■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
今月は「たけべマルシェ」で建部に新風を送る、雨宮宏美さんです。
(プロフィール)
雨宮 宏美(ひろみ)
1975年、神戸市に生まれる(42歳)
写真専門学校在学中に淀川区のホームレスを
テーマに写真を撮る。その後、沖縄に行き生活。
2年後、京都に移住、結婚。
2008年、建部に転居。新聞「タネピリカ」発刊
2016年「たけべマルシェ」開催。
「タネピリカ」代表、2児の母、福渡在住。
今年の2月に行われたタイムカプセル開封式典の催しで、一際、印象深かったのが
中学生たちのステージ発表と小ホールの「未来ポスト」
従来のお役所的な式典とは異なり、若者の感性と子を持つ母親の視点が
融合した手作り感あふれる内容だった。
その企画の担い手となったのが今回登場の雨宮宏美さん。
7月に開催予定の「たけべマルシェ」を前にお話をお聞きした。
(聞き手 三宅 優)
写真の専門学校に通われていた頃の話からお聞きしたいのですが、そもそもホームレスの写真を撮ろうとした、きっかけは何だったのですか
「たまたま淀川の近くを歩いていた時、柳の木の下に小屋が建っていて、前にテーブルがあって犬が飼われてるのが見えたんです。
瞬間、なんてズルイんだろう、一人でこんな暮らしを独占してるなんてと思いました(笑)。
当時、そこに300人くらいの人が住んでいてコミュニティができていたんです。最小限の持ち物で生活してて、へ―、これだけで生きていけるんだ
と驚きました。それでカメラを持って通うようになったんです。
最初は家ばかり撮ってたんですが、そのうち、中にいたオジサンが”おまえ、そんなカメラ持って使えるのか”と聞いて来たんです。私、その時、4X5(大判)のカメラを使ってたんです、それで、”じゃあ実際に撮って見せるから”って言って前に立ってもらったんです。それがきっかけで、知り合いになって。
それから、雨に降られて傘を貸してもらうことがあったんです。返さなくていいと言われたんですが、2ヵ月ほどパリに遊びに行って帰ってから、おみやげを持って返しにいったんです。
オジサン、今までに返しに来たのは君だけだって、きっと待つことをやめてたんだと思う。それから、そのオジサンが一緒に回ってくれて中の写真を撮るようになった。
あとで、その人がここの元締めだとわかったんだけど、3年間、続きました。その内、作品が1つの賞に引っかかって、新宿のギャラリーで個展を開くことになりました」
そのあと、写真から離れたのはどうして?
「燃焼しきった感じで、次に何を撮ればいいんだろうって。そんな時、専門学校の友人が沖縄にいて、呼んでくれたんです」
なるほど、そこでご主人と出会った
「ええ、沖縄でゲストハウスと居酒屋をやっていて、それが2年後には京都でもやることになったので京都に移り住むようになりました」
建部にはどうして?
「それまで借家だったので、自分の家でゆっくり何かをしたかったのと、ちょうど1年ほど前に主人が赤磐に山を買ってたので、そこに行くのにも近い今の家を見つけました」
2011年に「タネピリカ新聞」を出そうと思ったのはなぜ?
「東日本大震災で原発事故が起きて、子どものことや食べもののこととか心配になって、まわりの同年代のお母さんたちはどう考えてるのか、
新聞で伝えることによって確かめたいと思ったのが最初です」
タネピリカは今季で26号と続いていますが、その間、「たけべおこし」にも加わりました。その理由は?
「タネピリカは結果として移住者の集まりという意味合いが強いのが事実です。では地元の若い人たちは何を考えてるんだろうってのは、ずっと気になって、
なら入ってみよう。幸い、子どもを通じて知り合った山根美千義さん、吉岡優さんに声を掛けたら一緒に行ってくれました」
そこで、「ちっちゃ市」や「たけべマルシェ」といったイベントを立ち上げた
「ええ、前々から子どもたちが気持ちよく走れる所で市を開きたいと考えていました。国道が2つ交叉して、その下に位置する親水公園は最高の立地でした。
そうしたら2年前、支所の方から山陽ウォークをもてなすイベントをやってほしいと話があって、じゃあ親水公園でやらせてもらえるならということで始ったのが、
最初です」
で、2回目は地元だけで成功りに終わらせた。そして、そのあとタイムカプセル開封式と続くわけですね
「実際、あのイベントでは大ホールのセレモニーだけでなくて、小ホールまで借り切って、どうしようって頭がいっぱいになって、
それで白髪がいっぺんに増えてしまいました(笑)」
これからの予定は?
「7月7日の七夕に合わせて、たけべ八幡温泉でマルシェを開きます。すでに、やられているイベントと
いっしょにやるのも含めて定期的にやっていきたいなと考えています」
ありがとうございました
(記者感想)
記者とは「タネピリカ」創刊以来のお付き合いだが、実は記者が描いているイラスト、
これを最初に気に入ってくれたのが彼女だった。
「三宅さんの絵が、かわいいので新聞にカットを描いてほしい」
それが段々と発展してポスターやら本やら、しまいには
「たけべ新聞」までつくることになった。
久しぶりに、まとまって話をすることになった今回のインタビュー。
9年前に出会った時に比べ、しっかりと自分の道が定まってきた感がする。
最初の「ちっちゃ市」で、おや?っと思った・・・ 良かったのだ。
そして親水公園での「たけべマルシェ」そしてタイムカプセル開封式典での小ホールでの演出。
水を得た魚のたとえ。日頃、彼女の言ってる通りの、
手作りでナチュラルなイメージが表現できていた。
40歳に入ったばかり、これからどんなシーンを観せてくれるのか
多いに楽しみと言える。
(取材・三宅優 写真・三宅美恵子)
暑いぜ、今日の気温30度。そんな時、生ビール、焼き鳥、100円のチラシが入った。おまけにチラシを持参すると500円券までもらえるという、
超お得な催し。
今年で開業10周年「ハートアップワールド」さんの太っ腹な「夏祭り」へ出かけたぞー。
国道53号線、福渡小学校交差点そばには車、車、車、どれもピカピカに磨かれ個性豊か。駐車場に張られたテントの下では、すでに多くの家族連れ。
車好きの集まりと言うより、町内の納涼大会といった雰囲気。
昨年も出迎えてくれた、乗馬クラブのポニー君(実はポニー爺さん)が人参欲しさにスリスリと顔を寄せてくる。子どもは怖いもの触れたさに、そっと手を差し出すと、
「ブルブルブルッー」っとクシャミで返す。
いい匂いがしてくる建物内を覗くと、やはり「勇の樹」さんの絶品、焼き鳥。奥では「すぎ茶屋」さんのうどん。他にも焼きそばおでん。
となりのブースでは
、手に手に「千両箱」と書かれた箱。お菓子、パン、ジュース詰め放題、500円。「えっ?」こりゃあ安い、安すぎる、記者も取材放り投げて、箱詰め。菓子パン4個、すぎ茶屋まんじゅう10個、亀田の柿の種10袋・・・。こんな時って、ホント、人間の地が出る。
それでは仕事に返って、すっかりくつろぎムードの来場客のお話しを収録。
お腹の大きいママさんに、年配の方が「何人目ですか?」「5人目です」「えっ、そんなにお若くて、そりゃ、すごい(笑)」
「うちでも今年、生まれるんです、そうしたら私は曾(ひい)爺さんです」「えっ、そんなにお若いのに(笑)」
隣では、森田議員とじっくり膝を交えて話し合う光景。1企業の催事が地域のコミュニケーションの場に変貌。
30代で起業した佐藤さんの熱いポリシーが、地元に受け入れられ、熱く信頼されていることがわかる。
会場には、いつの間にかストローアートテレビチャンピオンの平田慎一さんの姿が。スゴイよねー、ストローとハサミ1本で日本一。
まだまだ捨てたもんじゃない建部町、そして福渡、
学ぶべきは「何才になっても起業(チャレンジ)する精神」、あきらめるな、年寄りたち!
(取材・写真 三宅 優)
この時期、建部の里山で出会えるホッとする風物詩、と言えば下神目「のぶえ農園」さんのアイガモ君たち。もうそろそろ、田んぼの学校に登校してるかなと出かけた。
三樹山のふもとに広がる水田には、きれいに植わった苗が風に揺れ、誕生寺川では昨日までの雨で増量した水が音を立てて流れている。
延江さんは、この日も来客万来でピザ釜の前に座り作業に追われていた。
「アイガモは?」と尋ねると
「さっき、ちょっと出したんじゃけど、カラスが襲いに来て」
どうやら、まだ小さい雛なのでカラスの格好の餌と狙われるらしい。卵も食べられたとか。
苦難を強いられるヒナガモ君をお見舞いに。
いた、いた。その数、30羽ちょっと。産毛に覆われたちっちゃいのから、成長したてのお兄ちゃんまで。
皆、小屋の金網越しに「水であそびたいけど、黒いのがやってきて怖いし」と外をうかがっている。
「そうか、人間社会も大変だけど、君らの方も大変だなあ・・・」
裏山の畑には、去年活躍したカモのリタイア組がいると言うので会いに行く。きちっと張られたネットには見事すぎるキューリ。
やることがいっぱいで、ご主人もキューリの収穫が追いつかないに違いない。
ちょうど、年配ガモたちは散歩から帰宅中だった。ノシ、ノシ、ノシ、お尻をフリフリ、前へ前へ。途中、今日の予定を皆で相談。
「何しようか?」
「わしゃあ、ひとっ風呂浴びてぇのー」「わたしゃあ、お昼寝してぇわー」
それぞれ2手に別れ、進み始める。
役目を終えた合鴨たちの第2の生活、人間も真似したいけど中々そうも行きそうにない、そんな感想を抱いてしまう、忙しすぎる自分がそこにいた。
(取材・写真 三宅優)
今日、建部子ども園ではプール開きがあり、頭に水遊び用の帽子をかぶった園児たちが、夢中になって水と戯れました。
始まりにあたって、あらかじめ先生から絵カードや寸劇などを交えた「水と向かい合うための約束事」のお話しがあり、
水に入る前は必ずトイレに行く、体操をして体をほぐす
清潔を保つためにジャワ―浴びる、プールでは飛び込んだり、走ったりしないなどの注意点を子どもたちが、一つひとつに返事をしたり、
手をあげて確認をしていました。楽しいことをすることばかり目につきやすい昨今の子ども事情ですが、基本をきちんと学ばせ、
いろいろなルールやマナーを教える先生がたに感謝です。
<../../img src="images/news/201806/21_3a.jpg" width="285" height="205" alt="子ども園プール" align="left" hspace="10">
いよいよグランドに設置されたプールや水遊びのコーナーでの体験がはじまりました。プールでは先生の教えに従い、基本のルールを守りながら、楽しく水に親しんでおりました。シャボン玉コーナー、水の色遊び、水鉄砲、ジョウロやスコップを使いながの水遊びなどもあり、
工夫のある水遊び体験が子どもの感受性を高め、たくましく成長させることにつながるのだと感心しました。
(取材・写真 勝部公平)
今や、春の「はっぽね桜祭り」と並ぶ、建部の代名詞となった「建部町納涼花火大会」その日程が決まった。
開催日は8月11日(土)、雨天は翌12日。
今年のポスターのフレーズ(記者による)は、
「君が好き!と叫んだ たけべの花火に」
そして「ドーン!」と、かき消すような打ち上げ音。
2年前、本紙、花火特集で、建部町の花火大会を最初に立ち上げた(故)景山和由さんが語った
「これは他所にはぜっていに負けんいうのが建部にはあるんじゃ。それが、”音”じゃ」の言葉通り、回りの山にこだまする花火の音のド迫力、まさに天下無敵。
当日の花火打ち上げ開始は夜8時だが、今回も午後6時から地元町内会と建部町観光協会が数々のイベントを準備している。もちろんズラッと連なる屋台街も健在だ。
打ち上げまで、催しを観ながら待つも良し、うまい物を食べながら過ごすも良し。場所取り無用、好きな所に陣取って。
さあ今年の夏、あなたは「たけべの花火」に向って何を叫ぶ?
「第44回建部町納涼花火大会」
開催日時:8月11日 18:00〜(花火打ち上げ20:00〜)
会場:第一会場 親水公園 第二会場 福渡河川敷
シャトルバス:たけべの森公園⇔ライスセンター
(取材・写真 三宅優)
今回で58回目を迎える「建部町民親睦ボウリング大会」が先月の28日に開催されたが、その結果について報告が届いたので紹介。
(3ゲームトータル)
優勝 森谷 溥安さん 529ピン(HDC60ピン)
準優勝 矢本 好雄さん 527ピン
3位 山本 幹夫さん 507ピン(HDC60ピン)
(ハイゲーム)
男性 矢本 好雄さん 214ピン
女性 谷 綾子さん 161ピン
この日は田植えシーズンにも関わらず、10代から80代までの老若男女21名が参加。
にぎやかに熱戦が繰り広げられたとのこと。次回は9月、また当新聞「掲示板」にて案内予定。
それにしても、優勝者の成績もさることながら、矢本さんのハンディキャップなしの得点もすごい。
(レポート・写真提供 河原孝輝さん ・記事 三宅優)
サザエさんのお父さん、波平さんは何才でしょう?こんな質問から始まった、今日の旭水荘公開講座「在宅医療・介護のすすめ」
岡山市地域ケア総合推進センター、藤本さんによる約1時間の出前講座、ちなみに、波平さんは54歳。舟さんは52歳(えっ?そんなに若かったの!)
連載が始まった昭和20年代の年寄り像と、今日の姿がどれほど様変わりしたことか、愕然。
平均寿命が男性80歳、女性87歳、100歳以上が6万人を超える日本において、これからどのように”老”を受け止めて行くか、
今回はその中で、「もしも自分が不慮の事故や病気に襲われた場合」に備えたACP(アドバンス・ケア・プランニング)について話がなされた。
調査によると「終末期をどこで迎えたいか」との問いに、多くの人が「住み慣れた自宅」と答えている。しかし現実は80%以上が医療施設で亡くなっている。
本人の意思や希望とは掛け離れた現実がここにある。だからこそ元気なうちに「その時、自分はどんな治療・療養を望むか」を家族、かかりつけ医、介護関係者と話し合い、伝えておくことが大切。
講座は後半から、実際に在宅医療を選んだ二つの事例を紹介したDVDを観ながら考えを深めた。
一つは、病院からこれ以上の治療ができないと言われ在宅医療となった事例。訪問診療の医師の存在を知り、診療を受けながら、介護士やヘルパーの力で
徐々に回復していく姿が感動的だ。もう一つは、終末期を自宅で過ごし、看取られた事例。中に登場した、訪問診療の医師が
「基本は気持ちよく(最期を)暮らしてもらうこと」と述べていたことに救いを感じた。
ただ、二つの事例とも良き親近者に恵まれた、すこぶる羨むべき存在のように思え、
「子どもらは遠方にいて、帰ってこない」、「娘の嫁ぎ先にも、年寄りがいる」と、さまざまな条件の中で
在宅医療を望みたくとも、受けれない現実があることも事実だ。
「延命治療」から「生活医療」へ、「人生の終い(しまい)方は、自分で決める」時代なのだが、
頼れる人あってと、改めて痛感した。
(取材・写真 三宅優)
アジサイの花が色づき始めたこの時期、子どもたち待望のプール開きが、雨あがりの6月11日、建部小学校と竹枝小学校でありました。
子供たちにとっては、この日から夏休みをはさんで3か月は、体を鍛え、たくましく成長する時期でもあります。
プールの縁には「AED」の使い方や人工呼吸の仕方などを図解した立て看板、目に付くように表示され緊急の時の対応についても怠りません。
先生からも水に関する注意事項のお話やストレッチ体操をおこない、「バディ」という集団行動での安全確認の点呼も行われました。
そしてシャワーを浴びて、いよいよプールの淵で足を水につけてバタバタと動かし体を慣らしていきました。
時々、休憩をとりながら安全第一でおこなわれておりました。
先日、建部小学校の皆で掃除したピカピカのプール、竹枝小学校では、5月27日の参観日に親子で一緒に掃除したプール。
今日のプール開きを迎え、建部では1,2年生が、竹枝では3,4年生が、時折、天にも届くような歓声をあげて水遊びを楽しんでいました。
(取材・写真 勝部公平)
どんよりした空模様の建部駅駐車場、今年で第4回目となる「たけべ里山ハイキングクラブ」に参加した16名がリーダーの本田義章さんのレクチャーに耳を傾けます。
「コ−スは駅を出て、夙山(あしたやま)を超え、成就寺、藤田山頂上から建部の森公園までの約7キロです。およそ2時間ちょっとの道のりですが、急な山道もあり、ゆっくりと、途中、山野草など見ながら歩きたいと思います」
まあ、7キロ、2時間程度なら大丈夫と記者含めて、誰しもがこの時点では、考えていたのですが・・・。
一行は簡単なストレッチをした後、さっそく旧建部中学校、校舎跡地へ。ここで中学生を過ごした江田さん(世話人)の悪ガキ談を聞きながら山の中へと分け入ります。
市場の妙見様が見えてきました。古くは、ここの境内で相撲がとられたそうで、ユニバーサルスタジオがなくても、楽しいことは昔なりにいっぱいあったのです。
道は下り坂になり、やがて見慣れた池が右手に現われてきました。池の淵には見事に咲いたアヤメの群生。富沢の「鳥越池」に出ました。ここで、水分補給。
三重塔の控える成就寺に赴き、住職の説明を拝聴し、いざ藤田山、頂上へ。
昨日までの雨で、地面はジクジクして濡れ落ち葉も滑りやすい。注意しながら杖を支えにしたり、
両膝を地につけてよじ登ったり。蛇にも出会って、山イチゴをつまんで。
やがて登ること30分。ここまで来ると、参加者の「まるや設計」の松下さん、オニビジョンの松本さん以外、
全員65歳以上ときて、さすがにキツくなり、不調を訴える人も出てきました。一行は元気組とお疲れ組の二手に別れ、それぞれのペースで先で落ち合うことに。
記者はもちろん「お疲れ組」と言うより、腹が減って力が出ない「腹へり組」
どうにか「たけべの森公園」駐車場に到着。ここから、さらにアスファルトの坂を30分進みます。両脇を彩るアジサイ、見事に誇るヤマボウシ、清楚に開くササユリ、
このドライブコースはキョロキョロし過ぎて要注意。
そうして到着、公園カフェでランチタイム。全員がモリモリとピラフとケーキを平らげていました。ここまでの所要時間は4時間でした。おつかれさま―。
(取材。写真 三宅優)
6月4日9時、建部小学校1.2年生40名と学校支援ボランティア7名は学校の先生の先導で田地子川へ「水辺の生き物」観察に出かけました。
昨日までの雨のせいか水温はまだ肌寒いですが、解き放たれた若鮎のような建部っ子は、我さきに川に入り、手に持っている網を岸辺に沿って押し当て、探ります。
すぐに、あちこちから「大きいドンコツがとれたぞー」「ヤゴいるよー」と歓声が上がり、要所に立つボランティアの人たちもうれしそうに見守ります。
途中休憩で、熱中症対策の水分補給をして、いよいよ後半戦。捕獲の手つきもだいぶ慣れ、どの辺に生き物がいるか網のかけ方の要領もさまになってきました。
川から上がると、担任の山崎先生が川の生き物図鑑のシートを見ながら、グループで名前探し。先生からタナゴ、テッキリ、カワムツ、アブラボテ、ホタルの餌になるカワニナ、トンボの幼虫ヤゴの説明を受け、しっかりと学ぶことができました。
それにしても、子どもは自然が大好きですね。生き物との共存、自然界の一員としての人間、無邪気な子供たちの好奇心あふれる姿を見て、
参加した大人ボランティアたちも勉強になったのではないでしょうか。
(取材・写真 勝部公平)
午前10時、JR津山線福渡駅に黄、青、赤色のハッピ姿で揃いたる、岡山観光おもてなし隊、数十名。
他でもない、今日は津山線開通120周年記念の「ノスタルジー列車」地酒ツアーの一行がやって来るのだ。
黄色いハッピは我が福渡町内会、率いるは窪藪隊長(町内会長)。青は岡山市観光局観光振興課の方々、赤いフォームは久米南町より。
列車到着5分前、まずは取材のオニビジョンのカメラに向かい、観光振興課の長尾かほるさんの「がんばるぞー」の声に合わせ、全員で「おー!」の気勢。
10時6分、岡山から津山に向かう、おなじみオレンジの車体が入線。
福渡隊は今年、作ったばかりの「ようきてつかーさった 建部の町へ」の垂れ幕を高くかかげてのお出迎え。
列車のドアが開き、ツアー一行50名が次々と下車。どの人もフォームに溢れんばかりの”熱烈歓迎”に大喜び。
「まあ、こんな田舎の駅で、こんなうれしいお出迎えがあるなんて・・・」(乗客)
やがて、天にも響く「はっぽね太鼓」の音。「ドドン、カカカン、ドドドン・ドドドン」
フォームに設えた建部町名産コーナーでは「建部ヨーグルト」「サニーデイコーヒー」「キシモトケーキ」「杉茶屋まんじゅう」の建部名物「四天王」。
そして隣町からも久米南名物「柚子コロッケ」。
「いらっしゃーい、おいしいですよー」の呼び声に、お客さんらは試飲と試食。
そして「ホント、オイシイ、一つ、もらうわ!」
わずか30分のおもてなし、されど、ずっと忘れぬ思い出になってほしい。そんな願いの岡山観光おもてなし隊に見送られ、一行は津山へと旅立って行った。
「良い旅を!できれば、再び建部へ・・・」
(取材・写真 三宅優)