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2019年に臨む
  

「2019年に臨む、地域をどう活性化するか」

 建部のこと、あらためて考えてみました 2019年1月発信

 毎年、新年の初めになると「地方の課題とどう取り組むか」と言ったテーマでマスコミが特集するのは、当新聞でも同様。
 とは言え、昨今、時代は急速に進み、社会のありようも激変する世の中。
 昨年は「こうあるべき・・・」「こんな可能性に・・・」と語ったことが、1年で有効性を失い、修正を余儀なくされる。
 悲しいかな人は、まだ生きていない先のことは分らない。自分がその時、どのように変貌しているか想像もつかない。
 それを分った上で、昨年を振り返りながら(これがとても重要と考える)、当新聞メンバーで話し合ってみた。(報告・ 三宅 優)
 

 (対談者)
 松下泰成(1970年建部町福渡生まれ 一級建築士事務所「まるや住宅設計」代表)

 勝部公平(1947年岩手県生まれ 友愛の丘センター長を退職後、里山活動に入る たけべ新聞編集長

 三宅 優(1952年倉敷市生まれ 画家「ドレミファミリアアートギャラリー」オーナー たけべ新聞副編集長)

 三宅美恵子(1963年福島県生まれ たけべ新聞グルメレポーター)


2019年に臨む  (三宅)「昨年は7月の大水害を受け、岡山県自体のポテンシャルが大きく揺らいだ年だったと思います。自分の所だけは安心と信じ、国内各地での災害にも比較的、他人事のような捉え方だったのが吹き飛んで行って、他所から援助を受ける側になった。
 建部においても被害が小さかったとはいえ、旭川の氾濫に怯え、裏山の土砂崩れを心配するといった、不安な日が続いたわけです。
 そんな中で感じたのは、従来の建部町という括りは完全に機能を失っていること、自治会単位、町内会単位での互助の次は、岡山市に頼るしかない。
 旧建部町時代なら役所に行って、町内全体の問題として動けたはずなのに。今は地区が違うだけで、そこで何が起きているのか、どういう対応がなされたのかも知らない。再度、建部町としての枠組みを創り直すべきではないでしょうか」


 (勝部)「それは違うと思う。建部町は、もともと3つの違う地区が無理やり合併していただけであって、岡山市になって前に戻ったにすぎない。 一つにせねばならない根拠なんて、どこにもなかった。
 私はそれより、小さな自治会とか町内会単位の方がしっかり動けると感じています。国の補助金を活かして地域をきれいにする活動とか、協力する意味合いがはっきりしている。大きな単位だと利害が一致しなかったりで前に進まない事が多い。やるとしても、小学校区での連携が最大かな。
 仮に建部町としての括りで言えば、連合町内会がその役割でしょうが、そこに新たな機能を求めるのは無理がある。 そもそも、建部町でまとまらなくてはいけない理由なんてないでしょう」


2019年に臨む  (三宅)「だとすると、たけべ新聞が建部にこだわる根拠もなくなるんじゃないですか?
 建部を共通の故郷として発信していこうという試みと相反しませんか」


 (勝部)「反しないと思うよ、だって新聞が伝えようとするのは、ここで催されたイベントや祭り、行事といった人々の暮らしであり、生きる姿であって、そこに共鳴した我々からのメッセージなのだから」


 (三宅)「なるほど、だとすると昨年を振り返ってみて、私にとって、その”共鳴する”という部分が、とても薄らいできたと感じています。 ワクワクするのでなく、取材自体に足が重い自分がいる。
 これを伝えることに、意味があるだろうかといった疑問が常にあって、 何をめざしているのだろうと立ち止まってしまう」


 (勝部)「私は逆に、昨年は取材を通じて自分なりに伝えたいことが発信できたと感じています。どれほどの、拡がりを見せているかはわかりませんが、 確実に届く人には届いていて、これで間違いないといった感触を持っています」


 (三宅)「石の上にも三年と言いますが、昔の人は本当に良いことを言いますね、今年で丸3年、続けることの大変さが身にしみてわかります。
 特にこの3月からは、たけべ新聞のサーバー(ヤフー)がサービスを停止するので、新たな情報技術に取り組まなくてはいけません。 前途多難、平成の次まで、果たして生き残れるでしょうか」

 (勝部)「まあ、やれるだけ、やるしかないでしょう(笑)」



2019年に臨む   (三宅)「松下さんは3年ほど前に福渡に戻ってこられたわけですが、その時と今とでここに対する心境の違いとかはありますか」

 「始め、帰って来た頃は、建部をもっと活性化すれば良いと単純に考えていました。それが自治会長になって、後、昨年、神楽保存会の代表になって、 そこではじめて、建部が見えてきました。
 特に自治会の理事になったのが大きいと思います。町内会長と同じ立場で意見が言えるし、ものごとを捉えられる。 地域を変えようと、自治会主体で新しいことを起こすにしても、中々成功するまでには行かないなと冷静に受け止めるようになりました。
 ただ、そうだとしても、 何もしないより、やってみることの価値の方が大きいのかなというのが、今の僕なりの考えです」


  (三宅)「いざ活性化といっても、いいアイデアはないし、まずもって動く人がいないという現状だと思うのですが。ここで何かを実現することにウエイトを置くのではなく、やることそのものに意味があるのではと、考えるようになったわけですね」

 「ええ、そうですね、建部町の人口5000から6000人が、これから増えていくのかどうかはわからないけど、 岡山の市街地の人たちに建部って面白いなって思ってもらえればいい。
 それと自治会で動いていることが、何か変わっていくという期待につながるのではとも思う。 自治会活動を表に現していくことで、地元の人があきらめていた変わる可能性に目覚めて、関心を持つようになるのでは、その点を一番大事に思っています」

  (三宅)「建部の持つ個性を街中の人だけでなく、地元の人にもわかってもらいたい。それが本当の活性化なのかもしれませんね」

 「建部は、市街地の人のようにお金を稼ぐのが目的ではなく、食べるために生きているということを、この町から伝えるのが最終目標かな。
 なんか結局、建部はそこそこ文化的でもいられるし、昔の生活をしようとしてもまあできるわけで、その両方を含有している。 そのことを岡山市街の人に知ってもらいたいです」



2019年に臨む   (三宅)「ところで流された、しあわせ橋だけど、また戻った方がいいと思いますか?」

 (三宅美)「私は、どうせまた流れることになるのだったら、そのたんびに作りかえるっていうのは、税金の無駄かなあって思う。その分、本当に必要とすることに、 お金をかけて欲しい」

 (松下)「近辺には珍しい沈下橋ですからね〜、流れない工夫をして再生してほしいです。そして、より旭川に親しむような策を練り、イベントなどがあればいいですね、沢山の人が楽しめるような。私の案では、欄干無しで2mほど広げればいいんじゃないかと思っています」

  (三宅)「なるほど、どちらも一理ある。こんな具合に当新聞内でも意見は正反対、編集長、副編集長さえ試行錯誤なわけで、 まあそれは、健全に世の中を反映しているってことでしょうか(笑)」







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