この季節の古道は足元がにぎやかです。雑木林の落ち葉がサクサクと音を奏で、足踏みする人々の躍動感が伝わってきます。
建部小学校の6年生が建部古道をウォークしながら、建部の歴史や地理・自然についてを学ぼうと昨年からチャレンジしています。
12月12日8時30分、田地子の本田さん、建部上の江田さん、そして富沢の記者(勝部)がガイド役、地図と今回の観察ポイントの説明をして小学校をスタート。
建部上の妙浄寺の境内にある古道案内看板の前で建部平野を眺めながら、古代からの人々と旭川の関わり、一ノ口用水などについて学び、いよいよ登山道を歩き始めます。
最初にであったのは雑木林にひっそりとたたずむ32号古墳。これが大化の改新や聖徳太子などが活躍した時代につくられた古墳と聞いて、もう古代の飛鳥時代にタイムスリップです。
登りながら次々と現れる古墳を入口から覗いてみたり、巨岩で石組みされた古墳の中に入り驚いたりしながら、農業生活用のため池で休憩をとました。
国土地理院が明治時代に設定した三角点のある法寿山山頂に到着。記念写真を撮り、建部の地名の由来などについて学んだ後は七社八幡宮を目指し下って行きます。
やがて眼下に旭川が見える阿弥陀様に到着。ここでは江戸期の美作の国と備前の国の国境について学び、建部ってこんなにも歴史的に重要な地域だったことを知りました。
故郷の歴史がしっかりと脳裏に焼き付いたことでしょう。
途中、岡山の各地から集まったシルバーのハイキングの皆さんと出会いました。
「こんにちはー!」「こんにちはー!」のかん高く明るい声が雑木林の中にこだまして楽しい古道体験でした。
翌々日14日には、今度は岡山市内のウォーキングクラブの面々10名が訪れました。記者と本田さんがガイドをし、
七社八幡宮では総代をつとめる建部上の井口松治さんが神社の由来や建部祭りについて説明されました。
クラブの面々は私たちと同世代ということで、シルバー生活の話題で意気投合、満ち足りた時を過ごしました。
一行はこの後、建部八幡温泉で会食をとって津山線で岡山まで帰られました。
建部古道が建部の観光スポットになりつつあることを嬉しく感じました。
(取材・写真 勝部 公平)
再会率ほぼ90%、今年も出会えました社協主催、老人福祉センターで今日開かれた「3世代交流お飾りづくり」。去年参加の人と1年ぶりの顔合わせ。
当新聞グルメレポーターも出場5回目、編集委員、松下泰成さんは1昨年に引き続き3度目の挑戦。
講師の先生は福渡で長く理容店を営む、小林太郎さん。太郎さん理容師だけあって手先はいたって器用、今年も近隣の神社の(当福渡八幡神社も)しめ縄をほぼ一人で
あつらえたそうだ。
では、お飾りづくりの手順から。
①まず、藁束一握り分を霧吹きで湿らす
②それを4等分にし、それぞれの束のを上の部分をくくる
③4束を一つに持ち、真ん中あたりを針金できつく縛る
④しばった束の上部から2束づつ分けて開く
⑤開いた左右2束を順に綯っていく
⑥右と左で逆に逆になるように綯う
⑦綯えた2つの縄を外に丸め、先端を上に挙げてくくる
⑧ワラ束底部を押し切りで切りそろえる
⑨輪の上にお飾りをテープ、ヒモで取りつけて完成
どうですか、できそうですか?「いやあ、左右逆に綯ういうのがさっぱりわからん」
うんうん、確かにこれはむつかしい、言葉で言うと両手を合わせ右手のひらを前にこすって綯うのと、右手のひらを後ろにこすって綯う。
そうは言っても、常連ばかり、いつの間にか一人で2つも3つも、掛かる時間もどんどん短く。
余裕ができてきたところでは昔話に花が咲く。
「子どもの頃はなあ、おじいさんが家で当たり前に綯っとった、玄関やかまど、牛小屋にもなあ」
「そうじゃなあ、ワラジも編んどったもんなあ」
当グルメレポーターの方はというと、1作目を綯いかけては、ほぐすを行ったり来たり。それでもどうにか出来上がり。
となりの松下編集委員は太目のお飾り2本アップ。
「いやあ、参加費500円でこれだけの飾りが作れるなんて、また来年も来なくっちゃ」
最後はいつも通りの記念撮影。「あれ?この並んだ姿、位置もほとんど去年と変わらんなあ・・・」(笑)
(取材・写真 三宅 優)
先日金曜日、年末恒例になっています建部町公民館のクリスマスコンサートが開催されました。
一階ロビーには公民館主催講座「建部大学」と「みんなの喫茶室」のメンバーを中心に40人ほどの皆さんが参加。
演奏は結成して9年ほどの弦楽四重奏の「ルヴァンデスト」の皆さんです。
岡山のゼフィール合奏団という弦楽アンサンブルに所属、4人の仲間のメンバーで多方面でコンサートを行っています。
弦楽四重奏は2本のバイオリンとチェロ、ヴィオラで構成されており、ハイドンはじめモーツアルトやシューベルトなど数多くの作曲家が弦楽四重奏曲を残しています。
こんな演奏を生で聞けるなんて、中々ありませんが、今日はクリスマスソングのみならずジブリの曲や歌謡曲まで、
参加者とのコーラスを交えながら、ゆったりとリラックスしたクリスマスコンサートでした。
ちなみにルヴァンデスト(Le Vent d’ est)とは、フランス語で東から吹く風という意味だそうです。
令和の最初の正月を迎えるにあたり、菅原道真が歌った「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花……」を思い出されます。
次なる年に向けて建部の皆さんに向けて、心地よい香り豊かな風を送ってくれました。
(取材・写真 勝部 公平)
「建部町地域包括連携会議」と聞いて「なんだか、お役所の固ーい集まりかなあ」と一瞬、受け止めた記者。
当新聞グルメレポーターは「よくある、話を聞かされるだけの会議じゃないの・・・」とこれまたシビア。
で、出かけた「建部町老人福祉センター」
すでに「北区北地域包括センター」末繁さん、時吉さんを筆頭に、「北区北保健センター御津建部分室」、「建部町公民館」、
「障害者支援センターこら~れ」、「福渡病院」、「たけべの里」、「ほのぼの荘」、「ケアビレッジたけべ」、「葵の園」、「けあビジョンホーム岡山」、「社会福祉協議会建部分室」のみなさん14名が一堂に。
議事進行は地域包括センター末繁さんにより進められた。
(末繁さん)「そもそもこの会議は、旧建部町のころ始まった”建部町地域ケア会議”を引継ぎ、町内の福祉機関が地域のケアシステムの構築を目指す目的で活動しています。専門職の日頃の業務を通じて上がってくる課題を、関連する様々な機関からの意見を取り入れながら解決を進めるのが目的です」
なるほど、言われてみれば建部町にはいくつものケア施設、病院、薬局、公的窓口がある。
しかしこれまで、それらがどれくらい連携しているのかは推測の域を出ない。
「当然やってるだろう」「そこまで、できてないんじゃない?」
他所のことはわからない、岡山市内だって地域によってバラツキがあるだろう、「すでに、出来上がりつつあるところ」
「まるで、関心を得られないところ」
ただ、ここ建部地区においては岡山市合併後も「保健医療福祉介護ネットワーク会議」開催や、町内の公的サービス外の情報を載せた「インフォーマル冊子」の発行など引き続いての活動が進められてきた。
それでもわずかこの10年、町は様変わり、高齢化、老々介護、独居老人・・・、それに対応する援助の仕組みが追いつかない。
そして言えるのは、やはりそこに「バラツキ」があるということ。
それもひとえに、そこに関わった人の力による「バラツキ」。
どこでもそうだが「最初に井戸を掘る人」が大変。そんな意味で今日の会議は、その「井戸掘りの人たち」の
プロローグ(序)と感じた。「これから、何をめざせばいいのか」「どこまで広げればいいのか」・・・。
この日の会議では記者(たけべ新聞)がパネラーとして発言を求められた。
「たけべ新聞で協力できることはあるけど、一人一人がスマホの時代だからこそ、
ここで目的を一つにする人で”SNSネット連携会議”を立ち上げたらどうか」と勧めた。
求められているのは、様々な立場からの意見集約、そして協力、迅速な行動。
先は見えない、でも手探りで「何かできないか」、結果は行きつかないかもしれない、しかしやってみて、これでだめだと分かれば、
次のチーム(会議)を作ればいい。
意外とそんな柔軟さが必要、集まった人たち全員、記者より若い、可能性に大いに期待。
「ところで名前は”地域○○XX会議”とか仰々しくなく、普段着で話し合える雰囲気の ”たけべ温(あ)ったかい議”」なんてどうかなあ」
後期高齢、間近な記者、想う( ´艸`)
(取材・写真 三宅 優)
建部で30年以上続いている「三世代交流お飾りづくり」が今年もB&G海洋センターで開かれた。
建部地域のスポーツ少年団の子供たち30名、おじいちゃん、お父さんお母さんや少年団の指導員70名、計100名ほどが体育館に集まり、車座になって製作。
「もっと力をだして、藁をきつく締めてやー」
「わらを手で絞めながらなっていかんとおえんで―」
「お母さんのは、ぶさいくやなー」(笑)などの会話があちこちから聞こえてきます。
このしめ縄づくりは、色々な地域の方々の協力があってここまで続いており、原料の稲わらは久具地区の大内さんが、しめ縄用に刈り取りした藁です。
建部のスポーツ少年団の特徴は、ひとつのスポーツにとどまらず、オリエンテーリングで郷土の素晴らしいところを知ったり、カヌーをはじめ海洋性スポーツを体験したり、
祭りなどで地域の大人との交流をはかるなど、幅広い体験が得られる点が優れています。
将来自分の人生の選択できるように地域で提供できているところが素晴らしいと思います。きっとこれらの体験が、成人して大人になった時に自慢と自信をもたらしてくれることでしょう。
(取材・写真 勝部 公平)
「これ何、作ってんの」
「うん~とねぇ、ねずみのおヒゲ」記者の問いかけに、作業テーブルに向って一心不乱に指先で0.5㎜ほどの細い”ヒゲ”を
作る女の子。
12月恒例となった、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催による「クリスマスキャンドル作り」。
この日(8日、日曜日)午前、午後の部あわせて、定員いっぱいの24名、市内及び矢掛町からも応募があり、中には毎年参加の家族も。
(館長)「そうなんです、干支の十二支全部をつくるといってがんばっていらっしゃいます」ええー、それって小2の子だと成人するまでってこと?
講師は当新聞編集長の愛娘、勝部志乃さん。先生が今年用意したのは青、白、2色のねずみ、立ちポーズと四つん這いポーズ。
先生の見本を前に、親子で相談。
(子ども)「ねえ、ここにあれつけたらどう?」
(母)「そうだね、それって面白いかも」
そこは好きで申し込んだ子どもたちだけあって決まれば早い。次々にアイデアが、そして、思いもかけない装飾が施される。
丸くて大きな耳を付けたマウス君、赤い花のイヤリングのチュー子ちゃん。
意外や付き添い役のお父さんも、かなりの入れ込み具合で実に手の込んだ細工に挑む。親子時間がゆっくりと流れていく。
完成!後は熱したロウのお風呂に「ザブ~ン!」
感想を聞かせてください。
(男の子)「最初はできないって思ってたのに、できたからうれしい」
(女の子)「気持ちがめでたくなった」(笑)
「チュー、チュー(めでたし、めでたし)」ねずみたちからも、喜ぶ声が聞こえてきた。
(取材・写真 三宅 優)
知和という地域をご存じだろうか。津山市北東に位置する加茂町にある人口180人、65世帯で構成される小さな集落.。冬は雪が50cmも積もり、秘境の駅、因美線「知和駅」や臥龍藤などでも知られる、当然、高齢化率も50%近い。
その地区がにわかに注目を浴びだしたのは、「NPO法人スマイル・ちわ」が活動を始めてからのこと。
2012年、過疎化、高齢化が進んでいく知和地区の現状を憂う仲間が集まり「なんとかしようやー」と立ち上がったのだ。そして「とりあえずやってみよう」を合言葉に次々と施策が打たれて行った。
今日、建部町文化センターで開かれた社協主催「地域づくり福祉講演会」、招かれたのは、このNPO発起人で現、理事長を務める國米 彰(こくまい あきら)さん。
國米さんの90分の講演のいくらかでも伝えてみたい。
國米さんは、根っからの地元人間、地域の世話役もやりながら、常に「この生まれ育った地域に住み続けるには何ができるか」を頭に描いてきた。
これまでも町内会では公益を目的とした活動(ふれあいサロン、各アダプト事業、防災防犯会、運動会など)がしっかりできていたのだが、
それでカバーできない個人的な困りごとがだんだんと増えてきた。
「除雪ができない」「草刈りが大変」「墓そうじができない」「これから先大丈夫だろうか」
みんなはどうなんだろう?
そこで、皆に声を掛け、やりたいという有志10名ほどで「知和の明日を考える会」を結成、半年間かけて話し合った。その結果、地域の困りごとは自分たちで解決しようとまとまり、数年で輪番で変わる自治会組織ではできない、別のやれる団体を立ち上げることにした。
NPO法人「スマイル・ちわ」の誕生だ。
私たちの住む知和を大家族と位置づけ「ひとりひとりがつながり、住みよいむらづくりを」の理念のもと事業をスタートさせた。
最初に選んだのは「便利屋」、草刈り、墓そうじ、雪かきなどを1時間/一人、経費込で1000円で請け合う。そのうち300円を働いた人に、残りは会に入れた。
進め方は毎月1回の全体会議で決めていく、但し携帯メールで連絡が自分にすべて入るようにした。終わった後は皆で「飲みニケーション」(笑)
次に始めたのは「ふれあいマーケット」家庭菜園の余剰野菜、日用品を地域内で循環しようと年3~4回の市を開く。当初は「集まりゃあへんでー」「だれが買いに来るもんか」と
言う者もいたが、今では旬の山菜、手作り惣菜も並び、開店1時間で売り切れ、噂を聞いて津山市内から来た人も買えないほど。これにより、やりがいと小さな収入が得られることに。
そして次に取組んだのは「ワークショップ」耕作放棄地を活用し、田植え、稲刈り、餅つき、炭焼きなどの体験ができる。
法政大学の学生、高校生らも参加、新しい交流の場が広がる。
4番目「集える場づくり」その①コミュニティカフェの開催。月2回、木曜日。100円で手作り菓子、淹れたてコーヒーを楽しむ、地元民のおしゃべりの場。
100円で?これには仕掛けが、イオンモールの黄色いレシートをNPOの箱に入れてもらい還元金を得、それを資金に充てている。
その②倉庫を改装して500円居酒屋開催。月1回、第2土曜日。みんなで1品持ち寄り、酒はどこかの家で飲まない酒?が自然と届く。
+α、移動販売車との連携。移動販売「とくし丸」にコミュニティカフェの日に来てもらう、みんなで見ながら生鮮食品が買えるので大好評。
これからも地域にいる経験者、特技を持った人たちを巻き込むことで、みんなの出番づくりを推進、一人じゃあできない、仲間を呼ぶ、酒を飲み交わす・・・。
最後に今後の取組み。
・移動手段の充実、個々に対応した身近な送り迎えを可能に。
・空き家対策 上加茂地区300軒中、70軒の空き家。すぐ住める家の提供を増やす。
*継続事項⓵ 補助金に頼らない運営を続けていく。できることをみんなでやろう
*②後継者を!子育て支援と絡めて・・・
そして「とりあえずやってみよう」
ご精読ありがとうございました。
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(取材・写真 三宅 優)
「岡山弁はー」
「ええもんじゃー!」の掛け声で今年も始まった「岡山弁はええもんじゃ」
総合司会を務める遠藤寛子さん、ご当地☆リンクアップとっしーさんの意気込みも半端じゃない、と言うのもなんと今回が20回目、節目の年。
「おめでとうございます!」「建部町を乗り越えてよくここまで・・・」
関係者の皆様の努力、忍耐、ヒシヒシと感じます。
ステージスクリーンには20周年を記念して県知事からのメッセージ、これまでの名場面などなど。
「ああ、ここまでよくやってきたなあー」今は亡き人の顔も写し出され感無量。
第1ステージは「岡山弁パフォーマンス」3分間、岡山弁で言いたいことを言うコーナー。
最初に登場、三船さんの「ムカデとナメクジ」昔話を皮切りに6人の演達者が披露。
真っ赤な衣装のどこかで見たことあるそっくりさん?夢小路あきまろさんの「岡山弁漫談」
池田動物園になぜかいるはずのないパンダを見に来た観客 「ちーともみえん」
(案内人)「ちーたー見えたろう」(この動物園にいるチーターと、”少しは”の意味”ちーたぁ”)
沸かせてくれましたベテランパフォーマー。つづいて岡山理科大学国語教育学科のみなさん。
2チームで寸劇、その1「桃太郎」。
桃太郎に付き従う犬、猿、鳥を岡山弁で、出場者の中、岡山出身者を当てるクイズつき。(ほとんどハズレ、それくらい標準化が進んでる?)
その2、若い人の気持ちをそのままに「僕の知らない岡山弁」。日本国中ネット情報共通化の時代だからこそ、岡山弁を使えば「オレオレ詐欺」も逃げて行く?
前半締めくくりは吉田則夫、岡山大学名誉教授による講義。
「20分ほど・・・」とスタートした(実際は40分)
岡山県における方言分布図。
1の2、2の3、3の5、4,5、6と見せられたのだが、 「結論は?」
「はっきりした分布の成り立ちは不明・・・」(この間40分)
ただ、先生が言われた高度大成長期以前にあったもの、平成の大合併で無くしたもの、均質化が進んでいるのはよーくわかった。
休憩後、後半は固い話があったのでやり易い?
「岡山弁川柳」いつも出演してくれてた建部中学生徒さんは目下、テスト期間中。そこで、井上いつのりさんと「たけべ川柳社」「岡山県連句協会」の方たちによる「岡山弁川柳」
そのお題「ちーとばー」”少ない”を意味する岡山弁。地元、土居川さんの 「ぎょーさんの青菜ゆでたらちーとばぁー」
連句会の方からも 「肩に降る雪ちーとばぁ・・・」(難しくて忘れました、トホ)
そしてお待ちかね「岡山弁劇」なんでも備前、備中、美作から来た嫁さんらが織り成す、実家での遺産相続の話らしい。
いつになく衣装、会話、シチュエーションに遊びのない展開、正直、”どうなることやら・・・”
結果はいつも通りに「てっぱらぽー
」でした(笑)。
最後、「春の小川」「海」「虫の声」「お正月」春夏秋冬を岡山弁で全員合唱で今年も「めでたし、めだたしー」。
「♪もーなんぼーねりゃーおしょーがつ・・・はーよーけーけーおしょうがつ・・・♪」
(取材・写真 三宅 優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
今や日本全国、鳥獣被害に悩まされている、
建部でもしかり。そんな中、害獣を活かす
活動に注目が注がれている。
岡山市が推進する地域活力創出事業に
名乗りを上げた「アクティブ鶴田連合会」の
ジビエ肉を使ったコロッケの開発。そして
今回、登場願った獣皮を加工した小物類の
製作販売に取組む「建部獣皮有効活用研究所」
もその一つ。製作者の頼本ちひろさんに
お聞きした。
(取材・写真 三宅 優)
(プロフィール)
頼本 ちひろ
1982年、東京都東久留米市に生まれる。
高校を卒業後東京農業大学に入学。
途中から服飾デザインの専門学校で学ぶ。
社会人となりアパレル関係の仕事に就く。
結婚後、3.11大震災をきっかけに京都に移る。
2016年、夫の地域おこし協力隊勤務で建部へ。
2018年、「建部獣皮有効活用研究所」設立。
現在、同研究所 代表
(三宅)お生まれは東京だそうですが、どの辺ですか。
(頼本)「東京と言っても東久留米市なんですが、小平市とかのある三多摩の方で郊外です」
そこに高校までいられたわけですね、どんな学生生活でしたか
「中学は自然科学クラブに入って大気汚染を調べたり、エタノールで植物の色素を抽出したりしていました。もともと理科系が好きだったもんで。でも高校は普通校に通いました」
大学は東京農業大学に進まれたわけですよね
「農大なんですが、北海道の網走にある理系の産業経営学科に入り、流通経済とかを学びました。塀の中ではありませんでしたが(笑)、雪で出れないようなところでした」
そこを退学されて、別の方向に進まれたのはどういう理由ですか
「3年になって女子の先輩とかが卒業して進路と関係ないところに就職していくのを見て何か違うなって。
それで考え直して、高校の頃から服とかアクセサリーとかを作ったりが好きでよくしていたんで、
やっぱり服飾系がいいと、悩みが多い年ごろだったんです(笑)」
それで専門学校に入り直したわけですね
「はい、バンタンデザイン研究所で服飾デザインを学びました。パターン、縫製、染色とか全体的に教わることができましたね」
出てからはアパレル関係で働いてたんですか
「服のリペアーやリフォームメーカーの小さな店とかを転々として、最終的に自分でやろうかなと、25歳位に一回、事務所を立ち上げたんです。渋谷に借りて、服のお直し、ウェディングドレスのオーダーメードの仕事とかもらって、でも、結局、勉強が足りないなって、経営のこととか大学で身に付いていたらよかったけど」
なるほど、じゃあ、事務所はどうなりました?
「ええ、事務所は借りたけど友だちの溜まり場になりました(笑)ただ服のお直し屋ってコートをパーカーにするとか、その端切れで他の物を作るとかがあるので勉強になりました。それと、お直し屋って皮を断る場合が多いのですが、私ができると言ったら頼まれることが増えました。でも結局、個人事業でやるのはむつかしいと・・・」
そのあとは?
「それまでに、パソコンを使って画像加工もやってたので、ホームページを作る会社に就職しました。主にお客さんとクリエーターの中間にい調整役のような仕事です。
毎日、夜遅くまで調べ物をして、会社に泊まり込みながら、今で言うブラック企業ですかね(笑)」
ご主人との出会いはその頃ですか
「いえ、渋谷の事務所の頃です、友だちのバンドのライブを三鷹に観に行った時に出演してて、それで知り合いました」
結婚後は?
「旦那がバンドをやりながら色々バイトもして、でも、子どもができて子育てに精一杯になりました。脳性麻痺だったのでとにかくリハビリに懸命でした」
京都に移られたのはいつですか
「それからすぐですね、子どもが一歳の時、東日本大震災が起きてすごい揺れて、旦那の実家だった京都に移動しました。そこで良い病院に出会えたので、今でも
月に一回、京都にリハビリで通っています」
岡山に来られたのは、ご主人の頼本さんが岡山市地域おこし協力隊に選ばれたのが縁でしたね
「はい、2016年に建部に来ました。もともと移住志望で田舎で子どもを育てたいと、小学校を選んで地域おこしに応募しました」
それで昨年、「建部獣皮有効活用研究所」を設立されたわけですね
「京都、福知山にいた時から皮のなめしをやってて、”地域おこし”で来たときにイノシシが多いと聞いて、何かできるといいなーと期待して構想を加えていました(笑)」
皮はどういった所から入手するんですか
「地美恵の郷みまさかとか食肉加工施設からもらいます。イノシシと鹿が中心ですが、なめしに出す前の下処理は自分でしています」
(三宅)
どんな処理が必要なんですか
「皮から油と肉を取り除く作業なんですが、大きなかまぼこ板にのせて包丁で削いでいきます。かまぼこ板も包丁も特製で作ってもらいました」
その後の工程はどうなるんですか
「兵庫とか東京にある、なめし工場に出して、皮を柔らかくするのと、防腐、着色といった加工をしてもらってます」
そうして届いた皮で今はどんなものが作られていますか
「主には小物系でネックレスやイヤリングといったアクセサリー、ストラップやキーホルダー、靴のオーダーを受けることもあります。鹿皮は色々できるので面白いですよ。
このコードホルダーは地域おこしの今田さんの奥さんから、これ、今流行ってるよと言われて作りました。これはサニーデイコーヒーさんのロゴ入りキーホルダーで中にコーヒー豆が1粒入れられて香りを楽しめる仕掛けです(笑)」
細かい細工ですが、実際どのようにして作るんですか
「いくつもの、それ専用の道具を使ってカットしたり縫製をしていきます。これはキーホルダーケースを一回で切り取る金型でできた抜型です。
カーブ面を何度も切り抜くのは大変だし、そのたびに寸法も違ってくるので、今回、特注で注文して届いたばかりです」
「へー、こんな道具をわざわざ注文して作ってるなんて、手間が掛かりますねー」
「革は色々できるので、特に鹿皮は面白いですよ、どんなふうにしようかなって、考えながら製作してる時が楽しいです」
「新しく作られたブランド”TALABO”って、どんな意味ですか」
建部(Takebe)の研究所、ラボラトリー(Laboratory)なので、それと、他者とコラボするという意味の2つを兼ね合わせて付けました
ありがとうございました
「建部獣皮有効活用研究所」さんのホームページ
フェイスブックはこちら
知り合ってから家にも何度も来られてたのだが、ずっと”地域おこし”の頼本さんの奥さんとか、てっちゃん(息子)のママさん位にしか認識がなかった。
それが昨年、「建獣・・・」を立ち上げたと聞き、「?」がいくつも浮かんだ。
あの人が革細工をやるの?それって商売になるの?など。
当新聞グルメレポーターに聞いてみると「こっちに来て間もない頃、バレンタインだったかにポッキーでチョコハウスをコツコツ作ったのを見て面白い子だなあ、料理好きなんだと思ってた。皮の料理人とはお見それいたしました」とのこと。
先日の地域のイベントでも、店の前に若い女性が頻繁に立ち止まっては商品を手にしていた。
ふ~む、理解していなかったのは、おしゃれ感覚ゼロのオヤジだけだったらしい。
今回、初めてお宅を訪問。古民家の一隅に設えられた工房には
ミシンや型抜き、製作で使う道具が所狭しに置かれている。
実際に革の切断を見せてもらうとその手際の良さに驚く、ミシンもあっという間に掛けてしまう。
話を聞いてみて、そりゃあそうだと納得、二十歳代からのキャリアの持ち主。
特注で旭木材に作ってもらったという、大人の背丈もある大かまぼこ板。
それと、これも特別に取り寄せたという左右に持ち手の付いた包丁。
「この2つが揃って本当に作業が楽になったんです」そう言われても、この小さな体で毛皮を削いでる姿はちょっと想像できない。
帰りに、テーブルに置かれた絵本を発見、「なに、これ、面白いじゃん」
「それ、うちのてっちゃんがアイパッドで創って、マルシェで販売したんです」
変身ガエル「ダルカン」、
全オリジナルキャラクターによるアクションストーリー。
どうやら親の才能は子にも受け継がれたらしい。
(三宅 優)
霜降りる朝の建部平野。7時半、フー寒い。布団から出るのをもうちょっと伸ばして・・・いやいや、今日は竹枝小学校のフェスティバル、餅つきが始まってしまう、それ急げ。
国道53号、旭川には靄がかかり、さすがに週末とあって行き交う車も少ない。
8時過ぎ、小学校前に到着、校内からは「ヨイショッ、ヨイショッ!」の掛け声が。顔なじみのお父さんらが、2つの臼の回りに立ち子どもらの餅つきを見守る。
(記者)「いくつ、突くんですか」
(父親)「2升が8臼かなあ」ええ?半端じゃないなあ。
最初のもち米をつぶしてある程度まで大人がつく。その迫力ある打ち方に、子どもの目は大人への尊敬のまなざしと変わる。
そうして、つき上がった餅はそばに控えし女性陣らと子どもたちの手で次々と丸められた、その数800個。記者もあんこ餅、きな粉餅、からみ餅といただく。
「う―む、つきたてはうまい!」
フェスティバルまで、まだ時間があるので、陽の当たる校庭でボケ―っとする。考えてみると、待ち時間があって何もすることなくて、ボーっとするのって久しくないなあと気づく。
やがて体育館入り口の方から「どうぞ、お入りくださいー」の声。
子どもらの笑顔に向えら入場。「座布団、イス、お好きな席にお座りください。ストーブも赤く燃えております」
開会の言葉。「ちいきのみなさん、今年一年間、田植え、稲刈り、いっぱい教えてくれてありがとう。今日は私たちが感謝の気持ちでおもてなしをいたします。これからも竹枝っ子を見守って下さい」
感謝第一弾、歌のプレゼント。手話を交えて「世界が一つになるまで」を歌う。
「♪世界が一つになるまでずっと手をつないでいようー・・・♪」暖ったかさ100%。
各クラスからのおもてなしは「迷宮迷路」「シューティングゲーム」「的あて」「マッサージ屋」「漢字早書き対決」など9つ。
記者は喜々として、まず「マッサージ屋」さんへ、クジで「肩たたき1分延長」を引く「ヤッター!」
3分は長い、それプラス1分、その内、子ども同士が相談「手が痛くなったから2分に変えよう」
つづいて「漢字早書き」へ。先客ご夫婦が児童と対決中。「言(ごん)べん」の付く字を1分間で書く。
(審査員)「・・・ハイ、時間です」
(パパ)「えっ、もう?オマエいくつ書けた?」
(ママ)「2つ」
(パパ)「オレ、1つ」
(子ども)「ぼくはというと、1、2、3・・・14です」大人陣、完敗(笑)。
記者の問いは「人べん」。”優”(ラッキー、自分の名)”仁””仕””仙”・・・9つ書く。対決者はと言うと8つ、僅差で勝利!
「シューティング(輪ゴム鉄砲)」コーナーでは、真剣な面差しで森田先生(市議会議員)が挑戦。他のコーナーのいたるところで、子どもたちに遊んでもらう大人たちの無邪気な姿。
そろそろ、朝方いただいた餅がこなれたなと感じた時分、醤油だしのいい匂いが会場に漂いはじめる。
名札の色ごとに輪を作っての会食。お盆にのせられて届いた「お雑煮」。カツオ、昆布、煮干しで取った出汁、その出し殻は佃煮になって配られる。
おいしさに、あっという間にペロリ。前に座られた愛育委員さんに「三宅さん、お代わりあるみたいだから持ってきたげるわ」
「あっ、どうも」お椀を渡す。(すぐに好意に甘える)
前よりも、どっと具沢山の大盛り。これも見事、完食。
「ごちそうさまでした、全部いただきました」
(愛育さん)「そうよねー、痩せてるけど、食べれると思ったもん」(大食漢でスミマセン)
校長先生のお話「人が大好き、自然が大好き・・・竹枝小学校の目指す言葉のとおりに子どもたちは育っています・・・」
ホントそうですね、いつ来ても、こんなに人なつっこい顔に会えるんだもん。
帰りはキューイとお餅のおみやげを手に「また来年も、呼んでねー」と心の中で呼びかける。
(取材・写真 三宅 優)
どんより曇り空、かなり冷え込むが、さて今日の出足はどうだろう?
恒例となった「建部町ふるさと野菜市感謝祭」、地元の人らによる100%手作りのこのイベント、昨年は最終まで人が途絶えることがないほどに大盛況、
記者も体験コーナーで参加した。
今年も江田事務局長からのたっての願い(?)でやることに、題して「やさい仮面をつくろう」。野菜のキャラクターを描いて仮面にするワークショップ。
ちなみに記者が用意したお手本?はピーマンにPの字を入れて「Pーマン」、ニンニクにキン肉マンの顔を組み合わせた「ニンニクマン」など(笑)
朝8時半、会場となっている福渡三本松下旭川河川敷にはテントがズラリ。すでにほとんどの出店者が準備を終え、スタンバイ。
「巨漢、カボチャ」も何キロあるでしょうとみんなからの回答を待っている。当新聞グルメレポーターも、なでしこ共同作業所のスタッフとしてフランクフルトとポップコーンを販売すると早々出かける。
開始1時間後、いつもの元気をもらえる「はっぽね太鼓」、つづいて傘の華咲く「傘踊り」。音が鳴り始めると寒さもどこかへ飛んで行く。
会場をすっかり覆った、焼き鳥、牛串焼、焼きそば、タコ焼き、鮎の塩焼きの匂い。
「う~ん、たまらんぜー」と、どこからか聞こえてるわけではないけれど
、朝飯食べて来たはずだけど、イス席では豚汁(安い100円!うまい!具沢山!)すする人、唐揚げ(からあげぜんちゃん)ほうばる人、ぜんざいに舌鼓する人、
まだ10時過ぎたばかりだよ、おかあさん。
側に沿った国道53号からは次々と警備員の誘導で車が下りて来る。
中には岡山ナンバー以外に倉敷ナンバーも。どうやら、何かやっていそうなので寄ったようだ。
ステージでは、地元っ子のヒップホップ。観客は食べ物を片手にスマホで撮影。
テーブル席を占拠した、おばちゃんたちは積もり積もった身の上話し。
「そうなのよ、そうそう、わたしだってそうよー」
「そうなんだけどなかなかそう言われてもねー」
なにがそうなのか、そうでないのか、わからないけどそうらしい。
「仮面コーナー」が意外な人気で、記者は取材に行けない。
そうこうしているうちにラッパの響き、建部中学の吹奏楽部の出番だ。
「ちょっと、待っててねー」とカメラをつかんで「それっ」と駆ける。
先日、文化祭に出演してくれたメンバーが一列に並んでの登場。
地元中学生の演奏に観客からは一曲終わるごとに大きな拍手。
いつの間にかテントに挟まれた通路にはごった返すほどのお客さん、どうやら今年も大盛況の模様。
正午を過ぎるとお客さんはますます増え、というか朝からの人が帰らないので必然的に増えている。
「ビンゴやって、餅投げやって、でも、どっちが先なんだろう? あのースミマセン・・・」
「スタッフ」の腕章を見て、記者に聞いてきた子連れのママさん。
(記者)「餅投げの後ビンゴだよ」
(ママ)「じゃあ、それまでいましょうね」
(子)「うん、ぼく、ビンゴがしたい!」
そして餅投げの時間到来。
(実行委員長)「みなさん、餅投げのルールーを言います。最初は子どもだけで拾います、そうでないと危ないので」
子どもらがゾロゾロっと前へ。
「こんなに子どもが、おるんか!」あきれたのか、うれしかったのか黄色いハッピのおじいちゃん。
紅白餅とお菓子の袋、いっせいに放られて、あっという間に子どもは終わり。
一方、大人の意気込みは子ども顔負け、手提げ袋をいっぱいに広げて待ち構え。
「おーい、こっちだよー」「先生、ここ、ここよー」
投げる森田先生(市議会議員)「えーいっ!」そこまで距離が届かない。
これまた早々、完了。
「もーう、ここは投げる餅が少ないわー」不満の女性、見るとマルナカのレジ袋の半分の量。
いやいや、餅投げは年代を超えて盛り上ります・・・じゃあ、ビンゴはどうなる?
午後1時半、お待たせ、ビンゴ開始!
「最初、27番!」そこからの長~いようで、あっという間のワクワク時間。
何十回もの呼ばれた番号を目を皿にして、カードを探す人(記者)たち、しかし、「ない!近い数字ばかり呼ばれとる」
幕引きはなかなかやって来ない。
「もうこれで景品はありませんので・・・」(残るは大根とエンピツ・・・)
それでも、その後、追加の景品の提供がある。
そうして「野菜祭り」はいつ終わることない楽しさいっぱい抱えたままフィナーレへ。
「よーし、来年は”たけべハローウィン”仮装パレードだ!」
記者の興奮にグルメレポーター(妻)の「そんな(若くいられる)保障がどこにあるの?」の冷淡な声(笑)
(取材・写真 三宅 優)
イベント目白押しで何かと慌ただしい今月だが、小さな息抜きを紹介。「鎌あげ祭り」昔はこの地方の農村ではどこでも行われていた行事。稲の収穫が無事終わり、働いてくれた鎌に感謝すると同時に自分たちのねぎらい。
富沢「里山建部」でも、田植えの後の「しろみて」以来、4ケ月ぶりとなるこの日の祭り。
ベースキャンプの鳥沢池周辺の草刈りを終え、山裾もきれいに伐採された。
会の事務局長である当新聞編集長、勝部が津山まで行って買ってきた「ホルモンうどん」と鮎の塩焼きを前に、メンバーたちはくつろいだ表情で酒を酌み交わす。
平均年齢70半ば、男たちはこれまで自分たちの仕事目標を立て、そこに向って全力を注いできた。今、また倉庫を一つ造作しようと計画している。
衰えることのないエネルギー。しかし、会長の重本さんが言う。
「いやあ、今まではねどうにかやって来れましたが、今年は後ろの山は森林組合にお願いしました。若い後継者がなかなか、むつかしいんですわ。
山を守る、それだけで精一杯です、イベントで市内から人を招く、それはまた別の事業で、これをどうにか若い人らに委ねられれば、少しは先が見えてくるんですが・・・」
確かに一時は30代~40代の人らの参加をよく目にしたが、最近はあまり出会えない。どこかで流れが止まった感じ・・・。
「今が正念場なんですかね?」里山の事務局をする当新聞編集長、勝部に聞いた。
「う~ん、確実に、ここに愛着を持つ若い人らが増えている、その者たちが引きつぐまでの時間との闘いかな」
どんな道のりにも足踏みの時があると思う、無論そのまま消滅に向かうことだって。しかしどっちに転んでも、やった者たちが「やって良かった」と満足するのであれば、
それが最大の成果だと思う。
(取材・写真 三宅 優)
午前11時、そろそろ腹へったなあーって頃、私ことグルメレポーターは副編集長のピンチヒッターで取材へ。
どこへ?そりゃあ、もちろん「たけべマルシェ」!
天気は秋晴れ、気温も上昇、野外のイベントには最高のシチュエーション。
並んでいました、赤、白、黄色に青、緑、カラフルテントが文化センター中庭、法寿庵横にズラリ。
もちろん、センター内では今日が2日目となる「建部町文化祭」真っ最中。詳細は昨日上げたので、私は食べる方に一直線!
まずは、甘いものでもゲットしよう、「キシモトケーキ」でどら焼き、スイートポテトを。えっ、完売(´;ω;`)ウッ…
(岸本さん)「すいませんねえ、こんなに早くなくなるとは。今度はもっと作って来ますね」
そうか、しかたない、あっ、ジビエコロッケ、新聞で特集している地域活性化事業「アクティブ鶴田」のヤツに違いない、一つくださーい。
(鶴田地区のおばちゃん)「あれ、さっき、もう売れてしもうたんよ」うううー。
聞いてみると昨日、6時間もかけて160個作って来たけど、1時間ちょっとで完売。今度はジャガイモができる頃を待つしかないとのこと。トホホ・・・。
カレーの匂いがしているけど、マジ、昨晩、うちはカレーだったし3杯も食べちゃったからなあー。
ここは、がまん、食べてる人に聞くだけにするか。まずはテーブルで建部中学「たけべ部」の生徒たちお手製カレーを食べるご婦人。
「どんな味ですか」
(ご婦人)「トッピングでゆで卵を頼んだのよ、具が細かくしていてマイルドなので小さい子も食べれるわ」
なるほど、作り手が中学生だから、激辛ではないようだ。その隣は「カレー77」さんのカレーを前にしたお友だち。
(同年代のご婦人)「大人の味だわね」ほほー、って言うことはちょっぴり辛口か。
肉まんを見つけた、「ママゴトヤ」。何回か食べてきたが、そのたびに向上してきているのがわかる。今回はどうかなー。
うう、前よりもっと本格派、250円は高くない。
ついでに、店主でマルシェ主催者である雨宮さん(コトちゃん)にインタビュー。
「どう?今日のマルシェの感想は」
「あのね、みんないっぱい来てくれてうれしい、とくに中学生が(スタッフとして)参加してくれたのが一番うれしかった」
そう言えば、制服姿の中学生が多いのに驚いていたのだった。
さて「スイーツチュプ」でスコーンと「nico」で、いつものパンを買おう。おお、そう思ったらケムケムのいい匂い。炭火焼きの焼き鳥の前に立つ。
「勇の樹さん、1本ください!」
市の並ぶ奥に設けられた食事スペースでは、顔見知りの家族連れで溢れんばかり。そりゃそうだ、文化祭にやって来た人たち、みんな地元の人たち、
その人たちがほほ笑んで、話し込んでゆっくりと・・・。
そんな合間を、子どもらがはしゃいで、駆けって、寝ころんで。多いなあ、子どもたち、子どものお店もできている。
(公民館、入野さん)「今回は竹枝、建部、福渡の3つの小学校から子どもたちがお店を出しているんです。自分らで考えて、自分らで作って、自分らで販売する”子どもちっちゃ市”なんです」
アクセサリー、イヤリング、ネックレス、マフラー、ブローチ、フェルトの小物・・・ひとつ200円位からの可愛い手作り作品が並ぶ。大人たちも興味本位で覗いてもついつい「ひとつ買うわね」。
子どもに作る楽しさ、手渡すよろこびを知ってもらいたい。
買物で入れてくれたニュースペーパー製、手提げ袋もマルシェ、こだわりの一つ。子ども、地球、環境、そして持続可能な社会の実現・・・。
ロビーに入る。あっ下野社長(建部ヨーグルト社長)、その前には獅子舞が、「チャンチャンチキ、チャンチキチャ・・・」
鐘と太鼓で踊り出した神楽の後ろに足が4つの優雅な踊り、2人獅子の気負わぬ動き。自分たちペースでそれでも守り抜く、鶴田地区、和田神社の妙技を披露。
やがて文化祭は最終に。大ホールでは「岡山ヴェルデ吹奏楽団」のお出ましだ。「水戸黄門」「大江戸捜査網」の時代劇から「パプリカ」まで聴衆を沸かせる。
そして、いつものフィナーレ。(いつもであることに感謝!)
楽団員、建部中吹奏楽部員、町民、観客一体の「ふるさと」大合唱。
ありがとう、ありがとう、の拍手がつづく。
岡山ヴェルデ吹奏楽団との大合唱、動画
(取材・写真 三宅 美恵子・三宅 優)
しっかりと冷え込んだ土曜の朝、建部町文化センターに向かう。「えっ?」なんと駐車場は満パイ。そしてロビーに入るとその通り、押すな押すなの人、人、人。
やがて全員で始まった「岡山市民体操」
これって文化祭じゃなくて体育祭のノリじゃん。
「いえいえ、健康あっての文化です」(健康づくり建部部会の方)なーるほど。
「第39回建部町文化祭」公民館主催講座、一年の総決算。
記者がメンバーである「フードバンクを考える会」のブースでは「食べものを大事にしろー!」と火山爆発で訴えている。
その奥の「大蔵平家保存会」では運良く保存会会長に捕まって(笑)30分みっちりの講義が始まっている。
「そもそも大蔵家は平安時代にさかのぼる平家の時代・・・」
やがて大ホールから聞こえてきました太鼓の響き、と言えば「建部はっぽね太鼓」、これを皮切りにステージの部が開幕。
今回は総合司会を地元ヒップホップダンスの子どもたちが任されて、何やら新企画続々の予感。
第2プログラムのカラオケトップを飾ったのは石井靖子さん。客席で振られるのは「がんばれ💛やすこ」のプラカード。親衛隊も駆けつけての大賑わい。
演歌ムード一本やりのこれまでとは違う、これまたフレッシュな光景にニンマリ。
展示部門を回ってみよう。書道、オッと、当新聞おいしいモデルの松下トーコちゃんの書「ことり」の文字。
「確実に成長してるなあー」進歩途絶えて久しい我が身が恥ずかしい―。
「世紀の祭典」中学1年生の作品、見事。そうか来年は東京オリンピックだった。
小ホールへ足を運ぶ。最初に目に飛び込んだのは介護施設の利用者さんによる色鮮やかなパネル。テーブルにも手芸、切り絵、紙細工・・・などなど。
パワー満開。隣には「葵学園」の生徒さんの活動発表。この機会にみんなに知ってもらえるいいチャンス。
手編みのセーター、パッチワーク、ボトルフラワー、八幡彫り、ビーズアクセサリー、園芸、平田君の「ストローアート」、建部川柳、俳句の会。
「日溜りは 母の懐 冬椿」98歳、井手 房野さんの句。
もう一つエレベーター横の展示室。旭水荘の利用者さんの一文字書。「金」、「花」、そして「百」。今年、百歳になるおばあちゃん作。
義理の母を指導したのは服部恵子さん。「よう、書けとるじゃろう」
そばでしきりに感心していた森田市議会議員「こんな風に自分でも書けませんよねえー」
二階、吹き抜けの回廊には「水彩画教室」の静物画が。モチーフの表情の一つ一つをすべて見落とさず、描いて重ねた筆のあと。
制作にかかった一人一人の、長~い時間が室内に満ちている。
ロービーでは中島みゆきの歌に合わせ「手話クラブ」の”手話うた”が始まった。
2階からのぞき込むように見つめるヒップホップの子どもたち。
参加者が一体となって盛り上げる、みんなの祭典。
大ホール入り口ではさっきから知人、友人、家族の出たり入ったりの忙しいこと。
「もうなあ(カラオケ)聞きとうないんよ何度も。せえでもなあ、あとで機嫌が悪い(亭主)けんなあー(笑)」
「次に出る人が知り合いじゃけん、来てねって言われてなあ」
そうそう、その思いやり、助け合い無くして田舎は存在しません。
ソファアでくつろぐのは展示でがんばった「ケアビレッジたけべ」のお年寄りたち。
(記者)「たけべ新聞です、お写真撮っていいですか」
(介護スタッフさん)「まあ、たけべ新聞さんですって、みんなで新聞に載せてもらいましょうよ」
(記者)「ありがとうございます、では、いきますよ、ハイ」パチリ!(笑顔)
お~い、今年もありがとうね文化祭、出会えた顔が何十と・・・。
明日は続いて文化祭Ⅱ、そして、お楽しみ「たけべマルシェ」で”爆発だー!”
(取材・写真 三宅優)
取材から帰ると、妻(グルメレポーター)から、いつも「どう、何か拾い物があった?」と聞かれる。
たいがいは「うん、まあね」と答える。こんな時は書いてみないと自分でもあったかどうだか、まだ決められない心境。
むろん即座に「う~ん、記事にならん」と言うこともタマ~にある。
今日はというと「ウッ、かなりね・・・」とそれ以上、語らない。
その後を話してしまうと持ち帰った拾い物が減ってしまいそうだから。
今朝、建部上にある「老人センター」で催された『ようこそ!人生の下り坂へ』と題する講演会、講師として来られたのは「老いと演劇」OiBokkeShi(オイボケッシ)主宰、菅原 直樹さん。
菅原さんは栃木県宇都宮市出身で、2012年に東日本大震災を機に岡山に移住。以来、役者で且つ介護福祉士の仕事をされながら、認知症ケアに演劇的手法を用いた「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。このたびは、建部で活動する「カナリアの会」「ボランティアたけべの会」の合同研修会の一環で招かれた。
さて玄関を入ると、いい~香り「サニーデイコーヒー」さんがお出迎え(さすが!)。会場ではいつもながらに女性優勢50名+男性5名ほど。
オニビジョンさんも久しぶりに松本記者の顔、職場体験中の岡山大安寺中等教育学校の女子生徒さん2名を伴いやって来た。
さっそく菅原さんのワークショップ1、「アソビリテーション」
(菅原)「遊びって、できないことをするから楽しいですよね、でも、年とるとだんだんできなくなって、できない自分を責めるんです。
そうじゃなくて、できないことを楽しもう、そんなゲームです」
参加者半分が中央に輪を作り並び、体の頭から足先まで(頭1、鼻2、肩3、腹4、膝5、足先6)番号を付ける。
それを号令役が好き勝手な番号を言い、そのたびに全員、自分の部分を指さす。これは楽勝。次に、いっぺんに番号を2つ呼ぶ。右手は正解、でも左手で指したのは別の部分?かなり、できなくなる。
さらに指さすのは別の人の体、ますます混乱。終いのルールは毎回、同じ人ではない人を指す。もう、何が何だか、頭グチャグチャ。
続いて残り半分は「イス取りオニ」。
空いたイスが1脚、そこへ老人(菅原さん)が座ろうとヨタヨタ近づく。そうはさせない(かなり意地悪)と、そこへ一人が移動。今度はその空いた席に老人が、それもさせずと別の人。しかし、とかく気づくのは近くの席の人、なので老人は難なくその隣の席に座れてしまう。
途中で「シャッフル!」が掛かり、同じ席に座れないルールが発動、これで会場は老人を阻止するのか、自分の席を見つけるのか、カオス状態の大笑い。
(菅原)「体を使った遊びは、何も子どもの特権ではないんです、大人がやっても楽しい。演劇も体を使った遊びで他者とのコミュニケーションなんです」
ワークショップ2「イエス・アンド・ゲーム」 認知症の人との介護の現場で演技者になって接っしてみる体験。
(菅原)「たとえば”〇〇さん、お食事ですよ”と介護者が声を掛け、患者さんが”旅行に行きたい”とまったく違う返事が返る。
そこで”〇〇さん旅行じゃなくて、ご飯ですよ”と相手の言動を正すのでなく、肯定(イエス)で”そう、じゃあ、車を用意しなくちゃね”とさらに(アンド)提案する。相手の感情に寄り添う関り方で演技者になる事が大切だと思います」
では7人チームで輪になって、順番に介護士さんと認知症の方になって実演。
(介護役)「XXさん、食事ですよ」
(患者役)「プールに入りたい」
(介護役)「ステキな水着、着ましょうね」
これは、スムースにいきました。
(介護)「△△さん、お風呂でっすよ」
(患者)「お風呂はいやじゃ」
(介護)「いや?こまったなあ・・・」
認知症のずれた返事ができなくて、ついまともに答えてしまう(大笑い)。
今度は反対バージョンを菅原さんと演技。
(介護役、菅原さん)「〇〇さん、ご飯ですよ」
(患者役)「皇后さまになりたいなあ」
(介護)「そんな、今から皇后さまになんか、なれるわけないじゃないですか」
(患者)「なりたい、なりたい、手を振ってスマイルしたい!」
困った菅原さん、先輩介護士を呼びに行く。
(先輩)「〇〇さん、そうねえ、皇后さまステキよねえ・・・」
安心してうなずく患者役(観ていた参加者も演技力に大絶賛)。
(菅原さん)「一方的に自分の価値観を相手に押し付けても人は変わらない、話を聞いてくれることで信頼が生まれると思います。
何故そこまでして受入れなくてはならないのかと言うと、今の世の中は進歩主義が現実、でも老人ホームに入るとそんなの妄想に過ぎないとわかる。
だからこそ、今、この瞬間を楽しませてあげなくては・・・」
ワークショップの後、菅原さんと演劇を共にする岡田忠雄さんのドキュメンタリー『演じて看る』が上映された。
岡田さんは91歳で同じ年の認知症の妻を10年間、介護している。その日常は演技の連続。
寒い日、いきなり家に帰ると言い外へ出ようとする妻、だって、ここが家だよって言っても聞かない。そこで、じゃあタクシーが来るまで待ってよう、お母さんもいっしょに迎えに来るからねと、なだめて部屋に戻る。カレーを作る岡田さん、もう食べたという妻。そう、と言って自分で食べる岡田さん。(場面を前に、涙を拭う参加者たち)
中に出てきた菅原さんの劇に岡田さんが演じる役のなり切り様も凄い。老々の重い介護を抱えているとは到底、見えない。
それはまさに「今、ここを共に楽しむ」姿、
だからこそ妻に寄り添い、受入れる自分があるのだと心から思った。
「老いと演劇」OiBokkeShi公演ご案内(PDFで)
(取材・写真 三宅優)
朝9時半まで開かれた「福小音楽発表会」、その後を受けて開かれた福渡学区「防災キャンプ」。
まずは震度5強の地震を想定した児童の引き渡し訓練。
迎えに来た男の人を前に、(先生)「○○君、(この人は)あなたのお父さんですか?」
(生徒)「はい、そうです」混乱した中、子どもを間違った人に渡してしまうのを避けるねらい。
今年で7回目となる「防災キャンプ」、毎回、災害を想定した様々な体験が組み込まれてきた。
昨年は真備にも出向いた自衛隊の食料援護車のデモンストレーションが記憶に新しい。
案内によると今回は自分の家のハザードマップを作るらしい。
午前10時、開会。
今日、冒頭に話しをしてくださったのは岡山市危機管理室の原山博昌さん。
これから30年以内に70~80%の確立で起こると言われている南海トラフ地震のメカニズム、それにおける岡山市内が受ける被害、防災の仕方、避難の仕方についてスライドで説明。また豪雨、土砂災害における対応についても、実際の福渡学区のハザードマップを前に危機感をうながした。
(原山さん)「自助、まずは自分の命を守って下さい、そうでなければ人も助けられません。そして共助で地域の人を守って下さい。公助は10%の役でしかありません」
川口地区の藤原町内会長は地区で作った「各地区ごとのハザードマップ」を紹介。
自治会、消防、愛育委員、栄養委員らで構成する自主防災組織の重要性を訴えた。
このあと、地域の栄養委員さんによる、水で作る「アルファカ米」の作り方。
そして、いよいよ体験「自分の住む家のハザードマップ作り」
(福渡地区での作業、拝見)
町内会長さんから「福渡はコミュニティをとりあえず避難場所に考えてください」
それを受け(男性)「でも、あそこだって3~40人も入れば、すぐにいっぱいになる」
(若いママさん)「えー?じゃあ、うちは入れなかったらどこに行けばいいの?」
それから白地図を前にケンケンゴウゴウ、あそこがいい、ここはダメ、車で行くのか、行かないか・・・。
他の地区でも、なかなかスムーズに自宅から避難場所までの安全ルートは描けない。
家にいるのが一番安心な人もいるし、年寄りだけで暮らす人もいる。土砂崩れ、レッドゾーン、浸水危険の人。
自分のハザードマップが最優先だが、地域としてしっかり避難先を確保していなければ、逃げ場所も自分で作るしかない・・・困った。
その間に先ほど仕掛けた保存食が出来上がる。「ワカメご飯」の味は?
(グルメレポーター)「う~ん、梅干しが欲しい・・・」(ぜいたく言ってる場合じゃない!)
(取材・写真 三宅優)
福渡小学校の体育館、児童たちの座る後ろには、ずらっとお父さんたちのカメラの3脚。
どこかいい場所はないかなとキョロキョロ、運よく家の近所の方が「三宅さんここへ座られー」と譲ってくれた。
「校内音楽発表会」昨年までは建部町内3校合同で開かれていたが、今年からは各校で開くことになった。
その第1回目、福小のテーマは「かがやきあふれるハーモニー」。
ステージ、最初を飾ったのは1~2年生11人による斉唱。「子犬のビンゴ」を歌いながら掲げる「B」「I」「N」「G」「O」「🐕」。
自分の体が隠れるほど大きいプラカードが微笑ましい。
3~4年生18人の合唱は、おいしいドンブリご飯の歌「♪天どん、かつ丼、うな丼、ちょっと高いよイクラ丼・・・ああ腹いっぱい♪」楽しさいっぱいにできました。
5~6年生、高学年18名は「大切なもの」
「・・・大切なものに気がつかない僕がいた ひとりきりじゃないことを・・・」
ひときわきれいな高音部が響き渡り観客もじっと聴き入る。
合奏は「風を切って」。
大太鼓、アコーディオン、エレクトーンらが、いっせいに鳴り始める。
マリンバを叩く子の目は手元を見ることなく、指揮者の動きをひたすら追いかける。
全員合唱は「ありがとうの花」
そして最後、校長先生の言葉。
「今日まで毎日、練習を重ね、休み時間にもがんばってた、それは本当に、かがやきあふれる姿でした・・・」
(取材・写真 三宅 優)
(有)景山建設さんの「第7回かげやま感謝祭」が今月3日、吉田にある会社内に設けられた会場で開かれました。
この催し、民間企業が地域のために「日頃のご愛好に大感謝!」をと、毎年、手づくりで行なっています。
受付で参加者全員に配られた記念品も、日頃の仕事で使った木のハーブ。袋から「ひのき」のブーンと香りが、心が落ち着くプレゼントでした。
今年はハウス設備のメーカーさんが、キッチン・トイレ・洗面などについての新しい展示・相談に乗ってくれており、
田舎で最新の設備に手で触れられると参加者にも好評。
内装で使うタイルを使っての世界に一つだけのモザイクタイルの鍋敷きづくり、糸のこで作る来年の干支「木のねずみ」、建築現場から出た「端材」でつくる木工教室など、魅力あふれる体験コーナーも満載。
モノを大切にし、身の回りにある素材を使ってのイベント、日頃の景山建設さんの家づくりに対する思いが随所に見受けられました。
(取材・写真 勝部公平)
(沖 政信 客員記者レポート)
11月3日午前8時には竹枝学区ふるさと活性化協議会、岡山淡水魚研究会、岡山理科大学ほかのスタッフが集合し、10時の開会に向けてテントや水槽などの準備が始まりました。
鹿瀬橋の下あたりでは重機がすでに轟音(ごうおん)を響かせて川を堰き止めています。9時40分頃に堰ができたのですが例年より水量が多く時間を要したようです。
地元女性有志によるシシスキ丼、鮎の塩焼きの準備と共に美味しそうな匂いが鼻を刺激してきました。
一般参加者が320名以上、スタッフや大学生を含めると総勢520名以上が竹枝地区に集まって来ています。
開会式後、まずは川のクリーンアップを実施。
「川はゴミ箱じゃない!」を合言葉に子どもから大人まで熱心に取り組みました。
そのあと全体を4つのゾーンに分けて3つのゾーンに一般参加者とスタッフが川に入って、1つのゾーンは地元の人たちで投げ網での地調査をしました。
魚は27種類と例年より少し多く、近年、個体数の確認が大きく減少したアカザは922匹と昨年並み、カジカは208匹と増加傾向でした。
前回、見られなかったニホンウナギが一匹、尺アユが二匹、揚がりました。
竹枝の人々の地元に対する愛着と自然を大切にする心には本当に胸を打たれます、良い行事でした。
(取材・写真 沖 政信)
(勝部 公平レポート)
この日、朝9時前から竹枝小学校のグランドには学生や親子連れが次々と車を駐車、「第12回かいぼり調査」にやって来た。
旭川の一部を堰止めて干上がった川床を4つに区分、「岡山淡水魚研究会」等の実行委員会メンバーの説明を受けながら川に入り、
小石を動かして魚や水生昆虫や貝などを網ですくい、バケツに入れて、本部に設営された水槽に運ぶ。
こんな光景が午前中いっぱい続いた。
テントでは地元の特産品や鮎の塩焼きなどでもてなし、今年もインターネットやチラシ、各地域でおこなわれている水辺教室の参加者など、
岡山市内を中心に親子連れが参加、他に岡山理科大学の学生、地元のボランティア、中には「めだかの学校」行事に参加している親子もおり、
自然に対する関心が高くなっているのを肌に感じる。
所定の時間内で見つかった川の生き物、魚類はアユ、ウナギ、ナマズ、ギギ、ドンコ、ヨシノボリ、ウグイ、アカザなど24種類、甲殻のカニ類5種、トビゲラ、ヤゴなどの水生昆虫26種、カワニナ、シジミなどの貝類2種類などが捕獲され、絶滅危惧種のアカザは大水にも耐えながら成育、生物のたくましさを実感。
この調査は2006年にスタートし「アカザ」や「カジカ」の生態や分布を調べようとして始まった。
指導している吉鷹先生は「絶滅危惧種に登録されるということは死刑宣告と同じなのです、この活動を通じてより多くの皆さんが、自然との共生、自然にやさしい生活スタイルへの啓蒙になれば…」と話し、一人でも多くの人が自然を守る活動に理解してもらおうと参加者の疑問・質問にも丁寧に答えていた。
(取材・写真 勝部公平)
秋晴れの日、とうとう8カ月ぶりに旭川源流田地子川の碑が帰ってきました。
昨年の11月24日に「里山たけべ」の山中から切り出された一本の原木、
多自枯鴨神社前の広場で皮むき・乾燥・面づくり・リヤカーの準備を整え、
建小5~6年生が思いをこめて幟(のぼり)旗やお面へ文字を書いて今年2月15日に建部小学校へ移動。
最後の仕上げを終え、建部文化センターを経て3月2日、いよいよ建部を出発、岡山市内の各地を周り、御津・加茂川・江与味・北房・勝山・美甘・新庄・最北の蒜山中和・鏡野町富・久世・落合・久米南など37か所を廻って建部のめだかの学校へ到着。遂に11月2日、田地子に戻って来たのです。
この日は田地子川流域の富沢・宮地・市場からの参加者も35名ほどが加わり、神社前の田地子川の川辺に建立しました。
建立式典では旭川源流ネットワークの会員、流域の人々など70名を超える人で賑わい、
全行程500キロを経て建立された源流の碑への思いと活動の達成感を述べ合いました。
全コースを訪問した地元の村岡さん(85歳)は
「訪問先の皆さんの温かい出迎えや、旭川流域の自然の恵みなどを体験でき感無量です」と話されました。
式典後には多自枯鴨神社の棒遣いの演武が奉納され参加者を魅了しました。
引き続き行われた交流会でも大いに盛り上がりました。
旭川流域には美しい自然、豊かな水の恵みをもたらしてくれる150もの支流があり、多様な風土を形成しています。
この流域をつなぐことで「この川をより良い川にし、次代の子供たちに引き継ごう」を目的に、今回の「旭川源流ネットワーク」の活動がなされました。
これまで、リヤカーで源流の碑とともに支流の各地を訪問、
20年以上も続けています。
支流に住む者として、頭の下がる思いです。
(取材・写真 勝部公平)
10月31日、東京渋谷の交差点は、何万人という人でにぎわうハローウィンパーティー、どっこい建部でも田舎のハローウィンが行われました。
建部小学校では、校内の野菜畑で各学年ごとに、思い思いの野菜を春に植えます。1、2年生はサツマイモの苗を土まみれになりながら植え付け、水やり、夏の日照りを心配しながら秋を迎えました。
そして「エィヤー」の声をかけながら芋づるを友達と一緒になって引っ張るお芋ほり、出来の方はまあまあでした。
そのあと恒例のお芋パーティーの方は雨で順延して、ちょうどハローウィン当日と重なりました。
今年は、建部のどこにでもあるもので芋を焼こうとのことで、シルバーボランティアの片山さんと当記者の勝部で、焚き付けには枯れ枝や杉の葉、穫り入れ後、
田んぼに落ちている稲わらなどを準備、「すくも(稲のもみ殻)焼き」を体験してもらいました。
子供たちは自分の選んだお芋を濡れ新聞紙とアルミホイルで包み、真っ黒になった「すくも」に入れていきます。30分ほどすると、こんがりと焼けたお芋さんの完成です。
中庭の緑の芝生の中でワイワイガヤガヤの楽しいお芋パーティーの始まりです。
世界中で行われているハローウィンパーティーは農産物収穫に感謝する祭りです、まさに建部小学校のお芋パーティーは自分たちの収穫祭でした。
(取材・写真 勝部公平)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
昨年の7月豪雨による災害は安全神話の
岡山に大きな教訓を残した。県民の多くが
自身にも降りかかるかもしれないわざわいに
これからどう対処するか真剣に考え始めているようだ。
今回はそんな被災後に重要な再建資金をいかに
調達するかをファイナンシャルプランナー(FP)の
満倉 誠さんにお聞きした。
(取材・勝部公平 写真・三宅 優)
(プロフィール)
満倉 誠(まこと)
1971年、建部町川口に生まれる。
福渡高校卒業後、企業に就職。営業一筋に20年を経た後、2009年独立。
「満倉FP事務所」を設立。
現在、ファイナンシャルプランナー、
宅地建物取引主任者
トータル・ライフ・コンサルタント
損害保険募集人の資格を持つ。
建部川口在住。
(勝部)満倉さんはここの生まれですよねえ、同級生にはどんな人がいますか
(満倉)「この前、たけべ新聞に岩崎君が載ってましたよねえ、彼とは小、中といっしょでした」
(勝部) 「ということは、すぎ茶屋の杉本君や、松下君、横原さんといっしょなんだ。この歳の人って地元で起業する人が多いねえ」
「そうですねえ、松下君も建築の方をやっていて事務所を自宅に持ってきたみたいですねえ。よくフェースブックでトーコちゃん(松下さんの娘)の写真とか見せてもらってます(笑)」
(勝部) ここは親御さんの実家ですが、戻って来たのはいつですか
「2008年です、親父が倒れたのでお祖母さんの面倒を見ることになって、それで帰って来ました」
(勝部) それまでは、どんなことをされてたんですか
「高校を出てすぐに岡山市内の布団屋さんに就職してルート営業をしました。それから印刷会社に入って愛知、静岡とその後、住宅関係の会社に入りました。
ずっと20年間、営業の仕事をしてきました。その頃は夜12時まで働いていました」
(勝部) ファイナンシャルプランナーになろうというきっかけはなんです
「帰って来て、何かしなくてはと思って宅建の資格を取ったんですが、それだけではなあと思ってFPの資格を取りました。大体が営業一筋でお客さんの話を聞くのが好きだったので。でも、まだその当時、FPの認知度も低いのでアフラックの保険も始めました」
(勝部) よくここで、事務所を開く決心をしましたねえ
「もともと家は親の代まで5代つづく醤油屋だったんですが、ここに醤油を並べていた所を改装して2009年1月に開設しました。
最初は地元を1軒、1軒、飛び込みで回りまして、保険の見直しや開拓をしていきました。訪問先では中々、会えなかったり、断られることもあったんですが、
それまでお袋が醤油で回ってたので話すと、あぁ、あそこの子かなぁって。そんな時、親ってすごいなーって、つくづく思いました」
(勝部) 特に保険業に関わろうってのはどうして?
「やはりその母親が癌で亡くなったことが大きいですねえ。59歳だったんですが、それまで病気を何もしなくて保険にも入っていませんでした。
その経験、あの時、入っておけばよかったなあって思いました。そういったことでお勧めするんですが、逆にお客様は入らされていると感じられるようで、
でも、実際、癌や病気に掛かると保険はありがたいと思います」
(勝部) そうですねえ、僕らも年取ったら取ったで、どうにかなるなんて考えてたら、
人生100年だとか言われて、これから自分の設計をしなくてはいけなくなりました
「ええ、今は70歳くらいだと若いねーと
言われます(笑)。世間では盛んに長生きのリスクが言われています、そういった意味でご自分のライフプランをしっかり立てることが重要になります」
(勝部) 具体的にはどんな計画を立てるんですか
「これから先、自分の生活でどのようなことがあるか、例えば家を直すとか、子どもが大学に入るとかそういうライフプランと、どれくらい費用が必要でそれに対して収入はどうなのかのキャッシュフロー表をつくることで、
人生の設計ができるわけです。そんなときに、宅建の知識とかFPとしての見方がお役に立つと思います。
現状をよく理解して、今のうちから備えましょうと提案させていただいてます」
(勝部) なるほどねえ、顧客はどういう人が多いですか
「個人で60代以上、建部町の方が多いですねえ。とくに今は消費税がアップして、これまで掛けていた保険の見直しをする方が増えています。それと住宅ローンの相談、
手続きのお手伝いの仕事もやっていて、他に損保もあるので広島を中心に中国地方一帯をカバーしてやっています」
(勝部) 建部もこれから川の氾濫や土砂崩れが頻繁に起きるでしょう、自然災害に対応した保険が必要ですよね
「今の時代、何が起きるかわかりませんのでねえ。火災保険は災害対応だけでなく、火事後の片づけ費用とか盗難、テレビを壊したとか天井の水漏れにも出るので
適応範囲が広いと思います。地震保険は任意ですが、南海トラフとかもありますし、地震による火災は地震保険でしか適用されません。何とかなると皆さん考えられますが、
その時になると、あれに入っておけば良かったと・・・」
(勝部) そうですね”備えあれば憂いなし”ですが、中々そうはいきません
「実際、火災保険に入っていたかどうかで、被災されて仮設住宅に入られた方が、新しく家を建てて出て行くのが早いかどうか分かれる現実があるわけです」
(勝部) 日頃から再建するための費用を積み立てておくのが、保険ですね
「その通りだと思います」
(勝部) ありがとうございました
「満倉FP事務所」
岡山市北区建部町川口553番地
℡086-722-0211 FAX086-722-0215
mail:info@mitukura-fp.com
フェイスブック
建部のような農村部で、人生の設計について相談できる人がいるということは心強い限りです。
日中はほとんど外に出ているということで、その間、事務所を任されている地元の森本さんが、
代りに相談に乗ってくれるそうです。
帰りに、後ろにある醤油蔵を見せてもらいました。
「よく、夜中にオヤジがもろみを混ぜに蔵に入っていました。小麦から大豆まで一から作りょうたです、大豆に水を入れふやかして、薪で炊いて小麦とあわせて、
藁のゴザにのせて、もろみに入れて、小さい頃から見ていてたいへんだなぁーって。当時は箱で醤油を買っていた時代で、よくビンにラベルを貼る仕事を手伝ってました」
懐かしそうに、そう話してくれたことが印象に残りました。
(勝部 公平)
「終わった・・・」
福渡八幡神社、秋祭り。
御神幸が行く道々に立つ、お年寄り、その家族、昨年も会えた、そして今年も。懸命に一年を過ごし、迎えるお神輿。ここで暮した人たちが、共に抱く”祭り”への思い。
総勢122名、町内が空っぽになるほどの人たちが「行列」「神輿」「子ども神輿」「神楽」となって練り歩く。89歳の名人がバチを手に太鼓を打ち鳴らす。
壊れ行く地方、福渡も例外ではない。今やこの祭りだけが町のアイデンティティー。
子どもに聞いた「お祭りって楽しみ?」
「うん、すっごく楽しみー」
そして「だって、鐘、叩いたり、お獅子だってチョーカッコいいー」
大人(年配)に聞いた「お祭りが来るのはうれしいですか」
「いや、もうなあ、観るのはええんじゃけど、参加せえ言われるんが困るんじゃ」
やれやれ、今年も高齢化著しい課題に「秋祭り」の行方は・・・。
そうして始まった「大祭」当日。百数十の石段を登った上にある八幡神社の境内に集まった礼服姿の列席者、白張の輿守、はかまの神楽、青いハッピ姿の子ども神輿。
長~い神事を終えた参列者がホッとして境内へ。神様が輿に遷座され、獅子舞いを奉納して、いざ出陣。
町に下り、各所各所で練り、踊る。特別養護老人ホーム「旭水荘」手を合わせ、列をなし待ち受ける車イスの利用者さん。
暴れ獅子の到来に驚き泣き出したおばあちゃん、じっと演舞を見つめる顔の涙を指でぬぐうおばあさん・・・。
そんな光景を、だれもが気づいただろう。
「ワシらの祭りは、ワシらのためだけにあるんじゃない。この祭りを懸命に待ち望んだ人たちがいる・・・」
行列隊は進む。地域の支え「福渡病院」から53号線、商店街、建部支所、福渡駅・・・。
39人の輿守たちがその度ごとに立ち止まり「ワッショイ!ワッショイ」
猛者らの額は汗でベチョベチョ、顔も笑顔からしかめっ面。
祭りの始まりは無限に思えても、いつかはやって来る”祭りの終わり”
一行が上山の牧場に登る頃は陽が西に傾き、兵士たちに疲労の陰。
午後3時「友愛の丘ゼンセン」到着。館内を駆け回る大人神楽につづく子ども神楽、もう思い残すことはない。
興奮と脱力。
同じメンバーが、また集まることを祈りながら輿守たちの雄姿をカメラに収める。
(取材・三宅 優 写真・松下りえ)
このことを書きおきたいと思った。消滅寸前の福渡地区の神楽。
ここ数年、後継者だけでなく指導者も見つからなくて”もはやこれまで”状態。
今年も同様の成り行きで進んでいた。しかし、子ども会の女の子2人がやりたいと手を上げた。
(神楽の大人)「ほんとうに習いたいの?」
(女の子ら)「うん、習いたい!」
それで一気に空気が変わった。昨年もそうだった、男の子2人がやると言った。今年はその子たちが卒業し、でもそのうちの一人は出てくれる。
それだけではない、遠くこの地を離れていた若者らが戻って来ることになった。
「里帰り神楽」、回覧板で参加者名簿が伝わった。
「まあ、○○ちゃん、久しゅう会ってないわー、楽しみじゃわー」
この言葉を地元のお年寄りからいく人も聞く。
今日は祭り前夜、いつもは子どもら中心の「子ども天国」、それがどうした大人の方が多い、その「おとな天国」の舞いが始まった。
「サンバ」の音が叩かれる、体が戸惑いながらついていく。
「最初のタイミングがわからん」「からだが錆びついとるー」
10年?ぶりの神楽に若者らの感想が洩れる。
ドアが開き、入ってきたのは若者らの父。
「どうだろう、忘れとらんかなあ」
「シャギリ」。練習は獅子をかぶって大人、子どもの共演となった。獅子3体、コミュニティ狭しと動きまわる。
笛を吹き、鐘を叩く子どもらの目には、大人らが夢中になって踊る姿、友だちの懸命についていく姿が。
時刻は夜8時を過ぎ、まだ特訓は終わりそうにない。
「じゃあ、最後、あとは明日、本番!」
神楽代表の松下さんの声に全員が身を引きしめるのがわかった。
いよいよ明日、福渡八幡神社例大祭!
(取材・写真 三宅 優)
1週前が「建部まつり」、今日は「志呂神社の大祭」、共に晴れに恵まれる。
連休、いつも雨にやられてる、そんな感じがする昨今なので、何をおいても嬉しい。
三樹山の麓、志呂神社の境内には赤い幟がはためく。午後から本殿では遷座祭が粛々と執り行われている。
まだ真新しい神輿が社頭にでんっと構えてる。
今年の神輿は川口地区が担ぐそうで、知った顔の人らが白張を着て待ちかまえている。
その間、社務所の前では子ども神楽の踊り手たちが、緊張した顔をして順番を待っている。そして、そろそろという頃、子ども神楽が舞い始め、上の稲荷神社へと上っていく。
境内では県無形文化財、京尾御供「まがり ふと ちょうぎん」の三方を頂く総代さんが、御神幸の先陣へと歩き出す。
押されるシャッターの多いこと。
とにかく多いアマチュアカメラマン、狙うのは意外なシーン。ボンボンの付いた足元、わらじを結ぶ親子・・・。
神輿が動き出した。合わせて棒遣い、神楽も演に入る。笛、太鼓、鐘が鳴りだして、馬場の中をいよいよ(過酷?な)御神幸。
神輿は行ったり来たりのピストン輸送、一方、行列、棒遣い、神楽はゆっくりと踊りを続けながらの直進コース。
どこを観るのも良い、集会所のベランダ最上席は目的の演舞を見逃すまいとする観客でスズメの電線状態。
もう白張集団はヘロヘロ、担ぐではなくしがみつく者らも。でも、しかし、「これっくらいの馬鹿さがあってもいいんじゃない」と彼らの目が語ってる。
子ども神輿だって、何度往復してるだろう、「もうダメッ!って言うまでいくからね」ママさんらのスパルタ音が聞こえてくる。
チャッカリチビッ子も屋台の回りで言ったり来たり(笑)。
結局、この大祭の魅力は厳格に守り続ける神事、なんだけど、「今日の祭りを自分らで楽しんで盛り上げよう!」
そんな意気込みが随所に溢れる、そんなところにあるんだなぁっと感心した記者だった。
「おい、そんなのん気なこと言ってる場合じゃないぞ、来週(27日・日曜日)は・・・」
福渡八幡神社秋祭り!
(取材・写真 三宅 優)
関東、東北を襲った台風はやはりレベル5の結果を見せつけた。
「今までにない」「初めて経験する」と言った言葉が報道で伝えられるが、これが年内にもまた、そして毎年のように常態化することは間違いない。
中国地方は今回、うまく回避してくれたが、次は自分の番だと腹をくくるしかない。
そんな過ぎ去った後の晴天の建部町、今日、恒例の「建部祭り」が開催された。
午後1時、いつも通り八幡温泉郷駐車場に参集した建部郷8つの神社からなる神輿。その前では笛に太鼓、鐘に合わせて舞う神楽たち、棒遣いも叩き合う。
100人、200人それ以上、ちびっ子から大人まで祭り衣装を身につけて、わがお宮の旗の前で、てんでに舞い、てんでに囃す。
やがて一同は列をなし、先月、随神門修復を終えたばかりの「七社八幡宮」へと向かう。
すでに八幡宮では、この日を楽しみにしていた観客数百人が待ちかまえている。
「タコ焼き」「フランクフルト」「りんご飴」「フライドチキン」昔なつかしい「お面」の屋台も健在だ。
屋根が立派になった分、門が狭く感じる随神門、ここを腰を低く落として最初の神輿が通り抜ける。境内に敷かれた真砂土の埃が舞い上がる。二番、三番と神楽と神輿の列がつづく。
宮入りをした神輿が境内をネリ始めた。右にウヮーっと、左にグワーっと一気に駆け登るかと思いきや、
威勢のいい先輩仲間から「まだ足りん、もう一回、ねれー!」と言われUターン。
散々にくたびれた後、フラフラと無事、仮屋へと収まる。この間、観衆は「おお、おー、あぶない、あぶない!」とハラハラ。
宮司全員による詔(みことのり)を終え、いよいよ神楽奉納。見事に息の合った獅子の舞いを動画で納めようと皆、スマホ。
多自枯鴨神社の棒遣いの演舞が始まる。わずか数十軒の集落が守り続ける伝統芸、小学生の女の子もしっかりと受け継いでいる。
樫の棒が打ち鳴らす「カーン!」という音のみ、あとは荒い息遣いが聞こえるだけ。練習の賜物が観衆にも伝わる。
時間はいつの間にか午後三時、仮屋の前に再び集結した輿守たち、これから「宮開き」となる。
合図が鳴り「ウウオオー!」という唸り声をあげいっせいに社頭へ駆け集まる神輿。ひしめき合う輿と輿、何とか整列し、
そして「ウァー!」と一気に「高々」へ。
先ほどの荒さとはうって変わって静かに下りていく輿守たち、「
今年も終わりかぁー、また来年だなあ」その中の一人がつぶやくのが聞こえた
。
(取材・写真 三宅 優)
「大田(地区)に変わった人がいる・・・」と時々、耳にしていた。何でも手品が上手で、あちこちに出向いては喜ばれているとか。
その噂の人、河原徳一さんが福渡の老人会「すずらん教室」に呼ばれているという。さっそく福渡コミュニティセンターに出向く。
会場にはいつもながら、ご婦人中心に20名ばかり(それにしても男は好奇心がない、これじゃあ頭が固くなってボケも近い?)
河原さん一行到着、総勢5名。会長の徳さんを筆頭に女性4名の構成。徳さん自己紹介。
「僕が何で手品をやるようになったか言うと、アメリカ
に行ったことがあって、そこで言葉が通じないので往生して、トイザラスで買った手品の道具でやって見せたんですわ。そしたら受けて、手品は言葉がなくても通じるんですわ」
そのうち、私も仲間に入れてと奥さんが入って、右手が不自由な植田さんと80歳代の山本さん、谷さんら2人が加わった。
(徳さん)「信じれます?片手で手品しようって言うんですよ、皆さん何不自由なく両手が使えてもやろうとは思わんでしょう。
それと80過ぎて手品を覚えたいなんて考えますか?スゴイでしょう、今日はそんなメンバーでやっていきます(笑)」
植田さん登場。何もない左手を握ってモミモミ、右手に取りつけたフックで引っかけて、出てきたのはスカーフ(拍手)
山本さん「あなたの誕生日の日にちを当ててみます」
複数の数字のボードを見せながら「ここにありますか?」何枚かすると「〇日です!」(おおー)
谷さんは一本の紐で輪を3つ作る。「こうして、こうして、こうすると・・・」(ああ、輪がいつの間に3つ出来とるわー)
オオトリは徳さんの今日が初公開となる「なんでもBOX?」
奥さんがそばで「なんか家でゴソゴソ作っていましたけど、ほんとにうまくいくんじゃろうか、もう心配じゃわー」とヤキモキ。
それを聞いて徳さん、「そんな心配しとるんなら、ちょっとくらい手伝え!」と場内を沸かす。
何にもないよと一旦、見せた箱を閉め、ふたたび開けて何やらつまみ出す、テーブルクロス、ハッピ、バナナ、ラッパ、紙おむつ・・・。
前にかじりついて見ていた女性、「あれー、まあ、どうしてー?」思わず感嘆。
それを受け徳さん、「ええ反応じゃなあ、そういうのが好きじゃなぁー(笑)」
後半は参加者が実践、「輪ゴムマジック」と先ほどの「1本の紐で作る3つの輪」
ところがどうした、タネが分っても手がうまく動かない。
わずか数秒の動作に「こりゃあ、ボケ防止になるわー」のご意見。
参加者募集!!
毎月第3土曜日午前10時 !
会場:大田コミュニティーにて練習 !
「わたしも、わしも入れてくれー」を待ってま~す
(取材・写真 三宅 優)
今回は建部にある空手道の練習に励んでいる難波 優空(そら)君(建部小学校4年)をお家に訪ねました。
毎週2回、建部中学校や中田の体育館で妹の茉優(まゆ)さん(建部小学校2年)と一緒に練習に励んでおり、
その練習の甲斐あって、9月に岡山のジップアリーナで行われた「滴水会館全日本空手道選手権大会・小学生中学年組手の部」でみごと35人参加の中、堂々優勝を果しました。
ここでは強い身体をつくると共に精神力を養い、礼儀正しくなることを目標に教えているとのこと。
建部地区もチームでおこなうスポーツだけでなく、一人ひとりが励むことのできるスポーツが芽生えているというのは大変うれしいですね。
地域としてこのような多様なスポーツで子育て支援の幅が広がっていくことがますます大切だと感じます。
(取材 勝部公平)
先月の公民館主催「地域人づくり講座」は”防災”~命を守れ~がテーマだった。
今日2回目は、”その後、どう再建していくか”をテーマに、「災害時に役に立つ保険の知識」と題した講演が行われた。
講師は(株)FP相談センター、ファイナンシャルプランナー(FP)の佐藤 香名さんで、実際に災害に遭った後、どのように再建するか、最も重要な資金面
について「備え」と「支援」の両面から話された。
佐藤さん自身は4人の子どもの母であり、先の西日本大水害の折りには「同じ岡山に暮らす子どもを持つ母親として出来ることはないか」と、
支援団体「サンサポートオカヤマ」を設立、物資、有益情報提供などのサポートをした。
LINE@を通じて、ママたちだからできる物資のマッチングを行い、
実際、海外からも「白いスニーカー」が届けられたそうだ。
被災から1カ月、「モノからコトへ」とサポートは変わり、茶話会で寄せられた相談に弁護士、司法書士、建築士、看護師、FPなどで構成する”チーム岡山”で
対応するまでになった。「不安」を「安心」に変える、そのためには「知る」そのことで「見通しが立つ」と言う。
考えれば、人が生きている間はリスクに覆われている、ましてやこの異常気象、安全も安心も前とは比べようもないほど遠のいた。
後半は「すまいを取り巻くリスクに備える」保険について。
「火災保険」と「地震保険」の違いは”地震保険で家は建て直せない”なぜなら、火災保険の最大50%しか地震保険は下りないから。
地震は大規模災害のため、被災者の生活の安定に寄与することが目的。逆に地震で火事、津波に遭っても、火災保険では補償されない。
「う~ん、そうかー・・・とは言ってもこんな世の中、何があるかわかりゃあしない、入っておいて損はないか・・・」
スクリーンには被災後に書かれた倉商書道部のメッセージ「今を生きる」「明日へ」の文字が写し出されていた。人はどれほどの試練を受けようとも、やはり明日を生きていくしかないのだ。
講演が終わり今一度、我が「備え」について深く考える記者(編集長も)であった。
(取材・写真 三宅 優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
東日本大震災及び福島原発事故を受けて
避難した人の数は復興庁の発表によると
今年8月現在で5万人。
そのうち県外に避難している人の数は約4万人で、
西日本一帯では岡山県が946人と最も多い。
今回はその避難者と真正面から向き合い、
サポートを続ける服部育代さんにお話を聞いた。
(取材・写真 三宅 優 写真資料提供・「ほっと岡山」)
(プロフィール)
服部 育代(いくよ)
1971年、栃木県佐野市生まれ。
日本大学芸術学部に在学中より様々な
社会活動に参加。 結婚後、2児をもうける。
2011年、原発事故を受け岡山へ自主避難。
現在、一般社団法人「ほっと岡山」代表理事。
建部在住。
(三宅)育代さんがやられている「ほっと岡山」って僕も十分理解できてなくて、あらためてどんな活動をされてますか
(服部)「一つには、これまで県内で活動する東日本大震災による避難者の受け入れネットワークが12ほどあって、その中には大塚愛さんのやられてる子ども未来・愛ネットワーク、蝦名宇摩さんのやられている瀬戸内交流プロジェクト岡山への移住を推進しているおいでんせぇ岡山さん、和気町のやすらぎの泉さんなどがあるんですが、それまでグループ同士のゆるやかなネットワークで来たのですが、5年ほど経って、だんだんと避難の状況も変わって来て、
よりきめ細かなサポートが求められるようになりました。
そこでその中の避難者からの相談窓口を一本化し、ワンストップの窓口にしようと、その役割を”ほっと岡山”が受け持っています。それ以外にも6つの役割を掲げていて、勉強会・啓発活動、情報提供、ネットワーク構築、行政との連携、交流会の開催、調査・研究・政策提言などの活動をしています」
主にどんな相談が寄せられるんですか
「受入れ当時は、住む家や仕事先や学校、費用の問題と言った外向きの相談が中心でした。それがここでの生活が長くなるにつれ、子どもの進学のことや金銭面の悩み、地域での阻害、不登校、離婚、それと戻る人も少しづつ出てきて、そういった個々が置かれているさまざまな状況での相談が増えてきました。もちろん全体的にはスムースに暮らしている避難者が多いのも事実です」
そういった相談に対してどのような対応をなさってますか
「月に50件ほど相談がありますが、現在、私たちスタッフ8名、内、当事者が6名、2名が岡山の人で、中に専門のカウンセラーもいます。週3回の相談日を設けていて、できる限り、ご本人の意向に添ったかたちで解決策が見つかるよう対応しています。月に1回、司法書士さん、臨床心理士さんにも来ていただいています」
でもこれから起きる新しい課題に対応するって、大変じゃあないですか
「確かにそれはありますが、5年目くらいに阪神淡路大震災を研究している関西学院大学の災害復興制度研究所の存在を知ったんですが、調べてみたらそこには行政対応の実例モデルがたくさんあって、すっごい指針になることがわかりました。そこで行政を動かすことで解決できる問題は、
私たちがつなげていこうと考えました」
なるほど、それで”ほっと岡山”は「行政との連携」を役割に掲げているわけですね
「はい、行政の力を借りることができるのに、知らないでいるといったことが多くあります。災害救助法の適用申請も自治体によってまちまちだったりします。早く行動して、早く解決に導くことが大事で、そのためには日頃から根気よく行政に声を届けることも大切なことだと思います。毎月、交流会を開催していて11月には浅口市でやるんですが、福島県、岡山県、復興庁にも来てもらって話を聞いてもらいます。原発で来ている人は今の社会に不満や要望を多く持っているので、キャッチボールのできるワークショップにできたらと考えています」
昨年の西日本豪雨では別のかたちでの活動がフェイスブックで見受けられましたね。
「ええ、東日本大震災での経験があったので、避難先での対応についての情報提供や救援物資の依頼といったことが多くありました。それをつなぐネットワークとの連携もできました」
今考えると、あの7月の災害では予見があったんですよね、その1週間前に公民館で開かれた、あんどう りすさんの「かぞく防災講座」(2018年7月1日発信)森田議員らも参加して、あれは”ほっと岡山”さんの啓発活動だったんですよね。そこで言われた「安全神話のあるところほど危ない」岡山に対する警鐘が鳴っていた
「そうそう、ほんとに、あれって、まさかすぐにそんなことが・・・でも、その通りだった」
今やだれが災害に遭ってもおかしくない、時代は大きく変わってきました
「それは私にとってもミッションが東日本大震災の避難者だけでなく、これから起こるあらゆる災害で暮らしを余儀なくされた方に、その方たちの意向を大事にしながら手を貸していこう、そのように変わってきました」
これからの活動ではどういったことがありますか
「311スタディーズという勉強会をしてるんですが、8月はハンセン病療養所を訪ねて当事者をテーマにフィールドワークをしました。来年3月にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の講演会を予定しています。また調査研究では定期的に避難者のアンケートを取っていて、”声になりにくい声”を届ける活動をしていきたいと考えています。それと”ほっとおたよりNEWS”という東日本大震災により岡山に避難されてる方を対象に無料配布している冊子があるんですが、ここでもさまざまな情報提供や広報を行っていきます」
活動範囲が災害全般に広がって休みなしって感じですね。ところで育代さん、若い頃の話を聞いてないけど、どうだったの?
「高校までは栃木にいて、予備校に行くんで東京、河合塾に入って、この時の出会いがすごく楽しくって、一水会の鈴木邦男先生とかがいて”右翼と語る会”なんかにも出てたんです。大学は日大芸術学部、専攻は写真学科。でも原発や生活困窮者の問題とか、そっちの方の関心が強くて。結局、6年いて、最後の体育の学科がどうしても取れなくて退学しました(笑)」
その後はデザイナーの仕事をして、結婚と進んだわけですね
「子どもが生まれたことが大きな転機ですね、子どもの未来のことをちゃんと考えたくなりました。”大地とつながる母の会”に入って鎌仲ひとみさんを招いて勉強会をしたり、2010年に”母と子の防災本”制作するときに、あんどうりすさんの記事を取り上げたりしました。その頃、もし原発被害が起きるとどうなるんだろうと回りに聞いたら、そんなの起きやあしないよって言われた、その時のことが原点になっています」
岡山・建部に来て、もう8年になりますね
「そうですね、早いですね。ここで安心して子どもを育てられたのがとても良かったと思っています。でも災害を想定すると建部はまだまだやらなくてはいけないことが多いと思います」
(三宅) ありがとうございました
「ほっと岡山」
岡山市北区東古松1-14-24コーポ錦1階
℡070-5670-5676 FAX086-230-4561
mail:office.hotokayama@gmail.com
フェイスブック
出会ったのは2012年2月、当ギャラリーに遊びに来てくれた。下の子が家中を探索して、何にでも関心を持つのに驚かされたことが忘れられない。
その後は「3.11の集い」で会ったり「たけべマルシェ」で顔を合わす程度。
とにかく忙しい人だ。FBで見ると災害に係わる情報が毎日のように載せられ、ご本人は
日本全国飛び回っている。
8年前の公民館発行の「タネピリカ2号」に寄せた手記には、
「3.11は多くの悲しみと犠牲をもたらしました。
ですが同時に自分がどのように生きていくかしっかりと向きあうことを気づかせた契機となりました。
そのスタートラインが自然豊かなこの建部から始まることが本当に嬉しいです、この契機の意味を決して忘れず祈りと共に日々を紡いでいきたい」と綴られている。
あれから、なんらブレることなく今を生き抜く育代さんに
エールを送りたい。 (三宅 優)
「やるのかなあ、やるとしても体育館かなあ」雨予報の建部町、朝から雨雲レーダーと睨めっこ。それもそのはず、今日は建部の全小学校・保育園の運動会。
でもどこを取材しよう、取材に行けるのは2人、学校は3つ。とりあえず記者(私)はこのところご無沙汰の地元、福渡小学校へ。
「おっ、外でやるんだ!」曇天の下、校庭には白いテントが待ちかまえている。下には、すでに保護者や地域の方々がスタンバイ。
開会宣言は保育園の頃から見てきた女の子(もう小学6年生か)。続いて今年のスローガン「それ行け!イノシシ!みんなのあきらめない力で優勝だ!」を叫んだあとはいよいよ開始!
「玉入れ」「かけっこ」「ミッションインポッシブル(?借物競争)」「綱引き」ほぼ定番の競技が目白押し。
その間に保育園児のチョコチョコかけ回る微笑ましい出演もあり、応援に来た保護者、身内はスマホやカメラを片時も離せない。
高学年による「よさこい」表現は、いつの間にかたくましく成長した子どもらに、目を見張り身を乗り出して観賞する
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいじいさん、ひいばあさんまで。
組体操もズッコケてもやり直しながらどうにか完成だ。
最後は運動会の華「チーム対抗リレー」
「〇〇ちゃ-ん、イケイケー、がんばれー!」
さっきまで来賓席で慎ましく座っておられたご婦人も、この時ばかりはと声を張り上げる。赤・白抜きつ抜かれつのグランド一周。
そして「バッバーン!」ゴールを知らせるピストルの音。
途中、雨に降られはしたが終日、外で駆け回ることのできたラッキーな運動会。
記念撮影は今年が最後となる六年生たち、思い残すことのない笑顔で「パシャリ!」。
(取材・写真 三宅 優)
まずは建部小学校と駆け参じた記者(勝部)、このあと竹枝に移動して、もし雨ならそれも難しくなるので気がせきます。
建小の宮尾校長先生の挨拶も「雨がふる予報ですが、やれるかぎりがんばりましょう!」と雨モードで始まりました。
赤・青・緑・黄いろに分かれた四チーム代表による開会宣言。今年のスローガンは「最後まで、全力、協力、建部っ子」です。
雨対応のため変更してのプログラムは1番「応援合戦」でスタート。大太鼓の鳴り響かせて各チームの熱演が繰り広げられました。
つづく2番は「3・4年リレー」子どもらの一生懸命な走りぷりに目がくぎ付けになっている時に電話が、「ネコが怪我して病院に連れてって」
そこで急いで竹枝へ。竹枝のスローガンは「チームのパワーで勝利をつかめ!」
曇り空の下グラウンドでは保育園児とお母さんによる「おさんぽにいこう!」の真っ最中。
お手製のプログラムボードには「チビッ子忍者・・・」「救出大作戦」「2020竹枝オリンピック」とか読んで楽しいプログラム満載です。
「大玉リレー」を観戦後、残念ながらここで退出することにいたしました。
それでも、2校とも元気な子どもらの姿を垣間見れて、ホッとしました。
(取材・写真 勝部 公平)
「うん?ピザとオペラ?・・・💡そっか、どっちも
イタリアーノか!」ということで今日の午後、ピッツェリア「マル屋」に向かう。
「夢のコラボレーション」と題された(確かにここで演奏会が開かれるなんて、夢にも思わなかった、笑)コンサート、
歌うのはもちろん建部の歌姫ことオペラ歌手、佐藤麻衣子さん。キーボード演奏は谷 以知子さん。共に長い音楽歴をお持ち。
まずは、店主マルコの開演ごあいさつ。「スィニョーラ、スィニョーレ、ベンヴェヌーティ・・・グラッチェ」(紳士、淑女のみなさんようこそ、・・・ありがとう)
そして佐藤麻衣子さん「以前、マル屋のお客さんからカンツォーネが聞きたいって言われたのがきっかけで、マルコが良いよってそれで実現しました」
店内には音楽好きとおぼしき10名程のお客さん、いち早く情報をキャッチしてやって来たオニビジョンさんも
重いカメラを肩に最高のシーンを狙って動き回る。
第1曲、イタリア民謡、パヴァロッティの18番でもある「帰れソレントへ」
ソプラノの透明な声が静かに広がり始め、哀しい熱唱がクライマックスをたどり着く。「ブラーボー!」
次に「♪サンタールーチーアー、サンタールチーアー・・・♪」で有名、これもイタリア民謡「サンタ・ルチア」
高い声量に耳がやっと慣れてきて3曲目テンポの速いリズミカルな「フニクリ・フニクラ」。
4曲目はお客さんと一緒に身振り手振りで歌う「鬼のパンツ」。
全員が虎の毛皮でできたパンツを履くところはオニビジョン「建部ニュース」9月30日で。
ピアニスト、谷以知子さんの独奏はショパン「ノックターン」、当新聞グルメレポーターの一番のお気に入り曲。悲しい旋律に聴衆はシーンと・・・そして拍手。
後編は日本の歌、「もみじ」「赤とんぼ」「小さい秋見つけた」秋を感じる曲にいつのまにか気持ちはゆったり。
アンコールに答えてフィナーレは「ふるさと」をみんなで歌った。
「やっぱ、カンツォーネもいいけど日本の唱歌もええなあー」
わずか1時間のコンサート、でもこんな小さな町でこんな豊かな時を過ごせるなんて、それこそ「夢のようなコラボレーション」。
マル屋さんと演奏者お二人にあらためて「ブラヴォー!」
(取材・写真 三宅 優)
急に肌寒くなってやっと秋の感じ、文化祭シーズン到来、今日は建部中学校の「飛翔祭」。
明りが閉ざされた講堂に案内されて、目に飛び込んできたのは、3色のいくつもの輪を描くペンライト。生徒たちのパフォーマンスが真っ最中。
前列の生徒席からは音楽に合わせて手拍子が打たれる。
「ああ、やっぱりこの純な盛り上がりこそ、中学生だな」一年に1度、やっと自分たちを解放できる、そんな雰囲気が伝わって来る。
2年生が演じるのは「花火大会」と題する劇。学校を舞台に日常で起きるクラスメートとの仲たがい。建部の花火大会をクライマックスに再び友情へとつなげる、小さな出来事を一つのストーリーに組み立てた脚本が光る。
今年最後の3年生ロックバンドも会場を沸かす。大人社会へのあこがれと不安、そんな入りまじったモヤモヤを吹き飛ばすかのように叩きつけるドラム。
3年生の演劇は「走れメロス」。それぞれのシーンに合わせて作られた舞台背景、登場者の衣装、どれもよく考えて制作されているのに驚く。
主演メロスを演じるのは女子生徒、この主人公の力の入った演技が最後まで観客をひきつける。女性役を男子生徒が演じるのには爆笑。
先の体育会からわずか2週間、どんなスケジュールをこなして生徒たちはこれに臨んだのか。頭の切り替え、集中力、チーム力、若いがゆえに備わった才能と言うしかない。
午後からは文化センター大ホールに移っての「たけべ学習」発表会。
「国際・地域交流コース」「環境コース」「情報発信コース」の3つの縦割り構成メンバーによる建部に視点を置いた研究発表。
建部の地名、中田新町、白石城などその成り立ちを調べた5チーム。建部がこんなに歴史の残る地域だったことに愛着を感じ関心を持ったと発表。
「環境コース」は、めだかの学校を拠点に田地子川水質検査、生き物調査、ゴミ回収運動を報告。
この後、ロビーに展示された芸術コースの「手作りカルタ」を観る。妖怪カルタ、歴史上人物カルタ、アニマルカルタなど興味のあるテーマを見つけてそれぞれに創る。
”の”「 野口英世 自分が研究していた病気にかかって死ぬ」(う~ン、辛辣)
「情報コース」は自分が大好きなことをテーマにHPで発信、「犬のきもち(イヌ大好き)」「妖怪」
「韓国ファッション」「カヌー」など、ロビーに展示中のパネルからURコードを読み取ればページにアクセス。子どもたちは今を生きる。
校長先生の講評。
「93名の人が自分の言葉でしゃべった、それが何よりもこれからの自信につながると思う。先生は建中のみんなを信じてほんとうによかった」
(取材・写真 三宅 優)
「私の大すきな建部の花火と妹の笑顔」
「花火もきれいだったけど負けないくらい屋台もにぎわっていた」
「空の上から妹とぼくを、ひいおじいちゃん、おばあちゃんがみてくれてるいるとおもった」
今年の建部町納涼花火大会、終わってしまえば遠い思い出。そんな夏の楽しかった一夜が再び絵画になってよみがえる。
建部町公民館で今日から始まった「花火大会絵画展」、建部の保育園、小学校の児童らによる40点余りの作品が展示されている。
作品の1点1点に水彩絵の具、クレヨン、色鉛筆などでそれぞれに花火の印象を映し出そうと工夫の跡が。
「あたたかい色とつめたい色であらわしました」
「てんてん(点々)をいっぱい描きました」
屋台の様子を描いた作品では威勢よくタコ焼きを焼く男の人や、
うれしそうに焼き鳥を手にするお客さんの姿が克明に描写されていて、観る者を思わずニヤリとさせる。
それぞれに付けられた感想文もそれぞれの思いが伝わって楽しい。
この展覧会は来月末まで、建部町公民館ロビーにて開かれている。
(取材・写真 三宅 優)
暑いぜー、たけべ八幡温泉ONSEN広場は直射日光ギンギンでまるでサファリパーク。
そうだよね、本来なら気温も下がりそろそろ長袖が欲しい季節、夜はお月様をゆっくり眺めようとなるはずが。日本全国、気温上昇中、平均1.2も度高くなってきている。
そんな中、開かれた恒例「たけべマルシェ」、今日も若いファミリーを中心に意外や意外、結構なにぎわい。
遠くに出かけるにはかったるいし、かといって普通の屋台が並んでてもつまらない、そんなニーズにうまくマッチしたのだろう。
出店の顔ぶれは「建部ヨーグルト」「キシモトケーキ」「サニーデイコーヒー」「焼き鳥 勇の樹」「スイーツチュプ」「からあげぜんちゃん」と建部の誇る専門店
、それに「ママゴトヤ」「たけべジビエ研究所」が加わってのいつもながらの手作り感ムンムンの構成。
本部受付では前回好評の「お店をたずねるクイズラリー」を実施中。
ひとひねりした楽しみ方が待っているのもここならでは。
お客さんに聞いてみよう、ジビエ研究所の「シシコン丼」を召し上がってるお嬢さん。
「えっ、おいしいーですよー、このシシニク、今月獲れたんですって(笑)」
ストローアーティストの平田さんにも。
「ううmm、シシニク丼にこの半熟タマゴがからんだところが、また絶品!」
色鮮やかなマンゴーサンデーを手にした中学生さん。
「マンゴーの味がしっかりして冷たくてサイコー!」
キシモトケーキさんに注文した方に運ばれたのはお月見パンケーキ。
「ウワー、カワイイー💛」
いつの間にか足湯の湯船では、チビッ子が我慢できなくなってプール代わり?
地元、建部上にお住いのご家族の会話。
「ああ、今日もよく遊んだね」(母親)
「それより今夜から獅子舞の練習が始まるんじゃない?」(父親)
「あっ、だいじなこと忘れてたー」(子ども)
(取材・写真 三宅 優)
自然災害との戦争が始まった、悲しいけどそう認めざるを得ない。この日、公民館で開かれた「また来る災害に備える」~わが家を守る・地域を守る~と題しての講座、
お話をしてくださった岡山大学大学院環境生命科学研究科教授、西山哲先生の講演を聞き終えての
感想。今月3日夜の新見の例(1時間に120mmの雨)が生々しい。
以下、先生のお話を断片的だが記してみたい。
通常、1h・50mmの雨は「バケツをひっくり返す雨」と言われる、この発生回数が過去(1975年)に比べ現在1.4倍に増加。逆に弱い雨は減少し、
「たまに降ればどしゃ降り」が多くなる。
それだけでなく、線状降水帯と呼ばれる「いつまでも降り続く状態」が発生しやすくなっていて、
50㎜の雨が4時間続いた場合200㎜に達し、これは今の日本のインフラ構造物が200㎜以上に耐えられる設計ではないため崩壊を意味する。
この場合、どこに逃げてもダメで、”自ら命を守る”しか方法はない。そのための3つの要素、「知る」「準備する」「行動する」=「マイ・タイムライン」作成が重要となる。
タイムラインとは「いつ」(=主な災害の発生時点から逆算した時間帯)、「何を」(=事前に行う防災行動内容)、「誰が」(=防災機関や組織または住民)を基軸に
防災に係わる組織が連携し災害に対するそれぞれの役割や対応行動を定めたもの。
住民行動を例にすると、
「台風上陸の予報(3日前)」この時点ではタイムラインレベル0⇒心構えを高める
「台風が近隣河川に影響の恐れ(2日前)」レベル0⇒さらに準備を進める
「上陸、内水(道路に水が溢れる)氾濫発生の見込み」レベル1⇒心構えをする
「内水氾濫発生」レベル2⇒避難行動の確認
「河川の氾濫による浸水発生(外水)」レベル3⇒高齢者避難、住民準備
「氾濫危険水位過(外水)」レベル4⇒避難
「堤防決壊、土砂災害発生」レベル5⇒命を守る最善の行動
ただし、岡山県は内水が最も多く、レベル2での避難が望ましい。なぜなら道路は一瞬で川になり、ここを土石流が流れだすと避難場所にたどり着けない。
これを、自分に置き換えて具体的にどうするかが「マイ・タイムライン」
その1「知る」=命を守る情報を知る(避難を経験する・自分のハザードマップを作る、そのために実際に避難所まで歩いてみる、夜間に歩くなど避難先迄のリスクを知る)
その2「準備する」=命を守るための行動計画(いつ逃げる・誰と逃げる・危険な場所を避けて逃げるには?を決めておく)
その3「行動する」=命を守るための実践(家族で話し合い、一人でも逃げることを確認、”私は逃げているから”が他人、家族を救う)
目指すのは「逃げ遅れゼロ」。
そのためには、家族、地域でのコミュニケーションが極めて重要
⇒災害に強いコミュニティ作り
あらためて記者の感想。
60歳以上に多い「今まで何もなかったから自分の所は安全」と考える傾向。
しかし岡山県は洪水被害が大きな県として、過去10年間で7番目であることはあまり知られていない。
この日の参加者もほとんどが年配者で自治会の長が中心。
「いい話を聞いた、が多分、大丈夫でないか」で終わるのだろうか。
「今までとはまったく違う時代になった」としっかり受け止めたなら、次なる行動はすぐにも浮かぶはず。
みんなでタイムラインプロジェクト・国土交通省関東地方整備局
マイ・タイムラインで豪雨に備えを(NHK解説委員室)
(取材・写真 三宅 優)
「建部祭り」、この神社の石段を輿を担いでどれだけの人らが駆け上がっただろう。
その中でもひときわ狭い随神門を腰をかがめてくぐり抜ける、男たちは力の見せ所と競ってきた。
そんな随神門、建てられたのは268年前(寛延4年)、屋根の葺き替えは大正14年とあり、経年の劣化著しくこのたびの修復事業となった。今日はそのおめでたい「完成報告祭」。
大安の朝、10時、「トントントントトトトト・・・」宮司の打ち鳴らす太鼓の音で神事が開始。
本殿に参列した総代、輿、神楽代表、協賛七社の総代ら20数名は深々と頭を垂れ、神様にご報告申し上げた。
以下、当修復委員会長、齋藤孝義さんのお話。
「今回の修復の主な目的は①に長年の劣化により傷んでいた基礎を水平にし、柱を垂直にする。
②に傷んだ瓦を撤去、屋根地老朽部交換し銅板葺きにすることにありました。で、費用の方は屋根の修復800万円、左右随身像(これも200年以上経過)80万円、これは100年~200年単位の大規模な修復となりましたが、これで百年は大丈夫と思います」
本殿の神事を終え、参列者は随神門に移る。門、両脇に鎮座する随身像が公開された。
「おおっ」色美しく塗り替えられた左右の像、感慨深く見つめる参列者。
七社八幡宮総代長、井口松治さんのコメント。
「これで、心おきなくあの世に行けます、(もしこれをやっていなかったなら)ご祖先様になんと怒られるやもしれませんから(笑)」
責任感ある大人たち、後の世代にツケを負わせるのではなく、自分たちの時に解決する、真の大人の姿をここに見る。
そして来月はいよいよ例大祭、七社の神輿がこの赤銅色に輝く門をくぐる日はもう間近。
(取材・写真 三宅 優)
晴れ渡る空、通り抜ける風、建中グランドは絶好の体育会日和。
赤、青、黄のユニフォームに分かれた生徒たちの暑い熱戦が今、始まろうとしている。
観客席には日頃、顔を合わせることのない父兄の姿。この日のために、確実に休暇を押さえての応援?
来賓席はと見ると、交番のお巡りさん(いつもご苦労様です)、町内会長さん(毎回、大変ですね)、小学校校長(休日出勤に感謝)、各ボランティアの方(ありがとうございます)。
開会式、全員体操の後、競技1番目は「80m走」3人で1・2・3位を競う。いくら足に自信があっても、もっと速い子2人が相手となると3位、遅くても、それより遅い2人と走れば1位になれるという、運が作用する競技。
2番目は「玉入れ」保育園の運動会では定番だが、中学版はカゴの高さがはるかに高い、約3.5m。なので、園児たちのようにむやみやたらにポンポンと宙に放り投げたりしない、慎重、冷静、的確。
「ムムー、盛り上がりは保育園に負けるなあ」これは、やはり中学生には物足りないようだ。
3番もおなじみ「障害物競走」テニスラケットにボールを乗せてはよくあるパターン、1輪車に砂袋を積んで押すのは建部風?
休憩の後、生徒、来賓、保護者、先生、総合の綱引き。生徒数に比べ、対抗する大人数が少ないので記者も参戦。
「ヨーイ、ピー(笛)!」
「そ~れ、そ~れ!」やったー、大人チームの勝ち!
午前の部、最終「800mリレー」さすがに選りすぐりの選手たち、スタート地点での構えに迫力あり。
「パーン」ピストルの音、土を蹴る響き、歓声。いつの間にか練習を終え応援に駆けつけた少年野球チーム。
「にいちゃーん、がんばれー」弟の声援、兄が1位でカーブを曲がる姿・・・。
(取材・写真 三宅 優)
岡山市防災訓練が9月1日(日)「防災の日」に建部小学校でおこなわれました。
岡山市が政令指定都市になって初めての単独訓練が市内3か所で行われ、そのメイン会場となった建部会場には
建部小学校学区の地域から110名ほどの住民が参加。
南海トラフ巨大地震を想定し、建部エリアは震度5強との設定で訓練開始です。
土石流が発生し、土砂や丸太などが道路を遮断、通行していた乗用車が巻き込まれで閉じ込められ、家屋が倒壊し、中に住民が脱出できないでいる。
ドローンを飛ばして状況確認、大型ユンボ―で土砂や丸太を撤去、鉄なども切断できる大型カッターで屋根を切り取り、中にいた人を救助。
最後はヘリコプターが飛来し救助、さながらテレビドラマを見ているような消防士の行動に思わず拍手がおきる。
建部の住民は災害が発生した時の避難者の立場で、体育館内で避難所生活の実習。
簡易トイレの作り方、段ボールベットや間仕切りの囲い作り。三角巾を使っての応急手当の実習などの体験。
外では、消火器の使い方、火災時の煙の中の歩き方、土嚢の作り方、火起こし体験、ロープで救助体験等々盛沢山の防災体験でした。
大森岡山市長も駆けつけ一緒に訓練に参加、閉会式で「岡山人は災害に対して安心しすぎる、公助だけでなく自助・共助が一番大切ですので、平生から今日体験したことなどを意識して行動のとれる市民になってほしい!」と述べられた。
最後は、小学校の給食室で作ったおにぎりと味噌汁をいただきながら帰途につきました。
(取材・写真 勝部公平)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
偶然なのかもしれないが建部で昭和45年に
生まれた人の中には地元で懸命に事業に
取組む方が多い。当新聞でも取り上げた、
松下泰成、横原雅之、
杉本正樹さん達。
そして、今回登場の岩崎吉基さん。
中国地方でも屈指の規模でシイタケの
生産を手掛ける「マッシュマン福渡」を
動かす若社長。シイタケに掛ける情熱を聞いた。
(取材・勝部 公平 写真・三宅 優 )
(プロフィール)
岩崎 吉基(よしき)
建部町生まれ宮地在住。
シイタケ生産工場を父親より引継ぎ
中国地方でも有数の規模まで拡大。
有限会社マッシュマン福渡、
代表取締役。4児の父。
趣味は釣り。
(勝部)僕は岩崎さん家とは、おじいさんの頃からの付き合いでね、あの頃、僕も福渡の石引に仕事場があったので、
いろんなことを教わった思い出があります。自然と対峙する時はこうするんだよって、実にていねいな仕事をする人だったですね」
(岩崎)「私はじいさんからは、あんまりそんなこと教わってないですね。もともとがダムの上に居たんで、山のことはお手のもんだったと思います。それこそ、松下(泰成)のじいさんらとパラオに戦争に行って帰って来た人ですから。いつだったか、町内会で鷲羽山ハイランドに行った時、じいさんがいないので探したら、ジェットコースターに乗ってたんです。怖くなかったのかと聞いたら、わしら戦争に行ってたのに、こんなのが怖いわけなかろうがって言われました(笑)」
(勝部)そうだねえ、昔の歳よりって腹が座っていたよねえ。じゃあ、いつ石引に下りて来ることになったの?
(岩崎)「うちの親父が、山の上じゃあ何もできないので、じいさんに家ごと下に移すからと説得して、昭和、何年だったかに来たそうです」
(勝部)シイタケ栽培はいつごろから?
(岩崎)「最初、移った石引の家で原木でやってたんですが、風通しのことやらで文化センターの方でやるようになって、20年ほどやって、平成8年からここの場所ではじめました。会社になったのは平成12年からです」
(勝部)現在、規模的にはどのくらいですか
(岩崎)「業界的な表現で言うと、1年間で70万菌床を取り扱っているわけで、これは個人での扱い量では中国地方で一番クラスかな。出荷量は毎日、約2千個です。これを40棟の工場で生産しています」
(勝部)出荷先はどんな所です
(岩崎)「県内、岡山、倉敷、津山、京都の市場に出しています。そこから全国に回っていて、前にうちの若い者が東京のスーパーに行って、会社のシイタケが並んでいたよーって、嬉しそうに教えてくれました(笑)」
(勝部)今、従業員は何名ですか
(岩崎)「中国からの研修生を含めて30名ほどでやっています」
(勝部)菌から採集までの期間はどのくらいですか
(岩崎)「約、3カ月、その後、休ませて、また3カ月、3回で廃棄するサイクルです」
(勝部)工程ではどこが一番大変ですか
(岩崎)「う~ん、芽かき(間引き)の時、それから3日もすると採集ですから」
(勝部)経営的な面での苦労は
(岩崎)「やっぱ、人でしょう。人の確保、これが一番の悩みです。同時に、一年中通して従業員を抱えると言うことは、
年間通じて仕事をしてもらう状況を作らねばなりませんから、安定した生産と出荷体制が絶対に必要となります。今度、カンボジアからの研修生を受け入れる予定で、工場前に寮を作っています。それと中国に戻った研修生も2名、また戻って来てくれるそうで、ほんとに嬉しいですね」
(勝部)企業としての強みは何ですか
(岩崎)「シイタケ業界は菌床栽培が9割と言われています。そんな中で安定的に出荷ができる体制を持っていることは一番の武器ですね。6000個を場所を移動させないで一発で採集する方法で効率化が図れ、管理が楽になりました」
(勝部)そうですねえ、これだけ大規模な建物を使って、時期をずらしながら毎日収穫できるようにするには相当工夫がなされたでしょう
(岩崎)「1棟ごとに温度、湿度、水やり、成育に応じて管理する、でも、このおかげで安定生産が可能になったわけです」
(勝部)これから仕事上でやりたいことは?
(岩崎)「従業員の休みを増やしてやりたいですね、今は地元の人が少ないので、働けるような環境に変えていきたいなと考えています」
(勝部) ありがとうございました
「(有)マッシュマン福渡」
岡山市北区建部町宮地293-2
℡086-722-1081 FAX086-722-4039
(勝部 公平)
久しぶりにお会いして、すっかり若手実業家の雰囲気。
特に印象的だったのが、椎茸の菌床の作り方の説明に各棟を手順よく社内を案内していただき、クリーンで塵ひとつない工場内。
温度と湿度管理設備の説明にも、業界のトップランナーをめざして経営計画を立てていることが垣間見ることができました。
「建部から全国へ向かって羽ばたく」こんな夢に向かって邁進している岩崎さん、がんばってください。
(三宅 優)
実は記者宅は10年前、岩崎さんのご実家だったのを譲り受けたもの。今も柱の所々に移築の時のホゾ跡がうかがえる。
あの時、会長さんをお訪ねし工場内を見せていただいたのだが、あれから10年、工場内は、はるかにグレードアップ。
1棟ごとに6000個の菌床が整然と並ぶ様は見事というしかない。作業工程も機械化により流れ作業が進んでいる。
ここまでに導いた吉基さんの手腕に感服。
そんな吉基さん、家では完全に子ども中心で自分は居候ですと謙遜するが、跡継ぎも修行中とのことで、
事業の更なる展望が膨らんでいる。
暑いねえ、ジトジトするねえ、そんな会話が毎日のように交わされた夏も、気がついてみれば
セミの声も遠くなり、日中も随分過ごしやすくなってきた。その証拠に今日開かれたなでしこ共同作業所での「夏のふれあいカフェ」には、
「町のお年寄り、全員集合!」かと思えるほど大勢の参加者が集まった。
「もう今年は暑うて外へ出れんでなあ、やっと涼しゅうなったけん」
会場ではさっきから施設の人、ボランティアさんらが来られたお客さん一人一人に飲物の注文を聞く。なでしこ名物「かき氷&ポップコーン」の配達も大忙し。
久ーしぶりに会った知り合いの顔、 「まあ。三宅さん、どうされたん、えろう痩せられて」「ハイ、いろいろと、苦労することが多くありまして・・・(笑)」
歌はいつだって、心を一つにする。はじめは「みかんの花咲く丘」
♪みーかんのはーながさーいてーいる♪美しいメゾソプラノさんのリードにそって、次に「四季の歌」。
そしてだれもが感慨深い「川の流れのように」美空ひばりが亡くなって30年と伝えられ思いはいっそう深くなる。
「知らず知らず歩いて来た細く長いこの道・・・あーあー川の流れのようおだやかにこの身を任せていたい・・・」
言葉の一つ一つに今日までの自分を見つけ、そして今の心境を重ねる。
歌声のあとは地元の美魔女グループ「オカリナ野の花」の登場。「リンゴの唄」「青い山脈」・・・、
演奏に魅かれたのか、ドアがひっきりなしに開き、近所の人らがやって来る。何がこの人たちを引き寄せる?
「えー、これで終わりです・・・アンコールはいりませんか?」演奏者さんからのアンコールのリクエストに会場は笑いの渦。
アンコ―ル曲は「少年時代」少年だった自分、少女だった私に一時戻る。
締めはもちろん、「きよしのズンドコ節」今年も利用者さん、観客も交えての踊り付きで大盛り上がりの閉幕となった。
「ズン、ズン、ズン、ズンドコ・・・」
(取材・写真 三宅 優)
当新聞「たけべ楽考」でも特集をしている建部町の地域活力創出事業については、少しづつだが関心が高まりつつあ
そこで更にもう一押し、地域の人たちに活動を知ってもらおうと企画されたのが、本日、催された「大試食会」。
建部ヨーグルト、キシモトケーキ、サニーデイコーヒーのコラボ、カフェグロップ、アクティブ鶴田連合会、福のわたし事業部会、たけべジビエ研究所、建部獣皮有効活用研究所が参加してその中心となる商品の生の声を聞こうというもの。
今回が外向け初デビューとなるシシニクコロッケを開発中のアクティブ鶴田連合会は100個の試供品を準備。朝から自治会長さんらが汗だくで揚げ油の前に立つ。
一方、福渡会町内会が取り組む、新名物、干柿入りの羊かんと枝豆で作るズンダ羊かん。町内会長自らが試作をくり返し、この日に臨む。
会場となった「たけべ八幡温泉ONSEN広場」には他にも「からあげぜんちゃん」有機野菜販売コーナーが並び、ちょっとしたマルシェな展開。
受付では元地域おこし協力隊の高橋りつ子さんがアンケート用紙を配るのに余念がない。
「このアンケート用紙の番号で抽選会がありますよー」
では、感想を聞いてみよう。
シシニクコロッケ:「シシ肉の臭みが感じられなくて食べやすい・これにソースをつけるとおいしい・じゃがいもがホッこりしてる・結構食べごたえある
羊かん:干柿の味がしっかり伝わるおいしい・枝豆の味がする羊かんは初めて、おいしい・どっちもおいしい
意外や意外、外からの評価は2事業とも、かなりの高得点。「mm、こりゃあ、いけるかも・・・」と会長さんらが捉えたかどうかはわからないが。
「福のわたし」ブースに立てかけられた黄緑色の包装紙に注目(してね)。記者夫婦が事業部会から依頼を受け、この商品向けに制作した包装紙。
建部平野をバックに津山線、旭川、桜、アジサイ、お祭りなど、たけべの豊かな暮らしをデザイン、まさにテーマは「贈ってうれしい、もらっておいしい、福のわたし」。
「33番さーん、いますかー、当選番号33番さーん」
おっ、見ると私の番号、「当たった、ハーイ!」
(取材・写真 三宅 優)
夏休み、あと少し、宿題はできたかーい。
まだできてない子も今日だけは思い切り、自然の中で、環境、感動、交流を体験をしよう。
環境学習センター「めだかの学校」主催のサマースクール2回目は「友愛の丘」キャンプ場で森の探検、うどん打ちなどに挑戦。
参加の親子30数名は朝9時に現地到着、開会式の後、さっそく2班に分かれて行動。
Aグループ「ふぃーるどびんご」講師は操山公園里山センター指導員の山崎光先生。
Bグループ「うどん打ち」指導は地元の古本博史師匠。では「しゅっぱーつ!」
「山に入って気をつけること、1つ。ハチ、ブーンと来たら直立不動。2つ、ヘビ、手を出さないこと」
山崎先生から注意を受け、Aグループはぞろぞろと道を下る。
(子ども)「あっ、先生、セミの抜け殻!」
(先生)「うん、これは、アブラゼミ、触覚が何本あるか・・・」
(子ども)「先生、ここに変な虫がいる」
(先生)「それは、カメムシの幼虫、成虫と同じ匂いが・・・」
(子ども)「先生、あそこにセミが止まってる」
(先生)「待てよー、どこだー・・・」(網を出して伸ばしはじめる)
(子ども)「先生、あそこ、あそこ、あそこだよ」
(先生)「よーし、それっ!」(見事に逃がす)
(子ども)「あー、先生、くやしいなあー」
Bグループは山荘で、うどんの生地と格闘中。
「ハイ、生地が捏ねあがったら、このように麺棒で伸ばします」古本師匠のお手本を見ながら麺打ち。
(子ども)「もう、手がくたびれたよー」
(母親)「じゃあ、おかあさんが代わるわ・・・どうかな」
(子ども)「あ、いい、いい、もういいんじゃないかなあー、先生!」
(師匠)「あ、それを、まだ2倍くらいに伸ばしてください」
(二人)「ヒェー!」
Aグループに戻る。
何度(5回ほど)かセミを発見してそのたびに逃げられた先生、子どもから、
「もー、先生、話ばっかりで、ちっとも捕まえられないじゃん」と言われ奮起。
しかし目指す獲物は見当たらず、そこへ「 あっ先生、ヘビ、ヘビがいる!」
やおら網を構えた先生、小さな貯水池に向け「サッ」
網の中には黒い生き物、それを手でつかみ引っ張り出す。
(ほぼ親子全員)「アアアー、!」
(先生)「これはね、ヤマカガシと言ってね、強い毒を持ってるけどね、奥歯にあるから大丈夫、ほら、人の体温を感じておとなしいだろ」と、つかんだ手を首から胴に移した途端、
「ガブっ」
(子ども)「なんでー、先生、噛まれたじゃん、血が出てるよー」
(先生)「平気、平気、今のは奥歯じゃないから、ハハハ・・・」
子どもらも、先ほどまでセミに逃げられたことを忘れ、先生に尊敬の眼差し。
Bグループは包丁切りに。
(師匠)「では、包丁をこう握って、真ん中の刃の部分を使って3ミリほどの幅に均等に切っていきます、やってみてください」
(子ども)「えっ、うまく切れないよー、ぜんぶ、くっついちゃう」
(師匠)「上からまっすぐにストンッと落として、刃を傾けて当木を押して次を切るんだよ」
(子ども)「う、切れたー、ねえ、ママ見てー、いい感じ」
この後、交代で同じメニューに入る。
時間は間もなく正午、本部会場ではガスコンロの上で煮えたぎったお湯が「いつでもOK!」で待機中。やがて、全員が帰還、それぞれが打ったうどんの大昼食会の始まり。
(子ども)「ムム、モチモチしてうまい」
(父親)「太めに切ったのでスゴイ弾力があります」
(母親)「全部、食べれそう、みな茹でちゃいましょうよ」
5人前のうどんはまたたく間に3人で完食。
「ごっちそーさま!」
午後からは、自然素材を使ったフォトフレーム作り。講師はもちろん記者(三宅)とグルメレポーターの妻。
(記者)「この素材はこの日のために1年掛けて、ここで集めたものです。これを使って自分だけのフレームに挑戦してください」
今朝、スタッフが撮った家族ごとのポートレート写真を手に、楓の実、松ぼっくり、ドングリ、椿の実、桜の枝・・・を使って、どんなふうにしようかなあー。
ノコギリ、ペンチ、金づち、慣れない手つき、でもどうにかなるさ。
親子で取り組む90分「完成!」
ご褒美にはアイスクリーム作りが待っていた。
講師の松田さんの言うとおりに、砂糖、建部の牛乳、生クリーム、氷と塩とでモミモミ、ユサユサ、10分~。
「固まってきたー」の第一声、次々に
「出来てる、出来てる」では、食べてみて。
「ウウ、ウー、オ・イ・シーイ!」
「牛乳の味がする」
「ほんと、じょーひん(上品)な味!」
・・・気づけば、もう陽は隠れ、風も涼しく怪しい天気。
「皆さーん」能登館長の締めくくりの言葉。
「どうでしたか、今日一日、楽しかった人はー?」
「ハーイ」(ほぼ全員)
閉会式。そして山崎先生からのメッセージ。
「では、今から先生が捕まえたこのセミを離します、どうやって飛んで行くか、みんなでよ~く観て下さい」
自由になり、羽を交互に羽ばたいて飛んで行くセミの向こうに子どもたちは何を見たのだろう。
(取材・写真 三宅 優)
今日も家にあった食材が、調理台にどっさり。キャベツ、ニラ、猪肉、ニンニク、ショウガ、玉ねぎ、しそ、ピーマン、ナス、お米、卵、片栗粉、ギョーザの皮、醤油、砂糖、ごま油、塩、コショウ、フルーツ缶詰、寒天、スイカ、・・・。
「捨てられる食材でもおいしい料理ができると知ることで、家庭の食の無駄を無くそう」そんな呼びかけで催された第4回「あるもんde 食事会」
公民館と管理栄養士の森本さんら町内在住のメンバー(記者も)が集まり「EDS建部町で食品ロスを考える会」を結成して2年。さてさて、今日はどんなメニューとなりますでしょう。ちなみに、皆さんなら上記材料で何が浮かびますか?(答えは丸見え)
午前10時、子どもの声が聞こえてきました。
(森本)「ねえねえ、きょうはどんなものつくりたい?」
(子ども)「ウン、フルーツポンチ」
(森本)「アハハ、それはデザートね、きょうはシシニクと野菜を使って変わりギョーザにしましょう」
それから「私、野菜切る人」「ぼく、ニンニクの皮をむく役」と各自行動!
(女の子)「うう、目がしみちゃう」
(大人)「そうだね、玉ねぎって、目から涙が出ちゃうよね」
それでもがんばって、コツコツコツ。
(記者)「キャベツは茹でて、しっかり水けを切ってみじん切りだよ」(子どもたち)「ザクザクザク」
(記者)「そしたら、シシニクに混ぜていろんな調味料で下味をつけてよーく練る。
よし、ニラをいれてニラギョーザ、シソを入れたシソギョーザ、カレー粉を入れたカレーギョーザ、3種の具のできあがりー」
このあと、子ども大人入り乱れてのギョーザづくり。丸っこいのや、平ぺったいの、具がはみ出したのとさまざまに。今日、参加の最年少君も「ボクもやりたい」とテーブルで皮を前に格闘中。
結局、いく種類のギョーザもどきができたでしょう。
ニラギョーザ、シソギョーザ、カレーギョーザ、ピーマンギョーザ、ポテトギョーザ、ナスギョーザ、ハンバーグギョーザ7種類!
中華屋さんでギョーザといえば、そう、チャーハン。メンバーの家のニワトリさんが産んだ卵で「黄金チャーハン」(スープまでいかなくてごめんね)
時間はお昼過ぎて12時45分、食事会の来客さんも町内から来られて、今か今かとお待ちかね。では、みんなで「いっただきまーす」
「ムムム、このギョーザ、肉がハンパじゃない、ガツーンと固まりで噛みごたえある!」
「ぼくは、チャーハン、3回、お代わりー」
「あっ、この、ナスで巻いたギョーザうまい!」
「わしは、このモチモチっとしたジャガイモのギョーザがうまいなあ」
「あっ、カレー味ってどれ?まだ食べてないよー」
「シソの葉で巻いたのも、いけるよー」ガヤ、ガヤ、ガヤ・・・ムシャ、ムシャ、ムシャ・・・。
食後、あらためて感想を。「大人編」
「ありあわせの食材でここまでできるのはホントおどろきました」
「令和になって、食を大切にというこういう機会が増えていってほしい」
「愛情という調味料がいっぱいでした(笑)」
「今日初めて参加しました、こんなにたくさんのギョーザは初めて(笑)」
「どれもやさしい味でした、子どもたちがサッサと働いてるのがうれしかった」
「今日のお昼、何にしようかなってそしたらお誘いがって(笑)ごちそうさま」
「子どもが積極的に参加してるの見て、すっごいうれしかった。シシニクの使い方も、
こんな方法があるんだと勉強できました」
「食品ロスは口で言っても深まらない、こういうかたちで理解できるのは、
すばらしいことだと思いました」
「子ども編」
「キャベツをきざんで、ギョーザを包むのが楽しかった」
「家では包丁を使わせてもらえないけど(笑)やれてよかった」
「キャベツをしぼるのが力がいったけどがんばった」
「缶切りをはじめて使ったけど、開けられた!」
そして記者の感想。
「やっぱ、食に感謝して、みんなで作ってワイワイ頂く、これが一番のごちそうだよね!」
(取材・写真 三宅 優)
午後5時半といっても陽は一直線、席を陣取るシートの列は日陰を求めて並んでいく。
「ねえ、今なら川原の駐車場に止められるよー」さっそく情報を送る女の子。
旭川沿い、建部親水公園の上空は見事な晴れっぷり、地上は暑いけどムシムシ感はそれほどにない。
「第45回建部町納涼花火大会」昨年の大水害、その記憶が消えやらぬ今年、はたして無事できるだろうか、町民の皆が気にかけていた。
どうやら、天のお許しが出たようだ。
午後6時、開会宣言。オープニングイベントの開始。
ポスターの「みんなが主役」のテーマの通り、先陣は「たけべはっぽね太鼓」、そして「傘踊り」、「ヒップホップ」。
アトラクションを囲む観客は、徐々に増えていく。
午後7時、西の空はミカン色、ようやくお日様もあきらめて、ステージではまもなくフラダンスチームの登場。
速いテンポの「カイマナヒラ」のミュージックが流れ、一緒に観ていた当新聞グルメレポーターも思わず体が揺れる。
屋台前ではいつもの光景、「ウマイ!」店には行列、子どもは射的、輪投げ・・・意外にも人気なのが昔なつかしい金魚すくい。
そんなこんなに我を忘れて見入っているうちに「お待たせしました、では只今から・・・」建部の誇る人気タレント、トッシ―の場内放送。
そして、「ポ~ン!」と、のろしが上がって「パパパパ、パーン!」と始まりました火の演舞。
去年より打ち上げ場所が上流になった分、迫りくる感がちと薄い?でも音は相変わらずのド迫力。
変わり種が不思議な軌跡を描くたび「わー!」と歓声。
そばにいた若い家族連れ、母親が子どもに言う「ほら、見て、目に焼きつけとくのよ!」
何でもスマホに納める時代、それでも頭に残る記憶は写真とは違う?久しぶりに聞く親らしい言葉に感激!
後半は直球勝負の展開。
大玉の「ドーン!」と開く
赤、青、紫、オレンジ、緑の光のシャワーに観客はいつまでも「ワーッ!」と宙を見上げていた。
花火のフィナーレ模様
(取材・写真 三宅 優)
セミの鳴き声ひびく建部平野。本日も暑~い一日。そんな真昼に保健センター2階、栄養実習室をのぞくと。
本紙、「今月のたけべ人」でも紹介したが、建部町図書館の夏休み新企画、図書館の本からレシピを選び、子どもと保護者共同の「ジェラートづくり」
すでに、テーブルの上には生クリーム、ヨーグルト、バナナ、ブルーベリージャム、メープルシロップ、砂糖が並び、子どもパティシエの出番を待っている。
本日のメニューは「メープルバナナヨーグルト」と「ブルーベリーヨーグルト」。2班に分かれ1品ずつつくる。
図書館職員の河島さん、赤木さんから、それぞれの作り方の説明を聞いて、さあやるぞ。でも、その前に当保健センター川西先生から「清潔な手の洗い方」のご指導。爪、指の間、手首を入念に洗ってスタート!。
まずは、ボールに生クリームと砂糖を入れ泡立てる。
シャカシャカシャカ!「おっ!メッチャ飛んでる」見るとクリームが机やエプロンに。
「わかった、かたむけて、跳ねないように回せばいいんだ」
コツの飲み込みが早い。しだいにもったりとした粘り。
「もう、いいかなあ?ブルーベリーを入れよう」
「そうだね、あっ入れたら悪魔のように黒い(笑)」
「ハハハ、悪魔じゃないよ、きれいなむらさき色だよ」
子どもらの会話はいつもイメージが追いつけない。
「できました!」あとは容器に入れて冷凍庫で固める。
出来上がるまで何していよう?川西先生がお手玉あそび、ポーンと投げて受け取る間にいくつ手が叩ける?脳活性化、帰っておばあちゃんに教えてあげてね、
図書館の河島さんと赤木さんからは、今日の材料である牛乳にまつわる「おはなし会」
待つこと1時間20分。さあ、食べましょう!
お味は?
「うん、おいしー、バナナのむっちりがいい」
「ヨーグルトが入って、ふつーのとちょっと違ってていい」
「ウエハースで食べると、もっとおいしいよ」
コメントもさすが、スイーツに慣れした現代っ子。
午後4時、外ではセミたちの訴えがまだまだ続いてる。
頭の中には今、町内で取り組む名産品事業が浮かぶ。
何もなかった時代を過ごした者が手掛けるお菓子、あふれるほどおいしいを知り尽くした子どもたちの描くお菓子。
8月25日(日)開催される「大試食会」、子どもたちの感想が聞いてみたい。
(取材・写真 三宅 優)
猛暑、人も犬もネコも?さすがに音(ね)を上げる今日。温度計は38度、なのに建部のあちこちでは「ブァーン、グァーン!」の草刈りの音。
なんでそんなに・・・。自分も回りも地球上が変わってしまっていても、だれもがこれまで通り変わらぬ日を念じ、草を刈るしかない。
一方ここ旭水荘では「夏祭り」。この日を過ごし、この日が一番の思い出にもなってきた夏祭り・・・。
会場には町の人らによるタコ焼き、カレー、かき氷・・・。今回は櫓が位置を移し、交差点手前に移動、だれからも見渡せるステージとなった。
毎年、お楽しみの入所者さんの手作り錦絵は、今年は令和にちなんで古事記の伝説から草薙剣(くさなぎのみこと)がテーマ。
オープニングは、いつだって頼りにしてる「はっぽね太鼓」。車イスのお年寄りの目が活き活きと輝く。
出会うのは知った顔、知った顔・・・だれもが知った顔。でも子どもたちはというと、「えっ、いつの間に、こんなに大きくなって!」。
そして久しぶりに会ったママたちの顔、私を見るママたちの目、いずれも時の流れを感じてる。(いいじゃないのそんなこと、ここ建部ではあるがままに生きて行く、それが魅力)
櫓の前ではいつの間にか輪になって盆踊り。粋な浴衣姿のおばあちゃん、すっかり常連の子どもたち、「炭坑節」も「建部よいとこ」も振りが同じでも、
けっこう決まってる。
特別出し物は「ジャグリングショー」次々と音楽に合わせ箱やボールを宙で回転させる妙技に、子どもビックリ、お年寄りグッタリ?
お待たせの最終は花火「ナイアガラ」滝も一連、長くなっての挑戦、はてさてその結末やいかに?
では今年も「おつかれさま、ありがとう」旭水荘のスタッフ、地域のボランティアのみなさんへ。
ナイアガラシーン動画
(取材・写真 三宅 優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
移転して新しくなった建部町図書館。
ゆったりとしたスペースに、見通しの良い
選びやすい書架が好評。子どもコーナーも
充実し、休日、親子での来館者も多い。
そしてこの4月からは、図書館司書として
地元出身の河島佳奈恵さん、赤木園枝さんが
着任。お二人に、ご自身における本との
出会いについてお聞きしました。
(取材・写真 三宅 優 )
(プロフィール)
河島 佳奈恵(かなえ)
建部町生まれ福渡在住。
趣味:スポーツ・生き物の世話
赤木 園枝(そのえ)
建部町福渡生まれ
趣味:お菓子作り・着物・お出かけ
*今回の取材はお二人に同様の質問に沿って答えていただきました。
(三宅) あなたの最初の本との出会いは?
(河島)「保育園の時ですね、『しろいいぬ?くろいいぬ?』というお話の本でした。私の親が絵本で読み聞かせをしてくれるような人ではなかったので、
絵本のことはまるで記憶になくて、直接、読み物から入りました。家にあったので何回も読みました。人に追いかけられた白い子犬が
、石炭にまみれて黒くなったり、ペンキでブチになったり、いろんな所に逃げ込んでは、そのたびに変わっていくのが面白くて・・・。司書になってから図書館で同じ本を見つけた時は感動しました、いい本は何年たっても受け継がれていくのだと思いました」
図書館司書を目指したのはいつ?その頃夢中だった本は
「司書をめざしたのは、私の子どもが小学生になる頃です。図書館にはよく子どもを連れて通っていたので、司書の仕事っていいな、本に囲まれていいなと思い始めました。それから通信教育で資格を取り、現在に至っています。その頃、夢中になった本は桐乃夏生さんの『柔らかな頬』です。これを読んでから本が好きになりました」
これって、かなりハードなサスペンスですよね、
「そうです、子どもが行方不明になって、だれが犯人なのか最後まで結局わからないままで、でも内容がすごく深くて・・・」
これまでで最も好きな本は
「唯川恵さんの『淳子のてっぺん』。ノンフィクション系の小説がもともと好きです。この本は登山家の田部井淳子さんを
モチーフに書かれた本です。山に魅せられた女性が、女性初の偉業を成し遂げるまでの葛藤や憧れ、迷いなどが描かれていて引き込まれました」
夏休み小学生におすすめの1冊を
「課題図書にも指定されていますが『ぼくとニケ』がお勧めです。友だちが家につれてきた捨て猫。
友だちが飼えないので自分の家で飼うことになります。ニケと心を通わすぼく。そして友だちがなぜ家で動物を飼えないのかの理由も明らかになります」
お母さん、お父さんにおすすめの1冊を
「ヨシタケシンスケさんの『ヨチヨチ父』がお勧めです。
子どもができたら冷たくなった母に戸惑う父。子どもにどう接すればいいのかわからない新米、父の様子がよくわかります。
こんな夫婦関係は自分たちだけではないのだと気づかされ安心します。小さな赤ちゃんをかかえた方にも、そして子供が小学生ぐらいになり、ある程度余裕ができた方にも
見ていただきたい1冊です」
仕事以外で今、夢中になっていることはありますか
「スポーツでしょうか、体を動かすことが好きで、じっとしていることが苦手。
今は卓球とかバレーボールを子どもといっしょにやっています、バドミントンも好きです。去年の均熱の夏でも、厳寒の冬でも外に出て子どもと遊んだくらい、司書らしくないと、よく言われます(笑)」
ありがとうございました
今回、河島佳奈恵さんがお話になられた本
「しろいいぬ?くろいいぬ?」(作:M・Bクック 絵:池田 龍雄)大日本図書
「柔らかな頬」(桐乃 夏生・作)講談社
「淳子のてっぺん」(唯川 恵・作)幻冬舎
「ぼくとニケ」(片川 優子・作)講談社
「ヨチヨチ父」(ヨシタケ シンスケ・作)赤ちゃんとママ社
最初の本との出会いは?
「保育園のころ出会った斉藤洋さんの『ナツカのお化け事件簿シリーズ』です。主人公のナツカと両親の関係性やキャラクター、テンポよく進んでいくストーリーが
大好きで何度も読み返しました。図書館で借りて読んでいましたが、新刊が出るとすぐに図書館に行っていました。司書の仕事に就いて同シリーズが本棚に並んでいるのを見たときは、なつかしくて思わず手に取って感動してしまいました」
図書館司書を目指したのはいつ?そのころ夢中の本は?
「小学生のときです。と言っても、司書になりたいというよりは本屋さんでもなんでも、本に関わることができたらいいなと思っていました。当時夢中だった本は大内美予子さんの『沖田総司』です。小学生のころは新鮮組と小田和正さんにむちゅうでした」
小学生で新選組?それはまたどんなところに魅かれたのですか
「生き方もそうですが、沖田総司、土方歳三、近藤勇、それぞれが個性的で。活動していた京都や故郷の立川にも訪ねて行きました」
最も好きな本を教えてください
「有川浩さんの『図書館戦争』です。笑って、泣いて、最後には元気をもらえるストーリと何ごとにもまっすぐな主人公が魅力です。ちょうど司書資格の勉強中に映画が公開されて、すぐに映画館に観に行きました。アクションシーンがとてもかっこよかったです。本も映画も繰り返し楽しんでいます」
この夏、小学生におすすめの本を1冊
「今年の課題図書にもなっている『かべのむこうになにがある?』です。ねずみが壁の向こうの世界を知りたくていろんな動物に聞いてまわったり、外に出てみようと頑張るお話です。絵本で読みやすいのに内容が深く、お子さんだけでなく家族で読んでほしい本です」
お母さん、お父さんにおすすめは?
「細川貂々さんの『ツレはパパ1年生』です。長年、夫婦二人で暮らしていた中に、子どもが加わり育児と仕事に奮闘する両親の姿が描かれています。コミックエッセイなので読みやすく、和(なご)やかなイラストも魅力です。忙しい育児のときでも、こういう読みやすいので入って本を好きになってほしいです」
仕事以外で夢中なことは?
「家でゆっくり過ごすのも好きですが、外出するのも好きです。カフェでお喋り、史跡巡り、一人で映画。近場だけでなくて遠出をするのも好きです。
お菓子を作ってお茶会をしたり、着付けをして着物で出かけることもあります」
なるほど、今月の企画「ジェラート作り」が楽しみですね(笑)
赤木園枝さんがお話になられた本
「ナツカのお化け事件簿」(斉藤 洋・作)あかね書房
「沖田総司」(大内 美予子・作)新人物往来社
「図書館戦争」(有川 浩・作)メディアワークス
「かべのむこうになにがある?」(ブりッタ・テッケントラップ・作)BL出版
「ツレはパパ1年生」(細川 貂々・作)朝日新聞出版
「暑い季節、涼みに来てください。ゆったり寛げるソファーで、気ままに読書できます。カードは市内に在住・在勤・在学であれば誰でもすぐにお作りすることができます。カードを作ったり借りるのに料金はかかりません。どういう本が読みたいのかご要望がありましたら、ご相談ください。お調べして所蔵がない本は他の図書館からお取り寄せします。年配の方は遠慮なさる方が多いのですが、これが私たちの仕事ですので、お気軽にお申しつけください」
夏休みの特別企画お知らせ!
「ジェラートを作ろう」
図書館の本に載っているジェラートを皆で作って食べます。
日時:8月9日(金)13:30~16:00
対象:年長~小学生
場所:図書館2階、栄養実習室
申し込み:先着24名・材料費300円
「おはなしかい(えほんのコーナー)」
8月24日(土)14:00~14:29
「幽霊のたからもの」ほか、ちょっと怖いお話を予定しています。
対象は幼児から
<年内の予定>
「おはなしかい」
毎月第4土曜日に開催 対象は幼児から
随時、出張おはなし会 福渡保育園(要望がありましたらご連絡ください)
*12月にはクリスマスお楽しみ会を予定しています。
朝6時過ぎから町内会役員が茅刈りをおこない、神社の夏越の祓のための輪づくりをすませた7月28日、富沢地区民が待ちに待った「第2回富沢夏祭り」が開催されました。
昼からの準備の前に雨雲が襲来、にわか雨があり、遠くでは雷がゴロゴロ。
心配しながら午後2時には20人ほどの皆さんが集まり、会場設営と夜店のメニューの準備で大忙し。
やっと5時からの開会にこぎつけました。
今年も150人ほどの地区民の参加を得て、藤原町内会長の
「今宵は思う存分踊り、交流をして元気でこの夏をのりきっていきましょう!」との挨拶でオープン。
定番の生ビール・かき氷・焼き鳥・焼きそば・フライドポテトに、子供たちが楽しみの「スーパーボールすくい」に加え、今年は町内の篤志家からスイカ十数個の寄付があり、スイカ割り大会がおこなわれ、子どたちの「エイやー」の掛け声で参加者は一個ずつ持ち帰って大喜び。
踊りは「炭坑節」「東京音頭」に加え、地元の「たけべ音頭」を取り入れ、作詞にある建部の四季折々の情景を感じながら踊りました。
フィナーレは大抽選会とナイヤガラ花火で余韻にひたって家路につきました。
20年ほど途絶えていた夏祭りを復活させた皆さんは「こんな少子高齢化時代だからこそ、人と人との交流が大事なんじゃ」と祭りの意義を感じ取っており、こんなことが地区民のみなさんにとって地域おこしなのかもしれませんね。
(取材・写真 勝部 公平)
27日、B&Gで開かれた岡山市環境学習センター主催「サマースクール」は次ページでレポートの通り。閉会式の15時、突然鳴りひびく雷音。
あわてて帰宅に向かう記者、このあと福渡八幡神社の「夏越祭」の仕事が待っている。ずっぽりと濡れ、着替えて出かける。
境内でも突然のスコールに幟は仕舞う間もなくビッショリ。
17時、神事が本殿で行われる中、境内では聞き覚えのある声、声、声。
「ああ良かった、来てくれたんだなあ」
そして全員で茅の輪をくぐる、ひたすらに健康を願い、左に1回、右に、そして左に。
祭事は夜9時まで、その間、次々と百数十段の石段をのぼって氏子たちがやって来た。
最終参拝者は当新聞編集委員、松下夫婦と愛娘トーコちゃんマン。
それを見て記者も「この子たちのために、この社に神様がいらっしゃる。そんな本来の神社に戻せたらなあー」
と意を強く願うのであった。
(取材・三宅 優 写真・難波義明 松下りえ )
27日土曜日朝9時、気温はグ~ンと上って30度。この暑さの中、川口にあるB&G海洋スポーツセンターには市内からの親子連れ28名が集結、
岡山市環境学習センター「めだかの学校」が主催する恒例「サマースクール」に出席した。
サマースクール実行委員長で当新聞編集長でもある勝部公平による開会式あいさつ。
「今ほど、子どもたちに体験が求められている時代はありません。体験だけが子どもを成長させるのです、自然の中で大いに楽しみながら学んでください」
午前の体験は「カヌー」と「ロープワーク」。
チームはAB、2つのグループに分かれ、まずは全員でカヌーにおける諸注意と艇の取り扱い、基本動作を学ぶ。最初はチーム全員の協力を強め安全を確かめるための人数確認、バディを取る練習。
BG指導員による「バディ!」の連呼に二人一組が右手を合わせ「オー!」と手を差し上げる。続いて「番号!」の声に、「1(イチ)!」「2(ニ)!」「3(サン)!」・・・と答えながら手をおろす。最後尾が何番かで、×2の人数がそろっていることが分り、いなくなった人数も素早くつかめる。
さっそく始めての経験に親子は緊張してバディを取り合った。
続いては艇を川まで運ぶ、これも二人一組。ヨロヨロ、フラフラの場面にはすぐに手の空いた者が補助に入る。協力と安全の精神を身につける。
ここから実践編、パドルの操作の仕方。自分の肩幅で順手で握ったパドルを右のパドルが90度に立ち、左が水平の状態で前に突き出す。
そのまま右、左、左に移る時に手首を曲げパドルを水面に垂直に当てる。何げない動作だが、これができないと艇は前に進まない。
出艇はAグループから。その間、Bグループは「ロープワーク」指導は古本博史さん。
「はい、では一番簡単なロープの結び方から、船が岸に戻って来てロープで係留する時に、一回、回して左に投げて、それを回して中に入れる。ハイ、引っぱってみて」
古本さん話ながら数秒でくくったロープ、子どもが引っ張るがピタッと緩まない。
「はい、これが巻き結びというやり方で、新聞紙をゴミに出すときなどに使うと、束がまったく崩れないで運べます」
「すごーい!」(子ども)
目の前で、ロープの先を2度、クルリクルリと回すだけなのを見て「簡単じゃ」と皆が挑戦、が、これがムツカシイ。
(お母さん)「えっ、なんで、私、すぐにほどけちゃう」
次々とロープ結びのマジック?が伝授されるが、見る限り簡単、でもなかなか同じにはならない。
そうこうしている中に、カヌー体験のグループが1艇づつ到着し始めた。どの顔にも自分の力で漕ぐことができた満足感があふれてる。
「どうだった?」
(子ども)「うん、やれたよ、川の向こうまで行けたよ」
このあとは、グループが交代しての学習。
午後からは場所を上流に移しての岩滑り。昨年は豪雨を受けグランドが冠水、川床も土砂で埋もれ1回目のスクールは中止となった。この岩滑りも2年ぶり。
この日、第2ダム堰堤下の水量は流れるには絶好?の量。一同はヘルメットに救命胴着を身につけ、岸から川の中ほどまで進む。
「ヒャー!」足を捕られて水中の倒されたのを最初に、あとは「キャー!」「オオ、オレもやるで!」「パパ、見て、平泳ぎじゃー」と
言葉とも、奇声ともとれる歓声。
お父さん、お母さんだってゴロンゴロンと流れいく。「イテ、イテテテー!」岩に尻がぶつかり、そのたび悲鳴。
午後2時も過ぎ、帰還を促すハンドマイク。まだまだ浮んでいたい子どもたち。この光景だけは、2
年前いや記者が関わり合った8年間の変わらぬ姿だといえる。
(取材・写真 三宅 優)
「水無月の夏越の祓(はらえ)する人ぞ千歳の命延ぶと言うなり」
古くから詠われた和歌を唱和しながら茅の輪をくぐり、これからの半年、みそかまでの健康を願う「夏越の祓(はらえ)」が、いわゆる「輪くぐり」。
山陽新聞にも志呂神社の見事な輪が紹介され、参拝を計画されている方も多いのでは。
志呂神社のようにイベントはないのだが、ここ福渡八幡神社でも明日、輪くぐり祭が行われる。今日は早朝から総代5名(記者も)と当新聞グルメレポーターが参加し輪作りに汗をかいた。
輪に使う茅(ちがや)は、何か月も前から生える場所をチェックし確認しておく。ところが、今年も当てにしていた所の生育がいまいち。
急きょ、目星をつけた所はギリギリまでこれで足りるかと気をもんだ。
昨日、某畑のそばで茫々と育った茅を前にホッと胸をなでおろす。
刈り取った1mほどの茅を1本1本、引き出しては選別。結構根気がいる作業だが、グルメレポーターの現場監督の指示に従い、高齢者らは黙々と手を動かす。
藁のベースに茅をくくりつけるのも難易度が高い。弛まないように縄を「男結び」にする。
「やったー、できた!じゃあ、取りつけよう」
「ねえ、でも、ちょっと歪んでない?」
「う~ん、年寄りが精一杯やった、これで良しにしよう(笑)」
「ワン!ダフル」
福渡八幡神社の「輪くぐり」は
7月27日(土)17:00~21:00
お待ちしています(総代一同)
(取材・写真 三宅 優)
先週(15日)レポートした福渡町内会における「地域活力創出事業」、昨日は鶴田地区「アクティブ鶴田連合会」の第17回会合が開かれた。
夕刻、会場の鶴田連絡所の調理室を訪ねると連合会副会長の橋本規敏
さんと女性ボランティアお二人が懸命に手を動かし「ジビエコロッケ」作り、真っ最中。
ゆで上がったジャガイモをつぶし、玉ねぎ、ひき肉を炒めて混ぜ合わせる。
(女性)「今回のジャガイモは水っぽくなくて、しっかりまとまるわ、これはいいわ」
橋本さんによると、この会で9度目となる試作品作り、毎回、反省と改善をくり返し、
そのたびに新レシピで挑戦してきているとのこと。
(橋本さん)「ま、とにかく試行錯誤ですわ、どうせ作るなら、これはおいしいというものにせんといけんでしょう」
目の前のフライパンにドバドバっとオリーブオイルが注がれる。しっかりと丸められた
ポテトに卵をくぐらせ、衣をまぶして投入。揚げ物の香ばしい匂いが立ち上がる。
揚がり具合を真剣に見つめる女性たち。「目を離したらなあ、すぐに色が焦げて黒くなるからなあ」
何度も目と耳と鼻で最適を確かめてきた、それでも気は抜けない。
定刻18:00、会議室では連合会会長の小野則正さんと各区長さん数名、それと、この日は
岡山市北区北地域包括センターの末繁さん、保健福祉局地域包括ケア推進課の江田さん、社会福祉協議会の岡山市支え合い推進員の藤村さんが参席。
御三人は建部町の中でも活発な活動を続けるアクティブ連合会から学べる点や今後の協力体制について相談に来られた。
(江田さん)「鶴田地区は私たちが取り組んでいる、地域を支え合う組織が働いています。こうした会合が毎月欠かさず開かれている、すごいですよね。
こういった活動が他地域でも広がればと思い、今日は来ました」
その活動の源は多分、連合会メンバーの生まれ育ったここへのこだわりにあるのでは。会議冒頭に小野会長からいただいた資料、「鶴田城址」?
(小野さん)「なにも、僕らはコロッケを売るために、こんなことやっとらんよ。これ、鶴田の歴史や文化を伝えるのが目的じゃ。
そういう重要なものを放っておいて、子どもや孫にここを渡せんじゃろう」
地域活性化は経済面のことではない、自分たちの住んでいる地域に誇りを持てるようにすること。
この後、記者は退席し、会議の方向がどうなったかは知らない。ただ言えることは、元気な地域には責任感ある大人、それも目標を掲げて進もうとする人たちがいるということ。
(取材・写真 三宅 優)
親にとっては夏休み最初の週末、数日の雨も一休憩した午前、特別養護老人ホーム「旭水荘」の地域交流スペースには、この日行われる科学実験教室に参加の児童20名と保護者が勢ぞろい。
老人ホームに子どもたちがなぜ?
「地域の方にできるだけ多くホームに来ていただきたくて」(高田施設長)との主旨で今回で4回目となる。教室には入所者さんがこの日のために、作った涼しげな魚君たちが泳いでいる。
今日は「水の出るとき、出ないとき」と題して、岡山理科大学の森田先生と科学ボランテイァの学生さん4人による出前授業。
まずは質問、授業を受け持ったのは愛称、ペンちゃんこと石原君。
「醤油さしの2つの注ぎ口、この一方を指でふさいで傾けると醤油は?」
あらかじめ渡された答え用紙には「ア・いきおいよく出る イ・ポトポト出る ウ・出ない」「その理由」「結果」が書き込むようになっている。
さてでは実際に確かめてみましょう。そうして、答えは「ウ・出ません」
では「蓋をしたペットボトルに横穴(10mm)を一つ開けて水槽で水を満タンにして持ち上げると水は?」
こうして全員に答えの「ア・イ・ウ」を挙手で予測してもらい、理由も聞いて、実際の実験で確かめていく。
この場合も答えは「ウ・出ません」
ではでは「その横にもう一つ開けると水は?」(答え:やはり出ません)
ではではでは「上下に一つづつ開けると水は?」(答え:下が勢いよく出ます)
「では、穴の形を細い長方形にして水平に開けたら?」(答え:やはり出ません)
「縦に開けたら?」(答え:勢いよく出ます)
後半は前の結果で得られた、「水が出ないのは水の表面に膜があるんじゃないの」という問いを確かめる実験。
解説は学生の愛称”せらっち君”。
「ペットボトルの横に長方形で縦長に開けた穴から水が出るのは、上から空気が入り下から出るから。
でも、水平に長方形に開けた穴にも上下があるから上から空気が入るのでは??どうかなやってみよう」
子どもらは、そのペットボトルの穴に鉛筆を差し込んで確かめる・・・結果は「出ない」。
今度はペットボトルの底に(直径10mmほどの)穴を開ける。これは記者も「さすがに底に穴が空いてたら水は洩れるに決まってる」だったが、
結果は「もれない」。
ではレンコンのようにいくつも穴を開けたら・・・なんと、これも同様。
もうこうなればと、底を切り取り、網(ネット)をかぶせて持ち上げたらどうなるか(あっと驚くから、やってみて)
逆にキャップに10mmの穴を開けて逆さにしたらどうなるか。答えは「出ない」
15mmだと?
最後に森田先生のムツカシイ水の分子のお話。「水は分子でできていて、表面に沿って互いに引っ張り合う力が働いています、これを表面張力と言います」
そして、その表面張力が働く大きさには”限界(げんかい)”というのがあって、それが10mmらしい。
フーム、長く大人をやっていても、子ども同様に知らないことって多い、まさに目からウロコの「子ども(大人の)科学実験教室」であった。
子どもたちはこのあとお楽しみの「やったー!カレーライスだ!」を楽しんだ。
(取材・写真 三宅 優)
*旭水荘「夏祭り」は8月3日(土)夕刻だよ!
すでに公報等でご存じの方もおられるるだろう、岡山市が推進する「地域活力創出事業」、先日もオニビジョンで鶴田地区「アクティブ鶴田連合会」の地産品を使ったパンとコロッケの販売の取組みが紹介されていた。また、地元3店(建部ヨーグルト・キシモトケーキ・サニーデイコーヒー)が立ち上げた「たけべカフェグロップ」も試作品がイベント等でお披露目されている。
そして昨日、福渡町内会が設立した「福のわたし事業部会」による初、試食会が開かれた。
朝、9時には町内の栄養委員、愛育委員のボランティア10数人が、コミュニティハウスに集まり、
試供品作りに精を出した。
「羊かんの大きさはこれくらいかなあ」
「ねえ、モナカのアンはいつ詰める?」
誰も、今までにやったことがない作業に戸惑い気味。
それでも午前10時には、吟味役、総勢30人分の羊かん、モナカがテーブルに。おいしいお茶も配られて、さてお味の方は?
「甘さはちょうど・・・しっとり感はいまひとつ」
「干柿を入れた味はするけど・・・」
なかなか皆さん、すぐに「うまい!」とはいかない。そして徐々に、「羊かんは、ちょっとだからうれしいのよ」
「今は糖尿を気にする方が多いから、あまり喜ばれないわ」
「どうせならモナカの皮は桜の形でなくっちゃ」
「干柿を買ってきてまで作るほどじゃあないわ」とストレートなご意見。アンケート用紙には、〇をつけるだけでなく
びっしりとした感想が盛り込まれていく。
積極的な出席者の姿勢に、同席された岡山市事業政策課の宮本課長補佐からも、「これから1年掛けて、どういう売り方が良いかをじっくりと研究してほしい、そして楽しい地域にしていきましょう」と励ましがあった。
この日は商品デビューと併せて「たけべの自然と人と暮らし」をテーマにデザインした包装紙も発表され、
テーブルでは商品化に向けたアイデアや提案で大いに盛り上ることとなった。
閉会後、窪藪町内会長が、「どうであれ、皆さんがこうして関心を持って集まられた、そのことがまず大きな一歩でしょう」と記者に話した。まさしくそのことが、この事業のめざす活性化の意味であることは間違いない。
(取材・写真 三宅 優)
*「たけべ楽考」来月号にて、建部町の上記3つの事業の取組みを特集予定!
玄関の自動ドアが開くと、開放感あふれる明るいスペースのテーブル席にいつもの顔。
「おっ、なんだ、みんな来てるじゃない」「まぁー、みやけさん、お久しぶり!」
小雨降る、土曜の朝、「葵の園・岡山福渡」1階デイケアに集まったのは同じ町内のご婦人方と利用者さん、スタッフの方とで30余名。
これから月に一度の「ふくふくカフェ」が開かれる。今日の講師は「音楽療法士」の内田先生。
まずは、両手を上げてグーとパー、これを「もしもしかめよ」を歌いながら、交互に出す。これは楽勝、次はグーとチョキ。
「・・・世界のうちで」あれれ、チョキが3本指?けっこうムツカシイ!
今度はチョキの上にグーを乗せてカタツムリ、これを左右交代で、歌うのはもちろん「でーんでーんムシムシカタツムリ」
これも上にツノがのったり、上下、グーになったり、難易度2。
難易度3は「あいうえお」それを一文字づつずらして「いうえおあ」「うえおあい」と読んでいく。ウ~ン頭が混迷してきたぞ。
難易度4、「たなばたさま」をアイウエオの母音だけで歌う。”ささのはさらさらのきばにゆれる”「アアアア アアアア オイアイウエウ」顎が相当に疲れる。
難易度5、「どんぐりころころ」「もしもしかめよ」「水戸黄門」をそれぞれの曲回しで歌う。”人生楽ありゃ苦もあるさ”を”もしもしかめよー”に合わせると、
あら不思議、暗く沈んでた曲が、何ともウキウキ「水戸黄門」に。
最後は「幸せのワルツ」(星影のワルツ替え歌)の合唱でしめくくり。
「ふくふくカフェ」来月は8月10日(土)10時、「薬に関する質問会」だよ。
(取材・写真 三宅 優)
「ままにおこられませんように」七夕の短冊にしるす、子どもの無邪気な願いごと。
西日本豪雨から1年、真っ青に晴れ上がった午後、たけべ八幡温泉で催された「たけべマルシェ」を訪れる。
年寄りナシ、いるのは子どもたちと若いパパママばかり。さっきまでの昼の「代みて」とはうって変わって聞こえてくるのは、ハシャギ回るチビッ子どもの雄叫び。
「〇○ちゃーん、見て~、これ!」
「クイズの答え聞いてバッチもらうんだー」
手にしたクエッションボード。
「キシモトのケーキ屋さんは甘党?辛党?」
「アルモンデのフォーはどこの国の食べ物?」とあらかじめ、今回、出店したお店と対話して回る初の試み。
子どもだけでなく、森田市議会議員や「シオンホール」の江田さんも挑戦。
小さな会場に小さな手作りの仕掛け。一角では何食わぬ顔で「たけべおこし」平田さんが子どもを前にストローアートを披露。
すっかり定着した「タケベマルシェ」、見渡せば、30代からのファミリー層がほぼ中心。
出店者も「建部ヨーグルト」「キシモトケーキ」「サニーデイコーヒー」の「たけべカフェグロップ」チーム、「からあげゼンちゃん」「やきとり勇の樹」「ニコパン」「アルモンデ」「ママゴト屋」など不動の建部地産グループ。
まだまだ日本列島、雨季はこれから、今日のこの1日に感謝。
(取材・写真 三宅 美恵子)
久しくなくなっていた農村行事「代みて」。
田植えが終わり人々がホッとくつろぎ、嫁さんは実家に里帰り、誰もがこの日の来るのを待ちわびていた。
里山建部で「なら、わしらで、復活じゃ!」と始まってもう4年。気がつくと62歳だった記者は66歳、68歳だった編集長は72歳。
その編集長が今日も「もうこれからは、年寄りだけで楽しめる会にしようや!」と開き直った老組(ろうそ)宣言。乾杯の後は老組員による近況を報告へ。
「リタイアしてからは、昼に一杯やって昼寝して犬の散歩して終りです(笑)」
「毎日毎日、草刈りばかりです」
「毎週、病院通い、痛い痛いと言いながら秋祭りのワラジを作っています」
「マッカーサーより恐い女房の顔を伺いながら過ごしています(笑)」
「何も趣味はないけど竹トンボを体育館の天井まで飛ばしてみたい」
最後に重本会長。
「私もいつまで、できるじゃろう、2年?3年・・・」(ここで「いやあと50年は大丈夫!」の声)
それを受け「困ったなあ~」
「若い」とか「元気」とか励ます言葉はあるだろうけど、冗談を受け止める余裕が頼もしい。
話は次のプロジェクト。丸太小屋の事務所づくり、メンバーがいつでも集えてお茶を飲み話ができる空間。
「本当はこういうスペースほど小学校の空き教室とか使って、地域にわかるように整えるべきなんだよねー」と会長。
どこかで手遅れ、どこかで今さらどうしようもない状況。きっと「やるべきことはやった」と老組が言うにしても、やれなかったことへの無念は果てしなく大きい。
(取材・写真 三宅 優)
水害から1年、何ごともなく晴れ上がった空が妙にうれしい今日。昨年は中止となった岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の
7月企画授業「旭川の石に描こう」が開かれた。
形も色も質感も違う旭川の石、それは一人一人の個性が異なるのに似ている。そこに自分の形を見つけ、色を加え姿をつくる。
どれも同じではなく、どれもがオリジナル。
今日は市内から2家族7名が参加、色とりどりの石の中から、フッと心に感じた石を選び制作に入った。
講師は記者とグルメレポーターの妻で、この授業を始めて8年が経つ。この間、多くの才能あふれる子どもたちに出会い、
毎回が楽しみ。
今回もそんな期待がすぐに実際となった。
「未来からの落下石」赤く一気に引かれた閃光。「夏の虫」岩にしがみつくコガネムシ、カブトムシ、蛾。
1つの石に2つの形を見つけた「ハートの中のハート」
手は止まることなく、次々と石を見つけては描く子どもたち。頭の中にあるものの方が多すぎて、筆が追いつかない。
後半はガラリと思考を変えて「石で描く」、白いキャンバスに石ころを並べて像を描く。
これも前半同様にすぐに手が動き出す。現れてきたものは「??」
「ヘリコプターに救助を待つ人」(スゴイ!)「ウサギ」(たしかに!)
では先生も、当センター職員の沖指導員のポートレート。
朝のわずかな時間、集中した子どもたちの頭から無二のイメージが解き放たれ、それを目の当たりにできた記者ら夫婦にも心地よい刺激が残った。
(取材・写真 三宅 優)
梅雨前線は九州に豪雨をもたらし、東へと移動。今週、ずっと雨マークの建部は曇りへと変わり、どこの町内も草刈り機の音が絶えない。鶴田の市道でも、委託を受けた草刈り隊が道の両脇の法面に沿って、気の遠くなるほどの山道を上へ上へと刈り進んでいた。
以前は地区の人らでやっていたのだろうが、建部町の中でも過疎化、高齢化が顕著な鶴田地区、家の周りをやるだけで精一杯だろう。そんな鶴田で小さな池の周辺に広がるアジサイに出会う。
雨季を彩るアジサイは、今年は町内では中々、きれいに咲いたのに出会えない。水面にうっすらと浮んだシルエットが清々しい。向こうに回り込む道が無い分、切り取られることもなく、ただひたすら咲くだけ。きっと地区の人らが大事にしているこのアジサイ、しばらく人の心を癒してくれる日が続きそうだ。
(取材・写真 三宅 優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
ケニアからやって来た植物科学者。
日本の最先端の農業技術を学び、
自国の若者たちのため教育施設を
つくりたい。
岡山大学に留学して3年、母であり、
学生である彼女を祖国の家族が応援する。
建部に偶然ふらっとやって来たアフリカの
親善大使、この9月に故郷に戻る予定の
アナに遅すぎた出会いを悔やみながらも
渾身のレポート。
(取材・三宅優 )
(プロフィール)
アナ・カテンジェ・インデッチェ
Annah Khatenje Indeche
1970年、ケニア共和国生まれ
9人兄弟の長女として、家族の期待を
一身に背負い勉学に励むが、高校卒業後
すぐに父親が他界し断念。
その後、低賃金の仕事を続ける中、偶然、
高校の研究室助手の職を得る。
そこでの経験を重ね、農業技術大学に就職。
2016年10月よりJICA(ジャイカ)の
協力で岡山大学に留学中。
建部町には公民館の依頼で英会話講師として
来町。現在、岡山市内在住。
初めての子どもたち、「では名前を教えて」とアナ。
「わたし、サヤ」「わたし、チノ」「わたし、ラナ」「ぼく、ハルキ」
そして次の会話が始まると、彼女は一人ずつ正確に名前を呼んで授業を進めた。
庭に成るブルーベリーの下に行って、
(アナ)「サヤ、カム、ブルーベリー、ピック(さや、ブルーベリーを採ろう)」
(サヤ)「ブルーベリー、ピック」
これをすべての子と話すと、また「ハルキ、メニー、ブルーベリーズ、ピック(はるき、たくさんのブルーべりーを採ろう)」
同じだが少し変化した言葉に変わる。こうして、何度でも何度でもくり返し、耳に焼きつくまで続ける。それも、きわめて大きな声で、近所中とかではなく遠方にまで届くほどに。
できるだけ自分を目立たせず、他人と協調することを良しとする日本。相手にしっかりと自分を伝えなければ、生きていくことの難しい他国・・・。
(聞き手・三宅 優 通訳・松下りえ)
ケニアのどこで生まれましたか
(アナ)「ケニア西部のKakamega(カカメガ)という町です」
お国の言語、宗教、主な食べものを教えて下さい
「公用語は英語です、スワヒリ語が一般語で、他にKikikuyuはケニヤ中央部の方言、あとKIluhyaのカカメガの方言があります。
どれも話すことができますが、残念ながら日本語はできません、ゆっくりと学びます。宗教は私はクリスチャンです。
主食はトウモロコシの粉で作ったウガリというものでビーフと野菜のシチューが代表的です」
どんな家で育ちましたか
「私の家族は子どもが9人いて、私は長女で生まれました。家は茅葺き屋根で壁は泥で出来ていて床には牛糞を塗っていました。これはカカメガの典型的な民家の作りです、でも10歳ころに父が鉄板屋根の家を建てました、床と壁は以前と同じでしたが。最近になって、私たちは壁も床もセメントを使うようになりました」
子どもの頃の生活はどうでしたか
「私にとって、カカメガで育った子ども時代は楽しいものでしたね。両親は経済的に裕福ではありませんでしたが、
大変愛し合っていました。子どもに対しても必要なことはしてくれました。学校がない自由時間には野外で遊びましたが、
家事の手伝いもしました。川から水を汲んで来たり、近くの茂みから燃料のマキを集める、調理、掃除、洗い物など。
農場の仕事はその時によってちがいますが、植栽、除草、収穫、トウモロコシや豆の脱穀もしました」
学校はどういう仕組みですか
「私の時は6歳から小学校に入って7年、そこで中学に入る全国試験を受けて中学で4年、そして高校の入学試験を受けて2年ありました。大学は国家試験に合格した上で3年、ただ私の場合は大学には行きませんでした、なぜかと言うと父が高校を卒業した直後に亡くなったからです。今の教育体制はプライムスクール8年、ハイスクールに4年、ユニバーシティが4年です」
今のご自分の家族は?
「私より2歳年上の愛情のある夫と子どもが3人、下の子は8歳です。今は仕事場に近いケニア中央部に住んでいますが、カカメガには私たちが結婚して住んでいた家と生まれた実家があります。休暇中には戻っています」
男女間の役割はどうですか
「アフリカでも通常、家のことは女性の役割です、ですから、私が勉強をしている間、夫が家の面倒を見ているというのは一般的ではありません。でも夫は私の強い思いを理解してくれていますし、応援をしてくれています。このことは家族にとって容易なことではありませんが、私たちは前向きであろうと努力しています」
社会に出てからのことを教えてください
「高校を卒業後、私は職業資格を持っていないため、低賃金の仕事をいくつかしました。そんなある日、高校の研究室助手をやらないかと声がかかりました。私はそこで研鑽を重ね、その後、農業大学校に就職しました。そこは”Jomo Keniyatta” 農業技術大学と呼ばれているケニアでも有数の公立学校で、私は園芸学科の実験室アテンダントとして働きました。後には大学の教育も受けることができ、現在はフィールドテクノロジストとして働いています」
岡山大学では農業のどんなことを学んでいますか
「私の研究はトマトの尻腐れ病とカルシウムの供給についてです。大きさのことなるトマトの果実(大・中・小)のカルシウムの供給の仕方、トマトの品質を低下させる尻腐れ病に対する影響を研究したいと思います。尻腐れ病の果実は販売することができず、農民にとっては大きな損失となります。日本のトマトでの発生事例が、ケニアに戻っての取組みに大変重要です。私は、この岡山大学で農業学博士号(Ph.D in Agriculture)を取得しました」
岡山に来た時の印象は
「私は岡山がとても静かだと感じました。環境がとても穏やかできれいだと。1年過ぎても、車の騒音が聞こえませんし、公共交通機関は組織化されています」
ご家族は今のあなたをどう理解していますか
「彼らは私がやると決めたら、どんなことも打ち負かす女性だと理解しています。それに、いつもやろうとすることを共有してきましたから、今その機会が訪れたと捉え、支えてくれています。いずれにせよ、このことは、私たち全員のためでもあるのですよ、ハハハ(笑)」
ご家族とのコミュニケーションは
「私は技術の進歩について神様に感謝します。スカイプ、フェイスブック、メッセンジャー、ワットサップなど、さまざまなプラットフォームを通じて簡単にやりとりできます」
帰国後、あなたがやろうとすることは何ですか
「今、私の頭の中にはたくさんのことが起きています。博士号を取得するということは、特に農業において多くの人が私を頼りにしてくれることを意味しています。国内には大学に進学できない若者がたくさんいます、彼らは農業に情熱をもっています。私はそういった若者を対象に農業技術の優れたセンターを設立したいと考えています。そこでは短期の専門的で実用的な農業生産コースや、さまざまな園芸作物の付加価値のある生産が学べます。可能であれば、彼ら卒業生にローンを提供する金融機関とのパートナーシップを確立させて、彼ら自身のビジネスが進められるようにしていきたいです。このプログラムで、かつては絶望的に見えたこれら若者の生活水準が引き上がることができるのであれば、私の人生の目的は達成されたと言えるでしょう、それは、大きな夢(It's a big dream!)です」
日本に来てよかったと思えることは
「日本に来たことは良かったと思います。一つは、ここに一人でいることで、より深いレベルで自分の人生を振り返る時間を与えられました。二つめは、日本の農業生産で使用されている基準の高い技術(グリーンハウス・水やり、温度、コンピューター管理・水耕栽培・・・etc)を見ることができました。そして最後に、ここで私は心に残る人々と出会うことができました、自分を祝福したいと思います」
日本で驚いたことは?
「トマトが3個で300円で売られてたのには驚いたわ、だって、国ではその10分の1だから(笑)」
日本の文化でよく理解できない点は
「日本の文化はユニークですが、それは注意深く見ていると、私たちの文化とそれほど変わらないことがわかりました。物事のやり方は違うかもしれませんが、
目的は同じです。例えば、日本では敬意を表す挨拶の印として、お辞儀をします。私の国では握手をします。手の握り方で互いが
どれほど重視しているかが伝わります。言おうとしていることは、動作は異なっても、コミュニケーションは同じであるということです」
これは便利だなって何か買って帰りたい物は
「確かにコンビニのアイデアが大好きです、生活が楽になります、ハハハ」
あなたはあなたの子どもにどのようになって欲しいですか
「親としては、子どもたちが健康で勉強に励み、成功したキャリアを持って社会に影響を与え、責任ある市民で、幸せな結婚生活であることを望みます。
が、まあ、これは私の願いで、結局のところそれは彼らの人生であって、彼らが何を達成したいか、彼らが下す決定を尊重するのが私の義務ですね」
今、あなたが世界のことで最も関心を持っている問題は?
「開発途上国の観点からすると、最も懸念されるのは、不公平が原因で富裕層と貧困層の格差が拡大することです。正直な所、私はそれが純粋に非人間的な問題だと思っています。人は利己的になり、自分のことだけ考えるようになり、自分の仲間や兄弟姉妹の苦しみを完全に無視するようになります。慎重に見ていくと、一度これが侵されると、他のすべての悪意が働きはじめ、持続可能ではない社会が生まれます、悲しいですね」
これまでの人生でもっとも悲しかったことは?
「それは、私の父が、私に(Big Education!)高い教育を極めなさいと教えた、そのことが現実になっていることを、今は決して知ることができないということです」
(*注・右上、肖像はお父さんの写真をもとに記者がスケッチしたもの)
逆に楽しかったことは??
「今のわたしの生活の中で私の家族、特に夫と子どもたちから、私の学問的進捗について私を励ましてくれること、それは兵士に勇気を与えます」
岡山(建部)の人へのメッセージがあれば
「私は3年近くここに住んで、みなさんがご自分の人生をどのように歩んでいるかを観させてもらいました。あなたたちは温かく、幸せな方たちです。さまざまな背景の人々を受入れ続けています。幸福は波のようなものであることを思い出しながら、互いに対する思いやりの行動で世界をより良い場所にしましょう」
ありがとうございました
(記者感想)
今回の彼女へのインタビューはあらかじめ質問事項を書面で伝えて、回答をもらうかたちで行った。その後、直接お会いして更に話を聞いた。
すでに国の若者の絶望的な現状や世界の貧富の差を憂うコメントに接していたので、
「ケニアはアフリカの中では比較的豊かな国じゃないですか?」と私は聞いた。
「えっ?どこがですか?」と何度も首を振りながら
「ナイロビの都会には、ものすごい大きな邸宅に住んでる人がいるかと思えば、その周りでは”スラム”が、とても沢山の貧困の人が住んでいるのよ、それはそれはとっても沢山の・・・」
浅い理解だった、そのあと彼女が話してくれた自らのこと。
「私が学校に通うために、おばあちゃんが4年間、資金を出してくれたの。その後、お父さんは土地を売って私を高校に通わせてくれた。
お父さんは、私にBig education、大きな学問を身につけて、貧困にあえぐ人たちを救えと教えてくれたの、それが私の使命であり、Big dream 夢でもあると考えるようになったわ」
彼女が、そのお父さんの命日にフェイスブックに載せた、少し首をかしげて書きものをするスーツ姿の父の写真。文には毎週金曜日にお父さんが買って来るパンとお肉が楽しみだったこと、子どもたちが立派に成長したことなどが綴られていた。
50歳を前にして、これから国の若者に農業を教えるセンターを創設すると言う、そのために、まず自らが博士号を取るために単身日本にやって来た。
なんと壮大な野心だろう。実際、話が世界の不公平、貧富の差に及ぶと、両手の握りこぶしが強く震えるのを見た。
強いだけでなく、寛大な心の持ち主、自分の生きている使命をしっかりと頭に描いている人。ケニアの農業の指導者として、若者たちの希望の星として活躍を応援したい。
(グルメレポーター・三宅美恵子 感想)
人柄は何よりも、こんな小さなローカル(個人)新聞なのに一つ一つ丁寧に答えてくれたことが、その誠実さを物語っているでしょう。
その回答文は(A4、13ページも!)、出だしから「読むのが楽しみ!」を予感させた。実際、我が子の将来については、「社会に積極的に影響を与える人、責任ある市民であって欲しい」と・・・、育て方が違うねえ!、これからの国に対する夢があるんだろうなあ!
さらに読み進めると、彼女のまじめさと思慮深さ、いつも相手のことを思い、”置きかえる能力”のある人だと分かる。
会った印象は、「日本人の49歳に比べて若い!」そして話すにつれ、可愛さ(チャーミング)が際立ってきた。あと3カ月、日本での良い思い出を土産にして、帰国についてほしいと願うばかりです。
(取材・写真 三宅 優 写真・通訳 松下りえ)
中国地方も梅雨入り、まもなく7月の大豪雨から1年、また同じ時季を迎える。あれから何が変わったかと言えば、何も変わらないが結論。
今日、建部町公民館で開かれた建部大学校講座「砂防教室」集まったのは森田市議、各町内会長、各婦人部のリーダーら町民40名以上。
講師には県の土木部防災砂防課の職員の方2名と備前県民局旭川ダム統合管理事務所の職員1名が出席。
前半は土砂災害について、①土砂災害を知ること②被害を防ぐための施設による対策③自分たちにできることについて説明があった。
県内での土砂災害の発生件数は年間平均10件、それが昨年は56件。降雨量も傘が役に立たないと言われる、50mm/hの豪雨が、
昭和60年から10年平均182回に対して、ここ10年間平均は240回。もはや、これまでの常識では測れないことが猛スピードで起きているのだ。
山上からの水が崩れた土砂といっしょに流れ落ちる「土石流」、30度以上の急傾斜の山が一気に崩壊する「がけ崩れ」、地下水が地盤を柔らかくし、ゆるい斜面が広範囲で滑り落ちる「地すべり」そのどれもが、雨が多い、山が多い、急な川が多いところで起きている。県内、危険個所だけで1万2000か所。
聴講者から「前もって行政で調べて、危険であれば事前に対応してもらえないか」との質問。
それを聞いて記者の感想は、「わかるんだけどねえ、どこが危険かと言えば、どこも危険、行政に今からどうにかは遅い。災害は必ず自分に起きると確信して、最小限、命を守る対策を自らで立てる」
後半は「旭川ダム」についての説明。で特に、1934年に起きた室戸台風想定した旭川ダムにおける洪水調節機能について。
旭川ダムの満水位は110m、制限水位は103m、この間のゲートの開け閉めで貯水量を調節する仕組み。すなわちダム湖に蓄えられたおよそ100m以下の水は放出できない構造。
前に座った男性が溜まりかねたように「大雨が来るのが分かってるんだから、先に放流しておけば昨年のようなことにはならんのでは、それも夜中にサイレン鳴らして突然、流すのはおかしい」(記者も同様の意見を幾人からも聞いていた)
(ダム職員)「昨年7月は最大放出量の10倍もの雨がダムに流れ込みました。先に流しておいても結果はすぐに満水になりますし、実際、放流もしていたわけで。それに夜中に合わせて放流するわけでなく、その時の降雨の状況でやってるわけです」
記者もこれまで、ダムをカラにしておけば予測される雨量に対応して一定に放流できるのではと考えていたが、旭川ダムはそもそも構造が違い、キャパが小さいわけだ。
流域に住む人の切実な不安はよく理解できる、しかし半世紀以上も前にできたダムの構造上の問題、これをどう対処するか。
ここでも結論は同じ、すぐに打てる対策は無し。計画を建て、費用をかけ、時間をかけて取り組む対策以外に。1年経ても何も変われない、だからこそ、自らが変わるが最速の対策だと胆に命じよう。
建部町ハザードマップ
おかやま防災ポータル
(取材・写真 三宅 優)
建部中学校の環境コース生徒たちがポスターを描いて、呼びかけ実施(今月17日)された田地子川のゴミ拾い。
おかげで、先日行われた建小児童の魚とり学習も安全に気持ちよく行われた。
そして今日も、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の「アユモドキの不思議と田地子川の魚とり」に、主に市内中心部から親子30名が参加し、川の生き物と環境について学んだ。
初めに能登館長から「遊びじゃないよー、川を調べるんだよー」と注意。
いつもなら「ぼく、すぐに魚、取りたいよー」と駄々っ子数名、登場するのだが、今日の子たちは目が違う。
「僕んちの水槽にも、ヨシノボリ、ムギツク、スジエビがいるよ」と川の魚の名前を次々挙げる。
アユモドキを育てている高島小学校の生徒も参加していて、みんな、関心が高いのだ。
今日の授業、前半はまず「アユモドキの不思議」について、講師に招かれた小林先生のお話。
先生、チョー専門的学術論文と事例写真を手に「アユモドキ」について解説。
「アユモドキは日本以外ではユーラシア大陸のアムール川と黄河に1種ずつ確認されていることから、日本が大陸と陸続きだった数百年前にはいたと推測されます。
大きくなると横ジマが薄れて鮎に似ているということで名前が付きましたが、まったく似ていません。
今、アユモドキは絶滅危惧種Aで大変貴重な生き物の一つとなり、
我々はキリンビールのそばにビオトークを作って、繁殖や研究をやっておりますが、なかなか大変・・・」
試行錯誤で続けてきた研究調査、先生らの取組みがなかったらアユモドキは完全に絶滅していたかも、熱い思いが伝わってきた。
後半はお待ちかね、田地子川に移動「魚とり」(あそびじゃないよー!)
一昨日、大雨のあった後の田地子川、意外と水量も少なく、水の濁りもない。これならいけそうだが、住処になる水草の繁殖が見られないのが難。
午前10時半、注意事項を聞き「刈った草の下はヘビがいる、ハチにも注意、水分補給」、魚の捕り方「網で追わず、足で追う」(すぐに”それって、追い込み漁って言うんだよ”と子どもが返す)も教わって、ライフジャケットを身に着けて、”いざ追い込み漁!”
水に入って10分、俄か漁師軍団、最初は「いないねー」「何にも入っとらん」と上から下へ、下から上へとただ川中歩き。
見かねたのか小林先生、自らの足追いで捕獲に乗り出す。
(子ども)「先生、何か取れましたか」(先生)「おっ、ドンコがいた」
(父親)「あっ、でけえ、こんなのがおるんじゃ」
いると分かれば、獲ってみたいのが心情、親子共同作戦開始。
30分後、またまた先生「お~い、ギギが捕れたぞ」見ると30cmmはあろうかという濃い緑の魚体、網が破れんばかりに狂暴。
終わってみると、バケツからすくい出されたのは、オヤニラミ(複数)、アカザ、ドジョウ、ムギツク、ヨシノボリ、ギギ(大小)、カワムツ、チチブ、スジエビ、・・・トノサマガエルまで。
小林先生がその一種ごとに名前や特徴を説明。その間には元気余って水槽から飛び出す魚、男の子らがいっせいにしゃがんで捕まえる。
「ねえ、先生、さわってもいい?」ドジョウの前に立つ子ども。
(先生)「ああ、いいよ」
二本、三本、手が伸びてドジョウも嫌々ながら「ぼっちゃん、いっしょに、あそびましょ」
魚とり大好きが集まった今日の親子環境学習、最後に小林先生の感想。
「この川は生き物がいっぱいですねえ、いい川ですねー。ほんと、私も楽しかったです」
(取材・写真 三宅 優)
富沢地区の町内会長、藤原秀正さんが遠慮気味にボソボソと。
「えー、今日から”サロン”言うもんが始まるちゅんで、私も意味が分からんで調べてみたんですわ、そうしたら”サロン”は、何でも上流階級のご婦人たちが邸宅に集まって団欒をする(笑)・・・それで、ここのどこが上流・・・(大爆笑)」
その上流の人らが富沢改善センターに集まって、今日から始まった「サロン・デ・とみさわ」(すぐに、どこかの美容室の名前みていじゃ!
のチャチ)
の会合。
名前はともかく、参加した20数名、男性が4人と少ないのはいつものこと、女性パワーは今日も炸裂!
テーブル1つ置くにも、どこだこうだで、ケンケンガクガク。男はと言うと、まあまあ、ま・・・おてやわらかに、協調一筋のこれまた人生。
藤原町内会長のあいさつを受け、当「朗人会」会長で当新聞編集長の勝部公平が続ける。
「上流階級うんぬんとか堅苦しいことではなく、気軽な集まりにしていきましょう」
続いて、講師で招かれた公民館職員の平田 章
さんが受け持つ。
「先に、堅い話を一つ、災害の時の用意すべき品、これって何度言ってもしていなくて後で後悔するんです、だから、ことある時に言っておきます、薬、ホイッスル、水、・・・」
「次は柔らかい話、18歳と81歳の違い(メモを回して)・・・心がもろいのが18歳、骨がもろいのが・・・(笑)」
この「サロン」、平田さんのお話では市街地南部で盛んに行われているとか。都市化の波がここにも来たわけだ。
岡山市ふれあい介護予防センターから来られた管理栄養士、宮近さんがその後を引き継ぐ。
「あっぱれ!桃太郎体操」実践編!!口のケアからストレッチ、筋トレへと日頃、体を動かすことのない1時間。
感想は「ホント、積極的に使わないと錆びていく!」
終了後は駄菓子とお茶で懇親会。話に花が咲くのは女性たちだが、この日は男性から「ただ集まるだけでなく、次は一人一句、川柳を作って来ようや!」の提案あり。
まだまだ終わらない、年寄り時間、やろうと決めた時からが人生の始まり・・・。
(取材・写真 三宅 優)
先週の雨で順延されていた「田地子川生き物観察」建部小学校の1年生16名、2年生19名の体験学習がおこなわれました。
一週間待ちに待った昨日、快晴の天気の中、校門を出て近所の景色を楽しみながら、建部こども園の裏手にある田地子川の桜並木の土手を降りると、
岡山市環境学習センターの能登館長と沖指導員が準備万端、整えて出迎えてくれました。
館長さんから田地子川のことや魚の捕まえ方、川の中の安全な歩き方などの説明を受けた児童たちは、
さっそくボランティアのお母さん方が見守る中、魚とり網とバケツを持って川に入り、
「魚がとれた~」「カエルが入っている―」「この貝はなにー」
と歓声を上げました。
一時間ほどの川遊びをした後、全員が土手に上がり、まずは熱中症対策の水分補給をしました。
そして、いよいよ今日の捕獲物の調査です。
「この貝は田地子川を彩るホタルの餌になるカワニナでーす」
「この魚はおなかに吸盤がついていて、急流などでも吸い付きながら移動できるヨシノボリといいます」
「これは絶滅危惧種に指定されているアカザで、大変貴重なものですよー」
カワムツ・ヨシノボリ・ムギツク・カジカ・アカザ・ギギ・チチブ・スジエビ・ヌマエビ・カワニナ・コオニヤンマ・コヤマトンボ・コオイムシ・クサカメなどが生息している田地子川、実は生物多様性の宝庫なのです。
館長さんのていねいな解説を聞きながら、質問も交えて川の生き物の勉強が出来ました。
これほど豊かな自然がいっぱいの環境、子供たちも、こうした生き物たちと一緒に生活している実感をしっかり胸に焼き付け、帰途に着きました。
(取材・写真 勝部 公平)
6月19日(水)、建部小学校の5年生が家庭科室に集まりました。
「はじめてみようソーイング~玉結び・玉止めができるようになろう!~」
針に糸を通して抜けないようにする玉結び・玉止めの勉強です。
講師は新しく学校支援のボランティアに参加いただきました、大田の岸冴子さんと西原の笹野幸子さん。
お二人とも、パッチワークキルト趣味にしている方で、温かい表情でふんわりと子供たちを包み込むように、優しく丁寧にアドバイスをされ、
男の子も女の子も、クルクルと人差し指に糸をまいて、端をよりながら輪の中に入れ込みました。
初めての体験でしたが、何回も何回も繰り返し練習し、授業の終わりには全員ができるようになりました。
最後に岸さんの素晴らしいパッチワークを見せてもらい皆、感動していました。
授業が終わった後、校長室でお二人に感想をお聞きしましたら
「教え方が難しかったー」「子供たちから元気をいただきました」とのこと。
ご自分たちにとっても、大分、脳トレになったのではないでしょうか。
建部にはこのように秀でた知識をお持ちの方がたくさんおり、学校支援ボランティアとして得意な分野を活かしたお手伝を頂くことで、
心豊かな子を育てる機会が得られるのではないでしょうか。何より、子どもたちから若いエネルギーをもらったシルバー世代の人生が充実していくのではないでしょうか。
(取材・写真 勝部 公平)
先日、当新聞グルメレポーター(三宅美恵子)に届いたミッション、「20日、午後1時半、たけべの里に出演せよ!」
指令は建部フラチーム世話役、土居川真澄さんから。さっそくグルメレポーターのビデオ自主トレ開始。
これまで旭水荘は経験済みだが「たけべの里」は初、顔なじみの人がいるといいなあと緊張高まる。
午後1時、一階の交流スペースに並べられた50脚のイス。こんなに利用者さんがいるんだと、ビックリ!。
「〇○ちゃん、こっちぃ来られえー」友だちを見つけた女性のうれしそうな声。
間もなく館内に在住の方、ディサービス利用者の方でほぼ全席が埋まる。
今日のフラチーム、出演者は7名、御津・建部合同だ。曲目は最初に「赤いレイ」、次が「島のブルース」。
最後尾に一人陣取っていた男性が曲が流れだすと同時に「♪奄美なちか~しゃ 蘇鉄のかげで・・・」と口ずさむ。
最後は「瀬戸の花嫁」。
土居川さんが「ご存じの方は、いっしょに歌ってくださいねー」と呼びかけたものの「よう歌詞を覚えとらんわー」と悔しそうにするご婦人の姿も。
わずか3つ踊っただけのショータイム、でもこれ位が丁度、疲れることもなく、眠くなることもない、爽やかな目と耳の保養。
玄関を出て自転車をまたいだ時に聞こえてきたのは「♪ルルル、ルルルルー、ルルルール ルールールー」
瀬戸の花嫁をハミングする女性の声だった。
(取材・写真 三宅 優)
何でも人間の脳には「仕事脳(=ノルアドレナリンを分泌)」と「学習脳(=ドーパミンを分泌)」と「共感脳(=セロトニンを分泌)」とがあって、仕事脳は緊張を促す役目で、学習脳は達成感を感じる脳、
共感脳はその二つの間のスイッチをつかさどる脳だそうだ。
中でもセロトニンはハッピーホルモンとも呼ばれ、脳の活性には大変重要とか。
特別養護老人ホーム「旭水荘」の公開講座、今回は「楽しく脳を活性化」と題して、操山労務管理事務所で研修を担当をされる中谷優子先生をお招きしての90分、さてどんなお話が聞けることか。
ところで、いつも感心するのだが、当施設で開かれる催し、楽しいのもあれば、難しい内容もある、だがそれに関わらずいつも満席。
理由は、ここに出席すれば必ず知った顔と会える。
今日も「あら、まあ、だれかと思ったわ、元気?」「そっちこそ、久しぶりね、お昼ごはんの時、以来じゃない?」の会話。
ここがコミュニティスペースの役割を担っているのだ。そんなスペースに定員いっぱいの40人(内、男性1割)が聴講にやって来た。
中谷先生のお話しに戻る。
(中谷先生、以下先生)「体の健康には気を使うけど、心についてはどうですか。
昨今、心が元気とも健康とも言えない人が多いのでは?」の問いかけで、
「心=脳」について専門的な話(文中冒頭)に具体的な事例を加えながら
面白おかしく説明。
(先生)「このセロトニンは40歳代からは減って来ると言われてます、現に私なんかも日常のことで、何かにつけ愚痴が出る、そういうクセができているんですね。”何々すべき”でしょう、それが出来ていないと愚痴になるんです。でも、その愚痴を聞くのは結局自分なんです。主人も最近だんだんと”べき”と言うことが強くなってきて、家族でこりゃあアブナイ(笑)と心配してます」
「大切なのはこだわりを捨て、今の自分を素直に認める。以前、トイレの水を流してなかったよと言われ、私は流したって言い張ったけど、待てよ、そうかもしれないと認め、今は必ず出る時、水をチェックしています(笑)」
「感謝を言葉で表すこと、ありがとうを言われて嫌がる人はいません、でも不機嫌そうに”ありがとう”はダメ(笑)。それと日常で脳を健康に保つために大切なことは、”ねる”、”たべる”、”うごく”、これをしっかり行う」
このあと先生の持つ資格「シナプソロジー」と「タッピングタッチ」を使った、こだわりから脳を解き放ち活性化する実践編。
(先生)「後出しジャンケンをします。私が出すのとは違うのを出してください、”グー!”」(参加者)「パー!」
「では次は、私が出したのに負けるのを出してください、
”グー!”」(参加者)「チョキ!」・・・のはずが、パーを出す人?
「((笑)、それでいいんです、その頭が混乱した時に脳が活性化するんです」
さらに、言葉と体を使ったゲームは複雑に。
「立っていただいて、私が”赤”と言ったら手を頭に、”青”と言ったら胸に・・・」
????、ますます混乱ぶりの脳に、全員が大爆笑。
続いて、音楽に合わせて手足を動かす「腕だけ散歩」。この間にも先生の軽妙な話が場を楽しくする。
「ハワイを歩いているのを想像してください、え?ハワイはよく知らない?ではドイツの森、と言っても本当のドイツ(笑)」
「タッピングタッチ」は二人一組になって、手のひらを少し丸めて相手の背中に軽く右左、交互にトントン。
「猫の足ふみ」「ゾウの鼻あて」「コアラの木登り」手のかたちを変えながら触れていく。数少ない男性の参加者、佐藤さんも持ち前の優しさで「トントントン」
最後は両手を背中に当てて「いつもここにいるよー」の気持ちを持って、「くれぐれも、変な邪気は送らないでくださいね(笑)」
気がつけば時間は定刻、あっという間の1時間半。
笑って、学んで、くつろいで、元気を充電した40名はこの後、足どり軽く自宅へと向かった。
(取材・写真 三宅 優)
夏本番到来ですねー! 建部小学校では今月10日(月)プール開きがおこなわれました。
前日までに、きれいに磨かれたブルーのプールには新しい水が入れられ、
脱衣場やシャワー室も整理整頓され、テントの準備も整いました。
校長先生が「プール開始」のお話しをされ、児童たちも「ふざけずに着がえを早くする」「プールサイドを走らない」「きれいなフォームで25m泳げるようになる」と、この夏のプールでの目標を発表しました。
そして、いいよいよ水に飛び込む・・・ですが、
この日はあいにく気温が上がらず高学年だけとなりました。でも、一昨日からは連日のプール日和で、前を通る地元の人にも聞こえるような、大きな歓声が上がっていました。
(取材・ 勝部 公平)
今日、建部の品田、字ヌク谷に至る山の麓に集合したのは、町内に住む、概ね70歳前後(例外もあり)の健脚の方々。
これから、昔(昭和30年代)にロウ石の採掘場があった鉱山跡を見に行こうという。
距離にして往復6Km、しかし山道、幸い、陽は照るが風が涼しい。
8:30分スタート。
道は昨年の大水で激しく削られた後、舗装整備がされてまだ新しい。道に沿って流れ落ちるシャレ川のせせらぎを聞きながらの一本道。
案内人は今、里山ハイキングクラブを主催する、「山歩きの達人」こと本田義章さん。
本田さんから、道々に山の現状や整備について話を聞く。
「建部の70%は山林地域でその大部分が財産区となっています。以前は他所の森林組合に管理を委託していましたが、
最近はそれもままならず、このように荒れてきています・・・」
長年、財産区の事務局を担っていた本田さん、広大な山とは言え、自分の庭のように詳しい。一行はそんな達人の説明に耳を傾けながら、時おり目に映った草や花に足を止める。
「あっ、これ、山イチゴじゃない?」
「ああ、そうそう、そうよ、子どもの頃、学校帰りに、よう食べたわ」
(一粒、つまんで口に)「あ、甘い!」
「えっ、そう?・・・ほんとだ、甘いわ」次々に私も、俺もと手が伸びる。
タラの芽、イタドリ、山椒、ネムノキ、ホウバ、ウラジロ、クサギナ・・・。マツタケ話に花が咲き、可憐に咲いたササユリに感動、渓流の枝に産みつけられたモリアオガエルの卵に感銘、自然は限りなく人をやさしくする。
河田鉱山跡に到着した一行は更に上にある、財産区唯一の誘致企業「久具の森ファーム」養鶏場へと足を進める。
5階建てマンションに12万羽、毎日の生みたて卵がベルトコンベアで運ばれてくる。
「うわー、今はこんなにして作られとんじゃー、昔の鶏小屋とえれえ違いじゃ」
応対してくださった玄葉産業の社長さんに「鶏糞はどうしてますか?」と参加者から質問。
「タイとか外国に輸出しています、ご入用なら取りに来て下されば差し上げます」
それを聞いて、すぐに「もらいたい!」
養鶏場、裏手から次なる鉱山跡地へ。そろそろ、足がだるくなってくる。
山の頂上付近、ここに昨年の水害で出た土砂が県の要請で毎日、トラックで運ばれている。
そのための運搬道も作られた。災害の余波がこんな山の上にまで及んでいたとは露知らず。
目標の第一鉱山跡地からは下り道。だれ一人、オブられることもなく(笑)、ピッタリ正午に下山。
最後に「建部山歩き」の極意を。
①山歩きのベテランを連れる(安心)
②昔話できる年寄りを連れる(楽しい)
③植物に詳しい人を連れる(学べる)
④体力自慢を連れる(荷物持ち)
(取材・写真 三宅 優)
前日、岡山市環境学習センター、沖政信さん(当新聞・客員記者)から「めだかの学校」の活動についてのレポート(下段記事)を頂いたばかりだが、
この建部の自然の豊かさを再認識させられる、もう一つの報告。
すでに報道している建部のホタル情報、すでに何人かから「ホタル、飛んでたよー」の声。気温が上がり湿度も高くなって、いよいよホタルには生涯最高の時を迎える。
そんなホタル住む建部の野原を採集網を手に歩きまわる青年。以前も見かけたような・・・。
「そうですね、4年前に来た時、青いヘビについて聞かれましたよね」
「あっ、そうそう、そうだったね」記者の記憶の隅から、その時のことがよみがえった。
『ずいぶん物好きな人がいるよ、ヘビを見つけにわざわざ東京からここに来てるんだって』と妻に話した覚えがある。
その人、古島 拓哉さんは東京、高円寺にお住まい。普段は警備会社でアルバイトをして、この時季になると2週間位、休暇を取りヘビを調べにやって来る。
(記者)「ヘビの何を調べてるんですか?」
(古島)「今はヘビの口にやどる寄生虫を採取しています。目黒にある寄生虫館で観てもらおうと思います」
(記者)「どんなヘビがいますか」
(古島)「アオダイショウ、ヤマカガシ、シマヘビ、ヒバカリ、シロマダラ、ジムクリ、ニホンマムシ7種を確認しています」
(記者)「ここに来るのはなぜですか」
(古島)「やはり、ヘビの生息密度が高いということ、今まで沖縄から離島まで各地に行ってますが、ここの自然はトップクラスです。田んぼに当たり前にホタルが飛んでいて生き物が豊か、エサになるカエルがいるからヘビもいるわけです」
(記者)「地元の人は、そんなこと気づいてもいませんが(笑)」
(古島)「僕なんか東京からお金かけてここまで来てるのに、何でかなあ、地域の良いところを地域の人たちが知らないなんて、もったいないですねー(笑)」
話しの中で建部町で行われている、岡山市環境学習センター「めだかの学校」の活動や竹枝のかいぼり調査、水辺の楽校などについても説明した。
それについても「地方で、それだけ生き物に関心があること自体、めずらしい」と褒めていただいた。
しかし残念ながら、それらも外からの参加者が中心で地元民の関心は今一つ。
こうなれば地域活性化の決め手、お隣り宇甘西「ホタルまつり」ならぬ、建部「ヘビまつり」で、どうだー!
(追記)翌日、古島さんより採取したヘビの写真と詳細なメモを頂いた。その中で、人間の手により自然に生息する生き物が、販売目的で密漁、乱獲されている日本の現状に対して警鐘を鳴らされている。ヘビもホタルも地球上の仲間、胆に命じたい。
*(写真下左)ヤマカガシ 青色型の幼蛇 (右)アオダイショウ
(取材・写真 三宅 優 写真提供・古島拓哉)
(岡山市環境学習センター・沖政信さんからの寄稿)
地元の人にも案外知られていない岡山市環境学習センター、別名「めだかの学校」。淡水魚を飼っている水族館程度の認識しか持っていない方も。
しかし、その活動の中心は水辺教室、出前授業、電話授業といった小さな淡水魚を通じて、
命の尊さを感じ、建部の豊かな自然を体験し、山や川の恵みのありがたさを知る親子環境教室にあります。
今日は建部中学の総合学習コースの生徒たちと先生の30名が「めだかの学習」と「川の生態系」について話を聞き、水族館や春の小川で実際の絶滅危惧種や外来生物といった生き物を観察しました。
次回以降は魚や水生昆虫などを捕獲し、さらに学びを深め、9月には建部町文化センターで発表する予定です。
昨年には御津小学校の5年生が電話授業の内容をまとめ、学習発表会で報告をしてくれました。
皆さんの知らない世界がここにはあるかも知れませんよ、もう一度、お立ち寄りになってはいかがですか?
(レポート 沖 政信)
暑い5月と決め込んでいたら、急に肌寒い日が続く。
これじゃあ、ホタルはどうかなあと心配してたら、吉田の佐藤康彦氏が来訪され、竹枝の水辺の楽校の河原を草刈りを終え、明日(5月31日)ホタル観賞会だと言う。
「それっ」と言うことで、我が取材班(松下泰成、トーコちゃんマン、オトモダチ、三宅夫婦)で出かける。
午後7時半、すでに30人ほどの近隣家族が竹枝小学校裏手、駐車場に集合。
主催者の川原さんがゲンジ・ヘイケ・ヒメボタルの生息場所の違いや習性について説明されたあと、
「去年は1000を超えるホタルが観られたが、今年は昨年7月の出水で小さい幼虫が流されたので、4月の上陸時の数が昨年の5分の1程度だった。
暖かいと増えるので、ちょっと寒い今夜はどうだろう、行ってみよう!」となった。
河原に下りると足元の草が刈られ歩きやすい、心遣いに感謝。
「あっ!」と子どもの声、そして「みつけたー」「あっ、あっちにも」「ああ、いるいる」
旭川の流れる岸辺をゆらーりと光の点が一つ二つ、目が慣れてくると10、20と増えていく。
川岸を移動するとまとまって生息が観られる箇所がある。支流の流れ込む地点、以前、ここに上陸が多いと聞いた。
暗闇に浮遊する明り、カジカが鳴き、時間が止まる。
子どもたちはホタルを手に包み、友だちに見せようと駆けて行く。
また「つかまええたー」の声。
(写真をあとで開いたら、見事、何も撮れていなかった。上記写真はわずかに写し出された映像からイメージを再生)
ホタルマップ(PDF)
「ふるさとを伝えたい」
2018竹枝学区ふるさと活性化協議会活動報告書 冊子できました
(ご入用の方は「めだかの学校」へ。当新聞10部限定あります)
(取材・写真 三宅優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
建部生まれ、建部育ちの歌姫。
英会話の講師にして、保育士。
持って生まれたソプラノの美声を
活かし、ミュージカルにオペラにと
八面六臂の活躍。
夢は人と人が集える「カフェ」を
つくること。
佐藤 麻衣子さんの登場です。
(取材・三宅優 )
(プロフィール)
佐藤 麻衣子(まいこ)
昭和55年、建部町吉田生まれ
建部中学校から山陽女子高校へ。
卒業後、私立音大に行くが断念、
帰郷しフリーターとして働く。
その後、ECC英会話の講師、保育士等
多彩な職業をこなしながら、歌の世界でも
活躍。吉田在住。
(聞き手・三宅 優) 歌はいつ頃から始められたんですか
「小学生の時からです。その頃の竹枝小学校は音楽の先生がすごく力を入れていて、合唱コンクールなんかによく出ていたんです。ソニー賞を受賞したこともあって、
外からの見学も多かったですね」
なるほど、それは大きいですね、正規に学ばれたのはいつから?
「中学からレッスンを受け始めました。中2の時に先生からコンクールに出なさいと言われて入賞して、独唱の始まりはそこからです」
それで、高校でも部活か何かでやられたんですか
「いえ、高校は山陽女子高校の音楽科に行ったので、毎日、声楽を勉強してました(笑)」
ああ、なるほど、もう音楽の道を決めてたわけですね
「ええ、でも卒業してからは、ずっと止めてたんです」
と言うと?
「高校を出て東京の私立音大に入ったんですが、すぐに音楽じゃあ、お金が稼げないと気づいたんです(笑)。よっぽどのレベルであれば違うだろうけど、
歌ばっかしじゃあダメだって」
へェー、それはまた現実的ですね(笑)
「(笑)はい、それで帰省して、カフェでフリーターで働きました。もともと、大学を辞めて何をしたいかと考えた時、カフェ経営をしたいと思ったんです。
その資金が必要でアルバイトを続けました」
ほうー、話の展開が早いですね(笑)
「そうなんです(笑)、で、そうしたらカフェでバイトして3~4年位して、カフェのオーナーが外国によく行ってたんですが、その影響で私も海外に行きたい夢が生まれました。それで、ロスのサンタモニカに1年ほど行ったんです」
えっ、いきなりアメリカへ?、そんなに簡単に行けるもんなんですか
「いえ、たまたま私の妹が現地に留学していたので、そこに一緒に住んで、私は語学学校に通ったんです。ただ、ビザは英会話を通じたコミュニティスペースを作りたいときちっとエッセーを書いて取得しました」
ああ、やっと今のお仕事につながって来ました(笑)
「帰って来てから、子どもは英会話を学べて、大人も何かを学べるようなコミュニティカフェを作るんで、まずECC英会話教室から始めました。もう12年目になります」
その間、歌との再会はどこでありましたか
「27歳位の時、英会話をやっていたので、福渡小学校で英会話を頼まれて行った先に竹小の時の音楽の先生がいらして。
先生のお友達が、文化センターで独唱リサイタルを開くというので聴きに行って、良くて・・・それからですね。
これまで、すっごくお金を(音楽の勉強に)掛けていたので、活かせるようにきちんとレッスンを受けようと思いました」
昨年はミュージカル「オランダおイネ」でお滝さんを、今年は4月にオペラ、それもモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」で主役のドラペッラ、それも原語ですよね
「はい、まあイタリア語は前から歌ってたので大丈夫でしたが、演技は大変でした。特にミュージカルは、高校まで蚕くらぶのメンバーでやってたのですが、
今度は本当のダンスの振りが付くので、踊れないので苦労しました」
いかがでしたか、舞台に立った感想は
「オペラは面白いですね、やっとスタート地点に来たという感じ」
この春「吉田れんげ祭り」でも尺八とセッションしてましたね。ああいう組み合わせもいいですね
「あれは同級生の藤井君が尺八をやってて、時々、二人で合わせたりしてて、ちょっとやってみようかってなったんです(笑)」
ところで、じゃあ、今はいくつお仕事を持たれているんですか
「ECC英会話教室が週2日、市内のインターナショナルスクールの保育士の仕事が週3日、それとソプラノで歌うことですね」
保育士もなさってるんですか
「子どもに英会話を教えてきたんですが、でもこれまで自分は子どもを育てることは勉強してないと思ったんです。それで4年前、34歳の時、短大に入って保育士の資格を取りました」
何から何まで、徹底してますね(笑)、フェイスブックを拝見したら料理もお好きですね(先日も採れたてイチゴでジャム作り)
「もともと健康オタクだったんです(笑)、それと母の手作りで育っているので。保育をやっていると、
子どもたちの中には卵が割れなかったり、レンジでチーン、栄養が足りてないなって、アレルギーの子も多い。
食育ってとっても大事だと思うんです」
コミュニティカフェの構想が何となく浮んで来ました
「食・音楽・語学、(と言うより”おしゃべり”かな)を通して、人が豊かに暮らせるための学びの場・・・。
アンガーマネージメント、ヨガ、お料理、同年代を対象に気楽にできる、子どもは英会話を学び、親は別のことを楽しむみたいな、
そんな場をつくりたいなあって」
建部に住む子育て世代の人らも、そういった学び語らえる場を求めているんでしょうね
「ええ、でも、きっかけがないのと、まだ世間体(新しいことを始める事への)を気にするところが多少あるのかもしれません、
街中のようには広がりにくいのかなと思います」
でも、実現すると楽しいでしょう、大いに期待しています。
「はい、ありがとうございます(笑)」
(記者感想)
きっかけは何だっただろう、今となっては思い出せないが2012年8月、記者夫婦が主催した「しあわせ灯ろう祭・inめだかの学校」(写真下は翌2013年懐かしのスナップ)のイベントで歌っていただいた。観客もまばらな中、10数曲を熱唱、「本当に歌の好きな子だな」と強く印象に残った。
あれから、いろんな場面(ほとんど歌う場)で出会ったのだが、プライベートに話す機会はなかった。もう8年になる、その間、彼女はいくつものチャレンジに挑み、出会った頃とは大きく脱皮していた。
決断が早い、過去にとらわれない、一人で実行する、夢は、人が豊かに暮らせるコミュニティスペースをつくること。
歌から始まり留学、英会話、保育士、再びソプラノ歌手、そしてすべてを活かしたカフェへ。
「以外と私は(結婚しても)主婦はできないかも」(笑)ご本人が仰るとおり、役割をこなすより自分を生きるタイプなのだろう。
「旅行はハワイや沖縄なんかの暑いところが好き」、まさに夏に象徴される行動的で情熱的な女性がそこにいた。
今年も「旭川カヌー川下り大会」が建部海洋クラブ、瀬戸内カヌークラブ、岡山カヌークラブと大会サポーターの
総勢24名で25日(土)の午前8時半から行われました。
建部B&G海洋センターの艇庫前に集合した面々は、開会式を終え9時前には岡山の後楽園めざして出発。
このイベントは海洋センターが開設して間もなく、岡山市を南北に流れる旭川をカヌーで川下りをしながら、
カヌーの普及促進や愛好家の親睦を図るとともに、清流旭川を守ろうの意図で始まりました。
美しい自然環境を守るため「ゴミのポイ捨てはやめよう!」などのスローガンを掲げながら、カヌーでデモンストレーションを続け、早や30数年が経ちます。
今回、海洋センターをスタートしたチームが川口交差点前の広々とした瀬を12艇で一列縦隊で下っていく様は、53号線を行きかう車の皆さんの目を引いていました。
やがて、川下り最大の難所でもある八幡温泉前の国体コースを下る場面、昨年の集中豪雨で崩れたコースを今年のジャパンカップの前に修復、
今まで以上に難しくなったと評判のコースにチャレンジします。
艇には小学校1年生から71歳のベテラン、「カヌーイースト」のメンバーまでが乗り、特に難しいとされる、流れの真正面に大岩が設置されておる第一関門では
、難しいパドルさばきが求められていました。
結果は5艇ほどがチン(転覆すること)してしまいましたが、仲間の助けで一人の脱落もなくGO,GO!
八幡橋、大宮橋、中吉橋、鹿瀬橋、金川大橋を通過して葛城橋で待望の昼食となり、その後、真夏日の中、水分補給もたっぷりとして目的地、後楽園をめざして進んでいきました。
急流も大変ですが、流れが感じられない瀞場はパドルを漕いでも、漕いでも中々、前に進まないのでスタミナを消耗します。
そんなコースに苦戦しながらも、三野の浄水場を過ぎて岡山城の天守閣が見え始まるとメンバーの顔つきにも笑みが浮かんできました。
岡山城を背にゴールの後楽園では、全員がパドルを頭上に掲げ、記念写真用に扇形にポーズ。
到着は午後5時、参加者は今年も忘れられない体験をしたあとの清々しい顔で来年の再開を誓い合っていました。
(取材・写真 勝部 公平 )
午前9時半。会場に並んだ主婦らの会話。
「駐車場に来るまでスムーズだったので、ああ、今日はすいてるねえって、それで中に入ったら、もうこんなに並んでて、お母さん遅いよ!って(笑)」
すでに100人を超える列が岡山市環境学習センター「めだかの学校」の敷地内をぐるりと半周。
平成元年に始まり、令和の今日に続く「第31回めだかの学校・環境まつり」、当センターの能登館長による開会アナウンスを聞いたお母さん、
「えっ、そんなに昔からやってたの?知ってたら前から来たのに・・・」
そう熱気が違う、と言って暑い天候のことではなく、参加した人たち(低年齢の子どもを持つ家族)のこの催しに対する”期待”が年々、高くなっているのだ。
その人気の一つである「アマゴのつかみどり」。
生き物を大事にと謳う施設でのこのイベント、実行委員会(めだかクラブ)でも議論がなされた。が、命の循環を教えることこそ、生き物の大切さを理解することと結論。
捕ったアマゴは自分で串に刺す、火であぶる、おいしくいただく、ここまでが、この体験プログラム。
「ワー、魚が血だらけだー」と驚く子ども。
触ったこともない、焼いてその場で食べる?
元々の生きてる姿を想像もしたことない、きれいな形の肉しか食べたことない子ども(&親たち)
他の体験ブースを覗いてみよう。町おこしネットワークによる「竹細工」
水鉄砲がやっぱり面白い。竹に水を吸い取り飛ばすだけ、なのに、「気持ち、いいー」。
教えてる人らは地元の年配者グループ。
「自分らが子どもの頃、夢中になったのと変わらない、今の子どもたちを見つけたい」
「組み木工作」破材を集めて重ね合わせる。ノコで挽き、刀で削り、パーツを作り、めざすものは最新型超高音速旅客機?
「自然素材工作」葉っぱの大マジック。折って、折って、また折って、伸ばして切って、挟み込む、クリクリ目玉を書き入れて、まさに目からウロコの創作劇。
「ストーンペインティング」記者夫婦が旭川の河原で採集したいろんな形の石ころ。
それを目にした時、ピピーンと頭にひらめいたら・・・。
「読み聞かせ」学校、図書館から先生が来てくれた。絵とものがたりが語られる。
他にも「キャンドル作り」「キーホルダー」「折り紙工作」すべて近隣のボランティアによる出前講座。
食べ物の屋台集まる会場奥、噴水広場に行くと、どこのテントにも行列。
一番人気?なでしこ作業所「かき氷」、負けず劣らず人気「建部ヨーグルト」、「サニーデイコーヒー」暑いからねえ、冷たい飲み物に集中。
「めだかうどん」当新聞グルメレポーターもてんてこまい。(一杯200円)
「タコ焼き」暑いに輪をかけ熱いに挑む「たけべ八幡温泉チーム」
「njcoぱん」さんの焼きたてピザも熱さと格闘中。
ここらで会場アナウンス、時間は11時。 「アマゴのつかみ・・・は終了しました」同時に、さらにどっと各体験ブースに人の移動。
記者の「ストーンペイント」も空席待ち。
求めている熱風とも言うべきものが押し寄せる。
自分らが自然の中で、何もないものの中で、自分で見つけて遊んだ「体験」を何とか伝えたい。
当、ストーンペインティングにて娘から色の要望を受けたお父さん、
「桃色ありますか?」
(記者) 「ありません、赤と白を混ぜて下さい」
(お父さん) 「あっ、そうですよね。ずっと絵具を使ってなくて、そんなことも忘れてました(笑)」
正午を過ぎ建部平野は最高温度32度。ここは更に上?
にもかかわらず熱中症でぐんにゃりなんて子はいない。
聞こえるのは「ピーピー、ピー」とうるさいほど竹笛、「ピューッ」と目の前を横切る水鉄砲、
「ブーーン」と飛来する竹トンボ、そして、そのたびに上がる「ワッー」「きゃっー」「あっあー」
と言う体験の歓声・・・。
本日、アマゴのつかみどりワンシーン
(動画)
(取材・写真 三宅優 )
昭和の時代(いきなり年寄りの昔話)テレビで「題名のない音楽会」と言う、クラッシック音楽を分かりやすく紹介する番組をよく観ていた。(今も続いてる?)
作曲家の黛敏郎が司会する、まさに音楽入門にふさわしい内容だった。あれで音楽好きになった人はかなり多いと思う。
今日の午前、建部小学校で開催された「岡山フィルハーモニックオーケストラ」の出前「スクールコンサート」。総勢19名の楽団員が来校、日頃、子どもたちにあまり馴染みのないクラッシック音楽や楽器について、オモシロ楽しく解説、演奏をより親しみやすい身近なものとして伝えた。
チューニングを終えた1曲目はモーツァルト「フィガロの結婚 序曲」。
前奏からフル演奏「ターンタータ タタタタ タタタタ・・・」と移るや、子どもたちは体が固まり、微動だにしない。生の音の迫力に圧倒。
2曲目は、ビゼー「アルルの女 ファランドール」より。
「♪パンパッパ パーンパ パッパ パッパ パー・・・」力強く、勇ましい楽曲に、これまた子どもたちが飲み込まれる。終わると、顔を合わせて「聞いたことあるよね」「うん、スゴイね」
すっかり音楽好き?になった所で楽器紹介。
「弦楽器のバイオリン、高い音を受け持ち、第1と第2があるよ」
「ビオラは少し大きめで中音を出すよ」
「チェロはふくよかな音色」
「コントラバスはズンと低音」
弦楽合奏曲はモーツァルト「アイネクライネナハトムジーク」ここまで来ると体は右に左に揺れ動きだす(笑)
「木管楽器はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、リードと言う薄い板を振動させるんだ」
「金管楽器のトランペット、フレンチホルン、トロンボーン、口びるをふるわせて音を出すんだよ」
「打楽器はティンパニ、シンバル、木琴、タンバリン、小太鼓、一人でこなすよ」
「ピアノは知ってるよね、ではモーツァルトのきらきら星」
解説をしてくださったお姉さんは歌い手。
ミュージカル「メリーポピンズ」から「スーパーカリフラスティックエクスピアリドーシャス」(わー、早口!)
続いては、オーケストラをバックに全員合唱「ビリーブ」と「建小校歌」
そしてお待ちかね、指揮者に挑戦!
4年生、5年生、6年生登場、タクトを手に演奏するはビゼーの「カルメン 闘牛士の行進」
「♪ジャンジャラジャラジャラ ジャンジャラジャラジャラ・・・」
感想は?
(6年生)「はじめてで、いい経験になりました」
(5年生)「意外と楽しかったです」
(4年生)「よくできたと思います」
最後は「ラデツキー行進曲」で全員手拍子、そして感謝の拍手へと変わりました。
「岡山フィルハーモニック」の皆さん大人も楽しめる素敵な70分、ありがとうございました。
「いやあ、音楽ってホントに素晴らしいですよね!」(黛敏郎先生調に)
「建小、岡山フィルと校歌合唱」(動画)
(取材・写真 三宅優 )
*お聞きした方のお名前
「岡山市立建部町中学校」校長 松浦 敏之さん
「岡山市建部認定こども園」園長 渡邊 美由岐さん
「UAゼンセン中央教育センター友愛の丘」センター長 近藤 三千代さん
この春から松浦敏之先生が建部中学校の校長先生として赴任されました。
先生のお生まれは玉野市。高校・大学と多感な学生時代は陸上部で身体を鍛え、現在も週末トレーニングを欠かさず、岡山マラソンなどに
出場しているそうです。走る目的も変化し大会の中での記録よりも自分自身へのチャレンジが目標となり、年齢相応に健康優先で参加しているそうです。
昭和61年、竜操中学校をスタートに県内あちこちの学校で教鞭をとられ、建部については、
「これまで、学年4クラスなどの大規模の学校ばかりでしたので、このような小規模で生徒一人ひとりの顔が見える学校での生活はとても楽しみです」と抱負を語られました。
先生は途中、教育相談などの部署にも勤務され、その仕事が自分自身の中で大変貴重な経験となったそうです。
今までの生徒を指導する立場から、いろいろな相談を受け、相手の立場に立って話を聞くことの重要さと、
指導するのではなく対話の中から答えを見つけていくことの大切さをしっかりと会得されました。
初対面で、今までの中学校の校長先生と雰囲気がちょっと違うなと感じたのは、
親身になって相手の話を聞くソフトな姿勢から来ていたんですね。
建部は先生には縁があり、奥様のお姉さんが富沢に住まわれており、地域との連携も大切にしながら子供たちを育てていきたいとの熱意が伝わってきました。
今、グローバルな社会が形成され、コミュニケーション能力や創造的な発想が必要なおり、建部中学校の生徒にも、様々な体験を交えた
学生生活を送ってもらいたいものです。
子どもたちの楽しそうな声が聞こえてくる建部認定こども園を訪門、今年の4月から赴任された渡邊美由岐園長先生からお話をうかがいました。
開園時67名だった園児は現在77名になり、0歳が3人いますとのこと。0歳児から5歳までの子供たちを、朝7時30分から夜7時00まで預かっている建部こども園、少子化でこどもが少なくなっているこの時代に、
この2年間で10名の園児が増えているのです。
保育園と幼稚園の両方の機能を兼ね備えたこの施設、園児の家庭の大半が共働きとのことで、いかにこの地域の子育て世代に必要とされているかが理解できます。
園長先生は美作市のお生まれで、保育の仕事に携わって28年。劇団四季などの舞台演劇が大好きで、あちこち鑑賞に出かけているそうです。
前年までは吉備津彦神社近くの中山こども園を担当、神社の境内が散歩コースだったそうです。
「建部のこども園は、周りが田園地帯で森もすぐ近くにあり、田地子川の小川で水遊びもできる、こんなに恵まれた自然環境はすばらしいですよ」とお誉め頂きました。
園児を預かる心がまえについては、 「保育園児の人生の根っこの部分を形成する大事な時間をお預かりしているので、いかに子供の目線で、子供のやりたいことを一緒に考えていくか、心豊かな子供を育てることが大切だと思います。それと併せて、保護者の方や地域の人たちと連携しながら進めていきたいです」と述べられました。
岡山から津山線に乗り、トンネルや田園風景に出会いながら建部平野を走り抜け、鉄橋に差しかかると車窓から赤レンガの建物が見えてきます。
43年前にUAゼンセンが建てた中央教育センター「友愛の丘」です。その友愛の丘で7代目にして、初めての女性センター長が近藤三千代さんです。
近藤さんは三重県の自然豊かな山間で生まれ、何事にも積極的にチャレンジする活発な少女だったようで、その後の人生が物語っています。
愛知県の大学に在学中に新しい流通サービス業に関心を持ち、アルバイトなどの経験をしていたセブンアンドアイグループのレストランチェーン「デニーズ」に入社。持ち前の明るさと行動力で瞬く間に店長になりました。
仕事をしながら労働組合の活動も積極的に参加し、執行部で活動している時、今度は流通業で働く仲間が入っている全国組織のUAゼンセンより誘いがあり、
今日にいたっているそうです。
会社とゼンセンの職場を合わせて、東京・神奈川や名古屋・大阪など全国の職場を経験、友愛の丘にも教育トレーナーとして赴任したことがあります。
その時、記者も同僚として働いており、非常に自由闊達な発想力を持って新しいことに積極的にチャレンジする人だなあとの印象を受けました。
その後、高知県や岡山の支部長を経験して、友愛の丘に戻ってきたという次第です。
近藤さんの目下の趣味は、マンションのベランダで育てている野菜作り。それも12年間、家族同様に飼っているウサギの「ウサ子」(なぜかオスなのに)の餌づくりが主目的とか。暇を見つけては、アクションやSF系の映画を観るのも大好きだそうで、これからどんな夢に向かって邁進するのか楽しみです。
そんな近藤さんから 「地元の皆さんに、もっと友愛の丘に遊びに来て寛いで欲しいです。6万坪の自然の中にはキャンプ場や庭もあり、コーヒーなどを飲みながら建部平野を眺めるのも楽しいですよ」とのお誘いをいただきました。
(取材・写真 勝部公平 写真・三宅 優)
本日、カヌー2日目、いよいよ「ジャパンカップ」が競われる。
朝、8時、すでに陽が川面をキラキラと眩くしている。河川敷にずらりと並んだ車のナンバーは「鹿児島」から「三重」「秋田」と日本各地。
ボランティアテントでは、建部町観光協会の炊き出し「豚汁・おにぎり」が山盛りに用意された。
地域おこし協力隊、今田さんの「冷キューリ」も昨年に続いて出張ってくれた。こうした地元の協力が選手たちをどれほど心強くさせているだろう。地元の仲間に感謝。
午前中はスラロームの試合。設けられたのは21のゲート。ここを下りながら通過する緑のゲート、アップして上る赤いゲートがある。
すでに選手らは、昨日の試合で経験済み。
「14、15あたりが、けっこうきついなあ」感想を述べあう選手。
試合は片側だけを漕ぐ「カナディアン(C1)」とブレードが両方についたパドルで漕ぐ「カヤック(K1)」が行われる。
「スタートしました!」場内から放送。
「ゴーゴーゴー」「アップ、アップ、アップ!」と応援者の声が飛ぶ。
揺れるポール、上半身を船体と平行になるほど後ろに反らせ、わずか数センチの間ですり抜ける。「見事!」
思わず声が出てしまう。
急流を下った途端、動きを逆に上りに移る。パドルを水に直角に立て、流されるのを押し止める。
21のどのゲートも気が抜けない、緊張の少しのゆるみでポールが当たる。
「あっあ、あー」と観衆のため息。
午後の休憩、その後、決勝戦。
15時45分、すでに建部平野は傾いた陽がオレンジに変わりつつある。そして、ワイルドウォーター開始。
1.5キロ上流のスタート地点からいかに速くゴールに達するか、6分と数十秒を競う。
地元建部からは昨日の「たけべカップ」で優勝した山根選手が出場。地元応援団もスタート地点に近い上流でスタンバイ。「ゴー!」
次々と繰り出る艇の速さにレースはわずか30分余りで終了。あとは結果を待つのみ。
すべての競技が終わり、参加者一体となった河川のクリーン活動。こういうことが、いいよね。目的は記録だけではなく、自然を大事にする心を養うこと。
我が新聞メンバーとトーコちゃんマンもゴミ集めに汗をかき、ご褒美のスポンサー提供の缶詰を手に「スマイル!」
そして、表彰式。カヌースラローム優勝、齋藤君(神奈川県)。ワイルドウォーター出場の地元、山根さんは僅かの差で3位。
いつの間にか、どの種目にもジュニアが台頭し上位に。だとすれば目指すところは決まった。
パリに向って「ゴー、ゴー、ゴー!!」
(取材・写真 三宅優 写真・松下泰成 )
カヌー大会が実施されている時、例年通り、今年も同じ旭川上流では、年に一度の用水口を堰き止めての大掃除。
それに併せて毎年開かれてきた「一ノ口井堰・大井手用水魚とり」。
今回も定員いっぱいの31名10家族が参加する人気。
ただ今年は、昨年の水害で水路の環境がどのように変わっているかが測れない。昨年、仕掛けた簗が流されているやも知れない。
正午前、記者の役割はいつも、水抜きの始まりと同時に水路とにらめっこ、魚が逃げないように見張り番。
「しかし、いないなあ、いつもならナマズやギギが動き回るのに」
水が干上がるにつれ、崩れ落ちた土砂の山が明らかに、簗も埋もれている。
「もしかしたら、魚はあまり期待できそうにない」と主催した岡山市環境学習センター「めだかの学校」館長に念のため伝える。
参加者は講師の井口さんから「一ノ口井堰」の歴史について説明を受けたあと、魚取りの方法を講師の柏さんから聞く。
「網で追いかけても魚の方が速いので、足を使って網に追い込みます・・・」
いつものことだが、子どもらはすぐにでも魚を捕りたくて。なかなか先生の話をきちんと聞かない。そこで結果は網で追いかけるばかりでうまく捕れない。
午後1時過ぎ、真夏を思わせる太陽の下、子どもと保護者が水路に下りる。
「ヒェー、冷たーい!」温もった足が水に触れ、思わず肩を震わすママさん。
1家族ごとに簗を上げていく。 「あっ、いた!」「いないなあー」やはり不漁か?
そう思ったのはつかの間、 「あっ、ウナギだ、ウナギがいた!」「オッ、ズコーんと足にぶつかる大きいのがいる」と大さわぎ。
水門下のトンネルに逃げ込んだ魚ら、それを柏先生がヘッドライトで照らしながら見つけて追い込む。
「そこだ、そこそこ、そこにいる!」「そうじゃない、網に足で追い込むんだ!」「網の位置が逆、それじゃあ逃げてしまうぞ!」
先生に叱咤されて段々に子どもらも動きが機敏に。
「やったー、カワムツが捕れたー」「ねえ見て、大きなカニさんが入ったー」「この赤いの(絶滅危惧種アカザ)捕れたー」
気がついてみると、ウナギ(4匹)、ナマズ(今年は少なく2匹)、ギギ(これも今年は少ない)、カワムツ、オヤニラミ、アカザ、ウグイ、タナゴ、ドジョウ、ムギツク、モクズガニ(多数)、サワガニ、川えび等20種。多種、水生昆虫も捕獲。
午後2時を回り、「定刻が過ぎましたので、上がって・・・」と館長の呼びかけ。しかし、子どもらには全く聞こえない、しつこく催促されしぶしぶ梯子を上る。
それでも最後まで網をすくっていたのは、子どもに戻ったパパとママ(笑)。
今日の振返り、(館長)「どうでしたか?」
「大きなカニさんが捕れてうれしかった!」「エビさんも捕れた!」
(ほぼ全員)「楽しかったー、また来たーい」
「また来たい」と言われても、できるのはこの日、年に一度。
大河、旭川が直接流れ込む、その入り口での魚とり。
こんなダイナミックな体験、どこで、できる?
(取材・写真 三宅優 )
昨年、7月の大水害でカヌーコースが流された福渡三本松下の旭川。急ピッチの復旧が叶い、今日、明日と例年通りの大会が開催されることになった。
9時からの開催式では岡山市副市長から「皆さんがんばってください」との激励の挨拶があり、選手代表として本田桃子さんが「がんばります!」との力強い選手宣誓をした。
今大会にはジュニアの参加者も多数おり、すでに目標はパリ大会へとむかっている。建部でのジャパンカップ全国大会は彼らの力を蓄える絶好のチャンス。良いレースを期待したい。
会場には昨年同様、地元ボランティアによる飲食提供テントが立ち、選手たちの応援に一役買っている。
ジャパンカップは明日、午後5時にはすべての結果が出る予定。
地域の方のそろっての応援を願う!
(取材。写真 三宅 優)
「金爆、見たかー?」、「見たよー!」そんなメールが町中で飛びかう。
今夕、建部町公民館にテレビ難民?の
記者、番組に出演した地域おこし協力隊の今田さん家族、平田さんが偶然、顔をそろえた。
OHKの人気番組「金爆」、今日は建部特集。登場したのは、お笑い芸人「カミナリ」の二人。
出発は「たけべ八幡温泉」スタート。いきなり、そばの小屋で何やらガサゴソやってる人、発見。
ご存じ地域おこし協力隊、今田龍希さんの「ジビエ研究所」
イノシシ肉にトライした二人(かなり苦しそう)。獣皮有効活用研究所
の頼本さん、唐揚げゼンちゃん、猟師のYさんも登場し、親近度がいきなりヒートアップ。
つづいて今田さんの紹介で赴いたのは農協支所に近い(女性職員もマスク外して出演・・・笑)、理髪店「ヒラタ」。
と言えばストローアートの平田君。お笑い二人もハサミを手にして弟子入り。
そして「カレーq」で辛さ500%に挑戦後、「めだかの学校」に。この日は休みにもかかわらず、館長自らが案内、
興味の湧かない2人はかなりの苦戦・・・。
次に「たけべヨーグルト」を見学、(当日、製造に当たっていたのは当新聞グルメレポーター)金賞受賞の「白桃のむヨーグルト」に大満足し、
いきなり「たけべの森公園」へと赴く。
ここで、BMXバイクを体験。そんなに面白そうには見えないが、これが今回の建部の「お宝」に決まり。
最終はオープンしたばかりの、ピッツェリア「マル屋」。
番組で圧倒的共感を得た(予想)のは、この時間、テレビを観ながら今田さんちの子どもたちが発する、
「ううっ、食べたいよー」だった・・・のでは?
(取材・写真 三宅 優)
いよいよGWも、あと2日、世の中少々、休み疲れ?
子どもたちから「どこか行こうよー」と言われて、それだけでグッタリ、子育て世代にはホント酷な長連休、。
そこで出番は、「地元アミューズメント」。
近くて経済的、一家で楽しめるとなれば、温泉+イベント=「たけべまるしぇ」で決まり!
「たけべ八幡温泉」の旗たなびき、鯉のぼりが泳ぐ子どもの日、イベント広場には地元「たけべおこし」による露天市が並ぶ。朝11時には、年配から若い家族連れまでウキウキと来場。さっそく足湯に浸かり温泉気分。
「おっ、菖蒲が浮いてるぞ!」「いい気持ちやねー」
子どもらはというと、まっすぐに「建部ヨーグルト」のソフトクリーム目がけてまっしぐら。気温は30度?こりゃあもう、初夏?
毎回、当マルシェ出店は若い世代が切り盛りし、斬新な企画で話題、そして今回のテーマは「鯉のぼり」。
各お店が、看板に鯉のぼりを描くことが条件。スイーツ「チュプ」のお店には手の込んだ刺繍模様の鯉のぼり。何ごとにも手を抜かない、西村加奈さんらしい看板。
お昼が近づくにつれ、お客さんは増え、それぞれに、エスニックなベトナムフォーや、
ぜんちゃんの「唐揚げ」、勇の木の「焼き鳥」、ジビエ研の「シシコン丼」、ママゴトヤ「肉まん」、サニーデイコーヒー、キシモトケーキと
廻る。
正午を過ぎた頃、温泉内ロービーで何かが起きそうな雰囲気。「・・・えっ?30万人目!」
そう、かねてより囁かれていた当施設入館者数が30万になる日。いつかいつかと言っていたら、この連休で一気に入湯者が増え、間もなくに。
記者と取材中のオニビジョンさんは、その瞬間を収めようと、急いで待機。
玄関のドアが開くたびに、「おっ、この人か・・・、あれれ、帰られたよ・・・」と気を揉むことしきり。そして、チケットを買ったまま、中々、受付を済まされない方の、お身内が到着し見事、30万人目!
「おめでとーうございまーす!」温泉スタッフ全員によるコールに「??!」
幸運に恵まれたのは市内中心部から来られたKさん家族。
「ここには10年くらい前に来たことがあります。今朝、主人が家からマラソンでここまで行くと言うので、私たちがここで待つことにしたんです、帰りに温泉に入ろうと言うので。本当に令和の始まりにラッキーでした」
記念品は入浴券とお食事券をペアで。(ゆっくりと疲れを癒やしてくださーい!)
外では子どもらが「たけべおこし」リーダーの平田さんが作るストローアートの妙技に目が離せない。各お店の前でも、ここにしかない手作りを味わおうと人の群れ。
かと言って、大型レジャーランドに並ぶのとは違ってて、のんびり、ゆっくり、思う存分、たけべ時間に浸ってる。
30万人達成の瞬間動画
(取材・写真 三宅 優)
ゴールデンウィークも後半に入り、好天に恵まれ岡山市商店会連合会主催のゴールデンフェスタ岡山に、我らが建部獣皮有効活用研究所の頼本夫妻が出店されると聞いて取材してきました。
令和と日の丸が溢れるほど掲げてある表町商店街、人混みをかき分け歩いてると記者の予測通りの場所に出店がありました。
「里山わくわくワークショップ」と銘打って皮革小物作成を体験してもらうコーナーと、代表が「もったいないを活かす」心を込めて制作した名刺入れ・イヤリングなどを販売するコーナーがあります。
愛娘のつきちゃんも赤いイヤリングを着けてモデルとしてお手伝い!
小生も赤いストラップキーホルダーを買い求め、その革の染色と柔らかさに驚きました。
そして最後に重大発表です。ブランド名が決まっていました。その名も「TALABO」、夫妻の許可を得て本日正式発表です。
この催しは、5月5日までやっています。お近くにお出での際は是非ともお寄りください。
(取材・写真 沖 政信)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
急激に移り変わる日本社会。
人の暮らしが多様化する中、
弔いのかたちも大きく変わった。
今や建部町だけでなく周辺地域から、
なくてはならない施設として
位置付いた「シオン会館」
その若きリーダー江田 大輝さん、
登場!
(取材・勝部公平 三宅優 )
(プロフィール)
江田 大輝(だいき)
昭和63年、建部町生まれ
建部中学校を卒業後、西大寺高校へ。
卒業後、県内のゴルフ場に勤務。
21歳の時、現会社に移る。
現在「株式会社シオン」専務取締役
御津、宇垣在住、2児の父。
(聞き手・勝部 公平) あなたとも、お父さんとも、長いお付き合いですね。特に私の娘が逝った時は、本当にお世話になった。
あの日以来、うちの家内なんか、あなたの大ファンですよ(笑)
「いえいえ、とんでもないです。やれることを一生懸命にやらせて頂いただけです。でも、そう言っていただくと嬉しいです」
建部には親の稼業を継いで、がんばっている人が結構いますね、岡本石材の岡本君とかもそうだね
「岡本さんは建部中学のバスケの先輩で、ずっと指導を受けてきました。今でもチームをつくり、あれだけ強豪に育てているってスゴイと思います。
僕も高校、社会人になってもバスケを続けてきました」
高校は西大寺高校ですが、建中から行ったのって珍しいんじゃないですか、何か理由でも?
「同級生では3人いたんですが、もともと、外国のこととか貿易とかに興味があって、ホテルで働きたいとか思っていたので、
国際情報科のある高校にしました」
そこを出て、ゴルフ場に勤務したわけですね
「ええ、レストラン部とかで働きました」
ここへ戻ったのはいつですか
「21歳の時ですから、もう10年前になります」
お父さんがこの会館をつくる前はギフトショップをやっておられて、その関係で花輪のレンタルとかも扱って、今に至るわけですよね。
当時は葬儀をどこも自分の家でやってて大変だったから
「ええ、ホール自体は平成18年に建てたんですが、会社は2年後の平成20年に設立しました」
(三宅)と言うことは、映画「おくりびと」が公開された頃ですね
(勝部)そうですね、あの映画でこの仕事が、人間の最後の尊厳をかたち作る大事な職業だということが認知されましたね
「僕らは亡くなられたその時、まっ先に駆けつけて、寄り添い慰めてあげるのが大切な役目だと考えるようになりました」
あなたたち若い人が、この気配りのいる仕事に携わるようになって、随分と葬儀のあり方も変わってきましたね
「今はオーダーメード化している世の中なので、それに即してできるだけ故人を偲んであげられる、温もりのあるかたちにしてあげられたらと、いつも思います」
僕なんかも、ここの会員になってるんだけど、「自分は金をかけたことをせんで、こじんまりで良い」って言ってるんだ(笑)
(三宅)会員になると、どんな特典がありますか?
「入会金1万円で、ご家族どなたでもホールを使用して頂けるんです、今500人ほどいらっしゃいます。そのねらいは、どんな人間がここをやっているかを知ってもらいたかったからです」
10年間やってきて、苦労とかは?
「夜も朝も関係なくて24時間対応なので、大変だった時期もあります。でも年を経るにつれ、喜ばれることが多くなって。
ありがとうねと感謝されたとき、ああ、これでよかったとつくづく感じます」
人から感謝される仕事って本当に大事ですね
「従業員にも言っているんですが、葬儀屋としてやるのではなく、誰かの役に立つことをしようって。僕もこの仕事を仮にやらなかったとしても、ここの人の役に立てることをやりたいと願ってます」
これからの、何か新しいチャレンジとかありますか
「この仕事以外でも建部で役に立ちたいと思いまして、先々月、外国の方に県内を回ってもらう、民泊と併せたパックツアーを企画する”GLOW(グロー)岡山”という会社を設立しました。
実は建部にも年間、かなりの外国の方が来られているんです、でもサービスが提供できていない。
建部の人は、ここは何もないからって言いいますが、
温泉やゴルフ場、自然・・・後楽ゴルフパック+イオンで買物なんて、いっぱいあるんです。
地元の人は外国の方と接すると緊張して話せないけど、後で、
こんな人が来たのよーってうれしそうに話してくれる、そんな顔を見てみたいですし、結果を表すしかないなって」
そりゃあ、面白い、外国から見たら、ここがどんなにか素晴らしいか気づいたら楽しいよね(笑)。
じゃあ、最後に「シオン」からメッセージを
「シオンを皆さんの傘としてお使いください、悲しい涙の雨が降ったらシオンの傘をさしていただき、雨が止んだら置いといてください、
いつもそばにいますから・・・」
ありがとうございました
注:映画「おくりびと」 監督 滝田洋二郎 脚本 小山薫堂 製作 セディックインターナショナル DVD HOGAKUKAN
「たけべシオンホール」
岡山市北区建部町西原947-8
086-722-9365
<地図>
(記者感想)
勝部編集長、べた褒めなのだ。その訳は、
自らのことで実際に彼と接したことに由来する。
「気配り」「配慮」、他を慮る(おもんばかる)力、
それが、今ほど欠けている時代はないのかもしれない。
自分さえよければいい、人や社会は関係ない、
こうした考えが日本国中、大人の世代から蔓延している。
世の中のためになることをしたい。
31歳、青年の言葉に感動を覚える。
ところで彼がもう一つ取り組んでいるのが、
なんと総合格闘技、8年近いジム歴を持つとか。
いつもスクッとした姿勢で体の機敏さを
見せている理由がわかった。
優しい心の持ち主は誰よりも負けん気が
強いのかもしれない。
(三宅 優)
天気予報は完全に雨、しかも寒い。仕方なく押入れの冬用ジャンバーに再登場願う。
「これじゃあ、たけべ新聞4年連続取材はストップ?」
念のため、いつもの自転車ではなく車にする。
朝9時、すでに霧雨「うう、冷えるー」
国土53号線、吉田、どんより空にのぼり旗が並ぶ。右手、田んぼに白いテント、「おっ、やってる」
到着、この気温のおかげでレンゲは今も真っ盛り、踏みつけるには惜しい気持ちでソロソロと足を。
靴がすぐに濡れる。畑の中に立つ、へんてこな風船人形を見つけ近づく。
「お~い、おじさん、それ何て名前か知ってるかい?」そばのテントで風船を膨らませていた、私より年上?のおじさんに聞かれる。
「ケムンパス?」(何じゃそれ?まわりから失笑)
「子どもなら必ず知ってる”腹ペコあおむし”ちゅうんじゃ」
なるほど、子ども相手の仕事をしているだけあって、記者よりずっと若さ度が高い。
隣では「たけべおこし」リーダー平田さんによるストローアート。
子どもらも左手にストロー、右手にハサミで何かに挑む。いよいよ、後継者育成か?
(平田)「とーんでもない、こんな生意気な子ども育てたくない!(笑)」そうです。
午前10時、大崎委員長による開会宣言。
「只今より、第10回吉田れんげまつりを開催いたします、もし雨がこれ以上、降るようでしたら、
そのように対応してください」(・・・これぞ吉田流、あうんの呼吸??)
テント前の農道では恒例、餅つき。男性陣に混じって女性ペアの突き手。
息が合った早い杵打ちは餅屋の派遣?かと思いきや、地元の大塚愛さんと佐藤安奈ちゃん、「こりゃあ、一つ買って帰らにゃあ」
<出店者訪問>
雨予報で、いつもよりテント数は少ない、それでも地元の人らが出す「草餅」「お赤飯」「マタギうどん」「ホットドッグ」「フランクフルト」「コロッケ」「やきとり」「スープギョーザ」「タコ焼き」、「キシモトケーキ」「建部ヨーグルト」「サニーディコーヒー」「山田養蜂場」が勢ぞろい。どこからも雨など気にしないとの雰囲気が伝わる。
「お~い三宅さん、テレビ観たよー」と中から声がかかる。
すると「おう、わしも見たでー、偶然つけたら、出とった」
先日(18日)のNHKのニュース番組に当新聞が取り上げられたのを指してのこと。
「はっ、どうも恐縮です」
(それにしても、NHKって、みんな観てるんだなあ、あらためて身を引きしめる)
ステージでは、これから地元っ子によるヒップホップダンス。
自己紹介、「僕らのチーム名はクラブバンブーです、竹小の体育館でで月2回練習してます。入りたい人募集中です!」
曲が飛び出すと同時に、体が前に後ろにとリズムを刻む。取材中のオニビジョン、松本記者も「いや、もう、体が付いていけませんね(笑)」とひたすら感心。
来たときは降っていた雨も、気がつけば止み、空はいくぶん明るさを持ち始めてきた。
「何とか行きそうじゃなあ」「行いがええ、ちゅうことじゃろう」手伝いで参加したお年寄りらの安堵の笑い。
レンゲ畑の中には、いつの間にか子どもらの駆け回る姿。それを横目で見ながら、久しぶりに会ったママさん、パパたちの歓談がつづく。
ここは、親しい人と会えるだけでなく、人をなごませる”場”に出会える。
時間に追われることもなく、眉に皺よせて働くこともない、好きなように過ごす、普段顔の自分。
元、建部町公民館館長の安部欣也さんも、きっとそんな顔に出会いたくて今日、来られたのだろう。久しぶりの元気そうな姿、忘れずに訪ねてくれた心優しさに感謝!
次なるステージが始まっている。佐藤まいちゃんと、藤井一世さんのソプラノ&尺八セッション。
和洋合作、意外な組み合わせが、これまたイチゴに大福みたいに、意外に噛んでいるから面白い。仲間が集まり、互いにちょっとやってみようか、そんな気軽さがこの
雰囲気に、まさにピッタリ。
いつの間にか餅つきも終了。やっと手が空いて、腕時計を見たお年寄り。
「おい、まだ、12時にもなってねえで、完売か」
もう一人のお年寄り「そうでぇ、あっちのコロッケもホットドッグもぜんぶ売り切れで、もう買うもんねえで」
蓋を開けてみれば、散々な状況の予想を覆し、いつも通りに大盛況。
「みんな、楽しみにしとったもん!」
答えは、どこからともなく聞こえてきた、そんなおばあちゃんの一言にあるのかもしれない。
(取材・写真 三宅 優)
来月、開催の「カヌージャパンカップ」、
建部はこの時季、カヌー一色。
今日も建部町文化センター前の旭川では、一般を対象とした「カヌー体験」教室が開かれた。
主催したのは、当センター内にある「はっぽねプール」を運営するOSKスポーツクラブと建部カヌークラブのメンバー。
担当に当たられていた管さんにお聞きした。
(記者)「今日はどういった方が参加されていますか」
(管さん)「私どものプールに来られている方を中心に、下は小学生から上は70才代まで14名になります」
「この催しは、来月のジャパンカップと関係がありますか?」
「いえ、それとは別に幅広い年齢層の方にカヌーの魅力を知ってもらいたいという目的です」
「今日はどのような体験ができます?」
「参加者には”ポロ艇”というカヌーに乗ってもらい、そのあと他のカヌーの実演も観てもらいながら、艇の違いや競技の仕方などを説明します」
記者が到着した時には、すでに乗り降りの仕方や基本操作におけるレクチャーを終え、参加者の内、大人は川の上。
やがて、その帰還1号生が岸に戻って来たので近くに寄り、感想をキャッチ。
(年配のご婦人)「あ、あ、無事、帰ってこれたわ。(手を貸す指導員の青年に)まあ、王子様に見えるわ(笑)」
(記者)「どうでしたか、初挑戦は」
「こんな、グルグル回るもんとは思わんかった、真っ直ぐに行きたかったわ、もう、喉、カラカラ」
(2番手の年配男性もやって来て)「私なんか、転覆して頭からびっしょりで、もう水いらん(笑)」
次に子どもたちが2回目のトライ。
(小学男子)「ボクなんか、もう、コツ覚えたもんね、だいじょーぶ」
自信満々の少年、実際、スーイスイ。さすが、子どもは覚えが早いと感心してたら・・・ZA BOON!
見事に裏返り。
しかし、こんなことではへこたれない?今度はバッシャバッシャと川泳ぎ。
これを見た、大型カメラ持参のお母さん、「ああ、せっかくのシャッターチャンス撮れなかったわ(笑)」
後半は選手によるデモンストレーション。
激流を下るスラローム。艇がひっくり返ると同時に、自分の力で水中から起き上がる。
「ウッワー、こりゃあ、すげーや、プロは違う!」さっきの転覆経験者も感嘆。
静かな水面を進み、スピードを競うスプリント。「速ー、メチャ速い・・・」
二人で漕ぐペア艇。「わぁー、シンクロのよう・・・きれいだわー」
どの参加者も選手たちの力量に驚くばかり。
締めくくり質問コーナー(順不同で)
(参加者)「練習は、週に何回ほどしてるんですか?」
(菅さん)「週ですか、週6(日)でやってます」(ヒェー)
(参加者)「外国の選手と比べて、日本はどうですか」
(菅さん)「やはりカヌー人口がヨーロッパなんかと圧倒的に違うので、日本では切磋琢磨が難しいことがあります」
(参加者)「カヌーはいくらぐらいしますか」
(菅さん)「一人乗りの艇で30万から、ペアだと120万、もっと高い物もありますが」
これを受けて、参加者の男性、「おい、母さん、120万だって、ひとつ買ってやれ(笑)」
最後に菅さんから「今日はどうでしたかー?」
(参加者全員)「楽しかった、また来たーい!」
カヌー競技を間近に観る日は、まもなく(5月11・12日・福渡三本松下、旭川沿い)
「レディー セット ゴー!!!」
(取材・写真 三宅 優 写真提供・青山孝弘 氏)
朝10時過ぎ、記者(三宅美恵子)は建部ヨーグルトで製造中。聞こえてきました、子どもたちのざわめき。今日は福渡小学校の児童全員の遠足日。
この工場も見学コースの一つ。窓越しに熱心に製造工程に見入る子は、Mちゃん、Sちゃん、E君・・・、あとはソフトクリームやチョコサンディの写真に目が釘付け。
先生に「学校からここまで何キロですか」と聞く。
先生「3キロです」(えっ?そんなに短いの、もっとずーと遠い感じがするけど・・・)
「1時間10分かかりました」とも。(そうだよね、今月入学したばかりの1年生だっているんだから)
「めだかの学校」を見学した一同は昼食を取りに親水公園まで行ったらしい。(記者は仕事を放棄できないので同行できず)
ここからは、副編集長の取材。
お昼過ぎ、建部上の農道を赤い帽子に白青上下の体操着の列を発見。「おっ、遠足がやってきた」
シャッタを―切る。コバルトブルーの空に積雲が浮かび、鯉のぼりがたなびく。
「こんにちわ~!」子どもたちの方から声がかかる、「おう、こんにちわー」おじいさんも、元気よく応える。
「どこへ行ったんだい?」「ウン、めだかの学校だよ」
「お弁当はおいしかったかい?」「うん、おいしかった」
帰りは記者と同じ方角なので、いっしょに歩く。
(先生)「ナゾナゾだよ、体の中にあるもので人の名前に聞こえるものは?」
(児童)「カンゾウ!」
(先生)「おお、それは小学2年生では習わない、むつかしい名前だなあ」
(児童)「わかった、シンゾウ!」(笑)
さすが先生、生徒との会話ネタも豊富。
そのうち八幡温泉の源泉近くで、川を覗いた男子が「あっ、ヘビ!」(恐々と)
女子「キャッ、かわいいー」(うれしそう)
最初の解散場所は八幡橋を渡った郵便局前。「じゃあねー」「バイバーイ!」
(友だち同志)「〇〇ちゃん、このあと何してあそぶ?」
「なにしようか?」
いつもより早く帰れる、得したようなワクワク気分、そして明日からは3日間のお休み。
無限大に時間は続くと思えた子ども時代、何もかもが輝いて見えるに違いない。
(取材・三宅美恵子 写真・三宅優)
昨日よりも3度も気温が上がって、今日の里山は初夏の陽気。これで遅れていたタケノコも慌てて顔を出すに違いない。
今日の、めだか環境教室「山菜取り・野草天ぷら作り」には定員いっぱいの10家族、31名が参加する。
何としても、一家に1本は持ち帰らせて上げたい。竹林を管理する松本さんは、今月に入ってから毎日、様子をうかがいに行き、「まだかなあ、まだだなあ」とヤキモキ。
午前10時、会場となった富沢地区鳥越池の「里山建部」ベースキャンプに参加者らが車で到着。さっそく活動開始。テーマは「自然を見つける」、勝部編集長の案内で周辺を探索。
まず最初に見つけたのはタンポポ3種(日本種VS外来種VS岡山種)つづいてミツバ(自然種)、土筆(つくし)、タラの芽、イタドリ(スイバ)。
「これ(イタドリ)はね、子どもの頃、皮をむいて塩をつけてかじって食べたんだよ」編集長の苦難ものがたり。
すると「あっ、酸っぱくておいしい!」と女の子。
セリを手に編集長「これは、春の七草の一つ、知ってるかい?」
「知ってるよ、わたし全部言えるもん、セリ、ナズナ、ゴギョウ・・・」とスーラスラ、思わずみんなで拍手。
竹林に到着。
「あれっ、あそこになってる」「え?あそこにも」麦わら帽子の松本さんが、うれしそうにお待ちかね。
メモを取り出して 「今年のタケノコは、例年より冷え込んで、あまりなっていませんが・・・」
いえいえ、そんなことはありません。見事に手入れされた藪の中にはポッコリ、ポッコリとタケノコが。
松本さんが鍬を使って「タケノコ掘り」を実演。
「ママ、僕もやりたいよー」「わたしもほってみたい」
待って待って、まずは一家族一本、どのタケノコにするか、決めてからだよ。
(お母さん)「あのー、先生(記者のこと)、この大きいのとこっちの小さいの、どっちがいいんですか?」
(記者)「いっぱい食べたいなら大きいの、ただし根元はちょっと硬い、小さいのはやわらかいけど、皮をむくと少しになる」
「(迷って)・・・大きい方にします!」
親子で鍬入れ開始。抱えきれないほどのモノや、両手に収まるモノまで、それぞれが「マイ・タケノコ」掘り。
30分後、収穫品を手に一同、ベースキャンプへと帰還。
小休止、続いて指令1、「子どもたちとお父さんは竹を切って自分のコップとハシを作って下さい!」
指令2、「お母さんたちは、山菜を使って、天ぷらと若竹汁、タケノコご飯をお願いします!」
ターフの下にいても、日差しが熱く感じはじめて来た。十分、水分補給をしながら、子どもらは竹切りや竹削りを進める。
「これ作らないと、お昼が食べれないよ」と聞かされては、一生懸命やるしかない。
女性陣は、あらかじめ湯がいておいたタケノコや山菜を使って天ぷらに挑む。火力が炭火ときて、温度調整がむつかしい。
(お母さん)「油はもう大丈夫ですか?」
(記者)「ハシに一滴、コロモを付けて、落としてすぐに上がってきたらOK!」
「へー、そうなんだ、料理教室に来てるみたい」(笑)
このあと記者が主婦歴○十年と聞き、全員が「えっー!」
大釜のご飯も吹き出して、どうやら炊けたようだが、こればっかりは開けてみないとわからない。
これも、それも、すべて体験、だから学ぶし、身にも付く。
本日のお昼ごはんの完成!
どうだい?「山菜の天ぷらがうまい!」「タケノコの天ぷらって、初めて食べました、おいしい!」
デザートはないけど、ドリンクは竹笹を炒って「笹茶」、少し甘味があって「わたし、けっこう好き!」
食後は指令3、みんなで片づけ。
でも子どもらは、山のてっぺんに行きたくて我慢ならない?「いいよー、行っておいでー」
真砂土の斜面をいっせいによじ登る。靴もズボンもあっという間に土まみれ。
「おかあさーん、写真撮ってよー」頂上制覇の少年登山家が叫ぶ。
午後2時、指令4「お~い、みんな閉会するから、おりて来なー」
振返り、(館長)「だれか今日の感想が言える子は?」
「はーい、山遊びが楽しかった」「ハイ、ご飯センベイ(残りご飯で作った焼きセンベイ)がおいしかった!」
最後に記念撮影。
「では、たけべ新聞のトップを飾る笑顔でお願いしまーす」(カシャ!)
(取材・写真 三宅 優)
昨年7月6日をどう過ごしたか、岡山県内、市内各地、そして建部町内。指定された避難場所に移動待機、
その時の戸惑い、不安。
そして、もうすぐ7月がやって来る・・・あれから、あの恐怖はずっと続いている。
今、この事のみに集中すれば対応策は十分とれるのに、やるべきことの優先順位を決断できない行政へのもどかしさ。
今日、夕方のNHKニュース「もぎたて」で、昨年の建部の水害における「たけべ新聞」のレポートが報道された。
内容は、当新聞が本来、目指している役割をきちっと伝えてくれていた。
同じことを繰り返さないために、今やるべきことは個々の反省点の共有とその具体的な対策、そこに暮らす人の命をどう守るか、地域行政はそのことのみに集中すべき。
今、勇気ある人が、もう一人「わしが、やる!」と言って集まれば、たぶんこの町、いや、日本国中だって変わる。「自分たちの地域は自分たちで守る」、
今日の報道でそのことをあらためて実感した。
NHKニュース「もぎたて」動画
特集:「7月の大水害を振返る」
(報告・三宅 美恵子)
フェイスブックには「自分らしい生き方を見つけ、お互いを認め合い、人生を応援し合うコミュニティを目ざします」とある。
先々月の「たけべ人」で紹介した佐藤安奈さんが活動に加わっている
岡山市の非営利団体「あこがれスタイル」。
そのメンバーが安奈さんのおばあちゃん家で「タケノコ掘り」をするというので出かけた。しかし、我が家の裏山でも今年はまだ見ていない。
「無理じゃあないかなあ・・・」
13日土曜の午後、市内からやって来た”カッチャン”、”マユリン”、”ブラック”さんと安奈さんで、山に入る。
「・・・ないなあ」「・・・やっぱりないね!」
安奈さんが下草を刈って、よく手入れをしているので、出ないわけはない、まだ早いのだと思う。しかたなく?竹切り。何でも、ピザ窯で使うらしい。他にもマキ切り。
会を主催するリーダーのカッチャンこと、勝俣 将樹さんに聞いた。
「何で、この会を始めたのですか?」
(カッチャン)「以前、”だっぴ”で活動してたんですが、やって行くにつれ、その先が欲しいと思うようになりました。大人になっても、世の中の息苦しさは変わらないわけです。
そんなとき年齢を問わず学び合い、応援し合える場が必要ではないかと。それで3年ちょっと前に、皆が安心して居られる居場所づくりりから始めて、楽しめる場づくり、そしてキャリアを積める場づくりへと進めてきました」
「具体的にはどんな活動ですか」
「居場所づくりでは、自宅の隣の家を開放して皆が集まれる場にしています。ピザ窯も作りました。
楽しむ場としては、今日のタケノコ掘りなんかがそのひとつですが、皆、そこで自分らしい楽しみ方を見つけてもらえればいいと思います。キャリアづくりとしては、就活の対策とか、企業と学生双方のプレゼンの仕方とかのセミナーをしています」
「なるほど」と言っても、自慢じゃないが記者の世代感覚はかなり旧い。若者たちが今の日本社会をどんなに窮屈に感じてるか、想像だにできない。ただ、近くにある研修施設に来る新入社員がすべて同じ黒づくめのスーツ姿なのはあまりに暗い。
参加メンバーのブラック君(黒岩さん)は、「この会は、いつも行くと(気の合った)誰かに会えるんで参加しています。自分は工場で働いてるんで、今日は自然の中で落ちつきますね」
マユリン(まゆこ)さん、「私も工場で働いてますが、そこではストレスないけど家にいる方がストレス(笑)、ブラックとは実は同級生なんです(笑)」
「どんな”あこがれスタイル”をお持ちですか?」
(ブラック君)「自分の個性で生きていきたいです、広告宣伝とか新聞とかに関心があるんで、できればそういう世界で」
(マユリン)「この人に相談したいなあって、そんな頼られる人になりたいですねー」
場所は建部町下神目、そばを誕生寺川が流れる。ここの桜は遅く、今、散りはじめ。久しぶりに若者たちの声を聞いて記者もリフレッシュ。と、そこへ一陣のサイクルレーサーたちが道沿いをやって来た。
「やあー」「どうもー」、同じ町内で懇意にしている人たちだった。サイクル仲間5人で来月、西粟倉村で開かれる「わかすぎヒルクライム」に出場するそうだ。
今日はそのための合同練習。
”あこがれスタイル”を実践する大人たちがここにもいた、そんな新たな発見も今日のこの出会いがあったからこそ。
「あこがれスタイル」さん←フェイスブックはこちら
(取材・写真 三宅 優)
昨日の雨で桜はすっかり散ったかと思いきや、竹枝小学校前の並木は淡いピンク色を留めていた。
校庭には風を受けて勢いよく泳ぐ鯉のぼり、入学式の日にふさわしいシチュエーションだ。
体育館では在校生、先生、保護者、来賓、オニビジョンさんが先程よりお待ちかね。
午前10時、音楽と拍手に合わせ、6年生に手を引かれ新入生が入場。男子2名、女子3名の計5名。
「〇○、〇くん!」「ハイッ」・・・名前が呼ばれるたび、元気いっぱいの返事。
校長先生からは二つのお願い事。、
「1つは、あいさつをしっかりとしましょう。2つ目は安全に気をつけましょう」
授かった教科書が、膝の上からすべり落ちそうにズッシリと重い。
6年生からも「竹枝小学校は楽しいことがいっぱいです、いっしょになかよく勉強しましょう」と歓迎の言葉。
記念写真。新入生、先生、保護者の方の晴れ晴れとした顔がカメラに収まっていた。
(取材・写真 三宅 優)
校門の桜が満開の今日、待ちに待った建部小学校の入学式が始まります。
男子7名、女子9名、計16名の児童が先輩の先導で在校生、学校の先生、お父さんお母さん、ご来賓の皆さんが待っている体育館に入場です。
開会の言葉のあと、初めての点呼では、大きな声で、館内に「ハイ!」という声が響いていました。
宮尾校長先生がわかりやすい言葉で「元気・やる気・人が好き」と、これからの一年生としての目標について話され、
ご両親にも、しっかりとふれあいの時間を持ってくださいとお願いをしました。
来賓の垣本連合町内会会長の祝辞の後、新入生、一人一人に教科書が手渡され、小学生になった自覚が高まっているようにみえました。
今年の入学式では保護者の半数近くがお父さんで、「イクメンパパ」も役割をしっかり担っていたのが印象的でした。
(取材・写真 勝部公平)
福渡小学校の入学式では、男子1名、女子3名、計4名の児童が今日から1年生としてスタートしました。
ゲートの前で迎えてくれたのは、ソメイ、枝垂れ(しだれ)、山ツツジの三重奏。
しかし、さらに行くと下方に白いまばゆさを放ったヨシノ桜が広がっていた。
「ああー」とため息。花に埋もれるのは後にして、とりあえず取材だと言い聞かす。
雨予報は見事にハズレ、まだ朝8時というのに汗ばむ陽気。公園に整然と並んだターフの下では、屋台のスタッフたちが仕込み準備の真っ最中。
「おう、この汁の味、どうかなあ?」
「いつもの、あんたの舌にまかせるよ」
「あとで売れなくて、文句を言うなよー(笑)」
出店者のほとんどが、地元町内会や婦人会、近隣サークル。
売るのが目的ではなく、みんなでワイワイと冗談言い合うのが楽しい。つきたての餅を作る中田地区、いつもの団結力で、「ヨイショ!ヨイショ!」と合いの手が入る。
オープニングは今やお馴染み、地元「傘踊り同好会」。今回は3人増えて8人編成で、シルバーパワー炸裂!
お客さんの入りはまだまだ、でも投票に行ってから来ると考えれば、その方がうれしい。
のんびりと園内を巡る。
「六高黄桜」は1分、「八重紅枝垂れ」は3分咲き、「京都祇園枝垂れ」は8分咲き。
その祇園枝垂れの下では、町内のご家族がブルーシートを敷いて、これから花見の宴が幕開け。(父、母、おじいさん、おばあさんと、こうして花見をしたのはいつのことだったろう・・・)
メインステージの方からは楽器の音が響き始めた。
昨年も来てくれた岡山の吹奏楽団
「晴吹(はれすい)」の演奏だ。
チームリーダーの佐藤さんの姿が見える。全員が若者、こんな普通のことが建部では奇妙に新鮮、そして頼もしい。
鳴らして、歌って、踊って、揃いの桜マーク入りTシャツもお似合いだ。
屋台からは、当編集長の「ここでしか食べられない、たけべ自慢のシシ汁うどん、どうですかー」の呼び声。
建部ヨーグルト前には、いつの間にか名物ソフトクリームを求める長蛇の列。
正午近く、次々に大型バスが到着し、やっと祭りは本調子。
ステージでは、ここ田地子地区の伝統芸能、棒遣いが登場。
観客は、棒と棒が叩き合うその迫力ある演舞に固唾を飲んで見つめる。
折よく、この秋に建立予定の「旭川源流の碑」も会場に展示され、建部のアイデンティティを盛り上げる。
午後1時、歩いて帰ろうとゲートに向かう。
警備員さんから「車はどこですか?えっ、歩く?そんなの絶対無理です!」と断言された。
だが、1時間と20分後、自宅パソコン前に無事、着席(安堵)。
帰路ルートマップ付き
(取材・写真 三宅 優)
建部は目下、桜、桜で真っ盛り。そんな折、近所の方からお誘いを受けた。
「いけばなの展覧会がありますが、行かれませんか」
「未生流」、よく耳にする、でもどんなものだか華道はまったくの素人。
さっそく「私だって少しは花ぐらい生けたことがあるんよ、バカにしないでちょーだい(笑)」と自慢するオトモダチを連れて建部町文化センターへ。
ロビーを入ると右側にいきなりドーンと二艘の高瀬舟。上では苔むした老樹の桜、”今日が晴れの日”とばかり咲き誇るヤマブキを乗せ、2F「多目的ホール」へといざなう。
階段を昇り、まず目に入ったのは屋上に組まれた青竹の花台。アクリル花器の水中花が置かれ、アンスリュームが飾られて
清々しい。
それでも「まあ、花がかすむじゃろー」と自信たっぷりのおばさん二人でツーショット。
中通路で見つけました、知り合いの娘さんの作品。ブルーの花器に凛と立つ葉桜、スポットライトが作るシルエットも幻想的。そしてメイン展示室へ。
またもや、ドーン。部屋の中央に無造作に放り投げられたとも見えるカズラの蔓(つた)。
その下に埋もれるように咲く、白いアジサイ。
「大胆ですねー」
この蔓を建部の山から採取してきた寺門さんにお聞きした。
「クスノキの上の方にからんでるやつを脚立をかけて、獲って運んで来たんですわ、もうそれだけで大仕事(笑)。
生け花は自然にあるものに、人がちょっと手をくわえることで、美しさが見えてくるものなんですよ」
何でも「未生流」は、その中に定義があって、もっとも高い位置の「体(天)」、低い位置の「留(地)」、中間の「用(人)」から成り立ってて、
直角二等辺三角形をかたちづくり・・・「う~む、奥が深いぞ・・・」
会場を埋めた鑑賞者の会話にも初めて聞く花の名や(ラナンキュラス、レンファレン、ラクスパー・・・)、作法ことばがポンポンと出る。
さすが、わざわざ足を運ぶだけの方々、目も知識も肥えている。
しっかりと講義を受けた後は、凡人お待ちかねの「抹茶」タイム。
茶席で入れられたお点前をいただく、茶器は京焼の「草花丸紋茶碗」。
「フーム・・・」(言葉にならない)
桜の紋入りの和菓子「春爛漫」を一口、「うう、上品・・・」、そばに生けられた木蓮からも甘い匂い。
「さあ、十分に堪能したから、そろそろ帰りましょうか?」(私)
「そうね、贅沢な時間じゃったなあー、誘ってくれてありがとねー」(オトモダチ)
目も口も満喫した二人、再び、春らんまんの建部平野へ。
(取材・三宅美恵子 写真・三宅優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
田舎暮らしに魅かれ、5年前に
建部町に移住。自分で作物を作り、
自然とふれあい暮らしたい。そんな
夢の実現に向け、目下、新居に移り、
夫婦で改築中。
パワフルママの高塚 文さんに
これまでの道のりを聞きました。
(取材・写真 三宅 優)
(プロフィール)
高塚 文(あや)
昭和51年、新潟県燕市に生まれる
高校までを郷里で過ごした後、
福島県の大学に入学、英文学を学ぶ。
卒業後、東京で就職。その後、
結婚を機に栃木県に移る。
東日本大震災での原発事故を受け、
夫の実家である岡山に疎開。
現在、下神目在住。
(聞き手・三宅 優) お生まれは新潟だそうですが、どんなところですか
「こっちの人は新潟って聞くと、雪深いでしょうと言われるんですが、私の所はそんなに思うほど降らないんです。幼稚園の頃は”かまくら”とか作ったり、小学校では学校でソリができたんですが、今はそういったことはできませんね」
小中高では部活動は盛んでしたか
「私は小学校は陸上と水泳をやってて、市内の水泳大会では小学生の平泳ぎ選手で優勝したことがあります。中学はバトミントン部、高校はテニス部でした」
高校を卒業されてからは?
「福島の大学に入学しました。隣の県だし近いかなって思って、でも意外と交通の便が悪くって、アパートを借りて住むようになりました(笑)」
専攻は何ですか
「文学部の英語英文学科です、たまたま高校の英語の成績が良かったから(笑)。テレビに出ていたウィッキーさんが英会話の先生だったんです、
けっこう厳しい人でマンツーマンの会話テストがあったりしました」
ご主人と知り合ったのはその時?
「はい、同じ大学に歯学部がありまして、そこの岡山出身の2年先輩でした。飲み会でたまたま隣に座って、最初、誰とも話さず、ひたすら料理で出されたカニを食べているのを見て、ふしぎな人だなって(笑)」
卒業後は?
「東京で就職しました。中野にあったジャズボーカルスクールの事務で、ジャズって英語なのでそれが買われて。
ちょうど、妹が大学に通っていたので二人で東京暮らしをしました」
結婚は?
「5年後です、それまで福島を新幹線で往復する遠隔恋愛でした(笑)。旦那が栃木県の那須塩原の歯科医院に就職したので、そこで暮らしはじめました」
そこで、東日本大震災、原発事故に遭うわけですね
「山の方だったので旦那が、”お前と子どもだけで逃げろー”と言って、岡山の実家に避難しました。その後、旦那も岡山で就職を探したけど、しっくり来るとこがなくて、秋田で自然療法の歯科医院があるのを知って、秋田に移りました」
えっ?岡山に戻って、また秋田へ?
「ええ、そうなんです、流民のようなんです(笑)。でも、秋田は楽しかったですよー、娘と私で雪遊び、”なまはげ”を観に行ったり・・・人の情がとっても深いんです」
で、ふたたび岡山、それも建部には?
「岡山の両親がこれまで続けてきたお店を閉めることになって、じゃあ戻るかと。それで、そこに今の歯科診療所を開くことにしました。建部に住むことにしたのは、もともと旦那が自給自足の生活にあこがれを持っていて、栃木にいた頃、偶然、知り合った大塚尚幹さんが建部に越していて、”建部はいいぞ”と勧められたんです」
どうでしたか、建部は
「川の景色が癒されますね。それと学童をやっていて感じるんですが、竹枝の子らは素朴で素直だなって。
何も玩具がなくても遊べる子、スゴイって思います」
ご自分のお子さんにはどのように育って欲しいですか
「自分の考えをきちんと持って、行動に移せる子になって欲しいなあ。
大きくなったら絶対、親元にはいさせない、自分で生活をして、広い世界で生きて欲しい。この間、娘がパン屋になりたいって言ったので、じゃあ、フランスに行こう!って言いました(笑)」
ありがとうございました
「駅前町歯科診療所」←ご案内
【記者感想】
早いもので出会って5年、似顔絵描いたり、フラをいっしょに踊ったり、当新聞の”美味しいモデル”をやってもらったりと付き合いは
多いのだが、如何せん、詳しく話を聞く機会がなかった。
福島の大学にご夫婦がいたことも、秋田にいたことも初耳。
旦那さんの岡山の実家は、歯科医院だとばかり思ってた。
文さんに至っては、街のお嬢さんぐらいにとらえていたら、亡くなられたお父上は金物洋食器の生産では世界的なシェアを誇る燕市、ならではのヤスリ職人だったそうで、
それじゃあ漆喰を塗る左官仕事も苦にならないと納得。今、夢中になっているのは「インド刺繍(ミラーワーク)」だとかで、手の込んだドアチャイムカバーを見せてくれた。
昨今、建部町という貯水池に新しい水が注がれ始めている。外を知ってる人間がこの地を変える、高塚さんご夫婦もその一翼であることは間違いない。
(三宅 優)
先週の土曜日(23日)福渡のコミュニティセンターで建部町公民館と「ESD・建部町でフードバンクを考える会」主催の食事会が開かれた。
「今、日本ではまだ食べられるのに無駄に捨てられている食品が年間600万トン、それをを少しでもなくしたい」そんな願いで活動をはじめたこの会のメンバーは、地元の人たちを中心に10名ほど。
栄養士で中心的役割を担う森本さんは「捨てる食材ってそんなにはないと思う、工夫して活かすことでおいしく食べられる、そのことを大人や子どもにも知ってもらいたい」と語る。
3回目となるこの日は、事前の告知で寄せられた家で余っている食材が多種に並んだ。ネギ、大根、人参、ほうれん草、菜の花、セリ、小麦粉、片栗粉、餅、あんこ、かんぴょう、干椎茸、鰹ぶし、昆布、ゴマ、銀杏、卵、猪肉、醤油、酢、味噌、油、などなど。
メンバーはあらかじめ材料情報を得てメニューをいくつか想定しておくのだが、当日の思いがけない食材提供や
参加した子どもの意見を聞きながら、あくまで、ぶっつけ本番が基本。「さあて、今日は何にしよう?」
ここで一旦、この会で話題になった話を紹介。
「建部でも収穫されずに畑に放っておかれた白菜、大根、キャベツなどを見かけるけど、どうして食べないのに作るのかなあ?」
「集まりで出された弁当を残す人がいて、はじめから食べれるかを聞いておけばいいのに」
「若いママさんから簡単にできる、おいしいレシピが知りたいって言われても、手間をかけるからおいしくできると思う」
「食の無駄を見直す」=「食を捨てずに使う」しかしそれが出来ないのは、どうやら「時間」との問題?
「出来過ぎた作物を活かそうとしょうやくするだけの暇がない」
「個々の弁当の注文をとる手間が面倒」
「料理に時間をかけるだけの余裕がない」
結局、時間というコストを食を捨てるというコストで補っているわけだ。
再び、料理メニューへ。
今回は乾物類と野菜が豊富なことから「ちらし寿司」「茶碗蒸し」「野菜のおひたし」「味噌玉の吸物」それと「猪肉の竜田揚げ」デザートの「お汁粉」の6種に決める。
錦糸卵、ギンナン炒り、味噌玉づくり、子どもを交えての全員作業、酢飯は熱いうちに団扇でパタパタッ、完成!
テーブル席には近隣から参加の「すずらん会」のお年寄り、それでは手を合わせて「いっただき、まーす!」
午後からは会のメンバー手作りの人形劇「ニャン太とミー子の食べ物をだいじに」
ネコのニャン太とミー子が家の冷蔵庫から提案する食べものを活かす工夫あれこれ。
どうでしたかご感想は?
「私も冷蔵庫にはいっぱい入ってて、勉強になりました(笑)」
「私らは物のない時代に育って、もったいないと考える癖がついているけど、若い人らにも伝えねば」
「こんなに為になる会と知ってたら、もっとたくさんの人に声を掛けていたのに残念 」
「味噌玉ってはじめて知りました、おいしくて作っておくととっても重宝しそう」
「人形の演技が達者なのには、びっくりしました(大笑)」
次回は8月頃を予定。
(取材・写真 三宅 優)
時間だけでも3時間以上、1部と2部の間にわずか10分の休憩、途中、拍手する場もなく、ただひたすらに聴く。演奏者たちは楽器を奏で、声楽者たちは歌い続ける。
バッハの作品の中でも最も重厚で壮大と言われる「マタイ受難曲」
これまで、そのパートの演奏を聴くことはあっても、全曲上演に接することなどまったくと言ってない。それも、この建部で聴く?信じられない・・・。
鹿児島国際大学音楽学科の学生によるコンサート、指揮者は著名なテノール歌手で本大学で教鞭をとるウーヴェ・ハイルマン氏。
ツアーチケットを手に「うーむ、これは面白そうだぞー」と一人喜び。
建部町文化センター大ホール、午後3時開演(3月24日)。客席は悲しいかな3分の1ほど。逆に壇上に勢ぞろいした演奏者と合唱団、倉敷少年少女合唱団の数に圧倒される。
指揮者登場、沈黙。
オーケストラが鳴り始め、聞き慣れた旋律、合唱・・・現実がしだいに遠くなっていく。
ステージ左の一段高い台に立つ二人のソリスト(福音史家とイエス)が語るように歌い導く、「キリスト受難」のものがたりの始まり。(日本語字幕が左右に出る)
第一部最後は倉敷少年少女合唱団50数名が加わっての大コラールで締めくくられる。
第2部、幾つもの幾つもの名アリアの連続。Nr.47 ”憐れみ給えわが神よ”アルト独唱。
Nr.58 "愛によりわが救い主は・・・”ソプラニスタによる独唱(素晴らしい!)
そして最終章Nr.78「哀悼」バス、アルト、ソプラノ、合唱すべてによるコラール、そして、長ーい沈黙
、終演。
それにしても、ソリストたちの(わずか2年目の学生も!)自信あふれる声には驚かされる。
ドイツ語を駆使するだけでも大変なのに、その意味を深く理解し感情を移入するまでに歌い込んでいる。
指揮者はそれら一人一人に全身を揺らし、音色を引き出していく。
開始から200分、音楽家たちは自らの思いのすべてを、”バッハ”に込めることができたのではないだろうか。
(レポート・三宅 優)
お待たせしました!これまで多くのファンから「出来たてをその場で食べたい!」の熱いラブコール。
待ち望まれたピッツェリア「マル屋」の新規オープン、本日はそのプレオープン日。
さっそく、当新聞グルメレポーターが突撃取材!
新しくお店を構えたのは、国道53号線沿い、建部消防署近くの元第一生命ビル跡。ビルの外観は前のままだが、駐車場側に設けられたウッディな可愛らしい入口が目を引く。壁には手形のメモリー、ドアをワクワク開ける。
「広ーい!」まず驚かされたのは、その店内の広さ。厨房もシースルーになっていて、開放感満点。そして壁面を彩るイエローとライムの明るい配色。
床に目をやると、なんと基礎コンクリートが剥き出し。「オッシャレー!」
イス席はテーブルとカウンターに20席以上。
注文は一人一品、ピザを選び、会計を済ませてイスで待つこと〇分。
「リン、リン!」とベルが鳴り「〇〇さーん」と呼ばれたらカウンターに行って受け取る。
食べ終わった後は自分で返却カウンターに戻す、いわゆる
マクドナルド方式。
飲物は備えつけの真新しい自販機から、お好きなものをゲット。他にイタリア直輸入ビールも。
客席から厨房が見通せるので、今や名物となった店主マルコの「空飛ぶピザ」パフォーマンスも満喫できる。
カジュアルで開放的、まさにイタリアンなピッツェリアの誕生だ。
正式オープンは3月28日(木)
営業時間:月・木・金 11:30~14:30(L.O 14:00)
17:00~20:30(L.O 20:00)
土・日・祝 11:30~20:30(L.O 20:00)
定休日: 火・水曜日
TEL: 0867-722-0273
場所:岡山市北区建部町福渡820-7
(取材・三宅美恵子 写真・三宅優)
《宣言》
トレイルランニングは安全なスポーツです。
私たちはトレイルで出会うすべての人々を尊重します。
私たちは、自然環境とトレイルの保全を優先します。
私たちは、トレイルを守るために地元の人々と協力します。
これらの目的を達成するために、私たちは各地の大会と協力し、
大会が環境面や安全面でより良いものになるよう努力し、もって
地域社会へ貢献したいと考えます。
野山などの未舗装の不整地の道(トレイル)を走るとされるトレイルランニング。国内だけでも400近い大会が催されている。
そのスポーツを愛好する人たちによる県内初の組織が今日、設立された。
会場となった建部町文化センターには、朝早くから色とりどりのランニングウェアを身に纏った男女が次々と集結、
この日を待ち望んでいた人たちの多さに驚かされる。
TV2局もカメラを肩にスタンバイし、社会的関心も高まっていることが分る。
すでに、早朝のセミナーで建部の古道をランニングしたという貝畑さん(この世界で知らぬ人はいない?)にお話を聞けた。
「どうでしたか、今日の走行は」
「楽しかったですよー、山の中を走りながら、津山線の電車の音が聞こえてくるなんて。帰りは温泉に入れるし、いい所ですね建部は」
10時からの総会では最初に設立趣旨の説明から始まり、「トレイルランに対する正しい認識を広める」
「安全にトレイルを走るためのマナーとルールを広める」
「よりよい大会運営を行うために県内大会と連携し技術面、安全面、環境面での助言をする」との主張がなされた。
そして協会役員の選出では、村松達也会長(岡山トレランのゴッドファーザー!!)、林忍副会長(県内屈指のトップランナー)
、千田英治副会長(ビッグアフロランナー!!)が決まった。
その後、質疑応答を経て、会は満場一致の拍手を以ってしめくくられた。
2部からはアドベンチャーレーサーの第一人者、田中正人 氏による記念講演。題して「自然と向き合うには」
開口の一番「人間が学ぶものは、すべて自然の中にある」
田中氏が、これまで経験したありとあらゆるレースで学んできた知恵と技術、固唾を飲み真剣に耳を傾ける聴講者たち。
500kmから800kmの距離を夜間ノンストップで、トレッキング~カヌー~マウンテンバイク~クライミング~乗馬と繋ぎながら、6日から10日間で、男女4人チームで踏破する、信じられないほどの過酷なレース。
雪に覆われた山々、そそり立つ岩肌、遥か下に落ち込む渓谷、難関はそれだけでなく、自然に存在するあらゆる脅威、雨、風、吹雪などの天候は言うに及ばず、ジャガ―、ワニ、タランチュラなどの生き物の襲撃など。
そして何よりもチームを試練にさらすのは、チームを組む一人一人の人間性。互いにぶつかり合い、疑心暗鬼を乗り越えていく。
そのためには自分自身の克服が迫られる。
世界の秘境ともいえる地に挑んだ数々のスライドを観る客席からは「ぇっ・・・!」と驚嘆が声にならない。
多くの示唆に富む事例と身をもって得た教え、その中で記者が心に残った言葉を2つ。
「自然を前に素直に謙虚になる、けっして他人のせいにしない、すべては自己責任」
「つらい時ほど目標に執着し妥協を許さない姿勢を各自が示すことでチームは団結する」
田中氏のレース計画表には、全要所ごとのきめ細かな想定時間が作られ、実際時間はほぼ時間通りに。精神性を重んじるだけでなく客観性を以って事にあたる、思考停止に陥らない自己コントロールのあり方も教わった。
昼食タイム、トレイルに必須のエイドメニュー、建部の「サニーデイコーヒー」
「建部ヨーグルト」はてんてこ舞い。
午後からは、県内7つのトレイルラン大会が紹介された。どの大会も魅力にあふれるコースが組まれていて、取組む人たちの熱意がヒシヒシと伝わる。
8つ目には「TAKEBE(たけべ)トレラン」をそんな気持ちがウズウズ(笑)。
閉会後、最終セミナーで再び、建部の古道に向かうランナーたち。自然の中を走ることに心から魅せられた者たち、その後ろ姿が輝いていた。
「岡山県トレイルランニング協会」
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*資料:岡山県トレイルランニング協会 設立資料より抜粋
(取材・写真 三宅 優 写真・松下りえ)
今日は建部小学校の卒業式です。
在校生や保護者、地域の皆さんが見守る中、目を輝かせて、堂々と胸をはった卒業生18名が入場。卒業証書授与式が開催されました。
後ろの壁に張り出された、小学校の愛児会が卒業生徒全員に書いてもらった『大人になった自分を想像してみて』のカードメッセージ。
「ミニバスケットのかんとくになっているだろう」
「SPになって内閣総理大臣の後ろに立つ」
「仕事をしてしあわせな生活をしているはず!」
「空手の先生なっているかも」
「パン屋になっている」
「看護師になりたい」
「料理をしているはず」
「株で大金持ちになっているハズ」
「スポーツ選手」
「仕事をしていると思う」
「動物園の飼育係になっているはず!!」
「幸せな家庭を築いているはず」
「建築士になって家を設計しているはず!!」
「公務員になりたい!」
「サッカー選手になってW杯に出る」
「犬を飼って幸せに暮らしているハズ…」
「生物学者になりたい」
「大好きなディズニーキャストさんになっているはず!」
このように一人ひとりがいろいろな夢を持ち、成長している姿はすばらしいことです。自由で多様な生き方を模索できる社会は地球上のすべての国にあるわけではありません。子供たちの夢の実現をアシストするのが私たち大人の大事な役割だと感じました。
(取材・写真 勝部 公平)
6年という年月も経ってしまうとあっという間だ。
初めて出会ったのは保育園、やんちゃで、園内をかけまわってた。それが小学生になり、運動会、音楽会、発表会、毎年、成長を垣間見て今日はうれしい卒業式。
岡山市立福渡小学校の卒業証書授与式、名を呼ばれ、壇上に立つ10名の児童たち。卒業証書を手にそれぞれが発する将来の夢。
「子ども服のデザイナーになりたい」
「ぼくは、マンガ家になる」
「芸人になってみんなを笑わせたい」
「ファッションデザイナー」
「スタイリスト!」
「楽な道を選ばない人」
「正しいことを言える人」
「努力する人、努力はじぶんを裏切らないから」
「いっしょうけんめいに、りっぱな人に」
「獣医になって動物を助けたい」
学校長からも、はなむけの言葉。
「どんな時も、自分の夢をあきらめないで自分の道をしっかり歩んで下さい」
時おり体育館のドームに叩きつける雨音、それを跳ね返すように引続き、在校生からの言葉。
「おにいさん、おねえさん、いつも助けてくれてありがとう・・・中学生になっても元気にがんばって」
見慣れた校旗の脇を、前を見つめ胸を張って退場して行く卒業生。次に会う時は中学生、それでも今まで通り「お帰り!」「ただいま!」と、あいさつを交わしたいね。
(取材・写真 三宅優)
「竹枝小学校の卒業生の皆さん、おめでとう!」
記者不足で取材に行けませんでした、ごめんなさい。(たけべ新聞編集部)
早朝、雨打つ音。
「あぁ、きょうはダメかー」それでも、楽しみに待つ人を車で会場に送っていく約束をしている。
はるばる御津のフラチームにも声を掛けている。
9時、カッパを着て出発。
「第8回春の里山祭り」これまで雨天は初めて。さぞやスタッフも気を揉んでるだろうと現地入り。
オオッ、なんと皆、傘もささずに火をおこす人、ネギをきざむ人、ワイワイガヤガヤ、せっせせっせの楽天ムード。
「なーんだ、心配するんじゃなかった」さすが里山人、この濡れ具合を穀雨のように受け止めている。
久しぶりに会った地元出店グループの面々。
「なでしこ作業所」「建部ヨーグルト」「サニーデイコーヒー」「キシモトケーキ」「建部町観光公社」さんら、顔を見ただけで、ホッコリ。
10時には開会式。地方選挙目前の議員さんも忙しい最中に祝福を。「建部をみんなで盛り上げていきましょう!」(賛成!)
オープニングはいつもの「はっぽね太鼓」が雨が天敵とあって中止、となれば、雨には傘。そう、創立30年以上の地元「傘踊り同好会」、今日は、寄る年波も、ものともせずにフルメンバーの出場だ。
唐傘、振り上げ、振り下ろし、熱演4曲、息切れもせず。(脱帽!)あまりの景気の良さに、いつしか雨も逃げていた。
東屋の下では炭火がおこり、竹パンが焼かれる。暖を求めて、尻を押しあいへし合い、仲良くチャンコ。
「寒いって、いいよねー」
会場奥の第2ステージでは、めだかの学校主催の「巣箱作り」。トントントン、親子で釘打つ心地よい音。
隣では風船アート、手にはしっかり「ワンちゃんバルーン」。
「森のピザ」が焼かれ、サニーさんのコーヒーの香りに甘そーな「キシモトロールケーキ」。
しっかり当新聞レポーター松下りえちゃんがゲット!
一緒にくつろいでいる人はと見ると、今月21日に建部町文化センターで開催される「岡山トレイルランニング協会設立大会」のメンバーではないか。
うれしいねー、建部の良さを認めてくれる人たちが現われた!
時間は11時、ポツリポツリと再び。
お~い、花房君(進行役)、わしらの出番は何時だい?
「このあと雨が止んだらやります!」
じゃあ、それまで「猪肉うどん」で腹ごしらえ。当新聞専属「美味しいモデル」の文(あや)ちゃんも見事な食べっぷり。
ワイキキの海を思わせるブルーシートが敷かれると、いよいよ出番、建部・御津合同フラチームによる我らがフラダンス。
下は小学生から上はおばあちゃんまで、中に一人混じる枯枝(記者)は、お愛嬌。
「月の夜は・・・」に始まり「瀬戸は日暮れて~」大きく手を輪に掲げ、フィナーレのポーズで見上げる空にはお日様が。
満場の拍手、「あの、男の人、上手じゃなあ!」と聞こえたような・・・。
午後からも、雨が降ろうが、降るまいが、とどまることなし里山パワー。
「大声大会」は日頃の思いを根限り。「ママー!」「おとうさーん、だいすきー!」
「マキ割り体験、ありがとーう!」
そして、いよいよ最終クライマックス。
3000個の餅が宙を飛ぶ、史上最強の「里山モチ投げ大会」。
「さあ、いくぞー!!!」
予定より30分早く閉会となったが、終わってみると、もっと長くやっていたかったような、心残り。
去る前に、あっちでもこっちでも「はい、チーズ」の記念撮影。
車椅子のおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔は陽光の中でまさに「インスタ映え」
「ああ、残念だわー、また、来年ねー」手を振り別れた仲間たち、そう、今からが楽しみの始まり・・・
(取材・写真 三宅優 花房功基 松下りえ)
追悼を終えて3日目、いくつかの反省といっぱいの感謝の気持ちです。
最初の会では募金箱を置かなかった。一人一人が、すでに様々な場で寄付をされているからと考えてのこと。
でも、すぐに参加者の人たちから「それでは困る、私らは少しでも力になれればとの気持ちで、ここに来ているのだから」と諭された。
一人よがりを恥じた。それから毎年、変わることなくカエルの募金箱「でいじ郎」(岡山の方言で”だいじ”)を置いた。
そして今年で8年目、平日ということもあり、参加者はそれほど来られないのではと予想したのだが・・・。
玄関上り口にチョコンと控え目に居させた「でいじ郎」も役目を終えた。空き瓶に貯めてくれた硬貨をそっくり持って来てくれたママさんもいた。
合わせて33,326円、さっそく郵便局へ。
今回は福島の子どもたちに津山の倭文の郷・久米ロッジで10日間保養してもらう「ふくしまっ子津山でのびのび元気回復夏休み」さん宛へ送金。
これで、約大人3人分の片道の旅費補助になります。他にもたくさんの温かい差し入れをいただいた。おでん用の大根や会場を飾る生け花など。
正直、いい事をしようと思って始めた訳ではなく、ただ”私も何かしてあげたい”突き上げられる思いで始めた。
たぶん福島が岡山から遠いから・・・。
それが、今年もこうして人の暖かさを受け止める側に。
当日の参加者の方々並びに、その日、来れなくて気持ちだけでもと寄せていただいた方々にあらためて感謝申し上げます。
(報告・三宅 美恵子)
風化していく記憶、繋ぎとめたい思い、そして8年が過ぎたこの日、建部に人々が集った。
昨日の雨が嘘のように上がり、日中はポカポカ陽気、それでも時おり吹きつける春一番を思わせる風が池の水面をサワサワと波打つ。
ここに、今年は8個の灯ろうサークルを浮かべる。
午後4時、会場の「ドレミファミリアアートギャラリー」(記者 宅)には、いつもの顔ぶれが揃い準備に入る。
何度もやって来たはずの設置作業だが、毎年、改善を試むが手順は順調とはいかない。
池に向かい、サークルを浮かべる。
「ロープをもっと強く張ってー」「まだ右に5m、動かしてー」対岸からの声が飛ぶ。
池は広い、岸からちょうどの位置に
見えても、会場からの眺めは隠れてしまう。毎年、くり返して来たおなじみの状況も不思議と心に気持ちいい。
「感謝」の言葉が浮ぶ。お願いしたわけでもなく、みんないつの間にか来てくれていた。そんな、年に一度の繋がりが、
この日も続いてる。
台所の「おにぎり隊」の女性陣も、ほとんど2012年からのメンバー。壁に「献立表」を書いておくだけで、
「じゃあ、これが炊き上がるのは何時だから、その前にあれとこれを盛りつけましょう」
「去年はこれくらいの大きさだったから、そうすると今日は〇○個、握ればいいわ」
手際の良さは、もはや熟練級。
コンロの上では3つの大鍋に「おでん」、これも1回目から変わらない。
「この、おでんが楽しみで、来させてもらってます(笑)」と、冗談ぽく話してくれた町のお年寄り。そして
「これはなぁ、気持ちじゃけん、とっといて・・・」渡されたお札。
そんな心差しを受けたからには、今年も「おいしい!」を目指して仕込みする。
5時過ぎには参加者も増えはじめ、裏山の駐車場はほぼ満車、ロウソクの点火もほぼ完了。
今年の牛乳パック灯ろうは、池とガレージに120個
ずつ、庭に140個、計380個を置いた。1年かけて町の人らが届けてくれた。
6時、開始。場内には70名ほどの観客。顔見知の方がほとんどだが、初めての方も・・・。
「黙祷!」東日本大震災被災者と昨年の岡山豪雨で亡くなられた方を悼む。
コンサートは一昨年も好評で「また、聴きたいわ」と要望のあった、地元ミュージシャン、ジャズボーカリストの遠藤マリさんと
ジャズギターリスト、古川靖久さん。
二人のコラボに出会えるのは建部ならでは。めったにジョイントしないのに、息の合わせ方はさすがプロ。
「サマータイム」と「リンゴ追分」を1曲にして歌い分ける神技に満場の拍手。
外の灯りがオレンジ色にかがやきはじめた頃には最終曲。
全員に歌詞カードが渡り、東北と岡山の被災者に届けとばかりの「花は咲く」。
歌い終わってマリさんの目にも涙、最前列のご婦人たちも(記者も)。
お待ちかね(?)おでんを食べながらの交流タイーム!
コンサートの始まりでは昨年より少ない参加者だったのが、この日、平日だったことで仕事を終えて駆けつけた
人たちがドドッと増えて、7時過ぎ時点で100人を超える。
台所では座る場所もないほどの混雑ぶり。おでんを運ぶ人、おにぎりを配る人。
ピッツェリア「まる屋」からは「麦コーヒー」が無料で振舞われる。店主マルコが自ら淹れに来てくれた。
(マルコ)「お店のオープンは今月25日、ヨロシクオネガイシマス!」
(全員)「了解!!」
あちこちで歓談の輪が咲く。子どもらだって、久々に会って何やら会議中(笑)。
8時過ぎた頃、遠方の人らから徐々に、町中の人らも乗り合わせたり、徒歩で家路へと。
会場の奥では情報交換真っ最中のグループ。そのまわりをチビッ子らが「キャッキャッ」とかけまわり、浴室から逃げ出てきた愛猫(サン太)もつかまってはならんとばかり逃げまわる。
こんな光景を前に、この子どもらが大人になって「あの時、たのしかったなあー」と思い起こすことがあればいいなあと
思う。
ガレージの8つの灯ろうは煌々と輝き、当分、消えそうにない。それから目を転じると、池のLED灯ろうは点いてるのか、点いてないのか弱々しい。
「よし、来年は池にも、すべてロウソクを灯し、みごとな光の花を咲かせよう!」
8年目を終えた老夫婦(記者ら)に、また一つ次なる目標が加わった。
(レポート・三宅優 写真・松下泰成)
先日の建部町公民館で行われた「プログラミング」講座に来られたオニビジョンの佐藤記者から「もう、セツブンソウが咲いていましたよ」との情報。
日々、慌ただしく過ごしていて、すっかり忘れていた。節分の頃に咲くことからその名が付いたが、実際はそのあと頃から開花する。
雨の合間をぬって出かける、場所は建部町大田の「セツブンソウ群生地」。
地区の中を抜ける国道から眺めるまわりの田畑や山すそには梅の姿。群生地近く布施神社の鳥居でも見事に満開、
春まっさきに咲くと言われる「マンサク」も枝にびっしり黄色い花を付けている。
川を渡り山の傾斜地へと進む。昨日の雨で落葉が濡れて滑りやすい。すぐに、遠目に水滴が光っているような点々が見えてきた。
花言葉は「気品」、しかし今日は雨に濡れ、少しションボリ気味に下を向き「可憐」の言葉が似合いそう。
直径2センチ足らず、白い花から覗く青みがかったオシベ。
あまりに小さいので、近づいて見ようとして、「おっと!」足元にいたことに気づかなくて踏みそうになった。
すでに傾斜地に人が入った土すべりの跡。「これじゃあ、セツブンソウも嫌になるだろうな」
もう一つの花言葉「人間嫌い」。日本のレッドリスト「準絶滅危惧」、
4か月ほど土上に顔をのぞかせ6月には茎を枯らして地中で休眠する。
小さな命と今年も出会えたことに感謝して帰路に着く、どこからか正午を知らせる「ふるさと」のメロディが・・・間もなく「3.11」から8年目を迎えようとしている。
(取材・三宅 美恵子 写真・三宅 優)
来年から小学校の授業に組み込まれることになった「プログラミング」。お父さん、お母さん(おじいさん、おばあさんならもっと)
「えっ、なにそれ?」と、
聞いただけで頭にモヤが立ちこめそう。
でも、子どもらにとっては「イエイ!ボクやってみたい」となったようだ。
小学3年生から6年生を対象にした「プログラミング講座」、今朝の建部町公民館3階「視聴覚室」は、かつてない程の盛況ぶり。
参加者は全員、男子児童(午後の部は女子も参加予定)で、付き添いのお母さんは「親ができないから、子どもにやらせよう(笑)」と申し込んだとか。
教えて下さるのは岡山大学、おかざき先生、やまうち先生と学生のおおくらさん、いのうえさん、それと主催した地域おこし協力隊の高橋律子さん。
まずは参加者全員がパソコン前に座り、「子ネコゲーム」をやってみる。ものの1分足らず、すぐに夢中。(記者も参加、だが、まるで得点にならない)
子どもの反応を見て、(先生)「じゃあ、このゲームを自分の好きなキャラクターで動かせるプログラミングを今から作ろう」
(子どもら)「へー、やるやる」
(先生)「まずは、XXをクリックして、次の++を右に移動、##を開いて、それを△になおして、次にまた++を開いて・・・じゃあやってみよう」
(記者)「えっえっ??それだけで、いきなり・・・」
すると(子どもら)「あっ、できたー」「オレも」
(先生)「そしたらね、今度は、それに音を入れるね、左の◇◇からQQを選んで・・・動きはY座標を○にしてX座標を-180から・・・」
前半60分、全員の画面でネコが「ニャーニャー」と動き回り状態。(記者、ギブアップ)
後半は学生さんの作ったゲームプログラミング「ピンポン」「かけっこ」「かくれんぼ」に挑戦。
「うーん、どうすればいいの・・・」「ああー、うごかない・・・」
子どもの中から苦戦するつぶやき。あちこちで、先生に助けを求めて手が上がる。
(先生)「さっきやったゲームの動きを使ってみたらどうかな」
(子ども)「あっそうかー、やってみる」
時間は間もなく正午、席を離れない子どもたち。
12時10分、閉会。「たのしかった人?」(7割)「むずかしかった人?」(8割)
(先生)「そう、むずかしかったんだね、でも、だから、できたときはうれしいんだよ」
(記者感想)子どもの能力を伸ばすには「好きなこと」をやらせて学ばせる。その通り。ゲームをやるより、ゲームを自分で作る方が断然、面白い。
今後、小学校の取組みがどういった方向に進むかは未定だが、その内容、評価のあり方、すでに子どもらの中で”差”(日ごろから慣れ親しんでいる子と、そうでない子)ができている中での進め方には当面、試行錯誤が続きそうだ。
あなたも挑戦してくださいスクラッチゲームはこちら
(取材・写真 三宅 優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
建部のもっとも身近な基幹産業、
ガソリンスタンド。
昭和39年に設立して以来、半世紀以上に渡って
地元にエネルギーを供給する「内外モータース」。
2代目社長、横原 雅之さんをクローズアップ
(取材・写真 三宅 優)
(プロフィール)
横原 雅之(まさゆき)
昭和45年、建部町に生まれる
福渡高校卒業後、自動車専門学校で学ぶ。
トヨタオートで整備士として勤務。
結婚を機に実家が営む現会社に入社。
父の他界後、事業を受け継ぐ。
現在「内外モータース株式会社」代表取締役社長
川口在住。
(聞き手・三宅 優) 今は従業員の方は何名でやられていますか?
「従業員は母を含めて5人でやっています。母は中の仕事ですが、まだまだ頼ることが多くて(笑)」
どんなお客様が中心ですか
「国道53号沿いですので、やはりENEOSのカードをお持ちの方の利用が多いですね。昔からの地元の方も多くご利用いただいています。あと、口コミで車の整備を頼まれる方もいらっしゃいます」
一番大変なことってなんですか
「・・・やっぱり、過疎化が進み、車離れも多くなる中での対応ですね。長くご利用いただいた義理堅いお客様が、高齢で免許を返上されることもありますし、エネルギーも電化になっていく時代ですから」
では、一番やりがいを感じることは
「そりゃあ、もちろん、お客様が喜んでくださった時です(笑)」
横原さんの同級生には、地元でがんばってる事業者が多いですね
「はい、すぎ茶屋の杉本君、マイスターヤマモトの山本君、マッシュマンの岩崎君、旭水荘の高田君も。まる屋住宅設計の松下君は高校は違いますが中学まで同級でした」
では最後に一番大事にされていることは何ですか
「働いている人たちの輪を大事にすることですね。もし従業員同士でケンカしてたら、お客さまにはわかってしまいます。会社の中がにこやかなら自然と良い所が出てくると思います」
ありがとうございました
お母さんから見て息子さんはどうですか
「何に対しても嫌がらずやってくれます。それがお客様に気に入られているんだと思います。
実際、よくやると思います、朝7時から、夜は9時までですから」
今日まで、ここまで長く続けてこれたのはどうしてだと?
「20年ほど前に主人を亡くして、私の母がここにいて、一緒にやってくれました。その間、ここでは福渡高校がなくなり、社会も電気自動車が普及しはじめ、灯油は電気に替わって、油では利益が出ないようになりました。ですから、ボイラーをやったり、できることは何でもやるようにして、油屋ではなくヨロズヤのよう(笑)。でも、そういう風にしなければ、こういう商売は生き残れないと思います」
従業員の土居川さんから見て、社長さんはどんな方ですか
「やさしいけど、仕事はちゃんとする人、整備とかはスゴイです。お客様がどんなことを言って来られてもやり遂げる。部品を見つけてきて、必ず仕上げます。さすが、整備士、尊敬してます(笑)」
服部(恵子)さんは、書道教室で横原さんを子どもの頃に指導をされて印象はどうだったですか
「あの当時は大勢の生徒さんがいたのですが、その中でも特に、おとなしくて、すっごい真面目な子だった。
だからかえって、私には、お父さんの印象が強いんですよ(笑)お父さんは、とってもカラオケが上手で、いっつもニコニコ笑顔でホント―にいいお父さんじゃった。上のおばあちゃんも店の番をされて、それは長く歳を取られるまで働かれていました」
松下(泰成)さんは、中学校までの同級生だそうですが印象は?
「それが、僕も服部先生の教室に通っていたんですが、僕の印象はちょっと先生とは違ってて。なにしろ福渡の教室の床の傾いたような部屋に、足の踏み場もないほど生徒がいて、ですから何と言うか、いつも床に墨が飛びちってるわけです。だから、僕らソックスを汚さないように歩くんですが、彼はいつも裸足で、足の裏を真っ黒にしても気にしないで歩きまわってた。そんな頓着しないところかな(笑)」
【記者感想】
これまで数百人に及ぶインタビューをしてきた記者だが、ここまで寡黙な人には出合っていない。
イチオシの紹介者、勝部編集長でさえ「とにかく、まじめなんだよ」で、それ以上のエピソードはなし。
・・・「困った!」。
しかし、やがて気づいた、それこそが彼のキャラクターなのだと。誰からも共通のイメージ、熱心で、努力家で、それでいて決して人の前に出しゃばったりしない。
そんな横原さん、三人の子の父親でもある。お母さんの自慢もどうやら、このお孫さん。九州のイラストを手掛けるIT企業でがんばる長女の方の話しになると目が輝いてくる。
外では寒風の中、忙しく動き回る従業員の方たち。その中からは絶え間なく笑い声がして、「ああ、アットホームな職場って、社長の人柄で決まるんだな」と感じ入った。
静かさの中に、たくましさを秘めている社長にエールを。
(三宅 優)
「内外モータース」
岡山市北区建部町福渡990-1 地図
℡086-722-0122
(営業時間)
7:00~21:00(平日)
8:00~19:00(日)
定休日:第3水曜日
建部で活き活きと活動する人にスポット。
建部に生まれ、建部で育つ。夢はもっと
奥深い田舎で暮すこと。
自然との共存をテーマに積極的な活動を
試みる佐藤 安奈さんの登場。
(取材・写真 三宅 優 写真提供・佐藤安奈)
(プロフィール)
佐藤 安奈(あんな)
平成5年、建部町吉田に生まれる
御津高校卒業後、岡山大学マッチング
プログラムコースに入学。
環境、自然、農村といった地域の
あり方について学ぶ。
卒論は建部の里山活動をテーマに上げる。
、 現在、生活協同組合おかやまコープに勤務。
吉田在住。
(聞き手・三宅 優) 小さい頃から自然が好きだったんですか?
「竹枝小学校の時、しっかり川で遊ばせてくれました。魚取りとかして、川を汚さないように教わりました。
田植え、稲刈りとかイイソも作ったりして、山で秘密基地をこしらえようとしたり、ホント小学校は楽しかったです。
学校で合鴨農法もやったことがあったんです。合鴨は食べれるよーっと言われて、いやだーと思って、結局、担任の先生が引き取って行きました。
学んだことは、合鴨は汚い糞がいっぱいポトポト落ちて大変だってこと(笑)」
その頃には「水辺の楽校」があったんですか
「いえ、私が卒業した後にできました。できて、とっても羨ましかったです」
中学ではどんな生活でしたか
「バスケ部に入って、バスケ一筋だったですね。でも中2の時、半月板を壊して、円板状半月板だったので、三年の大会に出るつもりが、とっても悔しくって・・・先生も良い先生でした」
高校はどちらですか
「御津高校です。下の姉も同じで、姉から”試験も楽だよー”とか、”テストに出るところも前もって言ってくれるよー”とか教わってたので。
とにかく、勉強したくなかったです、楽にやりたかった(笑)」
部活の方は?
「バスケに入部しました、一応、キャプテンになりましたが、いつも人数が少なくて弱小のままでした」
そこから、岡大に行かれたわけですね
「ええ、マッチングプログラムコースに入って、それは何かと言うと、自分に合った講義を何でも受けれるコースなんです。最終的には4年の卒論の段階で、どこかの学部を選ぶことになるのですが」
どんな勉強をされましたか
「農村の振興策とか、地域活性化、鳥獣対策とか・・・。最初、スローライフと言うか、”心豊かに暮らせたらいい”、どうしてみんなそこに気づかないのだろう?
何でもかんでも、値段をつけてしまうのか、自給自足でいいのにと思ってたんです。でも、大学の途中で、農村が生き残っていくには、しょうがないのかなあって考え始めて、じゃあ、学ぶかって(笑)」
卒論は富沢の里山活動を取り上げたのですよね
「はい、環境理工学部の環境経済学科を選択して、”建部の里山における地域活性化”というテーマで論文をまとめました。
当初、里山で活動する人たちから後継者がいないと言われて、週1回の活動だし、こんなに楽しいのに何だろうって考えました。けど深く関わってみると、若い人の生活はその通りに動いていないことや、
年寄りが生きがいにしていても、却って他所の者が入りにくいことが見えてきました。でも研究論文として、活性化のヒントになることが何も提示できず、
建部の全体がわかったけど、もっと一つのもっと絞り込んだテーマを追及すべきだったと反省しています」
やはり若い人にとっては、街中の暮らしに十分満足しているんだと思いますし、働き場所がそこにあるというのが大きいでしょう。
大学卒業後、安奈さんがコープに就職されたのは、どういう経緯ですか
「そうなんですよね、私も農業をしたかったけど、農業経営学も学んだけど、農業をやるにしても自由にできないのがわかって・・・。
それで結局、何が好きかというと、人と接するのが好き、体を動かすのが好き。生協を選んだのは、大震災の時、一番に援助したこと、地域貢献しているのがいいなあって。
売るためではなく、自分たちのやりたいことを実現している企業だと思ったからです」
3年経って、実際はどうですか
「配達に行って、”いつもありがとうねー”とか”便利にしてるわよー”と言ってくださって、お客様の声がすぐに聞けるのが
いい。動いて喜ばれる仕事ってあまりないと思います。でも、いつまでも現場にいられるわけではなくって、これからはマネジメントの立場に立たなくてはいけないのが、
今、ちょっと辛いです(笑)」
仕事以外に、いろんな活動をしていますね
「下神目のおばあちゃん家で、”建部ほったらかし農園”というのをやってるんですが、これは、気ままに農業をやりたいのと、できるだけ自然を壊さないでということで。
去年、秋にはサツマイモ掘りをしたんですが、あまり実が成ってなくて、皆んな、がっかりです(笑)。
後は”アスエコ”の環境学習指導者に登録していて、
めだかの学校の授業なんかに参加してます。いつか自分でプログラムを組みたいと思っています」
いつも、どんな仲間の人たちと活動してますか
「”あこがれスタイル”というESD団体の仲間です。皆がやりたいことをやって、憧れられる人になると言う意味で、自分に自信がなくても、ありのままの自分を認め、そのためのコミュニティスキルを高めていくのが狙いです」
昨年7月の大水害では、御津の国ケ原の災害地でボランティアに出られましたね
「おかやまコープでも呼びかけがあったのですが、明日と言われても、行きたいけど行けなくて。近いところで、御津国ケ原ネットを見て参加しました。
自分が何もしていないことを咎めていたので、少し気持ちが楽になりました」
今後の活動の予定は?
「タケノコ掘りです、今、一生懸命、下草刈りをしています、でも、もうイノシシが掘ってて、あと、10日間で山の草刈りも済ませなくては(笑)」
がんばってください(笑)
【記者感想】
いつもノルディックスタイル、または自転車を押して、我家の前を下神目に向って歩いて行く。
「不思議な女の子だなあ」が我ら夫婦の印象。それが「里山建部」のイベントで見かけ、吉田の「れんげ祭り」では威勢よく杵を振り下ろして餅つき。
メダカの学校の催事では、アスエコの指導員と一緒に生きもの調査。
「何者なんだろう?」
答えは身近な所から。当新聞、勝部編集長が「うん、吉田に住む安奈ちゃん、昔から自然大好きで、今、卒論で里山をテーマに書いてるよ」
なーんだ、不思議でも何でもない、我家の前で見かけるのは、下神目のおばあちゃん家に行くため。
「自転車で45分、おばあちゃん家まで行くのが私のスポーツですよ(笑)」
他にも、吉田の秋祭りには神楽の主力の舞手とか。
7月の水害における国ケ原の農場復旧作業では、強烈な猛暑の中、水に浸かった肥料を懸命にスコップで除去する姿が見られた。
「細っこいのに、タフだなあー」ここでも、そのバイタリティに驚かされた。
体を動かすのが好きで、奥深い田舎で暮らすを夢見る、常に「なんでだろう?」と疑問を抱いては立ち止まる。やはり永遠に未知数、”不思議な女の子”である。
(三宅 優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
クリスマスシーズン到来。今や若い女性に大人気のクリスマスキャンドル、地元「めだかの学校」を拠点にキャンドル教室を開催、好評を博している勝部 志乃さんにご登場願った。
(取材・写真 三宅 優 三宅美恵子)
(プロフィール)
勝部 志乃(しの)
昭和51年、千葉県で生まれる
父(勝部公平)の転勤で保育園から建部町に。
岡山工業高校を卒業後、大阪デザイナー専門学校へ。
卒業後、大阪でデザイナー関係の仕事に従事。
10年間の大阪暮らしを経て建部に戻る。
その後、キャンドルに魅了され、めだかの学校を
中心に「キャンドル作り」講座を開く。
現在、印刷会社に勤務。富沢在住。
(聞き手・三宅 優)建部に来られてから建小、建中ですね。部活は何ですか?
「小学校はバレーで、中学はバスケ部でした。体を動かすのが得意で、勉強以外のカテゴリーが好きだった分けです(笑)」
でも、高校はデザイン系に行かれたわけですよねえ、創作することに興味があった?
「この間、建部のタイムカプセルが掘り起こされた時、私の作文が出てきたんですが、マンガ家かデザイナーになりたいと書いてありました。
自分でも、そうだったんだと驚きました(笑)、でも美術が好きだったのは確かですね」
で、卒業後、大阪に出て専門学校へ行かれた、専攻は何ですか
「広告デザインです、ポスターとかカタログ、チラシと言った媒体を取り扱う分野です。ちょうどその頃、マック(Muc)が出はじめで、
手作業からパソコン処理に切り替えていく頃だったんですね、授業の合間をぬって一生懸命覚えていきました(笑)」
その後、ずっと大阪で仕事に就かれたわけですね
「ええ、私の卒業時は就職が超氷河期だったので、デザイン事務所に勤めても転々とすることが多かったです。
毎日、夜遅くて、そのうち妹と二人で暮らすことになりました」
こちらには、10年ほど前に戻られて、市内の印刷会社にデザイナーとして勤務され、その間、キャンドルと出会ったわけですね
「7~8年前、倉敷に観光で行ってIBスクエアにあるキャンドル教室を知ったのがきっかけです。それから、教室に通って夢中になりました」
どんなところに、魅かれましたか
「そうですね、キャンドルベースから自分の好きな形ができて、飾りでも自分の表現ができるところですね。友だち同士で作って、共通の友だちに見せると、個性の違いが出て誰の作品だかすぐにわかってしまうんです」
子どもから大人まで幅広く指導されてますが、どんな時にやりがいを感じますか
「やっている時の集中した表情、自分にない発想に出会うのも楽しい。完成したときに、そっと見せてくれて、オッと驚かされるのも。
毎年、来てくれる人もいて、来るたびに進化している、そんなことが、やりがいにつながってますね」
キャンドル以外にも、地元を中心に色々活動をされていますね、ジビエ研究所にも
「元々、イベント自体が好きなこともあるのですが、里山でピザを焼いたり、よくあっちこっち、父について行って、売り子をしたりしてきたので、気が付いたらここまで来ていた(笑)。ジビエ研究所は平所員として、料理を作る方でお手伝いしています。料理は好きなので、市内の公民館で月1回、いろんな国の人が来て作る料理講座にも通っています」
これからのことについて、何かお考えですか
「一個、一個、楽しんでやって行ければいいなあと思います。甥っ子と姪っ子の相手をしている時が楽しいですね(笑)」
ありがとうございました
めだかの学校「キャンドル体験教室」12月9日(日)午前・午後の部
【記者感想】
言わずと知れた、お父さんは当新聞の編集長、勝部 公平。その長女でいられる志乃さん、8年前「リバーサイドバザール」を始めた頃からのお付き合いなのに、
何にも知らないまま、今日まで。12月のクリスマスを間近にすると顔が浮かぶ。いつもニコニコ顔でイベントやメダカの授業に出てくれていた。
その志乃さん、キャンドル作品を見るまでは、これほど繊細な感性の持ち主とは気づかなかった。そこで、あらためて話を聞くことに。
感想は、やはり創ることに喜びを見出せる芸術肌、一生をやりたいことで過ごせる性格の人。父上が何にも心配していない?のがよくわかった(笑)。
(三宅 優)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
岡山県でキュウリの生産出荷額20%を担う建部地域、そんな建部でキュウリのハウス栽培にチャレンジしている河端陽一さん。
若者の都会流出が加速する中、地方に戻り農業を志した意味をお聞きしました。
(取材・写真 勝部 公平)
(プロフィール)
河端 陽一(よういち)
昭和60年、建部町市場に生まれる(33歳)
高校卒業後、奈良県の大学に入学し、その後
企業に勤務。
3年前、父親が農業をスタートするのに併せ、
建部に戻り、就農。JA岡山建部胡瓜部会所属
現在、奥様と二人家族。
(聞き手・勝部 公平)大学を卒業後、30歳までサラリーマンだったのですが、どうして戻られたのですか
「はい、勤めていた時は、仕事も順調で、野球が好きなものですから、休日は仲間と草野球などをしながら楽しんでおりました。
しかし、父が自動車修理の自営業から農業に転身するというので、長男でもあるし、自分も独立してやってみたいという気持ちも起きて、一緒にやることを決断しました」
現在、どれくらいの規模で営んでいるのですか
「3年前、ビニールハウス1棟でスタートしたのですが、昨年に1棟、今年になって更に1棟、建てました。
キュウリの苗の植え付けで言うと、年間約900本から1000本です」
ハウス野菜では、温度管理が大変でしょう?
昨年から、寒中の2月植え付けの苗を加温無しでできないものかと、ハウスのビニールを二重にしました。その上に、もう一重、苗にカバーをして成育させています。キュウリは10℃以下では育たないので、このようにすることで15℃前後までは保つことができました。
気温・湿度の管理など一時も手抜きはできませんが、毎日の管理が基本とがんばってやっています。
先ほど、キュウリの出荷額が建部で20%を占めると聞き、驚きました
「ええ、実は、隣りの久米南町が県内出荷額の60%を占めていて、建部と合わせると県内の80%ぐらいがこの地域で生産されているのです」
短期間で、このように生産が伸びたのは、なぜですか
一つは、赤磐の方に非常にお世話になっている先生がおりまして、毎月のように通って、先生のハウスを見学しながら指導をうけております。
もう一つは、同じ世代の仲間と交流していることも自分の励みになっています。同じ市場の石井さん、川口の佐藤さんなどです」
最後に、今、抱いている夢は
「岡山だけでなく、全国に通用するキュウリを目指したいです。関東では、昔からの白い粉のついたような皮のやわらかい「ブルームキュウリ」の生産を大規模に
やっている人もおり、これから努力を積み重ねて、近づきたいですね」
ありがとうございました
【記者の目】
よく「ここは若者がいない」とか「若者は何をやっているのかわからない」といった声を町内で聞きますが、
ドッコイ、地にしっかりと足をつけながら、頑張っている若者もあちこちにいるのに感心させられました。
(勝部 公平)
建部で活き活きと活動する人にスポット。
昨年に建部中学で行われた中2の生徒らと地元の大人、そして町外からの大学生を交えて、これからの夢や希望について語り合う”だっぴ”という授業。その後の展開については度々、伝えてきた。今回の「たけべ人」は、主催者であるNPO法人~だっぴ~で、中心的メンバーとして活躍する小野田春花さんに登場願った。
(取材・写真 三宅優 写真・今田龍希)
(プロフィール)
小野田 春花(はるか)
平成7年、岡山市に生まれる(23歳)
岡山赤十字看護専門学校を卒業後、
看護師として勤務。社会人3年生。
昨年はアフリカ、ブルキナファソを視察。
幅広い視野に立った活動を目指す。
ユニセフスタッフ、だっぴメンバー
しゃぼんだま部 部長。
大の建部ファンでもある。
先月、公民館で開かれた「たけべ部」部会については、当新聞にてレポートをしたが、当日、ゲストの小野田春花(おのはる)さんが中学生に語った話を先に紹介させていただく。
(おのはる)「はじめに、”私としごと”について話します。
私は看護師の仕事をしています。それで、お金を稼いでいるわけです。でもそれが、私のすべてではないって、いつも自分に言い聞かせていました。それで思ったんです。
”仕事”って”仕えること”って書くでしょう?だから、辛いんじゃないかって。で、”仕事”を”私事(わたくしごと)”って当てたら、パッて、ひらけたんです。
私は一つの役割が看護師であって、他にもユニセフスタッフだったり、
シャボンダマ部、部長(笑)でもあって、たけべファンでもある。これらすべての役割が自分の”しごと”なんだって。
だから、いつか仕事についた時、”わたくしごと”って書いてみて?きっと楽になるよー」
「”私と幸せ”について。”幸せ”って、皆、どんな時が幸せ?
私も”幸せって何だろうって、ずっと考えたことがあって。でもいつの頃からか、
小さな幸せを積み上げて、”幸せ”ってなるんじゃないかって。外国とかに行って、そこが自分に近くなると、”幸せー”、自分が一人じゃないと
感じた時なんか”幸せ”って。
そうやって、考えてみると、私にとっての”幸せ”って、”つながり”が、私を幸せにしているんだなあって、思います」
「”私とたけべ”では、昨年、アフリカのブルキナファソって国に看護師として行ったんです。そこで、海外に行っても、やることは地域のことであって
結局、どこでも、地域でのつながりが大事だと分かりました。そこから帰って、たけべと出会っあたんです。
建中の”だっぴ”の授業に参加して、みんな、仲が良くって、地域の人も、”ここに住んでるぞー”と思ってるんだなって分って、たけべファンになりました。
それからは、お母さんとかと温泉に来たり、近くのお店とかに食べに行ったりして、益々、たけべとのつながりが強くなっています(笑)」
この後、おのはるさんの問いかけから、思わぬ展開に!!!次にそれを紹介
(おのはる)「ねえ、みんなが今、たけべでやりたいこと、こんなのがあったらいいのにとかって、ない?」
(生徒)「うーん・・・私、たけべにプリ機があったら、いいと思う!(大人たちΣ(゚Д゚))だって、たけべってなんにも、
楽しいモノってないじゃん、プリ機があったら、友だちなんかと皆で、喜んで行くと思う」
(おのはる)「ヒェー、それって、超、面白い!では、それが実現するためには、どうしたらいいかを皆で考えるってどうかな?」
(生徒たち)「いいよー」
こうして始まった、プリ機設置計画、その進展はこれから随時報告するとして、おのはるさんにあらためて質問。
「いくつかお聞きしたいのですが、まず”だっぴ”で中学生と関わろうと思ったのは、どんなことからですか」
「自分のことで考えると、中学生の頃って、つまらないことで悩んでいることってあるじゃないですか。進路一つとっても、狭い範囲でしか考えられなくて、
自分は何もできないんじゃないかとか。
でも、高校、大学とかになると、考えが拡がって、そんなことどうでもよかったんだって思えるんです。
だから中学生のあの時に、それがわかっていたらどんなに楽だったろう。それで大人とか、色んな人と話す機会を与えてあげられたらなーって」
「おのはるさんが、看護師になろうとしたのは何がきっかけ?」
「小2の時、弟が生まれて、その立ち合い出産をしたんです。すごいなあーと感動して、この職業を受け継ぎたいなーって思って、その時からです」
「アフリカに行かれて、地域のつながりを再認識したと言われましたが、その辺をもう少し、教えてください」
「私、もともと国際医療に興味を持っていたのですが、今回、ブルキナファソに行って、どこであれ、やることは同じだと分かりました。
たとえば、トイレを置きましょうと言って、でも国の中にトイレがないわけで、必要と思ってないわけです。だから、地域の中で、衛生についてや子どもの病気の原因となることなどを、分ってもらうことから始めるわけです。
これって結局、人と人とが理解し合うことで、それは、どこへ行っても、やるべきことは同じ、たけべでもそうなんだと思いました」
「これから建部と、どのような関りを持ちたいですか」
「そもそも、”だっぴ”に参加してた、生徒と大人の人たちの姿がいいなあーっていうのが始まりで、
今後のたけべについて考えるのも、一緒に考えたいなって思ったんです。
そしたら今回、たけべ部のゲストで呼ばれて、
大人として、どこまでやれるかわからないけど、でも、やってみたいなぁって思っています」
「ありがとうございました」
(記者感想)
プリ機が欲しいと言われた時は、さすがに記者も???、別な大人だったら、何をバカげたことをと一笑しただろう。
しかし、おのはるさんたちの反応は違った。
えっ、面白い!と興味津々で、次に、それはでも、なぜ?って聞く。それから、生徒たちの”プリ機”の奥にひそむ思いを、少しづつ引き出して行く。
記者も、その先にある「たけべをもっと、魅力的にしたいから」という願いが伝わった時、思わず「うまいなぁー」と感心せざるを得なかった。
建部で活き活きと活動する人にスポット。
(プロフィール)
鴨井 智士(さとし)
昭和53年、岡山市に生まれる(39歳)
大阪、青森で生活後、家族でフィジーに移住。
数年前、帰国し、富沢の実家で家族5人と暮す。
英語総合コンサルタント。「たけべジビエ研究所」所長
今田 龍希(たつき)
岡山市地域おこし協力隊 隊員(←詳しくは)
(聞き手 三宅優)「たけべジビエ研究所」を設立された経緯についてお聞かせください
(鴨井)「去年、猟をしてて、ただ獲るだけでなく、これを地域の資源として活かす方法がないかなあと考えたんです。
それでまず、肉として販売するにはどうしたらいいんだろうと調べましたら、処理場が必要とわかりました。
これには相当、費用が掛かるし、どうしようかなあと思ってましたら、岡山市で地域を活性化する補助金制度があることがわかり、
それを利用して施設を作れないかと考えました」
なるほど、それってどれ位、補助されるんですか
「最大で5分の4まで出るんですが、それで綿密に事業計画を組んでみたんですが、そうしたら、いくつか課題が出てきたんです。
まず一番は、猟期が短いという点です。11月中旬から3月の中半までの4か月しかなくて、猟をする人も少ない。それに合わせた施設の稼働と活動の為のランニングコストが掛かり過ぎるし、
我々の経験も少ない。順調に行っても、7年後・・・」
よその地域で取り組んでる例は、ないんですか?
(今田)「新見市や吉備中央町で行政が中心となって事業にして、商品化までやっています。建部では黒瀬農園さんと河本さんが、処理場を持ってやっておられます」
そうですね、建部の至る所で作物を荒らされて困ってるわけだから、
これを皆で取り組んで、プラスの解決策に導ければ最高ですよね
(鴨井)「そうなんです、で、そのために、やはり、いきなりではなく、ハードルを下げることにしました。当面は処理場に向けてのマンパワーを高めつつ、
団体としての会員を増やすことに重点を置こうと。そのための、活動資金として、単年度の補助金申請をすることにしました」
会員の条件とかありますか
「建部の地域に関らず、狩猟体験をしてみたい方やジビエ料理を習いたい方。地域内では、
獣害に困っていて自分の土地にワナを設置して欲しい方やしてもいいと言う方です。中でも、猟を一緒にして、仕掛けから解体まで手伝ってくれる方は大歓迎です。
ワナ猟の免許取得を考えてる人も、あと、イベントとかで活動してくれる人もうれしいですね」
先日の花火大会では、さっそく、”シシニクホットドッグ”の屋台を出されてましたね
(今田)「ええ、試作3回目のレシピです。シシ肉を黒瀬さんから購入し、市内の"グルマン ソノワ"さんに監修をお願いしました。
かなり完成度が高いと思います(笑)」
これからの活動とか教えてください
(鴨井)「9月に公民館講座でソーセージ作り教室、あと、たけべマルシェ出店、11月には狩猟体験会、レザークラフト教室なんかも、できたらなと考えています。当面、ジビエを普及することと、猟をやりたい人をこっちに引き込むことに軸足を置く活動をするつもりです。
猟の方では、今年は二人で20頭位獲りたいですね」
ところで最後に、お二人が猟に興味を持たれたのは、そもそも何がきっかけ?
(鴨井)「漫画の”山賊ダイアリー”を読んでからです(笑)面白そうだなあーって、そしたら岡山に来て、隣の重本さんが猟をやってて、
教わって、県の罠講習を受けたのが始まりです」
(今田)「僕は前から狩猟をやってみたいと思っていて、里山(建部里山)で鴨井さんと活動するようになって、はまりました(笑)」
ありがとうございました
会員募集案内(PDF)
たけべジビエ研究所←Facebook
(記者感想)
取材開始、いきなり鴨井さんが取り出した電子部品。
「これ、何だかわかりますか?」「??」
「これ、イノシシ罠に掛けておくと、掛かると知らせてくる装置なんです」
話し終わるとすぐに、スマホに「ワナにかかったようです」とのメールが。
自作の「捕獲お知らせ装置」
聞くと、ご本人、文系(英語教師)と思いきや、理系(IT)が専門。
それで納得がいった、何をするにせよ、物事を科学的に合理的に
とらえ、その上で前に進む。補助金ありきで「じゃあ何をするか」と
考えあぐねる、どこかの例(あくまで想像)とは一線を画す。
これに、調理師(今田さん)が加わったとなれば、
何やら・・・。
(取材・三宅優 写真・三宅美恵子)