「たけべ新聞」を始めて丸4年、その間、地域はもちろん、新聞にたずさわる我々自身にも何らかの変化が訪れた。
その際たるものは、今を揺るがすコロナの猛威であり、盤石と思えた人間社会がこれほどまでに脆いものだと知ることとなった。
「我々はどこに行こうとしているのか」暗闇を手探りで進む人間社会に明りを灯すことができるのか。
地域においても今、問われているのはその”不安というウィルス”の影に、いかに対処するか、元気を復活させるかではないだろうか。
3月、コロナの影響でほとんどのイベントや集会が中止となり、困り果てた当新聞編集局にかねてから知り合いのケーブルテレビ「oniビジョン」から「たけべ新聞4年を振り返る」対談の要請。ピンチを逆手に久々に両者で考える時間を得ることになった。
(写真・レポート 三宅優)
「たけべ新聞」編集長 勝部 公平 副編集長 三宅 優
(進行)「oniビジョン」松本 和之 記者
(進行:松本)「たけべ新聞は今年で4年を経ますが、これまでのことを振り返っていかがお考えでしょうか」
(勝部)「最初、新聞の発刊に際しては、建部の自然、人々の生活そういったものの良さを世界に伝えようと、大きな目標を掲げて始めたわけですが、それがやってみて実際、思うようにいかなかったり、色々と大変な部分もあったわけですが、どうにかやって来れたというのが今の感想です。特に、やって行く中で地区の人らが記事に載っていたことを話したり取材に行って、いい顔で迎えてくれて、ああ少しづつ浸透してきたなあって感じることが多くなりましたねえ。この4年はある意味で新聞を通じて、自分の成長も含め学ぶことができたと受け止めています。まあその分、我々も歳をとったことでもあるのですが(笑)・・・」
(三宅)「そうですねえ、確かにスタートはあれもこれも伝えたいの思いでいっぱいでした。でも実際動き始めてみると、毎月が取材と〆切で追われて、じっくり検討する時間もなく今日に至った感があります。特集も中々、更新することができずにきました。そんな間にも自分の中で最初に思っていた誌面とは取組みが徐々に変わってきた面はあります。当初、建部のできごとを伝えることにウエイトがあったのですが、この4年のうち同じできごとを伝えることが増えていくにつれ、そのことが抱えている意味や課題について触れることが多くなったと思います。良いことだけ書くのではなく、悩みも伝える、そのように変化してきたと思います」
(松本)「新聞を始めて地域の方の反応は」
(勝部)「先ほども言いました通り、我々が新聞を出してるということは地域の人らは中々気づかないわけですよ、スマホを使って観るということなんかあまり得意じゃあない年寄りなんかはとくにそうで、でもこの4年で徐々にスマホなんかを持つ年寄りも増えて、画面を開いて見せてくれたりするわけで、そんな意味では新聞の反響も増えてきていると思います。学校の行事や他所のイベントなんかを、それこそオニビジョンの建部ニュースで知るように、少しは新聞でも伝わるようになったかなと思います
」
(三宅)「その点では私も、住民の方のこの新聞の役割とかこれまでの活動について、少しずつ理解が形成されつつあるのかなと思います。勝部さんも言われた通り、
建部町は高齢化率50%近いわけでインターネットの活用もその年齢の方は難しい状況だと思うのですが、家族の方や遠方におられる知り合いから載ってるよと言われたり、コピーをみせてもらったという話も聞くようにもなりました。私としては外側から建部についてよく知ってる人が徐々に増えて、その人たちから”建部ってがんばってるよね”という声を逆に地域の人が聞く、そんな効果に期待しています」
(松本)「これまでに取材された中で、それぞれに特に印象に残る記事は何でしょうか」
(勝部)「私は、”楽考特集”で昭和の戦前、戦後を生きた人たちから話を聞いたそのことが特に感慨深く心に残ります。お一人お一人があの激動の時代をけんめいに生きてきた、そのことを少しでも残そう、伝えたい、そんな気持ちでいっぱいでした。結果として今、それを読み返しても、ああやっていてよかった、あの時でなければ書き残せなかっただろうから。それは、私自身のアーカイブでもあるわけです」
(三宅)「やはり、1昨年の7月7日の未曽有の豪雨ですね。それまでのイベントや行事といった取材対象とは全く異なる、”今起きている現実”をどう伝えるか、自分自身が渦中にいる中、他人とって緊急を要する情報を少しでも伝える。一瞬の判断が求められたのだと思います。またそれ以降は災害の爪痕も伝えていく、それまでの新聞の立ち位置が大きく変わったと感じています」
(松本)「5周年に向けての抱負をお二人お聞かせください」
(勝部)「そうですね、今、この世の中はコロナのウィルスなんかで本当に対応が取れない時代に入っている、でも逆に、こんな時だからこそ変えていくチャンスでもあるわけです。そう捉えて、私ら高齢になっていてもやれることはまだまだある、ですから諦めずに社会に対して手を差出し、より良い方向に変えることをしたい。そんな役割として、たけべ新聞もその一役を担えればと考えます」
(三宅)「5年目に当たり、より大きく羽ばたきたい。それは伝える内容に自分がより深く関わることで表面的ではない情報発信を目指していきたい。そのために取材数より内容重視で臨みたい。と、一応は描いてみるのですが、どうでしょう?やはり今年もバタバタと終わりそうです(笑)」
(松本)「ありがとうございました」