里山の自然や森の環境整備や里山文化の継承、多彩な遊び場の活用を目指して活動している「里山たけべ」。
今日は建部の「鎌あげ祭り」を開催、午前の最初は会員が伐採した木の玉切り(運びやすく短かく切る)運搬、椎茸の原木の入れ替えなど定期作業を終えました。
そうして「鎌上げ祭り」です、お米の豊作に感謝する神事。手刈りしていた時代には稲刈り鎌を祭壇に祭り豊作と使用した道具への祈りをささげていました。
その後はお楽しみ、無礼講の交流会です。
参加者のファミリーが作った特製カレーうどんやホルモンなどのバーベキュー、子供達は自然のフィールドで遊び、お母さんたちは井戸端コミニケーション。
こんな風景が里山生活なうるおいなんですねー!
(レポート・写真 勝部 公平)
2024年10月13日(日)昼、号砲、「それっ、建部祭りだ!」
岡山県指定重要無形民俗文化財、備前建部郷秋季大祭「建部祭り」は、いつ始まったのか。市の観光ページを見ると起源は不詳、近世(江戸時代1700年代)には参集の記録ありと書かれてある。
いつからやってきたのかわからないが、とにかく数百年は続けてきた、とんでもない頑張りだ。
その頑張りが、あの「コロナ」で途切れたことは致し方ない、ほとぼり冷めれば見事に復活、昨年の隆盛はいまだに頭に残る。(昨年の模様動画93秒)
そして今年もすごい力の入れようらしい、岡山駅コンコースの大型テレビでは連日「建部祭り」を放映とか。
それでは、建部っ子が三度の飯を忘れても、これだけは忘れない、
「建部祭り」の始まりだー!
2024年建部祭りの模様 (ユーチューブ動画 99秒・江田侑生 撮影 )
この日の天気と言えばまさに”お祭り日和”。岡山市北区建部町建部上にある「七社八幡宮」前には続々輿守や神楽の演舞者が集結。
鳥居前には「宮地神社」(宮地)「天神宮」(中田)「佐久良神社」(桜)「七社八幡宮」(建部上)「多自枯鴨神社」(田地子)「真名井神社」(市場)「富沢神社」(富沢)「天満天神宮」(久具)、八つの郷からなる神輿(みこし)が並ぶ。
白装束の輿守たちの飛び切り明るい声が飛び交う。
「おお、ノブちゃん、久しぶりじゃのうー」
「おう、イッちゃん、元気じゃったか―」
鳥居内に並ぶ色とりどりのテントからは、「串焼き」「タイ焼き」「タコ天」「黄金唐揚げ」の匂いがプンプンと立ち上がり、
お祭り気分はさらに盛り上がる。
開始まで30分、すでに上の境内には、始まりを待ちわびる沢山の人。
12時50分、お囃子が鳴り神楽が動き始める、同時に棒遣いも演舞に入る。演奏、演舞を受け持つのは大人とそして大勢の子ども。
夜を徹して行ってきた練習の成果が今日、現れる。
「今年はなあ、コロナもなくなって、しっかりと練習ができたんだって」
見守る親たちの自慢げな顔。
そして号砲、いよいよ宮入(みやいり)の始まり。
先頭は建部上「七社八幡宮」、行列に続き獅子が往き、笛と鐘、太鼓が進む。
やっとのことで随身門をくぐり抜けた神輿(みこし)、この御神幸、最大の難関だ。
次々と各社の列も後に続く。
数千の観客が待ち構える馬場に到着した神輿は、そのまま場内を練りまわり、一気に御仮屋へと駆け上がる。
が、まだ勢いが足らんと押し返される神輿、「よっしゃ、じゃあ本気で行くでー」と更に全力疾走。
そのうち「暴れ神輿」の異名をとるのでは?とばかりの神輿がやって来る、馬場の四方八方を駆け巡り、坂を上ること8回、
「もういい、もう十分!」と総代が宥めるも「まだまだー」と駆け回る、これには観客も大喜び。
こうして無事に御仮屋に納められた八社の神輿、神官たちによる「祝辞奏上」を終え、祭りの華である神楽奉納へと進む。
最初の奉納は中田「天神宮」の神楽。4体の獅子がいっせいに右に左にと首を振り、両手を広げ足を揚げ舞い踊る。
一糸乱れぬ動きに観客の目が釘付けになる。
背後にズラリと並んだ子どもたちのお囃子隊、こちらも揃いに揃った音色を響かせる。
2体の獅子は踊りながらさらに御仮屋へと上がる。
馬場では他の奉納神社による獅子舞が始まった。太鼓や笛の音が何倍にも大きくなる。
いつの間にか、溢れんばかりに増えた観客、外人さんの顔もチラホラと。
「もう、お盆にも正月にも帰らないのに、祭りだと言うと帰ってくるのよ、うちの息子・・・」
こう話す、お母さんの顔は嬉しさを隠せないでいる。
そうして、あらためて会場の人を観ると全員が晴れやかな顔で微笑んでいるではないか、一年に一度の祭りを心から楽しんでいる。
「多自枯鴨神社」の棒遣い奉納が始まった、小さな女の子も交えての演舞だ。
「カーン」小気味のいい音が大木を抜けて空へと響く。難しい振付を大人に教わりながら練習をしてきたと言う、そのことが観る者にも伝わってくる。
取り囲んだ観衆全員で惜しみなく拍手をして応える。
まだまだ演舞は続く。「3段神楽(継ぎ獅子)」舞手が肩車をして高い位置で舞う。これも4つの奉納神社による演舞。
大型の望遠カメラを首に下げた写真愛好家と思しき人ら、「いやあ、見ごたえがありますねえー」
「大したもんじゃー、毎年これをやるんじゃから」
聞こえた記者も「そうでしょう」と、つい口に出そうになる(笑)
いよいよ(何度も使うけど、いよいよホントに)フィナーレの「高々」。御仮屋に勢ぞろいした輿守たち、これから一挙に神輿を下へと運ぶ。
「ワッショイ!ワッショイ」の掛け声で神輿を担ぐとダダダダーと真砂土を滑り降りる。
一列になった8つの神輿、それが次に「ウォー」の叫びと共に神輿を両腕高く持ち上げる。どこよりも高くと、つま先立つ輿守たち。
こうして令和6年「建部祭り」はケガ人も出ず(多分)、最高の盛り上がりを見せて閉幕となった。
「また来年なー」とマイクで呼びかける井口代表の声もチョッピリ寂しそう。
七社の神輿が帰路に着いた後、境内では最後の神楽の奉納が催されていた。
「今日、まだ踊ってない子は、今、踊れよ、もう来年まで無いぞー」
指導に当たる大人の呼びかけに、子どもが応じる。
「そう、悔いのないように、今を踊れ!」
(レポート・写真 三宅 優 撮影協力・江田 侑生)
建部井堰 ←グーグル地図
9月も終わりに近づいたというのに、日本中が夏を背負ったまま汗の掻き通し。今日(26日)も午前9時には、眩しいくらいの太陽がここ建部平野を照らしている。
今年の米作はどうだろう、すでに刈り入れが終わった農家もあるが、価格は高めに動いているようだ。
まあ米に限らず、農業者の大変さを考えると日本の作物の価格は低すぎる。
消費者にとっては負担だが、輸入に頼らず国内生産を高めていくことは今もっとも重要だと思う。
そんな作物の栽培になくてはならない”水”、水の大切さは古今問わず変わらない、世界を見ても”水”を求めて諍いが繰り返されてきた。
今日、そんな”水”をめぐる先人の知恵の結集とも言える、世界かんがい施設遺産「建部井堰」
の説明看板と記念碑の除幕式が行われた。
建部町を流れる大井手用水路は全長7キロ、旭川の南100ヘクタールもの水田を数百年に渡り潤してきた。
水の取り入れ口となっているのは上流の旭川中央に設けられた石組、全長650mの建部井堰。丁度、当時の備前国と美作国の国境に沿って造られている。
造られた年代は定かではないが、1721年の史料には書かれているとのことで300年以上前と推測される。一説には1628~1630年に一帯の米の収穫量が増加していることから、さらにさかのぼること400年とも。
いずれにしても、井堰の長さとしては日本一、それだけでなくその保存状態は日本の他の石組井堰がコンクリートで改修されたのに比べ、ほぼ昔の石組のまま現役で使われていること、このことが評価されて平成24年に公益社団法人土木学会の「選奨土木遺産」に指定。
そして昨年11月には「世界かんがい施設遺産」に認定・登録、今年になって岡山市重要文化財(史跡)にも指定された。(もう残るは世界遺産登録のみ!)
午前10時、建部町品田にある建部井堰、水門前に設けられた式典会場にはこの日、招待された地区代表や関係者30数名が参席、除幕式に臨んだ。
開会の挨拶に立った大森岡山市長は「この場に立って頭に浮かんだのはNHKのプロジェクトXです(笑)。一説によると1628年から米のとれる量が増えている、と言うことは400年の間、人々が米を増やそうと維持されてきたそのことが評価されたと思う」と述べられた。
調査にあたった岡山大学、樋口准教授の概要説明では、2008年から4年間、一ノ口井堰を守る会と協力して調査をしてきたこと、造られた年代は1721年の書物の記述が最も古く、
美作側を刺激しないように川の中央で途切れた「片持ち式」の斜め堰になっている、巻石構造が津田 永忠が関わったとされる日生(ひなせ)の「元禄防波堤」に似ていることなどが説明された。
そしていよいよ除幕式。まずは道路の降り口に作られた「超大型説明看板」。
白い布の前に市長他が立ち「号令」と共に紅白のひもを引く。
「おおー」のどよめき。鮮明な写真と白くクッキリした説明文が目に冴える。
続いて記念碑、すでに建つ「土木遺産」の記念碑に並んで据えられている。
これも市長他の方々により除幕。
「ほー」、こちらは石造り、味のある素朴な絵が象徴的。
この記念碑を製作したのは地元企業の「岡本石材」、施工したのは同じく地元の
「小坂田建設」共に式典に招かれ、紹介を受けた。
一連の式典が終わり、参席者は改めて井堰の上流へと足を運ぶ。あふれた水が勢いよく本流に落ちる様が暑い日差しの中で目に心地よい。
400年前と同じ水音を聞きながら、人が積み重ねてきた営みの深さに思いをはせる。
近隣の田では黄金の稲穂がこうべを垂れ、その上をトンボの群れが飛び交っている。
追記:帰宅後、記念として頂いた品を見てうなった。地元「建部米」の袋詰め、減農薬50%、化学肥料不使用のまさに建部井堰が導いた水で作られたブランド米である。
この一連の記念事業に力を注いだ建部支所職員の熱意が伝わって来る。
もう一つ、同封されていたのは今年9月28日より配布予定の、岡山市の魅力を伝える文学情報誌「うったて」に掲載された、
郷土の作家、小暮 夕紀子さんによる「建部井堰」訪問のエッセイ。
わずか2ページの文面に、井堰を取り囲む風景からその成り立ち、はたまた上空から見た井堰の姿を長い尻尾を持つ爬虫類に例えるなど、旅心が誘われるお話が綴られている。
建部は今、世界に向けて新しい時代に突入したと言える。
(レポート・写真 三宅 優 写真 岡山市作成 記念式典配布資料より)
(参考文献:岡山市作成「建部井堰」パンフ)
最近「フィールドワーク」という言葉をよく耳にする。
ネットで調べてみると「学校の教室や研究室といった室内で学ぶ教育とは異なり、戸外に出て調査したり聞き取りをする中で学ぶ」と言う意味が書かれている。
確かに記者(三宅)が子どもの頃は勉強は学校の机の上でするもので、外は遊ぶためのものだった
しかし子どもたちが外で遊ばなくなり、近所の人らと触れ合うこともなくなり、そうしたことで本来、遊びが持っていた”体験からの学び”が薄れてしまった。
今の若い親世代は、川に潜って魚を取ったことも、ヘビにかまれたことも、人の家の柿の木に登って枝が折れて怒られたこともきっとないと思う。
その親たちに育てられて成人した若者たちは、外のこと、すなわち自分を取り巻く環境について体で理解している部分は少ないのかも知れない。
9月12日(木)、建部町川口出身の奈良教育大学 准教授、河本大地さんによる「フィールドワーク論」の授業がここ福渡で、ノートルダム清心女子大学、文学部 現代社会学科の2~3
年の学生さん11名が出席して行われた。
集合は福渡駅、9時45分生徒さん全員が電車(汽車?)で到着。
地元からも支所職員の友谷清志さん、福渡在住の松下りえさん、そして記者が案内役で参加、大地さんのお父さん、福渡町内会副会長もお出迎え。
さっそく「行くぞ!エイ、エイ、オー!」を連呼(笑)。
と、元気を見せたのだが、外はすでに痛いほどの陽射し、体力的にどのように巡るのが効率的か、イヤイヤ、どこで昼食にするかが問題だ・・・学生さんの希望は1位「Yamada deli」(やっぱり、ね)
ただ、10数名を一度に収容するのはできないし、予約も不可なので・・・。
取り合えず、一番大変な「法寿山」山歩きを終えてから考えようと、一行16名はフィールドへと歩を進める。
*以下、中期高齢の記者(三宅)による”耳からレポート”、勘違い、聞き違い、理解不足に知識不足、多々あることをお許しください。
最初に寄ったのは建部町図書館、「えっ、山に向かうんじゃないの?」
記者の戸惑う中、すでに「大地流フィールドワールド」は始まっていたのだ。
(大地先生)「みなさん、私はその地域を回るとき、かならずそこの図書館に寄ります、なぜなら、そこに
地域の書籍コーナーがあるからです。それらは地元の歴史や文化を理解するうえで、とても役立ちます」
「な~るほど、最初にそこにある図書館に行く、確かに」むやみやたらに歩き回わっても何も見つからないわけだ。
次に立ち止まったのは「福渡第2保育園」、7年前に園児数が達せず閉園となった。
この園にわが子を送り届けた親、ここを巣立って行った園児、だれもがこの荒れ果てた園舎に過ぎ去った記憶を重ねずにはいられない。
突き当りの道が津山と岡山をつなぐ「津山往来」その前に立つのは自転車屋、今や町で唯一、ここがなくなったら、町のチャリンコはリカバリー不能、郵便局の配達バイクもここでオール修理。
津山往来を右折、国道53号に出て八幡歩道橋を渡る。ちょうど橋の下辺りに昔、「行こうか岡山もどろか津山ここが思案の深渡(ふかわたし)」と言われた渡船場(八幡の渡し)があった。
旭川の深場があった場所、そこから派生して「深渡し(ふかわたし)=福渡(ふくわたり)」になったと言われる。見事にそびえる大木は県の重要文化財「公孫樹」
振り向くと橋の中ほどで先生は学生たちに何かを説明しようと立止まったまま(笑)
「江戸時代、ここは旭川の真ん中で北と南、北は津山藩、南は備前に分かれていました、そこで、この上流に
長い堰を設けて川の水を向こうの備前側に引いたのです。一説には津田 永忠が関わったとされています」
目的の法寿山を目前に一行は”立ち止まることも多し”(笑)
備前側に渡り川沿いの歩道を歩く。
「いやぁ、この歩道が広くなったので、ほんとに助かります」そう言えば以前は細い危険な道だった、大地さんの言葉にそんなことも忘れていた自分を発見。
「これがその用水で、この上の岩壁はお題目岩で”南無妙法蓮華経”の字が彫られていたのですが、昭和9年の雨で崩れてしまいました」
記者からは「今はこのように防壁工事がされて、その様子(十字の杭)から”ロザリオの壁”と呼ばれています(笑)」
そうして法寿山の登山口、七社八幡宮に到着。
まずは、目下、開催中の「たけべ満喫クイズラリー」のスタンプをゲット。(でも、これって、絶対、地元の人が有利だよね?)
そこから、この日のためにと地元の人らできれいに刈ってくれた山道を登る。
学生さんたちはというと、意外に健脚ぞろい、「もう疲れたー」の声が出るかと思いきや、
「あっ、あっ、見てこれ、紅いキノコ!」「あっ、ここにも」と自然観察にも余念がない(笑)
ほどなく、目指すビューポイント「阿弥陀様」に到着。ここから旭川と福渡の家並みが一望できる。
北に通じる”津山街道”もクッキリ、ちょうど列車が鉄橋に差し掛かり、まさに撮り鉄さんもうらやむ光景。
先ほどまでの火照った身体も下からの涼しい風で心地よくなる、と、なるとやはり「あ~、おなかすいた」と誰の頭にも同じ思いが浮かぶ。
友谷さんの機転で「もう、下の八幡温泉で食事したらどうでしょう、みんな入れるし、予約しておきますから」
もちろん、この場においては反対する者なし、全員賛成!(笑)
目の保養もできたし、これから回る福渡の町の全景も把握した、あとは一気に境内へ。
お神輿が据えられる仮屋の前で友谷さんより10月13日(日)に行われる「建部まつり」の説明を聞く。
「たけべ八幡温泉」は源泉かけ流しである、その評判は年々増して、平日でも広い駐車場がいっぱいの時がある。それとレストラン、町の人らも何かにつけてここで昼食をとる人が多い。中でも日替わり定食は980円でその品目とボリュームで大人気。
「よっし、今日は日替わりにしよう」と固く決意した(?)学生さんたち、だったが、「残りあと4食です」の無残な通告(笑)
では、と、奮発して「八幡御膳」のボタンを、が「えーっ、これも終わっちゃったの?」敗北(笑)
その点、記者は地元にいて情報は確実、「天丼」をお願いする。(この天丼、カリカリ感が最高、タレが若干、辛目だが、これは食べるに値する!)
今日の昼食番付、どうやら、それぞれ別々のメニューになったようで、互いが互いの注文した料理が運ばれるたびに、「うゎー」とか「ああー、おいしそー」と羨望のまなざし(笑)
「人の食べてる物っておいしく見えちゃうんだよね、特にお腹がすいてるときは」(笑)
ロビーでは建部町出身のイラストレーター、神吉 李花さんの作品展を開催中。この催しは他の4か所のお店でも開催され、「スタンプラリー」もあって
全部のスタンプを押すと地元名産品がもらえる仕組み。
建部にいきなりスタンプラリーブームが到来!
先生から「三宅さん、私はいつもこのあとお昼寝タイムを取るのですが、学生たちはここでゆっくり休んだり、買い物をしたり展示を観たり・・・」
(ええーっ、まだ、主眼の福渡にたどり着いていないのに・・・)
でも、これこそが「大地ワールド」、決められたことをこなす必要もなく、その時、その状況の中で最大の満足を得られる一日にする。
記者はすぐさま「足湯」へ、この湯、4月からの「めだかの学校」での制作中に何度となく浸かりに来た、すると羽が生えたように足が軽やかに夜もぐっすり眠れることに気づいたから。
そのうち学生さんらもやって来て、「ポチャン、ポチャン」と足湯三昧。(そのシーンは失礼のないよう撮りませんでした)
そばを走る津山線を渡った所に「サニーデイコーヒー」がある。サニーさん、マル屋さん、スイーツチュプさん・・・「たけべ新聞」を始めた時からの仲間。
ここで食後のコーヒータイム、店内にあふれる豆の香り。
いつしか円卓が作られ、先生を囲んでの対話の時間、こうした自然の流れも「大地ワールド」、あらかじめ会話の方向性が決められているわけでもなく、たまたまここで出た話題が一つのテーマになることも。
記者が「最近、外国からの観光客(?)をここで多く見かけるようになった、それもごく普通にマルナカで買い物をしていたりする(笑)。
それは多分、それまでの東京、京都といった定番に飽き足らなくて、よりディープな日本文化に触れたいという成熟した外国旅行者の現れだと思う」と話したことで、
「ノートルダム清心女子大学では外国からの留学生はいますか」と聞き、
(学生)「ほとんどいませんね」
(記者)「でも、岡山大学のキャンパスに入ると外国の留学生が大勢、自転車で校舎を移動しているのに出くわしますが」と振ると、
(先生)「そういった観点で、地方における外国から来た人たちのコミューンや地域との関わりがどうなっているかを調べても、今の日本の姿や将来が浮き彫りになりますよね」とアドバイス。
解くべき課題は大きなテーマにあるのではなく、ごく身近で些細なところにある、「神は細部に宿る」(ミース・ファン・デル・ローエ)。
「サニーデイコーヒー」の店内に置いてある小さな鉢からは3つの芽、「コーヒー豆の木になった豆を植えたら芽が出たのです」マスターの説明に
「わぁー、コーヒー豆の赤ちゃんだ!」と感性豊かな表現に店主ご夫妻もご満悦。
目と鼻の先にある岡山市環境学習センター「めだかの学校」へと移動。
「ここでは三宅さんの石の作品と、隣の建部ヨーグルトのソフトクリームが第一目的です」
「えっー!」先生にそう言われても展覧会は9月1日で終了、作品は解体しました、ヨーグルト工房は臨時休業、どちらもお応えできません・・・・トホホ。
申し訳ない、せめて「インスタグラム」で観てください。
なんだか北の空が黒い、幸せ橋を渡り、本日のワーク場所、福渡に向かう前に怪しい空模様。
それでもここまで来たのだから、お土産を買うなら必見と建部町観光物産販売所にてショッピングタイム。
「ねぇ、ねぇ、このシャインマスカット、すごくおいしそう」「こんな大きなブドウが安いよ!」
迷えども荷物になるのに買うか やめるか、ここが思案の・・・(笑)。
急ぎ足で福渡商店街へ、商店の一角で町の人が学生さんの来るのを待っているそうだ。
明治時代の鉄道遺産「メガネ橋」を抜け、失くしたものは何でも見つかると言う「失せ物の神様(畔越大明神)」で手を合わせ(ただし見つかったら、お揚げをお供えすること、見つけてくれるのはゴンギツネさんだから)、走れー、大粒の雨がポッツン、ポッツン。
商店街の酒屋さん、今は廃業したお店の店内へ。
「ハヨ、ハヨ、中に入られて、腰を下ろして、ゆっくりして、ブドウとイチジク、めずらしくないけど、ここで採れたから食べてね」女将さん、前の旅館の女将さんも一緒。
「ずっと、遅いなあと待ってたけど、お一人、帰られたわ、何かお役に立てることがあればいいけど・・・」
外は先ほどが嘘のように叩きつける雨。
この雨が止む間、町の人と学生たちと、どんな会話が交わされたのだろう、女将さんと案内役の友谷さんによる昭和の頃の町の説明は覚えているが、大半はゆっくりと時が過ぎていった印象。
「この前の道を中鉄バスが走っていたのよ、ダムの工事で大勢の人がここで寝泊まりして、旅館も何軒もあってバーや、食堂、パチンコ、映画館まであったのよ」
当時の商店マップを見つけて来てくれた。茶色く、色褪せた広告地図、ここにかつての繁栄の「夢のあと」が刻まれる。
いつの間にか”雨あがる”。女将さんが「ああ、サッパリしたわ、もう、歩いて行けるわよ。
少しはお役に立てたかどうか、また、いつでもいらしてくださいね、年寄りだから暇にしてますからね」と冗談交じりに言う。
福渡の町、「肉屋」「魚屋」「薬局」「クリーニング屋」「郵便局」「銀行」「役所」「公民館」「国立病院」などがある、年寄りが歩いて必要とする所に行けるコンビニエンスタウン、こうして年寄りが顔を合わせて話せる空間の残る町。
それでもこれが最後の楽園となるかも知れない、我われはそれを守っていけないと感じているから。
そんな思いが、学生さんに伝わってしまったのかも知れない、それはマズイ、マズイ(とにかく年寄りは悲観的、明るい展望はなかなか語れないからねえ)
先に帰る生徒さんを見送りに駅へ。そこで同じ列車に乗るために来られた女性。
友谷さんが声を掛け、大地さんに紹介するも先生もビックリ、今日、巡った場所で押しに押したスタンプの作者、イラストレーター神吉李花さんとバッタリ!
学生たち、一斉に作品集を出しサイン攻勢、気さくに応じる神吉女史。奇遇とはこのこと、授業の締めは、出会いで締めくくり。
次の電車に乗ることにした残留組の目的は山田精肉店(Yamada
deli実家)の揚げたてコロッケ。
ここでも女将さんは「今から揚げるからちょっと待っててね」と気さくな対応。
一個ずつ袋に入れられた熱々コロッケを手にして学生さんも「もう、感激で、美味し過ぎて・・・言葉にならない!」(さすが、食べ盛り!)
先ほど出会った神吉さん、話を聞かせてくれた町のお年寄り、温かいコロッケ・・・福渡フィールドワークの1日は閉幕の時を迎えた。
(記者感想)
行く先々で何かを発見、立ち止まり語り合う、大地先生のフィールドワークを目の当たりにして、記者だけでなく学生たちもびっくりしたに違いない。
大地さんのフィールドワーク論は既成概念を持たず、そこに赴き、そこで聞き取り、そこで気づいたことから始める。
それて思い出すのは、記者が学生の時、教わった民俗学の宮本 常一先生。いつもマイペースで、下駄ばきでカバン代わりの風呂敷包みを持ち、学生にも気軽に声を掛ける人だった。
訪れた村を自分の足で一軒ずつ回り、そこの民家に泊まり、いろりを囲んでじっくり話に耳を傾ける、それがもっとも大切だと話された。
一方、大地さんのフィールドワークは遊びの精神に満ちている。行く先々で何かを発見し、子どものように立ち止まる、
「私がこれを始めたのは、田舎をもっと面白くしたいと思ったから、それはこの町に生まれた自分だからできる」との言葉にそれが表されている。
さて、この続きは今月18日に行われる「オンライン交流会」へとつながれていくとのことで、故に学生さんの感想もお聞きしていない。
いずれにしても、学生さんのフィールドワークは始まったばかり、長い人生の中で”自分で興味を持ち、それを自分の目で確かめ、そして考える”
そんな習慣が身に付いていくことを願っている。
(レポート・写真 三宅 優 写真提供 河本大地さん 松下りえさん 友谷清志さん)
8月、夏休みも残りわずか。宿題は終わったかい?「いえ、まだ何にも・・・」
そんな心配抱えて迎えた18日、日曜日、ここ岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催、第2回サマースクールが建部「友愛の丘」キャンプ場で開かれた。
いつから始めただろう、古老スタッフの古本さんに聞く。
「もう15年、うんにゃ、もっと前からじゃったろう・・・」記憶が薄れるほど前から。
記者がここに移り住んで15年、その間、手伝いをしていたから多分そうだろう。
午前9時半、「今日も暑くなるぞー」と観念して開会式に臨む。今回の参加者は市内からの10家族30名、実行委員長、松田さんのあいさつ。
「今日は自然の森の中での探索やうどん打ちなど色々な体験を用意しています、親子で楽しい思い出を持ち帰ってください」
まず午前の部は森の探索「ネーチャーワーク」と家族で作る「うどん打ち」の2班に分かれての活動。
「ネーチャーワーク」の講師は「フンコロガシ」こと山崎ヒカル先生。「うどん打ち」はこの道、うん十年の古本師匠と一番弟子の佐藤さん。
ネーチャーチームはさっそくゾロゾロと森の探索へ。
山中は谷筋からの冷えた風で意外や涼しい。
以下、フンコロガシ先生と子どもたちとの問答紹介。
「この木、なんだかわかる?」(子ども)「イチョウ!」
「そうだね、じゃあ、これどんな実がなる?」「ギンナン!」
「じゃあ、この木は?」「サルスベリ!」
「そうだね、幹がスベスベして猿も滑りそうだから名前が付いたんだけど、紅い花は長く咲くので”百日紅”って漢字で書くんだよ」
さすがに進んで参加しただけあって、子どもたちは「ものしり博士」が多い。
そのうちセミがやって来た。
「あっセミ、捕まえてみたいー」
(子ども)「トンボも見つけたよ!」
(先生)「これは、ミヤマアカネ、こうやって羽を指で挟んで持ってやるんだ」
「先生、ここにカナブンがいる!」次々、見つけるのは大人より子ども。
例年だと「ミーミーミー」「ジージージージー」山はうるさいほどのセミの合唱が聞こえるのだが、今年は「ミーー」と薄く鳴くだけ。蜂も少ない、ヘビも見ない、暑すぎるせいだろうか。
森の探索隊は辺りを一周、その間、いくつもの植物について学び、ほどほど汗もかき、帰還。
一方、「うどん打ち」体験チームでは古本師匠の指導の下、粉まみれでの挑戦が繰り広げられていた。
(古本)「今日のうどんの粉はオーストラリアから届いた小麦です、日本政府がオーストラリアにうどん用に特別に栽培してもらっています」
粉に対して54%の水を混ぜる、水には師匠秘伝の隠し味が・・・。
「指を立てて素早く混ぜるんだよ!」
煉(ね)れた後は「踏み込み」。
両足に体重をかけて、しっかりとグルテンをもみだすように踏んで、踏んで・・・重しが足りないので下の子をおんぶ(笑)
そうして次は、麺棒で「伸ばし」
「グイグイ、グイグイ」「ゴロ、ゴロ・・・」
(師匠)「早くしないと、伸びなくなるよー」
「もう疲れたー、お母さん代わってー」
伸ばした生地を四角い包丁で切る。細く均等に・・・でも、太いの細いの色々ありも、またご愛敬。
12時を過ぎ、本部棟ではスタッフが大釜2台に湯を沸かし、参加者の到着を今や遅しと待ち受ける。
テーブルにも各家族用の湯が沸き立っている、自分たちで打ったうどんを家族で食べる、うまいも、まずいも、自己責任(笑)
「あ~、おなかすいた!」子どもたちの到着と同時にうどんを鍋に入れる、湯で時間は約15分。
食し方は「ぶっかけ」、生卵、青ネギにキミセ醤油、名物、即席キャベツ漬けは箸休めに(これが大人気)
湯だった所から随時、食べ始め。
「どうだい?」(子ども)「サイコー、うう、うまいー」
「お代わりいる人、あるよー」「ぼく、おかわり―ください」
腹も満腹となり休憩後は午後の部「工作の時間」
朝、一番で撮った家族の写真を入れるお手製フォトフレーム作り。
絵柄は自由だよ。
夢中で取り組むのはお父さん、お母さん(笑)、いえいえ、子どももインスピレーションを働かせての手作りフレーム。
出来上がりはどれ一つとっても個性あふれる仕上がりに、中に納まる「家族の笑顔」
フォトフレーム作りを終え、最後にスペシャル体験「アイスクリーム作り」が待っていた。
砂糖、牛乳、生クリームを混ぜジプロックへ、それを塩の入った氷の中に入れて「せっせ、せっせ」と揺すること10分、「完成!手作りアイスクリームだ」
これまたお味は?「う、う、、冷たい!」「甘い!」「うう、うま~い!最高!」
午後3時過ぎ、閉会式。誰か感想を言える人?
「ハーイ、自分で作ったうどんがおいしかったです!」
「アイスクリームがおいしかった、でも、もっと甘い方がよかったです」(笑)
最後に実行副委員長の森本さんの閉会の言葉。
「みなさん、今日はこの自然豊かな環境の中で思い切り活動ができましたか?この日のことは大人になっても良い経験として残ることと思います、また建部に遊びに来てくださいね」
陽はまだ強く、遊び足りない子どもらが木々の中を追いかけっこ、セミが別れを惜しんでか、急に声高に鳴き始める。
無事、スクールが終わりスタッフもホッと一安心、記者もイスに座り「ボッー」とセミの抜けがらになる。
(レポート・写真 三宅 優 )
まさに異常を超えて、地球の「新熱亜紀」突入とも言えるこの暑さ、一方、北にに行くと1時間100mmの雨。南海トラフ地震注意警報も出てこの夏の行方は、まったくもって予測不可能。そんな最中(8月11日)での建部町納涼花火大会の実施。
「えっ、ほんまにやるの?」電話での問い合わせ。
「やりますよー、まちがいなく、お金も集めたし」
当日、夕方5時、会場となる建部町文化センター前、旭川河川敷、通称「親水公園」に出動。午前中には町の道路中に「進入禁止」「駐車禁止」な看板を立てまくった(笑)
すでに本部テントでは役員らが集まり最終準備に余念がない、われら予備役は持ち帰り用ゴミ袋の配布が任じられている。
去年は見事なばかりのクリーン作戦で「飛ぶ鳥まったく跡を濁さず」今年はどうだろう。
去年よりも控えめな屋台陣、しかし目にキツイほどの赤・黄・黒のテントの看板文字、「オムソバ」「フランクフルト」「レモネード」「豚焼き」「チョコバナナ」
食欲よりも「どんな物か見てみたいムード」満点。
配布ゴミ袋も底をつき始めたころ、わが町、建部の輩出芸人、リンクアップとっしーのマイクアナウンスで、いよいよオープニング。
垣本実行委員長の開会宣言「今年は50年と言うこともあり、大きな催しをと考えまして、幸いにも去年に引き続き、地元企業、朝日(株)さんより多大な寄付を頂き、
今日はそれが観えるかと思います、最後まで楽しみにしてください」
どうやら3部構成での打ち上げ、相当、力が入っとると見た。
アトラクションは「建部はっぽね太鼓」すでに何十にも人の輪。乗りに乗った後はさらにノリノリ「ヒップホップダンス」、こんな若い人が町のどこに隠れておったんじゃと、
首をかしげる本部席のお年寄り(笑)
合間を縫って、なんと、わざわざ岡山市本庁から大森市長が来てのスピーチ、50回も続く花火大会に賭ける建部の人の強い熱意と団結を感じると称賛頂く。
そんな建部の50年の歴史をくぐり抜けて登場したのは建部公民館・盆踊りチームのお姐さんたち、お揃いの白い浴衣が目にまばゆい。
曲目は「建部よいとこ」、一度は消えたと言われ見事に復活を遂げた旧建部町時代の名曲?だ。
「ちゃんチャチャ、チャチャちゃん、チャチャチャチャちゃん・・・」老いも、そう若くない人も、みんなで踊る”建部音頭”
午後8時、最初の1発が上がる、「ド~ン!」それから次々に、息をする暇もなく、「ババババーバーン!バリバリーバリーン!」「ズドーーン!」
両方を山に挟まれた会場、音が、とにかく音が凄い、思わず手にしたビール缶を落としそうになるほど。
確か2回の休憩を挟んでの打ち上げだったのだが、誰もそんな記憶があまりない、「すごいね!」「ワ~、スゴイ」「もう、めちゃ、スゴイ!」
「スゴイ!」「すごい!」の連続で一気にフィナーレへと突っ走った。
翌朝、7時、会場の親水公園、関係者、中学生ボランティアによるゴミ拾い。去年ほどではないにしても(今年はタバコの吸い殻が目立った)、芝生は、ほぼグリーンを保ち合格点。
終わってみると、暑かった準備作業も過ぎた夏の1ページ、また来年もきっとやるのだろうなあと、一人、思う。
(レポート 三宅優 写真・勝部公平 松下泰成)
7月27日(土)朝8時半、今日の予想気温、摂氏37度、すでにアスファルトは炎熱の反射。
本日、第1回サマースクールの午前の部は建部町B&G海洋センターで行われる「カヌー体験」、午後は山間での「ブルーベリー狩り体験」、
共に屋外とあって熱中症対策必須の一日となりそうだ。
9時過ぎ、市内から参加の小学生の家族14組、34名がB&G会場に到着。さっそく開会式に臨む。
主催者の岡山市環境学習センター「めだかの学校」武藤館長による開会の言葉に続いて、松田実行委員長より「水分を十分に取り、無理をせず活動してください、良い夏休みの思い出ができますよう願っています」とのあいさつ。
そしてこの日、カヌーを指導する先生方の紹介で、いよいよ体験へ。
まずは「バディ!」(点呼)の練習。2人一組になって手をつなぎ、一列に並ぶ。先生が「バディ!」と叫ぶと「オー!」とつなぎ合った手を上にあげる。そのまま「バデイ、1!」「2!」「3!」と叫んで手を下す。仲間が全員そろっているかを確認する重要な訓練だ。
そして川の勉強。一見穏やかに見える川も、中では流れが速かったり落水が出ていたりする。そんな川の危険性を知る。
艇を運ぶ。これもバディを組んだ2人で1艇を前、後ろを抱えながら運ぶ。きついようなら中ほどを介添えする。
子どもらは顔をゆがめながら懸命に川岸まで運ぶ。
パドルの練習。艇を前に進めるには「パドル」で水を漕がなくてはいけない、その漕ぎ方。
右を漕いで左に、その時、左手首をくるっと回しパドルの先が水面に垂直に当たるようにする。
子どもらは「あれ、右に向けるのはどっち漕ぐのだっけ」
「左じゃない
?」
「左?そっか、そうだね、わかった」なんとなくおぼつかない(笑)
艇の乗り方。説明は聞いたけど、乗るときはいきなり艇内に足を突っ込む、「いやいや、そうじゃなくて・・・」指導員さんの汗だくの対応。
1番の艇が出てから最後が出るまでは30分が経過・・・ごくろうさま。
どうにか、全員が川の上。岸からはお父さん、お母さんの「右漕いで、そうじゃない、右、右」「前見て、前、ダメダメ、ぶつかるよー」のハラハラした掛け声。
そのうち、沈没する子ども、「ああぁ、やっぱりなー、チン(沈)すると思ったんじゃ」日の丸背負った古本指導員のため息まじりの声(笑)
「沈」はしても川で泳げたし、カヌーも少しは進んだ、陸にいるよりずっと涼しい。いい体験だったこと間違いなし。
再び全員で艇を運び、水で洗って、庫に収める。最後は「バディ!」でメンバー確認、「バデイ!」「1!」「2!」「3!」。
おいしい昼食を頂いた後は車で20分ほど移動、田地子地区にある本田果樹園でブルーベリー摘みにトライ。
山間の畑に約100本のブルーベリーの木が生えている。そのどれにも黒く熟したブルーベリーがたわわに実っている。
本田さんから、実の見分け方と毛虫の注意を教わって園に入る。
「あっ、母さん、これ、めっちゃ甘い!」「ここ来て、ここ、どれもすっごく大きい!」
さっきまで「疲れたー」を連発してた子も、ビタミン補給で元気を回復。手にした小バケツもすぐに一杯になると思いきや、みんな口に入れて増えそうにない(笑)。
どっさりとおみやげを手にした一行は田地子集会所で閉会式。
本田さん奥様、お手製のしぼりたてジュースで喉を潤しながら、半日を振り返る。
(子ども)「僕はブルーベリーを何十粒も食べれたのがうれしかった」
(保護者)「ベテラン先生のご指導で貴重な体験ができました、いい思い出になります」
外の温度は予報通りの37度、でも今日の日のことは、きっとすがすがしい思い出となって残ることでしょう。
(レポート 写真・三宅優)
最初に石を並べたのは2014年、富士山が世界遺産に登録されたのを受け、ブルーシートの上に拾ってきた石を使い葛飾北斎のいわゆる「赤富士」を制作した。
それから10年、再び北斎の富士、描くのは「富嶽三十六景」ならぬ「富嶽八景」。
年齢もいつの間にか70歳を超えていた(笑)、そんな画狂老人の頂上踏破はできるのだろうか?
ユーチューブ動画(2分18秒)
4月、三十六景の中、もっとも有名な「浪裏の富士」(神奈川沖浪裏)から着手、実はこの絵が新しいお札に使われることも、この年、県立美術館で展覧会が開かれることも
知らないでいた。(笑)
制作場は昨年の「ジョルジュスーラ」と同様、町内にある岡山市環境学習センター「めだかの学校」おもちゃの宿。ベースに使ったのはブルーの畳サイズのスチレンボード3枚、このボードは表面がガサガサして石がすべらないので使い良い。
約10日間、フルタイム立ちっぱなしの作業、しかしこれが災いして帯状疱疹にかかる、おまけにギックリ腰まで。医者の処方の薬を飲んでも効かないし、忘れられるのは石を並べている間だけ。
休むことなく制作、10分やって30分しゃがみ込む、そんな日々が続く。
そんな中、一方で今年、県北で開かれる「森の芸術祭」の「FRIENS PROGRAM」に参加することが決まる。
場所は津山市の久米公民館大ホール、ここを埋める作品準備がさらにヒートアップ。
8作を終えたのは7月も初め、どうにか痛みも遠のいた。これは最初の薬を1週間飲んだ後、その後の薬は飲まなかったのが良かったと思う。
車の運転もしてはいけないという薬を医者の言う通りに飲み続けるのはあまりに無防備、自分の体は自分で守るしかない。
展覧会に向け、妻が展示図面を描く、「ああでもない、こうでもない」の議論を重ね7月19日、展示作業を終える。
7月20日(土)開幕。長~い夏の展覧会の、は・じ・ま・り。
(レポート 写真・三宅優)
7月7日、織姫と彦星伝説の七夕祭りの日、里山では代満(しろみて)祭りを開催。
「代満」とは田植えが済み、青々とした苗と満々と張られた水が満ちている様のことです。田植えが終わり、春の農繁期が済み、疲れた体を癒し、秋の豊作を祈願する、地域の交流会で、里山たけべで復活開催しております。
当日は、野の神にお清めし、地元の魚屋さんが盛り付けたタコ入りの刺し身、岡山牛のホルモン焼きで交流しました。タコは、田んぼに植えた苗が地に根をはり豊作になりますようにとの願いを込め、牛肉は農耕牛として働いてくれた牛に感謝をこめていただきました。
祭りの途中では、里山会員の市川、片山さんの尺八演奏会、皆んなで童謡などを唱和、皆さん楽しい人生の一ページを飾り、癒やされて帰途に着きました。
(レポート 写真・勝部 公平)
6月15日(土)の午後、建部小学校の子どもたちが親水公園近くの田んぼにあちこちから集まって来ます。
田んぼに入るとすぐ泥んこ遊び、たくましいですねー!
田植えは、横一列で苗を手づかみ、2から3本ぐらいずつ丁寧に植えて大人の方がしんどそう、バイタリティがみなぎってました。こんな感動大事ですねー!
翌日の16日(日)はめだかの学校主催の梅獲り体験、応募が殺到したそうです。里山は体験の宝庫、美咲町の梅の木が20本ほどある大天梅林農園に7家族20人ほどが参加、今年は全国的に3月から5月の天候異変で梅不足だそうですが、ここはたっぷりと取れました。
参加費500円で梅1〜2kgがおみやげです。参加者は、梅のレシピ、梅干し、梅ジュース、梅ドレッシングなどの作り方を教わり、帰りは、地元の皆さんで運営している紅そば亭でボリームたっぷりの手打ちそば、地元産の山菜や野菜の天ぷらなどで満足の里山体験でした。体験こそが生きる力を高めますね―!
(レポート 写真・勝部 公平)
6月、鬱陶しい梅雨にもうすぐ入る。この夏は「エルニーニョ」ではなく「ラニーニャ現象」とかで高温になり大雨になるとの事。
私の住む福渡では4年前に自主防災組織を立ち上げ、毎年この時期に旭川の増水による浸水の危険地区と土砂災害の危険地区を対象に防災会議を開催してきた。
今年は町内会役員の交代年度で、また南海トラフの高まりも言われていることから全自治会長に参加を促した。
6月2日(日)13時、避難所となる建部町公民館に模擬本部を設置、ここに各自治会長、役員、防災委員の計23名が出席し会議を催した。
まずは 「防災団構成員」の確認。出席者の多くが、この日、初めての参加で何の予備知識もない人たち。
そもそも、自分が防災団の要員であることさえ把握してない可能性もある。緊急時は各自治会ごとに協力し避難に当たる、このため自治会長の役割は重要。
「避難所開設の流れ」誰がどこに連絡をし、どういった情報を伝えるか。簡単なようだが、いざその時になると混乱が生じるに違いない。それでも何も知らないよりはまし。
重要なのは要支援者の把握。「高齢者」「障がい者」「子ども」「妊婦」そして「外国人」、この人たちを安全に避難させる、そのために日頃から当事者と話をしておく。
会議を終え避難場所となる館内にある「和室」の視察。
「ここにおよそ20人程度、寝ることができます。でも想像してください、地震が起きて家にとどまれない人がここに一斉に避難したら、ロビーに寝るしかありません」
倉庫にある避難備品、備蓄食料の確認。
「ここに敷マット、毛布、水、食料などが備蓄されています、でもまだチョットしかありません、毎年、こうした防災活動をすることで市から下りる助成金を使い買い足しています」
別の避難所へ車に分乗し移動。町内にある団体企業が運営する研修施設、そのホールを避難所として使わせてもらう協定を毎年、結んでいる。
ホールの床はコンクリの上に板敷、ブルーシートと敷マットが必需品、床に横になるとマットのありがたさがわかるはず・・・。
まず実際に見て状況を把握しておくことで、行動が取りやすくなる。
2時間弱の研修が終了、参加者の反応はまだ。大切なのは中身ではなく、たとえ同じことの繰り返しでも途絶えず続けること。
過疎化とは「人の減少」ではなく、「人のつながりの希薄さ」だから。
「自分たちの町は自分たちで支える」を合言葉に進もう。
(レポート 写真・三宅 優)
当新聞の「特集記事」にも掲載している建部中学1年生による「避難所開設体験学習」が今年も開かれた。
この学習の際立った点は地域の住民が”避難者”として参加すること、それも様々な役柄に扮して。
例えば、日本語のわからない外国人、身体が不自由な人、子供が行方不明の人、ホームレスの人などなど。
13時30分、中学校の武道館に集まった地域の方たちは20数人ほど。校長先生より説明を受けた後、役柄を示す「役割カード」
を配られる。
一応に「ムムムー・・・」と役の難しさに戸惑い気味。
13時50分、避難者全員が2階体育館に設けられた避難所へ移動。
入り口でまず検温。
続いて、受付テーブルで名簿に記入。
すると「私は3人で来たことになってるけど、どの名前書く?」
「私は4歳の子だから字が書けないと思う」
避難者からの質問。避難所で名簿にいかに詳しく書いてもらうかは重要なポイント。
生徒たちは避難者が抱える様々な状況の受け止めに、まずつまずく。
「これ、どこに書いたらいいの?」
「なんて書けばいいのかなあ?」
受付を終えた人が首にかけた「役割カード」をもとに、生徒たちにより避難場所へ案内される。ある人はベッドのあるテントへ、別の人はマットが敷かれただけの場所へ。
マットは健常者で、テントは要配慮者との振り分け。
避難者の数だけ要望がある・・・?
「私は看護師なので、何かやれることがあったら言ってください」
「ワシは家も無く身寄りも無いホームレスで、食事がもらえると聞いて来たので、マットの上でも大丈夫です(笑)」
「私はネコと一緒にいたいんじゃが、そうしてもらえんか」
「僕は自閉症の子どもを連れた母親の役で、実際の自分もツエがないと歩けんで、どうにかしてくれ(笑)」
「私は車イスだからテントに入ると同居者に迷惑がかかるけど・・・いい?」
役に徹した避難者のさまざまな問いかけに、生徒たちは「う~ん」と腕組。
受付から避難場所への誘導まで、わずかな想定の中にいくつもの課題が生まれ、生徒たちは、その”混乱”の洗礼を受たようだ。
30分後、終了、全員での振り返り。
参加してくれた地域の人たち一人一人が感想を述べる。
「受付が混雑したので、テーブルを増やす必要を感じた」
「子どもが行方不明となっていたので、親身に対応してもらいたかった」
「喘息だったが対応もしてもらい、窓を開けましょうかと言われ、気遣いがあった」
「年寄りが多いので、大きい声で話してほしい」
「受付で書く名簿の文字が小さくて読みづらい」
「困ったことはないですかと声かけしてくれ、スリッパを勧められたのも良かった」
「一人暮らし、高齢者で認知症、検温時、盛んに咳をしましたが気づいてもらえませんでした(笑)」
「テントに案内してもらったが、テントの敷居の段差がけっぱ躓いた、でも声掛けはうれしかった」
「薬が無いと話したら、”えっ、どうしよう?”と答えたのは避難者が不安になると思う」
「子どもを別に見守る人もいた方がいい、ところでリハーサルは何回ですか?」
(1回です)
「それは、よくできました(笑)」
最後に指導企画された講師の方からのまとめとして。
「私も学区での避難所運営など多く携わってきました。その上で言えるのは避難所はホテルではなく、そこでは避難者と皆が協力し合うことが大切だと言うことです。今日の学習でそのことが学べたのではないかと思います」
<記者感想>
昨年より時間が短縮されたようだった。でも課題はしっかり噴出したのではないだろうか。参加した地域の人の感想にも厳しい注文が見られた。
恐らく実際の避難所ではこれの何十倍もの問題が起こるだろう。そのことへの想像体験を得られたことが、この学習の大きな成果だったと思う。
(レポート 写真・三宅 優)
建部町、福渡の河川敷に停められた車は「建部物産販売所」下から鉄橋まで延びている。
今日はカヌー全国大会開催の日、選手と家族、関係者、そして応援者が幸せ橋を中心に
競技の始まりを待っている。
鉄橋には津山線の赤い電車が通り過ぎる。何度も観た光景が、今日は特別、輝いて見える。
開会式、選手宣誓の後、デモンストレーション。選手たちが陸に並びコースの状況をしっかりと確かめる。
10時、フォアランに続き「たけべcupスラローム」。
空からは真夏を思わせる陽の光、2日間にかけての戦いが幕を落とした。
(レポート 写真・三宅 優)
建部小学校1〜2年生でサツマイモの苗「紅はるか」を4月30日に50本植えました。
秋の収穫とおイモのパーティを楽しみにしながら水やりや雑草とりをこれからやるそうです。
(レポート 写真・勝部 公平)
4月7日、日曜、スッキリと晴れ渡った建部平野、目指すは「たけべの森」。
途中の八幡橋から見る品田の山を彩る山桜、この”春おぼろ”な風景が建部の桜もう一つの魅力。
もちろん代表は「たけべの森公園」、今日はその「はっぽね桜まつり」の開催だ!
午前9時、到着、広い芝生公園には地元から出店した色とりどりのテントが並ぶ。
「おう、おう、三宅さん(記者)買ってってよー」さっそく呼び込みあり。
淹れ立てコーヒーの「サニーデイコーヒー」さん、搗き立ての「草餅」を出す中田メンバー、鶴田からは「ジビエコロッケ」などなど、本日も満腹御礼間違いなし?
今年は、しだれ桜が短く剪定され、花々の勢いが若干、頼りげない?だが広場下に広がる吉野桜の並木が満開で、さすが「たけべの森」の桜を演出する。
10時30分、本日のアトラクションのオープニングの「七社八幡宮神楽保存会」演舞が始まる。当「たけべ新聞」スタッフの花房君も健在だ。
前に陣取った子どもが獅子の顔が目の前に迫り、慌てて尻ごむのもお愛嬌。
引続いて「建部はっぽね太鼓」、前にも増してパワーアップした打法に観客もお尻が地面に吸い付いて動けず(笑)
食べ物ブースにはしだいにお客さんの列。
「まああ、安いわー、ネギ焼きも、つき立ての草餅も100円、うどんが300円よー」
そうなんです、ここは建部、地元各町内会や事業団体は儲けなし、楽しむのが目的なのです。
丸太切り体験コーナーでは、田地子区長の本田さんが子どもにノコギリの手ほどき。
「ヨイショ、ヨイショ」「やったー」と切り落とす。
赤い大型トラックは岡山市の消防隊、一日、隊長で運転席に陣取ったお嬢ちゃん、「ブッ、ブブー、さあ出発ー」
芝生ステージでは「晴吹(ハレスイ)」の楽団の登場、一気に華やかさのピーク。リズミカルに刻む管楽器の音に、手拍子、体を揺らして参加の観客。
「いやー、はじめて来たけど、後楽園などとは、また違って、ここは広々してくつろいで楽しめるからええわー」
ビール片手のお年寄りが、ご機嫌で語る。
昼を過ぎる頃には 「ああー、待った、待った、やっと買えたわ」の声、ソフトクリームの「建部ヨーグルト」には長蛇の列。
久々の孫の相手に大奮発で千円札を渡すじいちゃん、ばあちゃんは次々と”おいしいもの”を見つけてはテーブルに運ぶ。
ところでこのレポート、現地にパソコンを持ち込んでの生報道、観客の声もすべて今、周りの来園者の声。
2024年4月、こうして日本のたけべの春は、ゆっくりと時を刻んで行った・・・。
(レポート 写真・三宅 優)
岡山市環境学習センター「めだかの学校」の小川も水が緩み春の訪れが感じられる3月17日(日)、小鳥の巣箱作り体験が岡山市内の2家族を迎えて行われました。
開会式では、昨年参加して作った巣箱にシジュウカラが来て2ヶ月後、4羽のヒナが誕生、写真が送られたとのご披露。
スタートから大盛り上がり!さっそく親子で協力しながら、釘打ち、小鳥のとまり木作り、蝶番付けなどテキパキい行い完成!
小鳥が遊びに来る家、なんて素晴らしい人生に乾杯!!
(レポート 写真・勝部公平 写真提供・信近さん)
石を並べるだけで名画完成。こんな変なアートを思いついたのは当新聞、副編集長(記者)。
今度で9回目となる、その石で描く展覧会が3月3日(日)、記者宅「ドレミファミリアアートギャラリー」で開かれた。
今回取り上げたのは、「真珠の耳飾りの少女」で有名な17世紀オランダの画家、フェルメール。
はたしてどのような展覧会となったのかご報告。
「いやあー、それにしても、芸術は面白い!」
石で描く「フェルメール展」動画(ユーチューブ 1分41秒)
「たった1日だけの展覧会」と銘打ったのは、次の日には石を回収し、崩し始めるから。観客も事情を知っていて「今日、来ないと、もう2度と観えないのよね」と呆れ顔(笑)。
それと、この日は休日もあってうれしいことにヤングな観客に恵まれた。
子どもらが作品をのぞきながら「あっ、これは、この絵だ」と気づいてくれた。
作品の紹介をしよう。「レースを編む女」縦、横、24x20㎝の小品とは思えない緻密さ。
当時、発明された「カメラオブスクラ」(箱カメラ)を覗いて写真のように表現されている。
「窓辺で手紙を読む女」2013年修復されて、背景にキューピッドのいる額があることがわかった。
「画家のいるアトリエ」正式名は「絵画芸術」、フェルメールが亡くなるまで手元に置いてあったと言われる。
「水差しを持つ女」左から差し込む光、フェルメールがもっとも愛した構図。
「牛乳を注ぐ女」当時の社会生活を代弁した作品。メイドが牛乳を注ぐ光景を切り取っただけなのに豊かな時間を感じさせる。
続いては最も有名、と言うより他の作品は知らないけどこれだけは…と言う人が多いのでは。
映画にもなり小説でも書かれている、その振り向いた横顔、視線が人を釘づけにする。
「真珠の耳飾りの少女」ターバンの青がフェルメールブルーと呼ばれる絵具、ウルトラマリン。
遠い海を渡ってやって来た、当時貴重な「深い海の青」。
次々と観客が途切れることなく来られて千客万来(100人も来てないけど)大繁盛。
町内から103歳の井手房野さん(福渡八幡神社総代長のお母さん)長く俳句をやられている。今でも枕元には紙とペンを置いて思いついたら書き留めているそうだ。
「まあ、ほんとに、すごいなあ、よう、こんなのが作れるもんじゃ。前に観せてもらった時(9月展示 ジョルジュスーラ展)、この気持ちをなんとか俳句にできんかと・・・」
房野さんが読んでくれた句。「爽やかや 小石集めて 風景画」
わずか半日、それでも1年分の出会いと会話が生まれた。
ただ石を並べただけ、ここに何の意味もない。だけど伝えたい、無意味に見えることにもいつか真実が宿る。
石で描く「フェルメール展」動画(ユーチューブ 1分41秒)
(レポート 写真・ 三宅 優 写真提供・松下りえさん)
あいにくの小雨模様となった2月最終の日曜日、建部の里山では朝から焚火が勢いよく炎を上げ来客を待ち受けていた。
岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催、「令和5年度 環境学習フォーラム」は今年も建部町田地子の多自枯鴨神社で参加者、スタッフ、ボランティア合わせて50名程が参加し開催された。
応募受付ではすぐに定員に達したのだが、当日の雨、やれるのか、やれないのか不安もあったのかキャンセルが3件。一方、地元メンバーはと言うと鼻から中止など頭にない。
雨あり、風あり寒さあり、その自然の中でどう過ごすかを学ぶからこそ意味があると考えている。
(来年はそのことを十分に理解して、たくましい子を育てる機会を活かして欲しい)
9時15分、神社境内に参加者、スタッフで輪を作り開会式。実行委員長(記者)から「たけべの里山で思いきり遊び、学んで、楽しんでいい思い出を作って帰ってください」
早速に活動に入る、まずは「ヤキイモ作り」。
こんもり盛られたスクモの上にニョッキリ立つ煙突、スクモの中に濡れ新聞紙とアルミホイルで包んだサツマイモ(この日は紅はるか)を入れ、スクモを燃して焼き上げる。
出来上がりは様子を見ないと何とも・・・まあ3時間後かな。
続いては「花炭」の仕込み。「花炭」は自然に成る、藤の実、桐の実、松ぼっくり、栗のイガ、どんぐりなどを缶に入れ、そこにスクモを敷いて蓋をして炭火に乗せて焼く。
蓋に空いた空気穴から白い煙が上がり、これが見えなくなった頃、火から下ろして紙粘土で穴をふさぎ、真空にして冷ます。これも数時間、閉会の頃には完成予定。
さて仕込み万端、次なるは「パッン、パッン!」紙でっぽうを作ろう!
節と節の間が長いシノダケ1本、これでてっぽうの筒と取っ手をまず作る。そして筒の穴の大きさを見ながら中にスムースに入るような押し棒になる竹をさがす。
弾(たま)は濡らした新聞紙、これをしっかり水を切り指で穴に詰めて打ち出す。もっと細かい作りが必要だが、おおざっぱにはこんなとこ。
それよりも、弾の詰め方、押し方、筒の持ち方などやりながら学ぶことが多い。
「パーーン!」はち切れんばかりの音に「おお、いい音だ」スタッフからの声に子どもの得意げな顔。
隣のテーブルに用意したのは「ヤジロベー」竹ひごをローソクであぶり、弓なりに曲げ、キリで穴をあけたドングリを中心と左右に取り付ける。
小枝に乗せてバランスの良い地点で中心のドングリを接着剤で固定する。ベースには「まっくろくろすけ」が人気です。
工作の次は丸太切りに挑戦!最初「ギコ、ギコ、ギギ・・・」
やがて「ノコは引くときに力を入れてやるんだよ」スタッフの説明に「そうかー」とスピードアップ。
「やった~!」達成感が体を掛け抜ける。
「花炭」の乗るU字溝の隣では先ほどからお餅がこんがり、「豆もち焼けたよ~」大人、子ども、いっせいに駆け寄り、網の前に。
炭火で焼くお餅って、香ばしさが抜群、一人、2つ、3つ・・・「これから昼食だから、その分お腹を開けておくんだよー」
「花炭」の缶からは煙が少なくなっているものも出始め、順に紙粘土で穴をふさぎ火から下ろす。
ヤキイモの方も煙が安定して出来上がりを感じさせる。
お弁当は市販のおにぎり、でもそれだけじゃあ寂しいからと、地元のおばあちゃんたちが具沢山の豚汁を用意。お餅3個のあとにおにぎりと豚汁のお替りも(笑)
「ああ、腹がはち切れそうだ」とお腹をさするお父さん、では今から村の中を腹ごなしに歩きましょう。
田地子の区長であり、「建部歩こう会」会長でもある本田さんの
道案内で参加者全員でウォーキング。
「この黄色い花は何て言う?」・・・(まんさく)、「この小川の水はどこから来てるかわかる」
?・・・(山の上の湧水が流れてきている)「この木造のお家、見て、何階建て?」・・・(あっ、三階建てだ!)
そのうち、子どもの方から「あれ、何の木ですか、ヤシの木?・・・」
(本田さん)「いや、しゅろの木だよ、何に使うかって言うと、”しゅろ縄”って言って、あの皮で縄を編んだり、タワシにしたり」
「ボク、欲しい!」「僕も!」「ボクも!」とせがまれて本田さん、しゅろの葉っぱを取りに行く。
大きなウチワを手に子どもらの凱旋が始まる。
帰り着いた頃には「ヤキイモ」がお待ちかね。ヤキイモはやはり焼きたてが一番、しかも時間をかけてじっくりと自然火で焼かれたものは風味が格別、これも別の腹へしっかりおさまって子どもも大人も大満足?
そろそろ疲れも出て眠くなってきた子もチラリ、まあ本田さんのお話を子守唄にうとうとするのも良いだろう。本田さんからは、ここの昔暮らしについて。
「昔の人がここで暮らすのに何が必要大切だったと思いますか」すぐに「水!」との返事。
「そうだね、ここには水が流れています、だからこのそばでお米が作れます、あとは野菜、それと山には木の実や山菜もある、煮炊きは薪を拾ったり、木で炭を作ったり、お金はほとんどいらないで、ここにあるモノだけで暮らして行けたんです」
本田さんから紹介されたのは「棒遣い」。この地区でお祭りの時、演じられる棒を使った演舞、それを地元の小学生が見せてくれると言う。
眠そうだった子も同じ小学生の登場に目をパチクリ。「カーンカーン」山に打ち合う音がこだまする。
棒を持ちたくてウズウズしてた子どもらも、さっそく実演突入「カーン」
フィナーレは「花炭」の開缶。さあ、どうなってるかなあ、できてるかなあ、この開けるまでの瞬間がいつも緊張。
そっと蓋を取る、「おおー、すばらしい!」
今回はどれも完成度90%の出来に、スタッフも”してやったり”と満足気。
閉会は2時、この間、行いが良かったのか心配した雨もずっと降ることがなかった。
感想は最後に元気よく「ありがとうございました!」と言ってくれたことで伝わった。
(レポート 写真・ 三宅 優)
澄んだ冬の空気の為、いっそう濃い青空の2月10日朝、山陽新聞カルチャースクールの山登り講座の卒業生の仲間で作っているクライマーズクラブのメンバーと建部歩こう会の合同チームの22名で建部町富沢にある阿光山の岡山藩池田家の墓地の整備をしました。
集合場所の富沢改善センター側にはこの地区で一番早い、梅が満開、春の訪れを伝えてます。
さっそく阿光山に入り700mほどの参道を整備しながら登って行くと、山頂にある広々とした墓地エリアに到着。
休む間もなく草刈り機で刈払い。墓地は丁寧に草抜き、墓石もきれいに磨いてあげました。見違えるようにきれいになりました。
一仕事を終え、皆、ほっとした顔でスタッフが用意した温かい軽食を頂きました。
こんな活動が多くのボランティアの力で実施できました。やっぱり、一人の百歩より百人の一歩のパワーが大切ですね❗
(レポート 写真・ 勝部 公平)
年の始まりに起きた能登半島の地震、それから1と月と10日、被害の全貌がわかるにつれ、その甚大さに驚きを覚える。
今日(2月10日)建部文化センターで建部中学2年生の「夢と希望を語る会」が開かれた。若者たちはこの災害と自分が大人へと出発した瞬間を併せ持って
思い起こすのだろうか。
では発表の内容を順不同、ダイジェストで記してみる。(聞き違い、勘違い、年寄りに理解できなかった箇所も多々あることをお許し願いたい)
●楽しい人生を歩んで行きたいです。僕がやりたいと思っていることは、
1・高校は自分に合った高校に入りソフトテニス部に入る。
2・アメリカやフィンランドに旅行に行きたい。
3・免許を取って車の運転をする。
4・高校、大学でたくさん遊んでおく、大人になると遊べないので。特に友だちと自分で買った車で遠くに行くのが一番したいです
●何か大きな夢があるわけではありません。でも次の3つのことが大事にしたいと思います。
1・思いやりの心。お店に行って笑顔で接客してくれて思った。
2・礼儀。あいさつや言葉に気をつける、「ありがとうございます」は私も聞いてうれしいです。
3・コミュニケーション。「だっぴ」の会でいろんな世代の人と話して、特に進行役の人が全員が楽しく話し合えるよう配慮してくれたので
●警察官になりたいです。
親戚の人が警察官で火事に対応したり、交通整理をして大変、でもやりがいがある。そのためには、冷静さが必要。
あと基礎体力、これがないと人を助けられないし、警察学校のきびしい授業にもついていけない。
忍耐力とコミュニケーション能力も必要、おじいさん、おばあさんや子どもとも関わるので
●2つの夢があります、一つは薬剤師になる。
職場体験で薬局に行った時、錠剤の知識や患者さんの状況を把握するのを見て、なりたいと思いました。
薬剤師になるには薬学部のある大学に入り、2000~3000時間の勉強が必要と言われています、でもがんばりたいです。
もう一つは充実した人生を歩むこと、どんな人生が充実かと言うと自立してお金に余裕があること、「だっぴ」の会で皆、違う生き方でも幸せそうでした
●最高の人生にしたい!
野球を続けることと海外旅行をする。
野球は普段の練習をしっかりやる、今は足守と御津中学と合同練習をしていますが、きつい練習にも耐えて行きたいです。
海外へ行くには英語を一生懸命勉強する、この2つをがんばりたいです。
●助産師になりたいです。
4年前、弟が生まれた時、観に行きました。弟が動く姿に「やっと会えたね」と声をかけたいと思いました、とてもかわいかった。
新しい命に会える喜びを知りました。助産師になるためには勉強が大切です。
私は母子ともに支えられる助産師になりたい、そのためには大きな壁にぶつかっても、弟が生まれた時を思い出してがんばりたいです
●私はまだ決まっていませんが、興味があることは調べて、自分のしたいことを見つけたいです。
それには1・好きなことを仕事にする 2・趣味を充実する
好きなことだけやれるわけではないので、趣味で心をりせっとすることで働く意欲が湧くと思います。
そうして心に余裕があり、みんなにやさしくできる大人になりたいです
●職場体験で無印良品店に行きました。お客様が来店された時、お店の人が仕事の手を止め「いらっしゃいませ!」と声を掛け応対して、ステキな会社だなと思いました。
それで私は日常から積極的に行動すること、人の役に立つ人になること、困っている人を見つけたら自分から声を掛けて行けるようになりたいと思います。
●自分の趣味をいっぱいやりながら生きて行きたい。
ギター、ダンス、音楽、服、読書、運動、絵を描くことなど、好奇心旺盛にこんな生活はよかったと思えるような。
将来は美容師になり、そのためにはギターは美容師のハサミにつながると思います。このあとはウクレレもやってみたいです
●小さい子どもが好きなので保育士になりたいです。
2年生の職場体験で、ていねいにご指導くださった先生にあこがれを持ちました。
保育士になるには勉強が大事です、保育士資格が必要で、いい高校、大学に進学するため予習復習を頑張ろうと思います。
もう一つは信頼される人になる。保護者との対話、相手の気持ちを考えることが大切だと思っています
●どうしたいかは決まっています、何かの職に就いてお金はそこそこあり充実した人生を送る。
AIに仕事を奪われない仕事に就きたいです、想像力のある仕事です。
職場体験で「めだかの学校」に行った時、来館者があり職員の人が手を止めて対応していました、そうした状況に対応した仕事が出来たらと思います。
そのためには1・勉強 2・いろいろな経験 3・人を傷つけない 4・健康 が大事だと思っています
●動物園の飼育員になりたいです。
今はネコを4匹にご飯をやっています。職場体験ではペットショップに行きました。
そこで学んだことは、1・動物の気持ちを理解する 2・餌の種類、量を知る 3・命を守る大切な仕事だという事です。
将来は畜産科のある大学に進みたいです
●僕はバレーボールをがんばりたいです。
建部中学は男子バレー部が無く、女子バレー部しか無いので、そこでやっていたのですが、クラブチームで合同練習に参加するように
なりました。
初めはネットの高さが女子は2m15cmですが、男子は2m30cmと高いのでサーブが難しかったです、でも今はネットの高さを上げて練習するようにして、やれるようになりました。これからもパス、トスの練習をしてがんばりたいです
●人と関わりのある仕事に就きたいです。
8つ年下の従妹と遊んだ時、従妹は園でのことをいっぱい話してくれます。職場体験では4歳児のお昼寝前の着替えを手伝いました。
両親は介護士をしています、お母さんが介護の話をしてくれる姿はスゴイと思います。
お母さんの施設のおじいちゃん、おばあちゃんに私が絵を色紙に描いて届けてもらいました。お母さんが「とっても喜んでたわ」と言ってくれてうれしかったです
●人生を楽しむこと。
目標を持ち、感謝を伝える。挑戦すること、それには勇気がいる、だれでもできることではない。
1・いろんなことに挑戦 2・人間関係 家族、友だちと居ることで視野が広がっる、人と関わることで成長がある
将来は人に喜んでもらい、笑顔になってもらえる仕事に就きたい
●大衆演劇の役者になりたい。
有名な劇団「美山」の公演を観たのがきっかけです。大衆演劇は舞台と客席が近いので、目の前で役者さんが観れる、舞台衣装も絵柄がきれいなのが魅力です。
私は香川県に行き総座長さんに入団を希望しました。そこで、相当な覚悟が必要、あやふやな決意ではダメと言われました。
私は大好きであること、お客さんに愛想をよくすること、扇子を上手になるよう練習することを続けたいです
●海外に自分の力で行くこと、さまざまな言語を学ぶ、特に英語はしゃべれるようになりたい。それとそこの生活や文化、生き方を調べる。
コミュニケーション能力を高める。テレビ番組の「世界の果てまでイッテq!」の出川哲朗がなんやかんやでコミュニケーションをするスタイルに圧倒されました。
次にはメンタルを保つ、楽しみを持って旅行するのが大事だと思います。まずは日本国内から始めたいです
●一度きりの人生を楽しく歩みたい。それには
1・やりたいことはやってみる、勇気とお金、時間が必要
2・つきたい仕事に就く、まだ決まっていないけど、色んな職業を知っておく、今の勉強をがんばる
3・努力を続けられる人になる、完ぺきを求めず現実的な目標をつくる
●やりたいことがやれる人生。高校、大学と進み、アルバイトでお金を貯め、ムダ使いしないように心がける。
そうして 将来はしっかりと休みが取れ、年収もあるIT企業に就職する。
今の希望は1・旅行、温泉宿、世界遺産に行きたい 2・友だちと遊ぶ 3・一人の時間を読書やゲームで過ごす 4・学校生活を楽しむ
●理容師になりたいです。
もくもくと人の髪を切る姿がスゴイなと思いました。それには、1・勉強、会計、漢字
2・失礼な言葉使いをしない、人への思いやり 3・全力で楽しむ
目標として、1・勉強の仕方を変える、1日、30分でも復讐をする 2・他の学年にも声を掛けコミュニケーションをはかる 3・ポジティブに考える
●将来の夢は決まっていません。
それまで食べること、食生活に気を付ける、そして必要な体力を維持する。
清潔であること、人のことを傷つけないことを大事にしたい
●ミュージシャンになりたい。お母さんが「ONE OK ROCK」のDVDを観ていて、その高い声と豊富なメロディ、英語の歌詞がステキだなと思いました。
ワンオクロックのボーカルは歌手の森進一と森昌子の子どもです。
私は今、月2回のボーカルレッスンに通っています。それだけでなくミュージックには人間性が大事だと思います。
私はしゃべることは苦手だけどがんばって、ミュージシャンを目指したいです
●悔いのない楽しい人生。
1・いろんなことに挑戦=新しい知識が身につく 2・自己研鑽=知識、能力が身に付くことで良い仕事に就ける 3・ポジティブに考える=僕の友だちは、何かあっても何とかなると言っている
これからの人生を楽しく生きれるよう、一日一日を大事にして勉強をがんばりたい
●一度きりの人生を楽しい人生にしたいです。
野球は小学校からやっているので高校に入っても練習して上手になりたいと思います。
将来はアメリカに行ってメジャーの試合を観たいです。それと健康でいたい、タバコ、酒を飲まない、ウォーキング、ランニングをする。
そして、友だちが必要。続ける力。やりたいことをする。親を困らせないが大事だと思っています
(校長先生のお言葉)
この立志式「夢と希望を語る会」は昭和47年から52年の歴史を持って続けられてきました。当時の町長が第3回、立志式で述べられた中に
「中学校の最終学年が来るこの機会に、将来の大きな志を考えてください」との言葉が記されています。
自分の思いを言葉にすることで、思いが叶うよと、この場で伝えたいと思います。保護者の皆さま、どうぞあたたかく見守って下さい
(記者感想)
令和5年度の建部中学2年生は僅か30名ほど、一同で前席に座っても大ホールが寒々しく見える?
しかしそこはさすが14歳、襟巻もダウンも羽織らなくても、開始前の時間を友だちとふざけ合っている。
それを見た記者も60年前はこうだったと振り返る(笑)
今回に限らず、子どもたちは本心を語ってはいないのだと思う。しかし、だからこそ、心に秘めた可能性にチャレンジして欲しい。
(レポート・三宅 優)
元旦に起きた能登半島大地震から3週間、今も救援活動が続けられる。一刻も早い復旧を願わずにはいられない。
この時期、建部町では例年、防災訓練が各地域で行われてきた。記者の所属する福渡町内会でも昨年に引き続き、建部町公民館と共催で「子ども防災教室」を実施、子どもを含め40人が参加した。
福渡町内の小学生は今や10名以下、少子高齢過疎化が進む、とは言え子どもは町の宝、将来を担う貴重な存在、その子たちに地域との関わりを持たせ、育む(はぐくむ)ことが重要だ。
昨今の年寄りは「私はもうこれから先はどうでもいい」と自分のことを述べるが、自分の後を気にかける様子が見られない。どんなに年取ろうとも、より良いものを
子や孫に残そうと努力するのが大人としての役目。
1月20日(土)午前9時半、第1会場となった公民館1階ロビーでは開始30分前から参加者が受付にやって来た。
本日のカリキュラムは第1会場で「避難施設の確認」「避難場所での避難の体験」「防災備品庫の確認」、その後、徒歩で第2会場(福渡コミュニティ)へ移動。
コミュニティでは昨年に作成した福渡オリジナルの防災カルタを使っての「カルタ取り」
、消防団による「消火器の使い方」講習、栄養委員による「炊き出し訓練」と災害救助用炊飯袋(ハイゼックス)での「炊飯体験」が組まれている。
参加者はオリエンテーションを受け、早速に避難施設を見て回る。
3階にある避難場所「和室」は25畳、20人ほどが収納可能。主に要配慮者を優先する対応となる。
部屋に収納された座布団を使ってのベッド作りや、マットと緊急毛布での休息の仕方を学習。
参加者から「こんな、畳のある部屋なら、くつろいで休めるから安心だわ」の声。大きな体育館での避難の実際を思うと、恵まれたスペースだと言える。
2階にはカーペットが敷かれた「図書室」が避難場所として使われる。コロナ蔓延時は感染者用の部屋に設定予定。
それ以外にも小さい子ども連れ家族用としても利用できる。収容数は30名ほど。これ以外にも会議室やロビーなど空きスペースが使える。
続いて徒歩で第2会場へと向かう、わずかな距離だがこの道さえ困難になるやも知れない。
コミュニティ到着、調理室から煮炊きのいい匂いが漂ってくる、被災地では温かい食べ物が求められていると聞くと後ろめたい気持ちになる。
昨年、「福渡みんなの防災団」では地域に即したものを作ろうと発案し「福渡防災カルタ」が出来上がった。
それを使って今回も「カルタ取り」を計画。
「忘れない大地震のあったこと」地域についてだけでなく日頃の大切な心がけも標語にした。子どもたちは耳で聞き素早く「絵」に反応する。遊びながら繰り返すことで学習が深まるのが狙い。
次は子どもが読んで、大人が取る番。「しあわせ橋は安全のシンボル」出水時に何度も流されてきた「しあわせ橋」が増水の危険を伝える。
消防団の団長さんが外で消火器の使い方を伝授してくれる、しかし冒頭「消火器の使い方を説明しますが、でもその前に、子どもは実際に火を見たら消そうとしないで逃げてください、そして大人に知らせてください」とのお話。
消火剤の代わりに入った水道水を鬼が描かれた的に向けて放水、鬼はすぐに退散、消えてしまいました(笑)
「もう、お腹が減ったよー」の子どもの声。みんなでお皿リレーで出来立てカレーを運ぶ。お皿にはラップを敷き、洗い水が少なくて済むようにした。
お年寄りが「こんな、温かいおいしいカレーを頂けるなんて、申し訳ないなあ」とポツリ。他の人もウンウンとうなづく。
能登でのニュースで伝えられた災害救助用炊飯袋(ハイゼックス)を使っての炊飯を試みる。鍋でゆで時間30分、味は「結構、いいよ」との評価。
しかし、やはり心配なのは、米が手に入るか、水は?火は、薪は? 鍋は大丈夫そう。
最後に子どもらの感想。
「避難場所がどんなだかよくわかった」
「カルタとりが楽しかった」
「消火器を使ったのがうれしかった」
「カレーがおいしかった!」(全員)
(記者コメント)
避難施設から福渡の町並みを眺める、ここに能登半島地震クラスの揺れが起きたらどうなるだろう。
そうした場合、着の身着のままで多くの人がここに来ざるを得ない、その時、最小でもどんな対応が可能だろうか、考えが頭で交錯する。
記者らが町の自主防災組織を立ち上げて4年目、かつての団塊世代がパワーを失っていく中、その役割だけは年を経るごとに重くなっている。
大切なのは同じことの繰り返しだとしても根気よく続けること、それと少しづつでも充実を図ること。
そのためには地域住民が協力し合い積極的に役割を担っていくことが重要。人任せは絶対にダメ、その時に泣くのは自分自身である。
(レポート・三宅 優 写真・松下泰成 松下りえ)
大変な年明けとなりました。能登半島地震で被害を受けられた方には心よりお見舞い申し上げます。
さて今月14日は建部町内では「とんど祭り」が行なわれ、地域の道すがらお飾りを抱えて歩いている人に多く出会いました。
とんど祭りは全国各地で行われて「どんと焼き」と言う地域もあります。新しい年を迎えた時、歳神様がやって来たとして家々に門松やお飾りを飾り供え、お餅やおせちを頂く日本風土に根ざした古来からの風習のひとつです。
「とんど」は小正月とも言い、歳神様が帰られ時、旧年の御札やお飾りなどを燃やして山にお帰り頂くために火を焚く行事です。
「とんど」は「どんどん」が訛ったとも言われ、高くたなびく煙でこれから一年間の無病息災を祈る行事でもあります。
雲一つない晴天の中で行われた田地子、富沢地区の祭りを取材しました。
いずれも、地区の役員さんが燃す木々や竹などを準備し、井げたやインデアンテント型に組み、焚きつけの松葉などを下に敷く方法です。
田地子地区では肥松(こえまつ)のトーチを厄年の人や子どもたちが点火、炎が立ち上がると参加者全員がこれを身体に受け、この一年の無病息災を願いました。
両地区とも、ぜんざいやミカンなどの振舞いで老若男女の年始めの交流会で盛り上がっていました。コロナで地域の交流や絆が薄くなってきた今日、こんな行事が大切だとつくづく感じました。(勝部公平)
福渡地区では町内の養護老人施設で「とんど」が行われる習慣があります。町中なので火を焚くことができない家が多いことから、ここに各自が持参し焼いてもらいます。
この日(15日)も沢山のお飾りやお札が運ばれ、昨年一年の感謝を伝えていました。
町から少し山に入った記者のいる石引自治会でも何十年も続いて「とんど」が行われてきました。
14日(土)の朝、自治会長さん宅の庭に班内の家族が集まり、たき火を起こしました。3世代がこうして顔を合わせ一つ火に当たる、忘れていた何かが戻って来たような、心温まる一時でした。
(レポート 写真・ 勝部 公平 三宅 優)
2023年も押し迫り、あとはクリスマスを終えて正月を迎えるだけの気分。
12月22日(金)午後、公民館主催、恒例の「建部大学」クリスマスコンサートが館内で開かれた。出演はこれも恒例となって来た弦楽四重奏団「ルヴァンデスト(Le Vent d'est)」
。
サンタの帽子をかぶった演奏者が入場、会場を埋めた約30名の観客が拍手で迎える。
オープニングはヴィヴァルディの「四季」・・・なのだが頭部分を過ぎると、クリスマスソングに変わり「春よ来い」へと続く。
次の曲はモーツァルトの「アイネクライネナハトムジーク」これも頭出しは「アイネ・・・」、それが「たき火」「ジングルベル」と変調、取り残されそうでハラハラ(笑)
イントロクイズでは驚きの場面、わずか弦の2弾きで、「ハイッ」と観客の手が上がる。「都はるみの”冬の宿”です」(おおーっ!)
もう記者は頭が(と言うか耳が)ついていけない(笑)
「糸」「坂本九のメドレー」の後、最終曲は「ラデツキー行進曲」これにも驚き、ユーチューブの小澤征爾によるウィーンフィルの演奏は観客の自在な手拍子が入る名演。
それをなんと、この日の観客が「コレコレ、私もやってみたかったのよ」とばかりに大きく叩いて、小さく打ってと応じる。もう脱帽!
当然、「アンコール!!」
曲目、NHK大河ドラマのテーマ曲、全員が聞き惚れて心に暖かいクリスマスプレゼントを抱え帰途に着きました・・・デンデン。
それでは、たけべ新聞から
「みなさまこの一年、ご愛読ありがとうございました。よいお年をお迎えください」
(レポート 写真・ 三宅 優)
さようなら「サク美」、また来て「さく楽」・・・思い返せば今年3月31日から運行が再開されたJR特別観光列車「SAKU美SAKU楽」、先月の11月までの毎週、土日とゴールデンウィーク祝日、計70日以上の福渡駅での出迎え計画に頭を抱えたのが建部町民、それも列車の停まる福渡町内会では”どうしたものか”と腕組思案。
昨年の実施を担った「たけべ福渡しプロジェクト」を中心に声掛けがなされた、されどこれから秋まで続けられる人員がいるだろうか、それも無報酬で。
プロジェクトのメンバーはとりあえず身近な知人、友人、近所の人を誘うことにして、自転車操業で進めることにする。
超ロングランの”お手振り歓迎”事業が始まる。
(誌面、7、8、9、11月のイベント写真を友谷清志 氏より提供頂きました)
4月は地方選挙、真っ只中、お花見も真っ盛り、そんな中をサクサクが往く。”撮り鉄”の人らがビュースポットでカメラを構える姿が目に付く。
”お手振り隊”も、ただ小旗を振るだけでは芸が無いと学習し、乗客のスマホを借りて撮影をしてあげる「写真撮りますよー」の呼びかけをすることに。
5月になって、さすがに乗客数が増加、この日はホームに中国語が飛び交う。こちらも「ニーハオ
、ニーハオ」と俄かチャイナ語でお出迎え。
駅の待合ではコーヒーの試飲、フォームでは地元オカリナグループ「野の花」による演奏も行われ、少しづつ色取りが出て来た。
6月、今年は雨が少ないが乗客もそれほど満杯なわけではない、迎える側もメンバーの用事が重なったりで少数になることも。だが、ほぼ10人の意気投合した仲間が揃う、これで長期見通しも付くというものだ。
25日にはJR職員、市役所職員も応援に駆け付けてくれた。
7月16日(日)今年1回目の「福ふく市」、昨年は大いに盛り上がったがはたして・・・。
開始、午前10時には気温も上昇、歓迎イベントの「建部はっぽね太鼓」も到着。物産売場には季節を感じさせる地元ならではの桃が並んだ。
陽が高くなるにつれ、「サニーデイコーヒー」のアイスコーヒーを求める人、石窯ピザの「niko」でもドリンクが人気。
11時38分、列車到着に合わせて太鼓の連打、下車した乗客が次々スマホを持って遠巻きに囲む。
歓迎隊は勢いをつけ、午後の便にも横断幕を広げ、出迎えた。
1回目、駅イベントは好調なスタートを切った。
8月20日(日)、第2回「福ふく市」、この日の物産売場にはオーロラブラック、シャインマスカットが並ぶ。
駅前広場では、すでに
「キシモトケーキ」の「かき氷」に人だかり、午前中にして気温30度超えの模様。
「津山和牛」のお店の「ステーキ丼」がボリューム感いっぱいに夏バテ防止を主張する。
「建部ヨーグルト」のソフトクリーム、鶴田連合のおじさんたちの「ジビエコロッケ」も準備万端。
目玉のアトラクションは「七社八幡宮神楽保存会」の神楽演舞。
11時38分、列車入線、建部の子供らの神楽囃子が鳴り、獅子が舞う。乗客が「何んだ?」とばかりに輪を作る。
午後便ではオカリナ「野の花」の演奏、「たけべ八幡温泉」もPR幟で歓迎、獅子もホームからお見送りと至れり尽くせりのイベントとなった。
9月17日(日)最終回「福ふく市」暦の上では、もうすぐ彼岸入り、
でも夏はそのまま。建部中学吹奏楽部の部員たちが額に汗をかきながら、この日の歓迎演奏の練習。
出店者の「福丸たこ焼き」「スイーツチュプ」「津山和牛」「建部ヨーグルト」のテントからも「いつまでも暑いねー」の声。
11時を過ぎ、人々が集まり始めるが、その数、今までより格段に多い。それもそのはず、吹奏楽部員の家族が総出で応援に来ている。
1番線ホームは溢れんばかりの人が小旗を手に列車到着を待つ。
吹奏楽部18番の「シングシングシング」の演奏に合わせ、SAKU美SAKU楽、入線。
福ふく市はこれまでにない盛り上がりを見せ有終の美を飾る。
10月に入っての運行延長、この頃にはお手振りメンバーの合言葉は「わしらがやらんと、おえまあが」、みんな最後までやれる限り出て来て歓迎しようの決意。
その思いはさらに発展し、せっかく町をPRして、人に来てもらってもシンボルである「しあわせ橋」が汚いとガッカリするだろうと、半日かけての大掃除を実施。
列車から眺める「しあわせ橋」はさぞや眩ばゆいことだろう。
11月に入り、やっと秋らしく感じられるようになった、お手振り歓迎も今月で最後となる。そう思うと、ちょっぴり寂しい気もするが、よく続けられたとホッとする面もある。
11月26日(日)最終日、この日はJR岡山駅駅長、職員、支所職員、商工会の人らも応援に駆け付けての駅の大掃除。
きれいになった駅舎に入線した「SAKU美SAKU楽」も、いつになく顔が紅くうれしそう。
最後、ここまで関わってきた人たちでの記念撮影。言葉は唯々、「おつかれさまでしたー」
(レポート 写真・ 三宅 優 写真提供・友谷 清志)
「SAKU美SAKU楽 歓迎&福ふく市」友谷清志 氏による写真展
建部町公民館1階ロビーにて新年1月15日(月)より展示を予定しています❣
快晴の11月26日(日)、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の「秋の古道ウオーク」が開かれました。この日は岡山市内の小学生4人と保護者の計8人が参加、スタッフと併せて16名が登山に臨みました。
午前10時、一同は各自、自己紹介をした後、めだかの学校、武藤館長より今回の工程についての説明を受け、さっそくウォーキングに入りました。
里山の穫り入れ後の田んぼ道を妙浄寺のスタート地点まで、のんびりと足慣らしを兼ねて、あちこちの風景を楽しみながら進みます。
妙浄寺、脇の案内看板のたけべ古墳群の説明を受けた後、入山です。
紅葉の雑木林を進むと6〜7世紀の古墳跡に何基か出逢います。
頂上手前で大きな池が見えて来ました、「山之上池」ここはこれから冬の間、渡り鳥の楽園です。
そこから少し行くと14号古墳があります、中に入った参加者からは「思ったより広かった」「古代人になったよー」の感嘆の声。
さらになだらかな道を進むと目的地の三角点のある法寿山山頂に到着。休憩後、秋の青空を背景に記念写真パチリ!
下りは雑木林の中、整備された階段などを一気に降り、巨岩に阿弥陀如来坐像が彫刻されている阿弥陀様に到着です。ここは、江戸期からお花見のスポット、眼下には旭川、福渡の町並み、建部平野が一望です。
今年地域のボランティア、建部中学生、建部支所の協力で整備が進み、要所の案内標識なども作られました。
ゴールの七社八幡宮でまとめを終えた後、蘭学者「石坂桑亀」の墓所にも立ち寄り江戸期の建部の歴史の一端も垣間見ました。
(レポート・写真 勝部 公平)
11月12日(日曜)、冷え込む朝8時半、建部町文化センター前の旭川河川敷、昨夜の雨で芝が濡れている中、あわただしく車から荷下ろし。
そう、今や建部町のシンボルイベントとなった「たけべマルシェ」開催の日。
記者も今回は「ストーンペインティング」体験コーナーで参加する。(よって、取材が心配・・・)
では、この日の模様をスライド風に紹介しよう。
(尚、文中また写真にて不備な点、多々あることをご了承願いたい)
開始、5分前、たけべマルシェ実行委員の雨宮宏美さんによる出展者ミーティング。
「今から開始します、子どもたちは自分のお店をしっかりがんばってください、そして、いっぱい楽しんでください、では始めまーす!」
「こどもちっちゃ市」子ども自らが自分で作った物を並べて販売する。今やたけべマルシェの超エンターテーメントとなっている。
そして、このイベントそのものを取り仕切るのも子どもたち、建部中学生による本部運営がそれ。
気温はまだ低い、が不思議と野天会場は熱気みなぎるせいか寒さを感じない。
本部両隣にワークショップ、仲間のワグちゃんが教える「新聞紙バッグ作り」、「無料」と書いてある。
その反対側に記者らの「ストーンペインティング」こちらは100円だったがすぐに「無料」に値下げ(笑)
会場中央には「子どもちっちゃ市」、準備はやはり親が采配?正面には「チェンジ」衣類の交換ブース。
オープニングはご存じ「建部はっぽね太鼓」の演奏。
すでに会場は、どこからこんなに人がやって来たの?状態、どんよりと陽が射さない中、腕組しながら力強い演奏に聞き入る。
やって来た人の多くが若い子ども連れ家族、どこかで情報がつながっている今の時代を感じさせる。
では出店ブースを急ぎ足だが巡ってみよう。
まずは「こもの・ざっか」のお店から。
「nunnun」さん、水引アクセサリーのお店。
「さをり織り」など手作り小物「なでしこ共同作業所」は当新聞グルメレポーターが店番。
「moin moin+mika」さんは、編ぐるみなどの手芸品
「ManiMana」さんは天然石と刺繍のアクセサリー
「Ice green」さんはドライフラワーを使ったリースやモビール
「ilo」さんは木製食器と雑貨を出品
続いては「たべもの」
「FARMHOUSE for streetfoods」さんはラップサンド・トルティーリャチップス
「くらしとおやつ 茶の間」さんは焼き菓子・ワイルドドライフラワー
「煎ルガ&ブラウ」さんは自家焙煎コーヒー・ラテ
石窯ぱん屋「nico」さんは石窯ピッツア
採食印度カレーの「いなほ屋」さん
「建部町地域おこし協力隊」からは野菜スープと新鮮野菜の提供
「Village Chaya」さん、ベトナムフォー・お味噌のフォー
「ロクタン食堂」さん、チキン南蛮
ナチュラルスイーツ「チュプ」さんの焼き菓子・チャイ
「建部町ふるさと野菜出荷者組合」さんは野菜と果物
「アクティブ鶴田」さんのジビエコロッケ
おなじみ「ケーキハウス キシモト」さんはお芋デニッシュとアップルパイ。
隣では児童虐待防止活動の「オレンジリボン」
地元吉田地区からは「バンブーの会」からは、つき立て草餅
ラーメン専門店「ふくみ家」さん
河川敷石段を上がった文化センター裏庭では
、
やきいも・やきいもアイスの「田渕商店」さんさん
地元からカレーの「Curry NaNa」さん
同じく地元「建部ヨーグルト」さん
そして「サニーデイコーヒー」さん
建部中学生の店「建chuキッチン」は「麻婆丼&わたがし」
会場、広場では次なるステージが始まる、下神目神楽保存会による演舞。
大人から子どもへと引き継がれる伝統芸能、それを各地区が持ち回り、ここで披露する。
まずは「棒遣い」演舞。「カーン、カーン」と棒のぶつかる音が空にこだまする。
そして神楽演舞、2頭の獅子が地を蹴り舞う。会場からは大きな拍手!
ステージ演舞が終わったころには会場はテンヤワンヤに大忙しの状況に。
行きかう人の手には「カレーライス」「ピッツア」「からあげ」「ラーメン」・・・。
「ストーンペインティング」にも参加者、殺到、肝心の石が足りない、急ぎ川まで拾いに行くことに(笑)
「子どもちっちゃ市」も”子どもたち”のお客さんで大賑わい。袋詰め放題400円のミカンも大人気。
子どもも大人も、楽しさを満喫しているではないか(笑)
気が付けば早、閉幕の時間。会場内には、まだ遊び足りない子供たち、のんびりと散策を楽しむお客さん。
片づけを終え帰宅、当新聞グルメレポーター(記者の妻)と振り返る、「何がよかった?」
(妻)「建中の生徒が実働隊として参加したところ、それと出店者が以前に比べ、ずっと洗練されてオシャレになって来た、地元を巻き込んだのも良かった」
記者「子どもが中心になって動いているのに感心した、それと日ごろ出会えない人に合えたのが嬉しい」
2人の採点は100点満点(拍手👏👏)
(レポート・写真 三宅 優 グルメレポーター 三宅 美恵子)
令和5年11月11日(土)午前10時、ここに第43回建部町文化祭の幕が切って落とされましたー!
少々、大げさな文頭ではあるが、今や建部町民が最も多く会するのはこの催しを置いて無し。
当初は公民館講座の1年の成果を発表する目的で開かれていたが、しだいに他の活動団体も参加するようになり今日に至っている。
昨今で言うとコロナ以降、公民館活動が停滞気味となり出展者の減少が著しい、その分、自主参加の割合が高くなっている。
では建部町文化センターの会場へご案内!
ロビーに入り、いつも最初に観るのが壁際に並ぶ「服部翠園書道教室」の展示。
この度は格別な思い、長きに渡って書を指導して来られた服部恵子さんの逝去、
「どう?観てくれた?みんな、がんばっとるじゃろう」嬉しそうに話してこられた顔が浮かぶ。
遺作「夕やけこやけで日がくれて・・・カラスと一緒ににかえりましょ」その隣に夫、翠園さんの「般若心経」。
小ホールに入る。パソコンクラブ、レザークラフトなどの公民館講座の発表、建部川柳社、筆あそび悠朴会など各団体の作品、全体に出品者、出品数とも少なく感じられる。
そんな中、目を引いたのが「河本次郎さんのスマホ絵画展」72歳で不治の病を患い、スマホで絵を描き出した河本さん、そんな河本さんの作品に何人もの人が立ち止り、一点一点をていねいに鑑賞していた。
再びロビー、「福集めプロジェクト」の『あなたのチョット良かったことを聞かせてください』
「娘が懸賞に当たった!」「帰ったら夫がヤキイモを作ってた、うまい!」・・・微笑ましいチョットがいっぱい。
2階通路、壁面には「水彩画クラブ」の皆さんの作品。年を追うごとに腕を上げているのに驚き。
下の通路では多くの人だかり、「北市民健康づくり建部会議」による健康チェックを受ける人らで
賑わう。その横で色とりどりの糸をつむぐのは「さをり織り」なでしこ作業所の職員が毎年、ワークショップを行っている。
大ホールではカラオケ真っ最中、窪藪委員長の説明によると、今年は昭和の歌がテーマだそうで、「神田川」(窪藪さん)「酒は涙か溜息か」(森田副議長)「なごり雪」(地元男性)などニュ-ミュージック(死語?)へ挑むとか。
ぜひとも聴きたいと思ったが、次の取材があり断念。
ロビーでは建部町出身のジャズ歌手、遠藤マリさんのコンサート、イス席はすでに満席。
ジャズの定番、「スターダスト」に始まり、マリリンモンローの「ププッピドゥ!」のスキャット入り「I Wanna Be Loved by You」、アンコール「上を向いて歩こう」まで、
観客を魅了した。
翌日は同じく地元出身のオペラ歌手、佐藤麻衣子さのステージが組まれているが、明日は記者も「たけべマルシェ」に参加のため紹介できないのが残念。
ホール外にある茶室「法寿庵」からはおごそかな琴の音色。「ちょこっと お琴クラブ」による演奏と体験コーナー、記者も誘われるままチョコっと体験。
「さくら さくら」を楽譜の番号に沿って弾くと・・・あら不思議、「さくら さくら」と鳴りました(笑)
鑑賞に来ていた尺八奏者の藤井さんとのハプニングセッションも行われ、優雅な締めくくりとなった。
(追記)
先にコロナ以降、出展数が減少ぎみと述べたが、今回、それとは別に新しい動きもいくつか垣間見られた気がする。来年「第44回建部町文化祭」は、さまざまな個人参加やカラオケのテーマも「平成」にチャレンジする(笑)のを期待したい。
(レポート・写真 三宅 優)
こよみの上では”立冬”がすぐそこなのに、この暖かさ。県北では紅葉の見ごろを迎えた所もある。11月5日(日)午前9時、日中の予想気温は25度、竹枝小学校前の旭川河川敷にはすでに大勢の人。
今年で第17回を迎える「旭川かいぼり調査」、申し込みは受付けを開始するとすぐに定員に達し、その人気振りがうかがえる。
上流で水が堰き止められて干上がった川底の石がゴロゴロと調査の開始を待っている。
9時半、参加者、関係者300名ほどを前に実行委員会事務局の友延 栄一さんから事前説明。
「この調査は16年前に竹枝小学校の授業で生徒たちが、ダムができて川底が変わって魚がいなくなったという話を聞き、川底はどうなっているの?と疑問を投げかけたことから、じゃあ川底を調べてみようと始まったものです。 今日は午前中は川の生き物探し、昼食をはさんで、まとめの時間まで楽しく調査してください」
森田 卓司、岡山市議会副議長の「元気で、笑顔で・・・」の開会あいさつに続き、実行委員の柏 雄介さんより魚の獲り方について。
「今日、採取する魚はアカザ、絶滅危惧種です、それとカジカ、この2種を重点的に見つけてください。水が引いて行った石の下に、寝ころんでいるので手で拾ってください、トゲがあるので気をつけて。
それ以外の魚も何種類獲れるか計りますので持って来てください」
9時40分、参加者はA・B・C・Dゾーンに分類された調査地点の自分の担当ゾーンへと移動。そこで改めてオリエンテーションを受けた後、いよいよ川へ。
先ほどの説明では参加者の3分の1が初参加とか、はたして・・・と思いきや、いきなり水の溜まっている方へ突進、バシャバシャと網をかき回す。
「そうじゃないよ、水のなくなった所の石を裏返して探すんだよ」とは言ったものの、以前、「お魚博士」の小林 一郎 先生が言われた言葉を思い出す。
「最初は、こんなのでいいんだよ、ここから学ぶんだから・・・」(名言)
そーっと、石を起こす親子、「そ~っと、だよ、そ~っと」「うん、そ~っと、逃げちゃうもんね」
でも成果なし、別の場所でも、
(子)「ちっとも、見つかんないよー」
(父親)「なかなか出会えないから、いいんだよー」名言2(笑)
余ほどの熟練者とおぼしき人も「おらんなあ、今年はホント、ドジョウがチョロチョロくらい」
やがて「なんだ、こいつ、ナマズの子どもか?あっアカザだ!」
石の下から小さな生き物発見の声がポツポツ聞かれ始め、どうやら水の中より、干上がった川床の方が見つけやすいとの学習判断。
大きなドンコをゲットした男の子、「歩いてたら、バシャって音がして捕まえたんだ」
「とりあえず、カニさんをキャッチしました、今日の夕飯に(笑)」(ママさん)
「あっ、オヤニラミがいましたー!」
竹枝小学校、生徒たちが時間終了で引き上げる頃になると学習者も増え「とれたよー」の声があっちこっちで。
タライの中の「アカザ」の数も数十匹単位で増えている。ただ、カジカの方は、まだ心細そうに体を曲げて仲間が来るのを待っている。
11時20分、調査終了のアナウンス。
続いて、石を元に裏返す「川を耕す」作業。併せてクリーンアップも実施。
11時半、全員、岸に上がる。
お昼、日影がうれしいほどの好天気、地元の人らが提供してくれた、おいしい具沢山の「シシスキ丼」を頂きながら、
皆、一仕事を終え、家族でのんびり川辺を楽しんでいる光景を眺める。
午後からは柏さんを先生に「まとめ」の時間。
「カジカ」「ヌマチチブ」「ヨシノボリ」「ドンコ」「ギギ」「オオシマドジョウ」「ナマズ」「カマツカ」
「アブラボテ」・・・、次々と今日、見つかった魚たちが説明される。
そのたびに掲げられたミルソーを食い入るように見つめる子どもたち。
(柏)「ドンコとカジカの違い、わかる? 水槽でS字に体を曲げるのが、カジカだよ」
水槽の一角、川エビの写真を撮ろうとした記者、
そこへ「これはテナガエビ、たぶん、メス」と教えてくれた子ども博士。
大きな変化、子どもたちは知りたいことを自分でドンドン深めて行ける時代。
今日の捕獲数は「アカザ」615匹、「カジカ」103、種類数20(?)。
例年より少ないようにも思えたが、いずれにしてもこの生き物たちの住む川が、すぐそこに在ることの”豊かさ”を
感じずにはいられない。
実行委員、関係者、地元の方々にお礼申します。
(レポート・写真 三宅 優)
建部中学校の特別授業「建部学習」、1年生から3年生まで縦割り構成で”建部について学ぶ”。
その成果を発表する会が10月26日(木)午前、建部町文化センター大ホールで開かれた。
「建部について・・」はたして中学生たちは、ここ建部のどこに興味があるのか、何を知ったのか、そしてどう伝えるのか?興味は尽きない、では会場へとご案内。
オープニングはCコース「トラディショナルカルチャーコース」の音楽コースから”温故知新”、琴の演奏。
地元にお住いの高田先生の指導を受け、4人の女子生徒が「四季の日本古謡」を奏でる。
「さくらさくら」「ほたるこい」「うさぎうさぎ」「かぞえうた」なつかしいメロディが美しい音色の流れとなって聴衆を魅了する。
(とぎすまされた演奏に感動!)
次は同じくCコースから歴史コース「建部町池田屋敷周辺」について調べる。建部町史をもとに当時の陣屋屋敷配置と現在を比較する。
(よく調べたなあー)
歴史コース2番手、「建部の牧場について」昭和40年頃から全国で酪農事業が始まり建部でも積極的に行われるようになった。
(フーム、そういうことだったのか)
3番手、伝統芸能コース、「建部民話」から”雷の落ちない村”の言い伝えは全国にあり、建部の土師方に伝わる「与一兵衛さま」は地震や土砂災害の前触れとして水が濁り、それを神様や怪物に例えて伝えようとした。
(建部の民話から昔の人の思いや暮らしが伝わる、そのことに気づいた感性がすばらしい)
Aコース「課題解決型フィールドワークコース」
「建部の風景をバックに校歌を聞く」動画作成。新入生が入学したら、この映像を観て校歌を覚えて欲しいとのねらい。
(これは、いい、ぜひ全国に配信したい)
「・・・フィールドワーク」2番手は「紙芝居で建部の災害を伝える」
室戸台風を教訓にした紙芝居を制作、災害意識を高めたい。
(紙芝居にしたアイデアがグー!)
3番手、「建部のイベント、観光名所の紹介」「サニーデイコーヒー」訪問、はっぽね桜、花火大会、建部祭り、たけべマルシェ
(充実した建部の魅力が伝わる)
4番「コミュニティバスをもっと魅力的な車体にできないか」の問いかけで、
実際に「車のゲーム」を使ってデザイン一新。会場からも「おおー」
の反響。
(何げないバス、でもデザイン一つで町が明るくなる、解決型提案)
5番、「高井神社をPRしたい」建部町川口の山中にある高井神社、参拝者が来ないということで現地に赴き、総代長さんにインタビュー。
おススメスポットの発掘「自然がいっぱい、夏場は特に涼しい、高井神社は願い事が何でもかなう、最強!☆☆」
(記者も知らなかった、まさに古色蒼然。できればどこにあるかわかるように地図を付ければ尚、GOOD!)
「課題解決型フィールドワーク」
6番手「建部パンフレット計画」
建部に人を増やしたいの思いから、建部を盛り上げてくれているお店、施設として「閑奏(かんそ)」→「八幡温泉」→めだかの学校→建部ヨーグルト→サニーデイコーヒーをパンフレットに制作、改めて魅力再発見。
(温泉に来た観光客に持って来いのパンフレット完成!)
まだまだ続く7番手「建部の魅力」再考。
アジサイロードの靄(もや)→八幡温泉→建部祭り→カヌー→花火大会。魅力は川のあるおかげ。
(たしかに、カヌーができる町などめったにない、再認識!)
8番手「建部おすすめスポット&グルメ」幸せ橋、川が近く感じる、列車の通過が見えるかも、特に夕方がきれい。旭川ダム、観光センターで記念カードがもらえる(?)
熊見峠、雲海が見える、イノシシに出会える(笑) 「にのまえや」揚げピッツアがデカイ。
(男子生徒3人組、感受性豊か。意外な視点、独自性が顕著、グルメレポーターのおばちゃんも行ってみたくなった、本日の一押し)
9番「建部の魅力動画」作成。
女子3名による「めだかの学校」と「たけべ八幡温泉」にスポットを当てたスライド風動画にまとめた。
(中学生たちが「めだかの学校」に注目してくれて職員も喜んでいます)
10番「グーグルで建部の絶景を探す」
成就寺→旭川ダム→豊楽寺仁王門→キシモトケーキ→美咲町からの建部の眺め→建部駅→鶴田→鉄橋。バックミュージックは「シャイニングスター」を採用、映像と選曲がマッチしてて軽快でわかりやすく、最後はキャスト紹介付き。
(映画みたいにおしゃれな出来映え 👏パチパチ)
最後はBコース「〇◇×△コース」コンセプト名が聞き取れなかったけど、1番手「めだかの学校コース」
「目的はめだかの学校のPRと外来生物と絶滅危惧種の情報発信」
それを実現するために、数か月前からイベントの準備、男子2名によるメダカとオヤニラミのマスコットキャラクターを制作。
「10月14日のイベントに参加」
当日、めだかの学校オリジナルクロスワード、超難問クイズを作成しボランティアとしても参加しました。クイズラリーやストーンペイントモデルも手掛けました。
(当日クイズはラリー形式で結構、難易度が高く、大人と子供がいっしょになって解いていてにも大人気でした。キャラクター2匹もゴムスタンプになりました。
この発表は将来アナウンサー間違いなしの男子、声が大きく聞きやすかった)
次に「里山コース」の①「山道の整備、看板設置をする」チーム。「桜坂」「未来の木」の看板を制作しました。
「未来の木を、きっと確かめる日が来るといいね)
「里山」②「キャンプファイヤーをやってみる」2つの方法で木を組んで点火、その違いを知る。キャンプファイヤーは団結力が必要とわかる。
(建部の豊富な資源の活用に注目したのは、さすが)
「里山」③「ハンモックを作った」きな切り株に穴をあけて支え棒を埋め込むなど大工事にトライ。
(一度、やってみたかったのが伝わった)
「里山」④「バスケットゴール作り」里山の竹や笹を使った自然素材のゴールを作る。
(できたものを見せてもらった、こんなのもアリかな。写真がピンが悪くてスミマセン)
ラスト「史跡保全コース」建部には山がいっぱいある、山の養分が川の水になり作物が育つので、人も住みやすいと考えた。
やったことは、太田家具工房さんから標柱を作ってもらい字を入れて立てた。
(それは、いいものができたでしょう、里山にさらに見どころ増加!)
校長先生のまとめ。
「今回の建部学習を行うにあたって、どのようなコースを設けるべきか、どのような方に指導をお願いするか散々に検討を交わしました。そしてとにかく”フィールドに出て行こう”をテーマに生徒たちとの学習をすすめました。結果、さまざまな取り組みがあり、クロームブックの活用を活かしたプレゼンがなされました。これをきっかけに、これから建部のために働ける人に育って欲しいと思います」
会場には今回の授業に地域を知る人として深く関わってきた、本田さん、江田さん、東さん、二宮さん、そして当新聞編集長、勝部の顔が。共にこれからの建部、また社会そのものがどうあって欲しいかの理想を持ち、そのことを今の子どもたちに託したいとの思いがある。
「建部学習」、全編、たけべ尽くしのこの取組み、果たしてこれから生徒たちにどう活かされるだろう?
(レポート・三宅 美恵子 写真・三宅 優)
まさに雲一つない秋晴れの10月18日、午前9時、建部小学校6年生、17名が「建部学習」の授業で「たけべ古道」のウオークチャレンジをしました。
今年、雑木の伐採や案内看板を新しくして再整備された法寿山遊歩道、地元では 「たけべ古道」と言われています。
まずは古道入口、妙浄寺脇に立つ案内看板に書かれた「たけべ古道」の由来について地元の江田さんから説明を受けた後、早速に標高211メートルの法寿山頂上へと向かいました。
道々のガイドは古道の整備に長く携わってきた本田、江田、須見、そして記者(勝部)が受持ちました。
落葉がカサカサと音を立てる中、各ガイドは子どもの頃の山での遊びや植物の特性など得意分野の話をしながら登山、生徒たちはしきりにメモを取っていました。
古道沿いに点在する建部古墳群では実際に中に入って様子を観察、その大きさに驚いていました。
頂上では3角地点を確認、全員で登頂達成の喜びを分かち合いました。
下山途中にある「阿弥陀様」の前では、きれいに伐採され見晴らしの良くなったビューポイントに立ち、前方の旭川、福渡の町のパノラマ光景をカメラ担当さんが写真に収めていました。
最終地は先日、1000人もの人で賑わった七社八幡宮、「建部歩こう会」会長の本田さんが今日、歩いてきた法寿山や阿弥陀様の由来や役割などを説明されました。
往復2時間の山歩きでしたが、自分たちの住んでいる場所に歴史ある遺跡があることの素晴らしさを生徒たちに十分伝えられたのではと思います。
建部学習第一回も無事終え、ホット安堵のガイド四人組、今夜は「おおいびき」で休めることでしょう(笑)。お疲れさまでした。
(レポート・写真 勝部 公平)
先日の建部祭りの大隆盛、そして旭川に在る一ノ口井堰の世界かんがい施設遺産への登録申請の動き、コロナ禍で熟成期間を経て、活気を取り戻し始めた建部。
そして10月14日(土)から岡山市環境学習センター「めだかの学校」で新しく4K動画映像機の設置とWEBを使った水槽解説ツールの導入という
これまでにない試みが始まった。
この日、そのオープニングセレモニーが開かれ、入館無料ということもあって、朝から市内から大勢の子ども連れ家族が来館。
午前10時からの開会式では岡山市・三宅教育長が「岡山市の教育方針である”やる気につながる好奇心の醸成”を目的に今回、新しい体験ツールを導入しました」と説明。
来賓の森田副議長からも祝福が添えられた。
武藤館長からは「めだかの学校」の歩みや館内施設の紹介がなされた。
各体験ポイントでは地元建部の小学生、中学生、岡山の大学生や関係スタッフが大勢参加し、プログラムの進行に当たった。
参加者はさっそく、人気の体験コーナーやクイズラリーにトライした。
中でも外を流れる「春の小川」で、釣り糸につけたスルメでおびき寄せるザリガニ取りは、時間待ちになるほど超人気。。
多い子は5匹、6匹とバケツに捕獲し、どうやらザリガニたちの受難の一日となったようだ(笑)
おもちゃの宿では、ボランティアによる「おさかなストーンペインティング」や「おさかな折り紙」、建部町図書館による分館「おさかな絵本」コーナーも用意された。
ストーンペインティングでは自分だけの魚を作ろうと、熱心にマーカーで描く姿があちこちで観られた。
水族館では「おさかな博士」による天然記念物「アユモドキ」の解説や、淡水魚の個性ある特徴についてのお話がなされた。このお話の中には「クイズラリー」の答えも 入っていて、用紙を手にした挑戦者は神妙に耳を傾けていた。
催しは午後2時には閉幕したが、帰路に着く親子の表情からは、いい一日だったことが伺えた。
旧建部町の頃、メダカの養殖販売からスタートした施設が岡山市に変わり、環境について学ぶ拠点となった。それは、昨今の地球温暖化を見るにつけても意義のある転換だった。
建部町には大河が流れ、緑豊かな自然がある、この特性を活かし、これからも発信をしようではないか。
最後に、今回の催しにご尽力頂いた関係者の皆さん、ボランティアの方に建部町民からお礼申します。
(レポート・写真 三宅 優)
建部祭り演舞の模様 (ユーチューブ動画 84秒・江田侑生 撮影 )
(たけべ福渡しプロジェクト 江田 陽子さん寄稿)
「町がざわついてる」
祭り前日の村回りの日に町外から来られた方が言われました。
「そうなんです。明日はここら辺のお祭りなんです」
4年振りのお祭りということで、町内のあちこちから神楽のお囃子が聞こえてきています。
やっと暗くなる頃に、一区切りつけて、明日は8時に集合ー!といわれ解散となりました。
翌朝、8時過ぎにはまた近所から鐘や笛、太鼓の音が響き、いよいよという雰囲気に。今年は昔のように馬場に参集し、神社に見物客も大勢いらっしゃいました。
無事、奉納ができると神様も喜ばれたのか、恵みの雨。天気もどうかなという予報でしたが、どうにか終わりまで持ちました。
「これが祭りよ!」だれの声か聞こえてきました。
本当にたくさんの方が準備から携わり伝統をつないでいく、毎晩のように練習を子どもも大人も一生懸命頑張りました。
お疲れ様でした、また来年。
(勝部 公平レポート)
建部の里山に笛や鐘の音色が聞こえて来ると人びとは、夏の猛暑を乗り越えて、実りの秋を実感するのです。
「備前建部郷秋季例大祭・建部祭り」は、こんな季節に各地域に鎮座する神々が一同に会して地域の安寧と豊作を祝う寄宮祭りなのです。
4年ぶりに開催された祭り!今年は建部駐車場ではなく、鳥居をくぐった馬場に参集、随神門をから参道をくぐり抜ける古式ゆかしく宮入りをしました。
境内の斜面を一気に駆け登り、各宮の神輿が鎮座するさまは7本の幟旗が風になびき「やっと、来たなー」との神々の声が聞こえてくるようです。
馬場では、獅子舞や棒使いの演技で祝いは盛りあがり、参加した皆から盛大な拍手。祭りのクライマックスは、神輿が仮屋から下りて一同に会して境内を練りまわり、最後、「高々」と呼ばれる神輿の競い合いです。
天に向かって白張衆の一致団結、渾身の力で神輿をあげる様は「今年も豊作になったぞー」との雄叫びに、天と神々の交信に聞こえてきます。
「高々」が終了すると「また来年も会いましょう!」と階段を整然と帰途に着きました。
八社協議会会長の井口さんも「今年は4年ぶりなのと、昔に戻した馬場集合の効果もあり、観客も例年の倍以上1000人は超えているのでは」と嬉しい感想。
関係者の皆さんお疲れさまでした、また来年も建部祭りを盛り上げてください!
(レポート・写真 江田侑生 勝部公平 江田陽子 井手誠二)
体育館の壁に大きく掲げられたスローガン「飛 Show time ~今 建中めっちゃええ感じじゃけぇ!!~」
9月21日(木)午前9時、建部中学校の文化祭「飛翔祭」が始まる。
100名に満たない生徒数、しかし館内はやる気と期待が渦巻いている。保護者たちもカメラを据えたり、応援のウチワを手にしたりで、観る気、満々。
生徒代表による開会の言葉、そして先日、福渡駅で元気な演奏を披露してくれた吹奏楽部による演奏。
最初の曲「銀河鉄道999」を皮切りに得意の「Sing Sing Sing」まで5曲を披露。パーカッションが切れのいいリズムを刻む。
2番に登場は「奏~かなで~」による和太鼓。両手に持ったバチを休むことなく打ち続ける、先生と女子生徒2名による力強い演奏。
続いて1年生による劇、題名は「飛翔祭殺人事件」ビデオで事件を再現、先生も登場してユーモアたっぷり。観客と一緒に犯人捜しする巧みなシナリオに感心。
次は女子6人「RanRan」によるK-POPダンス。曲に合わせて身体全体で動きを表現する様に観客席からも熱い視線が投げかけられる。
(尚、このシーンは動きが早すぎて写真がすべてブレてしまい紹介できません、お詫びします)
休憩に入り、館内に展示された作品を鑑賞する。美術は1年生の「絵文字」2年生の墨による「屏風絵」3年生の「篆刻」。
国語では2年生の「短歌」3年生「俳句」。
進学に必要な数学や英語と言った学科だけでなく、心を養う授業の成果を観ることができた。
再びステージ。2年生による劇「黄金のがちょう」有名なグリム童話の一説、全員で作ったという大道具や背景画、衣装も手作りで楽しさ満点。最後は全員が舞台に立ち大フィナ~レ。
館内が暗くなり登場したのは10本のペンライト。「バカfive」によるヲタ芸。5人の男子生徒の目まぐるしい動きに、もう館内は大興奮、飛び交う光がさらにそれを盛り上げる。
お孫さんの演技を観に来たおばあちゃんも「私らはホントにもう付いていけません(笑)、若い人はすごいですね」と眼を細める。
トリを受け持つのは3年生による劇「建中新喜劇」。修学旅行に行った沖縄を舞台にしたオリジナル台本で挑戦。お笑い番組をベースにしているらしく、セリフが発せられるたびに爆笑(年寄り記者にはチンプンカンプンです)
こうして、令和5年度の「飛翔祭 」は大盛り上がりの内に閉幕となる。いや、このあと、先生によるサプライズステージが待っていた、ここにおいて全員のエネルギーが一つとなった。
(レポート・三宅 優 )
もう、どうなってんだー!と、わめきたいほどの蒸し暑さ。異常が続きすぎて、もはや通常となった秋の熱帯、涼やかな秋はいつ
やって来る?
8月のJR観光列車「SAKU楽SAKU美」歓迎イベント「福ふく市」では相当な暑さが押し寄せ、参加者も汗だくとなったが、次の9月については
誰もが「もう秋に入ってるから、やりやすいよ」と楽観的だった。
ところがである、この日9月17日(日)は朝から夏の日差し、
「市」の出店者らは陽の当たり具合を考えながらターフテントを建てる位置を決める。
今年4月から始まった福渡駅での「サクサク」列車歓迎のお手振り、数えると53日にもなる。最初は「こんなこと、いつまでも続けられんでえ」とぼやく御人も多々いたのだが、
結局のところ、そう言った人ほど休まず出勤(笑)、毎回10人程度は必ず参加してきた。
こんな熱意が伝わってかどうか、7月からの「福ふく市」も盛況に開催され、この日を迎える。
我が福渡町内会の「たこ焼き福丸」もこの日、出店、100パック分の仕込みを終えスタンバイ。
駅待合室では建部中学吹奏楽部の管楽器が先ほどから音合わせの真っ最中。
列車到着30分前、11時を過ぎると一気に、どこから湧いてきたの?と問わんばかりの人、人、人。子供たちが多い、圧倒的に多い、狭い駅にこれだけ集まると
、いつの間に多子低齢化したのかと目を疑いたくなる(笑)
11時37分、SAKUSAKU列車が見えて来た、ブラスバンドが奏でるジャズの名曲「スイング・スイング」に乗せて列車も足取りも軽やか~に入線。
いつもながらに乗客ビックリ、頭の上に「???」マーク続出(笑)、その「?」は「何で、この駅では、こんなに歓待してくれるの?」
その答えは「ここが建部だから」
そんな乗客も演奏を聴き終え、車内に戻り窓越しに見せるのは満面の笑み、スマホをビデオに変えて歓迎模様を録画する。
「出~発!」今度は乗客全員がお手振りのお返し。
「暑かったね、まあ、とにかく、何とか終わった」そう言い合うのは、この53日を共にしたお手振りの仲間たち。とは言え、列車は11月まで運行するとか。
「ええー?9月で終わりと、ちゃあーうん?(違うの?)」・・・伊予弁で(笑)
(レポート・三宅 優 写真・江田 陽子)
先月第1回サマースクールを終えてから約1か月、この間とにかく暑い日の連続だった。そして第2回のこの日も変わらずに日差しの照り付ける一日となりそうだ。
今回のテーマは「森の中での体験」+うどん打ち、参加したのは市内からの5家族14名、いかがな体験が待ってるだろう。以下、実行メンバーである記者(三宅)のレポート。
8月26日午前8時半、4年振りの「友愛の丘」ベースキャンプに13名のスタッフ集合。広大な敷地、森林浴パワーが溢れる中での活動は大人も開放され、自らの夏休みにもなりそうだ。
9時半、実行委員長(当新聞、勝部編集長)による開校宣言。
続いて山崎光 先生(自称 フンコロガシ)の自然の中での注意説明。
「ハチが来たら直立不動、動かない、ヘビを見つけたら手を出さないじっとしてれば逃げて行く、かぶれる葉っぱには触れない」
子どもたちは山崎先生からもらった「自然の中で見つけるビンゴ」の用紙を手にイザ、森へ。
さっそく誰かが見つけて「あっ、セミの抜けガラだ」「ここにもある」「ここにも!」
そのうち「ジージージー」(先生)「おっ、木の上を見上げてごらん」
大木に止まって鳴くのは本物アブラゼミ。
トンボも次々やって来る。「これは、アキアカネトンボ」
バッタを見つける、「昆虫の特徴が言える人
?」
「頭、胸、腹の3つに分かれていて、脚が6本です。」こう答えたのは、めだかの学校、武藤館長(笑)
足元には黄色くなったカエデの葉、カシの実・・・ツルツルした木にモアモアの紅い花「サルも滑るのでサルスベリ。長く咲くので漢字で”百日紅”と書きます」
「ねえ、先生、これなあに?」女の子が指さす先に葉っぱに付いた白いプチプチ。
「アッよく見つけたねえ、これはカメムシの卵、カメはクソガメと言われて臭いのでそう呼ばれるんだよ」
気がつくとさっきから、地上1メートルほどを悠々と行き来するオニヤンマ、下草の上を飛ぶ蚊を獲っているとか。スタッフら大人が懸命に網で追うが、かなわず(笑)
先生、もっともっと話をしたそうでしたが次の授業の会場に到着しました。ここからは、うどん打ちの体験へ。
こちらも4年振りとなる「うどん打ち」講師はこれまたお馴染み、古本博史先生。そして新しく女性の佐藤典子先生も参加。
さっそく各家族に500グラムの小麦粉、水(秘伝味配合)が渡され、生地を練る作業。手や顔を粉まみれにして、丸あ
るなったら、次は足で踏む仕事。
「これは踏むことで小麦粉に含まれるグルテンというモノを引き出して、粉をくっ付くようにするんだよ」
「足ふみ」200回で終了。「フー、くたびれたー」
休んではいられないよ、次はもっと大変、この生地を何倍にも伸ばす仕事が待ってるよ。
麵棒をグイグイ押すこと百回、グルグル伸ばすこと数百回、徐々に広がってきて、それでもまだまだ足りません。
「やったー」自分の顔位の大きさだったのが、6倍の風呂敷サイズに。
そして、最後に包丁切り。人差し指を包丁に腹に当て、5ミリ程度に均一に上から押すように切っていく。
小さな手に不似合いなほど大きい包丁、やれるかなあ?
意外や意外、結構辛抱強くやっている、そして完成。キャンプではスタッフがお湯を沸かしてうどんの到着を今か今かと待っている、時間はちょうど正午。
ゆで時間は15分、自分たちで打ったうどんを家族で食べる、さあてそのお味は?
スタッフも大鍋から桶に移したてを「頂っただきま~す!」
午後の授業は自然の素材を使った「フォトフレーム」作り。朝のうちに撮った各家族の写真を張り付けて、今日の思い出に。
黙々と木の実にボンドを付けて置いていく女の子。鳥の羽から松ぼっくり、なんでも貼り付けるのは男の子。スタッフも自作に夢中で子どもの手伝いに回る気配なし(笑)
こうして、子供も大人も楽しむ夏休み授業は終了、時間は2時半。
友だちになった男の子たち、まだ遊び足りないのか、木立の中へ冒険に。
(今日の感想を聞きました)
どんな活動が心に残りましたか?
「森の探検でセミのぬけがらがいっぱいあった」
「自分の思っていた以上のことを知ることが出来た」
「ネイチャーワークで初めて出会った子と虫捕りしたこと」
「自分でうどんを作って食べることが出来たのでよかった」
「うどんを打つとき手や足がすごく疲れたけど楽しかった」
(レポート・写真 三宅 優)
暦では立秋を過ぎ幾分は涼しくなっても良さそうだが、炎天魔大王の怒りは治まりそうにない。こんな時は不要不急の外出は控えるようにとのお達しだが、
建部町民は義理堅い。
「せっかくここまで楽しみに来られている人をガッカリさせるわけにはいかない」とJR列車歓迎に汗だく奮闘。
当日の模様を「たけべ福渡しプロジェクト」の森本みどりさんがレポート。
(レポート 森本みどり)
8月20日(日)今年2回目となる「福ふく市」がJR福渡駅構内で猛暑の中、開かれました。
今回のJR特別観光列車「SAKU美SAKU楽」歓迎イベントでは午前11時38分着、津山行きに合わせて「七社八幡宮神楽保存会」の神楽の演舞。
午後1時43分着、岡山行きに合わせて地元「オカリナ野の花」の演奏が用意されました。
おいしい物ブースは「建部物産販売所」の新鮮野菜と桃にブドウ、「建部ヨーグルト」のソフトクリーム、「ケーキハウスキシモト」が、かき氷、
今回、初出店となる「アクティブ鶴田」のジビエコロッケ、津山から「鉄板EBIS」の津山和牛肉ラーメンが参加。
暑さ解消、昼食準備にお悩みの町民に救いの手を差し伸べるラインナップです(笑)
また待合室では建部支所設営の「建部祭り」PR動画が流され、隣に獅子頭も展示、長くコロナ禍で中止されていた建部祭がやっと10月8日に開催されることもあり、
町内外に広く知ってもらいたいとの思いが伝わります。
朝からカンカン照り、気温もゆうに35℃を超える中、午前11時のスタートに合わせてお客さんが集まって来ました。
「おや?今回は小さな子どもの姿が多いな」
立っているだけで、汗びっしょりになるほどの中、子どもたちは早速、冷たいかき氷やソフトクリームに一目散。
獅子頭の展示前で初めて見る獅子の大きな顔を眺めながら、獅子の目玉をくりくりと触ってみる子、獅子にとっても初めての体験だったろう、なんとも微笑ましい!
11時38分、サクサク列車到着、それに合わせて「本日の目玉(笑)」神楽の舞が駅ロータリで始まりました。
笛、太鼓、鐘の音が響く中、観客はもう暑さも忘れて只々、演舞に魅入っています。そのまま発車3分前の合図まで居て、慌てて買い物をする乗客の姿も。
あっという間の8分間、今日は、獅子と一緒に列車を見送りました。
午後1時43分着の岡山行きはオカリナの演奏でお出迎え、駅舎内に爽やかな風が吹き抜けるかの様です。
乗客も音色に誘われ、冷房の効いた車内から次々ホームに出て1番ホームに渡り、演奏を楽しみました。
お見送りでは「七社八幡宮神楽保存会」の方が最後まで獅子頭を手に、おもてなしされていたのが印象的でした。
10月8日(日)建部七社八幡宮で行われる「建部祭り」が賑わう事を願いながら、第2回「福ふく市」は今回も無事、終了しました。
次回「福ふく市」は9月17日(日)こうご期待!!
(レポート・写真 森本みどり)
8月11日、久々の建部町納涼花火大会。昨年は実施の予定が急遽、取りやめとなった。今年は早々、開催決定、そこで記者にとって頭の痛い問題、
記者は数少ない実行委員なので終始裏方に出ることに。
もうすでにSNSで大会の模様が多数アップされていることもあり、今回は取材を諦め、写真を岡山市議会副議長 森田卓司 氏より提供いただき、簡単な紹介を添えるのみとさせて頂く。
盛大な中で終わった大会、心配は次の日の”ゴミ”だ!
が、奇跡は起きた、なんと翌朝、スタッフ、ボランティアが会場に集まってみると、「無い」「見当たらない」「一つとして落ちてない」のだった。
なんということだ、昨夕、スタッフらで観客一人づつに手提げポリ袋を渡し「ゴミを持って帰ってください」とお願いしたのが功を奏した。
いやあ、取材もせずに汗をかいて奮闘した甲斐があった、万々歳なり。観客の皆さん、屋台のみんな、ありがとうー。
では、安心してゆっくりと爆音の花火をご覧あれ
迫力の
花火の模様
(レポート・三宅優 写真提供 森田卓司)
隅田川の花火大会に見物客が170万人と聞いて、なんでそこまでして観たいのだろうと首をかしげる。と言ってもここ建部でも近日、催される予定だが。
大きな感動は本当に心に残る思い出となるだろうか、記者の個人的経験からすると、毎年、父親に連れられ酒津の花火大会に行った、しかし覚えているのは、人の頭と帰りに眠くて自転車の荷台から落っこちそうになったこと。
むしろ鮮明に思い出すのは毎夏、近所の友だちと橋の上でした花火、どっちが長く点いているか、最後の最後まで「ポトッ」と消えるまでを見つめていた。今では、あの時間すべてが懐かしい。
これまで記者の住む福渡地区では町内の老人施設と共催で「夏祭り」を実施していたが、コロナが止んだわけではないので今年もできそうにない。そこで先ほどの話に戻る。
「小さな催しでも、心に残るものができるのでは?」
記者の住む福渡と編集長、勝部のいる富沢で開かれた小さな夏祭りの模様を伝える。
「福渡ちっちゃな夏祭りをしよう会」実行者は町内会長(記者)と役員、それと気の合った仲間(福笑組)。
用意したもの「焼きそば」「焼き鳥」「おでん」「飲みもの」屋台。
他に子どもらに「輪投げ」「射的」「ヨーヨー釣り」「花火」のお楽しみコーナーが。
さっそくメンバーの一人、長く舞台美術に携わって来たヒロカガ氏に案内ポスターを依頼、そのあとヒロカガ氏、体調悪く入院も
「いやあ。却って病院で何もすることがないので下絵を全部、描き終えたよ」
ポスターも回覧で回して、さあ、初めてで人が気づいてくれるかどうか・・・。
開始1時間前(16時)、スタッフ集合、各自、持ち場で作業に入る。「焼きそば」の鉄板は町内で「持っていない道具はない」と言われる
古本さんからお借りしたプロ仕様のモノ。焼き手は若かりし頃、腕に覚えありの山本さん。「焼き鳥」も炭火を熾しての本格派、これは火を使わせたらこの人、前町内会長”やぶさん”。
「おでん」は当日に煮込み、配膳は佐藤さん夫婦が受持つ。
最初のお客さんは先日、お父さんの49日を終えたばかりのAYちゃん「来たよー」元気な姿に安心。
2番目、子ども連れの3人はベトナムからやって来たFさん家族。今回、特別に招待。
3番、昨日、数か月の東京研修を終え戻られたばかりの河本さんと愛娘、はるちゃん。
4番目、お揃いのユニフォーム?、なんと福渡小学校校長先生と教頭先生、担当主任の先生も。
5番、建部・御津の代弁者にして今期から岡山市議会副議長に選任された森田 卓司 議員
6番、頭に巻いたスカーフはインドネシアから町内にある「葵の園」(老人養護施設)へ研修生としてやって来た看護師たち。こちらも特別招待。
さっそく先客の岡田さんが話かける。
「私はインドネシアにはバリ島とかに何回も行ったことがあるんじゃ」
(看護師さん)「バリ島?行ったことないです」
そうなんです。インドネシアは日本の2倍の人口で、何千もの島からなり数百の違う言語の人で国がつくられています。
「私たち2か月前にここに来ました、3年間ここにいます」
自分の国の他の島にも行ったことのない彼女たち、日本は第二のふるさとになってもらえるだろうか。
それからは、次々と焼き鳥の煙に誘われて(笑)、顔なじみの町の人たち。異国感あふれる会場でコミュニケーションが広がる。
子どもたちはと言うと、手作り割りばし鉄砲で「射的」「輪投げ」。
ベトナムのFさんのお嬢ちゃんポーンと放った輪が3つ的に入る。すごいね、賞品トイレットペーパー8ロール(笑)
花火も始まる、大人の見る花火より、子どもに映る花火の方が、多分ずっと心に残る。
終わってみると、やっぱり炭火で焼いた焼き鳥がうまい!厚い鉄板で炒めた焼きそばも絶品・・・と分かる(笑)
これならベトナムの人もインドネシアの人も味にうるさい町の人も、そして屋台大好きの子どもらも、大、大満足だったに違いない(W笑)
(レポート・三宅優 写真・松下りえ )
夏祭りシーズンが来たよー
8月6日、3年間のブランクを経て、ようやくこぎつけた富沢夏祭り。前日から手分けしながら4年前を思い出し思い出し準備を終え、本番を迎えることができました。
実行委員長を中心にテントを張る人、やぐらを建てる人、野菜を切る人、炭をおこす人、無数の役割りを分担、まるで一軒の家を建てるがごとしです。
飲料コーナーの特設交流コーナーは開始の5時には缶ビール片手での「カンパーイ」4年間の孤独が吹き飛んでいきました。焼きそばコーナーはヤングガールズの皆さんが(後期高齢の私から見てですが・・・)大つぶの汗を流しながらヘラを返してます。
かき氷は氷を削るとカップが山盛り、夏の風物詩ですねー、フランクフルトと焼き鳥はヤングボーイズの皆さん(あくまでも後期高齢者の私の目)子どもたちの遊びはスーパーボール、シャボン玉、水鉄砲の射的。
最後は花火で打ち上げ、色々あって三世代交流で楽しんでいました。田舎の行事は、役割り分担と参加の活動が基本です、こんな時代だからこそ大切していきたいですねー❗
(レポート・勝部公平 写真・森本みどり)
待ちに待った夏休み!今、地球はどうなっているのだろうか?
連日35度をこす猛暑の中、今年も岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催、第1回サマースクールが市内の12家族30名が参加し開催されました。ほぼ4年振りです。
今回は建部町「B&G 海洋センター」での旭川カヌー体験と里山(田地子地区)でのブルーベリー摘みです。
カヌー体験では、我が子がカヌーの運搬から後片付けまでがプログラムの体験に組み込まれており、汗だくの子どもについつい大人が手を出してしまう。
実行委員長(記者 勝部)が「大人のやり過ぎが子どもの成長や自己実現を阻害しますよー」と言ってもなかなか・・・日本の過保護社会がここまで来たかー(笑)。
でも親の目を離れ、カヌーで川中に出てからは自力でなんとか前へ進むようになりました。若ものジュニア、期待してますよー!
午後からの建部町田地子にある本田農園でのブルーベリー摘みは、家族の協力ゲームみたいでブルーベリーを食べながらの収穫。バケツにいっぱいの大粒ブルーベリーが獲れました。
その後、会場を公民館に移しての試食会。本田さんの奥様手作りのブルーベリージュースやジャムの美味しさに舌鼓、なんとも贅沢な体験のサマースクールでした。
(レポート・勝部公平 写真・三宅優 )
かつて、この町を「釣りと桜と温泉の町」にすると宣言した時代があった。夢ははかなくも消え、今は「荒れた山畑と年寄りと猪」の町。
そんな建部町で30年振りと言われるアユ釣り大会が開かれた。会場となったのは「カヌー大会」が開かれる「しあわせ橋」の上と下の流域。
「令和5年岡山県鮎釣り選手権」と銘打ったこの大会には吉井川・旭川・高梁川の水系ごとに15名3チームが出場し、腕を競った。
開会に当たっては、建部町のエース森田卓司・岡山市議会議員も駆け付け選手激励をした。係りの人によると、川石のコケの噛み後がそれほど多くないので大漁は難しいかもしれないとのこと。さてさて、アユたちはどこへひそんでいるのだろう。
午前9時、おとりアユを受け取った選手らは、決められた流域へと入って行った。
この後、残念ながら競技の結果は記者の怠慢で聞けていない。と言うのも、記者はあまり釣りは得意ではない、もっぱら塩焼きのみである(笑)。
ただ、奇しくも30年前に描いた光景が今日(こんにち)観られることに不思議な感慨を覚えた。
釣り人、鉄橋を渡る列車、八幡温泉、桜並木・・・演出道具は今もそろっている。
(レポート・写真 三宅 優 写真提供・森田卓司 岡山市議 )
午前9時、すでにスマホの温度計は31度、「こりゃあ、大変な暑さ(熱さ)になりそうだな」
そう話すのは地域のコミュニティハウスで「たこ焼き」の仕込みをする男3人、
実はこの3人、歴代の町内会長で未だに第一線で汗を流す(笑)
この日(7月16日)、1年ぶりのJR福渡駅でのイベント「福ふく市」が開かれる。福渡町の「たこ焼き・福丸」は今や「売り切れごめん」の人気、期待を裏切るわけにはいかない。
10時開始を前に福渡駅には何人ものボランティアスタッフ(なんと全員、自主参加!)と出店者「石窯パン屋nico」「スイーツ チュプ」「サニーデイコーヒー」
「建部物産販売所」そして我が「たこ焼き福丸」、それとイベント出場の「はっぽね太鼓」の面々が次々、到着。
「おお、結構、気合入ってるな」長く取材をしてきた記者感が「ピピッ」と反応。
一方、こちら「たこ焼き」グループ。女性陣3人と次期町内会長(井手)の応援を得て試作に入る。
「石窯パン屋 niko」さんのピザ窯にも火が入る。互いに目前温度40度越え必死。並べるだけの「物産」「ちゅぷ」さんがうらやましいー。
そんな「物産」ブースで「おっ?」と見ると「建部産」の桃、「さすが、旬を持ってきたな」
とは言え、列車停止時間はわずか8分、それに向けて迎える側が全精力を傾けるのだから「のんびり朝市」とは少々、様子が違う。
これはもう「スゴイ!」と言うか、「何だ、このエネルギー、どこから湧いて来るんだー」と我ながら聞きたくなる(笑)
「今日は何食の予定ですか?」オニビジョンの記者さんの質問に「う~む、80食位かなあ」
一度、火を入れたらそこを離れられない、取材は成就寺の森本美登里さんにお願いする。
開店してすぐに、ひっきりなしにお客さん、急遽、「これじゃあ、すぐになくなるから、お一人2パックまでにしよう」と作戦変更。
アイスコーヒーの「サニーデイ」さんにも列、屋根のないロータリーはまさに炎天下。どこから来られたのだろう?見慣れない子ども連れがゾロゾロ。
常連のアニマルおじさんもモルモットを連れて遊びに来てくれた。
11時半、駅舎内は手に手に小旗を持つ子どもや大人で、大混雑(あくまでも記者の耳からの取材)
そうして「ドド~ン!」「そ~れ!」駅前ロータリーに陣取った「建部はっぽね太鼓」が鳴り響く。
スタッフの一人、東さんのハンドマイクの呼びかけ。
「みなさん、間もなく列車が到着します、小旗を振って歓迎しましょう。お見送りには子どもたちでシャボン玉を飛ばしましょう」
(なるほど、安上がり、効果抜群のエンターテーメント)
「アッ来た、ピンク列車が来たー」子どもの興奮した声。
列車到着!ホームにびっしり詰めかけたお手振り歓迎に、乗客はさぞやびっくりしただろう、「え?何?」「スゴイ、楽しそう」「降りてみようよ」と言ったかどうかわからないが(笑) 太鼓ステージ前はスマホを手にする人、人、人、おっと勤務中のアテンダントさんも堪らなくなって思わずカメラ(笑)
列車出発の時刻、子どもたちがしゃがみこんでシャボン玉の用意。「♪シャボン玉 飛ばそ、列車の上に・・・♪」
行く人、見送る人、互いが、ありったけの手を振り合う。
わずか8分、されど8分、人々の熱意とまごころがギッシリ詰まった”おもてなし”これこそが我が町、建部の”おもてなし”
(撮影をお願いした森本美登里さんの当日のコメント)
今日は列車のお客さんも多く、歓迎ムードに誘われてほとんどの方が列車から降りてこられました。(両便とも)
そして「建部はっぽね太鼓」の音に惹きつけられるように広場に出られ、見入っておられました。
列車のお客さんは短い時間なので、すぐできるアイスコーヒーがよく売れていたようです。たこ焼きさんは予約でいっぱい。
チュプさんのわらび餅は早くに完売。
nicoパンさんは暑い中でも一つ一つ窯で焼いて下さって、行列ができていました。
お昼ごはんに、ばら寿司を買いに来られたおばあちゃんが、今日はないんですと伝えたら残念そうにしていたのが申し訳なかったです。
イベントが始まる前からお買い物に来られている年配の方や、小さな子ども連れの姿もけっこう見えました。
楽しみにしてくださっている人がいるのを感じました。
三連休中日なので中学生も沢山来てくれ、午前の便を見送る際のシャボン玉飛ばしや、
午後の便の幕持ち、旗振りも手伝ってくれて、とても頼りになりました。
若い子たちが大勢いるとそれだけで活気が出ます。
かなりカンカン照りの一日でしたが、今日の「福ふく市」はひとまず成功です。
(編集部)
森本さん、お疲れさまでした、ありがとうございました。
そして編集部からも一言。
「へこたれない町」というのが全国にあって、
今、確実に建部がその一つになろうとしているのを感じた。
(レポート・三宅 優 写真・森本美登里 )
3年振りの「しろみて祭」。「里山建部」、建部町富沢地区にある夙山をベースキャンプに山の保全と活用を進めるグループ。メンバーは会長、勝部(当新聞編集長)を筆頭に町外からの参加者を含め20名以上が名を連ねる。
この日(7月2日)は、わずかの梅雨の合間とあってスケジュールの都合の付かなかった人も多い、それでも16名が集結、早朝から鳥越池、周辺の草刈に精を出す。
こうした作業は毎月、定例で行われてきた、ただ、このコロナ禍の間は終了後の交流会が開かれることはなかった。今日は「しろみて祭り」、まさに3年振りとなる親睦会。
手入れされた岸辺には、今を盛りと謳歌するアジサイが雨季の味わいを演出する。この季節、草の勢いに恨み言の一つも出てしまうが、それでもこうして自然に囲まれ暮らすことの贅沢さを思わないではいられない。
草刈も一段落した、メンバーはてんでに日陰に集まり、午前中の成果を確認する。
「池周りは、手前がまだ半分残っっとる」
「小屋の裏の斜面はやらなくちゃあだめだろう」
「まあ、これだけ草刈り機を使ったら早いじゃろう」
機械も道具類もすべて「里山建部」でそろえてある、炭を焼いたり、薪を販売したりした資金と市からの助成金で購入した。
一度、手を休めてしまうと、中々エンジンがかからない。前会長の重本さんがそんな様子を察して「今日はもう、これで終わりということにしましょう」と提案する。
そうとなれば、腰を据えて会を楽しむことにしようと、いそいそと車を家に置きに行く人。
知らずか、再び草刈り機の音、どうしてもやり残した部分が気になるらしい。
展望台から下を眺めると、そうした人や車が大きな風景の中でジオラマの模型の様に収まっている。ここには静かな生活がある豊かな暮らしがある、つくづくそう思えた。
「しろみて」の始まり、まずは前々会長の藤原さんによる「しろみてとは?」
(藤原)「”しろみて”はちょうど今頃、田植えが終わりホッとして体を休める習慣から来たもの、稲苗を全部植えて、なくなったという意味だそうです。
その前には田に、”のノ字”の反対に田起しをする”ヤレボー”という行事もあって、皆が牛を飼っていた頃の話ですが・・・」
一つの話で、忘れていた子ども時代へとつながる。
テーブルにはスーパーで買って来た、お弁当、ビール、そして無くてはならない「タコ」。これについては勝部会長の説明。
「なぜタコを食べるかと言うと、苗が土に吸い付くように根を張ることを願って始まったと言われています」(なーるほど)
3年振りの「乾杯!」は数秒の感慨深い沈黙。「長かった、が、とにかく、今日が来てよかった」
一人一人の自己紹介を含めた近況報告に宴が盛り上がる。
ちなみにこの日の参加者名。勝部公平(会長)、重本勝利(前会長)、藤原秀正(初代会長)、片山健次、市川正之、楢村文彦、佐藤誠、平松和弘、前原愼市、杉本久典、本田義章、
佐藤琢志、佐藤卓司
、山路大渡、大塚愛(県議会議員)三宅優(記者)。
今回は新顔の人が2名参加。吉田に来られた佐藤琢志さん、郵便局にお勤めだったそうで、早期退職してからの田舎暮らし。薪ストーブに使うマキを探していたところ、
この活動グループに出会ったとか。
もう一人、山路大渡さんは町外からの参加、1999年生まれと聞いてビックリ。
「きっかけと参加した感想は?」
(山路)「メンバーの図子さんの紹介です、もともと里山に興味があったのですが、まだ慣れていないので仕事はこれから覚えたいと思います。
ここに来ていろんな人が集まって、色々な人生談も聞けるのがうれしいです」(頼りにしてるぜ、若者!)
思い起こせば、道を造り、山を削り、展望台を組み、小屋を建て、すべてメンバーの力で成して来た。それもそのはず、大工の棟梁がいて、ブルドーザーを使う人がいて、
電気に詳しい人、竹細工の名人、山の案内人、あらゆるキャラクターが集まった、人材こそがチームの財産。
そんな会の集まりもそろそろお開き、締めは重本前会長。
「こうして集まってみると、今更ながらに一人一人がスゴイなって思います、それに、みんな仲がいい、
これは誇れます、ここが地域のつながりを産む場になる気がしています。次回は9月です、それまでどうぞ元気でいてください(笑)」
間もなく夏休み、コロナ再盛が聞かれる中、故郷を離れた子どもや孫たちの帰省が懸念される。
そこで、当新聞からもメッセージ。
「お~い、子どもたち、オヤジたちは、こうして仲間と楽しくやってるから、心配せずにそっちでも、がんばってやれ!」
(レポート・三宅 優 )
JR福渡駅に、どこからともなくやって来た正義の軍団、その名も「建部おもてなし隊」(笑)
この春から運行を始めたJR「SAKU美SAKU楽」列車の乗客を福渡駅で歓迎しようというボランティアグループだ。
顔ぶれは「建部を何とか盛り上げよう」と言うAさん、Eさん、Kさん、Sさん、Mさん「町のことなら手助けするぞ」と言うHさん、Nさん、Tさん。
他にも「頼まれたからにゃあ断れん」Fさん夫妻、「せっかくだから私らも楽しみましょう」Eさん夫妻、「ワシらの駅じゃけん(協力するのは)当然じゃ」と言う町内会の人たち。
その数1ダース以上。
彼らは毎週、土日午前11時30分には駅に集まる。顔ぶれが欠けていると「おや、今日はどうしたんじゃろうか、体調でも悪いのかな」と心配顔。
やがて遅れてその人がやって来る「ごめんごめん、うっかりしとって・・・」「おう、おう、あんたがおらんと、始まらんで(笑)」
他でもない、今ではメンバーは互いの顔を見るのが楽しみに。
11時38分、この日もピンクに頬を染めた「サクサク」(津山行)が1番線にゆっくり入線。小旗が振られ、シャボン玉が舞う。車内からこの光景を見た乗客の驚くさまが見て取れる。
「いらっしゃーい、いらっしゃい、ようこそー」
まずは七福神の駅名の前で記念撮影、「アテンダントさんもいっしょにお願いできますか?」
シャッター係りはボランティアのHさん。
この日は駅舎内に「キシモトケーキ」「建部ヨーグルト」がスタンバイ。
短い10分程度の停車時間だが、冷たいソフト、お土産のスイーツを求め次々と列ができる。
この間、ボランティアたちは「どこから来られたんですか」
「横浜です」(乗客)
「まあ、わざわざ遠くまでよう来られました」と会話を交わす。
「♪カラン、カラン」と出発3分前の鐘が鳴る。
アイスを手に慌てて車内に戻ろうとする乗客、「大丈夫ですよー、まだ3分ありますよー」
こう呼びかけるのもボランティアの役目。
やがてボランティアたちはそろってホームの先頭へと移動。
サクサクのドアが閉まり、「ガタン」と列車が動き出す。いっせいに小旗が揺れる、車内からもいっぱいのお返しの手。来たときは知らない者同士、別れる時は旧知の間。
「よかった、よかった、みんな喜んでおられたけん、それが一番じゃ」満足げにボランティアのNじいちゃんがつぶやく。
合言葉は「じゃあ、また来週!」建部おもてなし隊は今日も笑顔で去って行く。
『終わり』(笑)
7月の「福ふく市」開催予定。
7月16日(日)10時から
(レポート・三宅 優 )
6月中盤に入った日曜日、昨日は今年最高の気温34度、今日も暑くなるぞーと身構えていたら、意外と朝から曇り空でややムシムシする程度。ホッとして長靴履いて、岡山市環境学習センター「めだかの学校」へ向かう。
本日のカリキュラムは「田地子川で魚とり」、なんと岡山市内から11家族36名が参加すると言う、コロナからの解放感が伝わる。
午前10時、武藤館長の説明を受けた一行はそれぞれの車に乗り目的地、田地子川へと移動。10台もの車が数珠つなぎで進むのは、まさしくコロナ発生前以来、あの頃は20台もの列が出来た。田植えを終え、水を見に来た地元の人らも”久しぶりに何事かな”と手を止め、戻って来た活気を味わう。
いつもの「たけべ認定こども園」前の川原が今日の教室、事前に地域の方が草刈をして下さっている。
講師はアユモドキの生態に詳しい小林一郎先生。
(小林先生)「じゃあ、これから魚を捕る上での注意点を言います。まずは草むらを歩くときはマムシに用心して、素足だと嚙まれます」
「次に魚を捕るやり方ですが、こうして網を置いて上流から足で追います、手でやると私も経験があるのですが、釣り針が刺さることがあります。あと流れが速い所、じゃっかん深くなっている場所もあるので気を付けて」
今日は濁りもなく川底が透け、絶好のコンディションだ。
開口一番は「キェーXXX!」解読不明。
「ヒェー、つめてー」どうやら水の冷たさに驚いたようだ。
そうして「網を置き、足で・・・」ところが先ほど聞いたばかりの話はどこへ?
いきなりバッシャ、バッシャと手当たり次第に水面を叩く。
さすがに先生を伺うと「こん何でいいんですよ、(最初は)こんなんで」と至って達観(笑)
始めは「エビが取れたー」「あっ、ヤゴだ」、「また、小っちゃいエビ」「もう、ヤゴばっかりだ」
だったのが、「ママー、バケツ、バケツ、早く持ってきてー、魚が取れた」
覗くと10センチほどのカワムツ。
上流で漁をしていた子どもの一団から「ワッ!」「ワッワッ!」のどよめき。「コイ!」「鯉がいたー」
ゆっくりと水中を移動するのは体長40センチほどの錦鯉。どこかの家から逃げたのか、飼えなくなって放たれたのか、無理くり子どもらの網に捕獲される。
弱り切っていた紅色錦鯉さんも無事解放され、そそくさと旭川へと下る。
胴長に身を固めたお父さんらもいて、気合の入れようが違う。他にも子どもに劣らず夢中の親たち、次々と収穫が明らかになる。
「先生これは何ですか?」女の子が川石の下から見つけたと言う黄色い粒々。
(先生)「うっ、うっ、これは何の卵じゃろう・・・う~ん、初めて見る、ギギかな?先生もわからん」
先生もわからないなら飼育して何になるのか確かめようと、めだかの学校でしばらく飼うことに。
1時間ばかりで活動終了。子どもらはプールよろしく全身水中に浸かる子もいれば、裸で飛び回る子もいる。カミキリムシを追う子、トンボを捕まえた子。
「ハグロトンボ、手で捕まえたんだ、これ、僕を離れないんだよ」
手に止まった切り、
飛び立つ気配のない漆黒の羽を持つトンボ。
先生の解説。
「今日はビックリするぐらい、いっぱいとれましたねえ。まずは貴重なものから紹介します。ドンコです、大きくてミルソーに入りません、ハゼの仲間です。
ドジョウ、これはマドジョウ。アカザが2匹とれました、絶滅危惧Ⅱ類ですかね。ギギもいます、そしてなんとオヤニラミです。
他にも、きれいなスジを持つムギツク、これはアブラボテ、どこに卵を産むかしってる?」
(手を挙げた子)「貝(二枚貝)の中です」
今日はコイも入れて11種の魚、オニヤンマ、コヤマトンボのヤゴ、ミナミヌマエビ、ザリガニが。
ミルソーを手に取り食い入るように見る子どもたち。さすが参加を申し込んだだけあって関心度が違う。自分たちで捕った魚に喜びもひとしお。
(先生)「いやあ、ここは、この川の環境がいいですねえ、流れがあって浅瀬になって、草むらがあり、魚が住みやすい、実にいい」
先生に評価を頂き、わが町の誇りがまた高まった。
時間は正午過ぎ、解散と言ったものの、まだまだ遊び足らない?子どもたち、再び川へと。
その様子は、記者が子どもだった昭和から平成、令和と時代が移っても何ら変わらない子どもの姿に違いない。
<参加者の感想>
「この川にこんなに色々いてビックリした」
「ザリガニがいっぱいとれて楽しい」
「もっと長くやりたかった」
「だれがたくさんとれるか大会をしたい」
「普段できないことができた」
「説明が聞けて初心者にもよかった」
今年から「めだかの学校」指導員として勤務されている竹竝(たけなみ)敬子さんの感想。
「私、実は魚とり大好きなんです。子どもの頃は、普通にその辺の川で釣りをしていました。この田地子川には初めて入りました、流れがあって結構、急なのに驚きました。今日はエビくらいしか獲れなかったので、次回は魚を獲りたいです」
(レポート・三宅 優 )
建部中学に子どもを通わせる「たけべ福渡しプロジェクト」の江田さんから「1年生が防災研修をやるのですが、取材に来られますか」とのお誘い。
建部中学による防災研修が行われることは昨年、建部町公民館から聞いていて、ここ数年のコロナ禍で学校主体の防災キャンプが中止となっていたこともあり興味深く捉えていた。
即、「行きます」と返答。
前日には研修担当の片山教諭(生徒指導担当)から直接、参加依頼の電話を頂き、今回の取組への並々ならぬ熱意が伝わった。
5月16日(火)13時、あらかじめ「oniビジョン」松本記者と待ち合わせをし校内に待機、この日の気温は摂氏30度の予報、帽子着用、水必携である。
開始前に松本記者が片山先生にインタビュー、記者も同時取材。
(松本記者)「今回の1年生を対象とした防災研修のねらいは何ですか」
(片山先生)「今年初めての試みなのですが、地域のジュニアリーダーを育てることと、建部にこだわる意味もあります。
以前は閑谷学校など他地区に出かけての研修だったのですが、自分の地でも学ぶことがあるのではと思いました。そこで53号線は大雨による浸水もあり、南に通勤している父兄も多いので、これから出水期の前に防災を学ぶのが良いのではと考えました。
併せて地域の良い所、名所旧跡を訪ねることで幅広く学べるようにウォークラリーでゲーム感を入れ、楽しい授業にしたいとも思いました」
給食を終えた1年生25名が体育館横の日陰に集合。まずは出発前の集合写真。
この日のカキュラム前半は1時半から「ウォークラリー」北コース3班、南コース3班で、学校周辺の神社やお寺、八幡温泉、しあわせ橋と言った箇所を回りながら、同時に防災上の危険な場所や建造物を見つける。
これらをデジカメに収め、ウォークラリーでもらうハンコと合わせてポイントを競う仕組み。
開始に際して当研修を立案された講師の森田 靖さんからアドバイス。
「各班にデジカメを渡しますから、そこで自分たちが見つけたものを写真に撮って来てください、ポイントになります。その時は、”防災”と言うメガネを掛けて町歩きをすることが大事だからね」
13時半、生徒は6班に分かれそれぞれのポイントに向かう。記者ら(松本記者)は、水害記念塔のある宮地神社から中田新町、神力稲荷、成就寺を回るコースに同行、帰校予定はは14時50分~。
日差しは目を射るほどに強い、まさに炎天下、三脚付きのカメラを担ぎ、生徒たちの先へ先へと構える松本記者の姿にプロと素人記者の差が歴然となる(笑)
一行は最初の目的地、宮地神社に到着。区長さんら数名がお待ちかね。鳥居をくぐったすぐ右に建つ石塔の前で区長さんが説明。
「これが昭和9年に水に浸かったことを記した水害記念塔、ここにその時の水位が刻まれておる。私の頭の上くらいじゃから約1メートル70センチじゃ」
(生徒)「ヒェー⁉」
「裏にそのことが書いてある、昭和9年9月21日出水被害で20余町歩が浸かったと。古い話じゃけん、おじさんらも生まれとらん時のことで、それ以上はようわからん」
生徒たちは確かにここに来たことを証明するため「僕らの写真を撮ってください」とお願いする。(2世代交流が実現)
次なるミッションは「中田新町」。
「少し遅れてるので、ギアを上げます」リーダーの指示に記者も回転数をアップ。日差しは衰えを知らず、生徒たちは持参の水筒を何度も口にして水分補給。
道ながら見つけた崩れそうな古屋や石を積み上げて出来た宝塔を撮影。
「これって、倒れてくると怖いですよね」
台橋を渡り中田新町、入口に「妙見様」。
「撮っておいた方がいいですか?」と聞かれ
「古くから地域の人が大事にしているから撮っておいた方がいいんじゃないかな」(記者)
町屋筋、奥の1軒でこちらを伺うご夫婦、以前取材でお世話になった「太田秀世家具工房」の太田ご夫妻だ。醬油屋だった古い商家を以前の姿を活かしながら改築され住まわれている。
(太田秀世さん)「ここは江戸時代に岡山藩が治めていて、川の向こうは津山藩が治めていました。それで岡山藩はここに陣屋を作り警備にあたりました。
その時、武士だけでなく、商人や大工、職人も住まわせました。でも明治維新で武家がいなくなったので、侍屋敷と町人の境に建っていた大手門がここに移築されました」
太田さんの家の門が江戸時代から残っていると聞き、生徒の反応は目が宙をさまよい、遠い時代にスリップしているかのよう。
中田新町を出たのは2時30を過ぎた頃、急ぎ足ながらも危険個所はないかと度々、立ち止まる。
水路沿いを行く。建部は10キロ以上の用水路が引かれていて、水門のある場所は人が出入りできるように開口が広くなっている。生徒たちのカメラに収まる。
神力稲荷の前で気をもみながら待っていてくれたのは、連合町内会長の垣本さん。
「遅いなと心配しておった、今から成就寺へ行くには時間がないから、このまま戻りなさい」
急ぎスタンプをもらって出立、まっすぐ学校に向かうことに。鳥居の奥にはひと際、高くそびえる大杉。
無事到着、しっかりと冷水でのどを潤した後は、後半防災カリキュラムへ。
午後3時半、体育館1階の武道館には地域の区長さんやボランティア30名ほどが集結、これから始まる「避難所疑似体験」にどんなことをするんだろう、うまくできるかしらと興味半分、心配半分(笑)
國富校長先生からの説明。
「本日は地域の皆さまにご参加いただきありがとうございます。近年の異常気象を考えると子どもたちが防災を学ぶことは大変、重要なことと考えています。
今日は皆さまにランダムの役当てで自身が引き当てたカード役になりきっていただき、実際の避難者になっていただきます。子どもたちが、そのカードの記入に沿って避難場所へと誘導します」
この日の講師は、真備水害で水に浸かった写真の洗浄ボランティアを続けられている森田 靖さんの他、長く避難者のサポートに携わって来た「ホット岡山」の服部育代さんも参加。しっかりとした人選に計画の入念さが伺える。
参加者一人一人に役当てのプラカードが手渡される。それを手にした人たちの一様な戸惑い。
田地子区長の本田さんが引当てた役は「89歳女性 家族とはぐれている 秋田犬を連れている」
シルバーの会の市川さんの役は「78歳 女性 歩行困難 高血圧の薬を無くしている」
他にも「32歳女性 生後10日の乳児を抱え母乳で育てている 夜泣きがひどい」
「言葉が不自由 手話での会話が必要な女性」「引きこもりの30代男性」「外国国籍 日本語が通じない男性」と多岐に渡り、
それ以外にも家族構成や家の被害状況などの個別情報が盛り込まれている。
誰もがしばらく、自分ではない人格になりきるためのイメージトレーニングに入る。
「それでは、上の避難所の受付へとお進みください」いよいよ開始。
ほぼ全員が歩いて2階階段へと移動、だが歩行困難役の市川さんはさっそく難問にぶつかる。
「ワシはここから這って行くんじゃろうか、だれか車イスで連れてってもらえるじゃろうか」
2階受付、生徒らが検温器で一人づつの検温(今回は全員熱ナシ)。それを終えて記入カードの作成。
「氏名」「年齢」「町内会名」「自宅の被害状況」「滞在する場所(避難所・テント・車内・それ以外)」「ペットの状況(同伴希望・置き去り・行方不明」「車の車種・ナンバー」
参加者は首に掛けたカードの情報に即してそれらを記入。戸惑いながらも懸命に書き入れる指に力が入る。
「ワシは、つい自分のことを書いておったわ」いつの間にか他人事ではなくなっていた人も(笑)
「はい、カードをお見せいただけますか」生徒たちが一人一人の避難者のカードを確認しながら、今、どこへ避難誘導すべきかを判断をしていく。
中には「子ども連れ」と「乳児を抱える人」を同じ場所に案内していいのだろうか、「外国の人」と「言葉が不自由な人」は?
そんな時、「???・・・少々お待ちください、係りの者と相談します」何人かが集まり意見を出し合う。
その間、講師も先生も「それは、あそこに」とか「それはこのように」と言った
アドバイスは一切しない。判断するのは自分たちであって、自分らが結論を出すしかない。
「わかりましたので、こちらにどうぞ」さっきまでとは変わり、自信を持って避難者を目的の場所へ案内。
1階から2階へのスロープ通路が完備されているが、体育館入口扉の段差は15cm以上で超えられなくて立ち往生。避難者役の市川さんも車イスの前輪が上げられるたびに「こりゃあ、怖いわ」。
これには、さすがに先生が手を貸してどうにか入場。今回、奇しくも現実の課題が浮き彫りに。
避難者の状況に合わせた避難場所への誘導、その避難先でも「お乳をあげるときは、ここをお使いください」「ベッドがあった方がいいですね、今お持ちします」ときめ細やかな
サポート。
ホワイトボードの前では「ご家族がいなくて探されている方は、こちらに書いてくださーい」
自分の役に書かれた情報を読み返した人が「あっ、それは私だ!」とボードに向かう。
避難者になった人にも発見がある。
「メガネがなかったので記入に苦労した、実際の避難では持つ暇は無いじゃろうから、受付にあると助かる」
「このテントの中は結構蒸すな、これが夏場だったら中より外にベッドがあった方がいい」
「建部でも外国の人が増えている、日本語がわからないとイザと言う時、困るじゃろうなあ」
「うちも犬を飼っているけど、いっしょに連れておれる場所があるとええわ」
さまざまな人や家族が想定された中で、生徒たちが自分で答えを見つけて行く、その力を身に付けることこそがこの研修の目的だと分る。
「何か、お困りのことがありますか?」神妙な顔でメモをしていた記者に、笑いながら問いかけてきた女子生徒。
「オッ、○○ちゃん!」
いつの間に大きくなったのだろう、保育園の夏祭りで出会った園児。
「そうか、おじさんも、○○ちゃんに助けてもらえるようになったのか、ありがとう・・・な」
終了後の振り返り、生徒たちへ森田さんから。
「まず、中学1年生でこれだけのことが出来たのは素晴らしいことだと思いました。そして学ぶことも多かったと思います。
カードの記入の仕方、誘導先の決め方、実際、車イスが入口で段差があって入れなかったことも起きました。
車イスのハンドリングを学んだ人が必要だと分ったと思います」
服部 育代さんに感想を聞く。
「とにかく面白かった。こちらが放っておいても、子どもたちがそれぞれの状況を一生懸命、想像して対応していた。
地域の人との交流もできて、申し分なかったです」
避難所運営の後には、この日、生徒たちの一番のお楽しみの「夕食づくり」が。先生からメニューと電卓、お金、マイ袋を渡されて、急ぎマルナカへ。
(記者感想)
中学1年生が、どんな防災を学ぶのだろう? 興味が沸いた一方、よくあるビデオ視聴や講演を聴くだけのものなのか不安もあった。
地元の大人たちが勢ぞろいしてたのにも驚いたが、その人たちが避難者になる、それも男性が女性に、80代が30代に、はては外国人に言葉の不自由な人にと、
今の自分を捨て去り、他人の気持ちになる。その人たちを生徒たちが一人一人、避難所に受け入れる。
それを聞いて「何と面白いプログラム!」と一気に高揚。
実際にその現場はワクワクの連続、目の前で生徒たちが困惑したかと思うと、次には自信を得た行動に移る、まるで早送りの動画のように生徒たちの成長が観てとれる。
こんな為になる授業なら、日本国中の学校でやって欲しい。仮に、これからそのようなことが起きた時、この経験を持つのとそうでないのとは、大きな差が出来ると思う。
今回の研修は生徒も大人も共に初体験いい刺激になった。この研修を企画実行された講師の方々、学校の先生方にお礼を申します。
(レポート・三宅 優 )
13日(土)は雨模様、でも、そんなこと気にしちゃおれんのが”たけべ魂”。この日は「カヌー大会」と「SAKU美SAKU楽」列車歓迎のダブルイベントが待っている。
午前11時、津山線福渡駅1番ホームに勢ぞろいしたのは赤いバンダナ、黒いTシャツ、手には色とりどりのオカリナ、そう、ご存じ建部の女性演奏グループ「オカリナ野の花」の面々だ。11時38分入線のJR「SAKU美SAKU楽」列車を音楽で迎える熱いおもてなし。
練習の音色が駅舎に響き始めると歓迎旗を手にしたボランティアが続々と、その中に年輩の外国人旅行者の姿・・・と思いきや、そこへピッツェリア「マル屋」のマルコ、マリコ夫妻が登場。
「あの、イタリアのマルコの両親です」
おお、そうとなれば握手・・・「イイイ、痛タタ・・・」
手のひらが潰れそうなほどの握力、その力強さはまさに「グランデピザ」(直径60cm)を宙高く投げ上げて、軽々片手でキャッチするマルコのパーパならでは(笑)
この日はなんと偶然、ご両親と広島観光に行くため駅にやって来たとか、その後、帰国の途に就くとの事で、ぜひとも「たけべ新聞」で紹介をしたいとお願いした。
編集部よりコメント:「お父さんのアルドさん、お母さんのニコレッタさん、ここ日本で思い出いっぱい出来ましたか、また来てくださいね、お会いするのを楽しみにしています💛」
11時38分、サクサク列車がやって来る、演奏されるのは「瀬戸の花嫁」、ホームにあふれるほどの歓迎に乗客は只々、驚くやら腰が引ける?(笑)やら。
「ふるさと」の曲に送られて「サクサク列車」は無事、次の駅へと向かいました。
一方、こちらは旭川河川敷、は恒例「カヌー全国大会」の開催、数百人もの人が日本各地からやって来た。
ここで「そうとなりゃあ、わしらも何かして応援せにゃあ、おえんじゃろうが」地元の年寄り男たちが奮い立つ。
チーム名は「我ら、ここ(福渡)で笑って暮らそうよ」と「福笑組(ふくしょうぐみ)」に。
さて何をするか
?
「よっしゃ、若い選手が喜ぶのはハイカラじゃ、タコスを出そう!」
生地からのトルティーリャ作りに挑戦。
「ムム、マル屋のマルコなら空中で回して簡単に伸ばすのだろうが・・・」
それでも苦戦しながら徐々に技術アップ、どうにか形に。
店番で競技の応援まで気が回らない、でもアナウンスで「ゼッケン〇〇番、岡山県カヌー協会所属・・・」と聞こえると「オッ!」とスマホを手に岸辺へ急行。
雨は本降りになり、応援も水濡れでの声援。競技は翌日もある、いい結果が出ることを願う。
用意したタコスはすべて完売。70枚ものトルティーリャを伸ばした男たちの顔も満足げ。
「えっもう終わっちゃったの?」食べ逃した皆さん、また来年、それまでに腕を磨いておきます(笑)
(レポート・三宅 優 )
そもそものきっかけは、妻から言われた「お願いだから、作品は残さないで」の一言。
確かに画家(彫刻家なども)が多くの作品を作っても、逝った後、困るのはそれを引き継いだ家族の者。捨てるに捨てられず、かと言って・・・。
そこでふと思った、「じゃあ、その辺にある石ころを拾って絵を描いてやろう」
石の可能性を知らしめるには分かりやすいイメージが良い。自分が感動した絵をテーマにすることにした。
しかし使うのはあくまでも着色も加工もしない普通の石、それだと自然に戻せる、ただそれで描けるのか?誰もが首をひねるだろう。
でもそれについては全く心配がない、なぜなら石が音楽の音符のように感じれるし、元より名画を再現することに主眼はなく、それを題材にして石の美しさを奏でることが目的だから。
互いに異なる石を並べ集めて一つの小節ができる、それを2つ3つとつなげて一つのメロディが生まれ、最終的に石の交響楽となる。
ダヴィンチの「最後な晩餐」に始まり今回7回目となる「ゴーギャン展」、昨年の暮れから取り掛かり、終えたのは展覧会(4月29日)の1週間前。
今回も1日限りの開催、さて石はどのように鳴り響く?
「説教の後の幻影」(1888年)
見えるもの(民族衣装の女たち)と見えないもの(格闘する天使と神)、形(人物、木)と色面(背景)、現実と非現実を一つの画面で構成する、
ゴーギャンの目指すところの総合主義を確立した作品。
白い石(女の衣装)のリズムが作れず、何度も何度もやり直すことになって途中で止まってしまった作品。
鑑賞者の感想「赤い地に白の石が見えるけど、何が描いているかさっぱり??(笑)」
「光輪のある自画像」(1889年)
40点ほどあるゴーギャン自画像の1点、後の象徴主義につながる作品。
制作中に子どもたちの観客がやって来て「アッ見て、ここに男の人の顔がある」と言って感心してくれたので、これは成功だと思った(笑)
「かぐわしき大地」(1891年)
大原美術館にある名作、荒いジュートに描かれている。
黄色いパネルを用意した途端、手が一気に動き出し、次々と石を見つけて行けた。
鑑賞者の感想「どこかで見たような気がするけど、あっ、大原美術館、そうそう30年も40年も昔に観た覚えが」
「タヒチの女たち」(1891年)
1回目のタヒチ滞在の作品、トウモロコシの皮を編んでいる女と友だち。
右の女に置かれた石の量と、左の女の髪とスカートの花柄に置く石の量に手こずる。
鑑賞者の感想「これはよくわかるわ、女の人が二人座ってるのが」
「ネヴァモア(横たわるタヒチの女)」(1897年)
パリに居られず再び戻ったタヒチ、すでに女は去り、病に侵されて貧困の生活を余儀なくされる。
茶褐色の女の肌、光と影、古い襖(ふすま)の模様もそのままに、ただ石を置いていった。
鑑賞者の感想「こりゃあ、こっちから見りゃあええんですかいのう」(反対に立って)
「赤い花と乳房」(1899年)
メトロポリタン美術館にあるゴーギャンのもっとも知られた作品。
青いパネルをベースに肌に置く石とスカートに置く石のバランスに最後まで迷う。
移動する度に石がずれて、いつの間にか女の表情が変わってしまった😢
「我々はどこから来た、我々は何者か、我々はどこへ行く」(1897年)
題名から遺言とも言われる大作、ボストン美術館で観たのは30年も前。
最も石がリズミカルに運ぶと思える3つの部分を選び、古い襖の上に描く。つながりを考えず1枚を1点として作ったが、並べてみると一つの作となっていたので満足。
<追記>
1冊の本を開く。「美術の物語」世界的ベストセラーとなった美術の歴史書。
紀元前のはるか昔、アルタミラの洞窟画から現代まで人の手で作られてきた美術を語る。
その中で600ページ中、近代までに550ページを費やし、残り50ページからゴッホ、ゴーギャンが取り上げられる。それほどに美術の歴史は壮大で、かつ近代、近代後は未だ定まらない薄い歴史とも言える。
だとしても、美術はその時代に、たまたま居合わせた一人の天才たちの連なりだと言うこと。一人の変革する芸術家がいなければ、そこに歴史は生まれない。
鑑賞に来てくれた天才少年の感想「僕もこの本を読みたいと思います、昔のことをもっと知りたいから」
(レポート・三宅 優 )
4月も半ばとなった休日、里山建部の近くでは、子どもたちのかん高い声が近くの竹林から聞こえてきています。今日は、めだかの学校主催の「タケノコ堀りと野草観察」が開催されました。
はじめにスタッフの紹介、タケノコ掘り名人の松本さん、タケノコが大好物のイノシシ対策を日夜おこなっている杉本さん、里山で竹細工のことならこの人・河原さん、野草が大好きな勝部です。
竹林の中に入り、松本さんから、クワの使い方のお手本、太いタケノコの周りの土をけずり、クワを振り落とすと見事なタケノコが取れ「ワー!」という歓声、さすが名人です。
家族ごとにクワを担いでいよいよタケノコ掘りの実践です、小さな子どもにはお父さんが手を添えて「エイヤー」の掛け声とともに彫り上げます、みごとに決まると「出た―!」
掘り上げたタケノコは、煮る時に出るアクをとるための米糠と一緒におみやげとなります。
続いては、タラの芽の収穫です、高枝ハサミでめざす芽をつかんで、チョキンと切り落とします。香りをクンクンとかぐと春の匂いがいっぱいです。
次は野草観察です。かじると酸っぱいスイバ(酸い葉)の紹介、フキの葉では、葉っぱでコップをつくり。
「昔はなんでも、自然にあるモノをこうやって工夫して使っていたんだよ」と説明すると「へー、そうなんだ」とさっそくお茶を入れて楽しみました(笑)
ノコギリ使いの体験では、節ごとに切って竹コップの完成。竹の香りをかぎながらお茶を飲み、里山の自然を満喫。
忘れかけていた自然とのふれあい、こんな体験が生きている喜びを感じさせるのですね。
(レポート・勝部 公平 )
勝部編集長の「タケノコ報告」を聞き「もうそんな時期になったか・・・もしや?」と思い、近くの竹藪へ。
「おっ!」見ると、すでに中学生ぐらいに育ったのが1本。
「これは早くしないと、道に覆いかぶさるようになる」と慌ててスコップを取りに戻る。
それから数日、雨。「雨後の筍」のことわざ通り、モコモコと頭を出している。近所の年寄りに「タケノコ堀り」へお誘い。
すると「まあ、私、これまでタケノコが成っているのを見るのも、掘るのも初めてよ」と驚きの証言。
「そうか、年寄りが何でも経験しているとは限らない、やはり体験学習が重要だ」と改めて勝部イズムに納得。
「初物だから、これで75日、長生きできるわ」年寄りの喜ぶ顔は、子どもたちの写真の顔と何ら変わらない。
(レポート・三宅 優)
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
在原業平(ありわらのなりひら)が古今和歌集で歌ったとおり、暖かく心なごむはずの季節が、桜の開花と散る様に心が一喜一憂。
そこへ新たなサクラ登場、昨年当地を賑やかしたJR特別観光列車「SAKU美SAKU楽」(以下、サクサク列車)が3月31日より運航開始。
運行日程は9月までの土・日・祝日で、福渡駅11時38分着、津山行、13時37分着、岡山行。併せて、この日から統一地方選挙、建部からも2人の県会議員候補、1人の市議会議員候補が立候補。もう、目も耳も心も休まらない日が続く。
1日、福渡駅に到着したサクサク列車の乗客は定員いっぱいの40名。そのうちの一人は「いや、もう乗れないと思ってたんですが、運がいいです、キャンセルが一席、出まして・・・」
その人気ぶりが伺える。ましてや、桜満開のど真ん中週末、超メルヘンなピンクのミニミニ列車でお出かけムード全開。
昨年9月から半年ぶりのお出迎えとなる町民は「こりゃあ、また歓迎せにゃあ、おえまあが」(これはまた歓迎しないわけにはいかないだろ)と、おなじみのピンクの小旗を手に一人二人と駅に集まる。
横断幕には「ようきてつか~さった建部の町へ」(よく来てくれました、建部の町へ)
そうは言っても、昨年は7月から9月までの3か月の運行、それが今年は3月末から9月までの半年間。
そこで、ここはじっくり腰を据え、「のんびりと長ーい目で歓迎しましょう」
地域の活性化、その決め手はイベントそのものではなく、それを担う人の結集にある。それも、苦痛を感じながらやる集まりではなく、楽しいからやろうよで自然に集まるのが「いいなあー」
「サクサク列車はやっぱり桜がよく似合う!」
(レポート・三宅 優 )
快晴の岡山市環境学習センター「めだかの学校」、花が咲き始め、木々には小鳥のさえずり、魚たちがスイスイ泳ぎ、待ちわびた春がやってきました。
今日は、「小鳥さんの巣箱づくり」、岡山市内から4組の家族、おじいさんとお孫さん、兄弟も一緒に、家族みんなで、自然を楽しみたい人たちがやってきました。
参加メンバーの皆さんやスタッフの紹介、道具の使い方などの説明が終わると、早速、家族ごとに工作に取りかかる。
「大人は最小限のサポート、主役は子供さんですよー」「みんなで協力して完成させましょう」とのスタッフの指導。あらかじめカットしてある杉板の組み立てを全員で作っていく、板を支える人、金づちで釘を打つ人、止まり木を準備するひと、まるで家を建てる大工さんのようです。
止まり木は、桜の小枝を自由に選択、家族でデザインして取り付ける。最後は、実際取り付ける木を想像しながら、穴をあけ針金を通します。
親子で力を合わせて作った巣箱、「釘打ちが大変だったけれど、完成したらうれしかった」「これからも、こんな体験にチャレンジしてみたい」など、子供はいろいろな体験で成長していくものですね。
(レポート・勝部 公平 )
コロナ禍が吹き荒れて、それまでの過去を忘れてしまいそうなこの3年。ようやく落ち着きを取り戻しつつあるが、もう3年前に帰ることはないだろう。
何かを学び、何かを失った、失ったものの方がはるかに大きいのかもしれない。
今日、3月11日、土曜日、ガレージギャラリーに届けられた牛乳パックを並べる。今年も夫婦二人で追悼。
午後6時、12個のサークルに点火。
火はこのまま0時過ぎまで灯り続け、多くの犠牲者の霊が弔われることを願う。
(追伸)ささやかな催しではありますが、皆さまから牛乳パック、お志しを頂き心より感謝申し上げます。 これからも命ある限り続けていきたいと思います、ありがとうございました。
(レポート・三宅 優 )
立春を過ぎたとは言え、朝方は霜が降りたり、まだまだ寒い建部平野。そんな中でもそれよりさらに1~2度、気温が低いのではと感じる建部町田地子地区。「たけべの森公園」を有する、山間の40軒ほどの集落だ。
ここで毎年開かれて来た岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催による「環境フォーラムin田地子」。昨年はコロナで中止となったが、今年は定員を20名に絞り開催にこぎつけた。
午前9時、田地子にある多自枯鴨神社に参加者(親子)20名と地元ボランティア、スタッフ、計40名ほどが集合。600年代に出来たとされる神社の境内には、近年切られたばかりの直径2Mもの御神木の根元が残る。
実行委員長(記者)の開会の言葉。
この日の参加者の半数は福渡小学校の児童家族、この田地子を訪れるのが初めての人も多い。地元に居て、地元を知らないで過ごすことが普通となっている現況は、恐らく日本国中の中山間地域で起きていることだろう。人々が外に目を向け、故郷に愛着を得る機会が失われている。そういう中での、こうした体験学習は意味深い。
いよいよ開始、まずは焼いもの用意。煙突からモクモクと煙、周りりに盛られたスクモの中に濡れ新聞紙とアルミホイルで包んだサツマイモを差し込んでいく。食べ頃は1時間後。
「早く、食べたいなあー」「僕は、この大きいやつ」(入れたら誰のだかわからなくなるのよー)
続いては、花炭(はなずみ)作り。センベイの入っていた空き缶に、松ぼっくり、ツバキの実、栗のイガ、桐、フジの種、楓(かえで)の実、お好きなものをチョイスして、スクモを敷いて蓋をする。蓋に書かれたアルファベットを覚えておこう。
火の熾(おこ)ったU字溝の上に載せて、蓋に開けた空気穴から煙が出なくなるまで燃やし、紙粘土で穴をふさいで冷めるまで置いて、帰る頃に完成。仕掛けは万端、後のお楽しみ。
じゃあ、今から竹でっぽう、ヤジロベーを作るぞー。
竹でっぽうは1本のシノ竹から作る。根元の太い部分の一節(ひとふし)を使う。それで「鞘(さや)」と「持ち手」を作り、次に先の細い部分を切り、持ち手に差して「押し出し棒」を作る。
鞘に収まるのにちょうど良い太さを見きわめるのがポイント。玉は細かくちぎって濡らした新聞紙を丸めて詰める。
「先生が子どもの頃はこんな実をつめて、玉にしてたんだよー」
「え?なに、それ」「あっ、見たことある」
「じゃあ、どこにあるか探してみよう」
鳥居のそばの石垣にモサモサと緑の草束、「リュウノヒゲって言うんだよ、ここをかき分けていくと・・・」
「あっ、あったー」
「ムム、うまく、竹が中に入らない」「じゃあ、おとうさんもやってみよう」
「撃つときは空に向かってやるんだよ」「スポーン!」
「わぁ、いい音がしたよー」
ヤジロベーも大人気。
「ねえ、なんで、これって、倒れないんの?」不思議でしょうがない男の子。次々とドングリに穴開けの注文が入り、工作担当のおじさんたちも大忙し。
「私のはちゃんと立たないのですが?」とお母さん。
「それは竹ひごがカーブしてないから、火の上であぶって曲げるんよ」
「へぇー、そうなんだ」
そのうち「お~い、ヤキイモが焼けたぞー」いっせいに駆け出す子どもら。
「うん、うん、ウマい、ウマい」自然の中で焼いたヤキイモは香りが立って最高だよね。
工作のできた子は丸太切りに挑戦。ノコを引く手が段々にうまくなり「あと、もう少しだ、がんばれ!」
「やったー」と最後まで自分で切った満足感。
松ぼっくりのオーナメントは地元区長の本田さんの奥様が製作。「わ~、かわいいー」「持って帰って、飾ってね」
花炭の方はスタッフが生焼けの無いように懸命の火起こし。「もう、肺がくたびれたわー(笑)」
ほぼ煙が出なくなった花炭を下ろし、さてどうしよう?「そうだ、竹串に餅を刺して、この上で焼いてみよう」
手に手に餅を刺した竹串、だんだんといい感じに膨らんできて、お醬油に付けて・・・。
「ああー、ぼく、ホントーに来てよかった!」(おお、それは、何よりうれしい感想)
昼食のおにぎりも食べ、大満足の午前の部。
午後からは、腹ごなしに里山散策。
「この家は大きいだろう、何階建て?昔はこんなふうに家を造ってたんだよー」「壁の板が黒く焼けてるのは、こうすると虫が付かなくて長持ちするからだよ」
ヤギを見つけ走り出す子。大人たちはもう到底、追いつかない(笑)。
戻ってからは本田区長さんによる、この地域の昔の暮らし方のお話。
「昔は今のように電気も水道もなかったから、こうして山にあるモノを使って生活してたんだよ。これは炭のコタツ、これは木で出来た水桶、ワラは縄にしたり、畳にした・・・」
神輿(みこし)蔵の子ども神輿を覗いてみよう。回りに描かれた絵は「アラレちゃん」と「ドラえもん」もいる。
「アラレちゃん!アラレちゃん!」連呼して子ども神輿が駆け巡る。
地元の子どもによる、お祭りで行う「棒遣い(ぼうつかい)」の演舞。そして大人の演舞。
「こうして大人から子どもへと受け継いでいるんだよ」
そろそろ、花炭もできたかな?自分のアルファベットの缶をそっと開く・・・。
「あー、きれいー」「お母さん、観て、これ」「ステキ!」
どうやら、スタッフの火吹きが功を奏したようで、ほぼ、ほぼの完成度に胸なでおろす
閉会の言葉、勝部 副委員長。
「人が生きていくためには、知識だけではダメなのです、体験がもっとも重要です。今日のことが、
これから先において力になって来ることを願っています」
(レポート・三宅 優 写真・松下りえ)
まもなく春を迎えようとしている里山の寒中、朝早くに昨夜から冷たい水に浸していた大豆をゆだっている大釜に入れる作業が始まりました。杉本久典さん宅の冬の風物詩の始まりです。
杉本さんの家で、おじいさんおばあさんが60年以上も毎年守って来た味噌づくり。昔の農村部では当たり前の風景でしたが、近年ではほとんど見かけなくなってきました。
春に蒔いた豆は秋に収穫・乾燥を経て黄金色になり原料となります。
庭先でモウモウと湯気をあげている大釜、山からとってきているマキを燃料として使用、久典さんは時々大豆をすくって指先でつぶすような仕草、豆の煮えぐあいを確かめる作業です。これが大事な作業なのです。適当な柔らかさになったら急いで火を止め、徐々に冷まして行きます。
二日目の朝、いよいよ味噌づくりのスタートです。今年は、手を負傷した奥さんにかわって近所に住んでいる娘さんが手伝いに来ています。
杉本家では、田んぼの苗代づくり、田植え、稲刈りは子供さんの家族もやってきて皆で作業をします。
昨夜に炊いた大豆を大鍋からすくいあげ、水を切り、こうじ菌、塩をまぜながら味噌づくりの機械に投入。
摺りあがるとすぐに保存用の樽に入れる作業、大きなおにぎりのような丸いだんご「味噌玉」を作り、樽の底へ投げつけていきます。
これは摺った大豆の間に空気が入るとカビが生えやすいのでこんな作業をするのです。
こうして樽詰めした味噌は、味噌蔵と呼ばれる、漬物や味噌専用の蔵に一年間寝かされ、おいしい味噌ができあがっていきます。
里山で息づくこんな文化、守っていきたいですね。
(レポート・勝部 公平 )
里山に春がやってきた!
寒の戻りが厳しい今日このごろ、春の足音が一歩一歩聞こえてきます里山、田地子川の岸辺では桃や梅のピンク色の花がまばゆいばかりに咲いてます。
里山では黄色いマンサクの花が春の訪れを知らせてくれ、スイセンの花やネコヤナギの花が彩とりどり、日だまりではムクドリ、メジロがさえずり始めました。心がウキウキなり華やぐ春が近づいてますよー!!
(レポート・勝部 公平 )
2月4日は立春で、この時期に合わせて行われるのが立志式。数えで15歳になったことを祝う、いわゆる「元服」の儀式。建部中学ではこれに習い、毎年、中学2年生による「夢と希望を語る会」を開いてきた。
当新聞も2016年より取材を続けて来た。昨年はコロナの影響で当新聞での掲載ができなかったが、今年は建部町文化センター大ホールで開かれると聞き、聴講に赴いた。
この日、発表したのは33名の生徒、2年前より増加。以前は(2021年)の会では「ネイリスト」「ダンサー」「ラッパー」「アニメーター」と今どきの職業が希望に上がっていた。さて、今日はどんな夢が聞けるだろう、ワクワクとした気持ちで席に着く。
以下、記者の速記による発表のダイジェスト(掲載は発表順ではなくランダムです、聞き落としがあるかと思いますがお許しください)
「自動車整備士になりたい。母の車が故障して、直してくれるのを見て、人を助けていてカッコいいと思いました。将来は整備士1級を取るようがんばりたい」
「職場体験で建部支所に行きました。保健センターの人が八幡温泉で、みんなの安全のために働く姿が良いなと思いました。」
「アメリカNBAの選手になりたい。アメリカのバスケットリーグに入り、規模の大きいところでプレーしたい。キングジェームズのようなスゴイ選手と対戦したい」
「まだ夢がありませんが、姉が高校受験で毎日必死で勉強していたのを見て、姉のようになりたいと思いました。自分のことを決めてがんばっている人を尊敬しています」
「日本では過疎化が進んでいます、建部でも耕作放棄地が増えたりしています。私は建部の良いところをもっとPRして過疎化なくしたいです。去年、JRのSAKU美SAKU楽列車が福渡駅に来た時、わたしは吹奏楽部で歓迎しました。乗客が喜んでくれたことがうれしかったです。これからも建部の町おこしに参加したいと思います」
「介護福祉士になりたいです。お母さんが働いている職場体験に行き、苦手なことを言われたり、汚いものを片付けるといったことでも平気でやっているのを見て、なりたいと思いました」
「ソフトテニス部に入っています。友達に誘われたのがきっかけです。いい点は、友達といっしょに頑張れる、休まず朝練に行ける、部活のない時も友達と練習できることです。
テニスをやって分かったのは、がんばることで成果が出ることです、なのでこれからも続けたいです
「マクドナルドの職場体験で仕事の大変さを知りました。それでも職場の人が笑顔で応対して、終わった時、お客様にありがとうと言われ、それが実感できる仕事がいいと思った」
「美容師になりたいです。理由は美容師は専門学校で着付けなどたくさん勉強ができるからです。美容師になるには国家資格を取らねばなりませんが、お客様の要望通りにしてあげられる美容師になりたいです」
「小学生の時、転んで手をケガしました。病院に行き、手がジュクジュクするほどだったのですが看護師さんが、大丈夫よと言ってくれて安心しました。看護師は人の命を支える大切な仕事です、そのために今から勉強やコミュニケーション力を高めていきたい」
「英語を学びたいです。英語はイギリスが発祥の国ですが、今では世界の標準語になって多くの国で使われています。それで英語を学ぶことは大切だと思いました。そのためには、その国の文化を知ること、それと日本語を正しく理解しておくことが大事だと考えます」
「努力を続けること。私は努力を続けるのが苦手です。ですから努力を続けられる人になりたい、そのために、家で勉強する時、テレビを観ながらするのは止めるなどしていきたいです」
「保線員は鉄道のレールの点検や補修をする仕事です。私は職場体験でJRに行き、職員の人が一つ一つ、地味だけど大切な仕事をしていることを知りました。私は保線員になりたいと思いました」
「いま日本では誹謗中傷された人が20代で10%います。それは容貌に対してだったりします。私は誹謗中傷を無くしていきたいと思います。そのためには、まず人の個性を認めることが大事だと思います。私はイジメや誹謗中傷を無くし、そんな人を助けたいと思います」
「サッカー選手。小さいころから運動が好きで、小学4年生でサッカーの選抜に選ばれました。でも中学では劣るようになり、それで毎日練習して、今、県の選抜に選ばれるようになりました。サッカーは私に目標を与えてくれます、それが仕事になれば、もっとすばらしいと思います」
「タバコの被害のない明るい未来にしたい。タバコは吸う人だけでなく、まわりの人にも悪影響があります。またポイ捨てなどで町が汚れ、犯罪が増えるなどが起こります。
私はタバコ被害を無くしたいです」
「将来の夢、アドリブですが、家を建てる大工になる、自動車、バイクの免許を取る、大人買いする。自動車の免許はインスタなどでカッコいい写真をよく見るので、大人買いは見て楽しいのと旅行が好きだからです」
「父との約束、卓球の県大会で勝ちたい。父から新しいラケットを買ってもらった時の約束でしたが、父はその前に亡くなりました。私はサーブを見直したり早く打ち返す練習をして、次の県大会に出場して父との約束を果たしたいです」
「新聞記者。将来、ネットでさまざまなことを知らせるようになりたい。そのためには専門知識が必要で、読書やできるだけ多くのニュースを観たり、わかりやすい文字にすることや色を変えるなどの勉強をしていきたい」
「物を作る仕事。小さいころからプラモデルなどを作るのが好きで、父が自動車の部品を作る仕事をしているので、自動車部品を作る仕事に興味があります」
「決まっていません、でも、地域に貢献できる人になりたい。それと人の役に立つ人、それは相手も自分もうれしいと思います。
仕事に誇りを持てる人、労働環境を改善することも大切だと思っています」
「公務員です。それは親が公務員だからなのとお金も普通に稼げるからです。その中でも、子どもが好きなので福祉にたずさわる公務員になりたいです。そのため勉強やボランティアをして、人と人との交流ができる地域づくりに励みたい」
「保育士の仕事をしたい。保育士になるには資格を取り人とのコミュニケーションが大事です。私は認定こども園の職場体験で学んだことを活かしていきたいと思います」
「養護教諭は保健室の先生です。保健室は心のケアで、行ってホッとしました。今はまだ高校に行くことがまず一歩ですが、将来、頼りがいのある養護教諭になりたいと思います」
「NBAの選手。本場アメリカで戦ってみたいです、ジェーソン・ウィリアムスに憧れています、パスの上手な選手になりたいです」
「英語ができるようになりたい。私はJRの人が外国の人と英語で話していてカッコいいと思いました。そのために英語のテストの点を上げ、有名大学に行き、目標として英語でスピーキングできるようになりたいです」
「スポ少で野球に入りました。今は全国大会を目指しています。社会人になっても野球を続け、たくさんの友だちをつくりたいです」
「八幡温泉に職場体験に行き、人から、ありがとうと言われる接客業がいいと思いました。ほかにデザイナー、製造業、医者、農家。特に農業は祖父がおいしい野菜を作ってるで、すばらしい仕事だと思います」
「小学校の前に子猫が捨てられていて猫を飼うことになりました。それで動物が捨てられていることを調べて、そのようなことを無くしたいと思うようになりました。将来は預かりボランティアなどしたり、動物に関わる仕事をしたいと思います」
「部活でバレー部に入っています。きっかけは小学生の時、テレビで世界大会を観て感動したからです。中学では先輩の姿に励まされ、きびしい練習もしてきました。私はカッコいい先輩とバレーボールに出会えて本当に良かったです。これからもキャプテンとして頑張っていきたいです」
「医師になりたい。理由はコロナの後遺症を無くし、ウィルスを防ぎたいのと、地方に医療を届けたいからです。建部よりもっと医療の不足しているところがあります。私は患者の心に寄りそえる医師になりたいと思います」
「まだ決まっていませんが、学生の間に頑張りたいことがあります。勉強を頑張りたい、苦手科目を克服したい、部活のソフトテニスの部長になってまとめる力を身に付けたい、人とのコミュニケーションをできるようにしたいです」
「11月の職場体験を前に、自分の夢と向き合いました。私は小さいころバービーちゃんと遊ぶのが大好きでした、それでヘアーメークやスタイリストなどどれもいいと思いましたが、
自分に合った、今の自分が将来の自分になれるようにがんばりたいです」
(黒瀬教頭先生による総評)
今日の発表を聴き、みんな、しっかり堂々と今の温度感で語ることができた、立派な発表だったと思います。
私ごとになりますが、最近、父が亡くなりまして実家の美咲町で遺品整理をしました。その中に私が書いた作文が大事に取ってありました。
「将来の夢」と書いてある作文には私が「学校の先生になる」と書かれ、当時、人気になったテレビ番組で、デビューしたての水谷豊さんが主演した「熱中時代」というドラマに憧れを持っていたことが記されていました。
それでも、その後の私は節目、節目で、あの仕事がいいのでは、こんな仕事もあると迷う時がありましたが、子どもの頃に描いた夢が思い出されたのだと思います。
これから皆さんが人生の分かれ道に立った時、今、決心したことが頭に浮かび、進路を選ぶ指針になるのではと思いました。
(記者感想)
教頭先生の言葉に触発され、思い起こせば、記者も中学1年で「画家になる」決心をしたことが思い出される。そうして夢の実現を求め、美術大学まで進み、その後、挫折、サラリーマンとなった経緯。再び画業に入ったのは40歳を目前にしてで、そうさせたのは子どもの時の決意だった。
それでも70歳になった今だって順調に進めているわけではなく、その度に浮かべるのは「画家になる」その時の決意である。
(レポート・三宅優 )
年末に建部町公民館より「今度、子ども向けにハザードマップの学習会ができませんか?」の発案を受ける。しかし、今どきの子供は大人以上に忙しい、やっと月末で調整が取れた。
とは言うものの、さて、確かに以前より公報で出されている地域版ハザードマップは大人も頭に入りにくいほどのモノ。これを子どもに分かりやすくとなると「町を拡大した地図を描き起こすしかないな」
もう一点、「これだけでは子どもを退屈させてしまうのは間違いなし」そこで、当新聞スタッフで小学生の母、松下りえさんに相談。
「防災カードゲームをしたらどう?国土交通省でもカードゲームを出してるよ」
「それはいいアイデア!」さっそくダウンロード・・・したのだが、カードの内容がイマイチお役所的で面白みがない。
「う~ん、じゃあ、作るしかないか」そこへ、当新聞グルメレポーター(妻)
「だったら、犬棒カルタにしたら?」
と言うことで、犬棒カルタならぬ「福防カルタ」(福渡防災カルタ)に着手。
正月返上で3日3晩(実際は半月ほどかかった)
ポイントは2つ、「どうしても入れておきたい防災用語」「地域の防災で重要なこと」これに即して「ああでもない、こうでもない」と喧々諤々で文章をひねり出す。
「い」から「京」まで48枚が完成。密を避けるため、老人センターカルタ大会の回覧版のニュースを参考にさせてもらって、カルタの大きさはA4サイズにして、立ったまま取れるように新聞紙の棒を用意することにした。
1月29日(日)、子どもと保護者、町のお年寄り、栄養委員、スタッフ、公民館長の計29名が町のコミュニティハウスに集まり、
「子ども防災教室」が開かれる。杉山館長の挨拶の後、ハザードマップの学習をスタート。
(記者)「これは旭川、この上流に雨が降ると・・・さて、みんなのお家はどこですか?」
地図上で「雨雲」を福渡の町上に移動、透明シートに描かれたハザードマップをかぶせて、町のどこが「浸水」「土砂崩れ」の危険があるかを目で確かめる。
「ええー、僕の家、赤い色の中に入ってる」子どもの心配する声。
「だから、そうなっても困らないように準備しておくのが大切なんだよ」
ハザードマップに続き、本邦初公開「福防カルタ取り」
始めに48枚すべてを読み上げて絵を見せる。そして畳の上に並べ、新聞棒を手にした子どもたちが、まわりを取り囲み、始まり始まりー。
「雨の中でも逃げる時はスニーカー」「あっ、あったー!」
「犬も慌てて飛び出しケガをする」・・・最後の2枚はもう、全員が同時に「タッチ!」ジャンケンポンで決定。
参加賞は全員にトラベル収納ケースに入った「お楽しみ福袋」「わーい!」
子どもだけ楽しむのじゃ、つまらない?「大人も」と、今度は子どもが読んで、大人たちでカルタ取り。
「しあわせ橋は安全のシンボル」「ハイッ!」おばあちゃんたちの素早い反応に子どもらもタジタジ(笑)
3番目のプログラムは杉山館長が講師となって「消火器の使い方」授業。模擬用消火器から飛び出す水に子どもらが大はしゃぎ。寒波の中での水鉄砲は熱く終了。
時間は午前11時を過ぎたばかり、でも子どもらから「あー、おなかすいたー」の声。それもそのはず、コミュニティのキッチンからはカレーのいい匂い。
これ以上、待たせると暴徒化?(笑)、最後のしめくくり、栄養委員さん特製「カレーライス」で昼食会。
今日の感想は?
「消火器の水鉄砲が楽しかった」
「福袋がうれしかった」
「みんなで食べたカレーがおいしかった」
「カルタ取り勝負が楽しかった」
「カルタの読み上げができてうれしかった」
(追記)
この後、子どもたちは、野外授業に出かけたそうな。川を渡り、山を登り、ヤギを訪ね、「私たちの町は、こんなになってるんだ」
と、納得。
そう、防災のスタートは「まず、自分の住んでいるところを知ること」だものね。
(レポート・三宅優 写真・松下りえ 松下泰成)
もうとっくに正月も明け、お飾りも取り払ったのに、気分は引き込もり状態。コロナ、大寒、光熱費高騰・・・心配事が多いためか、心も体も縮こまっている。
こんな時は災厄を祓ってもらいにお参りに行こう、と4週目の日曜日、「建部町健康づくり歩こう会」の建部郷六社巡りに参加。
朝8時、車の暖気運転に10分もかかるほどの冷え込みにもめげず、集合場所のたけべ八幡温泉駐車場へと向かう。
しばらく欠席が続き、久々に見るメンバーの顔。
マスク越しながら、目が張り切りモードに輝いてるのが分かる。新しい顔ぶれも加わり、今回の参加者は20名。
本田会長から新年の挨拶、そして悲しいニュース。当「歩こう会」の前会長、村岡さんの突然の訃報。
本当に長きに渡り、お世話をしてくださった村岡さんを偲び、全員で黙とうを捧げる
。
歩き始めは背中を丸め、腕をさすりながらの一歩一歩、徐々に体も温まり、少しづつ歩幅も広くなる。最初に詣でるのは「建部祭り」で有名な「七社八幡宮」
随神門の狭い入り口を見るたびに、よくこんな隙間を神輿が抜けるもんだと、いつも感心する。今年の祭りはどうだろう?やれるかな、やれるといいね。
広い境内にある本殿で、最初の願い事。
歩くことは、発見との出会い。誰かしら、何かを見つけ、何かに驚き、誰かの記憶を揺り起こす。
「今年は南天が赤いわねー」「やっぱり、寒いときれいに色づくのね」
「あら、あそこのお家にいつの間にか売り出しの看板が出てる」「どなたの家だったのかなあ」
畑には主人を待ちわびた夏の名残り。
富沢神社は石段がないので、お年寄りには詣り易い。あれ?でも、今年は鳥居にしめ縄が付いていないぞ。ここのしめ縄は他と反対向きに付けられているのが特徴で、結構好きだったのに。
中田天神宮までの山道の途中、去年と同じ場所で記念撮影。そして”心臓破り”と秘かに呼んでる、天神宮の石段。一段が高いので、登り切った時は太ももが張ってしまう。
それでも健脚者らはズンズンと進む。他人事ながら、山の上にあるお宮を維持する氏子の大変さを想像してしまう。
中田からは再び平野部に下り、建部駅前に出る。例年通り、ここの福祉交流プラザで休憩を取る。
今年で36年を迎える「歩こう会」その年間計画を皆で話し合う。時代とともにコースも変わり、歩く距離数も短くなって来た。無理をせず、それぞれに合ったメニューが選べる、
そんな自由さが長続きの秘訣だろう。
歩行距離「200キロ」達成の方に記念のバッチが贈られた。手帳には、いっぱいの紅いハンコ、その傍に
は几帳面に歩いた場所が。
「すごい、おめでとう!」(拍手)
さて後半は3社、まずは西原、厳嶋神社。平野部に在りながら、大きな木々が両脇に立つ参道。ここを歩くだけで神妙な気分になる。
ここで4番目の願い事、と言っても何かをお願いすることはなく、「今年も来れました、ありがとうございます」と唱えるだけ。
そこから中田新町を抜ける。江戸時代に岡山藩池田家が陣屋を置いた町。武家屋敷は取り壊され(これをそのまま残しておけば、今は世界遺産!)、商人家だけが
残ったが、それも洪水に遭いセットバックしたかたちで今の町並みとなった。
その旧家の一つ、「太田秀世家具工房」さんの玄関脇で見つけた今年の干支、毎年、奥様が端材を使って製作されている。
市場、眞名井神社、こじんまりしたお宮様。田では何を気にするではなく焚火。
最終、宮地神社。(本田会長)「あれ?入口、どこだっけ」
うっかりすると通り過ぎる、路地を抜けて田んぼに出ると、真っただ中に御らっしゃる。
境内に建つ「洪水記念塔」人の背の高さに水位が刻まれている。昭和9年、前を流れる旭川の氾濫。
参加した方が教えてくれた「うちのお爺さんがよく話してたの、大水で人が流されて、どうしようもなく、助けてあげられなかったこと」
脇には今年も愛しく咲く寒椿。
一行は正午過ぎには無事、集合場所に到着。
次回は2月19日。詳細はコチラ
(レポート・三宅優)
「石で描くマティス展」動画
(ユーチューブ・1分36秒)
たけべ新聞8周年特別企画「石で描くマティス展」が、当新聞編集室ギャラリーにて開催された。
15日、底冷えのするガレージ展示場に大小、8点のマティス代表作を描いた石作品が並ぶ。前回「ゴヤ展」から5か月、この間、コロナの緩和から再猛威へと変遷し、ままならない時代への焦燥感が世の中に漂う。
この日、取材に来たoniビジョンの岡本記者から「絵画におけるマティスの最大の仕事は?」と聞かれすぐさま「色の開放」と答える。
これまで、色は何かを表すために(空の青、森の緑、人の肌色、リンゴの赤・・・)存在した。それを具体的なモノを再現するのでなく、色が主体となる絵画表現を切り開いた。
「色は色として味わうもの」まさに色がモノの従属から解き放たれる起点となった。
1905年、マティス「帽子の女」が発表された。その反響は天地がひっくり返るほどだった。赤、黄、青、黒、紫とチューブから出された絵の具が原色のまま塗りたくられ、額には緑の色が覆う。
「まるで野獣(フォーヴ)だ!」と叫んだ批評家の言葉から新しい絵画運動「フォーヴィズム(野獣派)」が誕生する。ルオー、マルケ、ブラマンク、日本でも里見勝三、萬鉄五郎、梅原龍三郎などがそれに触発されている。
ただマティス自身はこの後、徹底的な色の整理に入る。一枚の画面の中に最小限に必要な線と色を求めて孤独な戦いが続く。
これは記者が推測するに1917年前半までがその期間だと思う。この間の作品にはどれも背景に静寂があり、作家の自己を見つめる視線が感じられる。
元祖、ヘタウマとも言える「ピンクヌード」「豪奢Ⅱ」。
漫画チックで、およそこれまでの裸体画と似ても似つかない。この時のマティスの脳裏にあったのは、硬直化した西洋文化のアカデミズムをいかに撃破するか。絵画の自由への渇望。
エルミタージュ美術館の至宝「ダンス」空の青、地平の緑、オレンジの躍動する女たち。これに敢えて黄色と青のパネルを上下でなく左右で使う。
理由は
「とても難題な状況」で取り組みたかったから。2枚のパネルに一体感を持たせつつ、且つそれぞれが美しいかたちを追求する。
その後のマティスは復古したかのように、写実と抽象の折衷へと移る。長いスランプ、いや、大きく羽ばたくための模索の時だったのかもしれない。
リューマチを患い、車いすの生活に入ったマティスが辿り着いたのは「切り絵」。
「ブルーヌード」青い紙が大胆にカットされた曲線の形となって白い空間に置かれる。美しいのは「ブルー」の形?いや、切り取られた「白い」空間こそが美しい。
色を石の信号に置き換える仕事、それは絵の再現ではなく、石だとどうなるかを示すこと。主役は石であり、その石の個性が十二分に発揮されて作品となる。
石を並べる手が”ふと”止まった時、もうそれ以上、石を足すことはなく減らすこともない。最小限の石で最大の表現、目指すのは石のミニマリズム。
うれしい観客が来てくれた。T君、「それは、石にも命がある
ということですか?」
矢継ぎ早に質問を投げ掛け、作者を困惑させる(笑)
「いや、ぼくは、正直、今日、来たくなかったんですよ、あまり興味がなくてスミマセン(笑)、でも、観てみたら、なるほどーって、すごく、勉強になりました」
今度、上野に「ピカソ展」を観に行くそうで、「21世紀、第2のピカソ現る」が楽しみとなった。
「石で描くマティス展」動画
(ユーチューブ・1分36秒)
(レポート・三宅優)
今春3月、JR西日本主催の「ふるさとおこしプロジェクト」のニュースマガジンで当地が「福の町、福渡」として取り上げられた。それを契機として、7月、岡山デスティネーションキャンペーン
観光列車「SAKU美SAKU楽」をおもてなしするイベントへとつながった。
町民がこぞって参加する催しは大きな盛り上がりとなり、当新聞でも幾度となく取り上げた。
そんな町の姿が目に止まったのか、JR西日本岡山支社が主催する「第14回ふるさとあっ晴れ認定委員会」に「福の町たけべ福渡 たけべ福渡しプロジェクト」が「ええとこ」部門でエントリーされた。
これまで選ばれた「ええとこ」を見ると、国立公園・王子が岳や尾道市瀬戸田港など風光明媚な1級クラス。果たしてここに当地が並ぶなどとはハードルが高すぎ、でも光栄なことだ、精一杯、挑戦してみよう。
1日午前、この発表を任された記者(三宅)は会場となるホテルグランヴィアへと出かける。
会場となる3階広間では参加者、関係者の人らで、すでに熱気が充満。14回目となる今回のテーマは「持続と可能」。「ウーム、気軽に考えてたが、少し空気が違うぞ・・・」
「えぇとこ」「えぇもん」「うめぇもん」にエントリーされた13地区の発表者が席に座る。
続いて審査員が入場。一見してどの人も「相当、できそう・・・」
主催のJR西日本岡山支社、伊藤 暁「ふるさとおこし」本部長の挨拶。続く発表者13名の紹介。
えぇとこ部門
「真庭市 真庭あぐりガーデン」
「津山市 津山城西地区」
「岡山市 奉還町商店街」
「岡山市 福の町たけべ福渡/福渡しプロジェクト」(記者)
「西粟倉村 BASE101%/株式会社西粟倉村・森の学校」
ええもん部門
「岡山市 脱硫マッチ/中外燐寸社」
「赤磐市 岡山レース/岡山レース株式会社」
うめえもん部門
「笠岡市 喜多嬉かき/勇和水産」
「高梁市 高梁紅茶/百姓のわざ伝承グループ」
「矢掛町 石とカカオが生み出すチョコレート/石挽カカオissai」
「倉敷市 きびそば/富來屋本舗」
「岡山市 岡山カレー/OKAYAMAまちおこし隊」
「岡山市 畑でとれるアイス/AOBA」
聞いて「えっ、選りすぐりばっかり・・・」動揺が走る!
審査員の紹介。
「備前焼作家」渡邊 琢磨 氏
「フラワーエンターティナー」萬木 善之 氏
「株式会社 ビザビ代表取締役会長」 前坂 匡紀 氏
「湯郷温泉・ゆのごう美春閣 鷲羽山下電ホテル女将」永山 泉水 氏
「書家(玉葉書道会 主宰)」中村 文美 氏
「せとうち児島ホテルエグゼプティブシェフ」寺田 真紀夫 氏
「株式会社 辻本店 取締役製造部長杜氏」辻 麻衣子 氏
「エフエムおのみち パーソナリティー」河上 典子 氏
なるほど、思った通りの、その道のプロが勢ぞろい。 慌てて、スピーチ原稿に目をやる。
そう言えば、子どもの頃、発表がうまくできなくて泣いて帰ったことがあったことを思い出す(笑)
プレゼン開始。まずは、ええとこ部門の5地区から。
投影された一枚のスクリーンを前に、一人、2分間程度でのPR
と聞いてたが、各代表、気合が入ってかなり長め。
「やはり、もう少し、加えた方がいいのか・・・」不安がよぎれども、出て来るとき、妻から口を酸っぱくして言われた
「ぜったいに、これ以上、話したらダメよ!」を思い出し、踏み留まる(笑)
ええとこ部門が終わったところで、審査員からの質問へと移る。
「もっとも」と思える地域に質問が行く中で、内心「ホッ」、だったのだが、最後に「エフエムおのみち パーソナリティー」河上 典子さんから
「私は、黄色いハッピを着て来られた・・・」と話が向けられる。
黄色いハッピは建部らしい服装でと言われて持参したもの。誰もこんな格好をしそうにないので、ためらったのだが、今回、カメラマンとして一緒に来てくれた
「建部獣皮有効活用研究所 代表」の頼本ちひろさんから「三宅さん、それ(はっぴ)ぜったい、着た方が良いですよ」と
言われ、着用することに。
質問は資料として出した「たけべ福渡ウォークマップ」(誰が描いたのですか)
、記者=画家=10数年前に東京から移住=福渡町内会長と話が進み、さらに、流されても戻って来る「しあわせ橋」に至る。
気がつくと、一番長く話してしまったかもしれない、妻の怒る顔が浮かぶ(笑)
ええもん、うめえもん部門は、実際の商品、試食品が審査員に運ばれての進行。かつてのテレビ番組「料理の鉄人」を彷彿させる光景に、発表者の緊張が伝わる。
休憩を挟んでの最終発表。「あっ晴れ認定大賞」に、ええもん部門「中外燐寸社」「岡山レース株式会社」
うめえもん部門から
「喜多嬉かき/勇和水産」「石とカカオが生み出すチョコレート/石挽カカオissai」が選ばれる(おめでとうございます!)他のエントリーもすべて「あっ晴れ認定」を受賞。
最後に「株式会社ビザビ」前坂会長から総評があり、大賞選考がどこも良くて接戦だったこと、今日の参加者が岡山の旧来の住民と移住者の2つで構成されていること、
それらの力が合わさるかたちでの持続と進化に期待が持たれるとの趣旨が述べられた。
<そして記者の感想>
今回、参加して分かったのは、はっきりとしたポリシーを持った若者が
中心となって、ネットワークを最大限に活かして動いていること。
建部の山間に引き込もって気付かなかったことなのだが、そういった若い力が岡山(日本)を確実に新しい時代に変えつつあることを知り嬉しく思った。、
第14回ふるさとあっ晴れ認定品 マガジン
(レポート・三宅優 写真・ 頼本ちひろ JR西日本ふるさとおこしプロジェクト提供)
前々日までの予報では降水確率80%曇り時々雨、「もう駄目だろうなあー」」誰もが、諦めきっていたこの週末。なんと、奇跡の大逆転、快晴2重丸。
「だからわからないって言ったんだよ、その日になってみなきゃあってね」(記者の独り言)
20日、日曜、「建部町文化祭」の開かれている文化センター前の親水公園は、まさに風ひとつなくスカイブルーに染まる。
朝9時、公園広場では「たけべマルシェ」の出店者たちの嬉しそうな顔ではちきれんばかり。
コロナ以来、中止となっていた分、スタッフの今回に賭ける意気込みが空気を伝いヒシヒシと感じ取れる。
本部も大人本部と子どもサブ本部(中学生が担当)を用意、
これなら、大人の気づかないサポートにも対応できる。
出店者のテントでは初めてのブースが目につく。話題の「田渕商店」さん、ビーズ刺繍アクセサリー「miel」さん、水引アクセサリーの「nunnun」さんなどなど。
ちょっと、買ってみたい、食べてみたい、覗いてみたい、好奇心をそそる構成となっている。
体験ブースを見ると、「新聞バッグづくり」「ヒンメリづくり」「凧作り」(これは6年ぶりに記者が復活)。
子どもの開く「こどもちっちゃ市」も、なんだか楽しそう。自分で作った小物を並べてのお店屋さん。
「いらっしゃい、いらっしゃい、いかがですかー」
「うんうん、これなら、10年後のマルシェも安泰だ」
本部前には「未来ポスト」5年後の自分に届く、手紙配達サービス。何でもすぐに届く時代に、のんびりと未来を浮べて話しかけてみる、若いって未知だからね。
老人(記者)は恐くて書けそうにない、受取人の自分がいなかったら、代わりに受け取った人が困るだろう(笑)
午前11時、凧作りで、取材どころではない記者、まったくほかの状況がどうなっているのか、皆目わからない。ただ、ただ、
数えきれないほどのお客さん。
どこから来たの、誰と来たの、聞きたいけど。目立つのは、若い人の子ども連れ、平常の建部ではめったに見られない光景が広がっている。
笛と鐘、太鼓の音が聞こえてきて、いよいよ始まるアトラクション、今しがた文化祭に出演したばかりの「福渡八幡神社神楽保存会」の獅子舞の登場だ。
この日のために、大人も子どもも演舞指導に振り合わせ。コロナで祭りがずっと出来なかった、そんな中でのイベント参加、これまでになく観る側も気持ちが高ぶる。
晴舞台を得た獅子たちが、観客の座る石段を次々と飛び跳ねる、思わぬ縁起物の到来に大人もこどもも、ビックリ!
「三宅さん、福渡は、やるのう」そう言われて、鼻高々の町内会長(記者)であった(笑)
〆るのは、もちろん「建部はっぽね太鼓」。この大空の下、鳴り響く太鼓の音はいつ聞いても「ええのうー」
メンバーらの変わらぬバチさばきは、建部に「はっぽね太鼓」あり。
食べ物ブースではどこもかしこも長い行列。気がつけばもうお昼、カレーのいい匂いが漂って来る。
水も飲まずに、ただただ凧作り。終えたと思ったら、次の注文で休むことなし。
作業中も耳だけは働いていて、「あっ、久しぶりー」「えっ、もうこんなに(子どもが)大きくなったの?」「わー、会えてうれしいー」「もう、めっちゃ、今日、最高!」
若い世代の会話から、待ち望まれていたのは、こんな出会いのある開放感あふれるイベントなのだと改めて知ることとなる。
時刻は2時、そろそろ閉幕となる。未来ポストに預けられた自分あての手紙がテーブルに山のように
積まれていた。
これから5年後を夢描く人たちが、これだけ大勢、訪れたってことはすごい。
最後に参加者全員で記念撮影。そして、これだけのイベントをやり遂げたスタッフの皆さんにありがとう。
(取材・写真 三宅優 写真 松下りえ)
毎度、同じことを話してしまうが、コロナの影響で今年も各地の文化祭は低調な趣き。ここ建部町も発表数が少ないと聞き、「それも仕方ないな」と頭でつぶやきながら出かける。
受付で記名、消毒を済ませ、ロビーの書道展示を観る。子どもたちの元気いっぱいの文字が並ぶ。この1年の頑張りが伝わり、まずは安堵。
メイン会場の小ホールに足を向ける。「おおー」これまでと変わらぬ数の展示パネル、場内に活気が感じられる。
一つずつ観ていくと、様々な工夫がされたコーナーが目につく。
今年の賑やかな話題となった「たけべ福渡しプロジェクト」の映像と写真による発表。
福渡とゆかりのある蘭学医「石坂桑亀」を紹介するコーナーを手掛けたのは公民館。他にも洋画家、佐藤定さんにもスポット。
建部川柳社の「川柳カルタ」は観ているだけで楽しい。平田慎一さんの「ストローアート」は力作がズラリ。
常連の「たけべ八幡彫り」も圧巻。老人施設の利用者さんの手作りパネルも健在だ。
再び、ロビーに出るとはがきサイズのカードが無数に貼られたパネル。この数年、中止となっている「ふふふ祭り実行委員会」の「あなたのちょっと良かったことを教えてください」に投稿した人たちの
メッセージだ。
一枚一枚、人の数だけ幸せがある、そんな暖かい気持ちを起こさせる優れた企画だ。
大ホールでは、ステージ発表真っ最中、コブシの効いた歌声が響き渡る。森田市議も熱唱されたようだ。
2階の水彩画展示を回り、今日のところは終える。明日は福渡八幡神社の神楽演舞が発表される。そして
記者も出店する「たけべマルシェ」。
天気が気になる~。
(取材・三宅優 写真 井手誠二)
11月6日早朝、建部町竹枝小学校前の旭川からユンボのキャタピラの音が聞こえてきます。
今日は第15回となる「旭川かいぼり調査2022」の開催日、天を見上げると真っ青な秋空、集合場所の雑木林も色づき始め、かいぼりの好天日です。
まだまだ続いているコロナ下での開催にスタッフ・地元地域ボランティアの面々は、手の消毒液・マスク・検温など用意、本部テントの設営や、かいぼり会場の点検を済ませ、参加者を待ちます。
午前9時、2台で駆けつけた岡山理科大学理学部の学生の面々が到着。10時の開会式では200名以上の参加者・スタッフで本部テント周りの河川敷は熱気ムンムン。
開会式が終わると、本部テントを境に大学生グループ、一般参加者グループの2組のゾーンに分かれ会場へ、早速あちこちから甲高い声。
「あっ、カジカ!」「アカザ見つけた!」
こんな感動の声が響き渡るのが、この調査の魅力のひとつなのでしょう。
(ここまで勝部 公平)
(以降、めだかの学校館長、武藤 邦夫レポート)
水が引いた川で、みんな黙々と石を持ち上げながら、下に潜む生き物たちを見つけて行きます。子ども園や低学年の子らも、網ですくった魚を上手にバケツに入れています。
この間、約1時間。その後「川を耕す」作業に入りました。
「川を耕す」とは石をもう一度ひっくり返すことで、溜まった土や泥を流し、川床を柔らかくして変化を作ってやることで、魚が産卵しやすくなったり、水生昆虫が石の間に住みやすくなるそうです。
最後に水槽やミルソーやトレーに入った魚や水生昆虫の説明会が開かれました。お話をして下さったのは淡水魚研究会の柏さんと野生生物調査会の吉鷹さんです。
捕獲できた生き物は、アカザ・カジカをはじめ、ムギツク・オヤニラミ・ドンコ・ナマズ・ウナギ・オオシマドジョウなど25種類の魚類。
水生昆虫はトビゲラ・カワゲラ・ミズカマキリ・ゲンジボタル・カワニナなど27種類です。
数年前は千匹以上、捕れていたアカザは、今年は360匹でした。2018年の豪雨で川の状況が大きく変わってから減少傾向が続いているそうです。
参加者は先生の話に最後まで真剣に耳を傾けていました。
私が面白かったのは「チチブ」と言う魚の名前の由来です、お知りになりたい方は調べてみてはいかがでしょう(笑)
(取材・写真 勝部 公平 武藤 邦夫 )
岡山市で推進している地域の防災団の結成、建部町でもいくつかの町内会で組織が作られた。
記者のいる福渡でも3年前に結成、この間、コロナ禍なのに豪雨による被害は激しくなるばかり、
ここ福渡でも2年前のお盆の真っ最中、公民館に10名ほどが避難した。もう、ここは大丈夫とか言っていられない、線状降水帯がドローン兵器のように空から襲ってくる。安全な場所などどこにもない。
ましてや福渡地区はすぐ前には旭川、後ろには土砂災害の危険性のある山々を抱えている。上流の旭川ダムの放流量が毎秒800トンを超えてくると町のシンボル幸せ橋が
浸り始める、まさに災害の危険と隣り合わせに暮らしている。
この日(11月6日)開かれた福渡みんなの防災団による「防災体験学習会」は、町内全体で行う初めての防災訓練となった。
会場となった建部町保健センターには子どもからお年寄りまで、約60名が参加。
まずはおなじみの「岡山市民体操」で体をほぐす。
開会式は防災団長(記者)の開催あいさつの後、共催を担って頂いた建部町公民館長より「公民館が地域の防災のかなめとなることは大変重要だと思います」の言葉があり
、
続いて、この10月に新しく赴任された福渡駐在所の石﨑巡査部長から「私も真備の災害で警備にあたり、被害の実情に接しました。日頃から隣の人同士で、つながりを持つことが大切だと感じました」との話がなされた。
開会式に続いての講演は、東日本大震災で岡山へ避難し、移住された方や自然災害の被災者支援を行っている「ほっと岡山」(一般社団法人)代表理事、はっとり いくよ氏の
お話があった。
冒頭 「あなたにとって、失いたくないものを5つ書いて下さい」と問われ、それらを講師とのジャンケンで負けたら「家、健康、命、お金、子、
愛犬・・・」一つずつ消していくシミュレーションゲームが開始。
「ジャンケンポン、最初はグー!・・・」「えっー負けた!」
紙に書いた大事なものを見つめる聴衆。突然の出来事で、大切なものが次々と失われて行くことの虚脱感が襲う。
災害のもたらす真の怖さが誰の頭にも想像されて来る。
また「人は特性として嫌なことは避け、良い方に考えがちです、これを正常バイアスと言いいます。ですから災害も自分は大丈夫と思い、でもそれが逃げ遅れる一番の原因となります」
と言われ、確かに自分の中にある、都合の良いとらえ方に反省。
体験コーナーでは5年保存の缶詰パンの試食、「これ、おいしいわー、どこで売ってるの?いくらぐらいするの?」
グルメレポーター的には「オレンジの砂糖漬け入りがおすすめ」
20リットルの給水タンクの持ち上げは、なぜか子どもらがやりたがる。それを見てお年寄りは「まあ、子どもは元気じゃなあー」とほほ笑んで・・・。
防災品の点検、それをリュックに背負い、「ムム、ランドセルより軽いかな?」
救護テントは今年、防災団で購入した新兵器。「ワンタッチ、60秒で組み立てまーす」
威勢よくデモンストレーションを始めた防災委員(当新聞グルメレポーター)だが、「???、おかしいぞ、あれれ」いつの間にか自分がテントに飲み込まれて行方不明(笑)、心配して救出に向かうスタッフたち。
観客もハラハラ、ドキドキ(笑いあり)で、どうにか成功(拍手あり)、時間は2分弱。
この日、参加品として配られたのは岡山市危機管理室が備蓄している「5年保存の水」「アルファ化米」「クラッカー」、期限が近付くと防災訓練用に放出してくれる。
その「アルファ化米」の食べ方説明。
(栄養委員さん)「中のスプーンと脱酸素剤を取り出してから水を入れ1時間、お湯だと15分待ちます、でも水だとあまりおいしくないです」
あわてて「そんなこと言っても、避難時にぜいたくは言えません」と補足あり(笑)
最終プログラムは参加者全員のお楽しみ「ビンゴ!」
前面のテーブルには「ダイソー」「セリア」で厳選して買ってきた商品がズラリ、迷うこと間違いなし。
1等は3品、2番~5番は2品、後は順次1品がゲットできるとあって、子どもも、親も、年寄りも、カードを持って真剣なまなざし。
最初の「ビンゴ!」(なんと、運がいいい講師のはっとりさん)が出て、次々、「ビンゴ!」
ハズレなし全員が当選者となって「3世代交流ビンゴ」は終了。
閉会式、松下泰成副団長より閉会のあいさつ。
「僕は講演で言われた正常バイアスがすごくわかりました。仕事で真備の被災した家のリフォームを頼まれたことがあるのですが、また同じことが起きるのではと、お受けするのをか悩みました。でもお施主さんが、そうなったら、今度こそあきらめるよと言って下さり、気持ちが楽な方に傾きました。
それと今は、雨の様子やダムの放流量がスマホでわかる時代です、こういった日頃のチェックや準備、心構えが大切だと今日の会を通じて再確認しました」
*最後にアンケート回収結果(回収率90%)
「一人でも多くの人が聞かれた方がいいと思った」「講師のお話しがわかりやすかった」「ハザードマップの確認が大事だと思った」「防災を気にかけるようになった」「逃げる勇気が大切だ」・・・。
10点満点中、10点が半数、「ヤッター!」
(取材・三宅 優 写真・松下りえ)
秋晴れの10月28日建部小学校、校内の畑で、恒例になっています1、2年生による「焼き芋パーティー」が開催されました。
地域ボランティアの片山健次さん、市川正之さん、そして記者(勝部)が講師となり、春のさつま芋苗の植え付け、夏の水やりを経て、秋の芋ほりまで児童が通い続けた畑で、里山で暮らしている子供たちの生活体験をしてもらおうと企画です。
焚き付け材料は、松や杉なとの枯れ葉や枯れ枝を使い、秋の穫り入れ後にでる籾(もみ)殻が燃料です。資源の乏しい日本での持続可能な生活(ESD)、身の周りにある資源の活用(リユース)の大切さなどを学びながらの焼き芋づくり。
モクモクと上がる煙が、あっという間に黄金色のもみ殻が黒色に焼かれていきます。その中に、子供たちが一本一本、濡れ新聞紙、サンホイルで包んだお芋を投げ入れ、いよいよさつま芋の籾焼きです。
待つこと小一時間、真っ黒に焼けたもみ殻を拡げると、中からゴロゴロと銀色のホイルに包まれたお芋がでてきました。
「今年も大豊作、感謝のお芋パーティーの始まりー」「しっとり柔らかいよー」「ぷーんと甘い香りがしたぞー」
里山ならではの、建部小学校のハロウィン・焼き芋収穫祭でした。
(取材・写真 勝部公平)
遅い刈り入れの稲が黄金に輝く道、先ほどまで肌寒くて着ていたジャンバーも脱ぎ目的地へと向かう。
ほぼ1年ぶりに開かれた、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の「建部古道を歩く」体験学習。
今日の参加者は市内在住の老若男女、親子連れの家族、計16人。講師として地元ボランティアの江田さん、須見さん、当新聞編集長、勝部が加わる。
古道に足を踏み入れるのは記者にとっても1年ぶりとなる、確かにコロナ禍でイベントが控えられたとは言え、一人で歩くことだってできたのに、どうやら萎えていたのは自分の気力だったようだ。そのせいか、今日の足取りもすこぶる重い。
建部古道の入口は妙浄寺の脇、そこから古墳を観ながら標高212メートルの頂上を目指す。数日前に、道を覆う雑木やササを勝部と「建部歩こう会」会長の本田さんが刈っておいてくれたそうで、二人のパワーに脱帽。
道案内で先頭を行くのは江田さん、もうここに住んで70年以上、その健脚ぶりは7年前に古道を復活した時と変わらない。
「ここに(山道の脇)水が流れているけど、どうしてだかわかるかな?」歩きながらの学びの時間。
「それはね、上に池があって、その水が溢れて落ちてくるんだよ」昔の人の知恵、山は水を貯える役目もあった。
先ほどから子どもたちは、栗を拾ったり、セミの抜け殻を見つけたりで大忙し。この小さな体のどこにそんなエネルギーが入っているのだろう、登るのがやっとの大人(記者だけ?)を尻目に動き回る。
やがて、その「池の山池」に到着。水のあるところ、風がある。夏日を思わす日差しの中の涼風。
「この用水池は、いつの時代の誰が作ったのかもわかっていません」池には菱(ひし)の葉が広がっている、
子どもの頃、その実を湯がいて食べていた記憶が。
「15号古墳」はすぐ傍、奥行き4m70、高さ1.5m、かなり大型。
子どもらも探検開始、でも「なんにもないよー」と言って、すぐに帰還。古代にロマンを感じるのは、
やはり熟年者にお任せしよう。
「やったー!」遂に建部のエベレスト?法寿山、到達!
以前はもっと見晴らしが良かった、コロナに煩わされているうちに雑木成長、すっかり覆われてしまった。
でも、三角地点のある場所は先日きれいに刈ってあって、すぐに見つかる。さっそく登頂の記念撮影。
帰りは池から別ルートで、ひたすら下り道。だが1年のブランクは大きい、一度、休憩した足は中々、動こうとしない。
子どもたちは「次は僕が先頭だよ」と、サッサと前を歩き始める。
後期高齢者は、もつれそうな足をどうにかバランスを取って、1歩ずつ行く。それでも10分も歩むと体に自信が出て、木漏れ日の輝きを味わう余裕も生まれて来る。
こんな時、「ああ今日も素晴らしい一日」と感謝がよぎる。
視界が開け、東の山並みが見えてくる。阿弥陀様の鎮座される展望スポットへと進む。鎌倉期に彫られたとされる高さ2.6m、周囲7.2mの後光を背負った仏さまにお花を供える。
「以前はよく、地元の人らがここまで詣でて、お弁当を食べてました」下に広がる旭川、向こうには福渡の町並み。
川を挟んで備前国と美作国に分かれ、国境の町だったことなどひとしきり学んで、いよいよ終着地、七社八幡宮の境内へ。
歩行距離、およそ4.6キロ、2時間の山歩き。大人たちの感想は「いろいろ勉強になりました」
子どもたちは「栗が拾えたことがうれしかった」「足が鍛えられた」そして「お弁当、早く食べたい」
その点は記者も同じ、歳は取っても腹は減る、「ああ、歩いた後の昼飯がうまい!(笑)」
(取材 勝部公平 三宅 優 写真・三宅 優)
中止となった「建部まつり」このままでは伝統が途絶えてしまう、何とか継承しなくては。
建部に限らず、どこの地区もジレンマ、そんな中、建部町中田、富沢、田地子、3地区で獅子舞、棒遣いによる「村まわり」があると聞いた。
そのうち、富沢の様子を当新聞編集長、勝部が速報!
「写真は成就寺仁王門前です」
福渡でも祭りは中止となった。これから先の存続が気掛かりだが、神事のみは滞りなく続けていかなくてはと、この日、町の氏子とお宮の総代が集まり、例大祭に併せて新調するしめ縄づくりが行われた。
今や、しめ縄を綯う(なう)人がいない状況の中、福渡では数年前より手ほどきのできる人と一緒に見よう見まねで覚え、伝承しようという試みが始まった。
まずは、山と盛られたワラ束を揃え、水に濡らし、槌で柔らかくなるまで叩く。それから、しめ縄の太さを決め、計量しながら3束、1組を用意してから綯う。
綯い方は、左綯(なえ)、これが結構むつかしいのだが、数人で補助しながらやれば、どうにか形になる。
すべて作り終えた時は、足がもつれて立ち上がれないほど、だが達成感は大きい。
お祭りに飾る大切なしめ縄を自分たちの手で心を込めて作り上げる、それも祭りへの参加だと感じた。
(レポート・勝部 公平 三宅 優 )
9月最終日、福渡駅に人が集合、11時38分の電車を待つ。
7月1日から始まった岡山デスティネーションキャンペーン「SAKU美SAKU楽」特別観光列車の運行が、この日一つの区切りとなる。
振り返れば、暑~い、暑~い、夏の陽射しの中、小旗を手に駅に何度も向った、しかし辛い思い出ではなく、満足のある汗をかいた思い出である。
キャンペーンの盛り上げイベントとして開催された福渡駅前での「福ふく市」は1回、2回と回を追うごとに盛況となり、最後は誰も予想しなかった(記者がその筆頭)ほど大勢の人がやって来た。
その日、9月18日は建部中学吹奏楽部の生徒たちが演奏をしてくれた。高らかに鳴り響く楽器の音に、町の人たちや訪れた観光客のワクワクする気持ちが伝わる。
「シング・シング・シング」ジャズの名曲が始まると、子どもも、お年寄りも誰もが身体を揺らして楽しんでいる。
市に並んだ建部の野菜、果実はジャガイモ、玉ねぎ、トマト、きゅうりからナス、南京、ぶどうへと変わっていき、季節の移り変わりを「
たこ焼き」を販売する傍から感じた。
毎回、毎回、おなじみの顔が買い物をして、
列車を迎えて、帰宅する。
11時38分の列車を見送った後、JR岡山駅長さんからキャンペーンを盛り上げた町の人らへ感謝状が渡された。光栄なことである、町の人の”おもてなしの心”が伝わり表彰されたのだから。
そして、町の人からもお返しの言葉。
「この3か月、列車が来ることで一番良かったことは、町の人らがここに集まってくれたこと。みんな、それで楽しんでくれた、
そんなことは今までなかった、ですので、こちらの方こそ、”ありがとう”とお礼申します」
ひとまずピリオドを打ったサクサク列車だが、これからも快速の後尾に連結して走るとのこと。その時は「おお、元気に走っとるのう」と、手を振って歓迎してあげよう。
(レポート・三宅 優 写真提供・森田 卓志 江田 陽子 井手 誠二)
9月17日(土)、竹枝小学校の運動会が開催されました。テーマは「全力運動会」!
リレーや障害物競走、祖父母の方も参加した玉入れ、親子競技のおんぶリレーや借り物競争など、和やかに盛り上がりました。
名物の一輪車も登場。少人数ながら、一列になって回る大車輪も成功しました。
コロナ下で2時間だけの開催ではありましたが、みんなで一堂に会して楽しめる運動会は、やはりいいものですね。
(レポート・写真 大塚 愛 )
午前9時、建部小学校、グランドに勢ぞろいした120数名の児童たち。待ちに待った運動会がやって来た。
開会式、校長先生の「しっかりと練習の成果を出しましょう!」のお言葉。
今年のキャッチフレーズは「努力して 流した汗は 勝利へと」
児童代表も「みんなでがんばろー!」と宣誓。いよいよ開始だ!
赤組、白組による応援合戦、大きな旗が振られ、エンジ・緑・黄・青、4チーム一丸となった熱のあるパフォーマンス。
子どもたちの体力が落ちたと言われるが、なんのなんの、こんなに全速力で走るなんて、記者には到底ムリ(笑)
親子リレーは運動会の目玉。家族総出で声援、「がんばれ、がんばれ、おとーさん!」
赤青パネルめくり、大人と子ども、どちらが持ち色が多く表にできたか。砂塵が舞うほどの激しい戦いが繰り広げられる。
今年は観客席にテントなし、それでも我が子、我が孫が出るとなっては、暑いとか言ってられない。校庭をぐるっと1周するように観覧席が埋まる。
昔からある親子で協力と言えば「2人3脚」、これがなかなか難しい。急ごうとすると、引っ張られ、「せーの、いち、にい、さん」かけ声上げて前へ、前へ。
今や、運動会の華?引き継がれる「YOSAKOIソーラン」これを観なけりゃ運動会は帰れない。
鳴子の小気味よい響き、児童のキレキレの演技、まさに全員一丸のソーラン舞い。
コロナも吹き飛ぶ熱演に、記者も久々の感動に浸りました。
(レポート・写真 勝部 公平 )
校門をくぐると検温器と消毒アルコールが一体となった検査機がお待ちかね。今や当たり前となったコロナ対策、運動場には本部用、福渡保育園園児用のテントのみ。
それでも、やっぱり運動会、子どもらの緊張した雰囲気、保護者らの期待が伝わってくる。
我が子がグランドを駆ける、思わず立ち上がり声援する父。それに応えようと、懸命に両腕を振り、走り抜ける。
赤白、玉入れ。記者も、夢中になって玉の行方を追ったのが、ついこの前のように思い出される。運動会の定番中の定番。
表現「挑戦~For all~は、こちらも三味線の音楽に合わせて「ソーラン」から。
そして組体操、練習の成果がもっとも表れる、だから児童も先生も
真剣な面持ち。「ピッ」笛が鳴るごとに体形が変わる、そのキビキビした動きはまさに練習の賜物。
最後の種目は決戦リレー。閑散と見えた会場が一挙に熱を帯びる。ピストルの硝煙が観覧席まで流れてくる。ゼッケンを付けた最終走者がテープ目掛けて飛び込んでくる。
閉会式、優勝旗授与。「ああ、今年も終わった」子どもにとって運動会は、いつも特別な日。その達成感がグランドの地面から立ち昇る。
(レポート・写真 三宅 優 )
秋が来た、はずなのに、いつまで~も蒸し暑い。そのためか、建部ではもう稲刈りを終えたところもある。温暖化で育つものは育ち、暑すぎて不作なものもある。
特に草は伸び放題で、中でもツル植物はワガモノ顔、スイカ、桃はダメだったと言う生産者の声も聞く。
そんな建部平野、朝8時には夏日を思わせる陽射しが路面を照らす。今日は、ほぼ1か月ぶりの出店だ。
前回は夏休み中の子どもたちのはしゃぐ声で溢れたようだが、さて9月になって最初の日曜日、すでに外出がためらわれる気温、お客さんの出足が気になるところ。
では、本日の市の出店者紹介!おなじみ建部が誇る、生乳100%の「建部ヨーグルト」ソフトクリームは行列のできる人気アイテム。
2番、自家焙煎珈琲豆専門店「サニーデイコーヒー」コクのあるアイスコーヒーは専門店ならでは。イベントコラボ商品、アフォガードonソフトクリームも見逃せない。
3番、今回、初登場、知る人ぞ知る?手作り石窯で焼く天然酵母のパン屋と言えば「nicoぱん」さん。注文を聞いて焼く、出来立てピッツアをご用意。
4番、建部の新鮮野菜が袋詰めでワンコイン(100円)から販売「建部物産販売所」。今朝は秋の果物、ブドウがズラリと並び、松下レポーターもその格安さに、ついオトナ買い(買占め)するほどだ(笑)
ラスト、我が福渡町内会「福丸ボール(たこ焼き)」メンバーは7人で町内のグランドゴルフ愛好家たちによる交代編成チーム。その味の評価は、これまですべて”売り切れごめん!”で証明済み。
さっそく、焼き方会議。
「前は10時から焼いてたら、間に合わなくて予約がいっぱいになったので、今回は早めに焼こう」ということで9時40分には点火。
後は10時開店に合わせて来客を待つ。
開始の10時過ぎ、なのだが人影まばら。
「こりゃあ、お客さんも飽きて、来ないのかもしれん、1つ、焼き台を減らそう」急に弱気な面々(笑)。
11時頃になると、他店の前には子ども連れ、年配ご夫婦、電車を乗り継ぎ四国高松から来たという男性まで幅広い、お客さんが揃い始める。
当方の予約帳にも名前が連なる。こうなると、スタッフは大忙しで水を飲む間もない。
サクサク列車の入線アナウンス、ピンクの車体が見えてきた。子どもらの飛ばすシャボン玉が宙を舞い、小旗がサヤサヤと一斉に揺れる。
いつも通り、この熱烈歓迎に驚いた様子の乗客さん、「こりゃあ、ちと、降りてみにゃあ、いけんじゃろう」と岡山弁で考えたかどうかわからないが、次々降りて、
テントへと進む。
前々回から登場の「ふくわたり・
建部へようこそ」の顔出しフレームでも記念撮影。
終わってみれば、変わらぬ盛況さ。ただ以前より来場者の楽しみ方に余裕が出てきた、そんな感じがする。
大きな仕掛けがなくても、楽しさをそこで見つけることができる、そんな心の通うイベントが大事だなと改めて思う。
松下レポーターも「ピンクの車両とシャボン玉に、ちびっ子たちがはしゃいでいました。シャボン玉🫧と子どもたちの組み合わせはいつ見てもほっこりしますね」
次回、「ほっこり」タイムは9月18日(日)10時、いよいよ最終回!!
*追伸で~す。『岡山城がリニューアル』今日、会場で建部支所長から案内を頂きました。
詳しくはこちら。
(レポート・三宅 優 レポート・写真 松下りえ )
前夜からの雨も上がり、若干の湿気も風のお陰で比較的過ごしやすくなった21日(日)、第4回目となる「福ふく市」へ。
開始10時頃は、少し客足が緩やかで告知が足りなかったか!?と心配されていたが、お目当ての「さく美さく楽」(サクサク列車)到着30分前の11時過ぎ辺りから、
親子連れや夏休みも終わりに近付いている若者たちが、友だち連れで訪れた。
今回の出店はお馴染み「建部ヨーグルト」さんは、米粉のコーンカップを使ったソフトクリーム🍦、「ケーキハウスキシモト」さんはイチゴ、マンゴーのカキ氷🍧に加えて、新メニューとして、カフェ・オ・レ味を提供!
コレの隠れメニューは、建部ヨーグルトのソフトとカキ氷のコラボが最高!私の好みを熟知してくれているキシモトさんが、私の到着と共に一押し、早速、オーダー!(笑)
相変わらず下野社長がカキ氷🍧用にサーブしてくれるソフトクリームのデカさといったらありゃしない…最高!親子でそれぞれ、一つずつ頂きました!
「建部町観光協会」さんはブースが2つ!いつもの産直野菜に安芸クィーンやブラックオーロラの葡萄🍇も破格でラインナップ。
そして(うちの娘の狙い目である)お楽しみブースが。
「ヨーヨー釣り🪀」「おもちゃ釣り」「ジャンケンチャレンジ」の3種があり、子どもたちは思わぬ夏祭りの再来に大喜び。
中でも「ジャンケンチャレンジ」は、夏休み最後だからなのか大盤振る舞いの、5回勝ったらなんと景品2コ!
おまけに小中学生のお兄ちゃんたちが、本気で相手してくれるので、ベイビーやキッズは大興奮。お兄ちゃんたちは優しくて?、チャレンジャーが5回勝つまで順繰りに相手をしてくれるという、至れり尽くせりの「福ふく」な祭りだったのです。
そして本日注目のホットフードブース。一際、存在感のある洒落たベージュの大型キッチンカーで参上、「から揚げ ゼンちゃん」。地元の応援団も駆けつけ、大いに場を盛り上げてくれています。
今回は列車の乗客の方も降りて来られ、多く買い求められる光景が見られました。
サクサク列車の到着を横断幕を持って出迎えたのは「建部町歩こう会」のメンバー。
ジャンケンチャレンジの景品でシャボン玉🫧キットをゲットした子どもたち(と愛ちゃん😆)がシャボン玉で熱烈歓迎。
世代を超えて、お気に入りのやり方で楽しみながらwelcomingしている様子が田舎町ならではのハートウォーミングな情景となり、とても微笑ましかったです。
《最後に「顔出しフレーム」エピソード》
前回登場の「ふくわたり顔出しフレーム」、もともと県議会議員、大塚愛さんの呼びかけで総社南高校の美術部メンバーが制作してくれたのがこの作品。
立案から打合せの段階で、Zoom会議などを通じて、愛さん、キシモトさん、江田さん(サニーデコーヒー)らが携わって、その際に建部はこんな町だ、こんなステキなお店がある、こんな取り組みをしてますと言ったことをリモートで高校生らに熱く語りディスカッションし、完成したそうです。
記念に、影の立役者の2人に実際に「顔出し」をしてもらいました(笑)。
(レポート・写真 松下りえ )
ウクライナへのロシアの侵略が始まった時、人は人間の歴史が何も変わっていないことを知った。これまで繰り返されてきた”力だけが正しい”と信じる独裁者による戦争。
19世紀初頭、フランス・ナポレオン軍によりヨーロッパ中が席捲された。スペインにおいても残虐な殺戮が行われた。その一部始終を克明に描き残した画家、フランシスコデゴヤ。
宮廷主席画家として頂点に立つも、後に耳が聞こえなくなる病にかかり隠遁。その後は社会を在りのままに見つめ、人間の愚かさや残忍さを描き続ける。
最初に頭に浮かんだ作品は「巨人」(ゴヤの弟子が描いたという説もある)
巨人(=戦争という怪物)が空に現れ、地上の生き物を踏み潰す。当時の人々の戦争への不安を現わしていると
解釈されているが、その孤独な後ろ姿は「人間社会に絶望し去っていく守護神」のようにも見える。
使った石は山石、砕石、その辺にころがる石、半端でなく重くなった。
侵略軍による市民殺戮。1908年マドリード、プリンシペ・ピオの丘で市民400人が銃殺されたことに怒ったゴヤが実際にカンテラを持ち現場で描写したとされる。
おびえる市民、一人両手をあげ最後の抵抗を示す男、しかし兵は誰一人前を直視できない。ウクライナでのロシアの若い兵の証言が重なる。
左からパネル1枚づつ制作し、3枚目「兵隊」の軍靴の石を置いた時点で、石のバランスが取れなくなり1枚目をすべてやり直す。
ゴヤの家の壁に描かれていた「黒い絵」の1点。ローマ神話に出るサトゥルヌスは、やがて自分が我が子により殺されると予言を受け、次々と子を飲み込む。
理性を失い妄想にかられた人間の愚かさを批判。
人間世界の魑魅魍魎を表わそうと、輪郭のないオールオーバーな石の展開となった。
ゴヤ、69歳の「自画像」記者と同年だが若く見える。音のない世界、目は自らを見つめるでもなく宙にとどまったまま。
背景の石のぶつかり合いが作品全体にどう共鳴するか、むつかしい仕事だった。
今から50年も前、この名作が日本に来た。薄っぺらなコピーでしか見たことがない時代、本物がいかにスゴイかを知った。
女の体をそのまま描く、当時、そんな非常識はなかった。宗教裁判が行われる、ゴヤの反骨が伝わる。
石で描くには不向きなモチーフ、なぜならこの作品の魅力は画肌(マチエール)の美しさにあるから。そういう意味においては失敗作。
何ゆえ、服を着ている像を描いたのかは諸説あり。「裸」と対比することで宗教上の戒めを伝える?だがゴヤは「着衣」から「裸」へ、またはその逆、
どちらも現実の人間であると言いたかったのだと思う。
自作では「着衣」の方が若干、絵画的になった。
「黒い絵」の1作、題名も記述も残っていないので、後の者が想像で付けただけに過ぎない。それでもゴヤの作品は人々に想像をかき立たせる。
成すすべを失い、死を受け入れていく自分。
並べる石も伸びては行かなかった、最小限というわけではなく、途中で手が止まった。
「石で描くゴヤ」動画
(ユーチューブ・2分00秒)
(レポート・三宅 優 )
サクサク列車が運行して6週目。この日(8月5日)JRプロモーションビデオ撮影の日、大勢の人がエキストラとして岡山デスティネーションキャンペーンの応援にやって来た。
別にここが、かつての観光立町に夢を追いかけようとするわけではない、そんな時代は遠ーくに終わった。
だからこそ「よくこられましたね、これからも互いに旅を楽しみましょうね」そんな交流を交わしたいなって、それだけ。
そして第1日曜日は3回目となる「福ふく市」開催の時。午前9時には5つのテントが快晴の空の下に張られた。駅舎前には岡山北商工会女性部の皆さんが植えてくれた花々がお出迎え。水やりの大変さを思うと、ただ、ただ感謝!
今回の出店者は我が「福丸ボール(たこ焼き)」「サニーデイコーヒー」「建部ヨーグルト」「観光物産販売所」福渡子ども会の「ヨーヨー釣り」これで夏祭り気分もアップ。
さらに駅舎の一角にひときわ目立って置かれているのは「ようこそ、福渡」顔出しフレーム。桜あり、ウシ君あり、ロールケーキあり、ご当地名物満載。
総社南高校美術部の生徒さんらが精魂込めて描いてくれた力作だ。今日のお客さんの反応が楽しみだ。
午前10時、我が「福丸」にはポツリ、ポツリと予約が入る。まだ火も入れてないのにその数20。
「よっしゃ!」と親方衆が気合を入れてバーナー点火、これから焼き終わるまでフル回転。立ちっぱなし、焼きっぱなしの全力投球、甲子園球児並みに熱い。
盛り付け係も買いに来た人に頼んで増員、焼き手、盛り付け、会計係8人の全員野球。
しばらくすると、子どもらと親御さんらの賑やかな一軍。数は少なくなったとはいえ、これだけ一堂に集まると急に町が若返る。
「ヨーヨー釣り」は大人気。顔出しフレームはというと、意外や大人たちに超好評?
老いも若きもこの日は、子どもに帰って夏祭り気分を味わう。
サクサク到着5分前、駅のプラットフォームはアメリカ大統領を出迎えるかの熱狂ぶり。そしてサクサクが姿を見せる。この歓迎に一番驚くのはきっと乗客。
12分後、無事に列車も次の駅に向かい、結局、外の市はほぼどこも完売。我が「福丸ボール」も「すみません」「申し訳ありません」
を繰り返すしかない(ホントにすみません)。
さて次回日程:8月21日10時 お待ちしています!
(写真・松下りえ レポート・三宅 優 )
「暑いですねは、もう言い飽きました」と出会った町の人があきらめ顔に言う。そうだろう、今日だって岡山は予測気温は37度。日中、部屋にいてクーラーにあたってるならいざ知らず、外で仕事をする人などさぞや大変だろう。
朝10時、すでに結構、突き刺す日差し、車の窓を開け放し田地子地区に向かう。区長をする本田義章さんのブルーベリー園の摘み取り体験。ブルーベリーは毎年いただくのだが、お訪ねするのは初めて。
途中の道でオニビジョンの岡本記者の車と合流。ここのところのコロナ猛威で、建部でも花火大会が中止、記者の関わる第1回サマースクールも取り止め、イベント情報が次々と消えていく中でニュースを見つけるのは至難の業。
本田さんの果樹園を見て驚いた、なんとブルーベリーが100本近くも並んでいる。つい、「こんなにいっぱい、どうしてるんですか?」と聞く。
「う~ん、出荷はしてないから、皆に採ってもらったり、近所の方に届けたり」
もう10年になるという、人に喜んでもらうためだけに栽培されているブルーベリー・・・それを一粒、つまんで口に。「甘い!」
この日の参加者は当新聞編集長(勝部)の娘さんと3人のお子さん。「うわー、いっぱいなってる」「早く、採りたい」
本田さんが「黒くて大きいのが熟してるから、それを採るといいよ、食べながらでね。あと、アブがいたりするから気を付けてね」とアドバイス。
さっそく、記者含めバケツを手に「いざ、ブル^ベリー摘みじゃ」
陽が射すも、時おり雲間もあり、風もそこそこで良いコンデッション、林の方からヒグラシも聞こえてくる。
頭の上で「ピピピ!」と鳴くのは何の鳥?
「それは、鳥ではなく、鳥防止に流している”鳥の声”」本田さんの説明では「危険を知らせる鳥の声を似せている」そうだ。
ムム、人と鳥との騙しあい、勝敗はどちらに??
バケツ一杯の果実が採れました、どれも完熟、スーパーでは決してお目にかかれません。岡本記者がマイクを向けて感想を聞く。
「子どもの夏休みですが、どこも出かけられないので、こんな体験ができたのがとってもうれしい」
「さて、じゃあ、試食タイムにしましょう」本田さんの誘導で全員、地区の公民館へ移動。
本田さんの奥様が調理室でお待ちかね。10分後、運ばれてきたのは冷た~い、ブルーベリージュース。
「う~、なんと、スムージー」凍らせたブルーベリーをそのままミキサーに、バナナも
加わり真似できないおいしさ。
子どもたちも「あまーい、あまーい、ブルーベリー♪」と歌いながら体を揺らす。それを観た爺ちゃん(編集長)も「それは、ブルーベリーダンス
かい?」と・・・、あくまで家族団らん、山の時間は過ぎていくのでした。(笑)
お土産に「ブルーベリージャム」まで頂いて、ホント、取材冥利につきる半日となりました、ごちそうさま!
(取材・勝部公平 三宅 優 )
7月24日(日)早朝5時から巨大な干瓢(かんぴょう)の輪切りが始まる。
押し切り包丁を渾身をこめて3センチほどの厚さに切っていく。
ここはお父さんの立川博文(70歳)さんの力の見せ所、いつも笑顔で地域活動をリードしてくれている博文さんのポパイのような顔つき。
続いて登場してきたのは、かんぴょう薄切り機、どうして均一の厚さで長い切れるのだろうかと疑問に思っていた記者、道具の銘をみたら、55年前に手づくりで作られた木製マシーン。伺ってみたら、近所の親戚の大工さんの作品だそうです。
「大きなかんぴょうを支えている歯は、竹で串を作り錐で穴をあけて打ち込んで、釘を一本も使わず作っているんですよ」とのこと。
「かんぴょう作りは一人ではできないのだよ、息のあった、アウンの呼吸の夫婦しかうまくできないの」と近所の方のお話。
それを聞いて記者も「ウンウン」さもあらんと納得。
いよいよ手づくり道具を使って、お父さんは回しながらかんぴょうを削り出していく。奥さん徳(めぐみ)さんは、それを切れないよう両手ですくいあげ、一通り溜まると、それを持って素早く庭先の青竹竿へ均等に広げ干していきます。
「ここの動作を素早くしないと均一に干せないのよ」
何とも息のあった動作です。朝きれいに干したかんぴょうは、昼には乾いて、午後には、お店でよく見かける束にした干瓢に出来上がっていました。この里山の梅雨明け前後によく見かけられていた風物詩の一コマでした。
◎富沢神社の輪づくり
7月23日(土)早朝6時に富沢改善センターには7~8名の地域のリーダーが集まっています。境内に設置する輪くぐりのための輪の材料・茅(ちがや)の刈り取りに出かけるところです。
昔は地区には必ずカヤ苅場があったが、近年はかやぶき屋根もなくなり、古来貴重品とされていた茅も雑草と化してしまっています。
見つけておいた茅の群生地に、草刈り機と鎌で、軽トラック2台分山盛りに刈り取り、境内に運び込みます。茅を選別し、いよいよ輪づくりです。
直径15センチほどに束ねながら、男結びという結び方で束ねていきます。できあがった茅の輪は境内の入り口に飾られ、無病息災や暑気払い、最近はコロナ除けのどを祈りながら、昔からの作法、正面でお辞儀をして、左足から輪をまたぎ、左から周って正面にかえる。
今度は右足からまたぎ右周りで正面にかえってきます。永遠を意味する8の字を描く周り方です。
「無事この暑さにまけないで、夏を過ごせますように」と祈る姿、神話のスサノオノミコトの時代から始まっているというこの風習、日本の四季折々の変化や天変地異に対する祈りかもしれませんね。
(レポート・写真 勝部公平 )
◎福渡八幡神社の輪くぐり祭
同じ日のこちらは福渡地区、福渡八幡神社の夏越祭の輪づくり。総勢9名の総代の方が、早朝から茅を刈り、丹念に選別した後、輪づくりに入りました。円周6mの藁でできたベースに茅を巻き付けていきます。
何度も、何度もやり直しながら、徐々に完成に近づいていきます。
翌日は夏越祭、夕刻に集まった地元の氏子さんたちが「水無月の夏越の祓いする人ぞ千歳のいのち延ぶと言うなり」と和歌を唱えながら、輪の中を3度、八の字を描くように左右くぐって行きます。
少子高齢化でだんだんと輪を作れる人も少なくなる中、こうした慣習が引き継がれていることにホット、心なごむ夏の一時でした。
(レポート・写真 三宅 優 )
あい変らず、蒸し暑い日が続く日本列島。しかし同じ暑さでも、こちらは「歓迎」の熱さ。
JR岡山デスティネーションキャンペーン、「SAKU美SAKU楽」(サクサク)列車運行から4週目、岡山平野をトコトコと行く津山線、1両列車は方々で話題。
初めて観た人は「えっ、あれ、何(なあに)?」
いく度か出会ったことのある人は、「ああ、健気(けなげ)に走ってる、走ってる!」
そして第3日曜の今日、タイアップキャンペーン「福ふく市」がJR福渡駅前で開催。
朝10時、こじんまりした駅駐車場に青いテントが5台。おなじみ「建部物産販売所」「建部ヨーグルト」「キシモトケーキ」「スイーツチュプ」、記者の係わる福渡グランドゴルフ同好会「福丸ボール」。
梅雨明けしたとは言え、各地で線状降水帯発生、今日の天気が気にかかるが、目下のところ、強い陽射をうかがわせる晴れマーク。
「こりゃあ、熱うて、立ってられんかも」そう心配するのは、当たこ焼きグループメンバー。
それもそう、気温が28度でも、タコ焼き鉄板の上は100度の熱、それを全身に受けながらのタコ焼作業。「この夏に、だれが言い出したのか」(スミマセン、記者です)とこぼしたくもなる。
が、だからどこもやらないので人気。前回も1時間で売り切れ。今回はというと、前の倍の仕込みで臨む。
しかし、この蒸し暑さ、「今日はタコ焼きより、かき氷が正解かなあ」とメンバーも少し弱気に。
最初の列車が到着する時刻には、まだ1時間もある、それでも一人、二人、三人とやって来て、新鮮野菜(玉ねぎ、ピーマン、ジャガイモ、300円詰め放題!)やキシモトの「かき氷」(笑)建部ヨーグルトの「ソフトクリーム」、チュプの「わらび餅」を求めていく。
「やっぱりなあ、暑い時に、熱いたこ焼きは無理・・・」そう考えているうちに、町内のお年寄りグループが数組。
「前の時は、1パックしか買えなかったから、今日は3パック予約しとくわー」
と次々のオーダー。あっという間に予約数が50パック。
こうなると、タコ焼き台はフル回転、焼き手も、盛り付け人も休む間も無い、時おりの涼風に「シ・ア・ワ・セ(福渡る)」
前回同様、我々も食べることのできない「高嶺(たかね)の花」ならぬ「たこ焼き」になりそう(笑)
駅の舎内が賑やかしくなってきた、そろそろ列車の到着時間。観客の多くは町内の人らと思いきや、見かけぬ顔が幾人も、しかも、若い子ども連れ。
皆、サクサクの小旗を手にして、列車の到着を今か今かと待ちわびる。
定刻間近、薄桃色の車体が見えてくる。1番フォームは「ようきてつか~さった 建部へ!」の横断幕、前回以上に人気者の牛の「モーちゃん」、シャボン玉製造機も効果抜群に歓迎一色。
一両編成の箱から降り立つ乗客は数十名、それ以上の歓迎者に囲まれ、「大阪から来ました」だけの甲斐あって「わー!うれしいー」
JR岡山駅の駅長さんからも「お世話になります、ありがとうございます」とお礼の言葉。何といっても、駅は町の表玄関、ここに万客往来あれば、住む人にも良い刺激。
12分の停車タイムはゆっくりと進む。小さな出来事もこうして集まれば、思い出深い「お祭り」に。
♪シャボン玉 飛んだ 屋根まで飛んだ♪
歓喜する子ども、夏休みは、すぐそこ、サクサク列車はまだまだ続く・・・。
では、建部ヨ-グルト下野社長と「牛のモーちゃん」役の花房さん、同級生同士からのメッセージ。
「次は8月7日(日)10時~お待ちしてま~す」
(レポート・三宅優 写真・松下 りえ )
岡山デスティネーションキャンペーン「SAKU美SAKU楽」列車(以下”サクサク”)運行初日から3日目、お待ちかね、タイアップイベント「福ふく市」を開催。
今日深夜、まとまって降った雨が打ち水効果で朝の気温は28度、「こりゃあ、天の助け。日頃の行いが良かったかな?」とホットする。
というのも、このイベントに記者ら町内グループも出店するから、それも誰が言い出したか(スミマセン、記者)「タコ焼き」を焼くと言うのだから。
ここ数日の熱波を受け、これは大変だなと覚悟を決めていただけに幸先良いスタート。
午前9時、車にテント、テーブル、イス、ガスボンベ、消火器、早々忘れてならない「タコ焼き器」を積み会場となる福渡駅駐車場へ。
本日の出店は、我々「福渡グランドゴルフ同好会」(福丸ボール=たこ焼き)、建部町観光物産所(とれたて野菜)、建部ヨ-グルト(ソフトクリーム)、
ピッツェリアマル屋の(ピザ、パン)、サニーデイコーヒー(アイスコーヒー)と堂々5つのブースが勢ぞろい。
今日はこれから午後1時まで市を開き、その間、11時38分到着のサクサク列車を出迎える。
準備に余念のないスタッフの口からは「もう何年振りじゃろう、この道具を使うのは」「あれは、3年前の秋の○○祭が最後だったんじゃあないかな」
「そうじゃて、手がもう覚えておらんかもしれんで(笑)」
でもそうは言っても段取りは忘れていないようで、手際よく次々と接客体制を整える。
開始時間の10時には近隣の人たちが日傘を持ち、次々と。お目当ては獲れたての野菜。ジャガイモ、玉ねぎ、きゅうり、トマト、ズッキーニ・・・歩いて新鮮野菜を買って帰れるのはお年寄りにとっては、ホントに助かる。
バタバタとお客様の買い物一波が落ち着くと、「タコ焼き、まだ~?」「すいません、今や焼き始めたので、あと20分お待ちください」
空にはお日様も顔を出し、駅舎の待合コーナーではソフトを舐める人、アイスコーヒーで喉を潤す人が増え始める。
11時、サクサクが到着するには、まだ30分以上、でも子どもらは友達同士でやって来て、ピンク色の車体が来るのを今か今かと待ちわびる。
気がつけば、構内は50人以上の人で溢れている。
おかげで、我ら「福丸ボール」も行列ができるほどの賑わい。「ごめんなさい、せっかくお待ちいただいてるので、お一人、1パックでお願いします」
機械が2台有っても、焼き手は1台分しかいない、材料もそれに合わせて計算してきたので、予想外の反響にアタフタ。
「間もなく11時38分着、特別臨時列車が到着します」のアナウンス。入線する1番ホームは出迎えの人たちの波。向かいの2番線や渡り階段の上にも、カメラを構える人の姿。
そして3日前と同様、うっすらと顔を赤く染めたサクサクがやって来た。
初めて観たという地元女性陣、「まあ、きれいな色に塗られとんじゃなあ」「ホンマじゃなあ、なんか、電車じゃないみたい」
列車の乗客さんらも驚いた様子。
「えっ、えっ、なんで、こんなに人が出迎えてくれてるの?」「あっ、ウシ(牛)さんがいる、いっしょに写真を撮りたいわー」(いやあ、ご苦労さま、牛の縫いぐるみ役のHさん)
町内会女性陣の持つ「よう来てつかあさった建部へ」の横断幕も盛んにスマホを向けられ人気となった。
この日も12分の停車は長く感じ、出発を見送った後には軽い疲労感。でも、小旗を持ち駅を去る人たちは、それぞれに満足顔。
「結構、楽しかったよー」「そうよね、今まで久しくこんなことなかったものね」
それであらためて、気づいたのは「人は小さくても、触れ合う場を待ち望んでいる、この積み重ねが地域を元気にする」と言うこと。
次は7月17日(日)10時~お待ちしてま~す。、
(レポート・三宅優 写真・松下 りえ )
暑いね~、建部町福渡、アスファルトに置いた温度計は57度。外に出るのもためらうが、歩いて出かけるなんてもってのほか・・・なんだけど、この時だけは外せない。
岡山デスティネーションキャンペーン、あのJR津山線、特別観光列車「SAKU美SAKU楽」、その記念すべき最初の列車がやって来るのだ。
7月1日午前11時30分、福渡駅舎内はごった返すほどの人出。顔ぶれはというと、建部町内の区長さん、岡山市建部支所の職員さん、公民館職員さん、森田市議会議員の顔も。
そして、町内の「もりあげ隊」有志たち。皆、手にはピンクの列車の載った小旗を持つ。旗で歓迎するのは昭和30年代、天皇陛下が岡山に来られた時以来だ(チョッと脱線)。
いよいよ、その時はやって来た、岡山よりの遮断機が「チンコンカンコン」となり始める。
子ども連れのお母さん「さあ、やって来るヨ!」子どもちゃん、すぐに反応、小旗を右に左に。
11時37分、ちょっと桜色した顔が姿を見せる。横断幕隊もスタンバイ。「どれくらい来てくれたかなあ」
心配をよそに、なんと車内を覗くと満席のお客様。いっせいに出迎え隊にむかって、手を振ってくれている。
誰が言うとでもなく「いらっしゃーい」「ようこそ―建部へ」「おつかれさまー」
フォームに降り立った乗客も「ありがとうございまーす」「ごくろうさまでーす」
「記念写真を撮りましょう、シャッターお願いできますか」
「ああ、いいですよ、どこから来られましたか」
「京都から来ました」
「それはまあ、遠いところから、わざわざ、ありがとうございます!」
停車時間12分、あっという間だが、出会いがあった分、長くも感じた。乗客は再び列車へと戻り、津山へと旅立つ。列車を再び横断幕と小旗が見送る。
「行ってらっしゃ~い」「気をつけて」「また来てくださーい」
炎天下、「oniビジョン」岡本記者が列車の過ぎ行く姿を、肩に背負った大型カメラで最後まで追い掛けていた。
(レポート・写真・三宅優 写真提供 松下 りえ )
6月22日(月)と23日(火)に建部小学校の課外学習に出かけてきました。
22日は5年生20名の自然環境の大切さを学ぶ「川の水質と環境について」講師はめだかの学校の沖指導員さんです。
テレビモニターを活用しながら、水質を決める三つの要因の説明。
1.「産業排水ら出た汚染」事例として、熊本の水俣病の水銀汚染を取り上げました。
2.「家庭用排水」まだまだ日本では、1100万ほどの家が下水道未整備で、台所やトイレなどから出る汚水が川へ直接流れているのが現状ですとのこと。
3.「地球温暖化」のお話では、自分たちでできるCO2の削減などの話。
続いて、生態系の問題として、食物連鎖、ブラックバス・ブルーギル・アメリカザリガニ・ミドリガメ・ジャンボタニシなど特定外来種の取り扱いについて事例をあげながら説明。
海の汚染では、クジラ1頭からビニール袋など40kgのゴミが出てきた話などにびっくりしてました。
「私たち一人ひとりのできることは何ですか?」と問いかけながら自分たちの生活を考えてみるきっかけになっていました。
23日は1,2年生40名の田地子川での水遊びと生き物調査の体験です。
この日も、めだかの学校の沖指導員から川での注意や魚の捕まえ方のお話の後、子どもたちは、バケツと魚とり網をもって水辺に入り、教わった魚を上流から下流に追い込み、川の体験をしました。
安全を考えて、校長先生も出動、市場の市川さん、片山さん、勝部もボランティアで参加。
どんこ・タナゴ・カワムツ・亀・沼エビ・スジエビなどを捕獲、友達と話し合いながら生き物調査もバッチリできていました。
やっぱり体験が大切なんだなぁーと感じさせられる一日でした。
(レポート・写真・勝部 公平 )
君はもう観ただろうか、薄桃色の車体に花びらが舞うJR津山線観光列車、その名も「SAKU美SAKU楽」。
岡山デェスティネーションキャンペーンは県南と県北を列車でつなぐビッグイベント。
すでに試運転が始まり、「おや?・・・」と目を止められた方もおられるのでは。
町の人の話しでは、子どもたちも「あっ見て、あの電車!」と走り行く車体に目がくぎ付けだったそうだ。
その開幕(7月1日)まで1週間と迫った今日、列車の止まる福渡駅では大掃除が行われた。
朝10時半(・・・のはずが、なんと、その前から始まっていた)雑巾、バケツ、チリトリ、ホウキ持参の「そうじ隊」メンバーはと言うと、JR職員さん、JRのOBの方、地元ボランティア、計15名。
以前にも近くの専門学校生たちによる駅掃除を伝えたが、あれから数カ月。やはりマメに手を掛けないと汚れが目立ってくる。
とは言え駅内は守備範囲が広い。参加者はホーム、待合室、外、トイレと分かれ、作業。待合室の黒ずんだ壁を脚立を立てて、一面一面、雑巾で拭き落としていく。
「これって、もう何十年分かの汚れだよね」
「だって、もう福渡が無人駅になってから30年は経つんじゃない?」
「そうだねえ、僕らが働いてた若い頃は、列車に乗り切れない人が出るほどだったけど」
「ええっ、そりゃあ、すごい」
この駅に思い出を持つ人たちの手によって、壁は少しづつ明るさを取り戻していく。
一度、拭いた所も見直しては「もっと、きれいになるんじゃない?」とさらに磨く。
「だって、せっかくだから、この機会にやっておかないと」
大人たちの手で1時間、ピカピカに。窓には後ろの風景が映り、そこだけ切り取られた様な向こうの明るいホームが覗けるまでに。
ふと、「線路は続~くよ、どこまでも あの丘超えて・・・」このまま、あの入り口をくぐって、どこかに旅したくなりました。
終了後、満足顔の福渡駅と記念撮影。
岡山デスティネーションキャンペーン「SAKU美SAKU楽」観光列車は7月1日から9月30日までの金・土・日・月、一日2往復の運行。
さあ、この日、列車に向って「ようこそ、たけべ へ!」と手を振ろう。
(レポート・写真・三宅優 写真提供 松下 泰成 )
このところ湿度は90%、この季節、日本全国どこも同じかもしれないが、特にここ建部は蒸し蒸しとする。
そんな、今日も蒸し暑くなりそうな平日の朝「家にこもってばかりいては、身体も気分も萎えてしまう、元気を出さなくては」と、
お年寄りの健康教室「福渡すずらん教室」のアジサイ見学に参加した。
向かうのは「たけべの森公園」。支所の駐車場に集まった参加者17名は公園の送迎バスに乗り、目的地まで15分のドライブ。 入口を通過すると道の両脇にアジサイが満開でお出迎え、これですっかり鑑賞を終えた気分。
コロナ禍でマスク着用、会話も控えめであったので、公園のホールに着いてからは気分も伸び伸び、さっそく持参のキシモトケーキを切り分けて、冷たいボトルコーヒーでティータイム。
会話は以前ここに来た思い出や、久しく外に出なかった間の苦労話。記者も12年前の夏、妻と自転車で登って来たことが思い出された。
食べるものを食べ、話すことが一通り終わっても、まだ時間は10時。「じゃあ、これからアジサイ見学に行きましょう」
何となく、バスで来る道中で既にアジサイを味わった気持ちの方々は、「まあ、これからまたあの坂を歩いて戻るのって、大変よねえ」
とは言いながら、本日の目的は「紫陽花に逢いに行く」窓越しのデートじゃあ、つまらないでしょう。
すでに日傘が必要な空の下「もし、行けないようなら、途中でバスが拾ってくれます」の言葉に安心してんでにポツリポツリと歩き出す。
まず目立って多いのは青色、大きく咲くのは白い花、紫も深みを添えるように所どころ、濃い赤も時折り。
小さめの花を白い花が額縁のように囲んでいるガクアジサイ。昨日の雨の雫が陽の光でキラリと輝く。
やはり「紫陽花には雨がよく似合う」
後ろを振り向くと「な~んだ、皆、ちゃんと歩いて来てるじゃない」
「だって今日、観ておかなくっちゃ、すぐに切られちゃうもん」そのようだ、花のあるうちに切らないと来年、大きく咲かないそうだ。
一行は昔、この山で足の踏み場もないほどマツタケが生えていたことや、山菜が良く見つかった話しなど、終わりがない。
そうしているうちに、アジサイロードも終点、バスが迎える駐車場へ。
「まあ、今日は歩けんかと思うとったけど、よう歩けたわあ」紫陽花に逢えたこともうれしい、でもそれを自分の足で確かめれたことが一番の喜び。
次は秋のバス旅行が待っている。行き先は下津井「瀬戸大橋遊覧ツアー」
「あぁ、買い物が楽しみじゃなあー」お年寄りの興味は尽きない(笑)
(レポート・写真 三宅優 )
早くも、暑さが到来。予測のつかない気象状況となった昨今、できることは事前の準備。
6月から9月にかけての長雨と台風の到来、いずれにしても水災害、土砂災害を招く。
その両方の危険を持つ地区は建部町にいくつも存在する。
福渡地区もその一つ、旭川沿いではダムの放流による川の増水、そして家屋への浸水。山際では急斜面からの土石流、土砂崩れ。
ハザードマップは赤と黄色の色分けで点々と塗られている。
実際、昨年の8月には県北に降った長雨で旭川ダムの放流量が1000tに達し、一部危険地区の住民が建部町公民館に避難。建部の全地区で避難所が開設された。
「災害は忘れた頃にやって来る」真備を襲った西日本大豪雨から4年、人の心には「もう、あんな事はもう起きないだろう」の楽観があるのでは。
だからこそ、そのことを常に念頭に置く習慣、特に出水期の前では実際そうなった時の事前確認と心の準備が大切。
このことを踏まえ福渡町内会で今月5日「防災会議」が開かれた。
参加したのは「福渡みんなの防災団」メンバーで、浸水、土砂災害の危険のある地区の代表、地元消防団、防災委員、及び役員、他含め22名。
会議では各地区ごとの避難の流れ、情報の伝達方法を確認、防災備品の点検がなされた。
その後、指定避難所となっている建部町公民館を視察。公民館1階では受付設営の確認、給湯室、多目的トイレ等の施設を点検。
2階「図書室」はコロナの疑いのある人を対象とした避難場所で、接触を避けるため外階段を使っての移動。
3階「和室」は一般避難者の受入れ。給湯室、押入れ(座布団)といった必要となる設備の確認。
市の備蓄品「毛布(100枚)」「飲料水(240本)」「クラッカー(140食)」「アルファ化米(200食)」「排便収納袋(400枚)」が収納されている倉庫も確認。
そこから参加者は車で町内山頂にある「友愛の丘・ゼンセン」に移動。防災委員の誘導で指定の駐車場に停車。
「スクラムホール」は体育館使用で全板張りとなっていて、コロナ禍、一人当たり占有面積1坪と試算しても50名からの受入れが可能。
館内、中央に避難した場合の休息場所の模擬設営を行った。ブルーシートの上に敷きマットを拡げて、実際に寝てもらう。
「やはり、マットが有るのと無いのとではエライ違いじゃ」メンバーの感想。
他にも、必要となるやも知れない「簡易トイレ」「救急箱」「ゴミ袋」「スリッパ」といった備品の確認をした。
自然災害は防ぐことが難しい、だからこそ「命を守る」ことを最優先した行動が大事だ。
(レポート/三宅優 三宅 美恵子)
今や年配者の代表的スポーツとなったグラウンドゴルフ、なんでも発祥地は鳥取県泊村だそうで、昭和57年に始まってからもう40年、
そのルールの簡単さと、ゴルフのようにお金がかからないことでたちまち全国に普及。
なにしろ場所さえあれば、1人でも100人でもプレーできるのだから、言うことない。
で、場所の問題。比較的平らな土地で広ければ広いに越したことはない、そんな都合のいい場所が・・・、見つかりました。
記者の住む建部町福渡地区にある旧中学校のグランド。日本全国、中山間の町や村では、過疎、少子化で廃校となり、使われなくなった公園や運動場が、ごまんとある。
残っているのは年寄りだけ、となれば健康維持、相互のコミュニケーションも図りながらの土地有効利用、「グラウンドゴルフ」が超おススメ!なのだ。
週末の午前、「グラウンドゴルフ体験会」の案内回覧板を読み、急ぎ旧中学校運動場へ向かう。すでに15名ばかりのお年寄り。目を引いたのは男の人が多いこと。
「いやあ、OさんとTさん(共に男性)はプレー歴○十年の超ベテランです」主催者の窪藪代表が紹介。
さっそく、Oさんから、クラブの持ち方、コースの回り方の説明を受け、「何はともあれ、一度打ってみるのが一番じゃ」
「スカーン」(よく飛んでいった)「スコッ」(頭をなでただけ)それぞれの音を響かせながらの初挑戦。
グランドは真砂土が敷かれているとはいえ、まっ平らでもなく、草も生えている、それを見越しながらボールを打つ。
この日、設定されたのは50mを最長に4ホールで、これを6回廻る。1ホールが3打を基準にアンダーとオーバーを数える。
観るのも手にするのも初めてと言う女性、こわごわとクラブを構え、「スコ~ン」
ボールは一直線にホール手前まで向かう。「おお、見事!」(記者)
「まあ、私にもできたわー(笑)」
次の日、今年一番の暑さとなった午後、「何もこんな時に出かけなくてもいいんじゃない?」と不平を口にする妻を連れ、運動場へ。
さすがに、プレーする人影はない、昨日、教わったことをチョロリ説明して、即、開始。
一番ホール50m、一打、「スコ~ン」と30m。続いて美恵子、一打「スカッ」、2打、10mほどフラフラッと。
「手元を見て、地面を叩くように打つんだって」昨日、Oさんから教わったアドバイスを伝える。
3打、今度は勢いがつき過ぎてフェンスの方に暴走。4打、ロングショットでまさかのビギナーズラッキー。
これで味を占めたかどうかは分からないが、「あー、今でグランドゴルフ運、全部使い果たしちゃった」とは妻の感想。
窪藪代表は「この福渡のグランドゴルフ練習場を地区の愛好家で整備を進めながら、一年を通して楽しめる交流の場としていきたい」とのこと。
晴れた朝、「スカ~ン!」という音で目が覚める日がやって来そうだ。
(レポート/三宅優 三宅 美恵子)
夏日が予報されている5月19日午前8時30分、地域のシルバーメンバー15名が建部中学校に集合しました。
この日は「建部中学校シルバーの会」総会と「第1回環境整備」の活動の日です。
最初に「シルバーの会」会長の本田義章さんの挨拶。
「今年も新しいメンバーが増え、この校内整備が行われることで学習環境の向上に大変役だっていることに感謝申し上げます。
校内授業で建部のことを学ぶ「建部部」や地域の伝統芸能なども学習に取り入れられ、地域との連携も進んでおります」
続いて國富聖子校長先生から「多くのシルバーの皆さんの協力に大変感謝いたしております。これからもよろしくお願いします、ありがとうございます」のお言葉あり、いよいよ活動開始です。
今回の活動は、春頃から校内一体に繁茂している草の除去が目的で、さっそく、あちこちから「ブーン、ブーン」と言う草刈り機の音が鳴り響きます。
中庭では、乗用の草刈り機で瞬く間に刈り取りが進みます。1本1本、手で草を抜く人、熊手で刈り取られた草をかき集める人、またたく間に見ちがえるような校内に変わりました。
作業を終え振りかえると、学校でも家庭でも”教育は環境から”の言葉が脳裏に刻まれる一日でした。
なお今後の活動日程ですが8月21日(日)、11月10日(木)、来年3月9日(木)に予定しています。少しでも、自分ができる範囲で参加したいと言う方を常時、募集していますので、建部中学校まで問合せください!
(レポート・写真 勝部 公平)
朝のうちはいく分どんよりした天候だったのに、お昼近くになると、ここ建部の旭川、一ノ口井堰の水門前は予報通りの真夏日を思わせる陽射し。
年に一度、用水の水門を開けて溜まった土砂やゴミを撤去するのに合わせて行う「大井手用水の魚とり」、記者が関わってからもう10回を数える。
今では岡山市環境学習センター「めだかの学校」が主催する人気プログラムで、今年もコロナ禍に配慮し参加人数を限定しての実施。
スタート1時間前には記者らスタッフで水抜きを開始、毎年のことながら「いるかなあ」「どうかなあ」と気を揉みながら川底を見つめる。
例年だとナマズの群れが水しぶきを上げて姿を現すが、今日は音沙汰なし。「う~ん、先日大雨だったし、今年はダメかなー」
そうこうしている中、6家族14名の参加者が到着。さっそく「早くサカナ取りたいよー」「下りたいよー」と子どもたちの声。
先陣で水路下流から魚の追い出しに回っていた「岡山アスエコ」の指導員、柏さんが何やら大物を手に帰還。「ぎょえー!」直径50センチはあろうかというスッポン。
それを合図に背後から水を求めてフナやナマズ、ウナギまでが続々、出現。こうなったら、もう子どもらが我慢ができるわけがない?
めだかの学校武藤館長から「お話がチャンと聞けない子は魚取りはできませんよと諭されて、シブシブ(笑)、注意点について耳を傾ける。
水深20センチほどになった用水は、あっという間に子どもらに占領され、濁った水に見え隠れする魚影が
いたるところで動き回る。
はち切れそうな網を持ち上げた男の子、「ナマズがとれたよー」「わたしはカニだよー」「ボクも、見て―」
親子で総力挙げての大捕り物、そんな騒ぎを空の上から眺めているのは、いつの間にかやって来たトビ。魚の姿は空中からでもよく見えるに違いない。 水路の一隅には川トンボのシルエット。生き物たちにとっての豊かな環境が広がっている。
「お~い、もう上がってー」やがて終了を知らせるスタッフの声。
「ねえ、これなあに?
」
まだまだ飽きない発見を追い求める子どもたち。「もう、上がりなさい!」
こうして1年に一度の建部での手づかみ魚とりは終盤へ。
成果!ウナギ、ギギ、フナ、ヨシノボリ、ムギツク、アカザ、ドンコ、サワガニ、モズクガニ・・・。アスエコ指導員の渡辺さん親子が解説。
「今日一番の収穫はこのアブラボテです。実はこのアブラボテ、この貝(5㎝位のカラス貝
)に卵を産みます。そしてこの貝はこのヨシノボリのヒレにタマゴを産みつけます。だから、これらが一つでもいなくなると、この生きものは絶えてしまいます」
「な~るほど」今日一番、神妙にうなずく子どもたち。
「さあ、後は元へ戻してあげましょう」
ナマズ、フナ、カニ、ギギ、ドンコたちが、子どもたちの手で元の水に放たれる。最後まで残されていた”スッポン君”も、「おぉー、自由じゃー」とダイビング。
明日、スタッフの手で再びねぐらを仕掛けた後は来年まで、寝て待つことにしましょう・・・。
(レポート・ 三宅 優 / 写真・三宅 美恵子)
「石で描くセザンヌとモネ」動画(ユーチューブ・3分30秒)
すっかり、ポカポカ陽気になってゴールデンウイークも間近、となればどこかに行きたくなるし、連れてってとせがまれる?だがコロナ高止まりの岡山県、人の密集地は何としても避けたい。
だとしても、いよいよ明日からゴールデンウイーク。それならこのページでゲージュツに触れてみるのはどうでしょう?
昨年から始まった、当新聞特別企画「石で描く名画展」その第4回目「セザンヌとモネ」が今月、公開された。
保管ができないので1日限りの展覧会となったが、その全容をお伝えしたい。では、ゴールデンスペシャル企画「石で描くセザンヌとモネ」ゆっくりご覧ください。
会場はいつも通り、当新聞編集室のある「ドレミファミリアアートギャラリー」のガレージ。ただ今回は2人の作家を並べるので、場所が狭くモネの大きな作品は前庭に展示。
襖3枚、長さ5メートルを超える作品は「柳のある明るい朝」の題名にふさわしく陽を浴びて偶然にも映える。
午前10時、同じ町内の人たちが次々と鑑賞にやって来る。
「まあ、ミヤケさん、今回はだれ?なんだか前より、もっと石が増えたみたい」(スミマセン、ついつい多くなって・・・)
「あっ、これは観たことある、ゴッホでしょ、自画像」(いえ、セザンヌの自画像・・・)
セザンヌ「グラスと果物ナイフのある静物」、そして「キューピットの石膏像のある静物」セザンヌが何十日、何か月も掛けて描いた作品。
並べられたリンゴはそのうちに腐り変色。
石膏像は腐らないと取り組んだが、時間を置くたびに描く位置が変わり、複数の視点が存在する絵画となる。
これが人だと、もっと大変だった。セザンヌのモデルたちは皆一様に不機嫌だ、それもそうだ、ちょっとでも動こうとすると「じっとしてろ、リンゴは動かない!」
それでも根気よくポーズをとったのは、モデル料が支払われたから。銀行家の跡取りは金持ちだったのだ。「トランプをする二人の男」「赤いチョッキを着た少年」
朝は室内で、昼食後は野外で、それが日課だった。
「サンヴィクトワール山」プロバンスにある名山を何枚も描いた。松林の間から、家並みの手前から、さまざまな角度で。
しかし、いつしかそれは山と空と大地が一体となって、光の黄と形を示す赤、深さを導く青によって作り出される色のハーモニーへと変わった。
晩年に挑んだ「大水浴図」、裸婦たちの顔はいくつもの線が引かれ、形を成していない、身体に至ってはまるで”丸太棒”。ほとんどの部分が描き残されたまま。
これに触発され、わずか10年後、ピカソは「アビニョンの娘」を着手。そして更にセザンヌの「自然は球体と円筒、円すいからなる」の言葉から「キュビズム」へと進む。
セザンヌは印象派と行動を共にするが、最終的には離れて行く。パリの空気が合わなかったことと、モネたち印象派が光のみを追いかけ、絵画の構築性に欠けることが不満だった。
しかし「それでも、何と素晴しい眼を持っていることか」とモネを讃えている。そんな印象派が「印象派」と呼ばれることとなった作品「日の出(印象)」。
光の中にたたずむ母子「日傘をさす婦人」モネの妻がモデルと言われている。
「ヒナゲシのある風景」描かれているのは、さん然と輝く光。それは時間を止め、その一瞬の生きているよろこびを伝える。
セザンヌは同じ風景を同じ時間にキャンバスを立て制作した。モネは同じ風景を朝、昼、夕と異なる時間に幾点も描いた。
「一枚で完成したと言うのは、放漫なことだ」(モネの手紙)この「積みわら」は夏の終わり朝の作品。
「舟遊び」は国立西洋美術館の所有。ジベルニーの庭に作られた蓮池に掛けられた「日本橋」、これも季節、時間を変えて連作が残された。
この石の作品群も光の効果に寄る部分が大きい。朝と午後、夕刻ごとに違う光を受け、石が輝く面、影をつくる面の変化。
モネ最晩年の大作、「柳のある明るい朝」、原作は全長12m。この作品の前に立つと観客は描かれた景色を眺めることは無理。 眼に入るのは色の連なりと筆触の動き、それが無限の空間へと導く。絵画が「眼(め)」だけでなく「身体(からだ)」で鑑賞する世界。
モネの作品を表現する上で、石が映えることそれを念頭に下地作りを進めた。
障子紙に青色ガッシュを滲みこませる。それを襖(ふすま)3枚に敷く、縦95センチ、長さ5m40センチの、原作2分の1のベース、20日間の闘い。
一瞬にの光を追い求めたモネ、永遠に変わることない真理を求めたセザンヌ、互いの残した業績は今も受け継がれている。
「石で描くセザンヌとモネ」動画(ユーチューブ・3分30秒)
(レポート・ 三宅 優 )
建部の朝は、靄(もや)立ちこめる。お花見あとの春気分なのだが、「うー寒い」
でも町内のあちこちから季節を伝える旬の情報がいっぱい、ウズウズと閉じこもっていたら気持ちがコロナに負けてしまう。
そんな休日の建部町、富沢を拠点とする「里山建部」では、今日、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の「春の里山散策・たけのこ掘り」が行われた。
参加したのは市内中心部の家族ら6家族16人。参加者は先導車に誘導され、めいめい目的地に移動。途中、緑豊かな里山風景を楽しみながら。
会場に到着、目前には見事に整備された竹林、その下には「ニョッキ、ニョッキ」「グ~ン、グ~ン」たけのこ、タケノコが勢ぞろい。
タンポポの群生する草むらに設置された家族ごとのテーブル席、そこで講師のタケノコの育て主、松本さん、同じく杉本さん、竹細工、担当の河原さん、
そして当新聞編集長で里山の主宰者、勝部が紹介される。
その間、こどもらはと言うと、「あっ、何々がいる!」「わー、こんなのつかまえた!」開いた手袋に乗っていたアマガエル。虫取り網を振りまわして大はしゃぎ。
「でも今日はタケノコ掘りに来たんでしょ?」親の説得にやっと回れ右。
そこへ、80歳半ばを過ぎても変わらず竹林の保全に心血を注ぎ、竹を知り尽くした松本名人が来られ、その師匠がツルハシを手にタケノコ掘りの仕方を伝授。
「傾いた方の前から鍬を入れます、そうして両脇、また前、両脇、そうして前の根元からグッサリと打ち込んで、持ち上げ・・・」
「ウワッオー!」(参加者)
掘り起こされた見事なタケノコ。
そうして、いっせいに始まりました、見よう見まねのタケノコ掘り(笑)
「この辺からやってみよう、せ~の!」
・・・でも意外と地面は強固、ツルハシも跳ね返される。
それでも家族団結、「せ~の、せ~の!」唱えること数十回。
「あっ、チョッと動いて来た!」
グラグラ、ドシドシ、ウ~ン、コレデモカー・・・「ズサッ!」
ずっしりとした竹の子が登場。
掘り始めは手こづってたけど、慣れて来ると「もう1ッ個、掘りたーい」
「タケノコ掘り」、街の人ではやったことがないだろう、すっかり親子ではまり込む(笑)
午前中は肌寒く、お日様が恋しく思われたが、昼も近くなると日影に移り、時おりの風がすがすがしく感じられるように。
各参加者の手には苦労して掘り上げたタケノコ。どうして食べよかな、筍ご飯、天ぷら、煮物、チンジャオロースー・・・。
締めは編集長、勝部から。
「人と自然との接点が里山です。ここで人の手が入ることで自然は生き返ります。竹もそのままでは密集し荒れてしまう、タケノコを掘ることで林が生きていける。今の私たちに必要なのは、本来あるべき互いが共存する生き方ではないでしょうか」
会場を鳥越池ベースキャンプに移してからは自由時間。「竹切り体験」「竹トンボ」「竹笛」、講師の河原さんの準備した竹遊びに子ども(大人?)が夢中。
陽射しに移るシルエット、里山時間はゆっくりと流れる。いつの間にか子どもらは山のてっぺんに設けられた展望台、目がけて土まみれの登頂アタック。
こうなると親が止めても子は気かぬ、好きにさせましょう。
木陰に掛けられた網かごにはモンシロチョウ。それ以外にもいっぱいおみやげ見つけたのかな。
今日の感想文「たけのこのほり方をはじめてしった、しぜんにかんすること、なんでも行いきたい」
自然に関することたくさん身につけて、力強く・・・羽ばたいて!
(取材・勝部 公平 三宅 優 )
小さな桜を味わった先週だが、やはり「桜はたけべ」を自負する町民の思いは「見ごたえのある桜」?
2年間コロナで中止だった、たけべの森公園の「はっぽね桜まつり」が今日、開かれた。
記者は急に出店が決まった団体の手伝いで行くことになり、せっかくなので現地にて生発信。
午前9時、会場の芝生大広場にはこじんまり、テントが1,2,3・・・10テント、再開されたと言っても現状に応じた
縮小規模での開催。
それでも、建部で採れたての山菜、野菜、コゴミ、ワラビ、ウド、新玉ねぎ、ほうれん草が並ぶ。
「建部町観光協会」、地元ナチュラルスイーツの「チュプ」、地元ボランティアによる、うどん、シシ汁、山菜おこわ、地域の手作りいっぱいの「あったかブース」が並ぶ。
見覚えのある看板だと思ったら7~8年前?に当新聞グルメレポーターが描いた作品(笑)。
「朝の光で桜を撮りたい」広場の前に続く桜トンネルを行く。
身体いっぱいにサクラを受け止めながらの散歩、「小さな桜、豪華な桜、ともに今を謳歌」
名所「藤右衛門桜の小径」は桜より山ツツジが見事。辺りにはミツバチの「ブ~ン」が飛び交う。
広場では若者たちによる「ヒップホップダンス」軽やかな衣装とリズミカルな動きで観客を引き付ける。
スマホを構え前を陣取るのはパパママ親衛隊。
「子どもらの3年ぶりの演技を逃してはならぬ」撮り手の熱い思いがつたわる。
続いて登場は「建部はっぽね太鼓」。同じく3年間のブランク、練習もほとんどできなかったと聞く。
第1打の「ド~ン!」、瞬間に「ああ、この音・・・」何とは言えない感動が沸き起こる。
「そ~れ!」
「どっこい、どっこい、どっこい・・・」
「そ~れ!」
ピーピーピー ピーヒャララ・・・笛が唄い大太鼓が吠える。一打、一打、いつくしむように、まるで長い眠りから覚めた獅子。
休憩所の中央テントや芝生に敷いたブルーシートには、まだお昼前だが大勢の「花より団子」
会場はとにかく広い、コロナの感染密度は薄く、心配することなく楽しめる。
「ねえねえ、私も撮って」ギャラリーの注文を受け「パチリ」
大人も子どもにも人気?駄菓子屋さん、綿菓子はフル稼働。スイーツ「ちゅぷ」にもひっきりなしのお客さん。 大事そうに駆けてきた子どもの両手にはラーメン。
再び、広場催し場、「お待たせしました」と「晴吹」出演。今も3年前のにぎやかだった演奏シーンが浮かぶ。
管楽器のチューニングの後、代表の佐藤さんが、相変わらぬ軽妙な語りで曲紹介。知っているメロディが奏でられると会場からは手拍子。
「パプリカ」では子どもらが体をくねらせながら手を叩く。
大きな拍手で迎えた「アンコール!」
「宇宙戦艦ヤマト」の演奏と船長に扮する歌い手のパフォーマンスにお花見気分はここで最高潮に。
見る物も見て、食べるものも食べて、・・・観客は帰るでもなく、さらなる挑戦へ。
丸太切りをする人、消防士に挑むちびっ子・・・。
さあて、そろそろ帰りの仕度をするか、でも、ラーメン「あがりゃんせ」と「建部ヨーグルト」には長~い列。
(取材・三宅美恵子 写真・三宅 優)
4月最初の日曜日、鳥のさえずる声に目を覚ます。廊下のカーテンを開けると、まばゆいばかりの光。
「そうだ、やっぱり桜を観に行こう」
これまで6年に渡って、たけべの桜を取材してきて、でも今年はコロナが収まらないこともあるけど、どことなく気分がのらない。それが、きれいに晴れた空を見て「今日が、もったいない!」。
家を出て、坂道を下るとすぐの山に桜。クマザサに覆われた中にスクッと立つ。道々の畔や畑にはタンポポ、すみれ、つくし、家々の庭にはジンチョウゲ、レンギョウ、ユキヤナギ、ヒメコブシ、さまざまな花が咲き誇っている。そんな中を散歩しながら町中へ。
今は医療専門学校となっている旧福渡高校の校舎前、桜が迎えている。
そばに残された当時の碑、「自ら学び 我が道を 雄々と 行かん」福高の学生たちの声が聞こえて来そう。
隣の山あいにある妙福寺。門前にこれぞとばかりの桜、「まるで京都にでも行ったみたいじゃ~ん」
まわりでは、ブンブンと日本ミツバチが収穫中。山門の両脇に睨みをきかす金剛力士も今日ばかりは花見を楽しんでる様子。
傍らの今月の聖語を拝読すれば、「仏くようの功徳は莫大なり」
仏さまに会いに来たんじゃないけど「多いに眼福、莫大なり!」
そこから線路伝いに山すその小さな公園へ、「福渡上ちびっ子広場」。ちびっ子じゃないけど(笑)。
「ブランコで サクラ眺める また楽し」来年は弁当作って食べに来たいな。
郵便局までテクテク、八幡橋のたもと、そこから向こう岸に渡りトボトボ。変わりなく満開の姿を見れたことに感謝。
そこから右岸に沿ってトポトポ、二差路におわします交通整理の桜巡査。
対岸を望むと幾台も車が停まってる。そろそろ、カヌーの季節だね、きれいになった幸せ橋での応援は始めてだよ。
「めだかの学校は~」春の小川広場はお客さまでいっぱい。
「ママー、おにごっこしよー!」桜の下で、子どもと親の遊びの時間。
建部っ子たちの学びの場、建部中学。桜は刈り込まれこじんまり、でもこのシーンを見て思い出す卒業生は多いと思う。
親水公園。建部町の自慢、建部文化センター。その土手沿いに、まだ若い桜並木、旭川のせせらぎ、独占しようもないほどの河原、子どもらが駆けめぐる。
しあわせ橋を対岸に戻り、サクラ河川敷を行く。若い人たちがてんでに車を止め、家族時間を満喫。
以前だったら「ユニバーサル」だの「ディズニー
」だのに行ってただろう世代。コロナのおかげで却って自分の身の回りのいいところを見つけられたのかな。
帰路に着く。石引川の桜、これまで幾度となく、この下で宴を楽しんでいた人たちの顔が浮かぶ。
あの人、この人、少しづつ「さまざまなこと思い出す桜かな」(近くに建つ、松尾芭蕉の句碑)
福渡八幡神社、室町以前にさかのぼる由緒正しいお宮様。そこで広がる桜に手を合わせ、今日、一日に感謝!
(おまけ)
ギャラリー前の桜をバックに、今年もサン太(愛ネコ)といっしょに「ええニャー、さ・く・ら!」
(取材・三宅美恵子 写真・三宅 優)
「三寒四温」昔の人はこの季節をうまく言い表している。先日まで、もうストーブはいらないと感じるほどの温かさ。それが今朝は岡山市が推進する「クリーン作戦」実施中もゴミを拾う手がかじかむ冷え込みで、河川敷の桜もまだ固いツボミ。
そんな中、ここ建部にある岡山市環境学習センター「めだかの学校」では久しぶりに朝から賑やかな家族連れの声。
恒例となっている環境学習「巣箱作り」、これまで富沢の里山で開かれていたが、今回は6家族15名の少人数で学校敷地内広場で行うことに。
参加者の中には学校の体験学習にこれまでに何度も参加された方が。
「まあ三宅さん、お久しぶりです、もう今年で最後、この子も卒業です」
そう言われて振りかえれば、小さかった頃から色々な体験をいっしょにやって来た事が思い出された。
今日の講師は、そんな私より更に先輩の当新聞編集長の勝部、それと環境学習センター指導員の沖さん、職員の安田さん。
沖指導員から製作手順の説明を受け、参加者はあらかじめ
用意された巣箱キットを手にさっそくに各テーブルで作業に入る。
「まず背板の下から4センチのところに線を引く」お母さんが手順書を読上げると
「えっ、下から4センチって?」子どもの戸惑う顔。
定規、エンピツを板に当て、親子で相談「これで、いいんじゃない?」
少しづつ形が出来てくる。しかし材料はキットと言っても規格化された市販品ではなく、あくまでも手作り。形も大きさも、ソリもあってマチマチ。
「先生、すみません、底板が大きくて横板が出っ張るんですが」
「じゃあ、底板の方を少しノコで切ってみたらどうでしょう」こんな臨機応変、その時その状況で解決を見い出していくのが、体験型学習の面白さ。
「トントントン」「グルルルルー」金づちのはずむ音、電動ドライバーの振動音、野外での作業が着々と進む。
シジュウカラ、ヤマガラ、これから5月にかけて巣箱を探しにやって来ることを頭に描きながらの親子共同モノ作り。
いつの間にかお日様も照り始め、朝方の寒さも一段落。
そして、いよいよ完成。
「やったー、すごいじゃん!」思いがけないほど見事な出来栄えに満足なお父さん。
「これなら、トリさんたちもぜったいやって来るヨ!」とお母さん。
「ウン、ウン」と手ごたえ十分にうなずく子。
わずか2時間、でも学んだことはいっぱい。
「金づちは叩き過ぎると板が割れる(笑)」「木ねじはドライバーがすべると頭がダメになる」「キリは両手で下に押しながらこすらないと穴が開かない」
記念写真は水族館入り口前、また次回の出会いを願って。
(取材・ 勝部公平 三宅 優)
東日本大震災から11年、今年も晴れの追悼日となった。世界では新しい戦争が始まりコロナを克服するうちに、もっと恐ろしい人間同士の諍いが広がるのか。
夕刻、1年分の牛乳パックを並べる。10個で11のサークルを作る。
水を入れたパックの一つづつに灯したキャンドルを浮かべる。
2012年、2013年、2014年・・・これまでの11年の時間が巡って行く・・・。
(レポート・三宅 美恵子 写真・ 三宅 優)
先月の専門学校生たちによる「JR福渡駅」の掃除、たくさんの方から「感激
した!」のコメント。
それでと言うわけじゃないが今度は地元の大人たちが、
「じゃあ、わしらだって人まかせにせず、できることをしよう!」と立ち上がった。
「しあわせ橋」は昭和60年代に旧建部町時代の夢のシンボルとして作られた、言わば「肝いり」の建造物。何度も流されたが、その度に行政の支援で復旧。ここから「かならず戻って来る、しあわせの橋」と言われるまでに。
ところが復旧して喜んだのだが、その後の維持が・・・。一番は川に発生するウスバカゲロウなどの昆虫の残骸、クモの巣、緑ゴケなど。これが、白い欄干をひときわ汚く見せている。
こうなると通行人は見ないふりで、手を体にくっつけ、できるだけ触れないように前だけ見て歩く。せっかく川とのふれあいを味わうために作られたのに・・・。
「お役所に言って何とかしてもらえない?」「だれか、やれないの?」嘆く声はいっぱい。
「なら、自分らでやろう!」
「わしらの町だもの、わしらの力でキレイにしよう!」
こうして集まった両岸の地区、福渡と建部上の”老々若男女”13名のボランティア。年齢性別、関係ないよ、大切なのは「❤(ハート)」
参加者はバケツ、タワシ、雑巾持参で、ゴム手袋に長靴で駆けつけてくれた。「いざ、しあわせを磨けー!」
とは言え、全長120m、スパン6mが20スパン。左と右で240m。「ゴシゴシゴシ」、「ジャブジャブ」
1年こびりついた垢をここぞとばかり擦り落とすのだが、すぐにバケツは緑ゴケでまっ茶色。10数個のバケツをフル稼働し、川水を一輪車で汲んでは運び、ロープで直接、汲み上げたり。
開始1時間、両岸から攻めているが、まだ遠い。
「こんなに,汚れているとは思わなかった」
「いやあ、自分の車を洗うのでも、ここまでせんわー(笑)」
用事で通りかかった歩行者の方も
「まあ、気になっていましたが、ありがとうございます。次はやりますので声をかけてください」
これだけの長さ、やはり人海戦術なくしては終わらない。
そうして開始2時間、双方からの掃除人が中央でドッキング。
「やっったー!」
「きもちいい~~」
「そう、ピッカピッカだよね」
いつしか太陽も南に移動し、陽に照らされた「しあわせの橋」は、竣工当時の真珠のような白い輝きを取り戻した。
(取材・三宅 美恵子 写真・ 三宅 優)
お昼過ぎの福渡駅前、今日も静かと思いきや、そこで顔を合わせた福渡町内会、会長さんとタクシー運転手さんとの会話。
(運転手さん)「会長さん、今日ここに来たのは何があるんですか?」
(窪藪会長)「いや、実は前にある専門学校の生徒さんが駅を掃除してくれると申し出てくれて・・・」
その説明をしている間に、ガヤガヤと賑やかな集団。
「おっ、やって来た、やって来た、学生さんの到着だ」うれしそうな窪藪会長。
駅の掃除に参加してくれたのは「岡山・建部医療福祉専門学校」の3年生の生徒さん13名。
何でも「卒業を前に何かこの町で、できることはないかなあ」と学生さんの問いかけに、先生が「じゃあ、福渡駅の掃除をしたら」と提案したのがきっかけだとか。
一行はバケツ、ホウキ、チリトリ、ゴミ袋を手にさっそくクリーン作戦にとりかかる。
ハタキで蜘蛛の巣を払う、ぞうきんで窓を吹く、草むしり、掃き掃除・・・、雨の日、風の日、猛暑日と3年の間、利用してきた思い出がつまった福渡駅。
「あっ、見て見て、こんな所にこんなのがあった?今、はじめて気がついた」
あらためて見てみれば、今まで気づかなかった駅舎の風景が目に入る。
3~40分も人の手が動くと構内の床も窓も見違える。
「さて、じゃあ、この辺で次に移りましょう」先生から更なるミッションが出される。
「えっ、次があるんですか?」コロナ禍で取材先を探していたoniビジョンさんは、今日の情報をキャッチするや素早く駅に出動。先ほどから、若者たちの熱心な活動にカメラを向けていた。
「このまま、町中を一周して掃除してくれるそうです」記者の説明に、「ホー!」と感心しきりで、重いカメラを再び肩にかつぎ直す。
「お世話になったお店の前も、きれいにしましょう」先生の言葉どおり、洋食屋さん、お好み焼屋さん、うどん屋さん、店の前の道に捨てられた吸い殻や紙くずが拾われる。
同行した窪藪会長はずっとこれを見てニコニコ顔。
「いやあ、ここの通りをこれだけ若い人が歩くのを見るのは何年ぶりじゃろう、それにしても、いい縁ができたことが何よりもうれしい」
開始から1時間ちょっと、福渡ストリートは若者たちに元気をもらって輝いて見えた。
「今度は1年生がやりますから」新たな申し出に、町内会長、共々、感謝、感謝!
(取材・写真 三宅 優)
編集長(勝部)から「一週間遅れで咲き始めました」のメールと写真が届く。
「そうかなあ、こんなに寒いのに咲くかなあ、どっか別の日当たりのいい所じゃないの」半信半疑な私。
そこでわずかに寒さがゆるんだ気がする今日(前回「春を探すお年寄り探偵団」がレポートしてから10日後)目的ののセツブンソウを尋ねてみました。
セツブンソウの群衆地のある地域を車で行くと、回りの木々は冬枯れてまだ黄も紅も彩りどりがまったくない。
「やっぱり早いんじゃないのかなあ」そう頭で思いながら到着。
まわりの畑は以前はなかったイノシシ除けにしっかり囲われている。花の咲く斜面は下草がきれいに刈られ、手入れが整っている。
そして所どころに白い点々。
「あっ、咲き始めてる!」
一度、見つかると次々にツボミが目に入る。中には可憐な花びらをけんめいに開いているものも。
「さすが、”森の妖精”って呼ばれるのが分かるわ」
一人納得しながら、この寒さの中、凛(りん)と咲く姿にしばし見とれました。
今の時季、マンサクや梅もまだまだ、近所の寒椿の花びらも凍えていますが、ガマン、ガマン、春はすぐそこ。
(取材 三宅 美恵子・ 写真 勝部公平/ 三宅 優)
小春日和?富沢の「里山建部」ベースキャンプで何やら考え中の人。
「う~んとねえ、いろいろ探してみたんだが、今年は意外と遅いねえ・・・」当新聞編集長、勝部が言う。
それを聞きながら「そうですか、もう、マンボウで、人のかかわる行事がすべてなしになって、この時季を伝えられるものはないかと・・・」
oniビジョンの岡本記者が、依然と猛威を振るうコロナの中で人の営みを取り上げられない苦々しさを口にする。そこで描いたのは”建部の春を探そう”。
「まずは、ここの周りを歩いてみましょう」勝部の案内で池に沿って春探し。
里山の活動も、今年の仕事始めでは少し汗を流したが、その後のマンボウで予定していた「シイタケの菌打ち」「炭焼き」が中止。
キャンプでは割られたマキだけが活動を伝える。実際、この冬は寒さのせいか薪を求める人で引く手あまたの状態、薪ストーブを使う若い人が多くなったとか。
「そうだね、マンサク、水仙、まだまだだなあ、タラの芽も堅いし・・・」編集長、春を見い出せず、せっかくの取材がボツ寸前。
「あっ、ここに一つタンポポが咲いてます」記者が足元で見つける。
「おお、咲いてたか、これは西洋タンポポだな、やっと春一つ、見っけ!」
続いて、編集長宅へ。敷地に植えられた庭木の中にひょろ長い枝に紅いツボミ。
「ネコヤナギだよ」二つ目を示せて満足そうにニタリ。
そばに建つ成就寺へ移動、三重の塔が出迎える。境内の一角、鐘楼の脇に丸ーい、黄色い花。
「ああ、やっぱりここは、回りが見渡せて日当たり良いから、咲くんだね。これがロウバイ」
三つ目の春は、その可愛らしさを建部平野に向けて花開く。このかぐわしい香りを届けられないのが残念
。
またまた移動、地元を流れる田地子川の岸辺。このあたりで一番早く開花する桃の花。だが、確かに今年はゆっくりしている、どれもツボミのまま。
でもよーく観ると一つ、二つ、咲いている。
「春は来てるんだよ」うれしそうに勝部。
ここから、記者の住む地区に足を延ばす。カモが大軍団で飛来してるよと話したから。
「さてさて、カモたちはおとなしく待っててくれるかな」
ここからは記者の「春、案内」、一つくらい見つけなくては。
幸い、カモ君はどこにも遊びに行かず池で浮遊中。さっそく「ピッヒー、ピッヒー」と怪しい人間が来たことを仲間に伝える。その数「いち、に、さん、し・・・四十四(よんじゅうし)」
そばの山の斜面に黄色く咲くのはスイセン。
ポイント1点、ゲット。さらに近くの落葉をパッパッとかき分けて出てきたのはフキノトウ。
「これはね、また、落ち葉をかぶせて、もう少し開くまで隠しておくんだよ」記者の頭には天ぷらになったフキノトウ(笑)
どうにか、自称「建部マイスター」を唱える二人の面目を保ち、2月最初の「建部の春を探せ探検団」の任務終了。次回、第2弾は今月中旬かな、乞うご期待。
さて、この時期、我家のヤギも春の緑が待ち遠しくて、今日も笹の葉でガマン・・・。
(取材 勝部公平・レポート 三宅 優)
今朝の我家、外気温はマイナス1.7度。「え~、何でこんな寒い時間から歩くのかなあ」愚痴をこぼしながら身支度する。
新年最初の「建部町歩こう会」、第414回目となる今回は、
恒例「建部六社詣で」
「そんな早くないよ、年寄りはもうとっくに起きてる時間だよ」妻の言葉通り、午前8時30分、集合場所の八幡温泉駐車場には20名からの参加者がスタンバイ。
さっそく新年初のラジオ体操でストレッチ。「ポキ、ポキ、痛てて・・・」完全に体が固まっている。記者より年上の参加者は慣れた動きで 「いち、に、さん、し」
会長の本田義章さんから「新年最初、普段の生活ができるように今年も歩いていきましょう」と挨拶。まずは、近くの七社八幡宮から。
境内には焚火の後が残る。昨日、建部上の「とんど焼き」があったそうで、オニビジョンさんも来たらしい。(このところ、たけべ新聞は後れを取っている?)
そこから山沿いに富沢へ。道沿いに最近、目につくのが落としたマスク。その人は顔にマスクがないのも気付かず帰宅したのだろうか?
富沢神社、階段がほとんどないのでお参りし易いコース。本殿上の鬼瓦には”鬼”ならぬ”恵比寿様”がニッコリお出迎え。ついつい、お賽銭を奮発。
そばに取り付けられた黒板には「金一封者」の名前がチョークでズラリ、見覚えのある名前もしっかりと
「ここは恵比寿様がおられるだけにお金が集まるわ」と勝手に納得。
ここまで来ると、かじかんだ手足も温もってきて、お日様も顔を出して気分も上場、心もなごんで会話も増えてくる。
「今年の正月は子どもらが2年ぶりに帰って来たのよー」
「まあ、そう、良かったじゃない、ええ正月じゃったなあ」
いつしか「中田天神宮」の鳥居が見えてくる、そこから長い境内への道。
「私しゃあ、ここで待っておくわ、代わりに行って来て、せえでもあんたは元気で若いなあー」
「そげんおだてても、なんにも出んよー(笑)」
今年の笑い初めが石階段に響き渡る。
そこから建部駅前にある「福祉交流プラザ」で一休憩、ちょうど今日からこの27日まで
「ふれあい展示会」を開催。
手作り小物、手芸品、焼物や写真やスケッチ画の力作が並ぶ。どれも長い時間を感じさせて作ることの喜びが伝わって来る。
プラザを後にしたのは11時、「今日は早いなあ」と誰もが思ったのだが、前半が楽勝は、たいがい後半にガクッと来るパターン多し、行きはよいよい帰りはコワイ!
西原、鹿島神社のまっ
すぐに伸びた参道、「うむ、けっこう長いなあ」
一人、二人と「私、ここで待~つわ」 ”あみん”?が続出(笑)。
市場「眞名井神社」町中の平坦な道を行く。境内には可愛らしく剪定された椿の木、今ちょうど黄色い蕾をつけている。
そこから再び、民家を抜け、ゆっくり、ゆっくり、「あともう一つよね」と誰かが念を押し、「そうだよ、さあ元気を出しましょう」と誰かが励ます。
本日の最終詣で、宮地神社に着いたのは正午を回った頃。
「やっぱり、けっこう時間がかかったなあ」「うん、もう、早う歩けんなあ」
とは言ったものの、皆さん、次なる会にも意気込み十分。
2月は「陣屋町足守町並み雛めぐり」電車を乗り継ぎ、徒歩で散策。
「う~ん、歩き甲斐あるぞー」(笑)
(レポート・写真 三宅 優)
新年、最初の「たけべ人」紹介。
世界中を震撼してやまないコロナ、日本では平静さを取り戻してきた感があるがこの先まだ予断を許さない。
この災禍において国民の多くが学んだことは、医療を受けれることのありがたさ。
今回の「たけべ人」は建部町及び久米南町地域1万人をカバーする唯一の病院である「福渡病院」の院長として昨年4月に就任された建部町出身、堀内 武志(たけし)先生にお話をお聞きしました。
*(注)「福渡病院」正式名称は「岡山市久米南町組合立国民健康保険福渡病院」
(聞き手・勝部 公平 写真・三宅 優)
堀内 武志(たけし)
昭和41年、生まれ(55歳)
福渡小学校、建部中学校から岡山一宮高校を経て自治医科大学医学部に入学。
平成4年、大学卒業後、県内各地の病院に勤務。
令和3年4月、福渡病院 院長に就任。
総合内科専門医として内科全般とプライマリケアの診療を行っているが、特に専門は呼吸器内科。
妻と子どもの5人家族、趣味は釣り、読書、寺社巡りなど。岡山市在住。
(聞き手 勝部 公平) 「コロナも少し一段落して、やっとお話をお聞きしても良いかなと考えまして、今日のご無理をお願いしました。さっそくですが、先生はこの建部のご出身ということですがどちらですか」
(堀内)「ここ福渡です、小学校は福渡小で、中学は建部中学でした」
「じゃあ、いろいろと思い出もおありでしょう、その頃の福渡はどうでしたか」
「いろんなところに自然が残っていましたね、田んぼもいっぱいありました。川にもよく入りました。モジを仕掛けたりヤスで突いたり、プールがなかったので旭川が泳ぐ場所でした。
八幡橋の下では年1回、ハエ釣り大会がありまして、日本中のハエ釣り師が集まったりしていました。私も釣りが一番好きでした。山にもよく入りました、自転車で駆け回った思い出があります」
「学校での思い出とかありますか」
「中学1年の時、文化祭がありまして、建部町の標高地図を立体的にして作ったことがあります。建部町の歴史について日野先生に教わったこともあります。
それとあまり知られていませんが建部には古墳がいくつもあって、グループでそれを探して見て回ったりしました。中学校時代は山本教公先生が3年間連続で担任で、とてもお世話になりました」
「クラブ活動とかも盛んでしたか」
「そうですね、小学校はソフトボール少年団で中学は卓球部、高校はハンドボールをしていました。勉強もしていましたが、短歌と俳句、詩を書いて投稿したりもしました。
高校では、建部町の夏祭りのことを小説に書いて賞をもらったこともありました」
「医者を目指されたのはいつ頃ですか」
「一宮高校の3年の時ですね、母親が看護師をしていたこともあって、自然とそうなっていきました」
「進まれたのはは自治医科大学医学部だそうですが、どのような大学でしたか」
「自治医科大学は、”医療の谷間に灯をともす”ために、47都道府県が設立した栃木県にある全寮制の大学です。へき地医療、医師不足の地域を支える医師を育てることが建学の趣旨です。
毎年、各都道府県で合格してから2、3名が入学し、学費と生活費が免除されるかわりに9年間を県職員として働くことになります。
僕の場合、4年間を岡山赤十字病院で、5年をへき地中核病院や兼務で診療所で勤務しました
自治医科大学は、地域医療のスペシャリストとして地域に残る人が多いです。有名な方では、新型コロナウィルス政策分科会の尾身会長は第1期生です。
岡山済生会病院の塩出純二先生や、県内では湯原温泉病院、鏡野町国保病院、美作市立大原病院の院長も自治医大卒業です」
「そりゃあ、すごい大学ですね。先生は呼吸器がご専門と言うことですが」
「実際には内科一般と、プライマリケアが中心で、なんでも診るといった感じです。呼吸器内科の専門医ですけど」
「この30年ほどの間に随分と医療のあり方が変わりましたね、今は地域包括ケアシステムが盛んに言われてますが」
「平成2年のゴールドプランから平成12年介護保険制度、そして平成26年の地域包括ケアシステムへと高齢化が進むに連れて変わってきて、それについて行けない病院や医療施設も出てきました。
福渡病院も令和元年9月に国がすすめる地域医療構想の再検証対象になったわけで、そのことで病院のあり方と存在意義を再確認できました」
「福渡病院は旧建部町の時代から久米南町と併せて、この地域、唯一の病院として機能してきたわけですが」
「今は国の方針である地域包括ケアシステムのこの地域における中心拠点として福渡病院があるべきだと考えています。
そのためには久米南町と岡山市の自治体を超えた取り組みが必要で、地域の医療機関や旭水荘などの介護施設などの地域全体との連携が大変重要です」
「そうですね、そうやって地域を上げた支え合いが求められている時だと思います」
「そのことで言えば、まず地域を愛する心を持つことが大事かと思います。住んでいる人がこの建部はいい所だよと自慢するようになれば繋がりは強くなりますし、子どもたちにも
その良さを伝えていけば、一旦、他所に出たとしても必ず帰ってきます。
昔、イギリスのチェスタトンと言う人が
”ローマ帝国が栄えたのはローマが偉大だからではない、ローマの人たちがローマをすばらしいと思っていたからだ”と言いました。
まさにそれだと思います、建部の人がここをすばらしいと思うことで、ここは盛り上がっていくと思います」
「私も岩手が故郷で仕事でここに来て、そういった目で見るといい所がいっぱい見つかるんですよね」
「建部は古くからの歴史を持つ地域です、今もそれを伝える所がたくさん残っています。多自枯神社、志呂神社、和田神社などはとても由緒あるお社(やしろ)です。
豊楽寺は辺り一帯を治めるほど栄えていましたし、鶴田、三明寺、大田の山にはお城がありました。
昔、市場には宮大工が多く住んでいて、旭川を行き来する高瀬舟を造っていましたし、川口や福渡、中田には渡し舟がありました。周辺の山ではマツタケがいっぱい採れて、マツタケ列車が走っていた、そんなことを知っている人が今どれくらいいるでしょうか、たぶん学校でも教えていないのでは」
「学校では標準的な教育が優先して、中々そういった時間も取れないのでしょう」
「学校の写生大会や遠足などを通じて地域の良いところを身に付けさせたり、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんから子どもの頃の話を聞くのも良いと思います。
それと、この建部町時代に編纂した建部町史はとてもよく出来ています、おそらく町史で3巻も作られているのは他にないのでは、大変、貴重な資料だと思います。私の愛読書です。
私もこういったことを話せる機会があれば、できる限り出向いて伝えたいです」
「最後にいくつかご質問を、まず、これからの福渡病院についてのお考えをお聞かせください」
「地域医療を基本に県内の病院等とも連携し、専門外来を増やしていきたい。診えるを増やすことで人も段々と増えていくし、地域のニーズがあれば医者も増える。それと地域の介護施設や行政とも協力し地域包括ケアシステムの中心拠点として、”福渡病院に相談したら何とかなる”と言われる病院を目指したいです。問題は医師不足で、地域の自治会等からも医師確保のための働きかけをして頂けないかと願っています」
「今のコロナについての対応については」
「まずワクチン接種の第3回目を当病院でも行いますので、その際はよろしくお願いします。それと風評はあまり気にせず、恐れすぎないようにしてください、正しく行動することが大事です」
「ご自分の健康管理はどのようにしてますか」
「妻と歩いていて、月に30km、ウォーキング、ジョギングをしています。しかし、福渡病院赴任後は休みがなく、睡眠時間を削っている状況で健康管理の難しさを感じています。
一般的に、健康に長生きするためには、歩くこととストレッチが大切と言われています。ストレッチは大切ですが、あまり知られていません。筋肉のしなやかさがあると、怪我をしにくくなり、これを保つことが老後を快適に生きていけるとも言われています」
「これからの地域を担う若い人へ、一言」
「 建中の石碑にある”自ら学ぶ” これは今も私の座右の名です。そして人の責任にしない、自分で努力する、そのことが大切だと思います」
「どうも、ありがとうございました」
(対談を終えて)
今回、先生のお話しをお聞きして、今さらに地域医療の大切さを痛感いたしました。
国の政策等では地方自治しか論じられていない中、地方自治医療の在り方が、これからの地域における少子高齢化社会の根幹になって来ると感じられました。
建部ご出身の先生は、建部の在り方についても述べられ、長い人の営みから生まれた文化や歴史を大事にし、今、住んでいる人が、地域に誇りを持てるような
継承活動が重要と話されました。私事ですが、20数年前にバングラディシュに行った折り、ダッカ空港の薄暗い壁に「マイカントリー、マイプライド!」と
書かれていたのを思い出しました。
「私の国が、私の誇り!」経済的豊かさだけを追い求めていては、背骨のない根無し草になってしまう、そんな思いが脳裏に浮かんでいます。
(勝部 公平)
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