Fukuwatari DOREMI FAMILIA

「終の棲家ノート」

都会で20数年、気ままに暮らしてきた私こと47歳”おねえちゃん”。
15年勤めた仕事に見切りをつけ、念願の田舎暮らしを決行。頼りに
するのは、畑も田圃も興味ないうちの人、57歳”おにいちゃん”。
はたして二人は「終の棲家」を得ることはできるだろうか。

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  私の田舎暮らし
終の棲家に辿り着くまで、迷わないようにと書いた「私の希望の田舎暮らし」図。



(09年7月)

チャンス

「ねえ、わたし会社やめてもいい?」
こう切り出したのは先月のこと。この不景気で勤め先の経営が四苦
八苦。経理、事務雑用をすべて任されてた私には、その大変さが
よくわかった。でも社長からは10人程の社員の中から、誰に辞めて
もらうの話はない。
きっと私なんだろうなあ、そう考えると情けなくなった。しがみついて
いたくなかった。私が2番目の古株だし、たいして役に立ってなかった
から。
「今日ね、会議でね、これからどうするかってなったの。みんな何にも
言わないんだけど伝わるんだよね・・」
「そうか、だったらやめちゃえよ。いいチャンスだ、天が次なる飛躍を
しなさいと勧めてんだよ」

翌日には退職を念頭に検討に入った。
幸い1年半ほど前、今いるアパートの取り壊しが決まったのを機に、
これからのことについて二人で考えを交わしていた。
おまえが最後に過ごしたいとしたら、どこだ?
うん、田舎かなあ。大きな木があって風が吹いて、のんびりと畑を
いじってるの。
候補はいくつかに絞られた。
仕事もない、部屋もないとすればどこに行ったってかまわない。けど
確実に移住を軌道に乗せるには、やはり少しでも人のつながりが
期待できる所がいい。一つはあの人のふるさと岡山。もう一つは
当然私の生まれ育った福島。
ネットでの検索が始まった。毎夜、帰宅すると「おう、今日はこんな
のが出ていたよ、どう?」と聞かれる日々が続いた。


パークサイドギャラリー 今夜は木々を前に夕食を
阿佐谷南公園に面したアパート(パークサイドギャラリー)での日々。

全員写真 恒例バーベキューの図
会社設立時は3人だった。恒例だった屋上バーベキュー。

ある時は現場監督 会社屋上からの新宿
現場の仕事は辛くもあり楽しくもあった。// 見慣れた新宿5丁目、会社屋上からの眺め。



(09年8月お盆)

アタック

とりあえず、場所をこの目で見ないことにはどうしようもない。
あの人の強〜い要望(ノスタルジー)に押され、まずは岡山から
アタックすることにした。私はどこに決まろうと一緒について行く
つもりだから、何も躊躇することはない。
まずは、しばらくご無沙汰をしてる、あの人の実家に手紙を書いた。
「前略。今度、そちらに戻ろうと考えてます・・。ついてはどこか
適当な場所を見つけたいと思いますので、・・」
お盆前の12日、「青春18きっぷ」で西へと向かった。
岡山に降りるのは初めてだ。私はずっと、広島の先だと思ってた。
桃太郎が出迎えてくれた。
後楽園のそばに宿をとり、夜はライトに照らされた園内を散策した。
どうやら、あの人は最初の印象で決まると考えて、この1日目を
設定したらしい。 駅からここに着くまでも、「なっ、いいだろう、
道は広いし、市電も走り、水も流れてまっすぐ行けば後楽園」
と自慢しどおし。
ところが翌日待ち受ける実家の対応は違った。
開口一番、長男のお兄さんが「もう家は近くに探しておいたので、
すぐに見て来い、金なら心配するな」
「!!・・いやあ、じつは私達、田舎暮らししようと思って・・」
「??・・、いなか暮らし?」
そこで、よせば良いのにあの人、私が描いた「田舎理想図」(トップ絵)
を取り出した。
あとは散々に、全員から「夢物語だ」
「歳を考えろ」「仕事はどうする」「やったこともないのに・・」と
諭されてシュン。
でも最後は好きにしろとなって、明日にも田舎探しすることになった。



初めての岡山 夜の後楽園
桃太郎のお出迎えにいきようようと岡山の地に。//ライトアップされた後楽園に思わず「合格!」

岡山の田んぼ 何を考えとんじゃ
希望に満ちて降り立ったが・・。//////そんな簡単には田舎生活できんでぇと諭されて。



(09年8月28日)

スタート

毎週末、夜行バスで岡山に通うことにした。
でも二人の性格から言って、何回も行くことはない。じっくりあれこれ
選ぶというのが苦手だし、その間、時間だけが過ぎ、結果は変わり
ばえがしないで終わることだってあるから。直観、これこそが私達
(特に私)の得意とするとこだ。
28日金曜、夜8時、仕事を終え新宿西口地下「水の広場」。
「岡山行き」ほぼ満席。この人たちも皆、田舎探しに向かうのかなあ。
6時半、岡山着。まずはバスでもらったマクドの無料コーヒー券で一服。
今日1日の計画をチェック。場所は仕事先を確保する上でも、市内
まで列車で3〜40分くらいの地がいいと決めていた。
8時半、山陽本線でW町駅。
地元の「Hドゥー」建設さん。そこで応対に出られたHさん(女性)に、
実は田舎物件を探してます、鶏を飼いたいのです・・・と。
そうですか、私も埼玉から来て、ここでウコッ鶏も育ててました。
なんと幸先良いスタート。さっそく物件を見て回ることになった。

物件1:駅から15分。平屋、古民家、水洗。420万円、小さい菜園付き。
大きな木が隣にある。雨漏りがして修理が必要だけど、裏の可愛い庭
が気に入って、気持ちはすっかりここにしようかな。

物件2:駅から20分。平屋、古民家、水洗、でもこちらの方が、日当り
が良く、建物もしっかりして姿がいい。数百坪の畑つき。1000万円。
後ろに吉井川が流れ、朝夕、土手を散歩する姿が浮かぶ。
もうここしかない、当初の予算の倍だけど修理ヶ所もないし、なんとか
やれそう。

「決めました、Hさん。ここにします、ここを進めてください」
「はあ、そうですか、大丈夫ですよ。でもそんなに急がなくても、時間を
かければ、同じ程度のものでもっと安いものも見つかると思いますよ・・」
?!うーん、気になる一言。


 

資料は完璧 W町に降り立つ
前もっての資料調査だけは十分に完璧。///////W町で希望の家さがしに出発。

物件1 物件2
.........物件1:かわいいお庭で、ここにしようかな。/////// 物件2.もうここしかない、決めた!・・・。
 



(09年8月29日)

ハイジ

翌日は完全に心が傾いていたけど、うちの人が毎日、ネットを睨み
赤丸を付けたという不動産屋さんを訪ねることにした。
駅まで迎えに来てくれたTさん(同年代、女性)の車は町をどんどん
離れ奥深くへ。
1軒の木組みの建物が山あいに見えてきた。
「あれなんじゃけどなあ、うちの事務所は」
周りに住宅というより、人の住んでるふうがない。
こんな所で不動産業を?!
近づいて見ると男性が白いTシャツに作業ズボンで、半分ほど屋根が
出来上がった建物の中に立ち何やら仕事中。こちらに気づいて、
「どうも―!」と言った。
あとであの人曰く、このとき瞬時に、少々希望と違っても、この人の
紹介で家を決めたいと思ったとか。
いやー、出会いって恐いね。
このTNさん、ここで不動産紹介をやる傍ら、何年もかけて自分で家を
作り続けてる。応対してもらった部屋は元は牛小屋だったとか。
そこでさっそく紹介を受ける。

物件3:栗の木が実をつけた菜園が魅力の、いい家だった。でも車で
ないと・・残念ながらパス!

物件4:Tさんの車は今度も山中を走る。こんなに行くんじゃあ、
ますますほど遠い。でも違った。小さな町に出て「ここが駅、歩いて
12、3分のとこにあります」
坂道を登っていくと、ウハー、広い、広すぎるよ!おまけに蔵まで
付いて、でも駅までは近い。見晴らしもいい。
そして、350万という値段。これは最重要ハードルを完璧クリアー。
水洗トイレは3つもいらないけど・・・・
すぐさま「はい!ここにします」

昨日のアドバイスで気になったことの意味がわかった。
いつのまにか当初の計画から外れ、予算オーバーにも関わらず、
どうにかできると考え始めてたことへの、やさしい忠告。
あー、よかった、自分を見失わないで・・。
「やっぱり、自分たちの身の丈にあったスタートをするのが1番だよ」
心はすっかりアルプスの少女ハイジになった。



物件4
................物件4:なーんだ、これでいいじゃない。
物件4 物件4 物件4 物件4
................蔵もついて、眺めもよくて、山もあって、家は広い。

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(09年9月初旬)

ラッキー



部屋数7つ、あと倉庫に納戸、蔵が1つ。146坪の敷地、裏山に借り
れる畑が500坪。
うーん、手ごわいぞ・・。
部屋はあっても使わなきゃあいいとして、畑は草ボウボウというわけに
いかないし・・。
「おい、聞いてくれる?僕の計画」
なにやら、ノートに描きこんでいる。
「2階はそのままにしておくと言ったけど、それじゃあすぐに、がらくた
置き場で、暗い、行かずの間になる。それで、逆転発想してギャラリー
にしようと思うんだ。そうすれば、最も愛着のわく部屋に変えることが
できる。これぞ、まさに家康の言葉”欠点を長所にとらえれば幸なり”
だよ!」
ああ、この人、しばらくはこれを言い続けるだろうなあ・・。よし、私も
負けてはいられないぞ、畑にはまず、ジャガイモを植えて、草むしりは
2日に1回と・・・。

紹介をしていただいた「アイターンホーム」の田中さんから契約までの
スケジュールが届いた。契約日は今月28日(大安)。そのあと実際の
受け渡しが来月の末。
さらに、この家には素敵な特典が付いてきた。
売主の方が町で大きな椎茸工場を営んでいて、ためしに、私のような
おばさんでも出来ますか?と聞いてみたら「ああ、大丈夫ですよ」と
言ってくれたのだ。ラッキー!
さあ動きだしたぞ、「終の棲家」プロジェクト出発進行!!



2階の改装イメージ 私のイメージ
あの人の2階改装イメージ。//負けじと私も庭をイメージ。

シイタケ談義 「杉茶屋」うどん
売主の岩崎会長さんの深い椎茸談義に耳を傾け、「杉茶屋」うどんを御馳走になる。
天ぷらの椎茸はもちろん会長さんとこの”マッシュマン福渡”



(09年9月5日)

ファミリア


次のホームページの名前も決まった。
「福渡 ドレミファミリア アートギャラリー」
縁起の良い、ここの地名+私達のマスコット”ドレミちゃん”、
そして、今年行ったスペイン、バルセロナのサグラダファミリアから
ファミリア(家族)を。グー!グー!

母ちゃんには何て伝えよう、岡山の田舎に引き込むと言ったら、そんな
遠いとこ心配だねえ・・ってがっかりするかなあ。
9月5日、福島に岡山行きで使った残りの「青春18キップ」で帰った。
写真や地図を見せて説明したら、心配するどころか好奇心丸出し。
「ヒェー、そんな安いので住めるのかい?」
「うへー、蔵まで付いて、こりゃありっぱだ」
「早く、行ってみたいねえ」
「温泉も近くにあるぞ!」
姉や義兄達も混じって、ワイワイ。ほっ、安心した。
翌日、うちのもレンタカーでやって来て報告を終えた。
また1歩、すすんだ。




名前も決まった
ホームページの名前も決まった。

福島帰省 田舎暮らし説明
うちの人も加わりみんなでチーズ。//とっても広くて誰が来ても泊まれるよと話す。



(09年9月末)

ドライブ

「引っ越しだけど、タウンエースで2回やれば終了するよ。だから次の
仮契約の日に、半分持っていくことにした」
どうしても自分で運ぶと言う。業者に頼む費用を浮かせて、ギャラリー
の改装に当てるつもりらしい。
「うーん、でも荷物はどこに置いておくの?」
「ああ、市内のトランクルームに預ければいいよ」
シルバー連休とやらにフルに精出し荷物づくり。へー、誰がこんなに
ため込んだの、ダンボール80箱。
26日早朝、荷物を無事積み込み、わざわざこのドライブの為に買い
込んだCDデッキ全開に、いざ契約の地に出発!

途中、高速を東京に向け逆行したりした(何でそうなるの?!)けど、
なんとか無事、岡山到着。翌朝トランクルームも1ケ月借りれた。
「これだったら、2便もこの車で大丈夫だ」750キロを乗り切り、
どうやら手ごたえを得たらしい。
28日、契約もなごやかに終わり、また同じく750キロを帰れば良い。
では、東京に向けて再びゴー。
いきなり道を間違えた、まだ数キロも来てないのに・・。
後は散々だった。体は疲れでかたまった肉団子、座ったままで眠れも
しない。途中、名古屋から大雨,視界がゼロ、どこの道を走ってるのか
わからないと言い出す。それでも車は次の早朝には返さねばと、
しゃにむに走る。あー、お願いだから横になって休ませて・・・・。
アパートに着いたのが朝の5時半。17時間半のドライブ。
もうへとへと。2時間ほどで出勤。帰って、もう懲りただろうと
「残りは、業者にやってもらってもいいんじゃない?」
「うん、それで10万円もらえるなら、また俺が引越し屋になるよ」
聞くんじゃあなかった。



段ボール80箱 1便スタート
だれがこんなに増やしたの・・//26日、タウンエースで引っ越し1便、笑顔で出発。

なごやかな仮契約 あー、眠りたい!
売主さん、アイターンホームさんを交えてなごやかに仮契約。//1転、翌日最悪のドライブが待っていた。



(09年10月始め)

アートギャラリー

結構疲れたけど、どうにか契約も荷物運びも終わった。
あとは寝て待て、と言っても10月に入っても普段と変わらず出勤して
いる。退職金はゼロでも引き継ぎはせねば。”しっかり貯めて辞める
んだねえ”なんて、皮肉を言われてもがまん。

「あのさあ、今度のホームページの”ドレミファミリア”だけどさあ・・」
またもや、何か風船が膨らんだのか、あの人がこのように言う時は
私は決まって反対の意見になる。
「それをあの場所でさらに展開したらどうかなあ?ファミリアだよ、
だれもがやって来れる家だよ」
「そんな、みんな一度来たら気がすむんじゃあない?」
「だから、何度でも来たくなるような、そういう家に変えていくんだ」
次の日に帰ると、もう企画書が作られてた。
”福渡 ドレミファミリア アートギャラリー開設計画”。
「まず、蔵にしっかりと名前を入れるんだ・・入口を入るとアトリエ兼
茶室がひろがり・・・」
私も台湾の九分の茶房のようなくつろげるスペースが欲しかったから、
ふん、いいね!
「まだあるんだよ、それでねそれだけじゃあ、来てもらえないから、
ここで、家族、親戚、友達なんかの作品展も常時やるんだよ」
えー?だって、あなたじゃあるまいし、そんなことやってる人誰も
いないよ?・・・ああ、そうか!
あの人のお姉さんの旦那さんが油絵をやりだして久しい、私の下の姉の
旦那は写真に凝っている・・・ふ〜〜ん。
まあ、どっちにしても家の手直しは必要だし、こんないくつもの部屋、
放っておくのはつまらない。展示会もそんなのがあれば、福島からだって
行ってみようとなるかもしれない。よーし、賛成!
夜のうちには改装図面と仕様書を、先日伺ったときに紹介を受けた
景山建設さんに送った。今度こそは、見積もりは寝て待て。




1階、2階改装図面、仕様書。



アートギャラリーイメージ、1階、2階。



当然、応援団長はドレミちゃん。

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(09年10月中旬)

サヨウナラ

あと何日かで28年の東京暮らしともサヨウナラ。そう考えると
何だか、残りの日々がもったいなく思える。
よし、やれるだけのことを目いっぱいやるぞということで、まずは
銭湯お遍路。
目標到達80番。自転車を漕いでトコトコ30分〜40分、結局、
79番フィニッシュ。良かったね、楽しかったね、のんびりしたね。
11日、日曜、情熱のすべてを注いできた、荻窪タウンセブン屋上
フリーマーケット。
(あー、ここで見つけた思い出の品々・・・ほとんどは私の服だけど)
朝10時突入。12時、お昼ご飯の出前(内の人に)を受けさらに、
3時まで。これも十分に堪能した。
映画。これまで韓流ドラマに入れ込み、ご無沙汰だった。
「スラムドッグ・ミリオネラ」「それでも恋するバルセロナ」・・。
最後は韓国で「密陽」。いっぱい教わったね、いろんなことをね。
送別会も立て続け。15年お世話になった会社、個別に付き合いの
あった人、友人。皆さん、これからもお元気で・・。
田舎にこもっては手に入らないモノ、そうだそれを買い置きして
持っていこう。
韓国唐辛子、アミの塩辛、魚露に松の実のキムチ材料。鉄観音、
凍頂、包種の中国茶。ほぼ半年分。
ハー、これだけあれば寂しくないかなあ。それと、越した先で配る
福(福渡)にちなんだ七福人せんべいも。
ふー、やることはやった、もう思い残すことはない。次の生活だけを
頭に描いて、前へ前へ。


お風呂遍路79番「江古田湯」//11日、荻窪フリマ、最後の燃焼。


東京生活最後の映画は韓流「密陽」で〆//23日友達のゴロちゃんとお別れ会。



(09年10月25日)

オッケー

出発当日5時、雨。もうこれで東京ともお別れなんてのんきに浸って
られない、今度も幌つきにしたからいいけど、前回と同じ750キロの
トラックで残りの荷物が載りきるか。図面ではぎりぎり大丈夫。
そうこうしてると電話、会社の高橋さん「今、下に来てるよ」
えっ、手伝いはいらないって言ったのに、もうまったくお節介だなあ。
うちの人が車を借りに行って、その間に以前会社にいたゴロちゃんも
来てくれて荷降ろし。「いやー、けっこう疲れますねー」そりゃあそうだ、
二人で運ぶのがやっとの荷ばかりだから、特に絵、縦横180センチ
のが10枚も。
うちのが歩いて帰って来て、「頼んでた車が故障で遅れるって・・」
なーんだ、じゃあゆっくりやろうよ。下の住人、大山の奥さんもお呼び
して、しみじみ缶コーヒーでお別れ会。短い間でしたがお世話になり
ました、ぜひ岡山に来てくださいね・・。
10時から車も届いて荷積み開始。悪戦1時間、載せては降ろし何度も
荷台にもぐり込んでやっと。
「あー、高橋さんが助っ人にいてくれて良かった、そうでなきゃあ
うちの人じゃあ、明日になっても終わらなかったよ」


「さあいよいよ出るぞ、覚悟はいいか」
よく言うよ、もう前の二の舞で道を間違えないでよ。
「オッケー、オッケー、まかしときなよ!」
鉢植えから空ビンまで、全部残さず私達と引っ越し。目指すは
”福渡 ドレミファミリア アートギャラリー”



最後の日、やっぱり馴染みの「林泉湯」//あらかじめ荷積み図を作っていて正解!


助っ人がいて本当によかった!高橋さん、ごろちゃん、大山さんありがとう



(09年10月26日)

バレバレ


今度は東京逆走は無かったけど、その日0時までにインターを
出ないと割引が効かないとか言って、下の道を走るはめに。
何でもかんでも思い通りいかないよ!まったく。
岡山着1時半。
朝、あの人の兄さん達が荷物運びに来てくれた。
軽トラに台車、ロープ、雨除けシート、注意の赤布。やはり違うね、
同じ兄弟でも、この準備の良さ、行き当たりばったりの誰かとは、
えらーい違い。だって、家の前の道の上にあるUターンできる3差路
まで確認してたんだから。それなのに、あの人別の場所でやろうと
して脱輪して・・、もう、どうしてそうなの!
昼はさっそく転入届けと、入籍届けも一緒にと役場まで。
「はい、住民票はすぐ作れますよ、へ?婚姻届もですか?」
それから女の職員さん3人で、ああだのこうだの。しまいには
本庁に問い合わせるとかで「男性の名前は○○Xでえ本籍XX、
女性が○△、生年月日が・・、」と電話口で。
はぁーこれじゃあ個人情報も何もないじゃん、バレバレだよー。
結局すぐに出来ないとかで出直すことに。
「これなら、岡山で済ませればよかったね?」
「きっと、あしたはこの町の全員が知ってるなあ」
「でも、今さら聞かれてどうと言うわけじゃないし」
「そりゃあそうだ、紹介する手間がはぶけた」
「う〜ん、いきなり田舎実感!」
「ハハハハー!」






Uターンのつもりが・・脱輪/////////田舎のお役所仕事、初体験



(09年10月末)

ウキウキ、ワクワク


荷物を運び込み、転入届も出したけど残りの契約は11月1日。
それが終わらないうちは住まない方がいいだろう、でもその期間・・。
そしたら茶屋町のお姉さんが「うちから、行けばええがあ」と
いうことで倉敷から毎日、通勤ならぬ、掃除通いをすることにした。
はじめて、津山線の電車で福渡まで。ウキウキ、ワクワク。
なんか、楽しいねえ、ピクニック気分だね?あっトンネルだ、あっ
、 また。結構、時間かかるね、山の中だね、ああ、紅葉がきれい・・。
駅で降りたのは3人。歩いて、ひっそりの商店街を抜け、坂道を
上がると貯水池。
「あそこだよ!」
「ほーう、りっぱな蔵ですなあ!」
白い壁がひと際目立つ。この壁にあの人はどうしても名前を入れる
と言い張ってる。
「さあて、どこから手をつけようか?」
「うん、台所じゃあないか?」
「ううん、私はまず、2階の物を全部出したい」
2階は座敷が二部屋、物がぎっしり(1階もだけど)。現況譲渡
なので、いる物、いらない物全部、自分たちで整理しなくては。
「じゃあいいよ、取り掛かるか!」

「ねえ、大変!ちょっと来て、来て!」
2階に上がって奥の座敷の障子を抜け、さらに奥の屋根裏につづく
廊下の荷物から出そうとしたら、小さな戸が目に入った。
キキキキーと開けてみると、そこにはなんと・・。





毎日、お姉さんの家から電車で1時間半の掃除通い。 おまけにお弁当まで作ってもらい・・。



(09年10月末)

クタクタ


そこになんと、もう一つ部屋があった。腰を屈めて中に入ると、まず
目に入ったのは頭のすぐ上に架かる大きな梁(はり)。
「ウワー、すごい!」
8畳ほどのスペースにはてんでに物がつめ込まれている。奥にある
のは「あっ、これは長持(ながもち)だ、昔うちにもあったんだ」
庭に面して小窓がついてる。
「これかあ、下から見えた窓は。図面に無いし、変だなあと思って
たんだよねー」
「今頃、分ってどうすんだ、また掃除の場所が増えたじゃないか!」
あきれ顔で出て行くあの人。そうだ、ここを「アンネの隠し部屋」と
呼ぶことにしよう、そうと決まりゃあ徹底的にきれいにするぞ!

1週間、倉敷の茶屋町から福渡の家まで通った。
毎日、帰る頃には口もきけないほどクタクタになり、手の指は関節痛
でびりびりになった。その間、もうひとつ2階に部屋が出てきて、
掃除に終わりが見えない状況。
「はー、いつになったら畑にとりかかれるかなあ」
でも心はとっても満ち足りてた。もう、毎年行く外国旅行と同じ位、
いや、それ以上かな・・。
「よーし、まだまだがんばるぞ!」




「アンネの部屋」には立派な梁。// ゴミもいっぱい、でも宝物もそれに勝る。

またまた部屋が出現!「ハイジの部屋」と名付ける。 //元気にやれたのは、これもお姉さんのお弁当のおかげ。

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(09年11月3日)

サッパリ


1日は行政書士さん立会のもと最終引き渡しの書類も交換。裏山も
10年契約。年5千円で借り受けた。
いよいよ自分たちの家の始まりだぞ!
その夜のうちに売主さんに案内していただき、組内(くみうち)の
挨拶に回る。
「こんばんわー、今度東京からここに越してきました、○○です、
どうぞよろしくお願いします!」
この日にあわせて私達の簡単な写真入りプロフィールと、「福渡」に
ちなんだ「七福神せんべい」を持参した。
ご近所さんは7軒。1軒をのぞいてどこも古くからのお家だ。
「そりゃあ、そりゃあわざわざどうも・・この辺は年寄りが多いけん
若い人が増えるのは結構なことじゃ。青年部で草刈もありますけん、
そんときはお願いするけん」
い、いやー、青年?!・・うちのはもう十分老年ですけど・・、それに
草刈機も使えないし・・。
いきなり若者に昇格した。
3日には、お兄さん、お姉さんたちが手伝いに来てくれた。
庭の草や木が取り払われると、急に家らしくなった。
近所の挨拶もすませたし,寝る場所と台所も用意できた。あとは、・・
そう、ゴミだしだ!





その夜、岩崎さんんにお願いしご挨拶まわり。 3日、兄さん姉さんみんなが掃除に集まってくれた。



(09年11月9日)

クリーンセンター


毎日、毎日、ゴミだし、掃除。ガレージにドラム缶が6缶、これは
どうにもならないので農協に引き取ってもらった。廃油代込で7350円。
こりゃあ、たまらんでえ、それで自分たちで捨てに行くことにした。
先日手伝いに来てくれた折、お兄さんが軽トラを置いていってくれた。
それを運転し、役所で教わったクリーンセンターまで。
「はいっ、そこで車を止めて!今日のゴミは燃えるん?燃えんのん?」
ゴミは、いくつか決められた分類に分けて捨てる。混ざってると引き
取ってもらえないし、農具、農薬、塩ビのトタン(これが多い)、水道
管、便器(せっかく持ってたのに)などはダメ。
「うーん、けっこう面倒くさいのう」
そうは言っても、コツコツやるしかないでしょう!そりゃあ廃材業者に
頼めば簡単だけど・・。
9日までに出したゴミは、畑に使うビニールシート(膨大)、屋根裏に
貼ってた発泡スチロール、ベニヤ、段ボール(無数)、ベッドにコタツ
7台、雛人形(いっぱい)、その他、鉄やらビンやらの山盛り。
計10回、往復。まだハウスのスチール戸、材木搬出用滑車(1ダース)
テレビ4台だって残ってる。
料金はそのつど「ハイ、きょうは860円」で、この日までで1万円弱、
ほぼ2トンの計算だ。
「だいぶかたずいたね。おまけに掘り出し物もこんなに見つかったし」
捨てずに取っておいた、古い納戸、茶箪笥、机、椅子、食器・・・、
活かせる物のほうが圧倒的に多い。
「さあてじゃあ、このお宝を磨くとするかな」
「へー?おまえだけでやれ!」





家も大きい分、出るゴミも半端じゃない? 結局、クリーンセンター通いは13回で打ち止め。



(09年11月14日)

キーポイント


ついに見積もりが出た。私の仕様書を東京から送って1月半。待ちに
待った改装計画が動きだす。
「うん、これなら当初の費用でいけそうだ。工事は12月になる
らしいけど、その分自分たちでじっくり手入れすればいいし・・」
とは言ったけど、母ちゃんには年明けに来てと話してる。
さっそく福島に電話。「家の工事は来年までかかりそうだから、
もっと暖かくなってからにしたら?」
うんだ、そんつもりだぁ。意外とあっさりしていた。
翌日から蔵の掃除を急ピッチ。いざ改築が始まれば私達の居場所が
ない、というか工事をスムースに進めるには住人がいない方がいい。
おまけに低予算、できるだけ腕を振るってもらえる環境を整えておく
のがキーポイントだ。
それで蔵に移ることに決めていた。
「フーン♪フーン♪フー、楽しいなあ、蔵に住むなんてね?」
「チェッ、寝床はどうすんだ?」
「撤去する1階の部屋の畳を持って上がればいいよ」
「電気はどうするんだ?」
「延長コードで引いてくるから大丈夫」
「フンッ!じゃあトイレはどうすんだ?」
「そりゃあ簡易型、ペットボトルだよ」
「ええっ?・・・まあ好きにしてくれ」
でも、これまでの私の経験以外にこの岡山では別のキーポイントが
あった。それは後になってから知ったことだけど・・。





景山建設さん、担当の村口さんより見積もり。 蔵の天井の梁を特に入念に掃除。



(09年11月後半)

マルチ


工事が入るといそがしくなるから(そうでなくても十分いそがしい)
今のうちに畑を耕しておこう!そもそもこれをやりたくて田舎にやって
来たのだから。
すでに、裏山は地主さんが草刈機できれいにしてくれてる。まず
これを後始末し、次に日当たりのいい地面を何平米か鍬入れしよう。
でもその前にと・・・。地主さんの話では、手入れが届かないので、
草の生えないようビニールを全面に敷きつめたとか。
確かにいたるところ、黒いゴミ袋のようなのがヒラヒラしてる。まあ、
とりあえず、家の前からはじめるか。
こうして2日3日とやり続けた。それでわかったのは、敷かれたマルチの
半端じゃない量。山の方まで入れられて、おまけに完全に土に埋まって
るから、手でこつこつ掘り起こすしかない。
「ウー、指がもう痛くてドアノブも回せないよー!」
「俺もそうだよ、触っただけでビリビリする」
終わって風呂の中で手を揉みほぐす。そしてまた、次の日に備える。
かくして、10日間、軽トラ2台分のマルチを回収。
「ああ、良かった、思ったより早くかたづいて。これで、ジャガイモが
植えられるよ。あっそうだ、あなた明日、誕生日じゃない?」
「・・・」
返す気力もない56歳最後の12月1日でした。




裏山採掘作業中現場。1 2月1日ついにやり遂げる。





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(09年12月4日)

トンテンカンテン


あっという間の解体だった。朝8時にK建設さんの男衆が5、6人来て
トンテンカンテン。1階の入り口の和室を撤去、床まで剝がしたかと
思ったら、昼から2階の天井もトンテンカンテン。午後4時半には
きれいになくなった。
「おお、さすがにプロは違うねー」
「そうじゃないよ、普通の職人さんだよ。あなたより力があるだけ」
まじまじとむき出された土間を眺めてると、いよいよ今日から長い改築が
始まるのだなあと実感がわく。かなり黴臭いけど。
「あのー奥さん。この床下は相当めげとるなあ(だめになってる)、
シロアリに食われとるかも知れんけん、1度調べたほうがええですなあ」
うーん、やっぱりそうか、湿気が多くて畳もふかふかすると思ったけど
垂木がこんなになってたとは、さっそく追加工事かぁ・・。
「ちょっと三宅さん、2階のあれどうしますか?」
「・・?」
完全に取っ払われて、梁が丸見えになった上の階。登ってすぐの天井の
真下に大人がやっと抱えられるほどの丸いモノがくっついてる。
「これ、スズメバチの巣なんですが・・・」
「ヒェー、こんなのが・・、ねえあなた、どうしようか?」
「そりゃあ、これはお宝だからこのままにしといたほうがいいだろう」
さっき、ちょっぴり暗くなったけど、こんな拾いもんもあるんだから
「こりゃあ、しょっぱなから縁起がいいぞー」
 




朝、8時解体始まる。午後にはきれいに終了。

奥の和室の床はボロボロ。2階天井下にお宝が覗く。



(09年12月7日)

キーポイント2


月曜から入ってくれた大工さんは県北、津山の人だ。親子の様に
見えるし、甥と叔父またはただの師弟。
「ねえ10時だけど、パックのお茶と煎餅でいいよねえ?」
「うーん・・もっと、ちゃんとしたのがいいんじゃないか?」
「でも、今の職人さんはあまり食べないし、飲み物も自分で
缶コーヒとか買ってくるんだよー」
「・・・・」
初日の仕事は、撤去した土間の基礎石の交換からだ。裏山に
ブロックがいっぱい余ってるけど使えないらしい。フーン、また出費。
3時はうちのに言われて和菓子にする。
「ねえ、ちょっとあなた、あの饅頭がぜんぶなくなってる!」
「そうだろう、こっちの人間はうまい物、特に甘いもんには目が
ないんだよ」
「そういえば朝の煎餅、高級なやつだけ減ってた」
「ハッハッハー!」
東京では思いもつかなかったけど、ここじゃあ職人さんにいい仕事を
してもらうのに前述(11月14日)とは別にキーポイントがあるらしい。
「じゃあ今度、岡山に行った時、うまいものをどっさり買ってくるかな、
せっかく来てくれてる大工さんに、腕をふるってもらうのに、お菓子代
ケチっちゃあいられないもん。でも、その間、何を出す?スーパー
じゃあ、 おいしいの売ってないよ?」
「うん、まあ兄ちゃん(自分のこと)特製といきますか」
「ほー!」
かくして、”兄ちゃん特製”クッキー、ぜんざい、あんまん、肉まん、
カレーまん、ピザ、マーカーラーオにスイートポテトが作られることに。




 
最初の仕事はこの土台交換。 津山の大工さんは親子でした。


”兄ちゃん特製”肉まん。



(09年12月2週目)

グ〜ン


蔵での寝泊まりはトイレが面倒なだけで、快適。(あの人は朝、腹を
押さえ青い顔して降りることしばしばだけど)そもそも本宅よりしっかり
できてるのですきま風も入らないし、2階なので底冷えもしない。
そこに電気こたつをどでんと据えて、改装の段取りを考えてみる。
床はまもなく貼られるので、その前に湿気除けに物置にある炭を敷く
とするか・・、畳は一部、上の和室のを下に転用して・・、座敷の襖は
張り替えだけで・・。
「ねえ、土間の側面の古い壁見た?」
「うん、・・」
「あそこ、クロスの予定だったけどせっかくだから全部漆喰にしようか?」
「うん・・」
「また費用追加だけどその方がグ〜ンと部屋が活きるよ」
「うん・・そうだなあ・・」
「それと、母ちゃんの部屋(奥の和室)の障子と襖は新しくしようと思う」
「うん」
「あとギャラリーの電気だけど蛍光灯じゃなく、ダウンライトで一点ずつ
あてたほうが効果的だよ、せっかく絵を展示するのにもったいないよ」
「う・・」
「ちょっとお金をかけても、気に入ったようにした方がいいよ、ね?」
「・・・、グググー」
越してきてからまだどこにも出かけてない。すぐそばの八幡温泉にだって
つかってない。毎日やることが多すぎて、あっという間に1日が終わり、
風呂から出るとあとはぐったりと寝てしまう。
今日もあの人は、廃材を山に運んだり、蔵に行く飛び石を敷いていた
から・・・。
あー、そういえば急に私も・・。




 
蔵の生活は快適。 蔵につづく飛び石も完成。



(09年12月半ば)

ヒューヒュー


何にも知らないでこの地に来たから、ここがどんな場所で、どんな
ことがあってなど何も調べないで・・。
寒い寒い!
「岡山は暖かいぞー、福島なんてとても住めないぞ」といばってた
うちの人も、今になって「ほんとにここが岡山かよ、先にわかってりゃ、
来なかったのに!」とこぼすこぼす。
今朝はとうとう外水道が全部凍った。出入りの人たちに聞くと口ぐちに
「今年はこれでもあったかいほうでぇ」
しょうがないので、日中の居場所にしてるガレージ横の空きスペースに
ストーブを2台入れた。それでも下からびんびん冷えがくるので、
コンクリの上に養生パネルを敷いた。
「おい、こうなったら早くきちっとここに戸を備え付けよう」
普段はこのスペース、戸がなくて外から丸見えでだらしなく映るので
きれいに整えたいと考えてた。今はガレージとの間に塩ビの並み板で
簡易間仕切りをしている。だから、すきま風がヒューヒュー。
「でも、それはやめたほうがいいよ。大工さんの前でにっちもさっちも
いかなくなると恥ずかしいでしょ?」
「大丈夫だよ、いない(大工さんが)日に仕上げるから」
12月19日、土曜日。まる1日ああでもないこうでもないとやって
いた。左右に柱を立て、框を乗せ、古い2枚のガラス戸を入れたり
降ろしたり。しまいには、もうお前に手伝ってもらうと、水平だの
垂直だのうるさくて進まん、一人でやる!と言ってたけど。
次の午後には、両開きの戸がしっかりと開け閉めできる状態で
収まってた。




 
とうとう水道につららができた。//////// 完成!これで暖かいぞ。。

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 (09年12月半ば)

マウンテンバイク


ここに越してから新たに買い足した物ってほとんどない。何でも置いて
ってくれてたし、わたし得意の”捨てずに活かす”術(ただの貧乏性?)
が役立ってるから。
それでも、この2つは買った。薪ストーブにマウンテンバイク。
薪ストーブは来る前から使ってみたくて、壁も耐火で注文してる。
マウンテンバイクは、当初、普通のママチャリでいいと思ってたけど、
坂道が必須とわかり、これにした。
「おい、コメリ(近くのホームセンター)で、マウンテンバイクが
注文できるぞ、シボレ―社製で2万3800円だ」
ついでに薪ストーブもネットにあったので注文した。これは2万9800円。
マウンテンバイクに乗るのは初めてだった。
最初、駅から家までの登り道は降りて押していった。
でも今では、なんとか上がりきれる。これで、「マルナカ」(スーパー)へも
10分ほどで、買い物に行ける。
「やっぱり自転車にしてよかったね。車だとついそれに頼ってしまうもん」
「じゃあ、今度、上の魔利支天(山に祭られてる)まで、行くか?」
「ええー!そんなのまだ無理にきまってるじゃん」
東京で想像もしなかった生活が始まっている・・そんな楽しい予感を
自転車が運んでくれた。ほんの2か月前までは歌舞伎町の人込みを抜け、
中央線に乗ってたのに。
「おい、ちょっと下の金物屋まで、釘買ってくるわ」
「あいよー、自転車かい?」
「もちろんだよ!」





マウンテンバイク初乗り。 年賀状も自転車で頑張る図柄に作った。



(09年12月半ば)

キムチ


越してからしばらくして、下のお兄さんが白菜を届けてくれた。
東京にいた時からキムチ用にと植えてくれてたものだ。
「霜にやられて、ようできてねえけど、まあ作ってみい」
キムチ材料は大量に東京の「韓国市場」で買ってきていた。一時は、
これで商いができないかとうちの人は真剣に考えてたことも(?)。
「まあ、スーパーで売ってる、甘くてインチキなキムチしかこっちは
食べてないだろうから、わしのつくるキムチを食べりゃあ驚くでえ」
幸い、この家には味噌蔵に適した土間の納屋がついていた。おまけに
甕(かめ)まで。
「ウヒヒ、これに漬けて何日くらいかねえ?たべごろは?」
「まあ、寒いから2週間から3週間だな」
こうして、いよいよ甕を開ける日が。
「どう?」
「うん、ちょっと薄味だけどまあこれくらいの方が、はじめてだと
食べやすいだろう」
さてと、兄姉3家に届けることにした。
反応1。
「くさい、くさい、どうにかしろ!」
反応2。
「辛いから鍋に入れて、うんまだあるよ・・」
反応3。
「・・・」
あれから人前でキムチ自慢が出なくなった。ただ、
「やはり、ここじゃあ本物は受け入れられんのう!」と嘆くことが
多くなった。




 
アジュマによるキムチ漬け。 ////// 甕からでたばかりのキムチ。



「くさい、くさい!」




(09年12月半ば)

ヤキイモ


大工さんに出すお菓子もネタ切れになってきたので、ヤキイモを
出すことにした。
裏山の一角に大きな焼却炉が残されてて、以前はゴミや廃材を燃して
たらしい。中をきれいに掻きだし栗の落ち葉をめいっぱい入れて
ライターを点火。
すぐにパチパチ、いい音がして炎が広がった。アルミホイルで包んだ
さつまいもを奥のほうに放りこみ蓋をした。
3〜40分して見にいくと火はおさまり、温(ぬく)そうな灰が隅っこに
ちょこっとだけ残ってる。
こんなんで、焼けたかなあ?かき棒でホイルを引き寄せ、手に取る。
「熱ちっちちち!」
ほうー、こりゃあ結構できてるかも。
ためしに、大きいのを2つ割りにしてみると、ふわーんと湯気が顔に
かかって甘ーいにおいがした。
いつの頃だか覚えてないけど、昔を思い出すなあ・・。
ヤキイモは職人さんに好評とみえて、完売だった。私が裏山で焼いた
んだよとは言わなかった、でも一味違うとわかってもらえただろう。
これで、この寒い生活にも楽しみができた。
そういえば、駅前のパン屋のおばちゃんから聞かされてたっけ、
「ここは、寒いは寒いなりに、暑いは暑いなりの良さがあるんよー」
そうか、こういうことだったか、妙に納得した。
「ねえ、明日もヤキイモやろうか?」
「ああ、おまえが落ち葉を集めるんならね」
「・・・」シュクン。






ヤキイモ生活その1。//////////// ヤキイモ生活その2。



(09年12月半ば)

アラジン


薪ストーブは私の田舎計画の大きな柱。ところがネットを見てた
あの人が。
「おい、薪ストーブはお前の考えてるほど簡単じゃあないぞ」
いわく、まず煙突はその辺(”コメリ”とか)で売ってるような安物
じゃあすぐダメになる。それに最低でも6mは上に伸ばす必要。
次に、くべる薪は家にある(松の垂木)ようなどうでもいい木だと
煤が出て、それこそきれいな部屋がススだらけに。
そして、これらをちゃんとやらないといくら燃やしても暖まらない。
「ひぇーそうなの?この間、大工さんから聞いてた、前に建てた
家の巻きストーブの煙突が40万円だったって本当なんだ」
今頃、納得してどうすんだ、買う前に調べとけ!少しはプロだと
思ってたのに・・・さんざんにけなされてがっくり。
こうなったら出費はすでに購入の本体29800円だけでとどめる
しかない、やーめたっと。
次の日、東京の友達のゴロちゃんに電話。
「もしもしゴロチャン、前にくれると言ってたあのストーブ、まだ
ある?」
”アラジン”、うちの人が「ほうー、いいねえ」と欲しがってたけど、
今度の家は薪ストーブにするからと貰わなかった
「あっ、はい、ありますよ、送りましょうか?」
やった!これでどうにか冬が越せるぞ。
そうすると灯油も、もっと必要だなあ・・。越してきてすぐに、
こんなのいらないやと捨てた大きな灯油缶、あれ、コメリで中古で
1万円ぐらいしてた。失敗したなあ・・・。
ううん、考えない考えない、危うく大きな損出になるとこだったの
だから、前向きに、前向きに。
「ねえ、楽しみだねえ、アラジン、いつ届くかねえ?」
「そんなことより、この薪ストーブどうすんだぁ?」
「!・・」




 
せっかく苦労して運んだ巻きストーブ。 アラジンのストーブが届いた。



(09年12月末)

ペッタン、ペッタン


工事のほうは床にパイン材が張られ、壁紙もきれいになった。何か
いよいよだなって感じ。
でも左官屋さん、電気やさん、あと水回りは来年まで持ち越しで、
28日が仕事納めになった。
「じゃあ、新年の5日の職人さんが入るまで何やろうか?」
「そりゃあ、ガレージギャラリ―をオープンするのと蔵に名前を
ペイントするのと、でもその前に餅つき」
裏に丁度、石臼に似た手水鉢があり杵も何本かある。釜戸も残って
るので、そこで米も蒸せる。もち米もお姉さんから頂いたのがある。
こうも何から何っまでそろってたらやるしかない。
30日朝は早くから釜戸に火をおこし、水をいっぱいに張った釜で
もち米を蒸した。
「ねえ、もういいんじゃない、あれから大分たつよ?」
湯気がたちはじめてから1時間。
「そうかい、じゃあ開けてみるか・・・あれ、まだ米のままだよ、
火が弱いのかなあ、もっと薪を持ってこい」
こうしてまた1時間、で蓋を取ると「だめだあ、蒸せてない」
田舎に電話した。
「前の晩から水につけておくんだぁ!」
そんなの知らないよ、言われてみれば聞いたことある。
もうやけになって火を吹いて、また1時間、やっと透明になってきた。
「もういいや、突いちゃおう」
臼(手水鉢)に移し、二人で交互にペッタン、ペッタン。
すぐに、びろ〜んと餅らしくなってきた。そのまま前にしゃがみ込み、
ちぎって、餡子に放り込んで食べた。
「うまいね。。。」
「うん、うまいよ、十分うまいよ・・そうか、1晩冷やかすのかぁ・・」
この半年、失敗もあったけど、笑えることもいっぱいだった。それ
だけで、家の購入代ぐらいに味わった。あとはどれもオマケ、そう
考えればずっと得した気になる。
さあ、来年も頑張らなくっちゃ。
「アジャ、アジャ、ファイティーン!」

(つづく)


いくらかけても蒸しあがらない。///////ペッタン、ペッタン。


「おいしいね・・」////////なまこ餅、お供え餅もできた。

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