お話しいただいた「山ゆりの会」の方々(敬称略)
下野 芳枝(会代表) 81歳
下原 美恵子 83歳
小原 文子 81歳
榎本 栄子 74歳
下野 美智恵 83歳
下野 三佐子 69歳
(この日はたまたま「地域おこし協力隊」の頼本徹さんと高橋律子さんが手伝いに来られていました)
平成2年、建部町鶴田地区の長尾で若者や働き手が外に出て行き、しだいに地域がさびれていく中、「男性が働いている間、女性で何かできないか」 と下野芳江さんの呼びかけて近くの女性が集まり「山ゆりの会」がつくられました。 メンバーは地場の食材を使い、安心でおいしく食べれる特産品を県域に届けようと、こんにゃく、豆腐、味噌、野菜パンなどを 次々に開発しました。その評判が伝わり、産直店や温泉施設、学校給食センターへと出荷が広がりました。平成19年にはその活動が評価されて 「あしたのまち・くらしづくり活動賞」で内閣総理大臣賞を受賞しました。そして今日まで、会のメンバーは高齢化で数は減りましたが、週1回の 製造を続けています。
(今もこうして元気よく続けていられるもとはなんですか)
「やっぱし、こうやって皆であつまってわいわいとやっとんが楽しいけんなあ」
「ボケ防止じゃが、ボケ防止(笑)手を使こうて動きょうらんと」
「ここへ来て、皆と話しょうりゃあ、情報がわかるがあ、1週間に1回井戸端会議じゃ、あそこで何があったとか、ここがどうしたとかなあ」
「注文があるけんなあ、予約もあったら作らんとおえんけん、やっぱり週1回はこうやってなあ」
「これでもまだ役に立つことがあるんなら嬉しいが、なあ」
(会をつくった当時はどうでしたか)
「そりゃあ、婦人会の人らだけで20人以上おって、もうここがいっぱいでやっとったよ」
「あの頃は皆、まだ若かったけんなあ、あちこち届けに行ったり」
「そう、あの頃まわりに笹ユリがいっぺえ咲いとってなあ、ええ匂いがしとった。それで山ゆりの名前もつけた」
「いろんな人が来たり、呼んだりもしたなあ」
「まあとにかく、よう動いたわ」
(皆さんのその元気は子供の頃から山で足腰を鍛えられたから?)
「わたしらは嫁で外から来たけん、ここで過ごしてねえけど、自分の子どもらは小学校まで細え道を6キロ半、歩いて通わせたよ」
「そうじゃ、冬場は帰るころには暗うなって、山道をごそごそ集団で帰っとったわ」
「わたしらじゃって、子どもの頃は家の手伝いで炭をかついだり水を汲みに行ったりしとったよ」
「わたしと主人も父親は戦争に行って亡くなっておらんのじゃけん、小学3年生から炭運びをしとったよ」
「雨の日は蓑(みの)をかぶって学校へ行っとったなあ、傘がねえけん」
「草鞋(わらじ)を2足持ってなあ、自分で編みょうたなあ」
(この地区は今でも結束が強いとお聞きしていますが、祭りとかどんなことをやられていますか)
「お祭りは獅子舞も棒遣いもまだやっとるよ」
「神社の祭りに昔は店も出とったけど今はねえけん、山ゆりもお菓子を作って出したりしょうるんよ」
「日参のぼりを持って月に1度はまだ回っとるし、じゅず回しもやっとるんよ。輪くぐりもあるし」
「お盆には3世代交流をここで、あのU字溝を使って皆でバーベキューをするんよ。そのときには子どもや孫も帰ってくるけん」
(取材を終えて)
帰宅後、夕飯の食卓には頂いた豆腐とコンニャクが載りました。しっかりとした豆腐と、ほどよい弾力のコンニャクの味は格別で、
先ほどまでご一緒だった方たちのあたたかい人柄が伝わってきました。それにしてもあれだけの製造をするには、よほど朝早くから
準備をされているのでしょう。その元気に敬服いたします。