Asagaya Parkside Gallerie 記憶写真

「ぽんぽこたぬき(真っ赤なトマト2)」



運動会が終わっても11月の学芸会があった。一難去ってである。もうこの頃には
私の評価は”すぐに言うことが聞けん”から”言うことを疑ごうて聞いとる”に格上され
ていた。
「ほんならなあ、たぬきの役言うよ。K藤のKずちゃん、WのS代ちゃん、K井Fちゃん、
M宅のMちゃん(「Tいち」の顔なじみの)、M宅のYちゃん、O田のCちゃん」
呼ばれなかった者が一斉に笑った。学芸会の出し物が「ぽんぽこ村のたぬき」だとは
聞いていたけど自分がいざ指名されてしまうと、穴があったら入りたい気持ちだった。
H子ちゃんは寺の和尚さんだ。和尚さんなら男なのにと不満が口に出そうになった。
「たぬきの人はなあ、服(たぬきの)を家へ持って帰って、縫うて直してもらって
来ねえ」

服を見た母は、 「へっ、たぬきかな、なんでぇ」と鼻で一笑した。傷ついた。
同じ組の子に笑われたよりずっといやな気持ちになった。
「知るもんかぁ、M田先生が決めたんじゃけん・・」
でも私は自分にこの役が来るだろうと薄々感じていた。私以外に選ばれた子は皆、
笑われたことさえ気にしないほど素直で文句ひとつ言わないおとなしい子だった。
「ほれ、できてみたけん着てみられえ。どうやって踊るんでえ、やって見せてん」
なおも母は私をおとしめるようなことを言ったが
「まだやっとらんけん、けえから(これから)じゃあ」と話を終わりにしようとした。
「S代ちゃんはなにゅうすんでえ」
S代ちゃんは近所の親戚の子で私と同じ日に同じ産婆さん(この人も親戚)に取り
上げられた幼友達だ。
「S代ちゃんもたぬきじゃあ・・・」
「ほっん、仲がええなあ」
「・・・・・・」
私は内心煮えたぎった。こんな母の態度に接する度に私は上の兄と
「わしやこう(わしらは)ぜっていに大きゅうなってもお母ちゃんのようなんと結婚
せまあでえ(しないようにしよう)」
と話しあった。上の兄もこの点は同感だった。(一番上の兄の事はよく知らないが、
たぶん同じではなかったと思う。しかしまあ今思うにこの頃の母はなんと生きいき
してたことだろう。子供に憎まれ口を叩くほどに。)
私は前の山に駈け登って、つくづく今回の不運を嘆いた。(私は厭なことがあると
いつも前の小高い山に上がった。山の道の一本一本を足が覚えていたし、トカゲ
のいる藪や山桃の実がなる木、アケビのつたの絡まる林も知っていた。)
母にまで馬鹿にされ、おまけにこれからH子ちゃんの前で「ぽんぽこ」が続くのか
と思うとやりきれなかった。股旅にでもなってどこかよその地に行きたかった。

学芸会がどんな具合だったかは覚えていない。母が来たかどうかも。(たぶん来た
だろう。そして「Yちゃん、よう似あっとたがぁたぬきが」と例のからかう口調で言った
だろう。)
一枚の写真があって、私と五匹のたぬき達がすのこの上でめいめいポーズをとら
されてる。右端にM田先生がいる。私は片ひざを付き不服そうな顔で尻尾を抱え
しゃがんでいる。今は私の手元にはないその写真は、当時の子供なりの私の屈折
した心境をよく写し出していた。
きっと今もどこかタンスの隅にでも母の”たぬきかなぁ!”の言葉と一緒に埋もれて
いるに違いない。

(続く)

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2008/02/24もの好きの悲哀〜鮒めし
2008/02/17死ぬるぐれい退屈(ていくつ)な日
2008/02/10大当たり(3)
2008/02/03大当たり(2)
2008/01/27大当たり(1)
2008/01/20兄のデビュー(2)
2008/01/13兄のデビュー(1)
2007/12/30水中金閣寺
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