■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
第17回は小学生で自分の道を見い出し、以後ひたすら歩み続ける書道家、吉岡優さん。
(プロフィール)
吉岡 優(ゆう) 1982年岡山市生まれ。
小学生の時、額田桂崖先生に書道の手ほどきを受ける。
県立和気閑谷高校では板持圭穂先生に学ぶ。
京都橘女子大学へ進み吉川蕉仙先生に師事。
卒業後就職し結婚、そして出産。
精進から遠ざかっていた書に、今再び闘志を燃やす。
現在、福渡でご主人、子ども両親との6人暮らし。
(聞き手 三宅優)
小学生で書道を習うきっかけは何だったのですか
「母が書を習っていたんです、額田桂崖先生とおっしゃるんですが。それで、あんたも良い人だから行きなさいって。
先生は学校の校長先生もやられた方で、厳しいけどその中に温かいまなざしを持っておられるんです。いつ行っても大きな心で受け入れてくれて。
その出会いがすべてのはじまりですね」
市内に居て和気閑谷高校に進まれたのは?
「あんまり勉強が得意な方じゃなかったから、入れる高校がなくて(笑)・・・。その頃、閑谷高校には板持圭穂先生という書で名の通った方がいらしたんです。
どうせだったらその先生のいる高校にしようということで行くことになりました」
なるほど、どこまでも書が付いてきますね。では大学の方もその理由で?
「ええ、京都橘女子大学には日本語・日本文学科書道コースというのがありまして、そこを選びました。4年間、山科にある女子寮に入り通いました」
大学で書を専門に学ぶというのはどんな課程なんですか
「一応、日本語・日本文学科なので日本語の成り立ち、古い日本の文学作品を読み解くことなどが必修なんですが、もう論文が埋まらなくて大変でした(笑)。
書の方は吉川蕉仙先生に師事しました。古典を徹底的に学ぶことから始まるんです。すべては中国を手本とする古典なんですが、ここが出発点でここにすべてがあって、
この古典とどう向き合うかが書家としてもっとも重要なんです。ですから古典にずーっと取り組んでいましたし、それは今でも変わりません」
そうして卒業されてこちらに戻られたわけですが、書家としての道のりはどうでしたか
「しばらくは自分で書き、作品を先生に観てもらうため岡山と京都を行きかう生活が続きました。
でも出品の〆切に追われたりして、疲れてきて止めることにしました。24歳で勤めるようになって、
次の年に結婚し、子どもが生まれたりで書から遠ざかっていました。
展覧会活動は岡山書道連盟に年2回出品して続けていたのですが。
・・・そうですね、最近やっとですかね、少し余裕を持って書道と向き合えるようになったのは。
子どもがいろんなことがある中でも成長していて、自分でもやってみようかと考えるようになりました。
きっかけも、その長男が書道を楽しむようになってくれたこと、それと建部町公民館で、手本を重視する”書写”の講座を
10人ほどの子どもにしたのですが、全員がのびのびと書くのを見て教える楽しさを知ったことですね。
ほとんどの子が賞を取ってくれたのも、励みになりました」
この4月から書道教室を開かれましたね
「ええ、正直これまでにすごい賞を取ってもいないし、そんなに長く続けているわけでもないのですが、
額田先生が、そろそろ子どもを教えたらどう?あんたならできると言ってくださったんです。
もともと教育書道には抵抗があったので、じゃあ自分のやり方でやれないかなって。古典をベースにしっかりと身につけて
その中で自分の表現を見つけていけるような。あくまで教科書通りじゃなくて、自分を表現するための書道です。
教室名は自分の優ではなく”悠”とつけました(笑)」
それは、まさしくアートとしての書ですね。元来、人々はそのために筆を
とって来たのだと思います。それはとても楽しみですね。ところで話が変わりますが、
先日、東京で開かれた地方を考える全国会議に建部おこしの代表の一人としても行かれてますが、
この活動に関わった経緯とか思いとかを教えてください。
「はい、はじめは公民館で開催された”たけべ未来塾”に参加したのがきっかけです。
ここで友達をつくりたいなと思いました。
結果的には花火大会やマルシェ、いろんなことをやる中でたくさんの人とつながりができたと思います。
メンバーは30代から40代とけっして若くはないのですが、更に実績を重ねていきながら、
ここが若者の成長するための居場所になれば良いなと思います。建部町全体に対しては、ああしたい、こうしたいと
いっぱい考えは尽きないのですが、元気な町にしたいですね」
最後に、どんな年寄りになりたいですか(笑)
「単純に、どの人から観ても人生が顔に出てると思われるような年の取り方、そのために人に嫌なことをせず、
一人間として働き続けていたいです」
ありがとうございました
書道教室「悠」ご案内
開催日時(水曜日)午後4時〜5時 低学年/午後5時〜6時 高・大人
(土曜日)午前10時〜11時 低学年/午前11時〜12時 高・大人
(記者感想)
最初の出会いは、新聞「タネピリカ」に載せる彼女の似顔絵を頼まれたこと。同じ名前(優)の人ですと紹介を受けた。
書道家と聞いて、へー面白そうな人だと興味がわいた。それからは「たけべおこし」の活動で出会ってはいたが、
書について話をする機会はあまりなかった。
今回はじっくり考えを聞くことができ、美を表現しようとする者が必ずぶつかる壁、
それを前にした時の苦悩、そういった一片をうかがい知ることができた。
この所、建部町にはスケールの大きな女性が次々と移り住んでいる。
この人たちの動きがこれから町のあり方を大きく左右するのは間違いない。
本日、岡山市内の小学生は軒並み運動会。そうでない子は全員、めだかの学校「環境まつり」に集合!
開会30分前には春の小川沿いにズラーっと、恒例「アマゴのつかみどり」の列。空は晴天、気温は確実に30度越え必至。
各体験コーナーを受持つ専門スタッフ、手伝いに来てくれた建部の小中学のボランティアたち、学校関係の職員、そして
実行委員会のメンバー(当新聞編集長、記者含め65歳以上の高齢者軍団10数名)は今日の熱い一日をしっかりがんばり抜こうと気を引き締めて臨んだ。
第一回目、アマゴ捕り。我が勝部編集長の捕獲の実演後、いっせいにアマゴの泳ぐ水槽へ。
「ワーワー」「キャーキャー」
速い子はものの数十秒、苦手な子は5分10分、追いかけまわし、相手がくたびれたところをゲット。あとは、竹串に刺して、ヨッコラショと用意したU字溝(これがトンデモナク重い!)の炭焼きコンロへ。
手作りの体験ブースに目を向けると、「ピーピー、ピーピー」と鳥たちのさえづる声がひっきりなしに鳴りひびく。
「建部町おこしネットワーク」の人たちによる竹細工のコーナー、竹笛、水鉄砲、竹トンボ、オールディーズな遊び道具になぜだか黒山の人。どこにでもある竹が
こんなにもいくつもの面白グッズに生まれ変わる、そんな意外性とそれを可能にする巧なワザに納得。
笹の葉細工、木のキーホルダー、キャンドル作り、手作りの楽しさを伝えるコーナーはどこも子どもたちの夢中の姿で溢れていた。
さて今日もう1つの人気はやっぱ「かき氷」、でっしょ。「なでしこ作業所」の提供する”なつかしーい”かき氷を求めて
並ぶ人、人、人。お孫さんとかき氷を頬張るおじいさんもどこか微笑ましい。
カレーライスに焼きそば、たこ焼き、おからドーナッツ、地元の人によるふれあい屋台にも人だかり。
ひとしきり楽しんだ後はリラックスタイム。のんびりと出張図書館の読み聞かせ、旭川の石に思いつくまま絵を描こう。
まだまだ陽は高い、でも、そろそろ終りの時刻。
「この催しに来てくださってありがとうございました。各ボランティアスタッフの方々、ありがとう。関係者、実行メンバーに感謝、また来年!」
(取材・写真 三宅優)
もはや真夏と言ってもおかしくない今日、建部小学校の校庭はぐるりとテントが張られた。
建小運動会、今年のスローガンは「紅白負けるな 最後の最後までがんばろう」
プログラムを開くと午前、午後にかけて19の演技が組まれている。「うひゃー、こりゃあ子どもたちは大変だ]
でもよく見ると、そのうち親子種目が6つもある。児童が減った分、親の出番が増えたのか。
「こりゃあ、親も大変だー」そして応援に駆けつけたおじいちゃん、おばあちゃんも。炎天下の土ホコリ立つグランドを一心に孫の姿を追う。
午前の部の締めくくりは建小運動会の華ともいえる「YOSAKOI ソーラン2017」だ。昨年の見事な演技は当新聞でもトップを飾った。
そして今年も紺のTシャツに赤の鉢巻、手には鳴子で登場。シャカシャカ鳴らすリズムで手を振り、地を蹴る。
午後からは「綱引き」と「総合リレー」が締めくくる。昔から変わらぬこの出し物、単純だが分かりやすく応援する側も熱が入りやすい。
お父さんたちも小学生だった頃を思い出しての声援。
いつしか風もさわやかに吹き、暑い戦もフィナーレ。今年で最後となる6年生児童の閉会の言葉。
「ぼくらは全力を出してがんばりました、応援してくださった地域の皆さんありがとう・・・」
建小のみんなこそ、ホントによくがんばったね!
(取材・写真 三宅優/ 写真 勝部公平)
今年1月の14日、中田天神宮本殿屋根改修のため、神様に仮社にお移りいただいて4カ月。
このたび無事改修も終わり、本殿屋根は光り輝く銅板葺き屋根に生まれ変わり、氏子の皆さんも安堵の
笑顔に満ちておりました。
先日の13日土曜日には神様に本殿にお戻りいただく入遷宮と呼ばれる遷座祭が厳かに執り行われました。
3人の宮司の方の導きで、出遷宮の時と同じく白布で囲われた道をろうそく一燈の光でご案内。
伊勢神宮の遷宮儀式と同様に進められたこの儀式、まさに日本人の守り通してきた伝統が偲ばれました。
遷座祭がつつがなく終了した後、引き続き、毎年この時期に行われている春の祈年祭(春祭り)が
行われました。これで豊作を祈念し、いよいよ田植えの準備へと入ります。
こういった日本の各地域で続けられてきた、四季折々の行事が生活文化を豊かにしてきたのだと
感じました。
(取材・写真 勝部公平)
さて、お待たせしました、建部の誇る旭川カヌーの速報です。曇天の朝で迎えたこの日、「カヌージャパンカップ」決勝。
全国からのアスリート出場総数100余名による総決戦。小学生から大人まで男女がそれぞれの種目は違えども総合で戦い合う熾烈なレース。
「スタートしました」のアナウンスと共にドドッと岸辺に走る応援団。「イケ、イケ、ゴー、ゴー、ゴー!」
まずはスラロームの始まりだ。この競技、赤、青、黄の色鮮やかな艇に見とれているほど甘くない。1分数十秒、いかに減点なくたどり着くか。
肩の上すれすれにポール下を通り過ぎる選手、まさに神業。安心したかと思うとちょっとのことで背に触れて、審判の右手人差し指が上がる。
そのたびギャラリーからは「ああー」のため息。難関は19カ所ある通過点の「アップ」と言われる、流れとは逆に1廻りする赤いポールの通過点。
最初は3番、それをクリアーしても、次に7、8番と待っている。気を抜くことなど許されない試練が組まれているのだ。
日も西に傾きかけてスタートしたのはワイルドウォーター。先日の雨で今日の水量はいつになく多く風は逆風。さて競技にどう影響するか。
1分刻みで選手が走行を開始。1500mをいかに早く漕ぎ抜けるか。後発に追いつかれた選手は即、失格が言い渡たされる。
応援の人たちも最後の声をふりしぼる。
午後4時30分、長い長い戦いが終了。建部出身では依田聡子選手がK-1クラシックで堂々3位、他2名の選手が上位入賞した。
地元の応援ボランティアも前年にも増し大勢が参加し、実に盛り上がりのある大会となった。来年も待ってるよー。
(エピソード)
昨日、会場に千葉から来た子どもたちが「吉備団子をお土産に買って来てと言われたんですけど、どこで売ってますか?」と聞いて来た。
受付をしていた「たけべおこし」のメンバーが明日、どんなものか買ってきてあげると約束。子どもたちは今朝、その吉備団子を食べ
「これで、力が付いたのでぜったい勝てます」と感激。なんと、その通りジュニア部門で1位〜3位を独占した。
小さなおもてなしの気持ちが、良い結果につながった。建部、まだまだ捨てたもんじゃない。
(取材・写真 三宅 優)
建部の旭川では今日からカヌーの大会が始まった。そして、上流の一ノ口井堰から水を引く大井手用水では恒例の大掃除に入った。
毎年この作業にあわせて旭川の自然を学ぼうと「めだかの学校」主催の体験授業が催されている。旭川からの入水門を閉め、
用水の水を出すことで、中に残った魚や、水生昆虫などを捕えて観察する。
正午過ぎ、一ノ口井堰の水門前に市内から20数名の親子連れが集結。さあ、説明を聞いた後、さっそく網とバケツを手に膝下まで水の減った用水路へと。
「ひゃー、冷たい」とひるんだのも一時、「あっ、デカイのがいる!」「おおっ!」・・・×××、もう、バシャバシャとてんでに追いかけまくる。
長さ4〜50センチの魚影があっちこっちに逃げ回る。仕掛けの筒を持ち上げるとドドッと大小、魚が飛び出して、てんやわんやの水の中。
そのうち、「あっウナギがいた!」の声に講師(我ら)も目の色を変える。昨年も何匹か確認したが、今年はいそうにないとあきらめていた所。
予想外の捕獲に、この準備を毎年行ってきた井口さんは「やはり、コンクリートで固められた水路でも住処を作ってやることで魚は生息できるんだな」と
これまでの取り組みに自信を深めていた。
今日、見つかった魚はナマズ、ギギ、サツキマス、タナゴ、フナ、ムギツクなど10数種類。
カニにエビ、水生昆虫も何種類か発見。
時間はあっという間に過ぎ、まだまだ未練の残る子どもたち。
また来年、会おうねと魚たちは川に戻されて行った。
(取材・写真 三宅 優)
先月の28日、福渡町内で区長さんを中心に呼びかけられた「福渡を健康長寿の町に」。その第1回会議が開かれた。
だれもが関心を持つ健康をテーマに、できるだけ多くの町民、特に高齢者に参加してもらい、町を明るく元気にしていこうというのが
ねらい。
会議にはすでに活動している愛育委員や保健センターの方も加わり、さまざまな視点から活動のあり方が検討された。
高齢化率が43%の建部町の中でもここ福渡は50%を超え、みんなで支え合う連携づくりが急がれている。当日は各自、意見を述べ、
それを基に更なる提案を出すことで閉会となった。
この会議を経てさっそく新たな取り組みが始まった。建部町公民館職員の人たちが自主的に、”まずはラジオ体操からやってみよう”と、
今月から公民館前で「ラジオ体操、第1」をすることに。今日も朝、近隣に声をかけるや
「まあ久しゅう体を動かしとらんから、やってみようかなあ」と人が集まり、元気よく体操にトライ。
気持ちの良い1日のスタートを切っていた。
このラジオ体操、日、祝、水曜日を除く毎朝、9時半より公民館前にて実施。雨天は館内で。みなさん、やってみよーう!
(取材・写真 三宅優)
先日の日曜の朝、富沢の改善センターは色鮮やかな衣装を身にまとう子どもらで溢れかえっていた。今日は近くの藤田山、成就寺の
ご住職が新しく入山される法燈継承式だ。それをお祝いし、子どもらは平安絵巻そのものの烏帽子に着物姿でお供する。
10時出発。ここからお寺までほぼ800m。先頭は法華の太鼓を打ち鳴らすお坊さん。次に白い法被姿の信徒さん。
そして赤い大傘のもとを行く御上人さま。その後をお父さん、お母さん、おばあちゃん、おじいちゃんに手を引かれ、
ゆっくりゆっくり歩を進める50数名の子どもたち。
この稚児行列、めったに出会えるものではない。そもそもいつから続いているのかさえ定かではない。
当新聞編集長が御母堂さんをお連れしたところ、「私が子どもの時にもこの行列をしたわ」ということで80数年ぶりの出会いだったとか。
行列は20分ほどで本堂に到着。これから一世一代の記念撮影、記者もこれが最初で最後のシャッターを押す。
(取材・写真 三宅優)