■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
第22回は「NPO法人 なでしこ会」事務局で秋の「ふふふ祭り」を牽引する杉山 ゆいさんです。
(プロフィール)
杉山 ゆい 昭和56年 吉備中央町に生まれる。
神戸親和女子大学文学部を卒業後、
建部町B&G海洋センターに就職。
その後、障害者生活支援センター「こら〜れ」に移る。
現在、NPO法人なでしこ会の広報誌編集をはじめ
「ふふふ祭り」等の実行のかなめ役として活躍。
吉備中央町在住
(聞き手 三宅 優) 地域の人が心待ちにしている「ふふふ祭り」が近づきました。今年で9回目を迎えるにあたって、
これまでの流れを振り返ってお話しいただけますか。
「平成21年になでしこ会は従来の作業所からNPO法人と変りました。その際、折角なったのだから何かしたらどうだろうと意見が出され、
当時の理事長が祭りでもしたら盛り上がるのではと言われたのが”ふふふ祭り”の始まりです。その頃、福渡高校が廃校になって商店も閉店が続き、
すこーし町が淋しくなったように感じられていました。
そこで、秋にあった福祉施設のイベントとかと一つにまとまる
案が検討されて、初めはほのぼの荘の駐車場で開催しました。その時の来場者は関係者含めておよそ100人。
そのあと実行委員会(ふくわたり・ふれあい・ふくし祭り実行委員会)で町づくり勉強会を
開いて、これからの福渡の町全体で、目指すべき構想を話し合いました。それがこの ”福渡夢プラン”です。
それに合わせて、ふふふ祭りのあり方も”施設の祭り”から”町の祭り”へとさらに広がる必要性を感じ、会場を現在の建部支所駐車場に移しました。
今回で9回目となりますが、おかげさまで回を重ねるごとに協働団体の数も分野も増えてきました。来場者も350人
を数えるようになりました」
順風な広がりを見せて来ましたが、課題はありますか?
「確かに祭り自体は場所を変えたことで来場者も出店者も増えたのですが、一方で普段の町の様子に何か変化が起きたかというと、さほどではなくて。
何のための地域活性化だったのか、疑問にかられることもあります。もっと町全体が元気を取り戻し、活き活きと暮せる地域づくりをめざしていたので」
それは大変むつかしい課題ですね。しかし、この祭りがあることで、町民の心のどこかがつながっている、そんな意味合いは大きいと思いますが
「そうだと、うれしいですね」
今度の祭りの内容はどんなですか
「基本的には従来に沿ったイベントを考えています。出店コーナーでは地元の人たちによる、うどん、タコ焼き、焼きそばなどの手作り屋台。
展示コーナーは福っ子ポスター展、外部団体との協働展示なども検討しています。他にもフラッグづくり体験コーナー、それと好評の音楽広場。
もちろんオープニングのはっぽね太鼓、フラダンス、最後は”福当たりビンゴ大会”と盛りだくさんです」
楽しみですね。今、杉山さんが関わっている他の活動についても教えてください
「この建部町と高梁市を対象にして”残したい仕事と人づくり研究会”というのに加わっています。
これはNPO法人みんなの集落研究所の事業の一つなのですが。
地域、特に中山間での休廃業が進む中、一方で仕事がない、就労が困難という状況にある人たちがいる。
その双方を結ぶ新しい承継モデルが創れないかと研究会を開いています。地元のたけべおこしプロジェクト、
地域おこし協力隊も参加しています」
それはいい視点ですね。それ以外に他所で注目している活動とかありますか?
「上山集落のみんなの孫プロジェクトというのがあるんですが。
地域の各家で必要なちょっとした仕事、草刈り、家のかたづけ、電気の交換などを500円単位のパックにして、
それを利用できる独自通貨を発行しているんです。こうすると頼みやすいし、受ける方もやり易い。これやってみたいですね」
面白いことを考えるもんです、若い人に任せれば、まだやれることはいっぱいあるでしょう。
では最後にプライベートでは何かやりたいですか
「岡山県の27市町村をすべてドライブ制覇、通り過ぎるのではなく目的を持ってそこを訪れたいです(笑)」
それもまた、面白い!
(記者感想)
杉山さんと知り合って8年、その間「ふふふ祭り」を通じてテキパキした対応を垣間見た。てっきり体育界系と思いこんでいたら、
文化系でそれも文筆家志望。そう言われればフェイスブックのブログを読んだ折り、自分の微妙な気持ちをうまく表現しているなと
感心した。今回で30号となる「なでしこだより」でも、その文才が発揮されていて読み手を引きつける。
さて本人は吉備中央町の人間であることにこだわっているそうだが、福渡の者からは、誰よりも建部町の人と受け取られている感がある。
それほど、ここでの仕事ぶりが評価されている証しだろうと考えるがいかがだろう。
(取材 三宅 優)
*写真提供 建部町公民館
「第9回 ふくわたり ふれあい ふくし祭り」
*残念ながら当日、雨天が予想されるため今回は中止となりました。(10月12日)
問合せ先:NPO法人なでしこ会(障害者生活支援センター)
п@086−722−5200
まず読者の方に質問。「どこで生活して最期を迎えたいですか、その準備はできていますか?」
ここで「さて、どうしたものだろう?」とお考えの方はその時に向けて今からきちっと情報を得ることが大事。
今日、特別養護老人ホーム「旭水荘」で開かれた公開講座はいざ介護が必要になった時に、不安を抱えず安心して対応するための
事前知識を得るため。題して「老後を安心して過ごすために〜施設の種類や知っておきたい制度など〜」
お話し下さったのは「旭水荘」職員で先日の「建部まつり」で見事な獅子舞を奉納された生活相談員の竹川幸史郎さん。
まずは、そもそも介護保険はどのようにつくられて来たかその歴史を振返る。これまでの日本の高齢化率推移グラフを睨みながら、
1963年の老人福祉法、73年の高齢者医療費無料化、その破たんを受け、負担額を決めた83年の老人保健法、寝たきり高齢者の増加に対する施設の
緊急整備等を定めた89年のゴールドプラン、予想外の急速な高齢化が進んだことによる在宅介護の増員を図る94年の新ゴールドプラン。
そして2000年に介護を必要とする高齢者増加に対して社会全体で支える仕組みとしての介護保険制度の開始。
その後3年ごとに法改正が行われ、14年には地域の医療機関、介護施設、住民が一体となったサポートシステム「地域包括ケアシステム」の構築が進められている。
これは施設重視から在宅重視へという流れで、その目的は国の負担を軽減することにある。
ここまでの話を聞いてわかったのは、どの国も経験したことのない高齢社会を乗り切る手立ては、人も政策も試行錯誤で歩むしかないのだということ。
後手に回ることもあれば予期せぬ反応が起きることもある。
いずれにしても知恵を出し、力を出し合って解決するしかない。
では、実際に介護が必要になった時、どう具体的に対処するか。竹川さんはこれを順を追って、丁寧にわかりやすく説明する。
@誰にまず相談するか。A必要な手続きは。B申請する機関は Cどこで介護をするか D入所する場合の方法は Eかかる費用は
F費用軽減の事例(実際はもっと多くの項目の解説あり)と。
ここから先は様々な施設の紹介へと移った。民間、公的、それぞれに種類の違う施設があること。その内容、受け入れ条件、費用等のあらましについて。
また今現在、計画中の施設も入れると建部町、久米南町、近隣含め介護施設は9施設。介護サービスは10カ所。
居宅ケアマネジャーのいる事業所が8つ。病院、訪問介護サービスは6医院。これだけの数の介護施設、在宅サービスが我々の地域には備わっているとのこと。
意識してなかったが、なんと恵まれた環境だったのかと驚く。
最後に竹川さんから
「老後を安心して過ごすための、まず一歩は、家族を含めて介護を”知る”、”考える”ことが重要ではないでしょうか。
そのきっかけがこの公開講座であれば幸いです」と締めくくられた。お言葉通り、記者にとっても大変有意義な提言だった。
(取材・写真 三宅 優)
*旭水荘ロビーに子どもたちの描いた楽しい「ふふふ祭りポスター展」が掲示されていた。ちょっぴり深刻な話の後で一服の清涼剤となった。
恒例となっている福祉プラザの季節を歌うワークショップ、「歌声のつどい」にお邪魔した。一曲目は「里の秋」から。まさに建部の里の今。
そして「どんぐりころころ」。これって♪ドングリコロコロ ドングリコ♪と思ってたら最後、♪・・・ドンブリコ♪だった、知らないってコワい!
次はリンリンリンリン「虫の声」と「森の小人」でドンジャラホイ。日本の歌って、おそらく日本人にしかわからない擬音語で埋めつくされてる。
歌の合間に手指の運動。色紙を折って落葉を作る。これが簡単そうでけっこう頭を使う、投げ出したいくらいに。参加者のご婦人たちも同様に四苦八苦。
でも似たようなものでOKと講師の先生(そうそう紹介が遅くなったけど講師は音楽療法士の寺尾麻美さんとお母さんの寺尾美智子さん)が、おっしゃるので良しとする。
後半は秋から冬へ。「旅愁」「ジングルベル」「きよしこの夜」と年末まで先取り。「津軽海峡・・・」「見上げてごらん・・・」まで一気に歌い上げて、
最終へ。
もちろんラストナンバーはいつも通り「これを歌いたくて来てるのよ」のコメントが聞かれる中「川の流れのように」でシャンシャンシャン。
次回は来年"春"またねー。
(取材・写真 三宅 優)
千年からの長い歴史を持つ志呂神社。その秋の大祭は決まって10月20日。
「いやあ午後から半日だけ休みがもらえた」とか「もう面倒じゃけん日曜まで休みにして帰ってきた」という若い人の声。学校も地区の子は今日は早授業。
「そうなんよ、平日に休みを取らなきゃだめじゃけん、なかなか大変なんよ。若い人らも、ようここまでがんばって続けてくれとるわ」祭りの世話役が言う。
それほどこの祭りは、決まり事を守ることが重んじられる。
雨続きの建部だが今日は時々、晴れ間も見えるまあまあの天気。午前中に本殿祭が粛々と執り行われ、午後からが神楽祭だ。
前日にお供えされた岡山県指定重要民俗文化財である京尾御供(きょうのをうごくう)の
「ふと」「まがり」「丁銀」が本殿から出されると”撮り鉄”ならぬ”撮り祭”がどっと取り囲んでシャッターを押す。
氏子の方から「これは何を意味するかご存じですか」と聞かれ、”撮り祭”さんの一人は、「ムム?」っと首をかしげる。
男性と女性と小判を表わしていると教わると「なーるほど(笑)」と大いに納得。
本殿前では棒遣いと獅子舞の奉納が次々と続いた。この地区の棒遣いは特に荒技で名高い。
棒を打つ音の鋭さ、高さ、鬼同士の投げ合いも見どころだ。
観客はその一挙手一投足に集中する。
子ども達の棒遣いも練習の成果を見せた。後継者不足の中、こうやって引き継いでいるのを目の当たりにすると
何だか胸が熱くなる。祭りはこの後、神輿が馬場に出て町内神輿、子ども神輿も加わって右に左にと盛り上げた。
気がつくといつの間にか観客が増え、その中に施設から来た車イスのお年寄りの方々の
うれしそうな顔(手を合わせて礼をする方も)が並んでいたのに、またホッコリした。
(取材・写真 三宅 優)
鉄道の日(14日)を記念して運行されたJR特別臨時列車「ノスタルジー号。
今回は、岡山ーー新見ーー津山――岡山とぐるり一周するという、年に1度の企画。
あいにくの雨だったにもかかわらず、さすが鉄道ファンの思いは熱い。満席80名以上の乗客がこのショートトリップに参加。
福渡駅に到着したのは午後4時9分。1番線には、今やこの催しの目玉となっている、すぎ茶屋まんじゅうさん、キシモトケーキさん、
そしてサニーデイコーヒーさんの「建部おいしいもの店」ビッグ3が勢揃い。いつもなら他にも太鼓や尺八といった
元気な音が聞けるのだが、今日はあいにく都合がつかず。そこで多少の賑やかしにと記者がスピーカー片手に広報係。
わずか、30分ほどの停車だったが、ほとんどの乗客が改札ホームまで足を運んで建部名物に舌鼓。両手いっぱいに
おみやげを買われていた。
”行こうか岡山 戻ろか津山 ここが名物ふくわたり”
また来てねー。
(取材・写真 三宅優)
県と市が一体となって取組む岡山への移住促進事業。今日はうれしいことに、首都圏から6家族17名が参加、ここ建部にも
訪れた。
参加者は乳幼児から中学生までの子どもを持つ若いファミリー層。
昼食を御津町「河原邸」で終え、まず一番の関心である保育と学校を見学。
「建部認定こども園」では1日の様子、給食へのこだわり、年間を通じた地域との密着した連携サポートが
紹介された。夜7時までの延長保育が伝えられると「うぉ!」と関心を示す家族も見られた。
続いては、そこから3分、建部小学校へ。ここでも、校長先生他、多数の方が準備万端、整えて
お待ちかね。
宮尾校長先生は「町の木」のヒノキをたとえに「やるき、げんき、人がすき」な子を育てたいと
学校のポリシーを語り、学校での元気な児童の姿を映像で見せた。
学童保育の指導を受け持つ
本田さんはこの日のためにとお正月に飾れる「鶴」の折り紙を用意していてくれた。
ここまで見るとやっぱり地域とは、自然の豊かさとか、経済的にゆとりのある生活が持てる
とかだけでなく「人の心がつながっている」それが一番だと確信。
その後は移動バスで1分の建部町文化センター、茶室「法寿庵」へ。
ここでも地元の人、移住した人がお待ちかね。ここからはフリータイム。
兵庫から来られたご家族。「子どもは3人、特に今、下の子との時間が取れていないので、どこかでゆっくりした生活に戻したい」
宮城県から。「在宅ワーカーでどこでも仕事が可能なので、どこかに移ろうと。ここは人が優しい、食べものもおいしい、娘も違和感がないと言ってます」
群馬県から。「農業をやりたくて、どこかないかなと参加しました」
神戸から。「ハーバーランドのマンションに居ますので、子どもの喘息、環境を考えると田舎暮らしが選択肢としてありました」
大阪岸和田から。「まだ田舎で特にどうしようというビジョンはないのですが、街の追われる生活にも疲れてきて、自分たちの生活を求めて何か変わるきっかけになるのではと参加しました」
東京から。「私は東京育ちですが、子どもの育つ環境をもっと良くしたい、そのためには転職もやむを得ないかと考えて、いろいろ探してたまたま妻の母親の実家が岡山だったので」
一方、受け入れチームからは。
田地子に越して間もない片岡さん。「子どもを近所の人が面倒見てくれたり、いろいろ助けられています。その分、田舎は虫が多かったり草刈りがあって大変でもあります(笑)」
当記者、松下りえさん。「それまで、ずっと住んでいたオーストラリアのシドニーにとっても似てるなと、自然と共存することの豊かな暮らしが建部にあると感じてます」
今回、ツアーに参加された6家族、それぞれに将来に向けての自分たちのあるべき姿を模索中。それが、ここで見つからなくても、
どこかでは見つかってほしい。その通過点としてでも、今日の出会いがお役に立てたら建部町民としてうれしい限り。
「終の棲家」にめぐり会えることを祈願!
(取材・ 勝部公平 三宅優 三宅美恵子 松下りえ)
どこから、これだけ人が湧いて来たのだろう。八幡温泉駐車場にぞくぞく集まる祭り姿の人、人、人。
近くにある「老人会館」「たけべの里」そして「たけべ八幡温泉」では次から次と神輿がくり出され、獅子舞たちが
演舞する。迎える施設のお年寄りの顔ったら、ない、すばらしい笑顔でみんなみんなこの日を待っていた。
建部が誇る県指定重要無形文化財「建部まつり」の始りだ。
白装束に身を固め、地下足袋履いて神輿を担ぐ、男たちもさまざま。口ひげ生やした青年にスキンヘッドとピアスのヤンキー、
運動不足が顕著なお父さん、若者に負けじと大声上げる白髪交じりのおやっさん。風貌、年齢は違っても、”祭り”の一声で固く結ばれる。
午後2時。それぞれ神輿の前で舞いを披露した一行は、いよいよ祭りの本番となる建部上「七社八幡宮」へ向かう。空はどこまでも青く、
田では、これから刈り入れを待つ黄金色の穂がさわやかな秋風にゆれる。
道々に聞こえてくる、久々の友との会話。
「どうしょんなら、元気でやりょんかー」
「オウ、おめえも、がんばっとるようじゃん」
「まあ、まあじゃ、せえでもよう帰ったのう」
「やっぱ、これのためにゃあ、帰らんとおえまぁが」
「そりゃあ、そうでぇ!」
数百メートルにも連なる行列はやがて本宮へ。
すでに境内ではカメラを手にして到着を待つ大勢の人の姿。先頭の神輿が階段を上がり、馬場を走り抜け、
ネリを行いそのまま勢いをつけ仮屋まで坂を駆け上る。
ドドっと歓声が沸く。次にやって来た神輿にも。そして
観衆からの威勢のいい掛け声。「そりゃ、行け、行け!」「どうした!がんばれ!」
七つの神輿はあらん限りの力を出し切って宮入を終えた。
獅子舞と棒遣いによる演舞の奉納。大人に混じって、子どもらも大人に劣らぬ熱演。
そのたびにカメラのシャッターが押され、スマホで録画する手が追いかける。何日も何日も練習してきたことを、
見ている人の顔が語っている。
フィナーレが近づいた。あれほど強かった陽の光が急に陰りをのぞかせた。すべての神輿の最後の繰り出し。
いっせいに掲げられ、「高々」は今年も観衆の惜しみない拍手を受けて無事、幕を閉じた。
(取材・写真 三宅優)
30年以内に南海トラフ巨大地震が起きる確率80%。今日かもしれない明日かも。そうなって考えたって、そりゃあ遅すぎる。
しかも、ちょっとくらいの避難訓練じゃ役に立たない。
今回で5回目となる福渡学区の防災キャンプ、年々、住民意識が向上して
参加者はうなぎ上り。それもそのはず、実際に避難所に着いてまず何をすべきか、どのようなことが必要となるか、
逐一、具体的な行動例を示され学べるからだ。
指導に当たるのは市消防署、地元栄養委員、ボランティア、そして綿密な企画を立てた建部町公民館。
児童を伴ない非難してきた保護者はまず自分の住む地区の受付に行き名前を申告し、胸にガムテープの名札を貼る。
次に水、食料を受け取り、それにも一つづつ油性マジックで名前を書く。こうすることで混乱防止ができる。パニックになった時、
すべての人が冷静でいられるわけではない。逆にそんな時こそ”我”が出てしまうものだ。
秋なかば、広ーい体育館は寒々して床は冷たい。ああ、座布団があったらなあとか、段ボールでもありがたいなとか考えてしまう。
そんなことだって実際にこうしてこの場に居てこそ解ること。避難グッズに座布団、ホカロンは必須だなと思う。
配給のアルファ化米に水を入れる。お湯は無理だから出来上がるのは1時間後。
その間に用意された体験をする。
「起震車体験」岡山市消防局から来た起震車に4人づつヘルメットをかぶり乗車。
地震アナウンスの後、揺れが始まる。東日本大震災と同様の揺れが試されると、もはや悲鳴しか聞こえない。
泣き出す児童も。ごっつい体をした大人でさえ「ホントに長い、もう、めっちゃ、怖かった!」と話す。
「応急手当と担架づくり体験」では、新聞紙とラップを使い、骨折した場合の緊急処置を教わる。毛布を丸めて作る担架の方法も。
また「身近なもので出来る防災グッズ体験」は単3電池を単1電池に変えて使うやり方を伝授。
正午、しっかり役立つ体験を終えた参加者は全員「いただきまーす」を合掌、アルファ化米をありがたく頂いてキャンプ閉会となった。
おつかれさま!
(取材・写真 三宅優)
旧福渡高校跡地に開校した「岡山・たけべ医療福祉専門学校」。今年も学生たちによる元気な学園祭が開かれた。
福渡に住む記者としては前を通り過ぎるだけで中を覗くことがないので、是非ともと出掛けた。
プログラムが分らなかったので、到着した時にはブラバン演奏や男装女装コンテストはすでに終了。残念、観たかったなあ、
と悔しむ。
体育館に作られた各ブースを巡る。「激安バザー」顔見知りのおばあちゃんはジプロックと5本指靴下をゲット。
「100円じゃからなあ」と満足気。「たません」(?)何かと思ったら、大きい楕円のえびせんにもんじゃ焼き風なのをのせてソースで。200円。
若者の間で人気なのだろうか結構食べている人が多い。
壇上では白衣の先生が漫談。でも、面白さがよくわからないのは私だけ?
続いてのダンス。さすが今どきの子、ペンライトを振りながらどのチームもうまいうまい。シャッターチャンスとカメラを向けるが
ここで電池切れ。
(記者の感想)予想してたより祭り会場がずっとよくできていたのに驚き。模擬店一つとっても手が込んでいて本格的、
学生さんの熱の入れようが伝わってきた。
これまで道であいさつ程度だったふれあいがちょっとだけ顔が身近になって、
できれば地域にくまなく広報をしていただけたらもっとよかった。
(取材・写真 三宅美恵子)
コンサートを聴いた観客の胸に何が残っただろう。
「ピアニスト、アンドレイ・ググニン&チェリスト、ボリス・アンドリアノフ」リサイタル。
10月1日、日曜、午後2時。建部町文化センター大ホールを埋めた170名の観客。
アンドリアノフが登場、手にはチェロの名器「モンタニャーナ」。
初めて聞くという人も多い生のチェロ、その最初がバッハ無伴奏チェロ組曲3番。皆がかたずをのむ。
第1音の「ズッ〜ン」という数百年の地底から噴き出したかの低音。
「えっ?これが本物のチェロなんだ・・・」困惑が廻り、後はひたすら複雑妙技な旋律の世界に引き込まれる。
芳醇なプログラムの次なるステージはググニンのピアノ・ソロ。
ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」
それは叩きつけるとしか言いようのない始り。弾くのではない、
身体ごとぶつける、スタインウェイが揺れている。
やがて眼は瞑られ、手だけが鍵盤上を駆け巡る。
そして二人の共演。その二重奏を目の当たりにする幸福にどれだけの人が授かることができるだろう。
それが始まる。曲目は誰もが知ってるサン・サーンス「白鳥」
細ーい音色でチェロが線を引き、ピアノが中音でゆっくりと後を追う。もはや言葉もなく美しさにただ酔いしれる。
尚も続く二人の掛け合い。ピアノが走る、チェロが追う。「ズッズーン」と落ち、小石が「コロコロ」っと転がる。
汗がしたたり、息遣いが伝わる、共に観客を忘れミューズの世界へとのめり込む。
記者待望の曲。ラフマニノフ「ヴォカリーズ」
「tarara〜rarararararara〜rara〜rararara〜」
最後まで口ずさめるほど好きなメロディ。こんな時、この気持ちをどう表現しよう。
アンコールはアンドリアノフが「イタリアンコンポーズ」を。
恐らくこの場にいた人はこの演奏を今後、忘れることはないのでは。
チェロが擦られ、はじかれ、叩かれ、つま弾かれ、低音から高音、
濁音から清音、長ーく、短く、「ピンピン」と「ヴォンヴォン」と、
一台の楽器から、この世のあらゆる音色が生み出される。(拍手、ブラボー)
極東経由24時間の道のりをやってきたアンドリアノフは、この夜すぐに帰路に立った。彼が壇上で語った言葉。
「ロシア極東の首都ハバロフスクにもこれだけのホール(建部町文化センター)は、ありません。おそらく夢の夢でしょう。
この素晴らしいホールに次も呼んでいただけるなら、その時は是非とも満場でお迎えくださることを願っています」
観客の感想を。
「凄い、ピアノ。訳わからなく強い音から柔らかい音に変った時なぜか涙が。こんな音は初めて・・・」
「チェロの演奏に、オ〜ッと声が出てしまった」
「ありがとう、すばらしい演奏を聴けて本当に幸せでした」
「生きててよかった、こんなええ経験ができるなんて」
(取材・写真 三宅優 三宅美恵子 松下りえ)
青く晴れ上がった昨日、土曜日。建部町下神目にある「のぶえ農園」に集まった市内中心部からの親子連れ。
今から始める稲刈りを前に農園主の延江泰男さんの話に耳を傾ける。「たけべ米はとても手間をかけて作られてるお米です。
これから刈ってもらう稲はカモが草を食べてくれて育ちました」
カマの持ち方、稲の刈り方、「いいそ(稲で編んだ縄)」のくくり方、穂木の掛け方、一つづつ教わり
さあ稲刈り開始!
黄金色に育った稲を親子で1株、2株、ザックザックと刈っては、いいその上に載せていく。
7株〜8株を束ねて穂木にかける。「ああ、ゆるくて崩れちゃう!」
「それは、こんなふうに巻いてきつくするんだよ」地元の年配ボランティアに手本を見せてもらって再挑戦。
最初はスローペースだった作業もしだいに慣れてザックザック音も早くなる。1時間後には田んぼのすべての稲が
穂木に掛かった。
昼食は昔のように田んぼの畦に座って頂こう。今年獲れたばかりのお米で自分で握るおにぎりと野菜たっぷりの豚汁。
あとは、この大自然が何よりのごちそうだ。
午後からは田地子川に移っての魚とり。岡山淡水魚研究会の柏さんの指導のもと網とバケツを手に川中に。
水草を足で探り魚を追い出す、簡単なようで網を上げてみると何もいない。
だが、そのうち「あっ、いたいた!」「おっ、大きいのが!」
と歓声。
結局、水槽に集められた生きものの種類は数十種類。その中、魚は「あかざ」「どんこ」「ヨシノボリ」「ドジョウ」「ギギ」
「ヨツメ」「ヌマチチブ」「カネヒラ」・・・13種類。
「川底がコンクリートじゃなくて、水草が生え、流れの緩急がある川に生きものが棲むんだよ」(柏さん)
建部の自然の豊かさが皆にも伝わったようだ。
本日の〆は「めだかの学校」に戻ってのESD第一人者、池田満之先生による授業。
「ESDとは何なのか」先生の用意した家族対抗ジャンケンポンで進める「貧民ゲーム(?)」に
夢中で競い合う家族チーム。その勝敗は、共に借金?共に金持ち?
学んだことは「自分だけ豊かになるのではなく、共に豊かになることが大切」
7月に始まった、めだかの学校「サマースクール」も無事三回目を終了。
今年もここ建部で、参加者とスタッフ、ボランティアが
楽しく触れ合うことができたことが一番の収穫となった。
(取材・写真 三宅優)