Fukuwatari DOREMI FAMILIA

「終の棲家ノート」

都会で20数年、気ままに暮らしてきた私こと48歳”おねえちゃん”。
15年勤めた仕事に見切りをつけ、念願の田舎暮らしを決行。頼りに
するのは、畑も田圃も興味ないうちの人、58歳”おにいちゃん”。
はたして二人は「終の棲家」を得ることはできるだろうか。
 



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私の田舎暮らし
終の棲家に辿り着くまで、迷わないようにと書いた「私の希望の田舎暮らし」図。


(2010年6月下旬)

サッサ


ここんとこ夜の日課は、裏山のうちの”ホタル”さんに会いに行く
こと。晩御飯をおえて洗い物をすませて、ちょっと観てくるね?と
出かける。
長靴履いただけ、懐中電灯も灯さずサッサッサッ、あーあ、今日は
2匹しかいなかった・・、きのうは5匹も飛んでたのに・・。
久しぶりに、先日伺ったきりご無沙汰してる渡邊さんを訪ねた。
うちの”カエルさんたち”を唯一、カワイイねぇーと言ってくれる
大変希少なお知り合いだ。
「こんにちわー、また図々しくお邪魔しました」
「まあ、よう来てくれたなあ、ちょっと主人が体調こわしてたんで
バタバタしとって、その後ギャラリーはどう?」
「ええまあ、ほとんど誰も来ま・・・」
「それなんですが・・」突然うちの人、
「今はこいつの”宝物展”をやってますが次がまだ・・で、ご主人の
作品お借りできませんか?」
ヒェー、なんでそんなこといきなり頼むのよ!?
前回訪問した折から、ご主人の水墨画に感心をいだいて、展覧会が
やれないかなあと口にしてたけど。
いくらなんでもサッサしすぎだろうちゅうの!
ところが「ああ、わたしのこんな絵でよければ構いませんよ、好きな
のを選んで持ってってください」
しぇー、そんなー、いいんですか?
もうまったく・・。
へへ、良かったね、これで夏休みの企画は一安心だね。
でも、こりゃあ超忙しくなるぞー。





今夜は5匹。////////久しぶりに渡邊さんを訪ね・・・。  


(2010年6月20日)

ホタル


偶然だけど私とうちの人はきれい好き。と言っても気になるとこは
まるで別。
あの人は部屋のちょっとしたホコリとか、家のまわりの石ころとか。
私は出しっぱなしの食器や、伐採して放ったままの枯れ枝なんか。
中でも越してきたとき出た廃材の古木はいまだに山に置いてある。
あー、気になるなあ。
それで燃すしかないと悟り、毎日焼却炉にせっせ、せっせ。
そのおかげかどうか、少しづつまわりが整ってきた。
以前は皆目わからなかった沼のあたりまで、どこに何が生えてる
かがつかめるようになった。
夜、安心して昼間きれいにした裏山を歩く。
いいねえ、どこも自分で手を入れたというのは。
あっ、なんか光ったぞ、もしや・・。
小さな明かりが1つ、ツツーと沼のふちで揺らめく。
やっぱりいた、ホタル。

「よかったね、うちの里にもホタルいて」
・・素知





ホタルがいた。  


(2010年6月12日)

グショグショ


何日か続いた雨で山からの水がゴーゴーと沼に入り込んでいる。
下に抜ける大きな土管の前に張ってあった金網はへし曲がり、土砂に
半分埋もれている。
「ハー、これはやっぱりもっとしっかり組まないとだめだね」
12日、午前、まず泥をかき出すことからはじめる。
スコップで掘って1輪車で脇まで運ぶ。
ぬかるみに足を取られ動けなくなることもしばしば。
うちの人の長靴の中はグショグショ、おまけに尻もちをついてズボン
の下まで。
「ウヘー、もう汚れついでだ!」
取り口の水貯まりにそのまま浸かって中をかき出す。
午後から土管の前に杭を打ち、鉄棒を渡して掘り起こした金網を
再度取り付けた。
「よし、これで前よりずっと頑丈になった」
気がつくともう夕方。さっきまでさかんに飛び回る練習してたツバメ
さん達も家に帰ったらしい。
「ねえ、きょうも買物行けなかったね、ご飯どうする?」
「”あるものデー”にするしかないよ」
夕食のメニューは鶏ガラで煮た温野菜。「マルナカ」で38円で
売ってる鶏のガラをうちのが半額になるのを待って買い、冷凍庫に
いつもストックしてる。
「おいしいよね、これ、38円でこんなに味わえるんだね」
「違うだろ19円だよ、おれにやらせれば何だってうまくなるさ!」
一仕事終えた満足からか、いつもより口のなめらかな”兄ちゃん”
(うちの人の呼称)でした。





6月12日、/////////取り口工事終える  


(2010年6月9日)

ヤッター!


今月からずっと家にいられる。毎日、裏の畑にも出てると言っても
やることは草むしりと草むしりと草むしり。ずっと草を抜くことが
続く。畑仕事そのほとんどは草についやされることがわかった。
こりゃあ、田舎暮らしも暇じゃあないわあ。
じゃがいもは順調に育ったみたいで、ハカセ(岸太郎さん)から
”よう出来とる”とお墨付きをもらってる。よし、さっそく掘って
みるとするか。
9日昼、ジャガイモの採取。
ウヒョウヒョ、モゴモゴ。
アッ!「ねえ、ちょっと見てー」
つやつやした顔がもっこりあらわれた。
うわー、ヤッター!おっ、まだあるぞ、
これだと全部でいくつ獲れるかなあ、予定よりずっと多いかも。
生まれてはじめての収穫、夢にまで見たジャガイモさん。 
へへへ、今夜は新じゃがで晩御飯。
いやあ、こたえられませんねえ。
「どうしたの?どっと疲れた顔して」
「そりゃあそうだよ、もう沼の笹を刈ったらへとへとだ。あとは
おまえが集めて、かたしといてくれ」
「へぇ?もう、ちっとものんびりできないじゃん、田舎の生活!」





ジャガイモ収穫。//////////沼の伐採はつづく。  


(2010年6月はじめ)

モーニング


以前、組の青年部(うちの人も一員だ)に裏山の木を伐採して
もらった。おかげで道に倒れ落ちる心配をしなくてすんでる。
その折りの木が、上に放置したままだった。
先日、うちのがそれで展望台を作ると言いだした。
「考えたんだけど土台をこさえて柱を建てて、なんての
とても性にあわない。で、あの木を使って組み立て式にしよう
と思うんだけど」
「うん、大がかりなのよりはその方がいい。でもどうやるの?」
「ふふっ、いつもの”兄ちゃん(自分)流”だよ」
次の日、帰ってみるともうできあがってた。
長い木を三本束ね三脚にして四隅に立て、その上に横棒を渡し、
屋根の桟にしてる。けっこうよくできている。
へー、すごいじゃない、いい、いいよ!とほめるとニタニタ上機嫌。
「まあ、兄ちゃんがやればこんなもんだよ、ハッハッハッ。あとは
ここにテーブルを備えれば完成!」
その仕事が6月に入って急ピッチ。すべて廃材、手作り。
テーブルができ、長椅子が置かれ、あとは上のテントを残すのみ。
そのテントも古いけど使えそうなのが二階の倉庫で見つかった。
ああ、早くここで食事したいなあ。東京のアパートにいた時は、よく
前の公園で朝食をとった。
「そうだ、ねえ、明日はここでモーニングにしようか?」
「ああ、いいよ!」
ウヒヒ、これからは毎日、山の景色を眺めながらの食事タイム、
ええなあ〜。
「おい、そんなのんきにもしてられんぞ。もう梅雨だからその前に
沼の工事を終えるんだからな」
ハアー、やっぱりそれも自分たちで(業者に頼まないで)やるつもり
かあ・・急にトホホなねえちゃん(私)でした。





展望上建設/////////////はじめての”モーニング”       


(2010年5月31日)

ツバメ


5月31日、訓練学校終了。よし、明日から野良の仕事に精を出そう。
まずは、さつまいも植え。
苗は近所の地主さんが30苗、販売所で買って来てくれた。
それに次の日、茶屋町のお兄さんからも「イモの苗持ってきたよ」
そしてまた翌日、下の兄さんが「おう、サツマイモの苗じゃ」
ヒェー、こりゃあいくらなんでも多すぎる。
でも帰ると、うちのが畑を広げて畝を増やしといてくれてた。
やれやれ、これでいっぱい作れるぞ・・た〜のしみだなー。
 
ガレージの横の事務所をバメがせわしなく出入りしてる。
もうここに決めたらしい。
食品庫にしてる土間を何度か下見に来てたけど、そこだと戸締り
できなくなるので困るなと思ってた。
それなら、こっちの方も一安心だ。事務所の窓はいつでも開けて
られる、やれやれ。
いよいよ明日からは6月。ツバメさんもねえちゃん(自称)も
やることがいっぱいだ。
「おう、山の展望台作りもやるぞ!」
「へぇー?そっちはそっちで勝手にやってよ!」





次つぎとサツマイモの苗届く。////////////////今日も忙しくツバメが行きかう。       


(2010年5月も末)

ユーウツ


私のCAD講座はあと少しで終了、とにかく電車に乗り遅れない
よう朝、ちゃんと起きて出かける。前のお勤めのリズムがそのまま。
「どうしたの、げんきがないじゃない?」
「う〜ん・・」
こういう時はうちの人のいつもの”暗い暗い病”だ。
「何、また始ったの?」
「ああ、なんだかもうユウーツ(憂鬱)なんだよ」
「困ったねえ、今度はなあに?」
「うん、山の伐採を考えると、ぐっと疲れるんだよ」
地主さんから借りた裏山は、家のすぐ前はどうにか畑にしたけど、
その後ろは草ぼうぼう、笹が伸びっぱなしだ。
「いいんじゃない?出来る範囲で」
「しかし沼の工事は早い中にやらんとなあ」
畑の奥に小さな貯水池があって、そこから直径1mほどもある
コンクリの管が下の道まで引かれてる。その取り入れ口の金網が、
長い間の土砂でへちゃげてる。
「それは、専門に頼んだ方がいいよ」
「う〜ん・・」
次の日。
「おい、今日から徹底的にやるぞ山の開拓!」
「えー!!」





いつものユウーツ/////////////////急に伐採はじめる  


(2010年5月半ば)

リスニングルーム


今は毎日帰るとまず2階に上がり展示室を確認。
いやあ−やっぱり落ち着くなあ、私だけの世界。1時間でも2時間
でもいたい感じ。
「ただいまー」
「ああお帰り、昼に以前留守の時来てくれた佐藤さんがいらしたよ」
「えっ、あの映画会をやってる?どんな人だった?」
「うーん、緒方拳タイプだな、そうとうできる雰囲気だ」
佐藤さんは、近くで古民家を改造して暮らす鴨井さんご夫妻の紹介だ。
(その鴨井さんはうちと同じ「アイターンホーム」の田中さんから
物件を買った仲)毎月1回、土曜の夜、自宅の音響ルームで映画会を
催してるそうだ。
「今月は何を上映するって?」
「うん”コールドマウンテン”、ニコールキッドマンだよ」
「まだ観てないよね、じゃあ行かなくっちゃね」
先月まで寒くて場所も離れてるので、自転車の我々には機会がなかった。
これからは陽も明るいので帰り道も大丈夫だろう。
ここに越してきて少しづつだけど繋がりが芽生えてきた。
特に絵を展示してると話すと「へー、すごい!どんなものなのか観て
みたい」と関心を示してくれる。これもギャラリーをやってるおかげ。
3日後、前もって佐藤さん家を訪ねてみることにした。
山のきわに建つ古民家を改造、うちと違って専門の建築士(古民家
再生グループ)による設計だ。離れにリスニングルームがある。
ひな段の座席は30人は入りそうだ。
「いやあ、これをやりたくて引っ越して来たんです。町中に住んで
たら、思い切り聴けませんから」
なんて贅沢なんだろう、自分の楽しみのための家を持つなど。
そういえば鴨井さん家も隅から隅まで二人の好みを取り入れて
改装してる。真っ黒い屋根葺き、柿渋で磨かれた梁、バリアフリーの
床、外国製薪ストーブ・・。
帰り、「ねえ、皆しっかりお金をかけて直してるんだよ。うちなんか
古民家とは言えない、ただの古家(ふるや)だよね」
そうは言ったものの、やっぱり私は今の家にしてよかったと思つてる。
だって、寝る所+食べるとこ、それにギャラリーまで付いてるんだもん。
 




佐藤さん(雰囲気は緒方拳)/////////////////広ーい音響ルーム  


(2010年5月半ば)

カンゲキ!


5月になってからというもの野菜を買うことがない。どこかしらの
家で届けてくれたり、無ければ裏山をゴソゴソ。
フキにニラ、明日葉、雪の下、よもぎ。
「私の宝物展」は最初にあの人の甥子家族が来てくれた。
それからしばらくして、駅前のパン屋さんに案内を貼ってもらってた
のを見たという女性の絵描きさん。そしたらその方の実家のすぐ隣に
ハウスを持つ年配の御夫婦も話を聞いてやって来た。
渡邊さん。
「まあー、こっりゃあ面しれえなあ。米びつの上に並べとるわあ、
こういう使い方があるんかなあ」
「ハハハー、ほんまに楽しいわあ、ここは」
思わぬ反響に超カンゲキ!
うれしいったらありゃしない。大抵は「あらまあ、ステキ!」とかで
お茶をにごすのに、この御二人、逐一感心してくれて、おまけに
このどこが可愛いかを述べてくれる。
「うわー、ちょっと見てこのカエルさん、読書しとるよ」
「はあー、勉強家じゃなあ」
ほー、とても80才とは思えんぞ、こんな方なら話が合いそう。
「うちにもなあ、カエルのぬいぐるみやらいっぱいあってなあ、
主人も水墨画をやっとったけん、それも家中に掛けとるから、一度
見にこられえ」
「おお、それがええわ、僕も随分描いてほとんど人にあげてしもうた
けど、少しはお見せできるのがありますけん」
近々、お伺いすることに決まった。
 




5月4日甥子家族が来てくれた/////////////////渡邊夫妻に感激!  


(2010年4月30日)

マイ・ワールド


あっという間の2ヶ月、オープンの絵画展も終了し次の企画に取り
掛からなくっちゃ、で2回展は「私の宝物展」。
どんなふうにするの?って聞くと「お前が旅で見つけたどうでもいい
物とそれにまつわる話を写真付きで構成するんだ」
「だって、そんなんで展覧会になるの?」
「そこが、俺とお前の腕の見せ所だ」
パソコンとスキャナーをフル活動して、資料づくり。私はこれまでに
ため込んだお土産品を並べる。
「ねえ、ガレージの上にある米櫃(こめびつ)使えないかなあ?」
「いいよ、出しておくよ」
学校から帰って陳列を考える。
古机にはパリのフリマで買った花瓶と帽子、大きなアルミのトレーに
マレーシアの砂、米櫃は・・そうだドレミ村の仲間を勢ぞろいしよう。
少しづつ形になってきたぞ、問題は奥の壁面かぁ。
「ねえ、ここ何を掛けても白い面が広くて、もたないよ」
「大丈夫だよ、そこにはずらっとカエルさんたちのプロフィールを
書いて並べればいい」
「そうか、それはいい考えだわ!」
改装工事のとき使った養生ボードをカットして、一人づつの紹介文を
貼っていく。
バルセロナで見つけた「バルセロナ君」、担当は図書係り、カタツムリ
の「リモーネちゃん」は買物担当、帰って来るまですごく時間がかかる
のはしょうがないんだよ、「セビーリャ君」は村長さん、「ヤグール君」
は子共で今、見習い中なんだよ・・。

4月30日、「私の宝物展」準備完了。
夜、私たちだけで内覧会。
「ねえ、けっこういい感じにできたでしょう?」
「ああ、すごいいいよ」
「私、ここに入るとホッとできる」
「そりゃそうだ、自分による自分の為のまさにマイ・ワールドだからなあ」
きっと、だれも来なくても気にならない、毎日、私が観客になるのが
わかってるから。
 




看板も出た//////////////会場入り口も完成



米櫃の上にドレミ村の仲間たち//////////////壁にはずらっとプロフィール



(2010年4月中旬)

カメムシ


朝、学校に行く前の日課はカメムシ獲り。縁側の窓ガラスにビッタと
停まってる。2階のギャラリーの窓にも。
ペットボトルの口をそっと近づけると途端に脱力して中に落ちる。
しめしめ、今朝だけで5匹確保、あー、でもキリがないなあ。どんどん
増えてきてる気がする。
「じゃあ、行ってくるからね、カメムシ用ペットボトルは1階の机の脇と
2階の椅子の下にも置いてあるからね」
私のいない間、あの人は積極的にカメムシの確保をしてるようではない。
あまり臭いも気にならないとか言ってる。そんなはずないよ、あんな
クサイのが平気なんて・・。
CAD講座で友達ができた。隣の席のゴロ子ちゃん、東京の会社で一緒
だった五郎丸(本名)君に何となく感じが似てるので勝手に心でそう
呼んでいる。私より1回り若い。
「ねえ、キャド2級試験、受けるの?」
「うん、そのつもりだけど・・」
私は折角だから受験しようと思ってるけど、うちの人が言うには
「どうせ勉強してなくてイライラするだけだからやめとけ、エクセル
3級だって落ちるんだから」
うー、失礼しちゃうわね、万が一ってことだってあるんだからね。
でも、もうすでに考えただけでストレスが溜まりはじめた感じ。
「ただいまー、やっぱりねえ、キャドの2級受けるのやめた。聞いたら
実技じゃなくて筆記だけなんだって、そんなの意味ないよねえ」
「あー、それが懸命だよ。どうであれ、がっくりするだけだから。それ
より2階すごいぞ、カメムシ」
「へっ、大変じゃない、よーし」
受けないと決めたら急にカメムシ退治に神経が集中する私でした。

1句。
「キャド2級 遠くにありておもうもの 決して近づからずや」
・・素知(祖母さんの名で、私の俳号)





毎朝、カメムシ退治//////////////4月11日、上のお兄さんの子供たちも来てくれた。


(2010年4月1週)

ハカセ


母ちゃん達が帰ってしまうと、前より部屋が大きく感じる。次にここに
来るのはいつだろう、もうずっと来れないかなあ・・。
急に目標を見失ったようで、うつろな気分。
あの人も一山越えて虚脱してる。「フー、これで当面することがないな」
でも、つぎの日からはこの間から懸念の、山からの雨水を下に導く
工事にとりかかった。
組合長さんのお父上で81歳になられる太郎さんから指導を受け、「めくら
暗きょ」という溝掘り。
「みやけさん、治水というのはホントに大切でえ、昔の統治者はまず
水を押さえとるからのう」
私たちは、今は「岸ミニガーデン」と名付ける果樹園に精を出されてる
この方を密かに”博士(ハカセ)”と呼んでいる。(ちなみにその10年前
まではビデオ片手に世界の秘境ツアーに出かけてたそうだ。この「ミニ
ガーデン」はその後10年がかりですべて自力で造成した)
ハカセは土木が専門というだけでなく、今の世界経済の実情まで詳しい、
まさに私たちにとっての教授。
「もう、この日本という国はおえん(だめ)でえ、沈む一方じゃ。世界一
豊かになったのに、まだ足りんいうてのう、それで欲をかいてしもうて
のう、何もかも失おうとしとるわあ」
ハカセの部屋には世界で撮ってきたビデオと写真がびっしり。
「当面は、ハカセのビデオと写真でやることができたよ」
今日も午後、お家にお邪魔して2時間もの記録を観てきたうちの人。
なんだか、またやる気がおきたのかニタニタしてる。
「今度はなに?」
「ふっ(笑)、まあ今度話すよ」
いつも何かを計画しては夢中になってる、そこはハカセそっくりかな・・?





下に石を埋めるんじゃ/////「これはお宝ですねえ!」



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(2010年3月27日)

ナビ


待ちに待った今日。
昨年からどうやって来てもらう?福島まで迎えに行く?と散々に
検討したけど、早々、母ちゃん達が新幹線キップを手配したので、
それに従うことにした。
どうやら、男衆(上の姉たちの旦那二人)が新しい「のぞみ」に
乗ってみたかったらしい。
じゃあ、その分こっちで十ニ分に観光を楽しんでもらおう。
その為にレンタカーを借りることにした。
昼前、出迎えの岡山駅へ。
まずは駅前の「マツダ」に寄って車を受け取る。
車は7人乗りの「プレマシー」というワゴンのようなタイプだ。
「ねえ、これってあなた、簡単に運転できるの?」
「平気、平気、タウンエース(引っ越しで使った)より小さいから」
この気楽さが怪しいんだよなー。
店の人からさらっと説明を聞いて乗り込む。
「うん?エンジンはどうすんだ?」
あっ、あのー、ホルダーを差しこんで回せばいいようになってます。
「あー、そうか、うん、うん・・よし出発!」
「・・」

母ちゃん達も無事迎え、一行は福渡に。途中、せっかくだからと
後楽園にも立ち寄る。
「ねえ、ここからの道、知ってんの?」
「ああ、大丈夫、大丈夫!」
でも、それから行けども、行けども、向かってる気配なし。
「ねえ、止めて聞いたら?」
「最新のナビがついてるのに聞けるか、画面いじってみろよ」
「そんなのできるわけないじゃない、私に機械の操作なんか」
結局、自分で降りて人に聞くという、絶対確かなナビを選択し、
どうにか到着。
「ねえ、後ろのドア、開けてよ!」
「だから、それが分かれば苦労はないってーの!」





後楽園で記念写真/////最新装置の「プレマシー」で


(2010年3月26日)

ボーッ


いよいよ明日から福島の母ちゃん達がやって来るという前日の朝、
「三宅さん山がくずれて溝が埋まってるわよ」と組合長の奥さんから
の知らせ。
うちの人が行ってみると、道路沿いの山の斜面がすっぽり落下して
そのまま側溝をふさぎ、水が道路に溢れ出てる。
数日続いた雨で斜面が弱くなったらしい。
さっそく地主さんに電話。
「役所に連絡すれば、やってもらえるでしょう」
そこで組合長さんにお願いして役所に依頼。
その間、うちの人がスコップと鍬で土をかき出し水の流れるとこまで
復旧。でも問題は土留めに置かれてた太い電柱が、下をえぐられ、
今にも落ちてきそうなことだ。
しようがないので、これもあの人らしいやり方で応急処置。
すなわち、倉庫から古い柱を運び出し、つっかい棒。
午後には役所から人が来て、道路にはみ出した土を撤去。
で、そのあとは「山の崩れは持ち主さんで、対処してもらうしか
ありません、役所はあくまで道路に支障が起きた場合ですから」
でもこの大きい電柱、このままだと落ちて事故になりませんか?
「そうだとしても、他人の場所に入ってやることはできません」
・・・。
あとで、うちの人が言うには「なんか予感がしたんだよ、簡単に裏山
を借りますなんて受けたけど、ボーッと眺めて暮らせるわけじゃ
ないんだよ、次々こんな問題が起こってくるんだよ、ウーン・・」
すっかり重い荷物を背負ったかのように気落ちしてる。
「そうだ、博士(ハカセ)に相談してみたら?」
組合長のお義父さんの岸さんは、元土木技師で防災の専門家だ。
「うん、それはいい考えだ、よーし、母ちゃん達が帰ってからは、
本格的に山に取り組むぞ!」
この災難、果たしてどんな結末に向かうでしょう?






応急処置のつっかい棒/////役所の方も対応に困る?


(2010年3月20日)

ジャガイモ


生まれてこのかた、畑で物を作ったことはない。それでもジャガイモ
くらいは私にだってできるだろう、そう思って町の即売所から15個
(@30円)種イモを買ってきた。品種はメークイーン。
「まず土を盛り上げて畝をこさえるのね、そこに60cm離して、長く
溝を掘って中に肥しを入れて、種イモを入れる。種イモは半分に
して、切り口を乾かしておくの」
「ふー、結構めんどうそうだなあ、お前がやれよ」
「うん」
でも、つぎの日帰ったら、しっかり畝が出来上ってた。
じゃあ、さっそく私も種イモの準備。
15個を半分にして30個。1個の種から6個は付くと書いてある
から、そうすると・・、へえーすごいじゃん。
「ねえ、予定だと240個成るんだよ!」
「今からそんな計算して、幸せなやつだよ、まったく・・」
3月20日土曜日、初ジャガイモ植え付け。
この日まで種イモは用心に乾かしすぎたのか、黒くなってカビたよう
になっている。
「心配だなあ、どう思う?」
「だから、灰を塗ればよかったんだよ」
「う、うん・・」
縦に2列、30cm間隔で15個。土をかぶせて水をやる。
「さあ、ちゃんと実がつきますように・・」
収穫日は7月の中頃だ。
近くで農園をやられてる岸さん(80歳を越えても毎日ご自分で
開拓した”岸ミニガーデン”で果樹に従事。私たちは教わること
が多いこの方を”博士”と呼んでいる)が観に来てくれて、
「おう、これでええ、ようできとる」と太鼓判をくれた
これで俄然、期待が膨らんだ。





初、ジャガイモ植え付け。/////「岸ミニガーデン」の岸”博士”。


(2010年3月7日)

メデタシ、メデタシ


3月7日、日曜日、こっちの兄姉のみんなに初めてお披露目。
もう1ヶ月も前から、うちの人、何しよう?こうしよう、あーあ、
それはだめか・・・もうええっ、やめた、こっちにするわぁ!
でもなあ・・。
もう、うるさくてしょうがない、いっそ「あんたが料理を作って
ふるまうなんかせんで、仕出しの弁当を頼みゃあ、その方が
よっぽど楽じゃがあ」とお姉さんが言ってるのじゃあダメ?
「冗談じゃないよ、大の大人が10人も顔つきあわせて、箱弁
食べて、ハイ、終わりなんて、できるか!そうでなくとも
これから葬式でいっぱい出くわすことになるのに」
東京の頃から、すべて手作りを通してきたうちの人、今回も全部
自分で用意すると言いはる。まあ、どう言ったって私が作るわけ
じゃあなし・・・。
朝、意外とのんびり構えて台所に立った。昨夜のうちに仕込んで
おいたので余裕が出来たらしい。
「おい、あとは天婦羅を揚げるだけじゃ」
そのうち、早めにお姉さんもやってきて、料理は急ピッチに並んで
いった。

午後4時には閉幕。
いかがでしたでしょうか・・・・?(以下、うら覚えの感想)
「こげえな牛肉はめったに食えんで、〇〇(甥っ子)、しっかり
食べて帰れよ!」(上の義兄さん)
「うん、刺身もうめえなあ」(甥っ子)
「おう、ちらし寿司がうめえかったわぁ、おふくろがおりゃあ、なお
良かったのにのう・・」(下の義兄さん)
「おじさん、この牛しゃぶのタレ、おいしい。作り方教えて?」(姪ッ子)
「いかにも手料理という感じがええがあ」
「ユウちゃん(うちの人)がこんなに作れるなんて、知らなんだ」
「最初は不安じゃったけど、まあ結構食べれるわ」(義姉さん達)
・・・どうにか満足していただいたようで、メデタシ、メデタシ。






メイン料理は岡山祭りすし。

みなさん、満足していただけたでしょうか?


(2010年3月初旬)

スペース


オープンしてからも日常は変わらない。私はキャドの学校通い、
うちのは、あちこちの修理に掃除。
でも気持ちは今までとはちょっと違った、心に贅沢なスペースが
広がったような・・。
「そりゃあそうだよ、何千万円の家に住んでても、たいがい
自分たちの生活でいっぱいで、客に使ってもらう部屋だって
ないよ、ましてやギャラリーがあるなんてありえないだろう?」
そうかあ、そうなんだよね、ゆとりって、お金をかけても
生まれないんだよね。
あらかじめ、その人がこのように人生を楽しみましょうと考えて、
はじめてできるもんなんだ。
「ワハハー、やっと気づいたか?俺なんか、風呂なしアパートに
いたときでも王侯貴族の気分だったよ」
東京では、風呂場がないことを幸いにあちこちの銭湯を巡った。
週に2度、煩雑な都会で唯一のくつろぎスペース。
「さあて、そうとわかったら王妃さま、夕食はいかがしますか?」
「当然、メキシカン!」
「おお!居ながらにして世界料理を味わえるなんて、なんという
贅沢!」
「へへへ、それも私の人徳のなせるワザだよ」
「・・・!」





2番目の観覧者は前の田圃の地主さん。///////今夜はメキシカン。



(2010年3月1日)

オープン


3月1日、曇り。
1階、茶房には私の義兄さんの写真展。2階ギャラリーに茶屋町の
お義兄さんの油絵。
看板を出し終えて、さあ誰かやって来るかなあ?
へ?だれにも知らせてないのに、あるわけない?
そっかー、そりゃそうだ。
最初の訪問者は景山建設(家の改築を請け負った)の村口さん。
「はい、たしかにOO万円、お預かりいたします」
ということで、改装費の支払い終了。
来た、来た、ネットでみ観たという建部町のKさんご夫妻が。
どこかなあ?と探してたのよ。
スミマセン、住所もなんにも載せてなくて、・・。

家の中に外に開けた空間がある。
いつでも皆を待ちうけているんだよという・・。
たとえ誰も来なくても、なにか今日から始まった、そんな気が
するオープン初日でした。





ギャラリーの準備も万端。/////// 最初のお客様、建部町のKご夫妻。



(2010年2月中頃)

バラバラ


3月のギャラリーオープンに際して準備は着々。といっても、気に
なるとこはある。その1番、洗面所の化粧台。以前からあるのは
水漏れしたのか、カビ臭く、収納棚も痛みが激しい。
カタログを取り寄せ、物色してたら、後ろから「そんな、あれも
これも新しくはしない約束だろう?」
出来るところは自分たちでやるとの、いつもの持論。
「だって、それだけはやめてよ。パイプの接続とか水道屋さんでも
面倒なんだよ?絶対無理!」
次の日、帰ってみると、古い化粧台は取り外されてバラバラにされ
てしまってた。
「使えるのは上の陶器の部分だけ、排水パイプも錆びて、あとも
腐ってどうしようもないから捨てたよ」
「えー!だってじゃあどうやって台を作るのよ、基になるのが
ないと出来ないじゃん?」
そんなのはやりながら考えればいいとかで、いつもの調子。
「これでだめなら買えばいいだろ、あきらめもつくだろ?」
何日かにらめっこ、そのうち茶屋町のお兄さんが来て、あれこれ
手伝ってくれて、まずはU字パイプを修復。
そのあとは調子づいて、思いつきの造作作業。
「ちゃんと、使えるものにしてよね?」
「これまでもそう言って、結局あたりまえの顔して使ってるの
はお前だろ」
椅子の修理に始まり、事務所の入り口、パソコン台、納屋の
収納棚、台所のラック。当初はそんなの作れっこないからと
反対してた。
でも出来てみると結構重宝、まあこれでいいかと言う気に。
数日後、「おい、残るはおまえがタイルを好きなように貼れば
完成だよ」
左右の台の幅が違う奇妙なかたち、でも中々しっかりした感じで
立っている。
そうかあ、じゃあ、しょうがない、これで我慢するか!
かくして、左右非対称、世の中に2つとない洗面化粧台が誕生。
 




帰ってみると化粧台がバラバラに、義兄さんと頭を悩ます。

左右非対称、オリジナル洗面化粧台完成、費用はパイプ台2150円。




(2010年2月中頃)

ユウパック


毎日、毎日、学校と帰ってからの家の手入れ。
1つことが終わったら、また次のことが見つかって・・それでも
着実に進んでる。
茶屋町のお義兄さんも、ここんとこ頻繁に来てくれて、自作を持って、
また、額縁をこさえてくれてと大忙し。
「優ちゃん(うちの人)、この天井の穴、塞いだ方がいいよ、
鑑賞する人が気にするといけないから」
「この階段の手すり補強した方がいい、だれかケガするから」
自分の絵のことより、ギャラリーそのものを心配してる。
福島のすぐ上の姉から大きなユウパック。
頼んでた姉の旦那さんの写真が届いた
「おおーすごい、やるじゃん、お前の義兄さん!」
「・・ねえ、これ、友達の作品だって書いてるわ?」
「・・・」
「自分のだけじゃあ、飾れないと心配して、別のうまい人のも
借りたんだよ」
「ううー・・」
まあそれでも、みんなが親身になって応えてくれてる。
よかったね。こんな嬉しいことはないよ。
オープンは3月1日、残るはあと半月。
さあ、まだまだやることいっぱいあるよー。
 




右だ、左だ、展示作業にてんやわんや。

  


(2010年2月6日)

ワックス


2月初めにはお願いしてた工事の全てが終わった。
いよいよギャラリーの養生シートを取り払う時が来た。
床は一番安手のふしの多いパイン(松)にしたけど、肌合いがやさしくて
とても気に入ってる。最初うちの人はこれも自分で貼ると言ってたけど、
これだけは言う通りにしなくてよかった。
コメリで注文して取り寄せておいたワックス(ワトコオイル)を二人で塗る。
「ケチるんじゃあないぞ、台所はお前が少ししか使わないから色が浅いぞ」
「やったことないからしょがないよ、今度はタップリにするよ」
この日まで、キャリアアップ講座から帰り、夜、天井を掃除し梁を磨いて
準備してきた。壁はうちのがすべてペンキで白くした。
薄黄色で乾いてた表面が液を拡げていくと、ちょっと赤みをもつ光沢に
変わっていった。1缶で2千円、3缶は必要だ。
「やっぱりこれくらい塗らないと深い色がでないね?」
「そうだよ、何度も掛けないんだから、安いもんだよ」
1時間ほどじっくり作業した。
見わたすと急に全体が”ギャラリー”としてきた気がする。
「うーん、いいねえ」
「うん、成功だったね、この部屋」
午後から来客が3組もあった。
アイタンホームの田中さん、鳥越さん、近所の河本さんご夫婦、
景山建設の奥さん。
皆、一様に驚いてくれた。
うわー、見違えるようにきれいになって、いい感じだわー。
すっかりこれで気を良くしたうちの人、「オープニングは、義理の兄の
油彩画と写真を展示しますので是非来てください」
まだ、はっきり返事がもらえてもないのに、勝手にこんなこと言って
ああー、いつもながらの展開に、もう勘弁してよ〜・・でした。





壁の白塗り。/////////////ワックス掛け。そして午後から来客。

  


(2010年1月末)

デビュー


うちの町内会は全部で7軒、青年部や婦人部の集まりはもう少し
広くて、それでも10軒ほど。
はじめての顔合わせは婦人部会。(その前にどんと焼きがあった。
でもまあこれは近所で集まって餅を焼きながらの世間話)
1月23日土曜日、近くの「サンタケベ」で昼食を頂きながら私の
歓迎会が併せて開かれた。
「こんど新しく越されてこられた三宅さんです、東京から来られた
そうです。」
「はい、三宅です。生まれは福島です。でもうちのが雪が降る
とこはいやだと言うので岡山にしました。そしたらここはもっと
寒いので、びっくりしてます。勤めは以前は新宿でやってましたが
失業して今はハローワーク通いです。家のことは全部、うちのが
やってくれるので、私はな〜んにもしてません・・・へへへ」
最後はちょっとヒンシュクだったかも、でもまあまあのデビュー だ。
30日は山の「大魔利支天」様のお祭りで、ここで今度は青年部会の
顔合わせが同時に行われた。
「それでは、まずご主人から自己紹介を」
「あっ、あのー、ミヤケです・・うー・・、やっぱりお前が言え」
「いいよ、あなたしゃべりなよ、私、得意じゃないもん」
「・・えー、去年の夏ごろ、うちのやつが田舎暮らししたい言うんで、
じゃあ、どっちかの田舎で・・」
「あっ、それがですねえ、私がそれまでいた会社がこいう景気で
うまくないんで辞めることになって、ちょうど住んでたアパートも
取り壊しがきまってたから、いっそ好きなとこに越そうというんで
インターネットを使って探したんです。そしたら・・・」
このあとべらべらしゃべって、うちの人から「だから、おまえが
最初から話せと言ったんだ」とぶつくさ言われて、でもまあここでの
デビューも良かったんじゃないかなあ。
取りあえず、どんな人間かまあわかってもらえただろう、良し良し。
「おい、お前なあ、岡山じゃあオンナはでしゃばらないが常識だぜ」
えー?そんなの聞いてないよ!





どんと焼き。///////婦人部会での自己紹介。

  


(2010年1月末)

メインステージ


大工さんが終わった後からは、左官屋さんの仕事になった。
「奥さん、この玄関、ただモルタルでやるんじゃあ、
つまらんとちゃあうかのう?」
そう言われて「うーん、じゃあ外にころがってる石を並べたら
どうかなあ?」
「おう、そりゃあその方がずっとええわあ」
そんなことで入り口のタタキには、庭に敷いて余って放っぽかれた
四角い石を置くことに。
「奥さん、ここの壁、一番目立つけん悪いけどちょっと勝手に
漆喰、塗らしてもらいましたわあ」
あー、そう、気にはなってたんだけど予算を考えて頼まなかった
んだ。
左官屋さんはホントにいい仕事をしてくれた。次はクロス屋さん、
こちらも、ゆがんだ梁に合わせてぴちっと壁紙を貼ってくれた。
そして、畳、経師と進んだ。
月末には電気器具の取り付けもはじまった。
「三宅さん、これじゃあどうやっても配線がきれいに納まらんでえ。
別の取り付けにしたほうがええんじゃねんか?」
「いや、そこじゃあないと作品に光が届かないから」
「そうはいうても、梁から飛び出して見た目が悪いでえ・・」
そんなこんなで、電気屋さんにはあれこれ注文をつけてしまった。
「三宅さん、ガレージの照明、別の現場で廃棄分が出たけん今度、
取り付けたげるわ」
ありがとう、みなさん本当にありがとう。
簡単な水回りを残して工事は月末にほぼ終了。捨て置かれ、陽の目
をみなかった水屋ダンスと茶箪笥も磨いて1階のメインステージに
おさまった。
あー、いよいよこれからが、私たちの腕の見せ所だぞ。
「ねえ、明日からはどうする?」
「当然、やれなかったとこを自分の手で仕上げるのさ、まずは
ギャラリーの全部の壁を白く塗って、・・」
「ヒェー、帰ったらとんでもないことになんて勘弁してよねー?」
「わはははー、それはおおいにありうるでえ」
「うー、もう!」





玄関、タタキ完成。///////見事な腕前、左官屋さんご夫婦。


念願の茶箪笥も納まる。

   


(2010年1月半ば)

キャリアアップ


失業保険をもらえるのは求職活動(今は何でも略して「キュウカツ」
人間単略化の証しだとはうちの人)を積極的に行ってると認められた
場合。そこで、職安で勧められたキャリアアップ講座を受けることに。
なんと言っても技術を身につけることはいいことだ。さっそく以前から
マスターしたいと思ってた「エクセル3級」に通うことにした。
岡山まで電車で50分の通学始まる。
以前、と言っても去年の9月と同じく弁当持参だ。受講生の顔ぶれは
2〜30代のママさんタイプが主、少し古い人も。
「そうだね、私が真ん中よりちょっと上かな」
「それじゃあ、スタートは同じでも、すぐ差がつくね」
うちの人が言ったように、はじめは操作の基本とかどうということの
ない授業だったからさほどじゃなかったけど、いざ本番の中身に入ると
若い人はサッササッサと言われたことをこなしていく。
私は隣の子の助けを借り借り、フー、どうにか。
3級の試験が間近になる頃には眉間にしわが。
「エクセル3級なんて、4問しか出ないんじゃあ落ちるのも難しいよ」
うちの人の皮肉にも耐え、日程終了。
試験の結果は後日。
次からは、「CAD(キャド)講座」に申し込んだ。
ヘルパーの2級資格も応募したけど定員オーバー。まあこっちは1度の
見学会でとんと向いてないと実感したからいいけど。
本当は畑仕事キャリアアップ講座とかあるといいんだけど、でもそれじゃあ
資格にならないか・・。
母ちゃんから電話があった。
「3月末に、皆で行くからねー」
さあ、みんなが大挙して来る、そんなこと考えてられんぞ、迎え準備に
ゴーだ。





1月19日キャリアアップ講座開始。///////授業風景。

  


(2010年1月はじめ)

ガレージギャラリー


計画では新年からギャラリーをプレオープン。あの人の作品展が
開催されることになっている。でも工事の間延びでそうもいかない。
それで去年暮れから車庫をゴソゴソ片づけはじめた。
もろもろのがらくたを全部撤去、まわりのぼろぼろだった波板も
きれいに切りそろえて、汚れたとこに白ペンキを塗って。
天井には東京から持ってきたロングの蛍光管を取り付けた。
展示品は大きなのばかり5、6点、それをブロックの上に乗せた。
夜、一人、電気の下でしみじみと絵と向かい合ってるあの人。
「どう?満足?」
「うん、これはもう大成功だよ」
「よかったね、自分の作品展が開けて」
「ああ、ここはずっとガレージギャラリーで使おう」
案内の看板も作った。赤い屋根のついたかわいいやつ。
トレードマークにドレミちゃんを入れた。
最初の観覧客は建設会社の担当、村口さん。
当然、何と言っていいか困惑ぎみ。
「あ、あのー、これは・・まだ未完成なんですかねえ?」
「いやいや、もう10年前に(描き)終わってます」
「あっ、それは失礼しました!」
こんな会話も嬉しそうに楽しんでる。まだ本当のギャラリーは
出来上ってないけど、なんだかこれで目的を達成したよう。
「よし、じゃあ、今から本オープンにお前のお義兄さんの写真と
俺のお義兄さんの油絵を出してもらえるよう、頼んでおくか」
「えっ?やめといたほうがいいよ、本人たちが重荷だよ」
「だって、俺の作品じゃあ、誰も来んぞ」
う、うんまあそうだけどねえ・・確かに。
さてさて、どうなることやら。




ガレージギャラリー、オープン。///////案内看板完成だよー。

  


(2010年1月1日)

ペイント


元旦、寒風吹きぬける中、書き初めならぬロゴ入れが行われた。
道に面した蔵の白壁に「Fukuwatari Doremi・・・」とペイント
すると言う。
高い場所だから簡単にはいかない、しっかりした足場が必要と注意
しても「そんなことやってたら、春になっちまうよ」と聞かない。
昨年のうちに、厚紙を切り抜いた4mほどの版を作っておいた。
それをガムテープで貼り付け、上から筆で色を塗っていく。
「うまくいかないってばーそんなの」
「簡単、簡単、お前はうるさいから下で見てろ」
ブロックに長板を乗せただけの足場で蟹のように移動していく。
風がヒューヒュー背中をなでて今にも飛ばされそうだ。
いきなり最初の文字「F」から赤く入れ始めた。
筆の絵具がなくなると左手にあるパレットに向かう。そのたび体が
ゆらゆらしてる。
「ああー、もう私が絵具を持ってるから、あなたは両手で描きな!」
「おお、こりゃあやり易いわ、なんだ、はじめからこうすりゃ早かった
じゃないか」
何、調子のいいこと言ってんの、お前は下で見てろとか言ったのに。
手足コチコチ、鼻からは水、でも奮闘2時間、ペイント終了。
「さあ、型を取りのぞくぞ、いいかあ?」
「あいよー!」
ダダーン。
「お、おっ、おーっ・・」
「い、いい、いーじゃん!」
「おおーっ、いい!」
「やったあ、すごーい」
「ハッハッハッハッハー」
寒風ものともしない笑いが谷間にこだました。





あーもう危なくて見てられない。///////「やったー」完成。

  
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