■「新たけべの彩時季」
快晴の1月24日、ボランティア7名で建部古道を整備しようと、鎌倉時代からの地域の石仏として信仰されていた阿弥陀様の整備を行いました。
花崗岩でできている摩崖仏の阿弥陀様は雨に弱いため、建部上の有志の皆さんが屋根を仕上げました。
昨日は、安全ロープの交換、坂道の階段づくりで作業は終了しました。この古道整備は岡山市の建部支所の支援で完成し、案内看板も新調され、春のヤマツツジが待ち遠しくなりました。
偶然、対岸の河川敷で石を並べる当新聞副編集長の姿もキャッチ(笑)
(レポート・写真 勝部 公平)
たけべ新聞10年目、その刊行の最初を飾ったのは今、当新聞編集長、勝部 公平が率いる
「里山建部」での新年会の模様、
里山も9年を経て様々に移り変わった。
今日、令和7年正月12日、建部町富沢にある「建部里山」キャンプでは仕事初めが行われた。
鳥越の池に響き渡るチェーンソーの轟音、里山のスタッフが切り出すシイタケの菌木の準備だ。
場所を移すとチェーンソーとは異なる地底に伝わる鈍い音。丸太の原木を割り気にする機械音。
近くではオノでそれを次々に割る若者スタッフ。
キャンプの行き当たりでは先ほどの割り木を軽トラで運び乾燥組み作業。
「これだけあれば、来年は充分、支給できるじゃろう」
勝部に聞くと今年も、何台もの軽トラが購入に来たそうだ。
「一休憩しようやあ」勝部の呼びかけで、それぞれ一段落した人らが焚火の<回りに集まる。
「いやあ、今朝は冷えたなあ」
「冷えた、冷えた、池も半分凍ってるもんなあ」
焚火の上の網に次々並ぶイノシシの骨、「まあこれでもシャブって休憩、休憩」(勝部)
全員が仕事を終えたのは昼も近い11半過ぎ、「お~い、みんなで記念撮影じゃー」
てんでに仲間たちが呼びかけ、
オヤ、オヤ。いつのまにか子どもたちも参加で3世代のシャッターチャンス!
みんな、それぞれに、いい顔で、さらに10年後の「里山建部」の継続、求む!!!!
(レポート・写真 三宅 優)
さあ自然をキャンバスにして、石ころ拾って並べてみよう。自由な発想、思いつきだけが頼りの一期一会の時間を楽しもう!!
去年、暮、建部町福渡河川敷の歩道に作られた「石で描く名画」、観るチャンスの無い方への誌上展覧会。
(以下、制作者である当新聞副編集長の解説)
建部町福渡旭川沿いグーグルマップ
建部町福渡の旭川河川敷は町民のお気に入りの散歩コース(愛犬たちも)、春は桜並木が続く。
その歩道沿いに「石を並べる」、川の風景を背景に。そんなことを思いついたのは去年の夏ごろ、北斎の「石で描く富嶽八景展」をやっている時だった。
何かもっと別の面白い表現はないか、そこで前から気になっていた旭川に浮かぶ川舟、どこかで見たような、何かを思い起こさせるシーン、「そうだ、あれは西洋美術館にある
シャヴァンヌの絵のイメージだ」突如ひらめいた(笑)
11月のある日、川舟をバックにとらえられる仮歩道のスペースをキャンバスに決める。ここなら人も通ることが、まず無いない。
制作時間は2日と決めていた、しゃがみ込む作業だし、あまり人目についてもやりにくいから。
石はその辺からバケツ3杯ほど拾い集める、これならこのまま捨て置いても問題ないだろう。
初日は舟の帆軸を描くに留める、これで全体構図が定まり、明日は早朝から一気に舟と漁夫を描き込むぞ。
結局、完成したのは翌々日、顔の部分で手間取った為。背後の川舟と同化するように絵に描かれた水平線は作らなかった。
石で描く「貧しき漁夫」ユーチューブ動画(22秒)
シャヴァンヌが19世紀フランスの写実派とすれば、ロシアのレーピンも同時代を代表する写実画家(但し、私の評価では共にB級)
この画家も川に住む人間を描いている。
「ヴォルガの船曳」、革命前のどん底の船曳人夫をむごたらしいほどに荒んだ姿で。
このイメージが浮かんだのは、以前、福渡のお年寄りから聞いた話。
「昔はこの旭川の川原にぎょうさん、舟を引っ張る者がおった、その者らは、ふんどし一丁で暮らしてた」
舟の行きかうところ、上流へ舟を曳く人間が必要だった。
制作場所は下流の歩道の行き止まり、ここなら車も人もやって来ない。
12月になって滅法冷え込むようになった、この場に立ち尽くせるのは午前中の陽のある時だけ。
今回はストックの石をバンに数十箱に小分けして運ぶ、何がどれだけ必要かまだ皆目、見当がつかない。
描く人間は10人。どの顔も品がなく悪相である、画家自身は聖人に見立てたらしいが、そこは写実派、実際の船曳人をそのまま描いた結果がこうなった(笑)
一人、一日のペースで進める。体に巻かれた皮のロープは裏山から拾った鉄赤色のゴタ石で表す。
制作から10日目、引き上げる舟をどこに配置するか、目の前の川からあたかも上がったような位置。
14日目、完成。しかし翌日には風で石が動き、動物の侵入した跡、再度やり直す(笑)
石で描く「ヴォルガの船曳」ユーチューブ動画(43秒)
河川敷で最も絵になる場所は八幡橋歩道橋の下、県の重要文化財指定の公孫樹がある公園。ここは木の幹にブランコを付けてフラゴナール風、またはヴァトー風、いやコロー風なシチュエーションが浮かぶ。
ただそうなると、石を並べるベースを用意しないと無理。ふと迂回する舗道の隅にイチョウの絨毯が敷かれヤツデが茂る一角、ここに何かのイメージが呼び起された。
ドガの踊り子が舞台裏から舞い出るシーン「これは面白い」
翌日、取り合えず思いつく白い石をいく種類か運び、座り込む。
何人か知り合いが通りかかり「ようやるなあー」とあきれたように声を掛けられる(笑)
3日目、ほぼ完成、写真に撮って細部を確認する、「似てないなあ、でもこれはこれで、オモシロいぞ」(満足)
おそらく、これが掲載された頃には石は壊れ、元の面影はなくなっているだろう。だから、それがいいのだ、また一から作り始める自分がいると信じてるから。
石で描く「ドガ踊り子」ユーチューブ動画(22秒)
(レポート・写真 三宅 優 江田 陽子)
編集長 勝部 公平
「読者の皆様には、これまでの「たけべ新聞」ご愛読ありがとうございます。まもなく10年を迎えるなんて、一番驚いているのは、編集者の私たちです。
この10年、建部の魅力を求め東西奔走したことも、わが人生の歓びですが、時間が経過していく中、自分の意識も川の流れのように、ゆったりと変化してきました。
少子高齢化や過疎化を憂うのではなく、その変化を楽しみながら歩めることができるようになってきました。
そういった意味で、これからも小さいローカル新聞を楽しんでもらえたら、至福の歓びと感じます」
副編集長 三宅 優
「たけべ新聞」が10年目に入る、その感想は正直「・・・辛かったなあ」(笑)。
それよりも新聞発刊からの社会の変化、SNSの隆盛で誰もが「現在」を発信できるようになり、当新聞が伝える「今の出来事」のニーズも減少、
逆に増したのは、そのSNSではカバーできない”地域を俯瞰できる継続したプラットフォーム"。
特に外からの「建部を知りたい」に応えられるだけのコンテンツ、そうした意味で「たけべ新聞」は今年も静かに持続を目指す1年になりそうです(笑)