけが残っていた。父は仲の良い妹野さんを引き止めまだ話に
夢中だった。
やがて松野さんがおいとまを始め「ほら、お兄ちゃんにさようならしなせい」
と言った。でも男の子は私にしがみついたまま動こうとしない。
「こうなんですわあ、どこ行っても・・。こないだも呼ばれた家で帰らん言うて
だだこねて、ていへん(大変)なことをしでかし・・」
今までくっついてた手がいなくなった。すると松野さんが「あっ、こいつまた
やるんかあ!」と目で座敷の隅を追いかけ、がなった。
母が「ありゃりゃ、そげんとこでしたらおえんおえん」と言ったが遅かった。
丸出しの尻の後ろに、茶色い渦巻き状のモノがしっかり湯気をたて落とされて
いた。
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