■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
第12回はピッツェリア「マル屋」のマルコ ジェノニ(Marco Genoni)さん。
(プロフィール)
マルコ ジェノニ(Marco Genoni)
1977年8月10日生まれ。ライオン年の39歳。
イタリア・ロンバルディア州・
ヴァルッテリーナ生まれ。
18歳からピザ店での修行に入り、イギリス、スイスで長く職人として腕を磨く。また
バリスタ、ソムリエの資格や多数のセミナーを取得、料理人としても研鑽する。
その後、休暇でローマに旅行中、留学生だった日本人の麻利子さん(奥様)と知り合い、結婚。
来日して建部町品田でピッツェリア「マル屋」を開業。おいしい本格ピザの食べれるお店として、評判になり
マスコミでも多く取り上げられる。現在、奥様と娘のモモちゃんと3人暮らし。
(聞き手 三宅)お生まれになったヴァルッテリーナについて教えてください。
(マルコ)「ヴァルッテリーナはイタリアの北の端でスイスとの国境近くにあります。中心の町はソンドリオです。有名なのはワインですが、
日本と同じようにッピッツォッケリという蕎麦のショートパスタを食べます。これはイタリアでは他にはありません。アルプスに近いので冬の観光地でもあります。よくイタリア人というと
あけっぴろげで、おしゃべりと思われますが、北の人間は生真面目で無口です。それにイタリア人と言うよりも”ヴァルッテリーナはヴァルッテリーナ人だ”と言う人が
多いです」
なるほど、独立心が強い土地なのですね。ご家族は何人ですか?
「母と二人の姉、それに義理の兄と姪二人の6人です。でも、親戚がまわりにいっぱいいて、寄り添って家を建てて住んでいるのでいつもにぎやかです」
子どもの頃はどんなだったですか?
「騒がしい子だったと思います。家は町より少し離れた山間にあるので、いつも山の中を駆けまわっていました。馬を飼っていたのでそれに乗って。
勉強は好きじゃあなかったですね(笑)」
16歳で義務教育を終えられ徴兵についてますね
「ええ、今はなくなりましたが、当時は義務でした。1年間、アルプス歩兵旅団に詰めて、地雷を埋めたり爆破をしたりの訓練をしていました。
軍隊での生活はとても楽しかったですね、性に合っていたのか。そのあと兵に残ることもできたのですが、私は今の道に進みました」
ピザ職人になろうと思ったのはいつごろですか?
「そう、10歳くらいの時に町に初めてピッツェリアができたんです。生地をこねたり焼く作業にとても興味がわきました。それと自分の好きな具材だけを
のせてくれたのでとてもうれしかったです。今、私の店でも子どもたちが来てピザ作りをうわーっと驚いて見てくれていると、あの頃の自分と同じだなあと
思います」
ピザ職人としての道のりをお聞かせください
「最初、町のピッツェリアで働いたのですが、オーナーがピザ学校で勉強するように勧めてくれて、本格的に覚えることになりました。
それからイギリスに行き、スイスに移ってからも長く職人として働いていました。ピザ職人というのはただ作るだけでなく、店によっては
一連の作業をお客様に見せて、楽しんでもらうことが必要なので、その技量のある職人だけがそれを任されます。それと他の知識も大切で、
私はバリスタ、ソムリエの資格も得ました」
日本についてはどんな印象をお持ちでしたか?
「日本という国は知っていましたが、どこなのか、どんななのかは全く知りませんでした。アジアの田舎の素朴なイメージでした。でも初めて関空に降り立った時、
あまりに近代的というか、大きな街だったので驚きました」
建部についてはどうですか?
「建部はいいところだと思います。特に子供を育てるにはとてもいいと思います。
こういう自然の中での生活はヨーロッパ人はとても興味を持っていますし、大好きです。
棚田の風景とか」
これからについてはどうですか?
「今はテイクアウト専門なので、やがては椅子とテーブルのあるレストランテができたらなと思います。小さなこじんまりとしたものでも始められればと。
それでマル屋をめざして建部にいっぱい人が来てくれるとうれしいですね。そうして若い人が住むようになってくれたらもっといいですね」
ありがとうございました
(記者感想)
マルコさんとのお付き合いは、まだピザ屋さんを始める前の越して間もない頃に、たまたまご夫婦で我が家の近くを散歩していて寄っていただいたことがきっかけです。
石引の池のある景色が好きだとほめていただきました。それから、ピザ屋さんを開店されて評判も伝わってきました。新聞をスタートさせてからは何度か取材をさせていただきました。
個人的には今年3月自宅で「3.11追悼の集い」を開催するにあたり、参加者の方にドーンとピザを差し入れしてくださり大変感激しました。そんな温かい心遣いをされるお二人ですが
今や建部にとって他所から人を呼び寄せることのできる強力な助け人。地域を挙げて応援したいものです。
*マル屋さん情報
↓(拡大ページは下をクリック)
マル屋さんではお客様から要望の多い食材の取り寄せを始めています。
「フォルマッジォ (FORMAGGIO)」イタリア産チーズ他、カタログがお店にありますのでお問い合わせください。
*「マル屋」さんの Facebookページはこちらから
神様が降りて来られる時の寄りしろ(目印)と云われる門松。
今日は志呂神社の江戸中期から変わらぬやり方で行われているという門松を立てる行事を見学させていただきました。
一般的に門松といえば竹と松を組み合わせたものが多いのですが、この志呂神社は細身の雌松を一本ずつを立てるだけ。
しかも、そのやり方は昔からのしきたりに則った決まり事がありました。
お話しをして下さったのは本宮司の日野正彦氏。
「まず、7本と半分の杭を使って松を支えていくのですが、なぜ7と半分なのかと言うと実はよくはわからない。
ただ、昔から末広がりの八の手前に意味があると考えられてきたようで、人の噂も七十五日とかの諺もそうだと思います。
ですから次に杭をくくる縄も、これにそって七巻にしていきます。こうして、ずっと同じやり方で毎年やってきているわけです」
この仕事を親の代から20年間に渡り携わって来られている、延江耕一さんにもお聞きしました。
「今はこの材料を集めるのが大変なんです、中々、良いのがなくて。育てたりもしたのですがうまくいきません。夏の頃から探しておいて、
この日に切って来ます。まわりの樫の杭も割って、肌合いのきれいなのを選んでそろえています」
いや驚きました、何げなく眺めていた門松、こんなに意味深く、手間ひまを掛けているものとは。
この新年を迎えるにあたって多くの参拝者が訪れる志呂神社。その際、ちょっとだけ、本殿前に立てられた門松の
姿に目を止めてはいかがでしょう。
今年もあとわずか。正月の用意どころか家のかたづけから何もかも、まるでできてないとお嘆きの方も多いかと存じます。
そこで少し開き直って、元旦もいつも通りに過ごそうと決めてみたら?急に時間が余りませんか。
そうしたら、もってこいです。筆と墨を用意して、ゆっくりと「書写」を楽しみましょう。
今日、公民館で開かれた「書写を楽しもう」講座。記者も参加しました。講師は地元の吉岡優さん。先生の書かれたお手本を見ながら字を書いていきます。
課題は「おもち」「平和な年」「山の雪」、記者には「天地清新」。フェルトペン用には「はつゆめを見ました」「ことしも元気でがんばります」など。
参加した10名の子どもたち、最初はワイワイやりはじめていたのが、そのうち、シーン・・・、息を止め、筆に神経を集中する。太く、丸く、のびのびと、
墨の色あざやかに文字が写し出されました。
感想は?「うん、たのしかった」「やった、これで宿題が1つ終わったー」
ちなみに記者は14枚書いて選ばれたのは最初に書いた文字。(「あとは惰性なのが、やっぱわかるんだ、初心忘るべからずだね」妻の評)
毎年恒例の建部町公民館主催「X'masコンサート」。今年は作陽大学の学生さんによるサキソフォンの演奏。
1階ロビー会場には公民館講座「建部大学」の受講生と「みんなの喫茶室」のメンバー他、大勢がつめかけ、
ケーキも売り切れ?るほど。
本日の演奏者、チーム名は「ロッティ カルテット」、大学では音楽学部に在籍。それぞれが異なるサックスを演奏する。
紹介するとソプラノサックスの小倉佳奈さん(鹿児島県出身)、アルトサックスの加藤舞さん(香川県出身)、
テナーサックスの武田有梨さん(高知県出身)、バリトンサックスの佐藤仁香さん(島根県出身)。
初めに一人一人がそれぞれの楽器を吹きながら音色の違いを皆に説明。すると「へー、こんなにいっぱいあるんだ」と
サックスは一つと思っていた方たちが驚きの表情。この後、四重奏へと入っていった。曲目はスタジオジブリ作品集のメドレーに始まり、
おっと!いきなりのド演歌「浪花節だよ人生は」「津軽海峡冬景色」と続く。これには聴衆のほとんどが高齢者だったこともあり、大いに
受け、拍手が鳴り響いた。
間には公民館スタッフ全員による、「なつかしの歌声喫茶」も登場。職員の細かな演出配慮に記者も感服しごく。
〆(しめ)は当然「クリスマス・メドレー」、そして「アンコール」。
会場を後にする人たちの中には「もっと、聴きたかった、歌いたかった」と名残惜しむ声も聞かれた。
今日の熱気からクリスマスが若い人たちのセレモニーというだけでなく、
年齢に関わりなく楽しみにされている一大イベントであることがわかった。であるなら、来年も更に盛り上がる催しを建部町公民館さんにお願いすることにしよう。
ところで、「ロッティ・カルテット」の面々は来年が卒業。その後は、それぞれの道へと歩んでいくそうで、この出会いも最期となる。
チームが解散するのは寂しいが、きっと、いつかどこかで音を奏でる日も来るだろう。 ――「音楽と自由はいつでも手をつないでやって来る」
(写真 三宅・花房記者)
恒例の「建部町交流お飾り作り」が今年もやってきました。老人センターには当新聞グルメレポーター、三宅美恵子記者も含めて20名が参加。
講師は鶴田の葛原勉さん、久具の大内康敬さん。
毎年、1年かけて稲わらなどの材料を準備してくださっています。先日のB&Gでは子どもたちが参加しての
お飾り作りも行われました。この時季をゆっくりと噛みしめる建部の風物詩、まだまだ
続きます。
(取材写真 勝部公平 /右下写真提供 佐藤升二氏)
(三宅記者の感想)
先生の側に座ってしっかりと勉強してきました。とりあえず、今年のお飾りは「マルナカ」で買わなくて済みそうな出来栄え。
来年も参加して、やがては「お飾りマイスター」を目指したいです!
岡山市社会福祉協議会主催の「平成28年度地域づくり福祉講演会」、建部町文化センターで開かれた催しは昔、美女&美青年たちで満員となった。
題して「いつまでも笑顔でいたい〜それぞれの人生に乾杯!〜」
さて、いつのりさん、のっけからキビシイコメント。現政局の自民圧倒では「何をしてもし放題」ゆえに国民はしっかり見ることが大切です。
テレビをつけると毎日、AKB48なんとか・・・。テレビ局は、もっと放送することがあるだろう(AKBの10年後はただのオバタリアン)などなど。
浮かれた世相を憂い、無関心に警鐘をならす。
そのボキャブラリーはすごい。ご本人によると、毎日50年間夜10時からその日の新聞3紙と週刊誌を読み、テーマごとに記事をファイルしているとか。
これじゃあ、今どきの友だちとワイワイするだけのスマホ世代なんかより情報通。
いつのりさんの話は昨今の日本の社会状況から教育、家庭へと広がる。そして終点は人と人が仲良く暮らしていくための話上手へと続いた。
この間、会場は我がことを忘れて大いに盛り上がる。最後に、いつのりさんの「1から万までの」認知症予防術伝授。
@1日1回大笑い
A1日10人と会う
B1日100字書く
C1日1000字読む
D1日まんじゅう2個まで!
悩み多き現代の若者たちが、時空を超えてたどり着いたところは、
自然豊かで人情味あふれる「ふしぎ森」。その悩みを受け止めた森の人々が使者として現代に送り出した桃太郎。
が、そこで目にしたものは・・・。
あと、1ヶ月となった「蚕くらぶ」第22回ミュージカル公演。
今、出し物の「ふしぎ森の桃太郎の樹」の稽古が猛ダッシュで行われている。
歌、セリフ、振り付けと回を重ねるごとに上達してきて、この日の練習も
細かな動きに集中。当日までの完成度が期待される。
公演のチケットはすでに昼の部は完売。夜の部(17時から)が若干残っているとのこと。
早めにお求めになられることをおすすめ。
会場は建部町文化センター小ホール。
入場料1300円(前売り券のみ)
問合せ先 090-8717‐8146
「めだかの学校」でこの時期、恒例となった「クリスマス・干支キャンドル作り」、その午後の部を取材しました。
参加していたのは岡山市内の大人と子ども13名。初めて体験する人ばかり、皆、真剣に取り組んでいました。
作業はいくつかの工程で進められていき、
溶けたロウを泡立て器でさましながら細粒状にして団子にする所は一見すると、お菓子作りのようです。
サランラップで包んで形をすべすべに整え、しだいに思う姿に近づけていきます。ワクワクする瞬間です。お父さんも子どもの手を取って一生懸命です。
そして最後に可愛い目がくっつけられて、完成!
友達2人を連れて参加した小5の女の子は「去年はお猿さんを作って、今年はヒヨコ」と出来上がった作品をうれしそうに眺めていました。
世界にたった1つ、私だけのキャンドル。もったいなくて、火をつけられそうにないけど、みんなの心にはホッコリ暖かい灯が点りました。
4日朝、建部上、七社八幡宮に集まった老若男女20数名の目指すは法寿山頂上。手に手に鎌、ナタ、熊手、草刈り機を持っての1.5キロの登山行。
山腹に祀られた阿弥陀様と古墳群を巡る古道を、再び人の行き来できる姿に回復しようとの計画は今日がその一歩。道を覆う草木の伐採だ。
およそ30分かけて、てっぺんまでたどり着いた一行はそこで決意新たに記念撮影。
そして4チームに分かれ、それぞれ決められたポイントから一斉に下へ下へと作業を開始した。
シダと灌木がふさぐ道はやっと人の踏跡で道と判別できるあり様だ。草刈り機と、チェーンソーの響く中、次々刈られる邪魔物らを撤去隊がどけていく。
女性陣も落ち葉に足を滑らしたり、慣れないナタを振りおろして奮闘する。
1時間半をかけ、汗をびっしょりかいた全員は集合地点の妙見様へとたどり着いた。
後は、おにぎりとカップ麺を食べながらの昼食タイム。子どもの頃にこの山で遊んだ思い出を聞きながらの楽しい交流の時間。
ボランティアたちは訪れた人が楽しそうにウォーキングする日を思い浮かべ、本日の作業を終了した。
次回は2月、朽ちた標識や看板を新しいものに取り換える。徐々に徐々にと整備を進める予定。
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仲間募集! 「実益はないけれど、後の世代がほほ笑む顔を思い浮かべたい方、求む!」
*090−8358−9062(井口)または、090−7504−8475(勝部)
岡山弁は―?「ええもんじゃー!」ではじまった第17回「岡山弁〜ことばの祭り・建部〜」文化センターには雨天にもかかわらず、
続々とお客様の車が到着。さあ、待ちに待った、建部の誇る岡山弁大会開催じゃ!
ロビーでは、できたてホヤホヤ「岡山弁トランプ」(1180円)なるものが販売中!こりゃ、おもれそうじゃとつい立ち止まる人。
13時、「岡山弁パフォーマンス」から幕が開かれる。
出場者は回を重ねたベテランぞろい、その中でも、90歳以上のご婦人三方による「TKB3」トーク。合計285歳とはとても思えない、ユーモアたっぷりの
はきはきとした受け答えに会場内は「ほー」のため息。ちなみに「TKB」の意味は”大正生まれのかわいいばあさん”だそうだ。
ほかにも、創作落語、語り、南京玉すだれと全て岡山弁での演技。
建部からは建部中学の生徒たちによる「岡山弁川柳」。お題は「けなりい」(うらやましい)そこで試験間近のA君は「うちの猫こたつのなかでけなりいな」。
続いての岡山弁協会、青山会長の「岡山弁で歌わにゃー」は爆笑もの。昭和歌謡を岡山弁に置きかえて歌うパフォーマンス。
名曲「神田川」ならぬ「旭川」。”あんたは、はー、わすれたじゃろうか・・・”。
もう取材忘れて聞き入ってしまった。
ラストを飾るのは、いつも大人気の岡山弁劇。今回の題名は「詐欺師のエレジー」??
昨今はやりの、オレオレ詐欺をテーマに岡山弁で騙しまくる男たちとそれを逆手に反撃する女たちとのバトル。もうもう、
他人ごとに思えない同年代観客の声援に詐欺師たちは終いには「かんべんしてつかーせー」で、これにて「てっぱらぽー」と終演。
今日のお客さんに手をあげてもらうと町外の方が多数。うれしくもあり、「こげん、おもれえのに、なんでたけべのひとらは、すくねんじゃろうか」と
ちょっと寂しく思う「建部、ことばの祭り」でした。
福渡第二保育園の「はっぴょうかい」に呼ばれました。ああ、ここに移り住んではや7年。その間、どれだけ
この園から楽しい思い出をいただいただろう。今日もその1頁を綴りたいと思います。
1番目の出し物は全員合唱。全員?ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、く、と、じゅういち、です。
続いては「おいもほり」どっこいしょ、どっこいしょ、うーんぬけないなあ、そうだ、おかあさんをよぼう!わーい、ぬけたぞー。
次はロケットふくわたり2号で「うちゅうへしゅっぱーつ」どうぶつのほしへとうちゃく。にんじゃぼしにもいきました。
来年、卒園まぢかのお二人さん。わたしのしょうらいのゆめ。ジクソーパズルをお母さんが組み立てたらなんと?
「わたしは、はなやさんになりたいです」その最初の花束をお母さんに。「わたしのゆめは、ケーキやさん」最初のチョコケーキをママにプレゼント。
先生方も寸劇を披露。名付けて「20年後の先生たちの同窓会」まあまあお久しぶり。あの子にこの子、どうしてるかしら?
みんな夢がかなって、活躍してるのよ。あの先生は?元気いっぱい、まもなくハワイから帰ってこられるわ・・・。
最後には、父兄も負けじとギターにドラムかき鳴らしての即興演奏。
そして、しめくくりはサンタクロースのプレゼントで今年も閉会となりました。
”あー、ゆかいだった”