■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
第15回は音楽療法のスペシャリストとして活躍中の寺尾麻美さん
(プロフィール)
寺尾 麻美(まみ) 1987年生まれ。
山陽女子高校、音楽科を卒業後、作陽大学音楽学部に入学。
音楽療法を専攻する。
在学中から市内にある「音楽教室」にて音楽療法による
生徒指導を続け、現在も音楽療法士(補)として勤務。
また、小学5年生から「蚕くらぶ」ミュージカルにも出演、
中心的役割を担っている。
建部町中田で両親、祖父母と5人暮らし。
(聞き手 三宅)まず音楽療法とはどんなことか教えてください
(寺尾)「主にアメリカ、ヨーロッパを中心に広がってきた補完医療なんですが、音楽の持つ3つの要素、
和音、メロディー、リズムを使って治療に活かす手法のことです。音楽を取り入れることで、心身の障害を
軽減したり、機能の維持、改善をはかっていきます。日本では、まだまだ普及されていない面も
ありますが、兵庫県や一部の市ではすでに音楽療法士認定制度も設けられていますし、病院、福祉施設、
学校などでも取り入れる所が増えています。精神障害者や高齢者、それ以外でも、心を癒し元気になるという
意味では万人が対象と言えます」
なるほど、具体的にはどんな活動があるんですか?
「今、勤めている音楽教室で精神障害を持つ子どもや大人に音楽でセラピーを行っています。
また、高梁市や新見市などに講師登録をしていますので、そういった所から健康教室や介護予防の
講座に呼ばれて実践しています。ただ単に家でも簡単にできるお口の体操から、楽器を取り入れた
複雑なものまで、対象にあわせてプログラムが組まれています」
そもそもは、なんで音楽療法士になろうとお考えに
「小さい頃から保育士になりたかったので高校は普通科に入ったんですが、何か違うなと感じたんです。
その何かというのは、子どもの面倒を見ることも好きなんですが、それよりもっと人の役に立ちたいという
気持ちが強いというか、障害を持つ子どもとも身近に接していたので、そんな人の助けになりたいなと。
ピアノはずっとやってきていたので、音楽を使って手伝えることがないだろうか。
そうしたら母から音楽科に音楽療法士のコースがあるわよと教わったんです。それで2年から
編入試験を受けて音楽科に移りました。たまたま指導の先生がその音楽療法士だったことも影響しています」
それで大学へと進まれるわけですね。どうでしたか入ってみて
「一言で、とっても大変でした。音楽療法士に必要とされる知識、学問、経験どれもが幅広く且つ専門的なんです。
医学的な学問、精神医療、心理学、そして音楽でのスキルや理論。どれもマスターしなければいけません。
高校でその指導の先生から、音楽療法士はちゃんと演奏家としての力を身につけている人でないとできないわよと、
言われたんです。このことが今にとって、とても良かったと思います。音楽はピアノと声楽を選定したのですが、
どちらもきちっと学んだことが、この仕事をやる上で自信につながっています」
今の職場に入られた経緯は?
「大学の3、4年の頃、気持ちが少し揺らいで、夜な夜な”クラブ”でレゲェを歌ったりしていたんです(笑)。
それで、これはもう卒業できないとわかったときに、今の職場の代表から、卒業は後になってもいいから、
うちでやってみないかと声をかけて頂いたんです。そもそも音楽療法士のコースは専攻時は20人いたのが卒業時は半分になるほど、
つらいコースなんです。それも卒業しても社会で職が保証されてる分野ではないので、このことはとっても幸運だったと思います。」
そうですね、自分が学んだことを100%活かせる仕事に就ける人はごく僅かでしょう。それで
7年やってこられて今はどう感じてますか
「最初は自分のペースを見出すのも大変なくらいでした。でも、だんだんと音楽の使い方とか、子どもの反応とかが
わかってきた。ですから今は自分の持てる力をうまく使えるようになったと感じています。子どもからおじいさん、おばあさん
まで幅広いのですが、その人に合った指導ができるようになったと思います」
では仕事の話を終えて、ずっと「蚕くらぶ」のミュージカルに出演されてますが。
「はい、小学5年生から。友だちに誘われたのがきっかけで、母ともずっと。ほとんど家族ぐるみでという方が
正しいかな。父も最初は、またやるのか?とか言ってたんですが、そのうちだんだん引っ張られて仕事柄、大道具とか
協力してくれるようになって。
でも、ここでの経験は自分を形成する上でとても大きかったと思います。みんなで協力し助け合い、
何か一つの事をやりとげる、まわりの人たちがいてできている、そうわかったこと。それといろんな人と
触れ合うことで人間関係の学びの場でもあったと思います」
どのことも今の仕事に活きているわけですね。では最後に普段はどんな生活ですか
「建部と岡山を週何回か往復する毎日です。岡山には88歳になる祖母が一人で住んでいるので、
私が一緒に半分向こうで暮らしています。仕事以外では最近ラテンサンバの演奏チームに入って歌っています。
”サルサルサルサーズ”という楽団なんですが。年齢の違う人たちの中でセッションをするのが楽しいです」
ありがとうございました
(記者感想)今年の「蚕くらぶ」の公演終了のあいさつで、麻美さんが「私がこの役を最初に演じたのは12歳の時でした・・・」と
感極まって話され、それで「ああ、この人の今日までのことを聞きたいな」と思いました。音楽環境の家に育ち、音楽とどう関わり、
どう人生に活かしてきたか。これからの行く先は。そんなことも知りたいと思いました。
この短い対談では十分な内容を聞きだせなかったのかもしれませんが、それはご本人も意識しない未知な部分が大きいからだとも思えます。
これから音楽を通じてさまざまな人を助け、社会をより元気にしていく、そんな強い信念を抱いていることだけはしっかりと伝わってきました。
明日からの新年度を前に、建部で最後を飾る卒業証書授与式が午後、建部町公民館で開かれた。今年度の授業では「徳島視察」旅行や「落語」を学ぶ、
「イタリア人ピザ屋」さんの故郷のお話しなど、多彩なカリキュラムが組まれた。その1年を振り返り、互いに学んだ成果を確認しようと今日は
「みんなの喫茶室」のメンバーらも参加して大勢の人で埋まった。
特別講義として「たけべおこしプロジェクト」の発表があり、若い人たちからの
この町に対する思いも伝えられて中身のある式典となった。
卒業証書授与では6名の皆勤者があり、全員がこれを拍手で称えた。受講生はオニビジョンさんのカメラにこの1年の楽しかった思い出や
出会いを語り、積極的に建部もアピールしていた。
最後に「たけべおこし」が、この春に出したばかりの「たけべ暮らし」新版を紹介。
皆々、1冊づつ手に取って家で読むのを楽しみに持ち帰った。(取材・三宅優)
一枚の写真、昭和50年(1975年)60数名の児童たちの居並ぶ福渡第二保育園の開園1期生。
先日もお伝えしたが園はそれから43年の歩みを続け本年、休園となる。
卒園数総計439名。子を預け、孫を預け、いつまでも当たり前にあると疑わなかった施設、それも少子化には勝てなかった。
今日と明日、そのお別れ会が園で催される。来客のほとんどは高齢者、多くが自分の子をここに通わせていた。そして、今はその子が
親となりその子ども(孫)を送り迎えする。誰もが語る言葉は少なくても、こぼす涙は大きい。
「私は子どもを三人ここで面倒を見ていただきました。その下の子どもの子も今ここで赤組でいます。ずっとここでお世話になった、
その毎日が私の大切な宝です(涙)」
二世代に渡っての数々の思い出。会場の壁面に掲示された43年間の園児と先生。セピア色に写された一つ一つの顔は
、どこまでも未来に向って明るい。
お別れは涙だけでは悲しい。園が用意してくれたゼラニウムの挿し木。園庭に真冬でも枯れることなく咲き続けてきた花を
今度は家の庭で咲かせよう。 (取材・三宅優)
福渡商店街の夜はほとんどのお店の明りが消える。昔は映画館もあり、喫茶店、飲み屋もあってにぎわったそうだが、
時代の流れで1つ消え2つ消え現在に至ってしまった。それでも焼肉「太平楽」さんのようにがんばっている店もある。
その「太平楽」さんのお隣、「ママゴト屋」さんでも新しい試みが始まっている。名付けて「コミュニティ居酒屋」。
建部のボランティア活動グループ「たけべおこし」が中心となって、月に1〜2度の割合でテーマを決めて、夕方からワイワイ皆で話し合う場を
開こうというもの。会費は1人500円で料理1品を各自持参(これなら準備も簡単、グッドアイデア!)
この日は「たけべ米」をテーマに年齢の隔たる男女が集まった。
話題の提供者は下神目で「たけべ米」を作る「たけべ米」会長、延江泰男さん。延江さんは本紙でも報じたが、昨年は合鴨による完全無農薬米に
チャレンジ。その苦労やこれからの米生産農家の展望を語ってくれた。
「たけべ米と言うと、なんであんなに高い(値段が)んじゃとまず言われる。確かに化学肥料を入れれば米はなんぼでも獲れる、じゃけどそれでええのか。
一握りのチッソで増産する農業がこれまで環境を壊してきたことも事実。ましてや今後はTPP含めて米の有り余りが必至という状況を考えたら、私らは無農薬で
安心安全、付加価値の高いものを作ることを目指すべきだと思うんじゃ。安全でおいしい米ならみんな食べるもんな(笑)」
延江さんのそのお米で作ったまっ白いおにぎりと田の草を食べてくれた合鴨のロースト、そして差し入れられた「たけべ米」で作ったお酒、すべて建部尽くしの一夜。
今回は少人数の参加だったが、普段こうしたリラックスした場では会うことのない人たちとの会話は楽しく、若い人とのコミュニケーションもはずんだ。
今後に期待が持たれる。
(取材・写真 三宅優)*美味しいのでつい腰を据えて飲んでしまいピンボケ写真です。
43回目となる福渡第二保育園の卒園式が今日行われた。くしくも卒園する2名の園児たちは記者夫婦がこの地に移り住んだ7年前、
母親のお腹にいた時から見守って来た。感無量というほかない。そして、福渡第二保育園とも、年間行事を通じてずっと関りを持たせて頂いた。
その園も3月末で休園となる。なんとも寂しいが、園児たちの未来は前途洋々、希望で夢ふくらむ。明るく送ってあげよう、「おめでとう、二人の園児たち!」
立派な卒園式の後、記念の「クロガネモチ」の観察樹を園児、先生、来賓の全員で植えた。何年後かに大きく育ったクロガネモチが眺められることを皆で思い描いて。
お昼は保護者会の方たちのご好意で園でお昼に出されてきた「カレーライス」を試食することができた。
「ああ、こりゃあ昔からのなつかしい学校のカレーじゃな」と来賓の方たちも大喜びだった。
小さな園だからできる、こまやかで温かい配慮。そんな町のオアシスを住民の多くはまだまだ続いて欲しいと願っている。
(取材・写真 三宅美恵子)
もう、だれが何と言おうとこの人たちは、やると決めたらやる。そんな頑固で心優しいイベント「里山まつり」が
本日開かれた。
今日は朝から晴天、お天道様も応援してくれている。午前10時開幕はやっぱり「はっぽね太鼓」。
この元気をもらわにゃあ始まらんでえと、富沢「鳥越池」の前広場にはびっしりと観客が。早や「イノシシ汁」をほうばる人も。
敷地内の広ーいスペースにはあちこちに巣箱作り、マキ割り体験、原木シイタケの菌打ち、木のプレートづくり、竹パン焼きと体験コーナーが盛りだくさん。
メイン広場では年季の入った地元の人たちによる「傘踊り」の真っ最中。観る人もやる人も、互いがわかり合っている、そんなアットフォームな雰囲気が
全体を包み込む。
この日の出店コーナーも充実感いっぱいだ。すべて地域の人の手作り屋台。「タコ焼き」「たけべ米おにぎり」「シシ汁」「焼きたてピザ」
「甘酒」さらに「キシモトケーキ」、「サニーデイコーヒー」さんもブースを出してくれた。みんなみんな楽しんでいる。
さあ午後の部だ。建部の誇るミュージカル「蚕くらぶ」の登場。昨年デビューしたてで、本日の司会も受持った花房君らによるミニステージ。
若い団員のパワー炸裂!
次には建部に越してきた人たち(記者夫婦も)によるフラダンス。出来の具合は・・・観た人におまかせします。
このあとも「大声大会」そして待ちに待った「餅投げ」と来場者、スタッフ、地域の人々、まさに一体となった「第6回春の里山祭り」は
こうして今年も一人一人に熱い感動を残して閉幕した。
(取材・三宅美恵子)
「春は名のみの風の寒さや」と口ずさんでいた最近ですが、今朝は温かい日差しの卒業式日和。
今日は5年生がリーダーとなって登校、これまで一緒に通った6年生とはお別れです。
さあ式が始まりました。保護者と来賓に続いて6年生の入場です。今日は一段と堂々とした晴れ晴れしい登場です。
入学当時、上級生に追いつこうと一生懸命頑張っていたことがまるで嘘のようです。
卒業証書授与。校長先生から渡された証書を手に一人一人胸を張って進む姿には6年間が悔いなしの面もちが
感じられました。宮尾校長先生からはチャールズダーウィンの言葉をはなむけとして、
「最も強い者が生き残るのではなく、もっとも賢い者が生き延びるのでもない。唯一、生き残ることができるのは、
変化に対応できる者である」と話がなされ、これから道に迷うことの多い人生の中で、たくましく生きて欲しいとの願いが込められていました。
卒業する児童たちはこの6年の学校生活を振り返って、それぞれに思い出を言葉にして綴っていきました。
式に列席したすべての人の脳裏に感動が残る建部小学校の卒業式でした。(取材・写真 勝部公平)
福渡小学校では9名の6年生が卒業式を迎えました。広ーい体育館に寄せ合うように席に座っていた在校生が卒業生の入場と共に
いっせいに勇気凛々と笛を吹き迎える。館内に熱い思いが満ちて来ます。
卒業証書授与。そして一人一人が壇上から列席者に向って、これまで学んだことそしてこれから目指すことを大きな声で発表。
「私は友達のつながりの大切さを学びました。中学では自分を伸ばし何ごとにもチャレンジしたい!」
片山校長先生からもはなむけの言葉。「ユネスコスクールの理念にラーニングツー ライブトゥギャザー、共に生きることを学ぶという言葉があります。みなさんが
成人する10年後には世界がより密接につながる社会になっていると言われています。そんな中でみなさんは世界の人と共に生きていく
大切さをしっかりと身につけ、新しい時代を築いていただきたいです」
今回、記者の不足で竹枝小学校は取材できませんでしたが、元気に4名の児童が卒業。建部では全43名の小学6年生がはばたきました。
「おーい、みんな、大きくなって戻って来いよー」(取材・写真 三宅優)
建部スポーツ少年団6年生の卒業記念のソフトボール大会が今日、福渡小学校グランドで行われた。
参加したのはスポ少団員と中高生、父兄、および指導員あわせて40名ほど。
第1試合は小学6年生+中高生、対、小6父兄+福小校長先生。
父兄チームにはソフトボール歴、数十年の校長先生がいるとあっては小6チームも油断できない。小6チームは1回を2点で押え、
さあ次なるピッチャー校長「投げました!」「ストライク!」往年を彷彿とさせる伸びのある玉にバッターしばし見送り。しかし、父兄チームにも欠点が。
キャッチが苦手。結果は「校長室の窓を割ってしまえー」の勢いで小6チームの助っ人に入った中高生のの長打が爆発、13対5で圧勝。
2回戦はまさしく親子対決。双方で「ゆるいぞ、ゆるい!」「こんなの抜けるぞ!」と励まし合う、というよりヤジっているのは、
なんとも微笑ましい。
この戦いも最初に10点を取った子どもチームの圧勝かと思いきや、5回最終回、親チームが9点を挙げて猛追。
が、1点を前にランナータッチアウト。「勝ちを子どもにゆずった」と親チームは負け惜しみを言っていた。
あれから6年、何かが変わり、何もが変わらないまま。もどかしさと、不安、未だ多くの癒されない心を抱える被災地の方と亡くなられた犠牲者を偲び、
今年も建部町で「3・11追悼の集い」が開かれた。
主催会場は当新聞、編集室のある「福渡ドレミファミリア アートギャラリー」で、今回で6回目となる。
午後4時半には、地元有志の人たちで会場前、石引貯水池に牛乳パックで作られた6つの灯ろうサークルが浮かべられた。灯されたキャンドルはこのまま、
夜が深まるまで灯りを放つこととなる。
5時からは会場に次々と訪れる地元の方や子ども連れ家族にお汁粉が振舞われた。6時、全員で東日本大震災及びその後の災害で亡くなられた方に1分間の黙祷を捧げ
「追悼コンサート」が始まった。この度の催しにはジャズボーカリストの遠藤マリさん、ジャズギターリストの古川靖久さん、共に地元在住の
プロアーティストが招かれた。
最初の曲は「スマイル」チャールズ・チャプリンならではの心温まる曲。そしてスタンダードナンバーの続いた次は中島みゆき「糸」。
観客のだれもが愛する人と紡ぐことの幸せを深く感じとったように聞き入っていた。最終曲はジャズアレンジして聞かせる「上を向いて歩こう」。
あっという間のフィナーレで観客は「え、もう終わるの?」とアンコール。そこであと一曲スタンダードの名曲「明るい表通りで」がプレゼント。
でも、その後もやはり伝えたい、応援したい、共にいるよと声を出して、「花は咲く」を全員で合唱。
コンサートが終了しても、来場者は女性ボランティアが握ってくれたおにぎり、ピッツェリア「マル屋」さんが差し入れてくれたピザ(しまった、写真を撮る前に食べ終わってた!)
を頬張りながら、和気あいあいと交流を深めた。
午後8時、閉会後も灯ろうはその明かりを被災地に向け輝かせていた。(取材・三宅優 /写真提供・大田秀信氏)
3日付の山陽新聞市民版にも記事が掲載された、法寿山「たけべ古道歩きぞめ」。
なんと朝の9時には50数名が集合場所の八幡温泉駐車に集まった。中には津山、真庭の方も。
皆、新聞の切り抜きを手に、早くこの眺め(掲載写真・福渡町並み)を見てみたいと楽しみな様子がうかがえた。
ストレッチをした後、四班に分かれ、それぞれに地元有志が案内人となっていざ出発。
七社八幡宮の境内を抜け登山道へ。落葉積もる道はフカフカと足に心地よく、意外とピッチが進む。
芽ぶきはじめた木々をくぐり、途中「妙見様」を経て第一の目的地「阿弥陀石仏」へ。ここは、以前は参拝者が多く訪れていた場所だが、
最近は荒れ果て、まわりも灌木に覆われていた。今回の復活作戦でかつての景観がよみがえった。
大きく蛇行する旭川、福渡の町並み、津山へと続く街道が一望できる。鎌倉期とされる仏様に手を合わせたあとは頂上へ。
ここからは少し急こう配になる。健脚ぞろいとおぼしき人たちもしだいに寡黙に。
標高212mの山頂に出発からほぼ40分で到着した。
帰りは別ルート1.6キロの行程を下る。途中に「法寿山古墳群」があり、このコースの第2の目玉となっている。
現在は20ほどが確認されている古墳だが、未整備な箇所が多くこれから徐々に整えられる予定だ。
それでも15、24号墓は規模も大きく保存状態も良いので参加者からも「わー、すごい」と感嘆が漏れた。
一行は途中、途中、チームごとにペースを計りながら下山し、30分ほどで終点「妙浄寺」に到着した。
寺の境内ではこの日のために住職一家がお茶を用意。「たけべ八幡温泉」特製、建部米おにぎりを頬張りながらの
軽食タイムは憩いの一時となった。
最後にスタッフから「いかがでしたか」との問いに、ほぼ全員が「よかったー」と答え
、「建部はほんとに、ようやっとるでぇ」と励ましの声が上がった。これが”力”となって、まだまだ建部はがんばるぞ、
そんな思いを強くした今日の「法寿山ウォーク」だった。
次回、4月2日「新緑の古道ハイキングとお花見!」です。(詳細はこちら)
昨日の午後、建部駅に降り立った人は「ほ?」と耳をそばだてた?福祉交流プラザから響き渡るなつかしのメロディー。
そうです、季節にあわせて開かれる「歌声のつどい」その春の集いだったのです。
講師は今月の「たけべ人」(下欄)でも特集している寺尾麻美さんとお母様の美智子さん。
参加したのは、やや年配のご婦人方20名ほどで、別に男子禁制ではありませんが男は皆無。
まあ、そんなことは一先ず置いといて、さあ歌いましょう。
今日は「春」がテーマ。まずは「どこかで春が〜」からはじまって「春のうららの隅田川〜」、
そして「仰げば尊し〜」「蛍の光 窓の雪〜」と、この時季、必ず聞かれる曲が続きます。
「さくらさくら」と来て、ここで年配者向けワークショップ。
色用紙を使って花びらを切り抜く工作。歌が苦手の方も急に元気になるからこれ不思議。
「ハハハ、こんな形になっちゃったわ」「それ、2つ組み合わせればいいかも」いつしか、独創世界に入り込んでいました。
この後も合唱は続きます。「なごり雪」「白いブランコ」「切手のない手紙」そしてフォークから槇原敬之「世界に一つだけの花」。
「ハイ、ここで質問。この歌、知ってる人?」(パラパラ)「では、スマップの好きな人?」
(ドドドッ!)「誰が好き?」(○○!○○!○○!キムタク!)
「なーんだ、みんな若いですね」(大笑)
結局この日も24曲すべて歌い終え、女性陣はまだ物足りない表情で会場を後にしました。
次回は7月「夏の歌」です。それにしても、なぜ女性はすぐに娘に戻れるのでしょう?男はけっして年老いても人前で少年に戻ることはなく、
せいぜい子どものようにわがままになるのが落ちです。だれかお答えを。
(取材・写真 三宅優)