Asagaya Parkside Gallerie
記憶写真
「ヒロ子ちゃんの変貌(真っ赤なトマト3)」
次にヒロ子ちゃんが私の中で姿を現すのは小学6年の時。それまで同じクラスだった
こともあるのに影が薄い。
土曜の放課後だった。
こんな時間に校内に残っているとしたら、特別、先生に相談がある生徒か、ウサギ
小屋の隅で何か悪さでもしようという不良(もはや死語か)に決まっている。
私はその日、担任の矢吹先生に呼ばれ県のコンクールに出す「読書感想文」の書き
直しを言われていた。
”ここんところと、ここんところをもうちょっと詳しゅう書いてん。どうして渦潮の大鯛を
この子供は一生懸命捕まえようとしたんか・・・”
夏休みの宿題だったこの作文を、私は自分では完成できず父に手伝ってもらって
いた。なのに出品作に選ばれ途方にくれた。(この数年のち私はこの「感想文」の
件で深い反省と後悔を味わうこととなる。)
この日もその直しの箇所について、
”あとでこまこう(細かく)言うけん残っとてん”と言われて終えたところだった。
私は憂鬱な気持ちで教室に戻った。
入るとすぐに「ギャハハー」と笑い声が聞こえた。見ると後ろの掃除道具入れの傍で
マアちゃん(徳一の顔馴染み)ともう一人、ヒロ子ちゃんが分厚い本を手に見合って
いる。
「あほあほ、知らんでえわしゃあそげえななあ。見たこともねえ・・」
「ほんまに?マアちゃんほんとは知っとんじゃろう、隠してからに・・」
「ほんまじゃあ、知るかあ・・」
「ふふ・・」
私は気に止めなかったふりをしてスッと教室を出た。ヒロ子ちゃんが私を目で追った
のがわかった。
それから後も度々二人が放課後残ってニタニタ笑ってるのを見かけた。
時にはそこに、
宮瀬千鶴子が加わっていることもあった。千鶴子は私が最も恐れる”言いふらし”
だった。どこで聞いて来たのか”ユウちゃんは誰それが好きなんじゃてえ、せえで
家ん前まで行ったんじゃてえ”とか、”誰それは学級委員になりとうて自分の名前を
書いたんよ(当時は学級委員になりたくても、用紙には別の子の名前を書くのが普通
だった。)”としゃべくった。
しばらくしたある日、マアちゃんが私に近づいて来て
「ユウちゃん知っとんけえ、増野ヒロ子、ぼっけいいやらしんで、わしに辞書で
すけべえな言葉あ探して見せるんでえ」と先日の誤解を解こうとするように話を始めた。
「わしやこうなんも知らん言うてものう、嘘をいわれえ言うてのう、ほんならこりょう
引いてみられいうてのう、”乳”じゃとかのう”接吻”じゃとかのう”妊娠”じゃとか
引か
せるんでえ」
辞書はいつも教室の先生の机の上に置いてあった。私はそんな所に禁断の扉が
あったのに驚いた。
「ありゃあぼっけいおかしい(ものすごく変)でえ、みーんな男子は好きなんじゃろう
いうて、千鶴子と笑よんでえ。ユウちゃんも本当は好きなんでいうて言うとったでえ」
私はヒロ子ちゃんがあの時、目で私を追ってたことを思い出した。
そして頭ん中でつぶやいた。
「不潔な女子(おなご)んなったんじゃのう」
今だから言えるが、私はこの変貌したヒロ子ちゃんが好きだ。きっといい子であることが
どこかで馬鹿馬鹿しいと気づいたのだろう。そうだとしたらヒロ子ちゃんのその後の
人生は悔いのない日々に包まれているに違いない。私は真っ赤なトマトにのたう
ってる姿をじっと見られていた日のことを生涯忘れない。
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