事の発端は今年2月、JR観光列車「SAKU美SAKU楽」歓迎の打合せを「たけべ福渡しプロジェクト」とJR担当者とでした折り、期間について「8月までで9月はできないのでは」と担当者から話が出たのが始まり。
プロジェクトの藤原(福渡学区連合町内会長)が訊ねると「9月から改修工事が始まると聞いている」とのこと。
駅改修工事計画は2年前から話が上がり、そのシンプル化計画(こ線橋を残し駅舎建物すべてを取り壊す)について支所とも話合いを重ね、藤原と我々(記者含め福渡町内会役員)で去年3月JR支社に直接赴き、こちらの要望(十分な収容を持つ駅舎、2番線ホームの待合所の維持等)を伝えてきた、それが返答をもらうことなく工事スケジュールだけが進んでいると聞かされた。
JRのシンプル化がやむなしとしても、我々としては2番線岡山行きホームの待合所だけは残してほしい。乗客は圧倒的に岡山に行く人で、特に年寄りは陸橋をやっとこさ渡り、
早めにベンチに腰掛けて待つ、ましてや雨の時など傘をさして立っているしかない。
藤原の呼びかけで急遽、会議が持たれた。
「どうにもならんにしても、言うことは言わんといけまあが」(藤原)
支所とも連携し署名活動をすることが決まった。
4月14日、朝6時半、福渡駅にて駅頭署名を実施、慌ただしい中、それもわずかの時間でおよそ70名ばかりが署名に応じてくれた。
「まあ、そんなことになったら不便だわ」「屋根がないと傘を開くのにも濡れてしまう」「年寄りはイスがないと困るよね」
皆、口々に2番線待合所の必要を述べた。
署名は福渡学区(福渡、川口、下神目、久具、鶴田)で行われ、各自治会、多くの研修生が駅に降り立つ「友愛の丘ゼンセン」にも呼びかけ、活動が広がった。その数、1266名。
5月22日(木)、要望書と署名簿を持ち、藤原、三宅(記者)、支所長他、計6名でJR岡山支社へ行き、提出。
当日は先の福渡駅で開催された「福ふく市」に来てこのことを知った山陽新聞社が取材に入った。
話し合いの中では、こちら側から「待合所の重要性」や
「こ線橋を渡る大変さ」「岡山行きを1番線に変更できないか」「シンプル化で町の顔がなくなる」ことを力説した。
JR側からはこれからの生産性人口の減少を考えた上でシンプル化せざるを得ないこと、こ線橋撤去やホーム変更には莫大な費用が掛かることの説明がなされたが、
併せて2番線待合所に代わる手立てがないか検討するとの回答があり期待を感じた。
この度の「署名活動」を振り返り、藤原会長が話したのは「この活動で成果が得られなかったとしても、この地域がここまで一体となって動いたことに意味がある」
まさにそうかも知れない。
(レポート・写真 三宅 優)
すでに報道でご存じの通り、3月に起きた岡山市南区の山火事は鎮火まで20日間を要し、多くの人が経験のない避難生活を送られた。
そして今年も間もなく雨季に入りその後の台風シーズンへと突入する、いつどのようなかたちで着の身着のままの避難となるやもしれない。そんな折、今年で3年目となる建部中学校が取り組む中学1年生を対象とした「防災研修」が注目される。
5月13日(火)から2日間に渡ってのこの研修内容は1日目が「避難所づくり」「避難所運営」「防災食づくり」。
2日目が「救急救命訓練」「防災ウォークラリー」「成果発表」となっている。
その1日目「避難所運営」を取材した。
今回も地域の人が参加する避難所運営だが、昨年と異なるのは、あらかじめ生徒たちが設営した避難所を参加者が点検し意見を述べる点。(昨年までは、
参加者が避難者の役になり意見を言う)
午後1時半、体育館1階、武道館には地域の人たち20名ほどが集合。まずは、この4月から新しく赴任された大山校長先生からのお話。
「この研修では子どもたちが自分の考えの基で避難所運営をしていきますので、地域の方から見たご意見や良きアドバイスを頂けたらと思いますのでよろしくお願いします」
そして、これまでの防災研修を指導してきた片山先生からのオリエンテーション。
「今日は地域の皆さんにクジで4チームに分かれていただき、生徒たちが4グループになって作りました避難所を観ていただきます。そして、それぞれが作った避難スペースの理由を聞いていただき、それを受けて気づいた良い点、もう少しこうした方がいいといった改善点を生徒たちに伝えていただけたらと思います」
時間は1時間、受付で付箋(ふせん)が渡され、良いと思った点を黄色い紙に、改善点を赤い紙に書き込んでフィードバックし、地域の大人と一緒に作り上げていくのがねらい。
さっそく2階、体育館へ移動、受付へと進む。
受付では1年生20名が待機、参加者に避難食(水・アルファカ米)と付箋の付いたバインダーを手渡した後、4チームに分かれた大人たちを順次、決められた避難所へと誘導する。
「1グループ」は3つのテント、「高齢者用」「犬猫ペット用」「トイレテント」で構成。
工夫した点:「高齢者用」テントにダンボールで作ったツエを置いた。(これは、ありがたい)
「犬猫ペット用」テントにはダンボールのエサ箱を置き、「トイレ」テントには同じくダンボール製消臭スプレーを用意。
続いて「2グループ」こちらも3つのテント、「家族スペース」が2つと「トイレ用」
工夫した点:1つのテントにベッドを2つ入れ、つなげて広く使えるようにした。
イス、枕に利用できるダンボールの箱を用意した。
トイレにプライバシーを守れるようにダンボールでドアを作りドアノブも付けた。(おお、すばらしいの声)
「3グループ」は、テントなしオープンスペースにベッドが2つ。1つはダンボールで囲まれている。
まずテントを使わなかった理由:これは体育館に作るのではなく、教室を避難場所にして使えるように考えた。
ダンボールで間仕切りをしたのはペットを連れてきても良いようにゲージを作った。(なーるほど、そういうことか)
「4グループ」はテント2つ、「病人用」「家族用」共にベッドとダンボールで作った机、イス、ドア付きトイレ。
工夫した点:イスとテーブルを置きくつろげるようにした。
トイレも一緒なのでその中で安心して用が足せる。(まるで、ビジネスホテル並み!)
生徒たちの説明に大人たちから次々、感心したことや疑問点が投げかけられる。
「トイレスペースが広すぎるんじゃない、広いとかえって不安になるのでは?」
「消臭スプレーはたしかに必要だと思う」
「ドアにノブを付けたのはビックリした、よく考えられている」
「このスペースだともう一つベッドが入るのでは、より多くの人が避難することを想定した方が良いのでは?」
「イスが必要かな、それより物が置けるテーブルが必要では?」
「たしかに体育館だけでは対応できないので教室をペット同伴用に考えたのはいい考えだと思う」
「トイレは必要だがその処理についても考えてほしい」
「着替えとトイレをいっしょにしたらどうだろう?」などなど。
こうして説明を受けた大人チームはまだ聞いていない次の避難所へと移動。
あっという間に60分経過、大人たちのバインダーにはびっしりと赤黄のコメント。
「まとめ」はこれまでにも研修をアドバイスして来られた森田講師より。
「今日は短い1時間でしたが、1年生の生徒たちが真剣に考えてくれていることが伝わったのではないかと思います。実際、先月も山火事で港南では避難する人が出ました、いつ何時あるやもしれません、残念ですが今年もあると思うので意識を持って、その時には
今日の子どもたちと地域の人が協力してやっていってください」
閉会は始まり同様、生徒全員が受付に並び「ありがとうございました!」と感謝を伝えお見送り。
大人たちも顔をほころばせながら「ありがとうね、よくがんばったね」と口々にねぎらいの言葉をかけ解散となった。
記者感想:今回も内容の濃い防災授業だった。この4月に入学したばかりの新入生がここまでやれるとは、責任を持たされて自分たちの力で工夫を重ねて取り組んだ
ことが手に取るように分かった。地域の人たちも子どもたちの成長に大きな期待と安堵を持ったに違いない。
本研修を準備された先生、講師の方、お疲れさまでした。
(レポート・写真 三宅 優)
昨年秋より改装工事中だった岡山市環境学習センター「めだかの学校」が今年3月に工事を終え開館、そのリニューアルを記念した
オープンセレモニーが昨日、29日(祝)に開かれた。
午前9時には岡山市生涯学習課職員やボランティアが集まり懸命に準備を進める。天候はまさに五月晴れ、ひんやりした風がちょうど良いくらいだ。
この日のオープニングを飾る「市場真名井神社獅子舞保存会」のメンバーも到着し、いよいよ午前10時、開幕。
まずは岡山市教育長からの「リニューアルしためだかの学校の施設、高精細動画の新しい映像、そして建部の魅力を楽しんで」との挨拶、森田市議会副議長からもお言葉を頂き、続いてこの4月から「めだかの学校」に着任された平山館長からごあいさつ。
「この建部は自然がいっぱいです、このめだかの学校にも自然の生き物がたくさん展示されています。今日はそういったものと触れ合い、
また、さまざまな体験をして一日楽しんでください。
あと、館内には池とかあぶないところもありますので、注意してケガのないようにしてください」
(さすが、この春まで校長先生だっただけある、きめ細かな配慮)
広場を取り囲むように観客が輪を作る中、太鼓と鐘の音が鳴り獅子が動き始める。子どもから大人まで十数名からなる伝統芸能の披露、初めて見る人もきっと多いだろう。 演舞の最後は肩車をしての舞い「二段獅子」、観客から盛大な拍手が鳴る。
この日の体験イベントを紹介しよう。
「クイズラリー」いくつかのクイズに答え、その回答の一文字をつなげて言葉を作る。
質問1「ドジョウはえら以外でも呼吸ができます。その方法は何呼吸という?」(いきなり超難問?)
続いて当新聞編集長(勝部)やシルバー仲間で教える「昔あそび」コマ回しに水鉄砲、竹トンボ(コマ回しに挑戦したがうまく回らず・・・昔はできたのに)
「模造紙アート」は好きな絵を描いて切って張り付ける、「魚釣りゲーム」は本物の魚ではなく、職員手作りの発泡スチロール製。
奥の「おもちゃの館」では、建部町図書館による「読み聞かせコーナー」、見学に疲れたら、ここでゆっくりと読書の時間。
そして隣では記者(三宅)が旭川の石に絶滅危惧の生き物を描いた「国際動物会議展」を開催。
すでに「一つ私にください」と注文あり(笑)
会場内はその他にも見どころ満載。アユモドキの部屋では新作の超精密動画が映し出され、来た人の足を止める。
水槽を箱眼鏡で覗く子どもたち、「けん玉」を教わる子、「だるま落とし」、池の鯉とお話しする子ども・・・。
クイズラリーの答えは「いこうめだかのがっこう」、その通り今日の「めだかの学校へ行こう!」は大成功となった。
そろそろお昼、記者はこの後、昼食兼ねて「吉田れんげまつり」へと向かう。
国道53号沿い、吉田地区に入ると広い田んぼに一面のれんげ。その一角に白いテントが並び、活気ある人の姿。
モチを搗く杵に合わせ「ヨイショ、ヨイショ!」の掛け声、はしゃいだ子どもらの声。
テーブルでは知り合い同士で食事中、または歓談中。
ざわめいているのに、静寂さを感じるのは何故?
それは誰もがのんびりと、この時間を楽しんでいるから、この時だけは畑の世話も草刈りもなく「ゆっくり、しようやあ」
ずっと続いている「吉田れんげまつり」の原動力は自分たちが楽しむためのお祭りに徹しているところ。
参加者の顔が皆、微笑んでいるのは、まさにその証拠。
(レポート・写真 三宅 優)
岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催、「親子タケノコ掘り体験」が、富沢地区で4月19日(土)に行なわれました。
当初、4月12日の予定でしたが、今冬の寒さと雨不足のため地上に出るのが10日ぐらい遅れたので延期されたのです。
当日は前日の雨も止み、山の端からは朝日が射し、タケノコ掘り日和となりました。
今回は7家族20名の参加で、竹林にタケノコがニョキニョキでてご挨拶、スタッフの松本さんから掘り方の指導を受け、さっそく家族ごとに分かれスタート!
大きいのにチャレンジ、重いツルハシで「ヤー」の掛け声とともにぐさり!お母さんも子どもに負けまいとグサリ。
タケノコ掘りのあとはウドやタラの芽取りをして自然の恵みをいっぱいいただき帰路に着きました。今夜は、山菜や野草の料理で思い出づくりホッコリですね‼️
(レポート・写真 勝部 公平)
すごい朗報だった、里山建部が「春の祭り」を復活すると聞いて、
「えっ?どこに、そんなエネルギーを蓄えてたんだ?」
この5年、何もかもが止まってしまい、活力を失い、何よりも人のやる気を喪失させてしまった。
そんなコロナの大波に流された今日、「またやるぞー!」の叫び、それもほとんどのメンバーが後期高齢者。
この企画をした「森の育ての親建部・連絡協議会」会長で当新聞編集長である勝部 公平にその理由を聞く。
「やはりねえ、この5年というのは世の中を大きく変えた、特に地方と地域の元気がなくなった、持続可能を問う時代に気力が失せたら何も続かない。
だからね、老若一丸となって取り組もうとするその姿勢を見せることが今、大事だと思ったんだ」
活動をずっと共にしてきたスタッフの一人も、
「今まで誰かが狼煙(のろし)を上げてくれりゃあと思ってた、それが叶って今日は楽しみなんじゃー」と感想を述べる。
里山の朝は木立に差し込むやさしい光と鳥の鳴き声で静かに明ける、その里山に人の活気が伝わり始める。
開始1時間前、勝部の言う老若スタッフ40名が富沢、鳥越池周りに集合、祭りの準備に余念がない。
会場は2つに分かれる、メイン会場は展望台を望む東屋(あずまや)周辺の「お祭り広場」、第2会場は池に沿って下った「森の風広場」、
共に体験コーナーや飲食、休憩施設が用意されている。この自然と十分に触れ合えるよう入念に計画されている。
午前10時、勝部実行委員長による開会の宣言。 そしてお待ちかね「はっぽね太鼓」の威勢の良い演奏。 「ドドンド ドン 」山に響き渡る太鼓の音は建部平野へと広がっていく。
この日の出し物を見てみよう。
「お祭り広場」には、地元女性陣による「イノシシうどん」(なんと200円!)、鶴田地区からはアクティブ鶴田連合会による「ジビエコロッケ」、お隣には「建部ヨーグルト」、体験コーナーは「めだかの学校」主催による「巣箱づくり」、
自分で焼く「竹パン作り」、山すそではシイタケの「菌打ち体験」、「マキ割り機体験」。
「森の風広場」に歩を進めると、女性グループによる焼き立て「森のピザ」、手作りスイーツ「チュプ」、淹れたて「サニーデイコーヒー」。 そして今回注目のアトラクション、ポニーの登場、「ポニーに乗って里山散策」体験費無料!。
すっきり晴れ上がった空、気温は23度、観客たちは好き好きに自分時間を満喫する。
本部前では岡山県演奏家協会による「クラッシック演奏会のコーラス共演者募集」の呼び掛けが始まった。
建部在住の佐藤麻衣子さんら演奏家の直々の声かけに興味を惹かれた人もいたのでは。
先ほどから司会を受け持つのは若手ナンバーワンの花房君、軽妙な話術が得意。プードル連れてお祝いに来てくれたのは県議会議員、大塚愛さん、市議会副議長、森田卓司さんも駆けつけてくれて、このイベントへの期待度が伺える。。
正午にもなるとセーターを脱ぐほどに暖かくなる、建部ヨーグルト前にはソフトクリームを求める人が列を作り、マイクからは40分待ちの予約者へ「〇〇さま、ピザが焼けました」とアナウンス(笑)
池の周りでは家族連れがのんびりと昼食を取る姿、人と自然が素直に溶け込む風景に、あらためてこの活動の大切さを認識させられる。
午後1時、お祭り広場では餅投げに集まった大勢の人、秒読み開始、「2・1・ゼロ!」で山の中腹から紅白の餅がいっせいに撒かれる。
この5年の鬱屈(うっくつ)を思い切り解き放すかのように。
午後2時、多数の老若男女が豊かな時間を共にした「春の里山祭り」は「来年も会おうね!」を合言葉に幕を閉じた。
展望台ではまだまだ遊び足りない子どもらの姿が・・・(笑)。
(レポート・写真 三宅 優)
岡山市環境学習センター「めだかの学校」、昨今、ここの催す講座がすこぶる人気。7・8月に実施するサマースクールはもちろん、他に「タケノコ掘り」や「魚とり」など
、募集開始から申し込み電話が鳴りっぱなし。
前週(2月23日)行われた「親子環境フォーラム」もキャンセル待ちが多数。スタッフとしてはうれしい限り、これもひとえに館の運営を担ってきた武藤館長(今年で退任、お疲れさまでした!)と職員、ボランティア仲間のおかげ。
では先日、建部町田地子地区で行われた「令和6年度 親子環境学習フォーラム」のレポートをお届け。
2月最終の日曜日、朝8時半、すでに「めだかの学校」本館には親子連れの姿が何組も。
(記者)「何時に出てこられましたか?」
(保護者)「ええっと、7時過ぎには出ました」
と言うことは「6時起き?」「そうです、遅れないようにと」
う~ん、意気込みが違う(笑)
8時45分、受付を終えた親子9組28名は、それぞれの車で山間の道を10分のドライブを経て現地に到着。
会場となる多自枯鴨神社では現地スタッフが焚火をしてお待ちかね。
田地子区長で実行委員長の本田さんによる開会のあいさつ。
「みなさん、ここは自然に囲まれたとっても歴史の古い山村です、今日一日、いい思い出を作ってお帰り下さい」
さあ、スタッフ合わせて50名の交流体験が始まった。
まずは「花炭」の仕込み。「花炭」は松ぼっくりやドングリ、楓の実、藤の実など森の物を
スクモを入れた空き缶に入れ、密封して火の上で焼いて炭にするもの、消臭剤や玄関の飾りに使えて重宝する。
「A」から「I」まで記号の入った缶を各自が持ち、好みの素材を選んで入れる。
「スクモは敷く程度にしていっぱい入れたり、あまり大きいと焼き残るからねー」指導の勝部(当新聞編集長)が数十年の経験からアドバイス。
続いては「焼き芋」の仕込み。小山に盛られたスクモの上に立つエントツからはモウモウの煙。
子どもらはスタッフから渡されたサツマイモを手に水で濡らした新聞紙で包み、さらにアルミフォイルで2重にし、それをスクモの中に埋める。
「全部、作って入れてください、自分で作ったのが食べれるとはかぎりませんからねー」(スタッフ)
準備完了、あとは「火の力」と時間におまかせ。
自然工作タイム。「今日はね、竹鉄砲とヤジロベーを作るよー」
これも、子どもの頃から数えると60年以上の経験を持つ記者が説明。(そう言えば、この鉄砲で友だちと散々に撃ち合って遊んだものだ)
材料となる篠竹やドングリはこの近辺であらかじめ採取してある。
「竹鉄砲はね、この竹のこの部分を切り取って・・・」(あとの説明は長くなるので省略)
「じゃあ、撃ってみるよ」
固唾を飲んで見つめる参加者、そこへ「スパッン!」の空を切る快音、「おおー!」のどよめき(笑)
ヤジロベーの説明も終え、後は「僕、竹鉄砲やりたい」「私、ヤジロベー」と、てんでに開始。
始めは中々、完成に至らない。保護者の方も
「この持ち手がユルユルなんですが」
「ササの葉っぱとか詰めて固定すれば大丈夫」
「これ、どうして飛ばないのでしょう?」
「ああ、それは玉(濡れ新聞紙)のつめ方がゆるいから」
それでも10分もすると「ポーン!」と鳴り出し、子どもらも
「ねえ、見てて、見てて、やるよー」と活気づく。
ヤジロベーもこの道70年?の古本さん他、ベテランが指導。手早くドリルで木に穴を開け土台を作る。
ただ、竹ヒゴを火であぶり曲げたあとドングリを中心と左右に付けてバランスを取るのが意外と大人でもムツカシイ。
「これって、すぐに、落っこちてしまうんですけど」
ドングリの位置をずらし、左右が平衡を保つ点を見つけてあげる。
「あっ、やったー、できました」
単純だけどムツカシイ、でも出来るとすごく不思議でオモシロイ。
子どもだけでなく、大人も夢中になって遊んでいる間に、
「お~い、焼き芋ができたぞー」の声。
掘り出された銀色の包み、そこから出てきたのは黄金色に輝くサツマイモ。
ホッカホカを頬張ると「うう、うまーい」
手が止まらなくなって、もう1本、もう1本、
「このあと、お餅も焼くからねー」のスタッフの声もどこへやら(笑)
「花炭」の缶を下した後の炭の上で焼くお餅も味わって、親子は再び工作へ。
「スパーン!」「ポーン」と境内の空にいくつもの小気味よい音が響き渡る。
「これ、面白い、ハマっちゃったー!」
意外や、夢中でやってるのはお母さん(笑)
昼食はおにぎりと地元の方が作ってくれた具沢山の豚汁と漬物。
「おいしいね」「うん、ボク、お代わりしていい?」
自然に囲まれ、家族でいただくお昼ご飯、これぞ至福の時。
お腹もいっぱいになったので、午後から里山散策。
空からは小雪が舞い始め、「そら、歩け、歩け」と掛け声掛けて、本田区長さんのガイドを聞きながら40数軒ある田地子集落の田舎暮らしを見て学ぶ。
帰ってからは、引き続き本田さんから地域の昔の生活の仕方についてお話を聞く。
「昔は電気がないから、こうして炭を鉄鍋に入れてアイロンにしたり、コタツにして暖を取っていたんだよ」
このあと、地区で引き継がれてきたお祭りの神楽「棒遣い」の演舞を地元小学生が披露してくれた。
共に県外から移住して来た子と紹介を受け、参加者もビックリ(笑)
そろそろ閉幕の時、先ほどの雪も止み、「花炭」を開封。
「おお、きれい!」「あっ、ちゃんと、出来てる!」「これ見て、かわいい!」
それぞれに満足した様、閉会のあいさつは記者(三宅)より。
「みなさん、今日は楽しく過ごせましたか、たけべは自然がいっぱい、いろんな発見ができますよ、また来てくださいね」
と言うことで、また来年にお会いしましょう(笑)
(レポート・写真 三宅 優)
新年の冒頭で紹介した川原に石を並べただけで作る名画がその後さらに拡充。
当新聞副編集長(私)が本来の美術家として挑む、建部の自然をキャンバスにした石ころアート、その続編をレポート。
作品掲載のインスタグラムはこちら
まずは新作から。白く舗装された河川敷きに大胆にもその裸身を横たえ、振り向きながら微笑むのはルーブル美術館の至宝、ドミニク・アングルの「オダリスク」。
サイズも電車からも見えるようにと幅5m、高さ2.5mと超巨大。
最初にこの広いコンクリート面を見た時、すぐにここに「オダリスク」を描いたらどんなに面白いだろうと思った。
手掛け始めたのは今月上旬、寒風吹きすさぶ中(本人はそれほど苦にせず)、幾度となく壊しては作り直すを繰り返し2週間後に完成。
裸体の部分はコンクリートの明るい白をそのまま活かし、バックのカーテンはすぐ前の川原から黒い石を拾い集めた。
石はどれも形をなぞるために並べるのではなく、直観に従って無作為に並べる(笑)
尚、この作品は拡張工事の為、3月上旬に撤去の予定。
続いてはゴツゴツした石が埋め込まれた防護敷に並んだ3点。
左から俵屋 宗達「風神雷神図」中が写楽「市川蝦蔵」右に北斎「凱風快晴(赤富士)」
この強烈なベース(地面)に負けない図柄を考えると、やはり日本人の大胆さを証明するこの3人。
上流に歩を進めると「貧しき漁夫」(前回紹介)、その向こうに新しくミレーの「晩鐘」川向うの法寿山に夕日が落ちるのを借景にした。
手前の鍬の刺さった耕作地はそのままの地面を活かす。
そして次なる作品は今はないが、マネの「草上の昼食」。河川敷に続く桜並木と草地を見てピーンとひらめく。
襖のうえに緑の水彩を染みこませた障子紙、雨にも風にも弱いのでそそくさと妻に撤去される(笑)
撤去シーンはこちら(リール動画)
最後に”川原でアート”構想。これから出水期に入るのでこれらの作品は5月には回収、台風シーズンを無事乗り越えられたら11月頃、再開予定。
雨季から夏にかけては昨年、実施した「めだかの学校」での作品制作を計画しており、その時はまたお伝えしたい。
目指すは”石ころで日本を元気に”世界が建部に注目(夢は大きいほど楽しい!)
(レポート・写真 三宅 優)
(レポート・写真 勝部 公平)
快晴の1月24日、ボランティア7名で建部古道を整備しようと、鎌倉時代からの地域の石仏として信仰されていた阿弥陀様の整備を行いました。
花崗岩でできている摩崖仏の阿弥陀様は雨に弱いため、建部上の有志の皆さんが屋根を仕上げました。
昨日は、安全ロープの交換、坂道の階段づくりで作業は終了しました。この古道整備は岡山市の建部支所の支援で完成し、案内看板も新調され、春のヤマツツジが待ち遠しくなりました。
偶然、対岸の河川敷で石を並べる当新聞副編集長の姿もキャッチ(笑)
(レポート・写真 勝部 公平)
たけべ新聞10年目、その刊行の最初を飾ったのは今、当新聞編集長、勝部 公平が率いる
「里山建部」での新年会の模様、
里山も9年を経て様々に移り変わった。
今日、令和7年正月12日、建部町富沢にある「建部里山」キャンプでは仕事初めが行われた。
鳥越の池に響き渡るチェーンソーの轟音、里山のスタッフが切り出すシイタケの菌木の準備だ。
場所を移すとチェーンソーとは異なる地底に伝わる鈍い音。丸太の原木を割り気にする機械音。
近くではオノでそれを次々に割る若者スタッフ。
キャンプの行き当たりでは先ほどの割り木を軽トラで運び乾燥組み作業。
「これだけあれば、来年は充分、支給できるじゃろう」
勝部に聞くと今年も、何台もの軽トラが購入に来たそうだ。
「一休憩しようやあ」勝部の呼びかけで、それぞれ一段落した人らが焚火の<回りに集まる。
「いやあ、今朝は冷えたなあ」
「冷えた、冷えた、池も半分凍ってるもんなあ」
焚火の上の網に次々並ぶイノシシの骨、「まあこれでもシャブって休憩、休憩」(勝部)
全員が仕事を終えたのは昼も近い11半過ぎ、「お~い、みんなで記念撮影じゃー」
てんでに仲間たちが呼びかけ、
オヤ、オヤ。いつのまにか子どもたちも参加で3世代のシャッターチャンス!
みんな、それぞれに、いい顔で、さらに10年後の「里山建部」の継続、求む!!!!
(レポート・写真 三宅 優)
さあ自然をキャンバスにして、石ころ拾って並べてみよう。自由な発想、思いつきだけが頼りの一期一会の時間を楽しもう!!
去年、暮、建部町福渡河川敷の歩道に作られた「石で描く名画」、観るチャンスの無い方への誌上展覧会。
(以下、制作者である当新聞副編集長の解説)
建部町福渡旭川沿いグーグルマップ
建部町福渡の旭川河川敷は町民のお気に入りの散歩コース(愛犬たちも)、春は桜並木が続く。
その歩道沿いに「石を並べる」、川の風景を背景に。そんなことを思いついたのは去年の夏ごろ、北斎の「石で描く富嶽八景展」をやっている時だった。
何かもっと別の面白い表現はないか、そこで前から気になっていた旭川に浮かぶ川舟、どこかで見たような、何かを思い起こさせるシーン、「そうだ、あれは西洋美術館にある
シャヴァンヌの絵のイメージだ」突如ひらめいた(笑)
11月のある日、川舟をバックにとらえられる仮歩道のスペースをキャンバスに決める。ここなら人も通ることが、まず無いない。
制作時間は2日と決めていた、しゃがみ込む作業だし、あまり人目についてもやりにくいから。
石はその辺からバケツ3杯ほど拾い集める、これならこのまま捨て置いても問題ないだろう。
初日は舟の帆軸を描くに留める、これで全体構図が定まり、明日は早朝から一気に舟と漁夫を描き込むぞ。
結局、完成したのは翌々日、顔の部分で手間取った為。背後の川舟と同化するように絵に描かれた水平線は作らなかった。
石で描く「貧しき漁夫」ユーチューブ動画(22秒)
シャヴァンヌが19世紀フランスの写実派とすれば、ロシアのレーピンも同時代を代表する写実画家(但し、私の評価では共にB級)
この画家も川に住む人間を描いている。
「ヴォルガの船曳」、革命前のどん底の船曳人夫をむごたらしいほどに荒んだ姿で。
このイメージが浮かんだのは、以前、福渡のお年寄りから聞いた話。
「昔はこの旭川の川原にぎょうさん、舟を引っ張る者がおった、その者らは、ふんどし一丁で暮らしてた」
舟の行きかうところ、上流へ舟を曳く人間が必要だった。
制作場所は下流の歩道の行き止まり、ここなら車も人もやって来ない。
12月になって滅法冷え込むようになった、この場に立ち尽くせるのは午前中の陽のある時だけ。
今回はストックの石をバンに数十箱に小分けして運ぶ、何がどれだけ必要かまだ皆目、見当がつかない。
描く人間は10人。どの顔も品がなく悪相である、画家自身は聖人に見立てたらしいが、そこは写実派、実際の船曳人をそのまま描いた結果がこうなった(笑)
一人、一日のペースで進める。体に巻かれた皮のロープは裏山から拾った鉄赤色のゴタ石で表す。
制作から10日目、引き上げる舟をどこに配置するか、目の前の川からあたかも上がったような位置。
14日目、完成。しかし翌日には風で石が動き、動物の侵入した跡、再度やり直す(笑)
石で描く「ヴォルガの船曳」ユーチューブ動画(43秒)
河川敷で最も絵になる場所は八幡橋歩道橋の下、県の重要文化財指定の公孫樹がある公園。ここは木の幹にブランコを付けてフラゴナール風、またはヴァトー風、いやコロー風なシチュエーションが浮かぶ。
ただそうなると、石を並べるベースを用意しないと無理。ふと迂回する舗道の隅にイチョウの絨毯が敷かれヤツデが茂る一角、ここに何かのイメージが呼び起された。
ドガの踊り子が舞台裏から舞い出るシーン「これは面白い」
翌日、取り合えず思いつく白い石をいく種類か運び、座り込む。
何人か知り合いが通りかかり「ようやるなあー」とあきれたように声を掛けられる(笑)
3日目、ほぼ完成、写真に撮って細部を確認する、「似てないなあ、でもこれはこれで、オモシロいぞ」(満足)
おそらく、これが掲載された頃には石は壊れ、元の面影はなくなっているだろう。だから、それがいいのだ、また一から作り始める自分がいると信じてるから。
石で描く「ドガ踊り子」ユーチューブ動画(22秒)
(レポート・写真 三宅 優 江田 陽子)
編集長 勝部 公平
「読者の皆様には、これまでの「たけべ新聞」ご愛読ありがとうございます。まもなく10年を迎えるなんて、一番驚いているのは、編集者の私たちです。
この10年、建部の魅力を求め東西奔走したことも、わが人生の歓びですが、時間が経過していく中、自分の意識も川の流れのように、ゆったりと変化してきました。
少子高齢化や過疎化を憂うのではなく、その変化を楽しみながら歩めることができるようになってきました。
そういった意味で、これからも小さいローカル新聞を楽しんでもらえたら、至福の歓びと感じます」
副編集長 三宅 優
「たけべ新聞」が10年目に入る、その感想は正直「・・・辛かったなあ」(笑)。
それよりも新聞発刊からの社会の変化、SNSの隆盛で誰もが「現在」を発信できるようになり、当新聞が伝える「今の出来事」のニーズも減少、
逆に増したのは、そのSNSではカバーできない”地域を俯瞰できる継続したプラットフォーム"。
特に外からの「建部を知りたい」に応えられるだけのコンテンツ、そうした意味で「たけべ新聞」は今年も静かに持続を目指す1年になりそうです(笑)
12月7日..秋晴れの朝、旭川を眼の前に望む老人センターには建部町内の子供達が続ぞくと集まって来ました。
これは町内の有志でつくる、休日の子どもの楽しい居場所を提供しようという企画の第一弾です。
開会式が終わると、レクレーションゲームで友だちづくりや元気づくりでスタート。
今日の参加者は子ども30数名、ボランティアスタッフ15名、主なメニューは、旭川が見える広場で、初めての餅つき体験、河原で拾って来た石に自分の思いを創造しながら絵の具で絵を描いてみようとのストーンペイント企画です。
餅つきでは中田の皆さんのご協力を得て、全員で大きな声のかけ声をかけながら力強くつき、おばあさん、お母さんたちのボランティアのみなさんがつくった温かーいけんちん汁と出来たてのお餅を嬉しそうにほうばる子どもたちの喜びが伝わってきました。
大河旭川を見ながらのストーンペイントでは子どもたちの大きな想像力に驚嘆、大自然の中での活動、子どもたちの生き生きとした躍動感が伝わって来ましたよー‼️
(レポート・写真 勝部 公平)
令和6年11月24日(日)、いよいよ「たけべマルシェ」開催の日だ(ヤッター!すごいぞ、今回で7回目)
午前9時、会場となる建部町文化センター裏の旭川河川敷にはいくつものテントが並ぶ。
記者も昨年同様、体験コーナー(ストーンペインティング)で参加。
さぁて、私のコーナーは相棒に任せて、さっそく出店者のテントをチェック。昨年は忙しい中、写真漏れがいくつも出たので、早いうちに収めておこうとの反省。
案内パンフによると21の「たべもの」部門、10の「ざっか」他に子どもの運営するお店が複数、体験もあるしイベントも組まれている。
では今回の「たべもの」部門を紹介しよう。
尚、写真はお店によって出来不出来があるので寛容に願いたい(笑)
上段に構えるのは、「Curry NaNa」さん、昨年も出店、カレーとコーンスープのお店。
「田渕商店」さん、国道53号に店舗を構える話題のお店、焼き芋アイス・焼き芋ブリュレが売り。
「建部ヨーグルト」さん数々の賞を獲得した建部を代表する企業。ヨーグルトソフトクリームが人気。
「サニーデイコーヒーさん」今年で9周年、当新聞と同じ年、今や地元のみならず県内全域からのお客さん。
「岡山県青年団協議会」さんたけべ新聞とのおつきあいも長いメンバーによる「わたがし」販売。ガンバレ、ノンちゃん。
ネパール家庭料理のお店「ダルバート」さんは今回、初の出店。チャパティのアレンジが楽しめる。
下の芝生ゾーンでは、「タコ ROAD」さん、建部中学「たけべ部」による「たこ焼」製造。福渡町内会のたこ焼師範、窪藪さんの
指導を受け実習を重ね、さてそのお味は(笑)?
「ケーキハウス キシモト」さん、こちらも建部を代表する洋菓子の名店。53号線のお店では「建部ロール」がおすすめ!
菜食印度カレー「いなほ屋」さんとも長いお付き合い。インドで修業した薬膳カレーの草分け的お店。
建部町吉田地区からは「吉田バンブーの会」さんが「よもぎ餅」と射的で楽しさ演出。
「くらしとおやつ 茶の間」さんは、焼き菓子とドライフラワーをご持参。
「コハタビ」さん、自家栽培の新鮮野菜がずらり、野菜スープも提供。
「ロクタン食堂」さん、チキン南蛮のプレートに食欲をそそられること請け合い!
「FARM HOUSE」さん、ラップサンドとトルティーヤチップスが人気、様々なイベントやマルシェで活躍。
「煎ルガ&ブラウ」さん、スペシャルティコーヒーのお店、店頭メニューからはこだわりが伝わって来る。
「ひだまりプリン」さんも初の参加、低温殺菌牛乳で卵を使わないミルクプリンを提供される、楽しみ。
ナチュラルスイーツ「チュプ」さん、記者が建部に移住して以来のお付合い、焼菓子、わらび餅、スコーンなど自然素材を生かしたスイーツが魅力。
「ふくみ家」さんは、チャーシューラーメンと唐揚げ、お店の人気もあって行列必至。]
石窯ぱんや「nico」さん、こちらも建部に移住して以来15年のお付合い、自家製ピザ窯で焼いたピッツア、パンが大人気。
同じく石窯パン「雪bolo」さんはパン、焼き菓子、シュークリームなどメニュー豊富にラインナップ。
「かむいや」さんも初出店、手作りソースで作る「富士宮やきそば」に注目!
パン屋さんが続きます、初出店「焼き屋」さんは石窯でカンパーニュなど種類豊富に品ぞろえ。
次は「ざっか」のご案内、「ice green」さんは、ドライフラワーを使ったリースと森の小さなスワッグのお店。
「SONGBIRD FLOWER」さん、園芸植物、鉢植え、植木を取り扱うお店、緑いっぱい。
「nun nun」さんは昨年も参加、水引を巧みに使った美しいアクセサリーや小物が魅力。
「Nux inglans」さんも、さまざまな手作りのアクセサリーを展示販売。
「Shu-Ryu」さんは地元からの出店で、あみぐるみ、レジン雑貨、他にキャンディバッグワークショップを行う。
お次はと見れば「おやおや、これは先生、今日はどうされたんですか?」福渡にある養護施設「葵の園」の市場先生(お医者さん)ではありませんか(笑)
「今日は私の焼いた備前焼を持ってきました」と言うことで「備前焼 しょうぶん」さんは食器の焼き物の展示。
「moin moin+mica」さんは、かわいい―雑貨をズラーり、と・・・。
木製食器の「ilo」さん、木の手触り感あふれる食器が並びます。
お隣は妻(当新聞グルメレポーター)が働く「なでしこ共同作業所」の小物と「さおり織」の販売。
その前は、地元でお世話になる民生委員さんの「オレンジリボン」啓蒙のブース。
そして、このマルシェ一番の盛り上がりは、子どもたちによる手作りのお店「こどもちっちゃ市」
広場中央にアクセサリーやボンボン、写真立て、ビーズ小物など子ども手作りのお店がズラリ。
「いらっしゃいませー」の声が方々から聞こえる。
「chenge」は、衣服交換会、持ち込みも大歓迎。
お店を一通り回った頃には来場者がグ~ンと増えて、買い物を手にした人で笑顔があふれんばかり。
食べ物やさんにも長い行列が出る店も、記者の「ストーンペインティング」も満席で、あわてて今日の本業に入る(笑)
腹ごしらえを終えた午後1時からは野外ステージでのイベント2本。
まずは建部ナンバーワンのエンターテーナー「建部はっぽね太鼓」の演奏から。
「ドドド~ン!」まさに腹に響き渡る太鼓の音。
大拍手を受けて次なるは「多自枯鴨神社」の棒遣い演舞。親から子へと受け継がれた伝統芸能の重さが観る人に伝わる。
時間は2時を過ぎ、時折、吹く風も冷たさが増し始めるが、観客はじっと座ったまま踊りの一部始終から目を離さない。
そろそろマルシェもフィナーレを迎える時間。
「ありがとう、また来年ね」仲間たちの声が晴天の秋空に飛び交う。
丁度、その頃2時半より文化センター大ホールではこの日、建部町文化祭のビッグイベント「岡山ヴェルディ」の演奏会が開かれていた。
これもコロナで6年ぶりの開催だが、戻ってきた日常を喜び合う町民たちの姿が印象的だった。
最後も観客全員で歌う「ふるさと」で締めくくられた。
(レポート・写真 三宅 優 )
11月24日(日)、秋晴れの「たけべ古道」ウォークに参加した20数名、めだかの学校が改装工事のため、駐車場で開会式を済ませ、刈り取りが終わった建部平野の田んぼ道を通り、小高い妙浄寺前まで散策気分でウォーク、いよいよ山道の登りです。
サクサクと足音が聴こえる落ち葉の道を進むと大きな花崗岩の32号古墳、千四〜五百年前6〜7世紀に造られたと推定され、いにしえの歴史が秋風とともに感じられ、次々と古墳が登場し、子供たちは興奮気味。
今回の参加者は、子育て中の自然体験が大好きな親子グループ、最年少は2歳の子供さんです。もう一つのグループは、歴史や考古学が大好きな30代から70代の歴史探偵面々。
20数年前に岡山大学の考古学グループで、古墳発掘に学生時代にこの山の古墳探しをしたという重鎮まで多彩なメンバーの仲間の皆さんのチームでした。
自然が大好き、悠久の歴史が大好きなメンバーのたけべ古道ウォークでした。ちなみに2歳お子さんはお母さんの抱っこ紐に抱かれて
完走しましたよ、バンザイ!!
(レポート・写真 勝部 公平)
秋晴れの11月10日、20人ほどの親子の歓迎は秋の田んぼで収穫し、たわわに実った稲から出たもみ殻を焼いて、もくもくと白い煙をたなびかせての歓迎です。
さっそく、黒く焼けたもみ殻の中に銀紙にくるんださつまいもを参加者一人一人が入れ仕込みます。
焼き芋ができるまでの間、里山の自然観察をしながら里山学習、里山に生息している動物や昆虫、ようやく色づいてきたもみじ、出番が来たよーとキノコ類など自然の歓迎に感動!
今度は竹とんぼ作りや竹切りの道具を使っての体験、クライマックスはロープクライミング、チャレンジ旺盛な子供達。
最年少は5歳の子供さん、日本も安心ですねー、最後は、ホッコリ甘い焼き芋をいただいて、秋の里山を満喫した一日でした、
(レポート・写真 勝部 公平)
里山の自然や森の環境整備や里山文化の継承、多彩な遊び場の活用を目指して活動している「里山たけべ」。
今日は建部の「鎌あげ祭り」を開催、午前の最初は会員が伐採した木の玉切り(運びやすく短かく切る)運搬、椎茸の原木の入れ替えなど定期作業を終えました。
そうして「鎌上げ祭り」です、お米の豊作に感謝する神事。手刈りしていた時代には稲刈り鎌を祭壇に祭り豊作と使用した道具への祈りをささげていました。
その後はお楽しみ、無礼講の交流会です。
参加者のファミリーが作った特製カレーうどんやホルモンなどのバーベキュー、子供達は自然のフィールドで遊び、お母さんたちは井戸端コミニケーション。
こんな風景が里山生活なうるおいなんですねー!
(レポート・写真 勝部 公平)
2024年10月13日(日)昼、号砲、「それっ、建部祭りだ!」
岡山県指定重要無形民俗文化財、備前建部郷秋季大祭「建部祭り」は、いつ始まったのか。市の観光ページを見ると起源は不詳、近世(江戸時代1700年代)には参集の記録ありと書かれてある。
いつからやってきたのかわからないが、とにかく数百年は続けてきた、とんでもない頑張りだ。
その頑張りが、あの「コロナ」で途切れたことは致し方ない、ほとぼり冷めれば見事に復活、昨年の隆盛はいまだに頭に残る。(昨年の模様動画93秒)
そして今年もすごい力の入れようらしい、岡山駅コンコースの大型テレビでは連日「建部祭り」を放映とか。
それでは、建部っ子が三度の飯を忘れても、これだけは忘れない、
「建部祭り」の始まりだー!
2024年建部祭りの模様 (ユーチューブ動画 99秒・江田侑生 撮影 )
この日の天気と言えばまさに”お祭り日和”。岡山市北区建部町建部上にある「七社八幡宮」前には続々輿守や神楽の演舞者が集結。
鳥居前には「宮地神社」(宮地)「天神宮」(中田)「佐久良神社」(桜)「七社八幡宮」(建部上)「多自枯鴨神社」(田地子)「真名井神社」(市場)「富沢神社」(富沢)「天満天神宮」(久具)、八つの郷からなる神輿(みこし)が並ぶ。
白装束の輿守たちの飛び切り明るい声が飛び交う。
「おお、ノブちゃん、久しぶりじゃのうー」
「おう、イッちゃん、元気じゃったか―」
鳥居内に並ぶ色とりどりのテントからは、「串焼き」「タイ焼き」「タコ天」「黄金唐揚げ」の匂いがプンプンと立ち上がり、
お祭り気分はさらに盛り上がる。
開始まで30分、すでに上の境内には、始まりを待ちわびる沢山の人。
12時50分、お囃子が鳴り神楽が動き始める、同時に棒遣いも演舞に入る。演奏、演舞を受け持つのは大人とそして大勢の子ども。
夜を徹して行ってきた練習の成果が今日、現れる。
「今年はなあ、コロナもなくなって、しっかりと練習ができたんだって」
見守る親たちの自慢げな顔。
そして号砲、いよいよ宮入(みやいり)の始まり。
先頭は建部上「七社八幡宮」、行列に続き獅子が往き、笛と鐘、太鼓が進む。
やっとのことで随身門をくぐり抜けた神輿(みこし)、この御神幸、最大の難関だ。
次々と各社の列も後に続く。
数千の観客が待ち構える馬場に到着した神輿は、そのまま場内を練りまわり、一気に御仮屋へと駆け上がる。
が、まだ勢いが足らんと押し返される神輿、「よっしゃ、じゃあ本気で行くでー」と更に全力疾走。
そのうち「暴れ神輿」の異名をとるのでは?とばかりの神輿がやって来る、馬場の四方八方を駆け巡り、坂を上ること8回、
「もういい、もう十分!」と総代が宥めるも「まだまだー」と駆け回る、これには観客も大喜び。
こうして無事に御仮屋に納められた八社の神輿、神官たちによる「祝辞奏上」を終え、祭りの華である神楽奉納へと進む。
最初の奉納は中田「天神宮」の神楽。4体の獅子がいっせいに右に左にと首を振り、両手を広げ足を揚げ舞い踊る。
一糸乱れぬ動きに観客の目が釘付けになる。
背後にズラリと並んだ子どもたちのお囃子隊、こちらも揃いに揃った音色を響かせる。
2体の獅子は踊りながらさらに御仮屋へと上がる。
馬場では他の奉納神社による獅子舞が始まった。太鼓や笛の音が何倍にも大きくなる。
いつの間にか、溢れんばかりに増えた観客、外人さんの顔もチラホラと。
「もう、お盆にも正月にも帰らないのに、祭りだと言うと帰ってくるのよ、うちの息子・・・」
こう話す、お母さんの顔は嬉しさを隠せないでいる。
そうして、あらためて会場の人を観ると全員が晴れやかな顔で微笑んでいるではないか、一年に一度の祭りを心から楽しんでいる。
「多自枯鴨神社」の棒遣い奉納が始まった、小さな女の子も交えての演舞だ。
「カーン」小気味のいい音が大木を抜けて空へと響く。難しい振付を大人に教わりながら練習をしてきたと言う、そのことが観る者にも伝わってくる。
取り囲んだ観衆全員で惜しみなく拍手をして応える。
まだまだ演舞は続く。「3段神楽(継ぎ獅子)」舞手が肩車をして高い位置で舞う。これも4つの奉納神社による演舞。
大型の望遠カメラを首に下げた写真愛好家と思しき人ら、「いやあ、見ごたえがありますねえー」
「大したもんじゃー、毎年これをやるんじゃから」
聞こえた記者も「そうでしょう」と、つい口に出そうになる(笑)
いよいよ(何度も使うけど、いよいよホントに)フィナーレの「高々」。御仮屋に勢ぞろいした輿守たち、これから一挙に神輿を下へと運ぶ。
「ワッショイ!ワッショイ」の掛け声で神輿を担ぐとダダダダーと真砂土を滑り降りる。
一列になった8つの神輿、それが次に「ウォー」の叫びと共に神輿を両腕高く持ち上げる。どこよりも高くと、つま先立つ輿守たち。
こうして令和6年「建部祭り」はケガ人も出ず(多分)、最高の盛り上がりを見せて閉幕となった。
「また来年なー」とマイクで呼びかける井口代表の声もチョッピリ寂しそう。
七社の神輿が帰路に着いた後、境内では最後の神楽の奉納が催されていた。
「今日、まだ踊ってない子は、今、踊れよ、もう来年まで無いぞー」
指導に当たる大人の呼びかけに、子どもが応じる。
「そう、悔いのないように、今を踊れ!」
(レポート・写真 三宅 優 撮影協力・江田 侑生)
建部井堰 ←グーグル地図
9月も終わりに近づいたというのに、日本中が夏を背負ったまま汗の掻き通し。今日(26日)も午前9時には、眩しいくらいの太陽がここ建部平野を照らしている。
今年の米作はどうだろう、すでに刈り入れが終わった農家もあるが、価格は高めに動いているようだ。
まあ米に限らず、農業者の大変さを考えると日本の作物の価格は低すぎる。
消費者にとっては負担だが、輸入に頼らず国内生産を高めていくことは今もっとも重要だと思う。
そんな作物の栽培になくてはならない”水”、水の大切さは古今問わず変わらない、世界を見ても”水”を求めて諍いが繰り返されてきた。
今日、そんな”水”をめぐる先人の知恵の結集とも言える、世界かんがい施設遺産「建部井堰」
の説明看板と記念碑の除幕式が行われた。
建部町を流れる大井手用水路は全長7キロ、旭川の南100ヘクタールもの水田を数百年に渡り潤してきた。
水の取り入れ口となっているのは上流の旭川中央に設けられた石組、全長650mの建部井堰。丁度、当時の備前国と美作国の国境に沿って造られている。
造られた年代は定かではないが、1721年の史料には書かれているとのことで300年以上前と推測される。一説には1628~1630年に一帯の米の収穫量が増加していることから、さらにさかのぼること400年とも。
いずれにしても、井堰の長さとしては日本一、それだけでなくその保存状態は日本の他の石組井堰がコンクリートで改修されたのに比べ、ほぼ昔の石組のまま現役で使われていること、このことが評価されて平成24年に公益社団法人土木学会の「選奨土木遺産」に指定。
そして昨年11月には「世界かんがい施設遺産」に認定・登録、今年になって岡山市重要文化財(史跡)にも指定された。(もう残るは世界遺産登録のみ!)
午前10時、建部町品田にある建部井堰、水門前に設けられた式典会場にはこの日、招待された地区代表や関係者30数名が参席、除幕式に臨んだ。
開会の挨拶に立った大森岡山市長は「この場に立って頭に浮かんだのはNHKのプロジェクトXです(笑)。一説によると1628年から米のとれる量が増えている、と言うことは400年の間、人々が米を増やそうと維持されてきたそのことが評価されたと思う」と述べられた。
調査にあたった岡山大学、樋口准教授の概要説明では、2008年から4年間、一ノ口井堰を守る会と協力して調査をしてきたこと、造られた年代は1721年の書物の記述が最も古く、
美作側を刺激しないように川の中央で途切れた「片持ち式」の斜め堰になっている、巻石構造が津田 永忠が関わったとされる日生(ひなせ)の「元禄防波堤」に似ていることなどが説明された。
そしていよいよ除幕式。まずは道路の降り口に作られた「超大型説明看板」。
白い布の前に市長他が立ち「号令」と共に紅白のひもを引く。
「おおー」のどよめき。鮮明な写真と白くクッキリした説明文が目に冴える。
続いて記念碑、すでに建つ「土木遺産」の記念碑に並んで据えられている。
これも市長他の方々により除幕。
「ほー」、こちらは石造り、味のある素朴な絵が象徴的。
この記念碑を製作したのは地元企業の「岡本石材」、施工したのは同じく地元の
「小坂田建設」共に式典に招かれ、紹介を受けた。
一連の式典が終わり、参席者は改めて井堰の上流へと足を運ぶ。あふれた水が勢いよく本流に落ちる様が暑い日差しの中で目に心地よい。
400年前と同じ水音を聞きながら、人が積み重ねてきた営みの深さに思いをはせる。
近隣の田では黄金の稲穂がこうべを垂れ、その上をトンボの群れが飛び交っている。
追記:帰宅後、記念として頂いた品を見てうなった。地元「建部米」の袋詰め、減農薬50%、化学肥料不使用のまさに建部井堰が導いた水で作られたブランド米である。
この一連の記念事業に力を注いだ建部支所職員の熱意が伝わって来る。
もう一つ、同封されていたのは今年9月28日より配布予定の、岡山市の魅力を伝える文学情報誌「うったて」に掲載された、
郷土の作家、小暮 夕紀子さんによる「建部井堰」訪問のエッセイ。
わずか2ページの文面に、井堰を取り囲む風景からその成り立ち、はたまた上空から見た井堰の姿を長い尻尾を持つ爬虫類に例えるなど、旅心が誘われるお話が綴られている。
建部は今、世界に向けて新しい時代に突入したと言える。
(レポート・写真 三宅 優 写真 岡山市作成 記念式典配布資料より)
(参考文献:岡山市作成「建部井堰」パンフ)
最近「フィールドワーク」という言葉をよく耳にする。
ネットで調べてみると「学校の教室や研究室といった室内で学ぶ教育とは異なり、戸外に出て調査したり聞き取りをする中で学ぶ」と言う意味が書かれている。
確かに記者(三宅)が子どもの頃は勉強は学校の机の上でするもので、外は遊ぶためのものだった
しかし子どもたちが外で遊ばなくなり、近所の人らと触れ合うこともなくなり、そうしたことで本来、遊びが持っていた”体験からの学び”が薄れてしまった。
今の若い親世代は、川に潜って魚を取ったことも、ヘビにかまれたことも、人の家の柿の木に登って枝が折れて怒られたこともきっとないと思う。
その親たちに育てられて成人した若者たちは、外のこと、すなわち自分を取り巻く環境について体で理解している部分は少ないのかも知れない。
9月12日(木)、建部町川口出身の奈良教育大学 准教授、河本大地さんによる「フィールドワーク論」の授業がここ福渡で、ノートルダム清心女子大学、文学部 現代社会学科の2~3
年の学生さん11名が出席して行われた。
集合は福渡駅、9時45分生徒さん全員が電車(汽車?)で到着。
地元からも支所職員の友谷清志さん、福渡在住の松下りえさん、そして記者が案内役で参加、大地さんのお父さん、福渡町内会副会長もお出迎え。
さっそく「行くぞ!エイ、エイ、オー!」を連呼(笑)。
と、元気を見せたのだが、外はすでに痛いほどの陽射し、体力的にどのように巡るのが効率的か、イヤイヤ、どこで昼食にするかが問題だ・・・学生さんの希望は1位「Yamada deli」(やっぱり、ね)
ただ、10数名を一度に収容するのはできないし、予約も不可なので・・・。
取り合えず、一番大変な「法寿山」山歩きを終えてから考えようと、一行16名はフィールドへと歩を進める。
*以下、中期高齢の記者(三宅)による”耳からレポート”、勘違い、聞き違い、理解不足に知識不足、多々あることをお許しください。
最初に寄ったのは建部町図書館、「えっ、山に向かうんじゃないの?」
記者の戸惑う中、すでに「大地流フィールドワールド」は始まっていたのだ。
(大地先生)「みなさん、私はその地域を回るとき、かならずそこの図書館に寄ります、なぜなら、そこに
地域の書籍コーナーがあるからです。それらは地元の歴史や文化を理解するうえで、とても役立ちます」
「な~るほど、最初にそこにある図書館に行く、確かに」むやみやたらに歩き回わっても何も見つからないわけだ。
次に立ち止まったのは「福渡第2保育園」、7年前に園児数が達せず閉園となった。
この園にわが子を送り届けた親、ここを巣立って行った園児、だれもがこの荒れ果てた園舎に過ぎ去った記憶を重ねずにはいられない。
突き当りの道が津山と岡山をつなぐ「津山往来」その前に立つのは自転車屋、今や町で唯一、ここがなくなったら、町のチャリンコはリカバリー不能、郵便局の配達バイクもここでオール修理。
津山往来を右折、国道53号に出て八幡歩道橋を渡る。ちょうど橋の下辺りに昔、「行こうか岡山もどろか津山ここが思案の深渡(ふかわたし)」と言われた渡船場(八幡の渡し)があった。
旭川の深場があった場所、そこから派生して「深渡し(ふかわたし)=福渡(ふくわたり)」になったと言われる。見事にそびえる大木は県の重要文化財「公孫樹」
振り向くと橋の中ほどで先生は学生たちに何かを説明しようと立止まったまま(笑)
「江戸時代、ここは旭川の真ん中で北と南、北は津山藩、南は備前に分かれていました、そこで、この上流に
長い堰を設けて川の水を向こうの備前側に引いたのです。一説には津田 永忠が関わったとされています」
目的の法寿山を目前に一行は”立ち止まることも多し”(笑)
備前側に渡り川沿いの歩道を歩く。
「いやぁ、この歩道が広くなったので、ほんとに助かります」そう言えば以前は細い危険な道だった、大地さんの言葉にそんなことも忘れていた自分を発見。
「これがその用水で、この上の岩壁はお題目岩で”南無妙法蓮華経”の字が彫られていたのですが、昭和9年の雨で崩れてしまいました」
記者からは「今はこのように防壁工事がされて、その様子(十字の杭)から”ロザリオの壁”と呼ばれています(笑)」
そうして法寿山の登山口、七社八幡宮に到着。
まずは、目下、開催中の「たけべ満喫クイズラリー」のスタンプをゲット。(でも、これって、絶対、地元の人が有利だよね?)
そこから、この日のためにと地元の人らできれいに刈ってくれた山道を登る。
学生さんたちはというと、意外に健脚ぞろい、「もう疲れたー」の声が出るかと思いきや、
「あっ、あっ、見てこれ、紅いキノコ!」「あっ、ここにも」と自然観察にも余念がない(笑)
ほどなく、目指すビューポイント「阿弥陀様」に到着。ここから旭川と福渡の家並みが一望できる。
北に通じる”津山街道”もクッキリ、ちょうど列車が鉄橋に差し掛かり、まさに撮り鉄さんもうらやむ光景。
先ほどまでの火照った身体も下からの涼しい風で心地よくなる、と、なるとやはり「あ~、おなかすいた」と誰の頭にも同じ思いが浮かぶ。
友谷さんの機転で「もう、下の八幡温泉で食事したらどうでしょう、みんな入れるし、予約しておきますから」
もちろん、この場においては反対する者なし、全員賛成!(笑)
目の保養もできたし、これから回る福渡の町の全景も把握した、あとは一気に境内へ。
お神輿が据えられる仮屋の前で友谷さんより10月13日(日)に行われる「建部まつり」の説明を聞く。
「たけべ八幡温泉」は源泉かけ流しである、その評判は年々増して、平日でも広い駐車場がいっぱいの時がある。それとレストラン、町の人らも何かにつけてここで昼食をとる人が多い。中でも日替わり定食は980円でその品目とボリュームで大人気。
「よっし、今日は日替わりにしよう」と固く決意した(?)学生さんたち、だったが、「残りあと4食です」の無残な通告(笑)
では、と、奮発して「八幡御膳」のボタンを、が「えーっ、これも終わっちゃったの?」敗北(笑)
その点、記者は地元にいて情報は確実、「天丼」をお願いする。(この天丼、カリカリ感が最高、タレが若干、辛目だが、これは食べるに値する!)
今日の昼食番付、どうやら、それぞれ別々のメニューになったようで、互いが互いの注文した料理が運ばれるたびに、「うゎー」とか「ああー、おいしそー」と羨望のまなざし(笑)
「人の食べてる物っておいしく見えちゃうんだよね、特にお腹がすいてるときは」(笑)
ロビーでは建部町出身のイラストレーター、神吉 李花さんの作品展を開催中。この催しは他の4か所のお店でも開催され、「スタンプラリー」もあって
全部のスタンプを押すと地元名産品がもらえる仕組み。
建部にいきなりスタンプラリーブームが到来!
先生から「三宅さん、私はいつもこのあとお昼寝タイムを取るのですが、学生たちはここでゆっくり休んだり、買い物をしたり展示を観たり・・・」
(ええーっ、まだ、主眼の福渡にたどり着いていないのに・・・)
でも、これこそが「大地ワールド」、決められたことをこなす必要もなく、その時、その状況の中で最大の満足を得られる一日にする。
記者はすぐさま「足湯」へ、この湯、4月からの「めだかの学校」での制作中に何度となく浸かりに来た、すると羽が生えたように足が軽やかに夜もぐっすり眠れることに気づいたから。
そのうち学生さんらもやって来て、「ポチャン、ポチャン」と足湯三昧。(そのシーンは失礼のないよう撮りませんでした)
そばを走る津山線を渡った所に「サニーデイコーヒー」がある。サニーさん、マル屋さん、スイーツチュプさん・・・「たけべ新聞」を始めた時からの仲間。
ここで食後のコーヒータイム、店内にあふれる豆の香り。
いつしか円卓が作られ、先生を囲んでの対話の時間、こうした自然の流れも「大地ワールド」、あらかじめ会話の方向性が決められているわけでもなく、たまたまここで出た話題が一つのテーマになることも。
記者が「最近、外国からの観光客(?)をここで多く見かけるようになった、それもごく普通にマルナカで買い物をしていたりする(笑)。
それは多分、それまでの東京、京都といった定番に飽き足らなくて、よりディープな日本文化に触れたいという成熟した外国旅行者の現れだと思う」と話したことで、
「ノートルダム清心女子大学では外国からの留学生はいますか」と聞き、
(学生)「ほとんどいませんね」
(記者)「でも、岡山大学のキャンパスに入ると外国の留学生が大勢、自転車で校舎を移動しているのに出くわしますが」と振ると、
(先生)「そういった観点で、地方における外国から来た人たちのコミューンや地域との関わりがどうなっているかを調べても、今の日本の姿や将来が浮き彫りになりますよね」とアドバイス。
解くべき課題は大きなテーマにあるのではなく、ごく身近で些細なところにある、「神は細部に宿る」(ミース・ファン・デル・ローエ)。
「サニーデイコーヒー」の店内に置いてある小さな鉢からは3つの芽、「コーヒー豆の木になった豆を植えたら芽が出たのです」マスターの説明に
「わぁー、コーヒー豆の赤ちゃんだ!」と感性豊かな表現に店主ご夫妻もご満悦。
目と鼻の先にある岡山市環境学習センター「めだかの学校」へと移動。
「ここでは三宅さんの石の作品と、隣の建部ヨーグルトのソフトクリームが第一目的です」
「えっー!」先生にそう言われても展覧会は9月1日で終了、作品は解体しました、ヨーグルト工房は臨時休業、どちらもお応えできません・・・・トホホ。
申し訳ない、せめて「インスタグラム」で観てください。
なんだか北の空が黒い、幸せ橋を渡り、本日のワーク場所、福渡に向かう前に怪しい空模様。
それでもここまで来たのだから、お土産を買うなら必見と建部町観光物産販売所にてショッピングタイム。
「ねぇ、ねぇ、このシャインマスカット、すごくおいしそう」「こんな大きなブドウが安いよ!」
迷えども荷物になるのに買うか やめるか、ここが思案の・・・(笑)。
急ぎ足で福渡商店街へ、商店の一角で町の人が学生さんの来るのを待っているそうだ。
明治時代の鉄道遺産「メガネ橋」を抜け、失くしたものは何でも見つかると言う「失せ物の神様(畔越大明神)」で手を合わせ(ただし見つかったら、お揚げをお供えすること、見つけてくれるのはゴンギツネさんだから)、走れー、大粒の雨がポッツン、ポッツン。
商店街の酒屋さん、今は廃業したお店の店内へ。
「ハヨ、ハヨ、中に入られて、腰を下ろして、ゆっくりして、ブドウとイチジク、めずらしくないけど、ここで採れたから食べてね」女将さん、前の旅館の女将さんも一緒。
「ずっと、遅いなあと待ってたけど、お一人、帰られたわ、何かお役に立てることがあればいいけど・・・」
外は先ほどが嘘のように叩きつける雨。
この雨が止む間、町の人と学生たちと、どんな会話が交わされたのだろう、女将さんと案内役の友谷さんによる昭和の頃の町の説明は覚えているが、大半はゆっくりと時が過ぎていった印象。
「この前の道を中鉄バスが走っていたのよ、ダムの工事で大勢の人がここで寝泊まりして、旅館も何軒もあってバーや、食堂、パチンコ、映画館まであったのよ」
当時の商店マップを見つけて来てくれた。茶色く、色褪せた広告地図、ここにかつての繁栄の「夢のあと」が刻まれる。
いつの間にか”雨あがる”。女将さんが「ああ、サッパリしたわ、もう、歩いて行けるわよ。
少しはお役に立てたかどうか、また、いつでもいらしてくださいね、年寄りだから暇にしてますからね」と冗談交じりに言う。
福渡の町、「肉屋」「魚屋」「薬局」「クリーニング屋」「郵便局」「銀行」「役所」「公民館」「国立病院」などがある、年寄りが歩いて必要とする所に行けるコンビニエンスタウン、こうして年寄りが顔を合わせて話せる空間の残る町。
それでもこれが最後の楽園となるかも知れない、我われはそれを守っていけないと感じているから。
そんな思いが、学生さんに伝わってしまったのかも知れない、それはマズイ、マズイ(とにかく年寄りは悲観的、明るい展望はなかなか語れないからねえ)
先に帰る生徒さんを見送りに駅へ。そこで同じ列車に乗るために来られた女性。
友谷さんが声を掛け、大地さんに紹介するも先生もビックリ、今日、巡った場所で押しに押したスタンプの作者、イラストレーター神吉李花さんとバッタリ!
学生たち、一斉に作品集を出しサイン攻勢、気さくに応じる神吉女史。奇遇とはこのこと、授業の締めは、出会いで締めくくり。
次の電車に乗ることにした残留組の目的は山田精肉店(Yamada
deli実家)の揚げたてコロッケ。
ここでも女将さんは「今から揚げるからちょっと待っててね」と気さくな対応。
一個ずつ袋に入れられた熱々コロッケを手にして学生さんも「もう、感激で、美味し過ぎて・・・言葉にならない!」(さすが、食べ盛り!)
先ほど出会った神吉さん、話を聞かせてくれた町のお年寄り、温かいコロッケ・・・福渡フィールドワークの1日は閉幕の時を迎えた。
(記者感想)
行く先々で何かを発見、立ち止まり語り合う、大地先生のフィールドワークを目の当たりにして、記者だけでなく学生たちもびっくりしたに違いない。
大地さんのフィールドワーク論は既成概念を持たず、そこに赴き、そこで聞き取り、そこで気づいたことから始める。
それて思い出すのは、記者が学生の時、教わった民俗学の宮本 常一先生。いつもマイペースで、下駄ばきでカバン代わりの風呂敷包みを持ち、学生にも気軽に声を掛ける人だった。
訪れた村を自分の足で一軒ずつ回り、そこの民家に泊まり、いろりを囲んでじっくり話に耳を傾ける、それがもっとも大切だと話された。
一方、大地さんのフィールドワークは遊びの精神に満ちている。行く先々で何かを発見し、子どものように立ち止まる、
「私がこれを始めたのは、田舎をもっと面白くしたいと思ったから、それはこの町に生まれた自分だからできる」との言葉にそれが表されている。
さて、この続きは今月18日に行われる「オンライン交流会」へとつながれていくとのことで、故に学生さんの感想もお聞きしていない。
いずれにしても、学生さんのフィールドワークは始まったばかり、長い人生の中で”自分で興味を持ち、それを自分の目で確かめ、そして考える”
そんな習慣が身に付いていくことを願っている。
(レポート・写真 三宅 優 写真提供 河本大地さん 松下りえさん 友谷清志さん)
8月、夏休みも残りわずか。宿題は終わったかい?「いえ、まだ何にも・・・」
そんな心配抱えて迎えた18日、日曜日、ここ岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催、第2回サマースクールが建部「友愛の丘」キャンプ場で開かれた。
いつから始めただろう、古老スタッフの古本さんに聞く。
「もう15年、うんにゃ、もっと前からじゃったろう・・・」記憶が薄れるほど前から。
記者がここに移り住んで15年、その間、手伝いをしていたから多分そうだろう。
午前9時半、「今日も暑くなるぞー」と観念して開会式に臨む。今回の参加者は市内からの10家族30名、実行委員長、松田さんのあいさつ。
「今日は自然の森の中での探索やうどん打ちなど色々な体験を用意しています、親子で楽しい思い出を持ち帰ってください」
まず午前の部は森の探索「ネーチャーワーク」と家族で作る「うどん打ち」の2班に分かれての活動。
「ネーチャーワーク」の講師は「フンコロガシ」こと山崎ヒカル先生。「うどん打ち」はこの道、うん十年の古本師匠と一番弟子の佐藤さん。
ネーチャーチームはさっそくゾロゾロと森の探索へ。
山中は谷筋からの冷えた風で意外や涼しい。
以下、フンコロガシ先生と子どもたちとの問答紹介。
「この木、なんだかわかる?」(子ども)「イチョウ!」
「そうだね、じゃあ、これどんな実がなる?」「ギンナン!」
「じゃあ、この木は?」「サルスベリ!」
「そうだね、幹がスベスベして猿も滑りそうだから名前が付いたんだけど、紅い花は長く咲くので”百日紅”って漢字で書くんだよ」
さすがに進んで参加しただけあって、子どもたちは「ものしり博士」が多い。
そのうちセミがやって来た。
「あっセミ、捕まえてみたいー」
(子ども)「トンボも見つけたよ!」
(先生)「これは、ミヤマアカネ、こうやって羽を指で挟んで持ってやるんだ」
「先生、ここにカナブンがいる!」次々、見つけるのは大人より子ども。
例年だと「ミーミーミー」「ジージージージー」山はうるさいほどのセミの合唱が聞こえるのだが、今年は「ミーー」と薄く鳴くだけ。蜂も少ない、ヘビも見ない、暑すぎるせいだろうか。
森の探索隊は辺りを一周、その間、いくつもの植物について学び、ほどほど汗もかき、帰還。
一方、「うどん打ち」体験チームでは古本師匠の指導の下、粉まみれでの挑戦が繰り広げられていた。
(古本)「今日のうどんの粉はオーストラリアから届いた小麦です、日本政府がオーストラリアにうどん用に特別に栽培してもらっています」
粉に対して54%の水を混ぜる、水には師匠秘伝の隠し味が・・・。
「指を立てて素早く混ぜるんだよ!」
煉(ね)れた後は「踏み込み」。
両足に体重をかけて、しっかりとグルテンをもみだすように踏んで、踏んで・・・重しが足りないので下の子をおんぶ(笑)
そうして次は、麺棒で「伸ばし」
「グイグイ、グイグイ」「ゴロ、ゴロ・・・」
(師匠)「早くしないと、伸びなくなるよー」
「もう疲れたー、お母さん代わってー」
伸ばした生地を四角い包丁で切る。細く均等に・・・でも、太いの細いの色々ありも、またご愛敬。
12時を過ぎ、本部棟ではスタッフが大釜2台に湯を沸かし、参加者の到着を今や遅しと待ち受ける。
テーブルにも各家族用の湯が沸き立っている、自分たちで打ったうどんを家族で食べる、うまいも、まずいも、自己責任(笑)
「あ~、おなかすいた!」子どもたちの到着と同時にうどんを鍋に入れる、湯で時間は約15分。
食し方は「ぶっかけ」、生卵、青ネギにキミセ醤油、名物、即席キャベツ漬けは箸休めに(これが大人気)
湯だった所から随時、食べ始め。
「どうだい?」(子ども)「サイコー、うう、うまいー」
「お代わりいる人、あるよー」「ぼく、おかわり―ください」
腹も満腹となり休憩後は午後の部「工作の時間」
朝、一番で撮った家族の写真を入れるお手製フォトフレーム作り。
絵柄は自由だよ。
夢中で取り組むのはお父さん、お母さん(笑)、いえいえ、子どももインスピレーションを働かせての手作りフレーム。
出来上がりはどれ一つとっても個性あふれる仕上がりに、中に納まる「家族の笑顔」
フォトフレーム作りを終え、最後にスペシャル体験「アイスクリーム作り」が待っていた。
砂糖、牛乳、生クリームを混ぜジプロックへ、それを塩の入った氷の中に入れて「せっせ、せっせ」と揺すること10分、「完成!手作りアイスクリームだ」
これまたお味は?「う、う、、冷たい!」「甘い!」「うう、うま~い!最高!」
午後3時過ぎ、閉会式。誰か感想を言える人?
「ハーイ、自分で作ったうどんがおいしかったです!」
「アイスクリームがおいしかった、でも、もっと甘い方がよかったです」(笑)
最後に実行副委員長の森本さんの閉会の言葉。
「みなさん、今日はこの自然豊かな環境の中で思い切り活動ができましたか?この日のことは大人になっても良い経験として残ることと思います、また建部に遊びに来てくださいね」
陽はまだ強く、遊び足りない子どもらが木々の中を追いかけっこ、セミが別れを惜しんでか、急に声高に鳴き始める。
無事、スクールが終わりスタッフもホッと一安心、記者もイスに座り「ボッー」とセミの抜けがらになる。
(レポート・写真 三宅 優 )
まさに異常を超えて、地球の「新熱亜紀」突入とも言えるこの暑さ、一方、北にに行くと1時間100mmの雨。南海トラフ地震注意警報も出てこの夏の行方は、まったくもって予測不可能。そんな最中(8月11日)での建部町納涼花火大会の実施。
「えっ、ほんまにやるの?」電話での問い合わせ。
「やりますよー、まちがいなく、お金も集めたし」
当日、夕方5時、会場となる建部町文化センター前、旭川河川敷、通称「親水公園」に出動。午前中には町の道路中に「進入禁止」「駐車禁止」な看板を立てまくった(笑)
すでに本部テントでは役員らが集まり最終準備に余念がない、われら予備役は持ち帰り用ゴミ袋の配布が任じられている。
去年は見事なばかりのクリーン作戦で「飛ぶ鳥まったく跡を濁さず」今年はどうだろう。
去年よりも控えめな屋台陣、しかし目にキツイほどの赤・黄・黒のテントの看板文字、「オムソバ」「フランクフルト」「レモネード」「豚焼き」「チョコバナナ」
食欲よりも「どんな物か見てみたいムード」満点。
配布ゴミ袋も底をつき始めたころ、わが町、建部の輩出芸人、リンクアップとっしーのマイクアナウンスで、いよいよオープニング。
垣本実行委員長の開会宣言「今年は50年と言うこともあり、大きな催しをと考えまして、幸いにも去年に引き続き、地元企業、朝日(株)さんより多大な寄付を頂き、
今日はそれが観えるかと思います、最後まで楽しみにしてください」
どうやら3部構成での打ち上げ、相当、力が入っとると見た。
アトラクションは「建部はっぽね太鼓」すでに何十にも人の輪。乗りに乗った後はさらにノリノリ「ヒップホップダンス」、こんな若い人が町のどこに隠れておったんじゃと、
首をかしげる本部席のお年寄り(笑)
合間を縫って、なんと、わざわざ岡山市本庁から大森市長が来てのスピーチ、50回も続く花火大会に賭ける建部の人の強い熱意と団結を感じると称賛頂く。
そんな建部の50年の歴史をくぐり抜けて登場したのは建部公民館・盆踊りチームのお姐さんたち、お揃いの白い浴衣が目にまばゆい。
曲目は「建部よいとこ」、一度は消えたと言われ見事に復活を遂げた旧建部町時代の名曲?だ。
「ちゃんチャチャ、チャチャちゃん、チャチャチャチャちゃん・・・」老いも、そう若くない人も、みんなで踊る”建部音頭”
午後8時、最初の1発が上がる、「ド~ン!」それから次々に、息をする暇もなく、「ババババーバーン!バリバリーバリーン!」「ズドーーン!」
両方を山に挟まれた会場、音が、とにかく音が凄い、思わず手にしたビール缶を落としそうになるほど。
確か2回の休憩を挟んでの打ち上げだったのだが、誰もそんな記憶があまりない、「すごいね!」「ワ~、スゴイ」「もう、めちゃ、スゴイ!」
「スゴイ!」「すごい!」の連続で一気にフィナーレへと突っ走った。
翌朝、7時、会場の親水公園、関係者、中学生ボランティアによるゴミ拾い。去年ほどではないにしても(今年はタバコの吸い殻が目立った)、芝生は、ほぼグリーンを保ち合格点。
終わってみると、暑かった準備作業も過ぎた夏の1ページ、また来年もきっとやるのだろうなあと、一人、思う。
(レポート 三宅優 写真・勝部公平 松下泰成)
7月27日(土)朝8時半、今日の予想気温、摂氏37度、すでにアスファルトは炎熱の反射。
本日、第1回サマースクールの午前の部は建部町B&G海洋センターで行われる「カヌー体験」、午後は山間での「ブルーベリー狩り体験」、
共に屋外とあって熱中症対策必須の一日となりそうだ。
9時過ぎ、市内から参加の小学生の家族14組、34名がB&G会場に到着。さっそく開会式に臨む。
主催者の岡山市環境学習センター「めだかの学校」武藤館長による開会の言葉に続いて、松田実行委員長より「水分を十分に取り、無理をせず活動してください、良い夏休みの思い出ができますよう願っています」とのあいさつ。
そしてこの日、カヌーを指導する先生方の紹介で、いよいよ体験へ。
まずは「バディ!」(点呼)の練習。2人一組になって手をつなぎ、一列に並ぶ。先生が「バディ!」と叫ぶと「オー!」とつなぎ合った手を上にあげる。そのまま「バデイ、1!」「2!」「3!」と叫んで手を下す。仲間が全員そろっているかを確認する重要な訓練だ。
そして川の勉強。一見穏やかに見える川も、中では流れが速かったり落水が出ていたりする。そんな川の危険性を知る。
艇を運ぶ。これもバディを組んだ2人で1艇を前、後ろを抱えながら運ぶ。きついようなら中ほどを介添えする。
子どもらは顔をゆがめながら懸命に川岸まで運ぶ。
パドルの練習。艇を前に進めるには「パドル」で水を漕がなくてはいけない、その漕ぎ方。
右を漕いで左に、その時、左手首をくるっと回しパドルの先が水面に垂直に当たるようにする。
子どもらは「あれ、右に向けるのはどっち漕ぐのだっけ」
「左じゃない
?」
「左?そっか、そうだね、わかった」なんとなくおぼつかない(笑)
艇の乗り方。説明は聞いたけど、乗るときはいきなり艇内に足を突っ込む、「いやいや、そうじゃなくて・・・」指導員さんの汗だくの対応。
1番の艇が出てから最後が出るまでは30分が経過・・・ごくろうさま。
どうにか、全員が川の上。岸からはお父さん、お母さんの「右漕いで、そうじゃない、右、右」「前見て、前、ダメダメ、ぶつかるよー」のハラハラした掛け声。
そのうち、沈没する子ども、「ああぁ、やっぱりなー、チン(沈)すると思ったんじゃ」日の丸背負った古本指導員のため息まじりの声(笑)
「沈」はしても川で泳げたし、カヌーも少しは進んだ、陸にいるよりずっと涼しい。いい体験だったこと間違いなし。
再び全員で艇を運び、水で洗って、庫に収める。最後は「バディ!」でメンバー確認、「バデイ!」「1!」「2!」「3!」。
おいしい昼食を頂いた後は車で20分ほど移動、田地子地区にある本田果樹園でブルーベリー摘みにトライ。
山間の畑に約100本のブルーベリーの木が生えている。そのどれにも黒く熟したブルーベリーがたわわに実っている。
本田さんから、実の見分け方と毛虫の注意を教わって園に入る。
「あっ、母さん、これ、めっちゃ甘い!」「ここ来て、ここ、どれもすっごく大きい!」
さっきまで「疲れたー」を連発してた子も、ビタミン補給で元気を回復。手にした小バケツもすぐに一杯になると思いきや、みんな口に入れて増えそうにない(笑)。
どっさりとおみやげを手にした一行は田地子集会所で閉会式。
本田さん奥様、お手製のしぼりたてジュースで喉を潤しながら、半日を振り返る。
(子ども)「僕はブルーベリーを何十粒も食べれたのがうれしかった」
(保護者)「ベテラン先生のご指導で貴重な体験ができました、いい思い出になります」
外の温度は予報通りの37度、でも今日の日のことは、きっとすがすがしい思い出となって残ることでしょう。
(レポート 写真・三宅優)
最初に石を並べたのは2014年、富士山が世界遺産に登録されたのを受け、ブルーシートの上に拾ってきた石を使い葛飾北斎のいわゆる「赤富士」を制作した。
それから10年、再び北斎の富士、描くのは「富嶽三十六景」ならぬ「富嶽八景」。
年齢もいつの間にか70歳を超えていた(笑)、そんな画狂老人の頂上踏破はできるのだろうか?
ユーチューブ動画(2分18秒)
4月、三十六景の中、もっとも有名な「浪裏の富士」(神奈川沖浪裏)から着手、実はこの絵が新しいお札に使われることも、この年、県立美術館で展覧会が開かれることも
知らないでいた。(笑)
制作場は昨年の「ジョルジュスーラ」と同様、町内にある岡山市環境学習センター「めだかの学校」おもちゃの宿。ベースに使ったのはブルーの畳サイズのスチレンボード3枚、このボードは表面がガサガサして石がすべらないので使い良い。
約10日間、フルタイム立ちっぱなしの作業、しかしこれが災いして帯状疱疹にかかる、おまけにギックリ腰まで。医者の処方の薬を飲んでも効かないし、忘れられるのは石を並べている間だけ。
休むことなく制作、10分やって30分しゃがみ込む、そんな日々が続く。
そんな中、一方で今年、県北で開かれる「森の芸術祭」の「FRIENS PROGRAM」に参加することが決まる。
場所は津山市の久米公民館大ホール、ここを埋める作品準備がさらにヒートアップ。
8作を終えたのは7月も初め、どうにか痛みも遠のいた。これは最初の薬を1週間飲んだ後、その後の薬は飲まなかったのが良かったと思う。
車の運転もしてはいけないという薬を医者の言う通りに飲み続けるのはあまりに無防備、自分の体は自分で守るしかない。
展覧会に向け、妻が展示図面を描く、「ああでもない、こうでもない」の議論を重ね7月19日、展示作業を終える。
7月20日(土)開幕。長~い夏の展覧会の、は・じ・ま・り。
(レポート 写真・三宅優)
7月7日、織姫と彦星伝説の七夕祭りの日、里山では代満(しろみて)祭りを開催。
「代満」とは田植えが済み、青々とした苗と満々と張られた水が満ちている様のことです。田植えが終わり、春の農繁期が済み、疲れた体を癒し、秋の豊作を祈願する、地域の交流会で、里山たけべで復活開催しております。
当日は、野の神にお清めし、地元の魚屋さんが盛り付けたタコ入りの刺し身、岡山牛のホルモン焼きで交流しました。タコは、田んぼに植えた苗が地に根をはり豊作になりますようにとの願いを込め、牛肉は農耕牛として働いてくれた牛に感謝をこめていただきました。
祭りの途中では、里山会員の市川、片山さんの尺八演奏会、皆んなで童謡などを唱和、皆さん楽しい人生の一ページを飾り、癒やされて帰途に着きました。
(レポート 写真・勝部 公平)
6月15日(土)の午後、建部小学校の子どもたちが親水公園近くの田んぼにあちこちから集まって来ます。
田んぼに入るとすぐ泥んこ遊び、たくましいですねー!
田植えは、横一列で苗を手づかみ、2から3本ぐらいずつ丁寧に植えて大人の方がしんどそう、バイタリティがみなぎってました。こんな感動大事ですねー!
翌日の16日(日)はめだかの学校主催の梅獲り体験、応募が殺到したそうです。里山は体験の宝庫、美咲町の梅の木が20本ほどある大天梅林農園に7家族20人ほどが参加、今年は全国的に3月から5月の天候異変で梅不足だそうですが、ここはたっぷりと取れました。
参加費500円で梅1〜2kgがおみやげです。参加者は、梅のレシピ、梅干し、梅ジュース、梅ドレッシングなどの作り方を教わり、帰りは、地元の皆さんで運営している紅そば亭でボリームたっぷりの手打ちそば、地元産の山菜や野菜の天ぷらなどで満足の里山体験でした。体験こそが生きる力を高めますね―!
(レポート 写真・勝部 公平)
6月、鬱陶しい梅雨にもうすぐ入る。この夏は「エルニーニョ」ではなく「ラニーニャ現象」とかで高温になり大雨になるとの事。
私の住む福渡では4年前に自主防災組織を立ち上げ、毎年この時期に旭川の増水による浸水の危険地区と土砂災害の危険地区を対象に防災会議を開催してきた。
今年は町内会役員の交代年度で、また南海トラフの高まりも言われていることから全自治会長に参加を促した。
6月2日(日)13時、避難所となる建部町公民館に模擬本部を設置、ここに各自治会長、役員、防災委員の計23名が出席し会議を催した。
まずは 「防災団構成員」の確認。出席者の多くが、この日、初めての参加で何の予備知識もない人たち。
そもそも、自分が防災団の要員であることさえ把握してない可能性もある。緊急時は各自治会ごとに協力し避難に当たる、このため自治会長の役割は重要。
「避難所開設の流れ」誰がどこに連絡をし、どういった情報を伝えるか。簡単なようだが、いざその時になると混乱が生じるに違いない。それでも何も知らないよりはまし。
重要なのは要支援者の把握。「高齢者」「障がい者」「子ども」「妊婦」そして「外国人」、この人たちを安全に避難させる、そのために日頃から当事者と話をしておく。
会議を終え避難場所となる館内にある「和室」の視察。
「ここにおよそ20人程度、寝ることができます。でも想像してください、地震が起きて家にとどまれない人がここに一斉に避難したら、ロビーに寝るしかありません」
倉庫にある避難備品、備蓄食料の確認。
「ここに敷マット、毛布、水、食料などが備蓄されています、でもまだチョットしかありません、毎年、こうした防災活動をすることで市から下りる助成金を使い買い足しています」
別の避難所へ車に分乗し移動。町内にある団体企業が運営する研修施設、そのホールを避難所として使わせてもらう協定を毎年、結んでいる。
ホールの床はコンクリの上に板敷、ブルーシートと敷マットが必需品、床に横になるとマットのありがたさがわかるはず・・・。
まず実際に見て状況を把握しておくことで、行動が取りやすくなる。
2時間弱の研修が終了、参加者の反応はまだ。大切なのは中身ではなく、たとえ同じことの繰り返しでも途絶えず続けること。
過疎化とは「人の減少」ではなく、「人のつながりの希薄さ」だから。
「自分たちの町は自分たちで支える」を合言葉に進もう。
(レポート 写真・三宅 優)
当新聞の「特集記事」にも掲載している建部中学1年生による「避難所開設体験学習」が今年も開かれた。
この学習の際立った点は地域の住民が”避難者”として参加すること、それも様々な役柄に扮して。
例えば、日本語のわからない外国人、身体が不自由な人、子供が行方不明の人、ホームレスの人などなど。
13時30分、中学校の武道館に集まった地域の方たちは20数人ほど。校長先生より説明を受けた後、役柄を示す「役割カード」
を配られる。
一応に「ムムムー・・・」と役の難しさに戸惑い気味。
13時50分、避難者全員が2階体育館に設けられた避難所へ移動。
入り口でまず検温。
続いて、受付テーブルで名簿に記入。
すると「私は3人で来たことになってるけど、どの名前書く?」
「私は4歳の子だから字が書けないと思う」
避難者からの質問。避難所で名簿にいかに詳しく書いてもらうかは重要なポイント。
生徒たちは避難者が抱える様々な状況の受け止めに、まずつまずく。
「これ、どこに書いたらいいの?」
「なんて書けばいいのかなあ?」
受付を終えた人が首にかけた「役割カード」をもとに、生徒たちにより避難場所へ案内される。ある人はベッドのあるテントへ、別の人はマットが敷かれただけの場所へ。
マットは健常者で、テントは要配慮者との振り分け。
避難者の数だけ要望がある・・・?
「私は看護師なので、何かやれることがあったら言ってください」
「ワシは家も無く身寄りも無いホームレスで、食事がもらえると聞いて来たので、マットの上でも大丈夫です(笑)」
「私はネコと一緒にいたいんじゃが、そうしてもらえんか」
「僕は自閉症の子どもを連れた母親の役で、実際の自分もツエがないと歩けんで、どうにかしてくれ(笑)」
「私は車イスだからテントに入ると同居者に迷惑がかかるけど・・・いい?」
役に徹した避難者のさまざまな問いかけに、生徒たちは「う~ん」と腕組。
受付から避難場所への誘導まで、わずかな想定の中にいくつもの課題が生まれ、生徒たちは、その”混乱”の洗礼を受たようだ。
30分後、終了、全員での振り返り。
参加してくれた地域の人たち一人一人が感想を述べる。
「受付が混雑したので、テーブルを増やす必要を感じた」
「子どもが行方不明となっていたので、親身に対応してもらいたかった」
「喘息だったが対応もしてもらい、窓を開けましょうかと言われ、気遣いがあった」
「年寄りが多いので、大きい声で話してほしい」
「受付で書く名簿の文字が小さくて読みづらい」
「困ったことはないですかと声かけしてくれ、スリッパを勧められたのも良かった」
「一人暮らし、高齢者で認知症、検温時、盛んに咳をしましたが気づいてもらえませんでした(笑)」
「テントに案内してもらったが、テントの敷居の段差がけっぱ躓いた、でも声掛けはうれしかった」
「薬が無いと話したら、”えっ、どうしよう?”と答えたのは避難者が不安になると思う」
「子どもを別に見守る人もいた方がいい、ところでリハーサルは何回ですか?」
(1回です)
「それは、よくできました(笑)」
最後に指導企画された講師の方からのまとめとして。
「私も学区での避難所運営など多く携わってきました。その上で言えるのは避難所はホテルではなく、そこでは避難者と皆が協力し合うことが大切だと言うことです。今日の学習でそのことが学べたのではないかと思います」
<記者感想>
昨年より時間が短縮されたようだった。でも課題はしっかり噴出したのではないだろうか。参加した地域の人の感想にも厳しい注文が見られた。
恐らく実際の避難所ではこれの何十倍もの問題が起こるだろう。そのことへの想像体験を得られたことが、この学習の大きな成果だったと思う。
(レポート 写真・三宅 優)
建部町、福渡の河川敷に停められた車は「建部物産販売所」下から鉄橋まで延びている。
今日はカヌー全国大会開催の日、選手と家族、関係者、そして応援者が幸せ橋を中心に
競技の始まりを待っている。
鉄橋には津山線の赤い電車が通り過ぎる。何度も観た光景が、今日は特別、輝いて見える。
開会式、選手宣誓の後、デモンストレーション。選手たちが陸に並びコースの状況をしっかりと確かめる。
10時、フォアランに続き「たけべcupスラローム」。
空からは真夏を思わせる陽の光、2日間にかけての戦いが幕を落とした。
(レポート 写真・三宅 優)
建部小学校1〜2年生でサツマイモの苗「紅はるか」を4月30日に50本植えました。
秋の収穫とおイモのパーティを楽しみにしながら水やりや雑草とりをこれからやるそうです。
(レポート 写真・勝部 公平)
4月7日、日曜、スッキリと晴れ渡った建部平野、目指すは「たけべの森」。
途中の八幡橋から見る品田の山を彩る山桜、この”春おぼろ”な風景が建部の桜もう一つの魅力。
もちろん代表は「たけべの森公園」、今日はその「はっぽね桜まつり」の開催だ!
午前9時、到着、広い芝生公園には地元から出店した色とりどりのテントが並ぶ。
「おう、おう、三宅さん(記者)買ってってよー」さっそく呼び込みあり。
淹れ立てコーヒーの「サニーデイコーヒー」さん、搗き立ての「草餅」を出す中田メンバー、鶴田からは「ジビエコロッケ」などなど、本日も満腹御礼間違いなし?
今年は、しだれ桜が短く剪定され、花々の勢いが若干、頼りげない?だが広場下に広がる吉野桜の並木が満開で、さすが「たけべの森」の桜を演出する。
10時30分、本日のアトラクションのオープニングの「七社八幡宮神楽保存会」演舞が始まる。当「たけべ新聞」スタッフの花房君も健在だ。
前に陣取った子どもが獅子の顔が目の前に迫り、慌てて尻ごむのもお愛嬌。
引続いて「建部はっぽね太鼓」、前にも増してパワーアップした打法に観客もお尻が地面に吸い付いて動けず(笑)
食べ物ブースにはしだいにお客さんの列。
「まああ、安いわー、ネギ焼きも、つき立ての草餅も100円、うどんが300円よー」
そうなんです、ここは建部、地元各町内会や事業団体は儲けなし、楽しむのが目的なのです。
丸太切り体験コーナーでは、田地子区長の本田さんが子どもにノコギリの手ほどき。
「ヨイショ、ヨイショ」「やったー」と切り落とす。
赤い大型トラックは岡山市の消防隊、一日、隊長で運転席に陣取ったお嬢ちゃん、「ブッ、ブブー、さあ出発ー」
芝生ステージでは「晴吹(ハレスイ)」の楽団の登場、一気に華やかさのピーク。リズミカルに刻む管楽器の音に、手拍子、体を揺らして参加の観客。
「いやー、はじめて来たけど、後楽園などとは、また違って、ここは広々してくつろいで楽しめるからええわー」
ビール片手のお年寄りが、ご機嫌で語る。
昼を過ぎる頃には 「ああー、待った、待った、やっと買えたわ」の声、ソフトクリームの「建部ヨーグルト」には長蛇の列。
久々の孫の相手に大奮発で千円札を渡すじいちゃん、ばあちゃんは次々と”おいしいもの”を見つけてはテーブルに運ぶ。
ところでこのレポート、現地にパソコンを持ち込んでの生報道、観客の声もすべて今、周りの来園者の声。
2024年4月、こうして日本のたけべの春は、ゆっくりと時を刻んで行った・・・。
(レポート 写真・三宅 優)
岡山市環境学習センター「めだかの学校」の小川も水が緩み春の訪れが感じられる3月17日(日)、小鳥の巣箱作り体験が岡山市内の2家族を迎えて行われました。
開会式では、昨年参加して作った巣箱にシジュウカラが来て2ヶ月後、4羽のヒナが誕生、写真が送られたとのご披露。
スタートから大盛り上がり!さっそく親子で協力しながら、釘打ち、小鳥のとまり木作り、蝶番付けなどテキパキい行い完成!
小鳥が遊びに来る家、なんて素晴らしい人生に乾杯!!
(レポート 写真・勝部公平 写真提供・信近さん)
石を並べるだけで名画完成。こんな変なアートを思いついたのは当新聞、副編集長(記者)。
今度で9回目となる、その石で描く展覧会が3月3日(日)、記者宅「ドレミファミリアアートギャラリー」で開かれた。
今回取り上げたのは、「真珠の耳飾りの少女」で有名な17世紀オランダの画家、フェルメール。
はたしてどのような展覧会となったのかご報告。
「いやあー、それにしても、芸術は面白い!」
石で描く「フェルメール展」動画(ユーチューブ 1分41秒)
「たった1日だけの展覧会」と銘打ったのは、次の日には石を回収し、崩し始めるから。観客も事情を知っていて「今日、来ないと、もう2度と観えないのよね」と呆れ顔(笑)。
それと、この日は休日もあってうれしいことにヤングな観客に恵まれた。
子どもらが作品をのぞきながら「あっ、これは、この絵だ」と気づいてくれた。
作品の紹介をしよう。「レースを編む女」縦、横、24x20㎝の小品とは思えない緻密さ。
当時、発明された「カメラオブスクラ」(箱カメラ)を覗いて写真のように表現されている。
「窓辺で手紙を読む女」2013年修復されて、背景にキューピッドのいる額があることがわかった。
「画家のいるアトリエ」正式名は「絵画芸術」、フェルメールが亡くなるまで手元に置いてあったと言われる。
「水差しを持つ女」左から差し込む光、フェルメールがもっとも愛した構図。
「牛乳を注ぐ女」当時の社会生活を代弁した作品。メイドが牛乳を注ぐ光景を切り取っただけなのに豊かな時間を感じさせる。
続いては最も有名、と言うより他の作品は知らないけどこれだけは…と言う人が多いのでは。
映画にもなり小説でも書かれている、その振り向いた横顔、視線が人を釘づけにする。
「真珠の耳飾りの少女」ターバンの青がフェルメールブルーと呼ばれる絵具、ウルトラマリン。
遠い海を渡ってやって来た、当時貴重な「深い海の青」。
次々と観客が途切れることなく来られて千客万来(100人も来てないけど)大繁盛。
町内から103歳の井手房野さん(福渡八幡神社総代長のお母さん)長く俳句をやられている。今でも枕元には紙とペンを置いて思いついたら書き留めているそうだ。
「まあ、ほんとに、すごいなあ、よう、こんなのが作れるもんじゃ。前に観せてもらった時(9月展示 ジョルジュスーラ展)、この気持ちをなんとか俳句にできんかと・・・」
房野さんが読んでくれた句。「爽やかや 小石集めて 風景画」
わずか半日、それでも1年分の出会いと会話が生まれた。
ただ石を並べただけ、ここに何の意味もない。だけど伝えたい、無意味に見えることにもいつか真実が宿る。
石で描く「フェルメール展」動画(ユーチューブ 1分41秒)
(レポート 写真・ 三宅 優 写真提供・松下りえさん)
あいにくの小雨模様となった2月最終の日曜日、建部の里山では朝から焚火が勢いよく炎を上げ来客を待ち受けていた。
岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催、「令和5年度 環境学習フォーラム」は今年も建部町田地子の多自枯鴨神社で参加者、スタッフ、ボランティア合わせて50名程が参加し開催された。
応募受付ではすぐに定員に達したのだが、当日の雨、やれるのか、やれないのか不安もあったのかキャンセルが3件。一方、地元メンバーはと言うと鼻から中止など頭にない。
雨あり、風あり寒さあり、その自然の中でどう過ごすかを学ぶからこそ意味があると考えている。
(来年はそのことを十分に理解して、たくましい子を育てる機会を活かして欲しい)
9時15分、神社境内に参加者、スタッフで輪を作り開会式。実行委員長(記者)から「たけべの里山で思いきり遊び、学んで、楽しんでいい思い出を作って帰ってください」
早速に活動に入る、まずは「ヤキイモ作り」。
こんもり盛られたスクモの上にニョッキリ立つ煙突、スクモの中に濡れ新聞紙とアルミホイルで包んだサツマイモ(この日は紅はるか)を入れ、スクモを燃して焼き上げる。
出来上がりは様子を見ないと何とも・・・まあ3時間後かな。
続いては「花炭」の仕込み。「花炭」は自然に成る、藤の実、桐の実、松ぼっくり、栗のイガ、どんぐりなどを缶に入れ、そこにスクモを敷いて蓋をして炭火に乗せて焼く。
蓋に空いた空気穴から白い煙が上がり、これが見えなくなった頃、火から下ろして紙粘土で穴をふさぎ、真空にして冷ます。これも数時間、閉会の頃には完成予定。
さて仕込み万端、次なるは「パッン、パッン!」紙でっぽうを作ろう!
節と節の間が長いシノダケ1本、これでてっぽうの筒と取っ手をまず作る。そして筒の穴の大きさを見ながら中にスムースに入るような押し棒になる竹をさがす。
弾(たま)は濡らした新聞紙、これをしっかり水を切り指で穴に詰めて打ち出す。もっと細かい作りが必要だが、おおざっぱにはこんなとこ。
それよりも、弾の詰め方、押し方、筒の持ち方などやりながら学ぶことが多い。
「パーーン!」はち切れんばかりの音に「おお、いい音だ」スタッフからの声に子どもの得意げな顔。
隣のテーブルに用意したのは「ヤジロベー」竹ひごをローソクであぶり、弓なりに曲げ、キリで穴をあけたドングリを中心と左右に取り付ける。
小枝に乗せてバランスの良い地点で中心のドングリを接着剤で固定する。ベースには「まっくろくろすけ」が人気です。
工作の次は丸太切りに挑戦!最初「ギコ、ギコ、ギギ・・・」
やがて「ノコは引くときに力を入れてやるんだよ」スタッフの説明に「そうかー」とスピードアップ。
「やった~!」達成感が体を掛け抜ける。
「花炭」の乗るU字溝の隣では先ほどからお餅がこんがり、「豆もち焼けたよ~」大人、子ども、いっせいに駆け寄り、網の前に。
炭火で焼くお餅って、香ばしさが抜群、一人、2つ、3つ・・・「これから昼食だから、その分お腹を開けておくんだよー」
「花炭」の缶からは煙が少なくなっているものも出始め、順に紙粘土で穴をふさぎ火から下ろす。
ヤキイモの方も煙が安定して出来上がりを感じさせる。
お弁当は市販のおにぎり、でもそれだけじゃあ寂しいからと、地元のおばあちゃんたちが具沢山の豚汁を用意。お餅3個のあとにおにぎりと豚汁のお替りも(笑)
「ああ、腹がはち切れそうだ」とお腹をさするお父さん、では今から村の中を腹ごなしに歩きましょう。
田地子の区長であり、「建部歩こう会」会長でもある本田さんの
道案内で参加者全員でウォーキング。
「この黄色い花は何て言う?」・・・(まんさく)、「この小川の水はどこから来てるかわかる」
?・・・(山の上の湧水が流れてきている)「この木造のお家、見て、何階建て?」・・・(あっ、三階建てだ!)
そのうち、子どもの方から「あれ、何の木ですか、ヤシの木?・・・」
(本田さん)「いや、しゅろの木だよ、何に使うかって言うと、”しゅろ縄”って言って、あの皮で縄を編んだり、タワシにしたり」
「ボク、欲しい!」「僕も!」「ボクも!」とせがまれて本田さん、しゅろの葉っぱを取りに行く。
大きなウチワを手に子どもらの凱旋が始まる。
帰り着いた頃には「ヤキイモ」がお待ちかね。ヤキイモはやはり焼きたてが一番、しかも時間をかけてじっくりと自然火で焼かれたものは風味が格別、これも別の腹へしっかりおさまって子どもも大人も大満足?
そろそろ疲れも出て眠くなってきた子もチラリ、まあ本田さんのお話を子守唄にうとうとするのも良いだろう。本田さんからは、ここの昔暮らしについて。
「昔の人がここで暮らすのに何が必要大切だったと思いますか」すぐに「水!」との返事。
「そうだね、ここには水が流れています、だからこのそばでお米が作れます、あとは野菜、それと山には木の実や山菜もある、煮炊きは薪を拾ったり、木で炭を作ったり、お金はほとんどいらないで、ここにあるモノだけで暮らして行けたんです」
本田さんから紹介されたのは「棒遣い」。この地区でお祭りの時、演じられる棒を使った演舞、それを地元の小学生が見せてくれると言う。
眠そうだった子も同じ小学生の登場に目をパチクリ。「カーンカーン」山に打ち合う音がこだまする。
棒を持ちたくてウズウズしてた子どもらも、さっそく実演突入「カーン」
フィナーレは「花炭」の開缶。さあ、どうなってるかなあ、できてるかなあ、この開けるまでの瞬間がいつも緊張。
そっと蓋を取る、「おおー、すばらしい!」
今回はどれも完成度90%の出来に、スタッフも”してやったり”と満足気。
閉会は2時、この間、行いが良かったのか心配した雨もずっと降ることがなかった。
感想は最後に元気よく「ありがとうございました!」と言ってくれたことで伝わった。
(レポート 写真・ 三宅 優)
澄んだ冬の空気の為、いっそう濃い青空の2月10日朝、山陽新聞カルチャースクールの山登り講座の卒業生の仲間で作っているクライマーズクラブのメンバーと建部歩こう会の合同チームの22名で建部町富沢にある阿光山の岡山藩池田家の墓地の整備をしました。
集合場所の富沢改善センター側にはこの地区で一番早い、梅が満開、春の訪れを伝えてます。
さっそく阿光山に入り700mほどの参道を整備しながら登って行くと、山頂にある広々とした墓地エリアに到着。
休む間もなく草刈り機で刈払い。墓地は丁寧に草抜き、墓石もきれいに磨いてあげました。見違えるようにきれいになりました。
一仕事を終え、皆、ほっとした顔でスタッフが用意した温かい軽食を頂きました。
こんな活動が多くのボランティアの力で実施できました。やっぱり、一人の百歩より百人の一歩のパワーが大切ですね❗
(レポート 写真・ 勝部 公平)
年の始まりに起きた能登半島の地震、それから1と月と10日、被害の全貌がわかるにつれ、その甚大さに驚きを覚える。
今日(2月10日)建部文化センターで建部中学2年生の「夢と希望を語る会」が開かれた。若者たちはこの災害と自分が大人へと出発した瞬間を併せ持って
思い起こすのだろうか。
では発表の内容を順不同、ダイジェストで記してみる。(聞き違い、勘違い、年寄りに理解できなかった箇所も多々あることをお許し願いたい)
●楽しい人生を歩んで行きたいです。僕がやりたいと思っていることは、
1・高校は自分に合った高校に入りソフトテニス部に入る。
2・アメリカやフィンランドに旅行に行きたい。
3・免許を取って車の運転をする。
4・高校、大学でたくさん遊んでおく、大人になると遊べないので。特に友だちと自分で買った車で遠くに行くのが一番したいです
●何か大きな夢があるわけではありません。でも次の3つのことが大事にしたいと思います。
1・思いやりの心。お店に行って笑顔で接客してくれて思った。
2・礼儀。あいさつや言葉に気をつける、「ありがとうございます」は私も聞いてうれしいです。
3・コミュニケーション。「だっぴ」の会でいろんな世代の人と話して、特に進行役の人が全員が楽しく話し合えるよう配慮してくれたので
●警察官になりたいです。
親戚の人が警察官で火事に対応したり、交通整理をして大変、でもやりがいがある。そのためには、冷静さが必要。
あと基礎体力、これがないと人を助けられないし、警察学校のきびしい授業にもついていけない。
忍耐力とコミュニケーション能力も必要、おじいさん、おばあさんや子どもとも関わるので
●2つの夢があります、一つは薬剤師になる。
職場体験で薬局に行った時、錠剤の知識や患者さんの状況を把握するのを見て、なりたいと思いました。
薬剤師になるには薬学部のある大学に入り、2000~3000時間の勉強が必要と言われています、でもがんばりたいです。
もう一つは充実した人生を歩むこと、どんな人生が充実かと言うと自立してお金に余裕があること、「だっぴ」の会で皆、違う生き方でも幸せそうでした
●最高の人生にしたい!
野球を続けることと海外旅行をする。
野球は普段の練習をしっかりやる、今は足守と御津中学と合同練習をしていますが、きつい練習にも耐えて行きたいです。
海外へ行くには英語を一生懸命勉強する、この2つをがんばりたいです。
●助産師になりたいです。
4年前、弟が生まれた時、観に行きました。弟が動く姿に「やっと会えたね」と声をかけたいと思いました、とてもかわいかった。
新しい命に会える喜びを知りました。助産師になるためには勉強が大切です。
私は母子ともに支えられる助産師になりたい、そのためには大きな壁にぶつかっても、弟が生まれた時を思い出してがんばりたいです
●私はまだ決まっていませんが、興味があることは調べて、自分のしたいことを見つけたいです。
それには1・好きなことを仕事にする 2・趣味を充実する
好きなことだけやれるわけではないので、趣味で心をりせっとすることで働く意欲が湧くと思います。
そうして心に余裕があり、みんなにやさしくできる大人になりたいです
●職場体験で無印良品店に行きました。お客様が来店された時、お店の人が仕事の手を止め「いらっしゃいませ!」と声を掛け応対して、ステキな会社だなと思いました。
それで私は日常から積極的に行動すること、人の役に立つ人になること、困っている人を見つけたら自分から声を掛けて行けるようになりたいと思います。
●自分の趣味をいっぱいやりながら生きて行きたい。
ギター、ダンス、音楽、服、読書、運動、絵を描くことなど、好奇心旺盛にこんな生活はよかったと思えるような。
将来は美容師になり、そのためにはギターは美容師のハサミにつながると思います。このあとはウクレレもやってみたいです
●小さい子どもが好きなので保育士になりたいです。
2年生の職場体験で、ていねいにご指導くださった先生にあこがれを持ちました。
保育士になるには勉強が大事です、保育士資格が必要で、いい高校、大学に進学するため予習復習を頑張ろうと思います。
もう一つは信頼される人になる。保護者との対話、相手の気持ちを考えることが大切だと思っています
●どうしたいかは決まっています、何かの職に就いてお金はそこそこあり充実した人生を送る。
AIに仕事を奪われない仕事に就きたいです、想像力のある仕事です。
職場体験で「めだかの学校」に行った時、来館者があり職員の人が手を止めて対応していました、そうした状況に対応した仕事が出来たらと思います。
そのためには1・勉強 2・いろいろな経験 3・人を傷つけない 4・健康 が大事だと思っています
●動物園の飼育員になりたいです。
今はネコを4匹にご飯をやっています。職場体験ではペットショップに行きました。
そこで学んだことは、1・動物の気持ちを理解する 2・餌の種類、量を知る 3・命を守る大切な仕事だという事です。
将来は畜産科のある大学に進みたいです
●僕はバレーボールをがんばりたいです。
建部中学は男子バレー部が無く、女子バレー部しか無いので、そこでやっていたのですが、クラブチームで合同練習に参加するように
なりました。
初めはネットの高さが女子は2m15cmですが、男子は2m30cmと高いのでサーブが難しかったです、でも今はネットの高さを上げて練習するようにして、やれるようになりました。これからもパス、トスの練習をしてがんばりたいです
●人と関わりのある仕事に就きたいです。
8つ年下の従妹と遊んだ時、従妹は園でのことをいっぱい話してくれます。職場体験では4歳児のお昼寝前の着替えを手伝いました。
両親は介護士をしています、お母さんが介護の話をしてくれる姿はスゴイと思います。
お母さんの施設のおじいちゃん、おばあちゃんに私が絵を色紙に描いて届けてもらいました。お母さんが「とっても喜んでたわ」と言ってくれてうれしかったです
●人生を楽しむこと。
目標を持ち、感謝を伝える。挑戦すること、それには勇気がいる、だれでもできることではない。
1・いろんなことに挑戦 2・人間関係 家族、友だちと居ることで視野が広がっる、人と関わることで成長がある
将来は人に喜んでもらい、笑顔になってもらえる仕事に就きたい
●大衆演劇の役者になりたい。
有名な劇団「美山」の公演を観たのがきっかけです。大衆演劇は舞台と客席が近いので、目の前で役者さんが観れる、舞台衣装も絵柄がきれいなのが魅力です。
私は香川県に行き総座長さんに入団を希望しました。そこで、相当な覚悟が必要、あやふやな決意ではダメと言われました。
私は大好きであること、お客さんに愛想をよくすること、扇子を上手になるよう練習することを続けたいです
●海外に自分の力で行くこと、さまざまな言語を学ぶ、特に英語はしゃべれるようになりたい。それとそこの生活や文化、生き方を調べる。
コミュニケーション能力を高める。テレビ番組の「世界の果てまでイッテq!」の出川哲朗がなんやかんやでコミュニケーションをするスタイルに圧倒されました。
次にはメンタルを保つ、楽しみを持って旅行するのが大事だと思います。まずは日本国内から始めたいです
●一度きりの人生を楽しく歩みたい。それには
1・やりたいことはやってみる、勇気とお金、時間が必要
2・つきたい仕事に就く、まだ決まっていないけど、色んな職業を知っておく、今の勉強をがんばる
3・努力を続けられる人になる、完ぺきを求めず現実的な目標をつくる
●やりたいことがやれる人生。高校、大学と進み、アルバイトでお金を貯め、ムダ使いしないように心がける。
そうして 将来はしっかりと休みが取れ、年収もあるIT企業に就職する。
今の希望は1・旅行、温泉宿、世界遺産に行きたい 2・友だちと遊ぶ 3・一人の時間を読書やゲームで過ごす 4・学校生活を楽しむ
●理容師になりたいです。
もくもくと人の髪を切る姿がスゴイなと思いました。それには、1・勉強、会計、漢字
2・失礼な言葉使いをしない、人への思いやり 3・全力で楽しむ
目標として、1・勉強の仕方を変える、1日、30分でも復讐をする 2・他の学年にも声を掛けコミュニケーションをはかる 3・ポジティブに考える
●将来の夢は決まっていません。
それまで食べること、食生活に気を付ける、そして必要な体力を維持する。
清潔であること、人のことを傷つけないことを大事にしたい
●ミュージシャンになりたい。お母さんが「ONE OK ROCK」のDVDを観ていて、その高い声と豊富なメロディ、英語の歌詞がステキだなと思いました。
ワンオクロックのボーカルは歌手の森進一と森昌子の子どもです。
私は今、月2回のボーカルレッスンに通っています。それだけでなくミュージックには人間性が大事だと思います。
私はしゃべることは苦手だけどがんばって、ミュージシャンを目指したいです
●悔いのない楽しい人生。
1・いろんなことに挑戦=新しい知識が身につく 2・自己研鑽=知識、能力が身に付くことで良い仕事に就ける 3・ポジティブに考える=僕の友だちは、何かあっても何とかなると言っている
これからの人生を楽しく生きれるよう、一日一日を大事にして勉強をがんばりたい
●一度きりの人生を楽しい人生にしたいです。
野球は小学校からやっているので高校に入っても練習して上手になりたいと思います。
将来はアメリカに行ってメジャーの試合を観たいです。それと健康でいたい、タバコ、酒を飲まない、ウォーキング、ランニングをする。
そして、友だちが必要。続ける力。やりたいことをする。親を困らせないが大事だと思っています
(校長先生のお言葉)
この立志式「夢と希望を語る会」は昭和47年から52年の歴史を持って続けられてきました。当時の町長が第3回、立志式で述べられた中に
「中学校の最終学年が来るこの機会に、将来の大きな志を考えてください」との言葉が記されています。
自分の思いを言葉にすることで、思いが叶うよと、この場で伝えたいと思います。保護者の皆さま、どうぞあたたかく見守って下さい
(記者感想)
令和5年度の建部中学2年生は僅か30名ほど、一同で前席に座っても大ホールが寒々しく見える?
しかしそこはさすが14歳、襟巻もダウンも羽織らなくても、開始前の時間を友だちとふざけ合っている。
それを見た記者も60年前はこうだったと振り返る(笑)
今回に限らず、子どもたちは本心を語ってはいないのだと思う。しかし、だからこそ、心に秘めた可能性にチャレンジして欲しい。
(レポート・三宅 優)
元旦に起きた能登半島大地震から3週間、今も救援活動が続けられる。一刻も早い復旧を願わずにはいられない。
この時期、建部町では例年、防災訓練が各地域で行われてきた。記者の所属する福渡町内会でも昨年に引き続き、建部町公民館と共催で「子ども防災教室」を実施、子どもを含め40人が参加した。
福渡町内の小学生は今や10名以下、少子高齢過疎化が進む、とは言え子どもは町の宝、将来を担う貴重な存在、その子たちに地域との関わりを持たせ、育む(はぐくむ)ことが重要だ。
昨今の年寄りは「私はもうこれから先はどうでもいい」と自分のことを述べるが、自分の後を気にかける様子が見られない。どんなに年取ろうとも、より良いものを
子や孫に残そうと努力するのが大人としての役目。
1月20日(土)午前9時半、第1会場となった公民館1階ロビーでは開始30分前から参加者が受付にやって来た。
本日のカリキュラムは第1会場で「避難施設の確認」「避難場所での避難の体験」「防災備品庫の確認」、その後、徒歩で第2会場(福渡コミュニティ)へ移動。
コミュニティでは昨年に作成した福渡オリジナルの防災カルタを使っての「カルタ取り」
、消防団による「消火器の使い方」講習、栄養委員による「炊き出し訓練」と災害救助用炊飯袋(ハイゼックス)での「炊飯体験」が組まれている。
参加者はオリエンテーションを受け、早速に避難施設を見て回る。
3階にある避難場所「和室」は25畳、20人ほどが収納可能。主に要配慮者を優先する対応となる。
部屋に収納された座布団を使ってのベッド作りや、マットと緊急毛布での休息の仕方を学習。
参加者から「こんな、畳のある部屋なら、くつろいで休めるから安心だわ」の声。大きな体育館での避難の実際を思うと、恵まれたスペースだと言える。
2階にはカーペットが敷かれた「図書室」が避難場所として使われる。コロナ蔓延時は感染者用の部屋に設定予定。
それ以外にも小さい子ども連れ家族用としても利用できる。収容数は30名ほど。これ以外にも会議室やロビーなど空きスペースが使える。
続いて徒歩で第2会場へと向かう、わずかな距離だがこの道さえ困難になるやも知れない。
コミュニティ到着、調理室から煮炊きのいい匂いが漂ってくる、被災地では温かい食べ物が求められていると聞くと後ろめたい気持ちになる。
昨年、「福渡みんなの防災団」では地域に即したものを作ろうと発案し「福渡防災カルタ」が出来上がった。
それを使って今回も「カルタ取り」を計画。
「忘れない大地震のあったこと」地域についてだけでなく日頃の大切な心がけも標語にした。子どもたちは耳で聞き素早く「絵」に反応する。遊びながら繰り返すことで学習が深まるのが狙い。
次は子どもが読んで、大人が取る番。「しあわせ橋は安全のシンボル」出水時に何度も流されてきた「しあわせ橋」が増水の危険を伝える。
消防団の団長さんが外で消火器の使い方を伝授してくれる、しかし冒頭「消火器の使い方を説明しますが、でもその前に、子どもは実際に火を見たら消そうとしないで逃げてください、そして大人に知らせてください」とのお話。
消火剤の代わりに入った水道水を鬼が描かれた的に向けて放水、鬼はすぐに退散、消えてしまいました(笑)
「もう、お腹が減ったよー」の子どもの声。みんなでお皿リレーで出来立てカレーを運ぶ。お皿にはラップを敷き、洗い水が少なくて済むようにした。
お年寄りが「こんな、温かいおいしいカレーを頂けるなんて、申し訳ないなあ」とポツリ。他の人もウンウンとうなづく。
能登でのニュースで伝えられた災害救助用炊飯袋(ハイゼックス)を使っての炊飯を試みる。鍋でゆで時間30分、味は「結構、いいよ」との評価。
しかし、やはり心配なのは、米が手に入るか、水は?火は、薪は? 鍋は大丈夫そう。
最後に子どもらの感想。
「避難場所がどんなだかよくわかった」
「カルタとりが楽しかった」
「消火器を使ったのがうれしかった」
「カレーがおいしかった!」(全員)
(記者コメント)
避難施設から福渡の町並みを眺める、ここに能登半島地震クラスの揺れが起きたらどうなるだろう。
そうした場合、着の身着のままで多くの人がここに来ざるを得ない、その時、最小でもどんな対応が可能だろうか、考えが頭で交錯する。
記者らが町の自主防災組織を立ち上げて4年目、かつての団塊世代がパワーを失っていく中、その役割だけは年を経るごとに重くなっている。
大切なのは同じことの繰り返しだとしても根気よく続けること、それと少しづつでも充実を図ること。
そのためには地域住民が協力し合い積極的に役割を担っていくことが重要。人任せは絶対にダメ、その時に泣くのは自分自身である。
(レポート・三宅 優 写真・松下泰成 松下りえ)
大変な年明けとなりました。能登半島地震で被害を受けられた方には心よりお見舞い申し上げます。
さて今月14日は建部町内では「とんど祭り」が行なわれ、地域の道すがらお飾りを抱えて歩いている人に多く出会いました。
とんど祭りは全国各地で行われて「どんと焼き」と言う地域もあります。新しい年を迎えた時、歳神様がやって来たとして家々に門松やお飾りを飾り供え、お餅やおせちを頂く日本風土に根ざした古来からの風習のひとつです。
「とんど」は小正月とも言い、歳神様が帰られ時、旧年の御札やお飾りなどを燃やして山にお帰り頂くために火を焚く行事です。
「とんど」は「どんどん」が訛ったとも言われ、高くたなびく煙でこれから一年間の無病息災を祈る行事でもあります。
雲一つない晴天の中で行われた田地子、富沢地区の祭りを取材しました。
いずれも、地区の役員さんが燃す木々や竹などを準備し、井げたやインデアンテント型に組み、焚きつけの松葉などを下に敷く方法です。
田地子地区では肥松(こえまつ)のトーチを厄年の人や子どもたちが点火、炎が立ち上がると参加者全員がこれを身体に受け、この一年の無病息災を願いました。
両地区とも、ぜんざいやミカンなどの振舞いで老若男女の年始めの交流会で盛り上がっていました。コロナで地域の交流や絆が薄くなってきた今日、こんな行事が大切だとつくづく感じました。(勝部公平)
福渡地区では町内の養護老人施設で「とんど」が行われる習慣があります。町中なので火を焚くことができない家が多いことから、ここに各自が持参し焼いてもらいます。
この日(15日)も沢山のお飾りやお札が運ばれ、昨年一年の感謝を伝えていました。
町から少し山に入った記者のいる石引自治会でも何十年も続いて「とんど」が行われてきました。
14日(土)の朝、自治会長さん宅の庭に班内の家族が集まり、たき火を起こしました。3世代がこうして顔を合わせ一つ火に当たる、忘れていた何かが戻って来たような、心温まる一時でした。
(レポート 写真・ 勝部 公平 三宅 優)