Asagaya Parkside Gallerie
記憶写真
「桃の花」
すぐ上の兄が「ユウ!母の日いうんができとんのを知っとるけえ」と聞いた。
そういえば組(1年A組)の女子が話ていた。母親にカーネーションいう花を渡す
んじゃとか。
「お母ちゃんにわしらあもなんかしてやらんけえ?」
「・・・・」
とっさに私は母の顔を思い浮かべた。ここんとこ母はいらいらして機嫌が悪かった。
ちょっとしたことでも「もう何しょんでえ!」と腹をたてピシャッとほっぺたを叩かれた。
兄は「女のヒステリーじゃけん」とひそひそ話したが、私達は母の顔色を窺うことが
多かった。
「そうじゃのう・・そうすりゃあ、お母ちゃんも喜ぶかのう・・」
そう言って私は、そうすりゃあお父ちゃんも嬉しいかのうと別なふうに思った。
母の父に対する不満は連日だった。やれ月給が安うてどうのこうの、あんたは家の
ことをちーとも考えてくれん、本家へ行っちゃあ長え話うして・・。
これを子供にも言った。
「お父ちゃんの給料が少ねえけんなあ、ていへんなんよお、給食費も払えんように
なったらどうするう。今度の参観日になにゅう着ていきゃあええかなあ、よせえ(よそ
へ)行っちゃあええ顔ばあしてなあ・・」
私はいつも母の不平を神妙な顔で聞いたが、一度として納得したことはなかった。
お父ちゃんのどこが悪いんじゃろうか、そげんことを言うたら、よそんちのお父ちゃん
じゃったらいっぺんで張り回すでえ。(父は母に手はおろか大声も挙げたことは
なかった、子供にはもちろんのこと。)
私は兄に「ええけどなにゅう(何を)やりゃあえん?」と聞いた。
それまでに母の誕生日にピン(髪の)とか足袋とかやったことがある。
兄はそこじゃあとばかり
「お母ちゃんののう、手が荒れとろうがあ・・せえじゃけん”桃の花”がえんじゃあねえ
かのう」
「桃の花」、年中がさがさの手をしていた母はよくそれを塗り手袋をして寝ていた。
「ああーせえじゃけどなんぼうするんでえ」郵便ポストの貯金箱を思い浮かべた。
「50円じゃあ、へえじゃけん20円出せえ。わしが行ってこうて来るけん。そんかわり
おめえが言い出したことんせえ、そんほうがお母ちゃん喜ぶけん」
兄は自分の30円と私の郵便ポストの20円を持って近所の薬屋に買いに行った。
母は「そーかなあ、ありがとうなあ。誰が言い出したんでえ」と
ほんのり笑顔で訊ねた。
「ユウじゃあ、ユウがお母ちゃんにしてやろう言うたんじゃあ」
「そーかなあユウちゃんがそう言うてくれたんかなあ、よう知っとたなあ。
ほんならでえじ(大事)に使わしてもらわあよう・・・」
「・・」
その夜は久しぶりに機嫌を窺わなくていい食卓になった。
「いつのまにそげんなことを知ったんじゃろうかあ」一番上の兄も先を越された悔し
さをちょっぴり滲ませながら言った。
「そりゃあもうユウちゃんも小学生じゃけん、それぐれい知っとらぁのう」父が一合瓶を
傾けて応じた。わたしは上の兄を見た。
すぐに目で”言うな!”と合図があった。
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