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 特集「建部で子どもを育てるを考える」 2016年4月発信

「たけべ新聞」創刊記念特集(第2弾)「建部で幼い子を持つお母さんに聞きました。

 建部で子育て中のおかあさんに聞きしました。
「建部で子どもを育てて良いなと思う点は?」
「気にかかること心配なことは何ですか」
「将来、自分の子どもにとって建部はどうあってほしいですか」
(今回は個別にお聞きした内容をもとにまとめさせていただきました)

*お話しくださった方のお名前と家族構成(敬称略)*
 榎本 ゆか   小学4年生の長女、年少の次女、3歳の長男を持つ。川口在住。
 佐藤 美帆   4歳と1歳の男の子を持つ。両親との6人家族。土師方在住。
 河井 歩美   中学1年生の長女、小5の長男、小2の次女、両親、祖父母との9人家族。桜在住。
 吉岡 優     小学1年生の長男、5才保育園児の次男。夫の両親との6人家族。福渡在住。
 川原 寿理    中2の長男、小4の長女、小1の次男、3才の次女との6人家族。土師方在住。
 西村 加奈子  小3の長男、5才の長女との4人家族。大田在住。


 (以下、上記のお聞きした順にお話を掲載しています)


榎本ゆかさん  「私は岐阜県の比較的にぎやかな町中で育ったので、ここに来たときは少し寂しく感じました。でも子どもが福渡小に通い出し、少数なので同じ学校の子の顔や名前がすぐにわかり、 その一人一人の子が、きちんと行き帰りのあいさつもしてくれるので、こんな点はここのとても良い点だなと思います」
 「逆に、こんなに少数で純粋な子どもたちの中で、もまれずに大きくなることに多少の不安もあります。それと、ここは自然も豊かなのですが車も多く、意外と子どもが遊べる場所が少ないと 感じてます。あそこに行けばいつも誰かしら友だちがいるという遊びたいときに遊べる、そんな公園のようなものがあるといいと思います。 うちの庭にちょっとした遊べるスペースを作ったのですけど、学校帰りに子どもたちが寄って遊んでいます。うちはここで仕事をしていつもいるので、遅くなっても送って行くから遊んでていいよと 声をかけてあげてます」
 「10年、20年後と考えると自分たちのことさえ心配になります。ただ子どもにはこの場所にこだわることなく、一度は都会に出てもらいたいと思います。自分たちのふるさとは 残ってほしいけど、子どもたちに強制はしません。自由に羽ばたいてほしいですね」


佐藤美帆さん  「私は水島で生まれ育ちましたので、夫の実家のここに来たら何もかもが新鮮で、家を出て土や草があるということさえいいなあと感じます。それと 家から歩ける範囲に子どもたちが多くいて、それを近所のお年寄りとか名前を呼んで見ていてくださるのがとても安心です。町中では、一人の子に 時間をかけて接することが中々できませんが、ここでは上の子が下の子をわかって世話をしてくれていたりします。田舎では自分一人でやる機会も多く、 また相手を思いやれることも多いのではと考えます」
 「人が少なくなり学校とかが減っていくのはさみしいです。もっとたくさんの人に住んでもらいたい、そのために農地とかに家が建てやすくなったらいいと思います。 あと小学校を卒業していきなり中学でいっしょになるので、ふだんの3校合同行事とかが盛んになるといいですね」
 「水辺の楽校などの自然とふれあう環境が残っていって、お祭りや獅子舞などの伝統も受け継がれる、そんな建部であってほしいです」


河井歩美さん  「3年ほど前に嫁ぎ先の広島から両親と祖父母のいる私の実家のそばに越してきました。しばらく離れていたので、自分が生まれ育ったこの地を見直すことが多くあります。 その第一はやはり自然の豊かさ、四季がはっきりと感じられることでしょうか。夏、畑に行けばトマトが成り、秋には大根がというように。外で焼いもをしてもいいし、 ドラム缶を叩いてはしゃいでもいい、こんなことは町中ではできません。お墓そうじも家族総出でやるので、その中でみんなでやる大切さを学べると思います」
 「戻って来て一番に驚いたのは少子化が進んでいたこと。中学の学年で1クラスしかない、えっ?って思いました。私の子どもの頃とあまりに違っていて。近所に幼なじみがいない なんて考えられませんでした。今、桜地区に限らず他の地区でも同様になってきています。このまま保育園や学校が統合されて、減少していくしかないのかなと考えると心配ですね」
 「建部がそうならざるを得なかったとしても、子どもたちにはここで生活をしていたことを忘れないでほしいですね。すてきな故郷として記憶に残してほしいと思います。 そのために”たけべおこし”にも参加して、少しでも良い町にしたいと思います」

 

吉岡優さん 「ずっと市内の大供に住んでいたので保育園もそこに通っていたんですが、幼いうちは顔がわかり思い出が残ることが大事と考え、少人数の福渡の小学校へ行かせるため 主人の実家に戻ることに決めました。それで保育園から入れることにしました。そうしたら、のびのびとした環境が合って、子どもも行きたがるようになりました。 町中のゲーム機などで遊ぶ子とは違う、昔からの遊びができる友だちが見つかったのも、ここに来たからこそだと思います。地域の方たちも子どもの顔を覚えてくれて、 よく声をかけてくださるのも小さい町の良さだと思います」
「子どもを育む点では保育園、小学校までは少ない人数がいいと思うのですが、それから先は、子どもの自立を考えると大勢の中でいろんな人と出会い、多様な個性や価値観に 触れてもらいたいという思いがあります。中学からはある程度人数のいる学校へできれば通わせたいですね」
「18歳になったら子どもは外に出すつもりです。自分の力で生きていってもらいたいから。その上でリターンを決めるならそれはいいのかなと思います」


川原寿理さん  「9年前の岡山市と合併する前の頃に市内から越してきました。もともと”岡山の自然を守る会”などで環境ボランティアの活動を二人ともしていたので、田舎暮らしを 望んでいました。今は6反の田と畑2反をやっているのですが、子どもたちはその田んぼや畑でいっしょに土いじりをして過ごしています。周囲には小さな川や空き地があって 道路も車が少ないので、放っておいてのんびりと遊ばせていられます。これから川沿いにはホタルが見られるようになりますし、今、鳥も盛んにやって来ています。アナグマも来ます。 親としては理想通りの子育て環境だなと思います」
「10年後とかは、この田んぼがどれだけ残っているか心配ですね。私たちの上の方は高齢者が多くその間の世代が少ないので、その方たちがいなくなると耕作放棄地が増えていく しかないんです」
 「それでもここへ来た当時より少しづつ住む人が増えてきました。3年前には"土師方子供会"もできたんです。普段、遠くて遊べない子もこれに参加していっしょに遊べるように なりました。子どもたちには将来、ここをいいと思ってくれて、それで色んなとこへも行ってもらいたいですね。私たちはここで役に立つことをして、ここがホッとしてもらえる場所と して残ってくれるといいなと思います」


西村加奈子さん  「もともと京都の街中で上の子が2才まで子育てしていたのですが、その生活が自分たちに合わないと感じ、ここに移住しました。 自分で作った米を子どもには食べさせたいとの願いからです。子どもたちは目の前の田畑で親の農作業を見ながら自由に遊んでいます。 親としても目の届くところでのびやかに子育てできるのでありがたいです。ケーキを作って販売する仕事もしているのでスーパーも近いし、 将来、子どもが高校へ通うことなどを考えると鉄道駅もあって、ここはとても便利で過ごしやすい田舎だと思います」
「子どもたち同志で、ふらっと遊べる公園のような場所があったらいいなと思います。御津スポーツパークのような。そうすれば、 お母さんたちの幅広い交流ができると思います。」
 「子どもたちには想像力で自分の道を切り開いていく人間になってほしいですね。将来の建部については、まず移住者を増やすことが近道かなと 思います。そのために建部を知ってもらい、住みたくなるような受け入れが大切だと思います。”おためしハウス”のような仮に住んでもらう 住居を整えるとか、要望を取りまとめる調整役とかが行政の中で準備できるといいですね。今度の”協力隊”にそんな役割を期待しています」


 *今回、お聞きしたみなさんは、それぞれに育った環境や今の家族構成、住んでいる場所も異なるのですが、同じ建部で子育てをするその意味は しっかりと理解されていました。”考える母親”という言葉が適切と感じました。そんな母親に育てられた子どもたち、将来はこの建部を離れるにしろ、 心はいつでも戻って来られる様、この「たけべ新聞」頑張らねばと思いを新たにしました。(記者、感想)









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