*旧建部町が描いた夢
かつて日本国中がバブルに沸き、誰もが大きな夢に浸って次々とお金が費やされ、箱モノが作られた時代。この建部町にも大型施設が誘致され、公共施設も増設されていった。
建部町図書館もそんな折に誕生。NTTから借り受けた建物を図書館と展示室に改装する計画がなされた。展示室には地元で長く教育長を務めた江坂進先生の収集した
貝を中心とした膨大なコレクションが収まる。
設計・施工は指名した数社から案をもらい、受注したのは「乃村工藝社」。
館内の構成は数万冊が収まる図書室、子どもが楽しみながら本を読める「こども図書室」、建部町史編纂事業で集められた資料を収めた「郷土資料室」、そして「江坂コレクション」の
収まる展示室。その展示室はゆったりとした空間に展示と保管が一体となった木製展示台が中心と壁面に配置され、また多目的なギャラリーとして
活用できるさまざまな工夫がなされている。
「町民のだれでもが使える文化的ギャラリー」そんな夢が描かれたのだろうか、それから11年後、建部町は岡山市と合併。今この展示室の扉を開ける人は少ない。
*一人の人間が成し得た夢
昭和14年、世界が戦争へと道を突き進む頃、西日本の海岸を30代半ばの男が貝集めに奮闘していた。その人の名は「江坂 進」。これから後、県立金川高校教諭として生徒から
「江坂先生」と慕われた20年の間に、彼は沖縄から紀伊半島まで隈なく出かけては、まだ見ぬ貝の姿を追い求めた。その収集数、1万3000点。興味はそれだけに終わらず、
貝塚から出土される貝殻、地底から出た化石類、近隣から出土した弥生・古墳・古代の考古資料に及んだ。
そして、その2万点に及ぶかとも思われる品1点ごとに「学名」「和名」「採集年月日」「採集地」
が記された。一人の人間の手だけによって。
昭和50年頃、自宅敷地内に念願の三角屋根のついた「考古館」が作られた。「これからバスが列をなしてやって来る」と夢を描いた2年後、惜しくもこの世を去ることとなる。
平成4年、収集品のすべてはご子息の江坂理氏より建部町に寄贈。平成8年、町立「江坂コレクション」展示室開設となった。
*そして、残されたもの
この部屋に一歩足を踏み入れると、時間の流れが止まっているかのような錯覚に陥る。20年を経ても色あせることのない新品のような空間、ここにいるだけで生命の根源と
つながっている、そんな安心感に包まれる。この展示室を作るのに直接たずさわられ、初代館長を務められた神原英朗先生をお訪ねした。
「いや、あの展示室は江坂先生への恩返しのつもりでやったんだ。型破りな方で夜行列車に乗って奄美、沖縄と出かけては集めていったんだ。生きたままの貝を手に入れると、とんぼ返りで
戻っては中を取り出し標本にするんだ。死んでるのはダメなんだ。ツヤがないし、砂で擦れていたり踏まれて破損してるから、完全でないと。それを1個ずつ自分でローマ字タイプを打って
目録カードを作る。僕とは親子くらい年齢差があったけど、僕の遺跡発掘現場に生徒を連れてきては、よくいっしょに掘ったもんだ。金川高校の生徒からはずいぶんと慕われていたな、
愉快な人だったから。集めた貝というのは特別に珍しいとかじゃあないんだ。それが、あれだけの数そろっていて、その1つ1つに記録が作られている、
そして何よりもそれを自分一人でやった、そのことに価値があるんだ。
実際の陳列作業は受注した乃村工藝の担当者とこの近くの人らとで協力してやった。手でひとつづつ並べる根気のいる仕事を一生懸命にやったなあ」
現在、岡山市との合併後、この図書館施設の行方が検討されている。やがては内装は解体され収集品もどこかに移ることになるのだろう。そんな行く末を知ってか知らずか、
貝たちは物言わずただ見守るだけ。旧建部町の頃に見た大きな夢が、その輝きを失うことなく今日もだれかを待っている。
(記者からのご案内)
仮に今、この残されたものが○億円に換算されると聞かされたらどうであろう。「モナリザ」や「ミロのビーナス」ほどではないにしても
多くの人が押し駆けるのでは。それはさて置くとしても、確実に言えることがある。地球規模で環境破壊が進み、もはやこれだけの生命を見つけられる海岸線が日本にはない。
だとしたら、この残されたものを伝え続けることが次なる世界遺産となるだろう。今ならこの建部でその集大成に出会えます。
明治38年 久米郡福渡(現在の建部町福渡)に生まれる。
昭和2年〜14年 明治大学卒業後、経済新聞記者として勤務
昭和14年〜34年 私立金川中学〜県立金川高校教諭として勤務
この間、勤務のかたわら貝類・化石類等の収集を精力的に行う。
昭和36年〜40年 久米郡福渡町教育長を務める(一期)
昭和52年(1977年) 他界
*取材協力いただいた方々(順不同)
江坂 理さん ・ 神原 英朗さん ・建部町図書館
(問い合わせ先)
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