■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
第16回は2年前に実家の酒屋を継ぎ、新しく日本酒のおいしさにこだわるお店として邁進する服部晶さん
(プロフィール)
服部 晶(あきら) 1974年生まれ。川口生まれ。
関西高校を卒業後、コンピューターの専門学校で学ぶ。
社会人として建部町役場に勤務後、単身、大阪に出る。
インターネット関連の会社に勤めるかたわら、日本酒に
魅かれ、しだいに天職へと目覚める。
2015年3月、実家「服部商店」を改造し新店舗を開く。
以後、全国の酒蔵を巡り知識を深めつつ、さらなる
美味しい酒を提供できるよう奮闘している。
現在は岡山市内に奥様と二人暮らし。
(聞き手 三宅優)
勤務先の建部町役場を辞めて、大阪に行くと決めたのはどういった理由ですか。
「前から30歳までには、外に出ようと決めていました。いろいろな経験をしたかったというのが理由です。それまでの勤めでは言われることに慣れていて、
指示されたことをやるだけだったので、それを何とか抜け出して自分で何でもできるようになりたかったんです。未熟な自分というのを常にコンプレックスに感じて、
鍛えなおしたいと思ってました」
大阪ではどんな生活でしたか
「インターネットのプロバイダーサービスの会社に勤務していました。その間に結婚をし、結局、大阪には10年いました」
その大阪時代から酒屋を継ぐお気持ちがあったのですか
「それは長男ですから、いつかは戻らなくてはならないかなと・・・。でも酒屋をやるというか、そもそもお酒もビールを飲むぐらいだったので、
今のようなことは考えてませんでした」
それがどういうきっかけで日本酒に目覚めたのですか
「31歳のとき、富山に仕事で行ったのですが、納品先の飲食店で仕事が終わり、お酒を出されたんです。そこで飲んだお酒がめちゃくちゃおいしかったんです。
えっ、日本酒ってこんなにおいしいの?って驚きました。それがお酒に対して愛着というか興味が湧いた最初ですね。それからは度あるごとに、おいしい酒に出会いたい気持ちが
あって、おいしい料理も食べ歩きました。まあ、両親も食べることにはこだわるタイプなので家系かもしれませんが」
でも、それから何年も大阪で勤めを続けられるわけですが、戻ろうと決めたきっかけは何ですか
「37歳の時、広島でお菓子屋を営んでいる叔父から、お前どうするんじゃ、早く帰って来て地元で貢献しなくてはだめだろと言われたんです。
それで、ならまだ若いうちに家とも向き合い、墓も守っていこうと決心しました。逃げようと思ったらいつまでも逃げれるんです。
両親からは家は継ぐな、大阪で暮らしていればいいと反対されましたが(笑)」
それで2年前にお店をオープンさせたわけですが、いかがでしたか当初の思いと比べて
「そうですね、実際にやってみてお客様から学ぶことがすごく多かったと思います。始めて3カ月後くらいから、自分でもいろんな酒を飲み比べて、
これだという酒を探していきました。奈良、栃木、宮城、岩手、青森、広島、兵庫といくつもの蔵元に足を運び、話を聞き仕事を見せてもらい、
そんな中で酒店としてのステータスである”知識”?酒師の免許の取得と、”置いてあるお酒の品揃え”という両方を充実させることに努力しました。
”風の森”を扱えたのもそんな時で、私にとっては本当に幸運な出会いでした」
最近では岩手の震災で流された蔵元との取引を始められましたね
「はい、赤武(あかぶ)酒造さんと言われまして、私が直接お願いにいきました。だめかなと思ったのですが、先方からあなたの熱意に応えましょうとご返事をいただきました。
このことは私にとっても大きな一歩になると思います」
今後はどういった方針で進まれますか
「今はようやく形になりつつあるという感じです。この頃になって、お客様の紹介で買いに来られる方が増えていますし、
また取引先も、知り合いの方から蔵元の紹介を受けることがあったりで人と人とのつながりで広まっていることを実感しています。
この縁を大事にしていきたいです。そして、お客さまに対しては正真正銘自分がおいしいと自信を持ってすすめたいですね。
お酒にも嘘はつきたくない、お客様が、”来た甲斐があったわ”と言って喜んでもらえる店であろうと思います。
そのためには、これまでやってきた流れをさらに磨く必要があると感じています」
ありがとうございました
服部商店さん詳しくはこちら
(記者感想)晶さんとは、まだ大阪にお住いの頃、当ギャラリーで開催したお父様の、服部翆園先生の展覧会でお会いしたのが最初で、
まだその時は酒屋の話はなかったと思います。
その後、お母様からどうしてもやると言っていると伺い、また直接お会いして話もお聞きしました。
生酒だけを扱う、しかも量販店にも一般の酒屋にも置いてない
銘柄。こんな田舎でそんな研ぎ澄まされた店が成り立つだろうか正直、疑問でした。開店から2年、手探りの努力が続いたと思います。が、「熱い思いは岩をも砕く」の言葉通り確実にファン層が広がっているようです。
「まっすぐでピュア」、お酒だけでなく店主、晶さんにも共通する魅力。これからの発展をお祈りします。
すっかり人気となった法寿山ウォーキング。それもそのはず、小さな山に、これほど見どころぎっしりのコースも他にない。
今日は町内、町外の20数名が参加しての山登り。里の小道をトコトコと民家の脇を抜けて山に向かう。
暖かい日ざしの中をのんびりと寄り道、おしゃべり、山菜探し。この頃は古墳、郷土史、地誌に関心を持つ方が増えていて、
途中、熱心にガイドの地元ボランティアに質問攻め。とは言え、そこは地元民、しっかりと勉強した成果を披露。
今日は花見の予定だったが全国同様、平年より遅く桜はわずかなつぼみ。それでも、阿弥陀様石仏像の前のビューポイントでの
昼食は日頃のわずらわしさを忘れるに十分な風情を堪能した。
下山してからは「たけべ八幡温泉」で建部町の歴史に詳しい神原英朗先生を囲んでの歓談。古墳群調査の苦労話、裏話、たっぷり、どっぷり、
「たけべ満喫」だったのではないだろうか。
(取材 三宅優)
おかげさまで、当新聞はこの4月で創刊1周年を迎えることができました。これも、読者の方々の暖かいご声援があったからこそと感謝します。
1年前、「これから先の世代にここで何を残せるか」その課題に答えるべく3つの目標を立てました。
1.建部の人と自然の魅力を伝える
2.建部でのゆとりある暮らしを提案する
3.建部の課題を解決する仕組みづくりを推進する
今日を迎え、「編集後記」でも述べてある通りあっという間に1年が過ぎました。果たして、掲げた3つの目標のどれかでも
成し遂げることができたでしょうか。読者の皆様の審判に委ねるしかありません。
本日は日頃から当新聞を支援して下さっている方々をお招きし、山陽新聞社様のご厚意により福渡支局にてささやかな式典を催しました。
式では「この建部で何ができるか」前向きなディスカッションが行われました。皆々の此処への思い、数々の課題、そのための施策、そして連携。
岡山市の北の外れ、たった5千数百の住民でも団結が叶えば一国の存在となる。その言葉に「まだまだ建部は終わらない」の思いを新たにしました。
(取材・三宅優 写真・松下りえ)
朝11時、七社八幡宮から法寿山、阿弥陀様まで15分のミニハイキング。
普段、何気なく通り過ぎている山道も、ゆっくり自然を眺めながら歩けば、
あちこちに春の訪れ発見。
初めに出迎えてくれたのは、道にひっそりと咲く小さなすみれ。
続いて谷筋に野生の椿が真っ赤な顔をのぞかせています。
沢水の流れる近くでは馬酔木(アセビ)が白い花をびっしりと。
阿弥陀様に到着。ここから福渡の旭川河川敷が一望に。
八幡橋たもとの桜はほぼ満開。百本桜並木はまだ三分ですが
2〜3日後が楽しみです。
帰りにはコメツツジが可憐な一輪を、妙見様の広場では三つ葉アオイツツジが
紫のつぼみを膨らませていました。
途中、女性三人とすれ違い。たけべの森の桜がまだなので、法寿山古道歩きに
切り替え、阿弥陀様でお花見ランチだそうです。少しづつ建部の新しいスポットに
なりつつあります。(取材・写真 勝部公平)
前日まで雨が降ったりやんだりのお天気だったのに、
それを吹き飛ばすかのような絶好のお花見日和となった9日の日曜日。
「建部はっぽね祭り」が今年もたけべの森公園で開かれました。
町内の住民がこぞって参加、自主運営するイベントととしては最大級。
垣本建部町連合町内会会長の開会宣言に続いて森全体に鳴り渡る「はっぽね太鼓」
町民の手作りならではの演技がはじまります。すっかりおなじみ「傘踊り」が色取り
華やかに舞うとニューフェース「吹奏楽グループ」のスイングが心地よい音色を
桜の公園に響かせ気分もウキウキとさせてくれます。
この日、京都の佐野藤右衛門氏が指導して植えられた枝垂れ桜はまだ5分咲き。
とは言え、四国の高知、徳島から観光バスで来られたお客さんもいて、桜トンネルを
くぐり春を味わっていました。
町内に住む葛原さん御一家は毎年恒例として、岡山のあちこちにいる子どもの家族や
友人を招いてのお花見会をしているそうです。日本人は本当に桜が大好きですね。
この祭りの魅力の一つに住民有志による手作り屋台があります。この日もさまざまな
おもてなしの工夫をして臨みました。地元で採れた旬の「筍、うど、ジャンボシイタケの炭火焼き」
イノシシ肉を使ったジビエ「シシどんぶり」「シシうどん」。「春風」と名付けた自家焙煎コーヒ、
つきたて「ヨモギ餅」など春の味と香りを盛りだくさんに届けていました。
地域をあげてのこのようなイベントをこれからもしっかり続けていきたい
ものですね。(取材・写真 勝部公平)
やっぱり桜花は入学式に似あいますね。
昨日は建部中学校の入学式、正門の満開の桜が参列者を出迎えてくれてました。
さっそく式典前に図書室で待機されていた育メンお父さんたちにインタビュー。
皆、この中学校の卒業生。「なつかしいー」「変ってねえなあ」俺、野球部。俺、卓球・・・。
いつのまにか中学時代にタイムスリップ。しかし子どもたちに何を望む?と聞いた途端、
「何ごとにも挑戦してほしい」「健康で無事卒業して」「田舎のたけべに誇りを持って」
「高校の準備もしっかりしてほしい」と、分別ある父親に早変わり。
式が始まり、万感の拍手で迎えられた1年生。
卒業式で見た子とは思えない堂々と大人になった姿で入場。環境が人を変えるとは本当ですね。
河合校長先生よりの歓迎の言葉。
「一人一人が置かれた場所にしっかりと立って、
自信を持ち、自分らしさを発揮していただきたい。一人では悩まない、
一番素晴らしいことは、色々な個性を持った仲間がいるということ・・・。
人間が生きていく中で大事なことが2つあります。1つは、挨拶をきちっとすること、
2つ目は人の話をしっかり聞くこと。すべては挨拶から始まり、人の話に耳を傾ける
ことで自分が磨かれるからです」
上級生からも言葉をもらいました。「わからないことがあったら、何でも聞いてください。
部活、生徒会、活動の場はいっぱいあります。校訓の”自ら学ぶ”は言われたことをするだけでなく、
自分で行動すると言う意味です」
なんとも心強い先輩の言葉に1年生たちは「充実した中学生活を送ります」と誓いました。最後に私からも建部中学校新入生にエールを。
「運命は変えられないが、人生は切り開くことができる!」
(取材・写真 勝部公平)
翌、12日は小学校の入学式。今回は竹枝小学校にうかがいました。校庭までの道々は桜の連なり、そして校門前には高く泳ぐ鯉のぼり。
どれもが一幅の絵のよう。
そんな中、式場では37名の在校児童が新入生を待ち受けます。
シーンと静まりかえった体育館。やがて、「一年生になったら」の曲に合わせ新入生4人が六年生に手を引かれ入場してきました。
担任の先生の紹介。一人一人も名前を呼ばれて元気に「ハイ」と答えます。
校長先生の歓迎の言葉。それは小さなかしこい魚スイミーのお話し。
「小さな魚スイミーは他と違って色が黒い。でも勇気があって大海に出ていきます。
そこで、かげにひそんでいる小さな魚たちと出会います。
魚たちは大きなマグロが怖くて外に出られません。
かしこいスイミーは、みんなで集まって大きな魚のかたちになるんだ、
ぼくが目になるから大丈夫と言って、みんなをつれて出ます・・・。
これはみなさんが一人ではないということ、これからの6年間、
お兄さん、お姉さんと力を合わせていくことで、成しとげられる
ことがたくさんあるということを知っておいてください」
6年生からも「みんなと竹枝小でいっしょになってなかよくやっていきましょう」と歓迎されました。
終了後、玄関前では新入生と保護者、先生がにこやかな顔で記念撮影。桜の花びらが舞っていました。
これから数日して散り去るでしょう。その後、若葉の成長が楽しみです。
(取材・写真 三宅優)
本日も桜満開。その青空の下、建部地域に今日、新しい施設が誕生しました。
これまであった建部保育園が市内では6番目となる「岡山市建部認定こども園」と
してスタートします。
「認定こども園」とは国の子育て支援の一環で文部科学省所管の幼稚園と
厚生労働省所管の保育園の機能を併せて、今の子育て環境に似合った施設に
していこうというもの。小学校就学前の幼児に対して基礎教育をはかると共に、
共働き、専業に関わらず早くから子どもを預ける必要のある子育て環境にも
対応することから、幼児教育及び保育士の資格を持つ職員を各配置。
時間も午前8時半から午後2時までと午前7時半
から午後6時まで預けることができます。
式典では岡山市副市長から「建部地域の多様な子育てに対応した園をめざし
、支援していきたい」との抱負が述べられました。また引き続き行われた入園式では
深井園長先生から「大きな声で、おはよう!と言える園児になりましょう」
と言葉が贈られました。
今年度は0歳児から5歳児までの合計67名
が入園し、1歳児の子を持つお母さんは「私は共働きなので、仕事を終え、帰ってくるまで
見てもらえるので助かります」と話されました。
地域住民としても「安心して子どもを育てられる建部町」を実現すべく、
あらゆる支援をしていきたいですね。
「心身ともにたくましく、自分で考え行動できる心豊かな子どもの育成」建部認定こども園の一歩が始まりました。
(取材・写真 勝部公平)
岡山県教育委員会指定・重要文化財「石造地蔵菩薩立像」。富沢地区にあるお堅い名前の地蔵様、古来人々からは「腰折れ地蔵」と呼ばれて
親しまれてきました。作られたのは鎌倉時代とされ、高さ2メートルほどの花崗岩に彫られています。
なぜ、「腰折れ・・・」と名がついたかと
言えば、ご覧の通り下3分の1あたりにひび割れが。言い伝えでは「昔、不届きな者がいてこの石像を盗んで売り払おうとして、
背中にしょったんじゃが重たくて落としてしまったそうじゃ」
それからは腰痛に効く地蔵様という評判が広がり、遠くから人がお参りにやって来るように
なったそうです。一時は20軒もの茶店が出て大変な賑わいだったとか。今はその痕跡は見あたりませんが、
地域の人たちが先祖から受け継いできた供養は欠かさず行われてきました。
今日は暑いほどの陽ざしな中、近くの成就寺のご住職をお呼びし、住民有志30名ほどが集まりお地蔵様の前で手を合わせました。
列席者はほとんどが高齢者で、読経後の親睦会では住職を囲んで実に和気あいあいとした雰囲気になり、歳を取ることの楽しさを
教えてくれているようでした。帰りに腰痛に効くお札を頂きましたので、読者にもお分けします。
(取材・写真 三宅優)
桜が散って、なにか大きな祭りの後の気分。でも、そんな一時も悪くない。それに、ゆっくりまわりを見渡せば
たけべには可愛い春の息吹がいっぱい。
今日は旭川沿いに53号線の対岸にある道をサイクリングしました。
吉田から西原へと続くこの道路は幅狭なので車も通らず自転車には最適です。
まず出会ったのは点々と咲く小さな白い花、「一輪草」です。あっ、あっちにも、この上にもと目を楽しませてくれます。
そして山際に垂れさがるように黄色いいくつもの花々、「ヤマブキ」です。側に生える一輪草とのコントラストが鮮やかです。
また、見つけました「一輪草」と思いきや、よく見ると茎が2本つながって、どうやらこれは「二輪草」。
植物のことがトントうとい私ゆえ実際は定かではありませんが、でもでもなんとなくそう思えるとうれしい気分。
次は「シャガ」、調べると花言葉は「反抗」。
種ではなく地下茎をのばして繁殖する独自の生き方を選んだことから、そう言われているようです。
でも「友だちが多い」との言葉もあるので安心しました。
道の両側にそびえる木々も名はわかりませんが、堂々として見ごたえがあります。
旭川に目を向けると、とうとうと流れる豊かなる水。空の青を映し出し、誠に壮大です。
一輪草の時期はあと少し、今年ダメでもまた来年がありますのでお楽しみとして取っておいてくださいな。
(取材 三宅美恵子 写真 三宅優)
先を見据えた視点と生活者の目線で次々と仕事を生みだす小坂田建設さん。今や地元で「建部に小坂田さんがあって、ほんと助かる」と
言われるまでに。今日はその小坂田さんの、お年寄りから子どもたちまでが待ちに待った「お仕事発表会」の日だ。
例によってベンチをズラッと占めたのは超高齢者の人たち。どうやってここまで来たのと
心配ご無用、送迎の車が準備されていた。
会場内にはおなじみ「クレーン乗車写真付きマイカレンダー」
(このカレンダー、年が終わってもなかなか捨てられない)や、鉄筋組みなどお仕事体験コーナー。
スパーボールすくい、プラレールの子ども広場。物販では「サニーデイコーヒー」「ニコパン」「お茶」「山本製菓」さん。
屋内の行列の先には無料で配られる「うどん」「シシ汁」と名物「とり手羽煮」「おこわ」「味噌」小坂田さんが作る米「ふくわらい米」の販売が。
お客さんは、もうてんでに飲んだり、食べたり、遊んだり、ワイワイ喋べったりで時間を過ごす。
さあ、お待ちかねビンゴゲームがやってきた。「〇〇番!」、「うわー、あった!」
はじめはガヤガヤ騒がしくても「リーチ」が懸かるに連れ、沈黙。
やがてジリジリと景品前に列がにじり寄んで来た。最初のビンゴ当選者は大きなゴミ箱を手に。
どうやら景品はかさばるモノが人気。陽ざしも強くなる中、当たらないで泣く子も出る人気イベントも
こうして午前の部を終了。記者は今回、防虫帽をゲット、「やったー」と福笑いして
帰宅の途についた。小坂田さん、ごちそうさまでした。
(取材 三宅美恵子)
今週の日曜日、めだかの学校主催で恒例となっている「タケノコ掘りと野草天ぷら」の
授業が里山たけべ(富沢)で開かれました。「自然との共生」がテーマのこの催しには、
岡山市内からの親子32名が参加。
当日の里山は澄み渡る青空、新緑の森、後咲きの山桜と三つ葉アオイツツジの花々で
春の息吹が溢れんばかり。
授業1時間目は昨年から里山の新しい春のスポットとして注目されている
「里山たんぽぽ園」について。ここ里山には、なんと西洋タンポポ、関西タンポポ
そして岡山、広島に特有の白花タンポポ(備前白花タンポポ)が同居。
三種の増殖の違い、植物の中での勢力図の変化を学びました。
2時間目はいよいよタケノコ掘り。近所で竹林を管理されている松本さんから、
掘り方の手ほどきを受け親子で挑戦。初めての体験でしたが、どの家族も歓声を上げながら
タケノコ掘りに熱中。太くて柔らかいタケノコは米ぬかと共におみやげで持ち帰りました。
タケノコ掘りの帰り道では、野草を探しながらの散策。タラの芽、ウド、葉ウド、
シャリンコ、ヨモギ、スイバ、甘草、フキ、野生三つ葉、シイタケを採取。
お昼はベースキャンプのかまどで、タケノコご飯、野草天ぷらなどを全員で作り、
食器も竹で自分用のハシ、コップを製作しました。
世界の人々から「森の民」とも呼ばれる日本人、竹の笹でいれた笹茶、桜の花と若葉を
浮かべた花茶を味わいながら、子どもたちがロープクライミングに夢中になる姿を
眺める親御さんも今日1日、「森の民」として過ごせたことでしょう。
(取材写真 勝部公平)
53号線に並んだ旗。通りかかった車も思わず「何ごとや?」とスピードを緩めて、のぞき見る。
レンゲに覆われた田んぼを駆けまわる子どもたち。農道で威勢よく杵を振り、餅つく大人たち。
色とりどりのテントからは煙が立ち上る。その周りで、ベンチにドッカと腰を落とし、おしゃべりに余念のないお年寄り達。
ブルーシートのコンサートステージでは、懐かしのフォークソングが始まっている。前に陣取って聞くも良し、レンゲに埋もれて寝転んで耳を傾けるも良し。
空ではツバメが行き交って、その上を鷲がグルグルと旋回する。風にのって飛んできたシャボン玉。焼き鳥の匂いも香ばしい。
「スポッーン!」とポン菓子のはじける音に、驚いた親子の悲鳴。「お母さん、ここがいいよ」とレンゲのふかふかベッドにシートを広げ、
出来たてのお餅に焼きそば、ホットドッグで昼ご飯。すっかりいい気分で居眠りする人。赤ちゃん抱えたママさんに「お幾つですか?」と顔を近付けるおばあちゃん。
「皆さんこれからレンゲハチミツ絞ります」の場内マイクに養蜂場テントにズラッと列ができ、あそこでも、ここでも、「もう、売り切れよー」
の声が飛かい始めて、そろそろ楽しかった「れんげまつり」ともお別れ。今年も120%、肩の凝らないイベントを吉田の皆さん、
「ア・リ・ガ・ト・ウ!」