■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
第13回は一級建築士事務所「まるや住宅設計」代表の松下 泰成さん。
(プロフィール)
松下 泰成(やすなり) 1970年建部町福渡生まれ。
大学で建築を学び、建物調査会社に入社。
28歳で1級建築士を取得し、新卒で入った会社を13年目に退社。その後、いくつかの工務店にて建築実務を修得。
2015年9月 まるや住宅設計を創業し、現在、一級建築士事務所「まるや住宅設計」代表。
2016年5月風水建築士を取得。今は福渡にて妻と娘の3人暮らし。
(聞き手 三宅)子どもの頃はどんなだったですか。
(松下)「とにかく、モノ作りが好きだったですね。竹馬、竹トンボ、凧揚げ、前の山に行って穴を掘って基地を作ったりして遊んでいましたね」
その頃、誰かから影響を受けたということはありますか
「敢えて言うと、おばあちゃんですかね。母が働いて家に居なかったので帰るといつも祖母がいてご飯だとかの世話をしてもらってました。
僕が背が高くないことを気にしていると、”泰成は山椒は小粒でもぴりりと辛いでいい”と言ってくれて」
中学、高校で何か部活とかしてましたか
「陸上をやってました。まあ、兄の影響なんですけど、400m、800mの短距離ですね。スポ少で剣道もやりました。
でも、卒業後はまったくやることがなくて」
大学は建築学科ですが初めからその道に進もうと決めて行かれたのですか
「いえ、あまり勉強はできなかったので、どこが入れるかと思って。それで鳥取大学ならと受験をしに出たのですが、
当日の朝、駅で鳥取とは反対の電車に乗ってしまってダメでした。このことは母にも30歳過ぎまで内緒にしていました(笑)。
浪人してまで入りたいという気はなかったので、なら作ることを勉強するのがいいと広島に分校のあった近畿大学建築学部に入りました」
卒業後は建設関係の企業にまっすぐに就職されたわけですが、どんな仕事をされてましたか
「エイトコンサルタントという建設コンサルタントの会社ですが、西日本でもその分野ではトップクラスだと思います。ここで
僕は建設予定地の立ち退き補償という部門で見積や交渉といったことを長くやっていました。苫田ダムに沈む家々の見積とか、
そこの人の話を聞いて算出をしていくんです」
大変な仕事ですね。それを13年やられて、よく辞める決心をされましたね
「当初は男たる者、仕事に就いたら一生かけてやれとか考えていたのですが、母が一人になって、毎日、夜10時まで働き、土曜も仕事に出る、
そんな体力勝負をいつまで続けられるだろうと。どうせなら、無くす側ではなく、作る側で働きたいと思いました」
それで工務店に移られたんですね
「ええ、一級建築士の資格は28歳の時にやはり必要だろうと考えて取ったのですが、実際には使うこともなくて。
工務店なら図面を引いて、現場も見て、中と外の両方を学べると思ったんです。3年で設計だけでなく技術、営業、現場管理と一通り
できるようになりました」
きちっと自分を鍛え、満を持して独立されたわけですね。今年は風水建築士も取得されましたね
「はい、これまでお施主さんとの話の中で家相のこととか聞かれることが、ままあったのですが、答えられないわけです。
それじゃあだめだと勉強を始めたのですが、してみるとこれが、あらゆる物事の本質に通じることがわかりました。かつての平安京、江戸の町、すべて
風水で作られてきたわけで、その期間は数千年で、今のような作りはわずか100年でしかないわけです」
風水が重んじることはどんなことですか
「”気”を取り入れることです。気の集まりやすい土地、気を入れやすい家相がそれです。現代の生活のなかでの活かし方としては
、換気が大切です。悪い”気”をできるだけ早く外に出す。また、整理整頓で風を通りやすくするなどがあります」
なるほど。最後に、ご趣味のマラニックについてお聞かせください。
「40歳になる手前、健康診断で数値が良くなかったんです。薬なしで直したかったのでそれでスポーツを何十年振りかで始めたんです。
マラソンのハーフから始めて、次々参加して後、東京マラソンで4時間を切るまでになりました。でもそのうちタイムを追うことに興味が無くなって
、もっと楽しく走りたいと思うようになりました。それと、自分のすることが人のためになることをしたいとも考えるようになりました。
ちょうど、東日本大震災チャリティーマラソンを主催されている方が吹屋マラニックというのをやっていて出場したんです。マラニックとは
マラソンなんだけどピクニックのように楽しみながら走るスポーツで時間は関係ないんです。それと、コースが名所や旧跡を巡って、要所要所で
地元のボランティアが給水や炊き出しで迎えてくれるんです。目の不自由な人でも参加して、伴走をする走者もいます。地域を巻き込んで
全員が楽しめるわけです」
ありがとうございました。
(記者感想)松下さんの夢は「建部でマラニック大会を開く!」建部平野を駆け、名所旧跡を巡り、 雲海の眺めを下に見る、そんなコースを構想し、いつか実現したいと願っているそうです。「山椒は小粒でも夢は大きい」 おばあちゃんならずとも、私もそう実感しました。
*松下 泰成さんの Facebookページはこちらから。
「まるや住宅設計」
来月の18日(土)〜19日(日)に東京、国立オリンピック記念青少年総合センターで行われる『列島ふるさと再生全国フォーラム2017』
に、わが町から「たけべおこし」が出場。日本全国から地域振興に関わる人たちが集結するこの催しに 建部の若者たちが呼ばれた。
知らないのは、お年寄りに限らず日頃、仕事に育児と忙しい同世代の方も。
今や建部に限らず、日本のあらゆる農村地帯で都市への流動化、高齢化、過疎化の不安が抱えられている。それを、ただ致し方ないと諦めるのではなく、
生きる道があると考え前へと進む。そんな行動が今、注目を集めている。
全国の勤労青少年が集まり、考えるこのフォーラムに「たけべおこし」が参加し意見を交わす、その意義は大きい。
ただ建部が良ければいいと考えていた時代は遠く去り、
地域のために、日本のために、そして世界のためにと変わりつつある。
「たけべおこし」からは、延江典子さん、石田敏之(トッシー)さん、吉岡優さん、花房功基さんが出場されます。
フォーラムの模様はメンバーから当新聞にレポートを頂く予定、乞うご期待!!
開催日時は2017年2月18(土)〜19日(日)
主催:列島ふるさと再生全国実行委員会・日本青年団協議会
*同日には岡山県生涯学習センターにて「たけべ未来塾」の発表も予定されています。
がんばれ「たけべおこし」!
厳しい大寒の中、元気に登校した建部小学校の児童たち。今日(1月21日)はおじいちゃん、おばあちゃんが楽しみにしていた、
子どもたちとお父さん、お母さんとの三世代交流授業。おじいちゃん、おばあちゃんは一年生の1・2時間目の学科
「昔遊びの会」を担当。
午後からは「エコロジー」の勉強もすると聞いたので、まずは新聞紙を再利用しての海賊帽子とシャツ作り。
ジャンケンポンで仲良くなった後は「昔あそび」のはじまりだ。
この日、体育館に設けられた遊びコーナーは「竹馬」「竹トンボ」「けん玉」「メンコ」「羽根つき」「お手玉」「あやとり」の7つ。
子どもたちは自分のやりたいものを順々にやっていきます。
指導役のおじいちゃん、おばあちゃんも道具を手にして、すっかり5、60年前の子どもに逆戻り。
対抗ゲームでは子どもと真っ向勝負、闘争心がよみがえります。
コマ、あやとり、竹トンボ、1つ1つを丁寧に次の世代へと伝授して、授業は終了となりました。
一番に喜んでいたのは・・・、もちろん、私たち、おじいちゃん、おばあちゃんです。
(取材・写真 勝部公平)
富沢の愛育委員、栄養委員が中心になって進められる「ふれあい健康教室」、今年は”笑い”で行こうと実施されました。
講師は久米南町の「笑いヨガ」の第一人者、直原(じきはら)一美さん。直原さんは30年ほど前から
レクレーションを通じての地域活性化や地球にやさしいキャンプ等を環境問題を含めた活動に積極的に
取り組んで来られました。ところが、2年前くも膜下出血で倒れ、奇跡的に一命をとりとめ、九死に一生を得ました。
以後、一日、一日を大事に笑いを持って生きて行こうと決意。東京まで講習会に通い資格を取りました。
「笑いヨガ」とは、だれでも無理なくできる健康法で、笑うための冗談やユーモアは
いらないそうで、笑い体操+ヨガの呼吸法を使って行います。
さっそくレクで鍛えたリズム感と、うまい間の取り方で実演。
「ハハ、ホホホ、イイゾ、イェー」と声を出しながら、息を吸ったり吐いたりの有酸素運動をして脳を刺激します。
可笑しいのは「ナマステ笑い」「アロハ笑い」「おしっこ我慢笑い」「うがい笑い」など独創的なネーミングのついた
ヨガを披露、参加者の笑いを誘います。
終了後の懇親会でもいきいきとした良い顔で話す人たちでいっぱいでした。
日本では「笑いは百薬の長」と言いますが、西洋では「笑いは副作用のないクスリ」と言うそうで、1分間の笑いは
10分間のジョギングに相当する運動量だとか。今年一年、生きる力を高め、認知症予防にもなる「笑い」で乗り切ろうではありませんか。
(取材・写真 勝部公平)
新年恒例となっためだかの学校「夜の水族館見学・冬の天体観測」。
午後5時、気温は極めて低い。でも岡山市内から集まった親子24名はものともせず。講師の久富大輔先生と
藤井先生の話をしっかり聞いて準備完了。
「星座早見ばん」で日付と時刻を合わせれば、あーら不思議、今夜の星座が一目。では外に行って実際に天体望遠鏡を覗いてみよう。
まずは金星から。ぼんやりしているけど見えました。少し切れて半円形、これってなぜだかわかる?
それは、金星は地球より太陽に近い内側を回っていて、太陽が当たっている所だけ観えるからだよ。
では少し時間を置いて、もっと暗くなって観測しよう。じゃあ、その間に水族館の見学!
「あっ、ママ見て、ナマズが寝ている、縦になって・・・」夜には色んな発見があるだろ?
ところが残念。このあと雲は空を覆い尽し、星明りのきらめきが届くことはありませんでした。
「くやしーなあ、楽しみにしてたのに・・・」は連れ添った親御さんの感想。子どもたちはオモチャの館のケンダマで遊んだり、夜の魚に目を輝かせていました。
観えるも観えないも”星の巡り合わせ”ダメだったら、また来年、ね。
(取材・写真 三宅優)
15日午後の建部町文化センターには大雪にもかかわらず、多くの車がやって来た。昼と夕方の2回公演、
第22回「蚕くらぶ」ミュージカル「ふしぎ森の桃太郎の樹」。
記者は昼の部終了直後に初出演となる花房功基さんにインタビューをした。「どうでしたか、初めての舞台は?」
「はい、緊張しまくりのドキドキハラハラでしたが、どうにかやれました。お客さんからも拍手していただきました。次はもっとうまくやれると思います」
何とも心強い発言。それでは夕方の部へと入場しましょう。昨年から会場はセンター小ホールに移ったが、出演者と観客とが一体となれる適度な空間が好評だ。
昼の部は満席となったそうだが、今回の部もほぼ埋まっている。安定したリピーターに支えられていると感じる。
5時開演。映像と音楽からのはじまり。建部の旭川を行く高瀬舟、郷愁が謳われる。そしていつもの「ふしぎ森の人々」登場、時代は400年前。
岡山弁たっぷりのセリフが行き交う中、そこへタイムマシンで建部の悩み多い現代の若者がやって来る。森の人々、悩みを聞いてやる・・・いつもの心やさしい登場者、
そして明るい結末へ・・・が、ここでストーリーは今までにない筋書きとなる。
若者の悩み、「親の干渉、学校規則、友だち、ラインメール、いじめ、スマホ、自殺、飲酒運転・・・」語られるのは今の社会を覆うリアルな問題。
これを、純粋無垢な森の精人たちがどう解決する?物語は複雑な要素を抱えて後半へ。
まちがって22世紀へタイムスリップした若者たちと、手助けに来た森の住人、桃太郎たち。そこはもはや人の住まない岡山だった。汚れた空気、旭川・・・。
森の桃太郎たちは、結局この環境には適せずに死んで行く。悲惨な展開に観客から咳払いもしてこない。21世紀に戻った若者たち、そこでスクスク伸びる新芽を見て、
「自分たち自身で解決していこう」と意を新たにする、フィナーレ。
感想はどうだろう?「わかる気がした」、「よく、わかーんない」。
どちらにも納得。脚本家の佐藤淑子氏も「若者のありようが見えなくなった・・・」とパンフレットで述べている通り、誰も今の社会のこれからのことや、
若者たちの心の行き場を言い当てるなどできないのだから。そんなテーマに敢えて挑んだ「蚕くらぶ」の今公演に拍手を送りたい。
(取材 三宅優)
日本国中が雪となった15日、日曜の朝、建部ではあちこちの集落から白い煙が立ち上りました。
小正月のこの日に行われる「とんど焼き」は、しめ飾りや門松、お札、
子どもの書きぞめなどを決められた場所に
持ち寄って焚火の中で焼き、無病息災、家内安全、五穀豊穣を願うものです。
ここ、田地子地区でも昔から地域の皆々が多自枯鴨神社前の広場に集まり、「とんど」をしながら、
新年のあいさつと今年の抱負を交わす習わしが続いています。
午前10時開催にあわせ、時おり横なぐりの雪が吹き寄せる中、しめ飾りや鏡餅を手に皆さんが
次々に集まってきます。この日のために、たき火の薪を作ってくれた人や、
前日に餅つきをして、朝早くから「ぜんざい」を用意してくれている方など本当に地区の団結の強さに驚きます。
10時、本田町内会長のあいさつの後、今年一年のお祓いをして開始。とんどの炎が天に舞い上がります。
持参したお供え餅は竹に挟んだり、鉄板の皿にのせて火の上で焼いて食べます。
こんな体験ができる地区の子どもたちは、きっと心豊かに育っていくのでしょう。
温かい「ぜんざい」、大根、白菜の手作り漬物が振舞われ、和気あいあいとした談笑が聞こえてきます。
大寒波もなんのその、田地子地区、年始めの力強いスタートでした。(取材・写真 勝部公平)
中田にある天神宮神殿は近隣ではめずらしい檜皮葺(ひわだぶき)屋根ですが、
昨年春、イタチ科のテンの仕業で檜皮が損傷し、このたび改修の運びとなりました。
1月14日の土曜日、杭田(くいだ)宮司他、2名の宮司と神社総代11名の列席で神殿から
客殿の仮社への出遷宮(でせんぐう)が執り行われました。
ご本尊の鎮座される「座」が移ることを遷座(せんざ)と云い、一般的には遷宮と
呼ぶ儀式が行われます。ちなみに元の神殿にお戻りになることを入遷宮(いりせんぐう)と言うそうです。
この度の遷座は地区の古老も年配の宮司さんも記憶にないとのことで、一生にあるかないかの、
世紀の儀式だそうです。
中田天神宮は鎌倉時代に建部郷の豪族が創建したとされ、主祭神は学問の神様、
菅原道真公です。ここに置かれていた翁能面は鎌倉から安土桃山時代の作と言われ、
今は県立美術館に保管されています。昔から雨乞神事で能面の顔を水で洗うと雨が降るとの
言い伝えがあり、氏子を温和な顔で見守ってきたそうです。
儀式は、本来は真夜中の零時から行われるそうですが、今回は燭台をつくりロウソクの火で
神様をご案内しました。厳粛な雰囲気の中、白い衣服に着替えた宮司が粛々と
儀を執り行い、数百年守り続けた伝統をひしと感じることができました。
このたびの改修は銅板葺でなされますが、改修にあたっては瀬戸町に本社のある宮大工集団、
藤原組があたります。4月23日の祈年祭は新しい銅板屋根の神殿で執り行われることになります。
今回の改修は銅板葺きでなされますが、瀬戸町に本社があり吉備津神社や閑谷学校の改築を
手掛けている宮大工集団の藤原組が施工にあたります。
(取材・写真 勝部公平)
何ごとにおいても、始まりは大切。10日、開かれた「里山建部」の2017年度総会。
昨年を振り返り、今年の活動を話し合ってチーム全員が同じ方向に動きだすスタートラインだ。
会ではこの1年を「薪作り」・「子どもの遊び場整備」・「遊歩道整備」を重点活動目標として決めた。
特に薪作りでは昨年末にマキ倉庫を整え、これから数年かけて
しっかりした薪を製作し、炭、椎茸と共に高品質な商品として「里山建部」ブランドで販売する。
平均年齢70歳以上、しかし気心知れた仲間たち、身を惜しまず汗を流し、互いを励ましながら進む。
その団結力といつでも賛同者を受け入れる柔軟さ、それはこの日も新メンバーの紹介があったことからもわかる。
閉会後の懇親会には昨年同様、他県からの移住者家族も参加。3世代が大鍋を囲んで、ざっくばらんに語り合う楽しいひと時となった。
以前から里山会員でもある県議会議員、大塚愛さんも参加。さっそく、メンバーから里山活動の取り組みにおける県への要望が出され、
会は大いに盛り上がった。
開祖、天文元年(1532年)から485年に渡り、一子相伝で守り続けられてきた古武道竹内流。その稽古始めが
今日、鶴田の角石谷道場で行われた。
稽古には竹内流武術相伝家十三代目、竹内藤十郎(本名/竹内武夫)氏、ご子息の竹内秀将・道場長、神崎勝・師範代、
門弟の國政知宏さん、谷川正明さん、山田知加子さん、須田篤さん、金島洋大さんが参加。
甕の水も氷る朝の角石谷だが、ここ道場は遥か高台に建ち、陽がまっすぐに当たって暖かさを感じるほど。十三代目との久しぶりの
ゆっくりした時間に勝部編集長もついつい昔話に花が咲く。道場の一つ「昭和道場」では、すでに気合の入ったかけ声と棒の
ぶつかり合う音が聞こえる。さて見るも、聞くも、初めての記者(三宅)は、恐る恐るに中へと入る。
「イェー!」腹の底から飛び出たかの声と「カーン」という木刀が打ち合う音、白の胴着、黒の袴、二人がにらみ合う。まさに、これは
真剣勝負。手にするのは木刀だが、これが本気で振り下ろされるとその迫力たるや半端ではない。まかり間違って身体のどこかにでも
当たろうものならと考えると、それだけで身が縮む。
いくつもの武術で成り立つ竹内流、「羽手(はで)」と呼ばれる柔術の稽古も激しい。
柔道と違い、道場は板間。ここで投げ落とされるのだから、熟練者でないと投げられる側には回れない。
練習のあとは、いよいよ武術奉納。
流祖、竹内久盛が出会ったと言われる愛宕神と摩利支天の祀られる道場へと移る。胆を抜かしたのは、十三代目がこの日、特別に観せて
くださることとなった真剣による演武。神崎師範代の長刀、構えるは十三代目竹内藤十郎の小刀。「ギィヤー!」長刀が振り落とされる間の一瞬に
小刀が胸先に。
和気あいあいの新年会。奥様が用意して下さったごちそうを頂きながら、一人づつ今年の抱負を語った。
十三代目「今年は四百八十五周年になる。DVD も発売予定で、区切りとなる行事を実現できたらと考えております」
竹内道場長「正確な術を伝えるよう努力したい」
神崎師範代「支部の指導と併せ、門人を増やす。昭和道場の改修も進めたい」
國政さん「基本をしっかりやり直して、身につける」
谷川さん「スポーツをやっているので、武道との共通する点を自分なりに見つけていきたい」
山田さん「四年でまだ素人。今年は小具足を学びたい」
須田さん「今年、二〇歳になるので、酒を飲んでも飲まれないようにしたい(笑)」
金島さん(中三)「多くの術を覚えたいです!」
初取材を終え、帰る記者の脳裏には「この伝統武術、未来永劫に伝えなくては」そんな思いが駆け巡っていました。
すずな、すずしろ、ほとけのざ、はこべら、ごぎょう、なずな、せり。今日は建部の田んぼの畦で七草探し。
さーて、全部揃うでしょうか?
ご心配なく。この道、〇十年の古本先生がご指導くださるので百発百中。と言うのも
去年のうちから株を残して準備されているから。
朝10時、下の保育園の園児と先生、親御さんと近所の方、オニビジョンさんも加わって、古本さん家の畑へと。
まず最初はセリ。これは山水を引いた水路でゲット。ゴギョウはウサギの耳に似ているよ。ナズナはぺんぺん草のこと。
ハコベラはどっさり束になって見つかった。ホトケノザは無いなー。「ほら、ここだよ」「あった」
あとはスズナはカブで、スズシロは大根だから、古本さんの畑から拝借して「わーい、ぜんぶそろった」
よかったね、これで明日は七草粥。でもママたち・・・ちゃんとしょうやくできるかなあ・・・。