延江泰男さん(65歳)のぶえ農園
「平成18年に、ここでカヌー全国大会を開催したことですね。誘致まで7年もかけて、やっと。それが今でも続いているんですから」
谷進(86歳)「たけべのこだま」命名者
「30年前、タイムカプセルの愛称名の応募があると聞き、出勤途中じゃったけど考えて、”これだ!”と一瞬で浮かんだ。決まった時、兄弟が喜んでくれたなあ」
松村隆(65歳)福渡病院副院長
「7年前、夫婦で日帰りバスツアーで岡山を旅して、その里山風景、特に旭川、緑豊かな自然に魅了された。そのことがきっかけで建部に家を求め、住むことに決めた」
重本勝利(75歳)里山建部会長
「里山づくりで地域の皆さんと一緒に活動している時が一番エネルギーが沸いてます。
建部の行政相談を委嘱されている時、八幡橋下の通称”お題目”の道が狭く危険だったのをあちこちかけあって歩道をつけ拡張が実現したのがうれしかった」
本田義章(72歳)田地子町内会長
「まずは、9人の孫ができたことだね。それと退職後の新しい人生を山登りしながら楽しめていることだなあ。
まだまだ地域のためにやらなくてはいけないことがあるので、がんばってやっていきたいね」
図子浩司(50歳)(株)スケッチ
「2010年、サラリーマンを辞めて会社を起こしたこと。
まさか自分が建築会社をやるなんて思ってもみなかった。今は楽しくやれてるし、建部に来ることにもつながった。
井口松治さんの前に家を買ったので、これから手を入れるのが楽しみ」
目崎勝也(60歳)(株)スケッチ
「カミさんと出会ったこと!こいつと結婚すると決意して1993年に一緒になった。”俺にもできる”そんなさわやかな気持ちになった」
河原操(55歳)サラリーマン
「ホノルル・フルマラソンを完走したこと。
40歳の時トライアスロンをやってる人と出会い、始めは減量を兼ねて御津マラソンに出場。
それまで自分には縁がないと思っていたことに挑戦していることが驚き」
藤原秀正(81歳)富沢町内会長
「 一番うれしかったことは、建部町時代、町会議員に初当選した時でした。政治の”せ”の字も分からず無我夢中でした。それから特別栽培米をはじめ、現在の”たけべ米”として付加価値の
でる農業に転換した時がやりがいがあった」
川端晴男(71歳)氏子協賛会会長
「中国エリアを仕事の転勤で22回、行く先々で名物を味わってきたこと。山口では”かまぼこ”、松江では”イカ”という具合に・・・(笑)」
杉本久典(58歳)会社員
「勤めで玉野に住んでいた時、職場の仲間と一緒に釣りに行くのが趣味でした。
近海のアジ・ママカリ・メバル・カサゴなどです。そんな中、1kg以上ある大タコを釣り上げた時は感動ものでした。建部に帰ってきてからも、年2〜3回行く海釣りが楽しみなのは変わりありません」
西崎義英(73歳)植木職人
「平成3年、常陸宮様ご夫妻をお招きした折、私しゃあ、温泉会館の支配人じゃって、それでご案内の先導を務めさせてもらった。
雨の降る中で、両殿下は傘をお持ちになられたが、前を行く私がそうするわけにはいかん。ピシッと背を伸ばして歩いた。
あとで、妃殿下から、雨に濡れながらも案内をしてくださりありがとうございました、とお言葉を頂いた。もーう、これに勝る感動はない」
前原慎市(68歳)キャンプ協会
「トラックの集配を40年やってきた。町中の商店街をグルグル飛回って仕事は楽しかった。そのことが一番の思い出だな」
鴨井智士(39歳)高校講師
「やはり、7年前に長女、雪乃が生まれたことですね。青森に住んでて、その日は吹雪でした。忘れられませんね・・・」
佐藤誠(67歳)音響工房NEAT
「150回の映画会(フクロウの会)を催せたこと。建部に来て2004年からじゃけん、よう続いたなあと思う」
榎本由香(37歳)ENOYA理容店
「理容師の国家試験に合格した時、死ぬほどホッとしました。人生で一番勉強をしたからね!(笑)」
岸芳弘(77歳)お好み焼き きし
「どこを取ってもいっしょうけんめい働いてた。電気溶接、自動車修理、クレーン車運転、家具販売、スナック、履き物屋、お好み焼・・・
中でも大工仕事が一番楽かった」
大橋常男(78歳)福渡上町内会長
「40年前、当時共働きをしていて、自分の子どもを高浜の保育園に送るのに数家族でタクシーを頼んでいた。
じゃからすぐ近くに福渡第2保育園ができた時はうれしかった。本当にできるんか?と思ってたから、そりゃあ
ほんとに」
窪藪和男(74歳)福渡下町内会長
「50歳の頃、それまでやってきた店に見切りをつけ、外に働きに出た。石屋に勤めることになったんじゃが、その事が大きな転換点となった。
人の死と向き合う中で、あの世というものをどうとらえるか、スピリチュアリズムと巡り会うことができた」
下山田桂(46歳)自営業
「数年前に蚕くらぶのミュージカルでフルートの二重奏を演奏したこと。
一緒に練習をしながら、劇が仕上がって来るのを見てワクワクしたのを覚えています」