■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
今月は自力で古民家を改装して「石窯ぱんや nico」を開いた坂本清秀さん。
(取材・写真 三宅優)
(プロフィール)
坂本 清秀(きよひで)
昭和52年、津山に生まれる(40歳)
県立津山高校卒業後、立命館大学文学部入学
卒業後、パン職人として働く。
2006年、建部に古民家を購入、自らの手で
改築し6年後、「石窯ぱんや nico」を開店
現在、奥さんと子どもの四人暮らし。川口在住
今や建部町で開かれるお祭り、イベントではレギュラーとして、すっかり地元に定着した”石窯パン”の「nico」さん。
こんな田舎町の、しかも田んぼ道を分け入った場所にあるお店。作るパンは超本格的。”甘くてフワフワ”がほとんどの
日本ではまだまだ一般的ではない。
それでも「本当に食べてもらいたいものを作りたい」店を始めて6年、オーナーの
坂本清秀さんに聞きました。
(聞き手 三宅 優)
高校の頃のことからお聞きしますが、津山高校ではサッカー部だったそうですね
「ええ、サッカー部でフォワードでした。県大会ではベスト8まで行きましたかね、でも進学校だったので勉強との両立が大変でした」
スポーツはもともとお好きだったのですか
「特にということはありません。子どもの頃は外の田んぼで野球とかしていましたが、本を読むのも好きで、どっちもよくやっていました」
それで大学は文学部に行かれたわけですね
「いや、そこしか入れるところがなかっただけで(笑)、文学部と言っても、それほど文学をやるということもなく、ただ4年いた感じですね」
で、その後も京都に留まるわけですよね
「ええ、12年いましたかね。僕らの卒業した頃って、すごい就職難の時で。
一応、就職活動をして当初、警察官を目指したのですが、1次までは行くんですが結局、面接でダメ(笑)、
就職浪人のかたちで居酒屋とか職を転々としましたね」
そうした後にパン屋さんに就職することになった
「はい、まあ営業とかの普通のサラリーマンには向いてないとわかってたので・・・」
そんな中、京都で別のパン屋さんにいた高校の同級生の奥様とご結婚、独立されるわけですね
「お互いに、何かをゼロからやってみたい!という思いがありました。京都でやるには資金的にも難しい、なら田舎でやろう。
それも津山よりもっと田舎の、それも古民家でやりたいと」
で、この地を選ばれたわけですね
「ええ、畑もあって、駐車場スペースも十分あったのでここに決めました」
それから、ご自分で家を改築されてきた
「はい、当時、リーマンショックとかあって、スムーズに店を開く状況ではなかったので5年くらいかけて直してきました」
大工仕事はどうやって学びましたか?
「父親が大工なので、中学生の頃から小遣いかせぎで父親の手伝いをしながら何となく
仕事のやり方を覚えていきました」
どうですか、開店してからの感想は
「オープンして6年目ですが、パン作りで言えば始めた頃は失敗もして、今考えるとうまくできてなかったですね。最近は安定してきたと思います」
今はお店は毎週水曜日のみ営業で、それ以外は定期市の出店やパン職人で出られることも多いようですが
「ええそうですね、あれから子どもも出来て家族のあり方も変ってきたので、外の仕事も引き受けてやっています」
将来的にはどのようなプランをお持ちですか
「気分的にはじきに(笑)、でも子どもが大きくなるまでには、隣でカフェもやれたらいいなって二人で話しています」
「ありがとうございました」
ニコぱん、おいしさは特集「たけべ満食」で詳しく。
お店情報はこちら
「nico」さんFacebook"←はこちら。
(記者感想)
記者が建部に越して来たのより3年前、ここにやって来た坂本夫婦。しかも同じ不動産屋さんだった。
その不動産屋さんから「若いご主人がパン屋を開くんで自分で家を直してるんよ」と聞いた。
自分で直す?パン屋?そんなことができるの?どんな店になるのかなあ。よく掴めないまま、こちらも来たばかりで
人の心配してる暇もなく時は過ぎた。
2年後、公民館で発行をした「タネピリカ」という新聞に関わることになりメンバーの奥さん(綾さん)とお会いした。
まもなく店をオープンさせるという。お祝いの「のぼり旗」を皆で作ることになった。
それから6年、店には何度か出かけ、好みのパンもできた。
当初、心配した「こんな不便な所で、しかも本格的な堅めのパン、これでやれるのだろうか?」
時が経つにつれ「本当に良いものだけで作る」評判は遠くの人にも伝わったようだ。
学生時代は野宿しながら自転車で四国を一周、そんなタフマインドの坂本さんの話から、
彼の根気強さを垣間見る。
(取材・写真 三宅優)
53号を自転車で南下、レンゲでおおわれた田んぼが見えてきた。懐かしのフォークも流れてくる。
もうすでにこの時点で”なつかしーい感”たっぷり。
第9回(なんと、そんなになるのか!)吉田れんげ祭りは本日晴天の中スタート。
会場に張られたテントではとびきりのうまい物を出そうと、老若男女のスタッフが大忙し。
レンゲの上に設えた真っ白いイスとテーブル。(おっ、新しくしたんだ)
「〇○さ〜ん、あとで食べに来てよ〜!」「あいよ〜!」こんな会話
があちこちで。
されどお腹は一つ、あれとあれと食べて、あとはおみやげにするか。とりあえずは取材だ!
何々?今日の出し物は、ヒップホップダンス(うん、うん)、ハチミツしぼり体験(こりゃあ絶対ゲット!)、
宝さがし(子どもが夢中になりそう)、オージンズのフォークソング(出た!公民館ユニット再び!)、餅つき体験(つきたて草餅は必ずうまい!)などなど。
おもしろい1日になりそうだぞ。
宝探しの開始!どっと子どもらがレンゲの草むらをかき分ける。「あったー」見ると、手に「あたり」のくじ。こうなったら親も見つけてやろうと必死。
こりゃあシンプルで楽しいゲーム。
山田養蜂場テントでは恒例「ハチミツしぼり」記者は、もう足かけ3年はトライ。今年、獲れたばかりのレンゲと藤のミツはどんなだろう?
あっという間に長蛇の列。
順番待ってるうちに、オージンズが歌い出した。前の公民館長もやって来て今回は地域おこし協力隊の新人、今田龍希さんがギターを持って加わった。
このユニット、上手くはないが味がある。
11時を過ぎた頃には、どひゃーと人がやって来て、そこらじゅうで、コロッケかじったり、うどんすすったり、てんでに好き勝手にのんびり。
これ、これ、これぞ「れんげ祭り」の正しい楽しみ方。
陽は真夏を思わせるほど照り、大地ではレンゲの草が香り、耳にはなつかしの歌声。
「ええのー」と爺さんも思わずつぶやく「吉田れんげ祭り」であった・・・シャン、シャン、シャン。終わり。
(取材・写真 三宅優)
スポーツの春がやって来た!4月28日(土)朝9時00分、快晴の大空の下、
「春季富沢朗人クラブ・グランドゴルフ大会」がはじまった。
参加者16名が2組に分かれて8ホールのコースを昼の11時30分ぐらいまで、
途中休憩を挟んで3ゲームを行いました。ゲームでは心身ともに真剣に立ち向かい、休憩では、仲間とコーヒーなどを飲みながら「そうだねー」と相槌を打ち和気あいあいの交流。
「朗人クラブ・グランドクラフ」は約20年の歴史があり、毎週水曜日と土曜日の2日、
20名ほどのメンバーで練習に励んでおります。
このゴルフはホールインを目指して、足腰の曲げ伸ばしとボールのコースや距離を考えながら体を動かすスポーツです。今日の大会の3ゲームトータルスコアは71から90台までですが、ゲームの間、百回近い運動と脳トレを行っていることになります。
1年間ですと1万回の勘定になります。健康寿命を高めることが国あげて求められていますが、グランドゴルフなども妙薬の一つではないでしょうか。
(取材・写真 勝部公平)
恒例となっためだかの学校主催「山菜採りとタケノコ掘り」。
そのおいしい評判が伝わって?毎年、定数30名を超える申し込み。今日も満員の家族連れが参加し、
富沢地区にある夙山(あしたやま)ふもとの里山キャンプで春を満喫した。
朝10時にはTシャツ1枚でOKな陽の照りよう。子どもたちはさっそく前にある鳥越池周辺を散策。
炭焼き小屋では今年出来たばかりの炭を自分の手で炭出し。
「えーこんなに真っ黒になっちゃったー」手を炭だらけにするなんて生まれて初めて。
原木に成ったシイタケ、山すそに生えたこしあぶら、タラの芽、「これは今日のお昼の天ぷらだよー」と里山スタッフでもある勝部編集長。
炭焼き小屋のそばに置いてある重機の陰にあったのは??鳥の卵。朝、スタッフで山歩き名人の本田義章さんが見つけた。
「んー?もしかしたらウグイスかなあ」
こんな自然との出会い、これが里山体験の醍醐味。池では鯉が泳ぎ、亀も負けじと水面で手足を動かす。
では、おたのしみ「タケノコ掘り」に行くぞー。道を隔てた場所にはスタッフの松本さんが大事に手を入れてきた竹やぶが。
そこに足を踏み入れると、なんとポコポコとタケノコたちが顔を出しお出迎え。
「これはどうかなあ?大きいすぎるかなあ」「もっと小さいのがおいしいのかなあ?」お母さんも決めかねてます。
「いっぱい食べたければちょっと大き目の、柔らかいのが良ければ小さいの」と松本さんのアドバイス。
「よし、これにしよう!」お父さんが決断、子どもといっしょに鍬を持って、最初の一振り。「おっ、イイ感じ、自分でやってごらん」
子どもたちは慣れない鍬を手にズッコン、ズッコン、何度も打ち下ろして、そのうち「ああ、掘れた!」体の半分くらいある大物を掘り出して超ご機嫌。
このあとは昼食の準備。食べる方はお母さんとボランティアでやりましょう。子どもたちは今日、自分で使う「マイ箸(はし)」と「マイコップ」作りだ。
竹を切り、小刀を持って削って削って。神経を集中してやれば、ケガをすることはないよ。さあ、今日一番の体験は小刀を使うこと。自信がついたかい?
東屋(あずまや)では炭が起き、天ぷらが揚げられる。材料は山菜の王様「こしあぶら」、女王こと「タラの芽」、そして採れたてタケノコ、シイタケ、アスパラ。大釜では山菜ごはんが炊きあがったようだが「うーん、中の方がまだ少し炊けてないけど下は焦げてる、どうする?」
「いいよ、いいよ、子どもの時はそうだったよ」オコゲの出来に昔を懐かしむご婦人ボランティアの裁量で食卓へ。
それでは「いっただきまーす」
「どう?」
「ぜいたくですねー、こんな旬の山菜をその場で食べれるなんて」
「おいしーい、香りがすっごくして・・・」
子どもらも、大きな口を開けて天ぷらにかぶりつく。
「ぼく、山菜、だいすき!」
お腹いっぱいになったあとは、山の斜面を土まみれになってよじ登る。やはり子どもだね、昔も今も変わらない、勉強より遊ぶ方がずっと楽しい!!
取材の帰り、お隣の桜地区へ足を延ばす。道を山あいに入ってみると、斜面に真っ白い一輪草の群生。
まだまだ建部の自然は手つかずに残っている。活かして育てていくことで、どこにもない建部にしていけたらと強く願った。
(取材・写真 三宅優)
平成元年には世帯数651戸、人口2169人だった建部町福渡、現在はおよそ3分の1となった。
その福渡で古くから人々の信仰を集め続けてきた
福渡八幡(はちまん)神社の祭事は数百年に及び引き継がれていて、今でも町の氏子によって大事に守られている。
今日(16日)はそんな祭事の中、春の田おこしを始めるにあたっての五穀豊穣を願う祈年祭。
世帯数が減り、耕作放棄地も増加、とはいえ町の畑のあちこちで野良にいそしむ人の姿。「もう、種まいた?」「ジャガイモ、芽かきした?」
互いに話すのは作物の話題、昔から人々の一番の関心事。
そんな人々の「なんとか良い作物ができますように、そして一年、無事でいられますように」の願いを神様にお祈りするのが本意。
朝8時、神社には新旧の神社総代、町内世話役10数名が集まり一斉に境内を清掃。10時には礼服に身を改めての神事斎行。
昼前には恙なくすべてが執り行われた。
過疎、高齢化、子どもの減少・・・福渡に限らず、どこにも起きている課題。しかし本当の問題はそこの地域に起きている”心の過疎”。
神社がそのスピリチュアル キーワードとなりうるだろうか。
(取材・写真 三宅優)
NPO法人「なでしこ会」が建部町の皆さんの地域活動をアップするお手伝いとして、初めて開催した「たけべの事務力アップ講座」Word(ワード)編。
講師は当会の事務局長であります杉山ゆいさん。
今回、参加したメンバーは3人。中山間の事務などもこなしている町内会長さん。
町内会員向けの案内書や会議の資料などを、きれいに整った紙面にしたいとの日ごろからの願いを叶えるべく参加。
一人は、地域の健康教室の案内チラシの作成で、写真やカットを入れて、より参加意欲がアップするようにしたいとの思いから。
もうお一人は、やはりいろいろなイベントなどの開催案内などのチラシを作りたいとのこと。それぞれ微妙に課題点は異なります。
この講座、これらの悩みを解決してあげようと、個別対応、マンツーマン方式で、一人一人、丁寧に指導を行います。
以前から、地域に支えられているNPOの役割の一つとして、地域力アップの手伝いをしたいとの思いが実現した今回の講座、
次回は名簿などの表の作成や家計簿などの計算を一瞬に解決してくれるExcel(エクセル)を予定しているとのこと。
煩雑な事務にお悩みの諸兄には吉報です。
お問い合わせ・申し込みは、なでしこ会・杉山Tel086-722-5200まで
(取材・写真 勝部公平)
今日(4月13日)は「建部認定こども園」の入園式です。昨年開園して、ちょうど一年になります。
子供たちは、チューリップや芝桜などの花々に囲まれた美しいグランドの中で、砂場でままごと遊び、
ボール遊びなどに夢中になって楽しんでいます。この一年を振り返り、深井園長先生にお伺いしました。
開園時67名だった園児は現在74名に増加し、0歳から5歳までの子供たちを朝7時30分から夜7時00まで預かっています。
保育園と幼稚園の両方の機能を兼ね備えたこの園での幼稚園型(8時30分から午後2時までお預かり)の子どもさんは7名。入園者のご家庭の大半が共働きとのこと。
そして、今一番の悩みは、やはり働いてくれる人の不足だそうです。
そんな中、うれしいこともたくさんあって、中でも地域のボランティアの皆さんが一生懸命、花壇の手入れ、園内の剪定作業、
花や野菜の苗の提供、愛児会の協力等々をして支えてくださったことが何よりもうれしかったそうです。このようなことは、市内中心部ではあまり考えられないとのこと。
昨今よく、若者が少ない、空き家が多くなってきたといった声を聞きますが、もし建部に「こども園」がなかったら共稼ぎの人はここに住めなくなるでしょう。
0歳から小学校就学前までの児童を預けれる「こども園」は地域の子育て環境のライフラインの筆頭ともいえる存在になりました。
われわれ地域住民もこのことをしっかりと理解し、小学校の学童保育やこども園などについて、できることで、できるときに協力をしていきたいものです。
それにしても、園の運営にたずさわっている先生方には本当に頭が下がります。感謝!
(取材・写真 勝部公平)
初めて小学生になった日、広い校舎でトイレに行って迷子になり、中々教室に戻れなくて泣き出しそうになった。
あれから何十年が経とうとも、恐らく子どもの気持ちに変わりはないだろう。今日を不安な気持ちで迎えた子どもたち。竹枝小学校では
そんな4人(男子3名、女子1名)の児童が入学式に臨んだ。
新任の松原校長先生から「あいさつができる」「あんぜんにきをつける」2つのお願いとお祝いの言葉をもらい、生徒たちは神妙な顔でうなずく。
教科書贈呈では体が隠れるくらい大きな教科書を受け取る姿に、来賓からは笑顔がこぼれる。
昨日までまだ小さいと思っていた子が、いつの間にか6年生になり児童代表として歓迎の言葉を述べた。
「わからないことがあったら何でも聞いてください。これからは全員の41人が仲間です」
この時期、桜はすでに終り、校庭では鯉のぼりが「おめでとう」と今日の日を祝福していた。
(取材・写真 三宅優)
今日は建部小学校の入学式です。校歌の歌詞にある「みどりは深き 山ふもと…」のように、
春の日差しを浴びながら一日一日緑が濃くなってきているこの日、19名の新一年生が誕生。
希望と夢にあふれ、満面の笑みで入場して来ると全員で大きな拍手。一人ひとり名前が呼ばれるたびに「ハイ!」と大きな声で返事、保護者の方もホットした表情。
宮尾校長先生の挨拶では「建部小学校では、げん気・やる気・人が好き、三つの”き”をたいせつにしています。それと自分の名前を大切にしてください」
というお話がありました。ご両親の思いのこもった名前に誇りを持ってほしいと願う、こんな指導が成長過程では大事なのですね。
真新しい教科書が校長先生から手渡されると1年生たちはしっかりとした顔つきになり、これから小学校生活がスタートするぞという強い気持ちが伝わってきました。
(取材・写真 勝部公平)
(おわび)記者手薄のため、今回は福渡小学校の取材はできませんでした。
巷ではすっかり桜は散ってお花見気分も遠のいた?いやいや、大トリが残ってる。建部の代名詞「たけべの森公園」枝垂れ桜。
今日はその「はっぽね桜まつり」開催日。それにしても寒い!いきなり冬に逆戻り、おまけに山頂の公園は下より2度も低い。
出店者たちも「こりゃあ、出足が悪いでぇ」と心配顔。しかし、そこは建部っ子、そんなこと気にしてられんと一生懸命の準備。
開幕を告げる太鼓がなる頃には、寒さはさらに増す。「ドント行け!寒さなんかぶっ飛ばせー」観客も負けじと声援するが、次は雨。
太鼓の皮も水には弱い、しぶしぶ避難。
屋台の行列は温かメニューに集中。我が編集長の富沢地区の「シシうどん」11時には売り切れ。
ところがところが、出し物の吹奏楽が始まる途端、お天道様も賑やかさにつられて顔を出す。それもそのはず、この楽団名は「晴吹(はれすい)」。
一団は公園をぐるっとマーチを奏でて一周。観客もそばで鳴り響く楽器の音色に心ウキウキ。桜にミュージック、絶妙の組み合わせ。
正午には大型バスも到着。公園ではシートに座って桜を愛でる家族連れ、団体でいっぱいとなった。”心配するより産むが易し”とはまさにこのこと。
「はっぽね桜祭り」は今年も地元を挙げての催しとなり、盛大に幕を閉じた。
(取材・写真 三宅優)
建部町民も知らない人が多い。5年前に「めだかの学校」を中心に建部の自然を活かした活動を企画して、
市民を呼び寄せようと結成された「めだかクラブ」。今「life岡山」でも、
詳しく報道されて大注目!
メンバーは地元のリタイア組が10数名(記者含む)。これまでに年間をつうじて数々のイベントを行ってきた。
今月の「山菜採りとタケノコ掘り」これはすでに予約でいっぱい、5月、「一ノ口井堰と魚とり」これも問い合わせが入るほど。
5月27日に開催される「環境まつり」これは例年、千人近くの人でにぎわう、夏の花火、はっぽね桜まつりに次ぐ動員数だ。
これを動かすのがメンバーの役割。今日もその準備を進める上でのおおきな内容の詰めがなされた。
「お客さんが長く行列待ちにならないように開始時間を早めよう」
「食べるものが少ないのは寂しい、自分らで何か出そうよ」
メンバーの一人、河原陽子さんは「来た人に喜んでもらえるのが一番よ!」と意気込みを語る。
実行委員長の井口松治さんも「やれることは何でもやりますから言ってください」と頼もしい。
記者はクラブ設立当初から参加してきたが、メンバーのチャレンジ精神とバイタリティにはつくづく感心。
老いてからが活躍の時、それが「めだかクラブ」。我もと言う方はいつでも歓迎!
(取材・写真 三宅優)
福渡町内会の熱い熱い思い。「元気な町を見てもらおうや」
初めての試みとなった福渡河川敷の提灯による夜桜設営。土日に花見を逃した方も、ここなら仕事を終えてからOK!お弁当持ってシート1枚手にして出かけよう。
家族で夕食後の散歩も良し。夜の桜はまばゆいばかりの昼の桜とこれまた違う。
ほんのりと顔を赤らめて、おとそ気分の桜たち。では、そのワンシーンをお届け。
4月1日はおめでたいこと満載。たけべ八幡温泉では「3周年記念」、福渡河川敷では夜桜開始、そして当ギャラリーでは「たけべ新聞」2周年と
建部町公民館、館長の送別祝賀会。
思えば、安部館長の着任は八幡温泉の開館と同じ時期。共に確実な成果を遂げて今日を迎えた。館長の功績は今月特集「たけべ楽考」のインタビューを
お読みいただくとして、この日は館長のこれまでの労をねぎらう為、公民館スタッフと地元有志の人たちが集まった。
館長の言葉。「建部に関わって3年、毎日が新しい発見でした。建部のことを知れば知るほど
好きになり、本当にいい所に来れたと感謝しています」
いえいえ、こちらこそ。わずか3年で、押しも押されぬ名物館長。その人がらに魅了された町民は数多い。
とにもかくにも「おつかれさま」
そして「益々のご活躍を願っています」
「たけべ新聞」もこの日で3年目に入った。先日のオニビジョンの取材で、勝部編集長、記者(三宅)とでこれまでの振り返りと今後の抱負を語った。
今月の編集後記
にも、その概要を掲載。
「道は険しけれど、一歩一歩、怠けず、諦めず、3年目を歩む」
(写真(右)はこの日のためにギャラリー前の桜をライトアップ)
(取材・三宅優 写真・松下りえ)
先日(3月26日)のRSK「イブニング5時」、「たけべ八幡温泉」で足湯に浸かるお客さんを国司レポーターが取材。
「どこからこられましたか?」
「広島からやってきました」
「どうですか、ここの温泉は」
「ええ、ちょくちょく来るのですが、足湯があるのを知らなかったので今日は入りました。ポカポカあったまっていいですねー」
その後「建部は53号線を中に入ると穴場がいっぱい、ぜひ自転車で又は徒歩でみなさんも巡ってみてはいかがでしょう」、国司さんんの締めくくり。
温泉を中心としたウォーキングツアー、いい視点の報道だった。
そして開設以来3年、すでに30万人近くの方が来られた(温泉施設の方のコメント)たけべ八幡温泉。
岡山中心部から40分、豊かな自然に囲まれたスパランドは確実にファンを広げている。
「3周年記念」の今日は入浴料400円。昨日のイベント広場では、金賞受賞「建部ヨーグルト」、
「キシモトケーキ」、「サニーデイコーヒー」、「建部米研究会」などなど地元密着の朝市が開かれ、入浴に訪れた家族連れや団体客を喜ばせていた。
目を転じると、対岸には見事な桜並木。夜は提灯の灯りが映え、建部の魅力が余すことなく伝わって来る。
(取材・写真 三宅優 松下りえ)