Asagaya Parkside Gallerie 記憶写真

「頭突き28号」



小学4年生までのあだ名は”頭突き28号”だった。
2年に上がる頃には学校にも慣れ、私は本来の自分を出し始めていた。一年の2学期
の通信簿には「お兄ちゃんのマコッちゃんに似て、おとなしく時々教室に花を持って
きてくれる優しい子・・」と書かれてあったが。(すぐ上の兄と担任が同じ太田先生だった
ため比較された。ちなみにこの花を持っていくのが私は嫌でしょうが無かった。朝起き
ると父が持って行けと新聞紙にくるんでおいてあった。)実際は喧嘩好きで、自分の力
(技)を試したくて誰かれとなくつっかかっていた。
それをたまたま寺西ジュンという5年生が見ていた。
「おい、マコトん家の弟がおろうが、ありゃあ上たぁぜんぜん違うでえ、こねいだ
喧嘩で鼻血出さしたんでえ」
それというのは、私がプロレスで見たグレート東郷の”頭突き”をやってみたくて、ちょっ
と言い合いになったマアちゃん(「徳一」の顔なじみ)にどすんとやったていど。確かに
鼻血は出たが、しかし
「ありゃあ頭突きが強えでえ、こんだあわしがやってみちゃらんとおえんのう」となった。
こう教えてくれたのもマアちゃんで
「・・・・じゃいうて言ようたでえ、やられるでえ」と嬉しそうにいった。
マアちゃんはジュンの子分だった。
すぐにその日が来た。給食場の脇にお茶飲み場があり、冬は1斗缶三杯分ぐらいの
タンクに熱いお茶が入れられ、備え付けの黄色いアルミのコップで全校の生徒が好き
に飲むことができた。私はその5円玉色のコップに息を吹きかけ、茶色いだけのお湯を
味わっていた。霜が降りそうだった。
湯気の向こうの人影がニタニタ笑って近づいた。”来た”と思った。
言葉が発せられたのは組み合ってからだ。
「頭突きが得意じゃそうじゃのう。いっぺんやってみるけえ!」
ズキンときた。目の裏が赤色になった。
「ほーうけっこうやるのう」二発目がきた。今度は察しがついた。首を少しかしげ、頭の
角(でこ)で受けた。ゴツーンと鈍い音がした。
「・・・・・」
私は顔も対峙できないほど背が違う相手に、ただ振り回されないだけで精いっぱいだ
った。だがジュンもその後それ以上仕掛けようとはしなかった。そのうち授業の鐘が
鳴った。
「きょん(今日)とこは引き分けじゃあ、ええ頭しとるのう」
終わった。ただ何もせずやられるままだったのに引き分けになった。
この日以来恐いものなしとなった。
さっそく自ら”頭突き28号”を名乗り(”頭突き”に”鉄人28号”を合わせた。)
手当たりしだいに”頭突き28”をお見舞いしていった。黙っていてもジュンが
”あいつうはやるでえ”と広めてくれたので、まともに私の頭突きを受けようという者は
いなかった。
そのうち調子づいた私はクラスで最も鈍そうな、草野文ちゃん(ごめん)を引っ張り出し
”28号”の威力を改めて皆の前で披露してやろうと思った。
ところが始めてみると、いくら喰らわしてもこちらの方が痛い。おまけに文ちゃんは逃げ
ようとしない。頑強にしがみついてくる。私はこれはまずい何とか終わらせねばと焦っ
た。が、文ちゃんを引き離す手立てが見つからない。私はつかんでいた手をぱっと下ろ
し、肩を優しく叩く戦法に出た。そして
「きょんとこは引き分けじゃあ」と言った。

数日して文ちゃんが蓄膿ぎみの声で
「ユウちゃん、わしゃあ”頭突き29号”にしょうと思うんじゃけど・・」と言って来た。
私に反対する理由はなかった。
それからは”頭突き28号”はリング名だけにした。


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