お侍さんがいた江戸時代のことだよ。
建部は旭川を挟んで東と西にお国がわかれていたんだ。
西は岡山、備前(びぜん)の国、東は津山、美作(みまさか)の国。
二つの国はそれぞれ違う文化や生活習慣を持って、
長く暮して来たんだよ。
二つのお城のある所からここまでは、ほぼ三十キロでね、
ちょうど真ん中。
朝、出発して歩いてくるとここで夜。舟で下ると
お昼頃になる。水が少ないとやはりここで泊まることになった。
「行こか岡山 戻ろか津山 ここが思案(しあん)の
の深か渡し(ふかわたし=福渡)」って唄われたんだ。
それとね、ダムのある鶴田地区も鶴田藩という
一つのお国だったんだよ。今でもお城のあった
「城山(しろやま)」という山が残っているよ。
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*このお話は地元のおばあちゃん達からお聞きした内容を基に
平成25年に発行された「たけべのお話」(タネピリカ編集)より抜粋しています。