■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
今月はこの4月より岡山市地域おこし協力隊の一員として建部町に派遣された今田龍希さん。
(取材・写真 三宅優)
(プロフィール)
今田 龍希(たつき)
平成6年、倉敷市に生まれる(24歳)
県立高松農業高校卒業後、中国学園大学入学。
在学中に東日本大震災のボランティアとして活動。
平成27年、大学を中退し倉敷アイビースクエアに入社。
平成30年、岡山市地域おこし協力隊員に任命される。
現在、奥さんと子どもの四人暮らし。富沢在住
建部町に地域おこし協力隊が派遣されて2年。
高橋りつ子さん、頼元徹さんの活動は当新聞でも伝えてきたが、
新しく3人目のメンバーが加わった。弱冠24歳、
調理師の資格を持つ今田龍希さんに聞きました。
(聞き手 三宅 優)
倉敷のお生まれで、高校は高松農業高校に行かれたそうですが、進まれたいきさつは?
「そうですね、普通科絶対主義のような風潮があって、僕もその道を勧められたのですが、何か違うんじゃないかって。
そうしたら、倉敷市の情報か何かに高松農高のことが載っていて、アルギン酸を使って人口イクラをつくろう、みたいなことが書かれてあったんです。
すぐに、そんな楽しい学校ってあるのかーって思いました」
(笑)なるほど、それで学校ではどんな勉強だったんですか
「僕が入ったのは食品化学科というコースで、農業についても一通りやるんですが、主としては食品衛生、食品加工、化学が中心です。
豆腐に含まれているたんぱく質の検出方法とか、成分を抽出する作業なんかもやりました」
その後、大学へと進まれたわけですね
「中国学園大学の人間栄養学科に入ったのですが、そこは管理栄養士を養成するのが目的でした。
でも2年目の時に東日本大震災の被災地復興支援のボランティアにのめり込んだんです。高校の時も生徒会長をやってて、
募金活動をしたんですが、この時は直接、現地の気仙沼に行って活動しました。3年経っていたのですが、まだ海岸の船が撤去できてない状況でした。
ボランティアのリーダーになって仮設住宅を訪れ、回り中にボーボーと生えてる草刈りとか蜂の巣を取り除いたりしました。住民だけでは、
もうそこまで手が届かないのが実情でした。高齢者の家を声掛けして回り、
お祭りにあわせて岡山の祭り寿司を作って喜ばれました」
で、大学の方をそのあと辞められたのですが、それはどうして?
「栄養士の授業でも調理実技があるのですが、で、自分としてはその方が楽しかったんです。料理をしたいという気持ちが高まって、調理師になろうと。
それで先生に相談したら、今までのことが無駄になると言われて、そんな時、妻が妊娠して。そんなこともあって4月から休学しました」
倉敷アイビースクエアに入社したのは?
「結婚式とかで出す洋食宴会の仕事でしたので調理の実技をいろいろ学べる上に、資格を取るためにも、うってつけだと思いました」
そして3年後、地域おこし協力隊へと変わられた
「職場がホテル業界ですので派遣社員の人とかが多くいて、そんな人と話した折り、今度、地域おこし協力隊に入ると聞かされました。
それで、それはどんな仕事だろうって調べました。そうしたら、農業やジビエ、加工調理とかに取り組んでることがわかって、
これはまた面白そうなことをやってるぞと。岡山でも募集してることがわかり、サービス業から生産者になるチャンスだと応募しました。
岡山の建部なら1時間で二人の実家に行けれるし、失敗しても帰ればいいやと気楽な気持ちだったです(笑)」
ついて間もないですがどうですか
「ずっと思ってたのは自分が岡山で生まれて、岡山で育って今さら外に出たくない。
歴史好きなので桃太郎伝説とか岡山県はこんなに面白いのに知られていない。なんか、岡山をPRできる仕事に就けたらいいなあって。
そこにピッタリな地域おこし協力隊があったわけです。今は富沢の里山建部をベースにして活動してますが、これからどんな仕事に
拡げて行けるのか計画の段階です。他にも力のある所とかあるので、その力のある所同志をつなげられたら成功かなとも思っています」
ありがとうございました
(記者感想)
インタビュー当日、出来たばかりという猪肉のソーセージを頂いた。
夜さっそく調理して食したら、これがお世辞抜きに旨く、ハーブの使い方が手慣れている。なかなか、やるなあと感心。
また、先の当ギャラリーで催した「3.11追悼の集い」にも手伝いに駆けつけてくれたが、その行動力の速さ、
自分で進んで手を動かす様子を見て、場慣れした感じを受けた。
その通り、東日本大震災被災地でボランティアのリーダーとして奔走した経験をお持ちだった。
聞くと記者とは同郷で、小中学校の後輩にあたる。校庭に立っていたトーテンポールの話になり、
それは記者が教育実習で母校に通ったときに作ったと作品と明かすと、「あれって誰が作ったんだろうって、ずっと気になってたんです」と
大笑い。
常に決める基準は「面白いかどうか」。弱冠24歳、まさに面白い奴がやって来た。
(取材・写真 三宅優)
5月26日(土)、朝8時、海洋センターにカヌー愛好家20数名が集合!
32年前から毎年行われている「旭川カヌー川下り大会」、この日は長船や邑久の瀬戸内カヌーグラブの会員も一緒に参加。
10艇のカヌーが川口の建部海洋センターを9時にスタート。今年も、国体やカヌージャパンカップが行われた建部温泉前の競技コースを体験したいとの要望を取り入れてコース設定、水しぶきを浴びながら53号線に沿いを下っていきました。
国体コースでは1艇がチン(横転して沈むこと)しましたが、すぐさま水抜きをして隊列に参加。
このような経験が、将来予期せぬ事が訪れた時、瞬時に対応できる能力を高めるのでしょうね。
最初の中継地は大宮橋下の親水公園。熱中症対策のドリンクを飲みながら、下ってきたコースの感想を述べたり、
下流の難所の説明を受けながらの休憩タイムです。
休憩がすむと、建部町内後半コースがスタート。
流れの早いポイントやパドルを一生懸命漕いでもなかなか前に進まない「トロ場」など、起伏の激しいコースを小学生の子供たちも大人に負けないバイタリティーで通過していきます。
2回目の中継地は小倉橋下で、昼食も兼ねて休憩です。
53号線沿いを走る自動車や対岸の山々を眺めながら、のどかな昼食です。
このあとは、コンクリートや大石の井堰などの関係で、車でカヌーを移動させたりしながら、旭川荘などがあるJR備前原駅近くの
中原橋が最後の中継地。
それから、一気に後楽園近くまで下っていきます。三野の浄水場付近の広々としたトロ場は、
中洲などの雑木や空の色が鏡に映って桃源郷のような光景です。
新鶴見橋の少し上流が、最後の難関井堰。急流の白波が、メンバーを待ち受けてましたが、子供たちも難なくクリア。
こんな体験が将来大人になった時、ふるさとの素晴らしい思い出として脳裏に浮かんでくるのでしょうね。
先回りしているサポート隊が、後楽園と岡山城が入るカメラアングルでかまえていると、列を組んでのカヌーが見えてきます。
すると、あちこちから歓声の声。
今年も無事に到着したカヌー川下り、カヌーの町、建部と「清流旭川を守ろう」「川にゴミをすてないで」など、
参加者の呼びかけが、沿線の人々に届いたのではないでしょうか。
(取材・写真 勝部公平)
開始30分前というのに、すでに列は数十メートル。今年、第30回記念となる「めだかの学校」環境まつりには名物イベント「アマゴのつかみどり」に挑戦しようと多くの親子連れが並んだ。
四角いブルーシートで作られたアマゴ放流用の特製プールは、地元のボランティアグループ「めだかクラブ」の手によるもの。
10時、井口実行委員長の開会宣言。そして、最初の放流。我が編集長(勝部公平)が魚のつかみ方をレクチャーすると「やるぞー」とばかり裸足の子どもらが突入。逃げる、逃げる、アマゴたち、速い、速い。
「つかまえたー」と最初の子。「よし、じゃあ、アマゴの塩焼きに行こう」と外で
待ってたお母さん。
「アマゴの串刺しも自分でやるんだよ」スタッフの手ほどきで、見事、1本差し。
炭火の上に乗せて「早く焼けないかなあー」
10時半、施設内の体験コーナーは、ほぼ満員。キーホルダーづくり、水鉄砲、竹トンボ、竹笛の竹細工、自分で木を組み立てて作るマイおもちゃ、葉っぱで作るバッタ、子牛も登場、バター作りに乳しぼり、石に絵を描こうストーンペイント、夢いっぱいのキャンドル作り・・・どこも大人気。
すでに気温は30度を超え、大人も子どもも関心は「なにか冷たいものを食べたーい」。
ここに来たなら「建部ヨ−グルト」
そばでは、なでしこ作業所の「かき氷屋」さんもフル回転、
「サニーデイコーヒー」さんはアイスコーヒーにオーダーが集中。
スッキリしたら、急にお腹もすいて、「なに食べるー?」会場のふれあい屋台を一巡り。
「八幡温泉」ではタコ焼き、炊き込みご飯、「地産地楽たけべ」では定番おからドーナッツ、
石窯ぱんや「nico」は、パン販売だけでなくピザも焼いている。
30回記念「めだかの学校うどん」は200円で登場、記者特製「鶏そぼろ」のトッピング。
午後1時、主催者側の発表では・・・と、お決まりの多めに言うコメント
だが、まちがいなく1000人以上の人たちが、この「おまつり」に集まった。
もう、子どもたちの喜びようは、親御さんもビックリではないだろうか。小川で見つけた
トノサマガエルを手にする子、水鉄砲を宙に飛ばす子、完成した木組みのアート作品を大事に
持ち帰る子。
「どうだった、楽しかったかい?」
記者の質問に「うん、水鉄砲、竹トンボ、木の飛行機も作ったよー」
お父さんは、「朝から来て、竹細工に、木工、ローソクまで全部やりました。ホント楽しかったです!」
うれしいねー、「めだかクラブ」をやってきて、これほどありがたい言葉はない。
ボランティアの小中学生のみんなもスゴイがんばった、ありがとう。
さあ、来年も、井口 実行委員長、お願いしますよー!
(取材・写真 三宅 優)
「私がまだ高校生の時に、”日本人についてどう思うますか”と聞かれたら、”日本人はとても残酷だ”と答えたであろう・・・
しかし大学に入学して、偶然日本人の先生と知り合って、日本語や日本文化に興味をもつようになり、私の日本人に対するイメージが変わってきた・・・」
(張 萌「信はたて糸、愛は横糸」)
建部町公民館講座「建部大学」のスタートとなる第一回目の講師は元、建部中学校校長で退職後に4年間、中国、南京市にある大学で日本語を教えて来られた河本雅明先生。
若い人には、奈良教育大学で教鞭をとっておられる河本大地さんのお父さんと言えばおわかりか。
この日は折よく、当時の教え子で、今は中国の日系企業の優秀な社員として
勤務する張 萌(チャン モー)さんも、休暇を利用して先生宅に滞在されており同席。
「中国の若者は今・・・日中友好の大河の一滴にならん」と題したこの講演、いやー、この日、来れなかった方は惜しいことをした。
建部に居ながらにして、世界を動かす隣国、中国の今を知れる。
それもテレビや新聞に載る政治や特異な出来事のニュースではない、素顔の中国。
中でも、今の若者たち。
河本先生が南京市の三江大学で日本語学科の教壇に立たれたのは2009年から2012年。
時は尖閣問題に揺れ、ましてや「南京大虐殺」のあったとされる地。
以下、あまり出来の良くない生徒(記者)のレポート。
初めは中国クイズ。
「中国の人口は?」(答・15億)さすが、すぐに回答。
「中国の政策スローガンは?」(答・一帯一路)これも即答。
「中国で人気の日本アニメは?」(答・ナルト 名探偵コナン ドラえもん )
この辺から、「うーん・・・」ナルトを読んで成長してきたと言う学生も多い!
「よく知られている日本語は?」(答・バカヤロー メシ、メシ ヨーシ)
戦前の抗日ドラマで日本人役が頻繁に使う言葉、「へぇー」。
「有名な日本人は?」(答・蒼井そら)
「??????」AV女優に1500万人の中国フォロワーがいる?
聴講者はここで面食らう。初めて聞く、中国人の描く今の日本。
次に映し出されたのは教室での先生の授業風景。どの教室でもテキストを手に、眼鏡をかけて真剣に学ぶ生徒の姿。
校舎を出ても生徒との交流は続く。夕飯の食材選びを手伝う女生徒たち。
生徒たちといっしょに和気あいあいとテーブルを囲むシーン。(これが、すごく多い)生徒の家に呼ばれた時の家族、親戚一同での歓迎、歓談。
これを観ていると、先生の考える「友好」のあり方が伝わる。
どんな国、どんな民族であろうとも、真っ正直に交わる。そのことで人は門を開き、心を開く。
日中友好に尽力した、内山完造が中国は「同じ釜の飯を食べて理解できる」と言った、そのことを先生は実践していた。
4年の間の生徒たちの卒業論文のテーマも興味深い。
「相撲道の『心・技・体』」「ドラえもんの人気の秘密」「村上春樹『海辺のカフカ』」
「中日国交回復の祖・岡崎嘉平太の『信』と『愛』」「魯迅の親友・内山完造の中国観」「中国語になった日本語・・・」
その一つ一つについての背景やエピソードを先生が語る。
横綱、朝青龍の引退事件があって、日本人の求めるスポーツを超えた人間完成に関心。
ドラえもんには日本のいろんな日常が出てくるので面白い、また「ナルト」を読んで育ったという生徒が、ご自分の引越しの時、忍者風に「すけだちに参る」と言ってくれた(笑)。
小説は村上春樹だけでなく、東野圭吾、「窓際のトットちゃん」、これは今もベストセラー(ほぅー、感嘆の声)、他にも「徳川家康」など(またもや、ほぅー)。
岡山出身の岡崎嘉平太は、日中国交回復で周恩来から「井戸を掘った人」と讃えられ、岡山の記念館にはさまざまな記録や本が展示されている(知らなかったー)。
中国にも日本から入った言葉があり、休憩中などの”〇○中”、日本的とかの”〇○的、オタク族の”〇○族”などが普通に使われている。
今は更にネットを通じての日本文化の定着が急激に進んでいる・・・。
続いて、先生が実施した日中アンケート「日本が好きか」
日本語学科の生徒は9割以上が好き。他の学科の生徒も6割が。そして、現地の日本人も6割以上が中国を好き。互いを知れば、わかり合える!
実は先生の話、ここまで記したことは粗筋で、本当はもっともっと中身の濃い日中比較文化論とも言うべき話が展開したのだが、
記者の技量至らず。しかし、この講演を聞いた建部大学の生徒さん(全員65歳以上)は、皆、しっかりと理解して帰ったと思う。
すなわち「中国の人、特に若者は今の日本についてよく知っている。では、自分は中国の何を?テレビや新聞に出ていることしか知らなかった」
日本テレビのニュース番組で報道された先生の最後の授業。教室の黒板に「一生感動」と記す先生。泣いて別れを惜しむ生徒。
別の映像では先生の好きなテレサテンの歌を合唱で送る学生たち。
冒頭に載せた、張萌さんの作文「信はたて糸、愛は横糸」に書かれた三つの提言。
1.中日の若者は、岡崎(嘉平太)氏の「信」と「愛」の精神を継承し、友好の「架け橋」になる。
2.政府は、中日の歴史や国交回復について正しい教育をし、「兄弟国」になる。
3.メディアは、公正で正確な情報を発信し、中日友好の「推進器」になる。
そして、「(私は)日本の人々との”絆”を深め、中日友好の”架け橋”になりたい」と結んでいる。
*かっこ内は記者が補足
*教室の光景は日本テレビの報道ビデオより
(取材・写真 三宅優 )
今年のスローガンは「心を燃やせ!紅白まけるな建部っ子」。建部小学校の運動会が本日、開催されました。
心配された天気も雨があがり、グランドも水はけがよく効いて絶好のコンディションの一日となりました。
朝9時に始まった開会式では宮尾勅香校長から「心を燃やすと言うことは、何事にも一生懸命に取り組み、やり遂げるということ」とのお言葉。
生徒116名の「やる気・元気・人が好き」の学校目標がどれだけ表現されるか楽しみです。
この運動会は一週間前のグランド整備、前日からのテント張りやライン引きなど父兄の組織である愛児会の皆さんの協力があって開催に至っています。
学校・家庭・地域の三位一体の体制が大切ですね。
(取材・写真 勝部公平)
少し遅れてから取材を引き継いだ記者。グランドでは玉入れ、1・2年生対来賓の対決が。よく見ると地区の会長さんや森田議員も。
日頃は恐い顔した大人たちが、赤い玉を拾ってカゴに投げ入れる姿は案外ほほえましい。
時折、突風が吹き、パンフレットが空に舞い上がる、あわてて拾いに行く先生ら。種目は「レッツ建部急便」?
バトン代わりのダンボール箱、但し受け取るたびに1箱づつ増えて行く。
超過酷なレースに会場から「アー、落とすな、がんばれー」の声援。
次なるは「やはり、この種目は盛り上がりますね」とオニビジョン松本記者お墨付きの「親子対決リレー」
懸命に走る我が子を追い抜いてよいのか、息切れしたお父さんを突き放していいか、親子の微妙な思いが伝わるグランド1周レース。
もう、来賓席は、わんやわんやの応援合戦。それもそのはず、自分の息子に孫、近所に住む親子が総出場。
「ああ、あの人、あの子の親だったんだー」との新発見付で、やはり大盛上がり。
そうして、午前の部、最終を飾ったのは、お待たせ「YOSAKOIソーラン2018」
太鼓の音に導かれ、そろいの紅いハチマキ、黒のTシャツ、手には鳴子の4〜6年生が入場。
「シャカッ、シャカッ」の小気味よい鳴子の響き、身体は地を伏せ、天に伸びる。なにが脳裏に浮ぶのか、空を睨み、唇をかみしめる男子。
「この一瞬を忘れまい・・・」燃える、燃える、燃えつきる、生徒たちの思いはここで1つのピークを迎えた。
(取材・写真 三宅優)
12日の土曜、この日、旭川では建部の誇るカヌー全国大会を開催。そして、その上流ではもう一つ、この川の魅力を伝えるイベントが行われた。
これから始まる田植えに備え、年に一度の大井手用水の大掃除。水が抜かれた用水の浅瀬に取り残された魚を捕まえようという体験学習。
「めだかの学校」が10年ほど前から行っているネーチャーワークに、この日は市内中心部から32名の親子連れが参加。
久具地区にある旭川からの水の取り入れ口である一ノ口井堰、手前には昨年、仕掛けられた10ばかりの簗(やな)がおかれている。今年はどんな大物が潜んでいるだろう。
こりゃあ、子どもより大人の方が気が気でならない。講師の井口さん、古本さん、アスエコのスタッフも深さ30センチほどに減った用水の底を真剣に見つめる。
「おおお、あそこに群れが動いとる」「黒い影が、ありゃあ、でかいぞ!」
子どもらも事前説明の終わるのが待ち遠しい。「おとーさん、はやく入りたいよー」「ちゃんと、せんせいの話を聞いてからだよ」
午後1時、日差しは水面を直撃、下に顔を向けている間に額がヒリヒリ。さあ、全員、網とバケツを持って中に降りて今から開始!!
どっと、水しぶきを立て動き回る子ども、逃げまわる魚の姿。すぐに「ああ、こんなに大きいのが、ママ見てー」
網が根元から折れそうなほどのナマズをゲット。
「ええー、これ、なあに?」大人の手のひらサイズのカニ。
「おーい、こっちにみんな来て、ヤナをあげるぞー」仕掛けを次々に引き上げ、網に向け傾ける。
「ドバッドバッドバー」大漁だ!もうこうなると、小さな網ではすくいきれない。そのうち、
「おっ、ウナギだお父さん、うなぎがそっちに行った!」「あっ、ほんとだ」
超大物登場で、大人、子ども、講師、入り乱れての捕獲作戦。水路の際の穴に潜り込んだ大ウナギ、子どもたちがしっぽをつかんで逃がさない。
格闘〇○分、全長80cmの身体はやっとバケツに収まった。
本日の漁獲量、ナマズ20匹、ウナギ3匹、フナ無数、ギギ無数、ニゴイ、カジカ、アユ、オオシマドジョウなどなど20種。
他にもモクズガニ、テナガエビ、トンガリササノハガイ、カワニナ、シジミ、そしてスッポン!
感想は?「こんなにいるなんて、はじめて知りました」(お父さん)「ぼく、もう、来年もぜったいに来るからね!」(子ども)じゃあ、楽しかったんだね?「ハーイ」(全員)
まだまだ秘められている旭川の力。小雨降る翌朝の用水路、1年後に期待してワクワク、新簗を仕掛ける井口さんと記者がいた。
(取材・写真 三宅優)
「第13回たけべカラオケ交流会」が5月13日文化センターで開催されました。小雨そぼふる中、岡山県下、倉敷・備前・鏡野・高梁などあちこちから、
平均年齢が75歳の着飾った人々が148名が参集。
真庭市からの参加者は「今日は友達と参加しましたが、建部は岡山のど真ん中、とっても来やすい会場です」と話されていました。
建部町カラオケ連合会会長の窪藪和男さんによると
連合会は建部町内にある7つの同好会が集まり、2年に一回のペースで交流会を開催しているそうで、
建部の会員は43名。今日はこんなに大勢の皆さんの参加で盛り上がりうれしいとのこと。
ご自身も25年ほど前から教室などに通い、カラオケにはまっているそうです。
建部にはカラオケやグランドゴルフ、歩こう会などで、趣味と健康対策を兼ねて活動されている元気なお年寄りが大勢いることが理解できました。
(取材・写真 勝部公平)
5月12日(土)、富沢改善センター駐車場に、8家族20名の親子と愛育委員、栄養委員、民生児童委員など富沢地区の景観を少しでも良くし、地域の絆を深めようと集まりました。
「富沢地域資源環境を守る会」が主催した春の花いっぱい活動の報告です。
20のプランターに苗植え用の土を、お父さんお母さんとボランティアに教わりながら、ちびっ子たちは移植用のスコップを片手にサルビア・マリーゴールド・日日草などの
花60本を手際よく植えこみました。
こんな時代だからこそ、世代間の交流と参加による絆が大切なのでしょうね。
きっと子供たちが植えた花々が、地域の皆さんに和ごみとうるおいを与えてくれることでしょう。
(取材・写真 勝部公平)
カヌー全国大会2日目、昨日とはうって変わっての生憎の雨にもかかわらず、全国からはせ参じたアスリートたちが力強く健闘。
増水ぎみの旭川、手際よいパドルさばきでポイントを次から次へとクリア。いつ見ても若者のチャレンジする姿は感動でいっぱいです。
そんな悪天候の中、キラリと光る建部の皆さんによるおもてなし。こんな時こそ温かいものが最高とばかり、観光協会では「豚汁」の無料サービス。
たけべおこしの若者は「ホットコーヒー」の提供で選手の皆さんへ温かーいおもてなし。
そのほか岡山の土産物や野菜などが登場。
全国から参加した選手の皆さんに、
一生懸命応援したホット建部が記憶に残れば幸いです。
(取材・写真 勝部公平)
☆☆速報!!
建部町から出場の山根美千義さんが、ワイルドウォータージャパンカップで優勝!!!
おめでとう、山根選手!次なる大会でのいっそうの活躍を!!
(取材・写真 三宅優)
福渡鉄橋下をスタートし、三本松のゴールを目指す。大きな岩を乗り超え下流へと激しく落ちる。
この水流をどう乗り切るか、今年も建部町福渡河川敷には東は秋田から南は鹿児島まで、
数多くのアスリートたちが集結。
特に今年は2年後の東京オリンピックを間近にして、
重要な大会と位置付けられている。選手たちの意気込みもおのずと高くなる。
午前9時から始まった開会式には大森岡山市長も駆けつけ激励。建部町民も
この大会を盛り上げようとフードコートを設営。おなじみ「建部ヨーグルト」
たけべ観光公社が「岡山名産品」、福渡町内会は「たこ焼き」(高齢者総出でたこ焼きを裏返す)、
そして地域おこし協力隊の
今田さんがパイナップルとキューリの
「冷し棒」(さすが、うまい線をいってる)
10時15分、たけべカップ スラローム 1本目開始!
太陽はまっすぐに照りつけ、気温はぐーんと上昇、もはや真夏といえるほどに。
今日のたけべカップ、明日のジャパンカップには地元出身の選手が出場、
健闘が大いに期待される。
すべての競技が終わるのは明日、午後4時過ぎ。明日の天気予報は午後から雨だが、
水と戦うアスリートには、どうということはないに違いない。
”選手たちからファイトをもらって町おこし” 建部でのカヌー全国大会の成功を願う。
(取材・写真 三宅優)
建物は昔のまま、入口も変わらず・・・しかし一歩、中に入ると・・・「うゎー、明るい!」
そう、長い工事期間を経て今日オープンした岡山市立建部町図書館。以前からある保健センター建物に同居する形で1階に移ったのだが、
正直あまり期待はしていなかった(スミマセン)。
これまでの小部屋で仕切られた少し鬱陶しい感じのイメージをそのまま描いて「あそこじゃあ、今までよりもっと本が選びにくいだろう」と
勝手に思い込んでいた。
ところが、ところが、中の入り口に立つと、ずっと奥まで見通せる、開放感一杯のワンフロア―。
右側面の窓からは自然の光がふんだんに入り込む。
人の高さより低く設えた書架により、目的の棚への移動がスムーズになった。
上に吊るされた分類表示もわかり易く、且つ、見つけ易い。
カーペットは全体が薄いグレーで統一され、
絵本コーナーが薄い赤で児童ゾーンを示している。
書架のエンドごとに置かれたスツール(背もたれのない一人用の低いイス)も、本選びには有難い。
自分の関心のあるコーナーで、じっくり腰を据え、複数の本に目を通せる。
新聞、雑誌コーナーも充実した。新聞はスポーツ紙が加わり5紙に。ここは休館日も利用できる対応になっている。
女性に人気の情報誌コーナーもバックナンバーが揃って一目瞭然。
二万冊の蔵書、はじからはじまでタイトルを眺めるだけで読書感で満腹となる。
かつて「背表紙の達人」を自負するほどの図書館オタクだった記者、勤めは図書館と言われるほどに通いつめていた。そんな日々が
再びやって来そうな予感のする「新・たけるべ図書館」の誕生だ。
(取材・写真 三宅 優)