お話しいただいた方のお名前と略歴(敬称略)
佐藤 康彦(やすひこ) 昭和29年生まれ。大学を卒業後「岡山の自然を守る会」事務局で働く。その後、
建部町役場に勤務し、主に福祉畑の仕事に従事。また、その間も百間川をフィールドとした自然の保護にも積極的に関わる。
退職後、竹枝小学校前の旭川川岸を自力で伐採、子どもの遊べる川の復活を始める。
10年来実施されている「旭川かいぼり調査」は岡山市の推進するESDとも連携、活動は全国的にも高い評価を得ている。
(聞き手 勝部公平)
*プロローグ*
2005年のとある日、一人の男が竹枝小学校の前の道から旭川の方を眺め思いを巡らせていた。
子どもの頃、遊んだ旭川。魚捕り、水泳、土手を駆けまわってトンボを追いかける。そんな遊びの宝庫だった
「川」が、今は灌木と雑草で覆われ近寄れないどころか、姿も見えない。昔は教室からでも見えたのに。
メダカはいるのだろうか、ドンコは、てっきりは?
それから男は一人で土手を刈ることにする。毎日、毎日。やがて、そのことを不思議に思った小学校の校長が声をかけ、
共鳴する。学校と地域が協働して特色ある学校づくりを目指す、「竹枝を思う会」の始まりだった。
12月、地域住民と学校とで「竹枝を思う会」を正式に設立。学校支援ボランティアを募集し「わかたけ会」を組織。
翌年には協働事業として「たけえだ水辺の楽校」を開設。毎月、児童たちに川を中心とした自然体験を行うことにする。
(将来を見据えた構想を策定、活動計画、協働事業立案、賛同者を募る)PDFで拡大
(2005年の小学校前の川岸) (地域の人たちと伐採) (川が見えてきた)
*水辺の楽校 (川で遊ぶ) (魚を捕る) (川原で探す)
*「かいぼり調査」が動く*
川には近づけるようになったが、はたして実態はどうなっているのだろう。ダムができ石が固まって動かなくなり、魚が住みにくくなっているのでは。
3月に支流の矢淵川を調べて、多くの魚が生息していることはわかっていた。しかし、やはり旭川本流を見てみたい。そんな欲求が高まってきた。
なんとか水を堰き止めて調査できないだろうか。
6月に「たけえだ水辺の楽校」が岡山ESD推進協議会の重点活動組織に指定されたつながりで、事務局に相談することにした。
結論は環境学習センター「めだかの学校」を拠点に建部町全体で取り組めば可能ではとのこと。
「めだかの学校」、教育委員会、町との根気のいる協議がすすめられた。同時に立ち上げた有志、賛同者、地域の人たちとのミーティングも
幾度となく開かれた。そして11月、建部町・建部町教育委員会の主催で
「第1回かいぼり調査」は実施されることになった。スローガンは「旭川再生プロジェクト・てっきり復活大作戦」
ESD事務局のサゼッションを受け、町外の学校、研究者、市民団体にも参加が呼びかけられた。続けていくからには、専門的分析と評価が欠かせないからだ。
(かいぼり調査計画地図) (目標のてっきり) (最初の調査報告書)
(川を堰き止める) (川原の整備) (全長300mを拓く)
*そうして「かいぼり調査2016」へ*
”川を耕す”をテーマに今年で9回目となる「旭川かいぼり調査」。年々、その評価は高まり、昨年は400名以上の参加があった。協力団体も岡山理科大学、
岡山淡水魚研究会、岡山野生生物調査会、岡山の自然を守る会、旭川流域ネットワーク・・・と広がった。2年前の調査にはユネスコ世界大会から海外高校生も
参加した。
調査の対象としてきた「てっきり(アカザ)」も確実に増えている。石を動かし、生き物を住みやすくする、その成果が実ってきた。子どもたちも、
そこから学び、今は「生きものの里づくり発表会」を毎年2月に開催している。地域と学校が一体となって取り組む「ふるさとを伝える」活動がこれからも続けられる。
<../../img src="images/gakkou/201611/33.jpg" width="285" height="200" align="right" hspace="10" alt="かいぼり調査">
(「ほのぼの荘」でお会いしてから25年が経ちましたねえ。ずっと福祉の仕事をされてきて、
「なでしこ作業所」と「友愛の丘」の連携でもお世話になりました。私の知らない部分も多いと思いますので、改めてこれまでの活動についてお聞かせください)
(佐藤)「大学を出て岡山の自然を守る会の事務局で働いていたんですが、今も続いている、わんぱく教室でも指導にあたって。
学生だった環境保全課の友延君ともその頃、出会いました。その後、建部町役場のほのぼの荘に就職したんですが活動は続けていました。
当初、子どもの遊ぶ場所を作りたくて、笹が瀬でやっていたんですが、飛行場問題とかで百間川に移って、川を遊び場にしようと近くの小学校にも声をかけました。
でも、とんでもないと断られました。当時、子どもを川で遊ばせるなんて危険だという考えが主流でしたから。まだ、子どもを対象にしたフィールドのはしりの時代です。
そうこうするうち、ゴルフ場建設の計画が出て。子どもの遊び場にしようと思ってたら、大人の遊び場にするのかー!と。でも、その後だんだん世の中というか、世界が
地球の環境や子どもの教育のあり方について考える時代に変わってきたんです」
(竹枝をフィールドにしようと考えた経緯というのは、どんなことだったんですか)
「退職してプラプラしてたんですが、小学校の前の川を見ると草ぼうぼうなんで、そういえば子どもの頃は毎日、俺は川で遊んでおって、
それが大人になったら近づきもしない。それで、何もすることもないんで、草刈りを始めた。そうしたら、不審に思ったんじゃろうな、竹小の校長が
やってきて、何をしとんじゃと。それが”竹枝を思う会”の始まり。そもそも”思う会”の目的は小学校を残したいということだった。それにはどうしたらええかと。
ここには、目の前に旭川があり、支流も流れて自然に囲まれている。田んぼもある。このフィールドを活用して他にはない教育ができるはず。
校長と戦略を組み、構想を練って基本計画を立て年間計画、活動内容、役割分担を決めていった。月1回、”水辺の楽校”の実施。わんぱく教室で培ったノウハウが活きた。
お年寄りが参加する行事も入れていった。”思う会”の設立は2006年で、幸いESDも立ち上がり、時代が追い風となった」
(かいぼり調査の発案というのはどこからきたんですか)
「昔、ほのぼの荘のお年寄りに子どもの頃の遊びアンケートをしたんですが、中に川を堰き止めて遊んだと書かれたあった。それで、いつかやってみたいなあと思っていた。
そんな中、今の旭川はダムができて川底が動かなくなって、魚も水生昆虫も住めなくなっているのではという疑問もわいて、実際はどうなっとんじゃろうと。
そしたら、干せばええいうことになって。干せるじゃろうか?干せるよなあと進んでいった。だれも反対はしなかったけど、進める上では簡単ではなかった。
結局、建部町と教育委員会に話を持っていき、その主催で行えることになった。これには、市の環境保全課の友延君の力が大きかった」
(ここまでの歩みの中で今、考えることはどんなことですか)
「当初は竹枝の魅力を発信することが第一だった。でも5回目くらいから、竹枝にこだわらず建部町全体の取り組みとして、
かいぼりを活用してもらえればいいなあと考えるようになった。地域共同学校の役割を担えたらいいなあと。それと、ここまでやれたことを
思うと、やはり人が大切だなあと。理大の斎藤教授や研究会のメンバー、友延君、川原君といった仲間、地区のみんな。本当に”人と仲間に恵まれた”と
言えるなあ」
(あとがき)
自然をフィールドに自分のやりたいことを貫いてきた佐藤康彦さん。”職場を使い倒せ”をモットーに「ほのぼの荘」でも証言集をまとめたり、強力なオリジナリティを
発揮していた。記者は25年のつき合いの中、「うらやましい生き方をしてるなあ」と常に感心していた。次のアクションは?の問いに「川を耕す、川の活性化」とまだまだ
変わらぬ熱意を見せてくれた。(勝部 公平)