昔の江戸時代に、ここは旭川を挟んで二つのお国が
あったって話しただろ。
だから国境(くにざかい)の川には橋を造っては
いけないきまりでね、人は向う岸に渡るのに舟に乗るしか
なかったんだよ。だから、川のあちこちに渡し場(わたしば)が
あって国境を行き来したんだ。
渡し舟だけでなく、炭や米や人を運ぶ高瀬舟が泊まる舟着き場も
あって、大きな舟が何そうも出入りしてた。
舟は下流の今の後楽園のお堀まで行くこともあったんだよ。
下りは岡山城下まで一日で着くんだけど、帰りは舟をひいて
のぼって来るので二日もかかった。そのために、おおぜいの
綱(つな)引き船頭さんが働いてたんだ。
竹で組んだ筏(いかだ)もいっぱいやってきて、時には帆(ほ)を
張ってくる舟もあって、そりゃあ絵のようにすばらしい
眺めだったと聞いてるよ。