Asagaya Parkside Gallerie
記憶写真
「真っ赤なトマト(1)」
「ユウちゃん!違うじゃろう旗が!」
末田先生に叱られて私はあわてて赤白の旗を持ち替えた。三つ上の兄から「幼稚
園の女の末田先生は太っとってよう怒るでえ」と聞かされていたから、末田先生の
緑組と分かったときはがっかりした。桃組や青組の子が外国にでも貰われたように
羨ましかった。
「赤は右!白は左!ようヒロ子ちゃんを見てみられい、そげんなんじゃあ運動会に
でられんよう」
ヒロ子ちゃんは末田先生が組で一番よう言うことを聞いて、何でもできるとひいきに
してる子だ。私もひいきだった。この日も、「紅白の旗の踊り」はヒロ子ちゃんが
間違わずに全部でけるけん皆で真似せられえと言われていた。
この運動会の練習が始まる二ケ月ほど前、私は教室であげて(吐いて)しまった。
その日は朝から母も父もイ草の刈り取りの手伝いで、それぞれの実家へ出かけて
いて家にいなかった。私は母が用意したちりめんじゃこときゅうりの酢の物、なすびと
玉ねぎの味噌汁、それに冷や御飯を食べる気がせず(今は最も食べたい。)そばの
籠に盛られたトマトに手を出した。真赤に熟れたトマトは口にすると止まらなくなり
五つほど食べた。
午前中は何ともなく過ごし、それがこれからみんなで給食よぉという矢先だった。
末田先生がいつもの「今日のええこと」の話を始め、今日はなあヒロ子ちゃんと
藍草君が先生を手伝うてくれて何とかだったから先生はなあ嬉しかったんよぉと
話していた。私はこの日の給食の席番で真正面になったヒロ子ちゃんを緊張して
窺(うかが)っていた。気がついた時はもう両腕を広げたほどに真っ赤なトマトの
海が出来ていた。私は必死で吐き出したものを隠そうと(ヒロ子ちゃんに見られたら
おえん!)水色の上っ張りの両袖でそれらを下に拭き落とし始めた。
「ユウちゃん、何にゅうしょんでえあんたは、はよ雑巾持って来られえ!」
末田先生のガラスを擦るような声が聞こえた。が私は次の吐き気と格闘していた。
んげぇえー、げぇえーと自分でも奇妙に聞こえる呻きと共に第二陣のトマトが吐き
出された。
「んもーう、ユウちゃんは何ですぐ言うことを聞いて動かんのんでえ、はよう洗いに
行かれい!」
私はやっと気分が楽になり、ふらーっと立って水洗い場に向かった。その間、
ヒロ子ちゃんはじっと私を見ていた。少しあざ笑ってるようにも見えた。
そのことがあってから末田先生の私への評価が変わった。いや定まった。
云ってみると、素直に言うことを聞かないひねくれ者というふうに。
迎えには本家のおじいさん(母の父)が来た。よほどイ草刈りで手が足りなかっ
たのだろう。私はそれまでほとんど、かまわれた事がなかったおじいさんの出現に
戸惑った。何か悪いことでもした様に申し訳なかった。言い訳をした方がいいのか
考えたが、黙って自転車の後ろに座り、ただ押して行くだけのおじいさんの背中を
眺めていた。メリヤスが汗で濡れ骨が浮き出ていた。道の両脇に干されたイ草が、
粉っぽい染料の匂いを夏の光の中に放っていた。
私は再びヒロ子ちゃんの顔を思い浮かべた。
(続く)
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