■「新たけべの彩時季」
建部井堰 ←グーグル地図
9月も終わりに近づいたというのに、日本中が夏を背負ったまま汗の掻き通し。今日(26日)も午前9時には、眩しいくらいの太陽がここ建部平野を照らしている。
今年の米作はどうだろう、すでに刈り入れが終わった農家もあるが、価格は高めに動いているようだ。
まあ米に限らず、農業者の大変さを考えると日本の作物の価格は低すぎる。
消費者にとっては負担だが、輸入に頼らず国内生産を高めていくことは今もっとも重要だと思う。
そんな作物の栽培になくてはならない”水”、水の大切さは古今問わず変わらない、世界を見ても”水”を求めて諍いが繰り返されてきた。
今日、そんな”水”をめぐる先人の知恵の結集とも言える、世界かんがい施設遺産「建部井堰」
の説明看板と記念碑の除幕式が行われた。
建部町を流れる大井手用水路は全長7キロ、旭川の南100ヘクタールもの水田を数百年に渡り潤してきた。
水の取り入れ口となっているのは上流の旭川中央に設けられた石組、全長650mの建部井堰。丁度、当時の備前国と美作国の国境に沿って造られている。
造られた年代は定かではないが、1721年の史料には書かれているとのことで300年以上前と推測される。一説には1628~1630年に一帯の米の収穫量が増加していることから、さらにさかのぼること400年とも。
いずれにしても、井堰の長さとしては日本一、それだけでなくその保存状態は日本の他の石組井堰がコンクリートで改修されたのに比べ、ほぼ昔の石組のまま現役で使われていること、このことが評価されて平成24年に公益社団法人土木学会の「選奨土木遺産」に指定。
そして昨年11月には「世界かんがい施設遺産」に認定・登録、今年になって岡山市重要文化財(史跡)にも指定された。(もう残るは世界遺産登録のみ!)
午前10時、建部町品田にある建部井堰、水門前に設けられた式典会場にはこの日、招待された地区代表や関係者30数名が参席、除幕式に臨んだ。
開会の挨拶に立った大森岡山市長は「この場に立って頭に浮かんだのはNHKのプロジェクトXです(笑)。一説によると1628年から米のとれる量が増えている、と言うことは400年の間、人々が米を増やそうと維持されてきたそのことが評価されたと思う」と述べられた。
調査にあたった岡山大学、樋口准教授の概要説明では、2008年から4年間、一ノ口井堰を守る会と協力して調査をしてきたこと、造られた年代は1721年の書物の記述が最も古く、
美作側を刺激しないように川の中央で途切れた「片持ち式」の斜め堰になっている、巻石構造が津田 永忠が関わったとされる日生(ひなせ)の「元禄防波堤」に似ていることなどが説明された。
そしていよいよ除幕式。まずは道路の降り口に作られた「超大型説明看板」。
白い布の前に市長他が立ち「号令」と共に紅白のひもを引く。
「おおー」のどよめき。鮮明な写真と白くクッキリした説明文が目に冴える。
続いて記念碑、すでに建つ「土木遺産」の記念碑に並んで据えられている。
これも市長他の方々により除幕。
「ほー」、こちらは石造り、味のある素朴な絵が象徴的。
この記念碑を製作したのは地元企業の「岡本石材」、施工したのは同じく地元の
「小坂田建設」共に式典に招かれ、紹介を受けた。
一連の式典が終わり、参席者は改めて井堰の上流へと足を運ぶ。あふれた水が勢いよく本流に落ちる様が暑い日差しの中で目に心地よい。
400年前と同じ水音を聞きながら、人が積み重ねてきた営みの深さに思いをはせる。
近隣の田では黄金の稲穂がこうべを垂れ、その上をトンボの群れが飛び交っている。
追記:帰宅後、記念として頂いた品を見てうなった。地元「建部米」の袋詰め、減農薬50%、化学肥料不使用のまさに建部井堰が導いた水で作られたブランド米である。
この一連の記念事業に力を注いだ建部支所職員の熱意が伝わって来る。
もう一つ、同封されていたのは今年9月28日より配布予定の、岡山市の魅力を伝える文学情報誌「うったて」に掲載された、
郷土の作家、小暮 夕紀子さんによる「建部井堰」訪問のエッセイ。
わずか2ページの文面に、井堰を取り囲む風景からその成り立ち、はたまた上空から見た井堰の姿を長い尻尾を持つ爬虫類に例えるなど、旅心が誘われるお話が綴られている。
建部は今、世界に向けて新しい時代に突入したと言える。
(レポート・写真 三宅 優 写真 岡山市作成 記念式典配布資料より)
(参考文献:岡山市作成「建部井堰」パンフ)
最近「フィールドワーク」という言葉をよく耳にする。
ネットで調べてみると「学校の教室や研究室といった室内で学ぶ教育とは異なり、戸外に出て調査したり聞き取りをする中で学ぶ」と言う意味が書かれている。
確かに記者(三宅)が子どもの頃は勉強は学校の机の上でするもので、外は遊ぶためのものだった
しかし子どもたちが外で遊ばなくなり、近所の人らと触れ合うこともなくなり、そうしたことで本来、遊びが持っていた”体験からの学び”が薄れてしまった。
今の若い親世代は、川に潜って魚を取ったことも、ヘビにかまれたことも、人の家の柿の木に登って枝が折れて怒られたこともきっとないと思う。
その親たちに育てられて成人した若者たちは、外のこと、すなわち自分を取り巻く環境について体で理解している部分は少ないのかも知れない。
9月12日(木)、建部町川口出身の奈良教育大学 准教授、河本大地さんによる「フィールドワーク論」の授業がここ福渡で、ノートルダム清心女子大学、文学部 現代社会学科の2~3
年の学生さん11名が出席して行われた。
集合は福渡駅、9時45分生徒さん全員が電車(汽車?)で到着。
地元からも支所職員の友谷清志さん、福渡在住の松下りえさん、そして記者が案内役で参加、大地さんのお父さん、福渡町内会副会長もお出迎え。
さっそく「行くぞ!エイ、エイ、オー!」を連呼(笑)。
と、元気を見せたのだが、外はすでに痛いほどの陽射し、体力的にどのように巡るのが効率的か、イヤイヤ、どこで昼食にするかが問題だ・・・学生さんの希望は1位「Yamada deli」(やっぱり、ね)
ただ、10数名を一度に収容するのはできないし、予約も不可なので・・・。
取り合えず、一番大変な「法寿山」山歩きを終えてから考えようと、一行16名はフィールドへと歩を進める。
*以下、中期高齢の記者(三宅)による”耳からレポート”、勘違い、聞き違い、理解不足に知識不足、多々あることをお許しください。
最初に寄ったのは建部町図書館、「えっ、山に向かうんじゃないの?」
記者の戸惑う中、すでに「大地流フィールドワールド」は始まっていたのだ。
(大地先生)「みなさん、私はその地域を回るとき、かならずそこの図書館に寄ります、なぜなら、そこに
地域の書籍コーナーがあるからです。それらは地元の歴史や文化を理解するうえで、とても役立ちます」
「な~るほど、最初にそこにある図書館に行く、確かに」むやみやたらに歩き回わっても何も見つからないわけだ。
次に立ち止まったのは「福渡第2保育園」、7年前に園児数が達せず閉園となった。
この園にわが子を送り届けた親、ここを巣立って行った園児、だれもがこの荒れ果てた園舎に過ぎ去った記憶を重ねずにはいられない。
突き当りの道が津山と岡山をつなぐ「津山往来」その前に立つのは自転車屋、今や町で唯一、ここがなくなったら、町のチャリンコはリカバリー不能、郵便局の配達バイクもここでオール修理。
津山往来を右折、国道53号に出て八幡歩道橋を渡る。ちょうど橋の下辺りに昔、「行こうか岡山もどろか津山ここが思案の深渡(ふかわたし)」と言われた渡船場(八幡の渡し)があった。
旭川の深場があった場所、そこから派生して「深渡し(ふかわたし)=福渡(ふくわたり)」になったと言われる。見事にそびえる大木は県の重要文化財「公孫樹」
振り向くと橋の中ほどで先生は学生たちに何かを説明しようと立止まったまま(笑)
「江戸時代、ここは旭川の真ん中で北と南、北は津山藩、南は備前に分かれていました、そこで、この上流に
長い堰を設けて川の水を向こうの備前側に引いたのです。一説には津田 永忠が関わったとされています」
目的の法寿山を目前に一行は”立ち止まることも多し”(笑)
備前側に渡り川沿いの歩道を歩く。
「いやぁ、この歩道が広くなったので、ほんとに助かります」そう言えば以前は細い危険な道だった、大地さんの言葉にそんなことも忘れていた自分を発見。
「これがその用水で、この上の岩壁はお題目岩で”南無妙法蓮華経”の字が彫られていたのですが、昭和9年の雨で崩れてしまいました」
記者からは「今はこのように防壁工事がされて、その様子(十字の杭)から”ロザリオの壁”と呼ばれています(笑)」
そうして法寿山の登山口、七社八幡宮に到着。
まずは、目下、開催中の「たけべ満喫クイズラリー」のスタンプをゲット。(でも、これって、絶対、地元の人が有利だよね?)
そこから、この日のためにと地元の人らできれいに刈ってくれた山道を登る。
学生さんたちはというと、意外に健脚ぞろい、「もう疲れたー」の声が出るかと思いきや、
「あっ、あっ、見てこれ、紅いキノコ!」「あっ、ここにも」と自然観察にも余念がない(笑)
ほどなく、目指すビューポイント「阿弥陀様」に到着。ここから旭川と福渡の家並みが一望できる。
北に通じる”津山街道”もクッキリ、ちょうど列車が鉄橋に差し掛かり、まさに撮り鉄さんもうらやむ光景。
先ほどまでの火照った身体も下からの涼しい風で心地よくなる、と、なるとやはり「あ~、おなかすいた」と誰の頭にも同じ思いが浮かぶ。
友谷さんの機転で「もう、下の八幡温泉で食事したらどうでしょう、みんな入れるし、予約しておきますから」
もちろん、この場においては反対する者なし、全員賛成!(笑)
目の保養もできたし、これから回る福渡の町の全景も把握した、あとは一気に境内へ。
お神輿が据えられる仮屋の前で友谷さんより10月13日(日)に行われる「建部まつり」の説明を聞く。
「たけべ八幡温泉」は源泉かけ流しである、その評判は年々増して、平日でも広い駐車場がいっぱいの時がある。それとレストラン、町の人らも何かにつけてここで昼食をとる人が多い。中でも日替わり定食は980円でその品目とボリュームで大人気。
「よっし、今日は日替わりにしよう」と固く決意した(?)学生さんたち、だったが、「残りあと4食です」の無残な通告(笑)
では、と、奮発して「八幡御膳」のボタンを、が「えーっ、これも終わっちゃったの?」敗北(笑)
その点、記者は地元にいて情報は確実、「天丼」をお願いする。(この天丼、カリカリ感が最高、タレが若干、辛目だが、これは食べるに値する!)
今日の昼食番付、どうやら、それぞれ別々のメニューになったようで、互いが互いの注文した料理が運ばれるたびに、「うゎー」とか「ああー、おいしそー」と羨望のまなざし(笑)
「人の食べてる物っておいしく見えちゃうんだよね、特にお腹がすいてるときは」(笑)
ロビーでは建部町出身のイラストレーター、神吉 李花さんの作品展を開催中。この催しは他の4か所のお店でも開催され、「スタンプラリー」もあって
全部のスタンプを押すと地元名産品がもらえる仕組み。
建部にいきなりスタンプラリーブームが到来!
先生から「三宅さん、私はいつもこのあとお昼寝タイムを取るのですが、学生たちはここでゆっくり休んだり、買い物をしたり展示を観たり・・・」
(ええーっ、まだ、主眼の福渡にたどり着いていないのに・・・)
でも、これこそが「大地ワールド」、決められたことをこなす必要もなく、その時、その状況の中で最大の満足を得られる一日にする。
記者はすぐさま「足湯」へ、この湯、4月からの「めだかの学校」での制作中に何度となく浸かりに来た、すると羽が生えたように足が軽やかに夜もぐっすり眠れることに気づいたから。
そのうち学生さんらもやって来て、「ポチャン、ポチャン」と足湯三昧。(そのシーンは失礼のないよう撮りませんでした)
そばを走る津山線を渡った所に「サニーデイコーヒー」がある。サニーさん、マル屋さん、スイーツチュプさん・・・「たけべ新聞」を始めた時からの仲間。
ここで食後のコーヒータイム、店内にあふれる豆の香り。
いつしか円卓が作られ、先生を囲んでの対話の時間、こうした自然の流れも「大地ワールド」、あらかじめ会話の方向性が決められているわけでもなく、たまたまここで出た話題が一つのテーマになることも。
記者が「最近、外国からの観光客(?)をここで多く見かけるようになった、それもごく普通にマルナカで買い物をしていたりする(笑)。
それは多分、それまでの東京、京都といった定番に飽き足らなくて、よりディープな日本文化に触れたいという成熟した外国旅行者の現れだと思う」と話したことで、
「ノートルダム清心女子大学では外国からの留学生はいますか」と聞き、
(学生)「ほとんどいませんね」
(記者)「でも、岡山大学のキャンパスに入ると外国の留学生が大勢、自転車で校舎を移動しているのに出くわしますが」と振ると、
(先生)「そういった観点で、地方における外国から来た人たちのコミューンや地域との関わりがどうなっているかを調べても、今の日本の姿や将来が浮き彫りになりますよね」とアドバイス。
解くべき課題は大きなテーマにあるのではなく、ごく身近で些細なところにある、「神は細部に宿る」(ミース・ファン・デル・ローエ)。
「サニーデイコーヒー」の店内に置いてある小さな鉢からは3つの芽、「コーヒー豆の木になった豆を植えたら芽が出たのです」マスターの説明に
「わぁー、コーヒー豆の赤ちゃんだ!」と感性豊かな表現に店主ご夫妻もご満悦。
目と鼻の先にある岡山市環境学習センター「めだかの学校」へと移動。
「ここでは三宅さんの石の作品と、隣の建部ヨーグルトのソフトクリームが第一目的です」
「えっー!」先生にそう言われても展覧会は9月1日で終了、作品は解体しました、ヨーグルト工房は臨時休業、どちらもお応えできません・・・・トホホ。
申し訳ない、せめて「インスタグラム」で観てください。
なんだか北の空が黒い、幸せ橋を渡り、本日のワーク場所、福渡に向かう前に怪しい空模様。
それでもここまで来たのだから、お土産を買うなら必見と建部町観光物産販売所にてショッピングタイム。
「ねぇ、ねぇ、このシャインマスカット、すごくおいしそう」「こんな大きなブドウが安いよ!」
迷えども荷物になるのに買うか やめるか、ここが思案の・・・(笑)。
急ぎ足で福渡商店街へ、商店の一角で町の人が学生さんの来るのを待っているそうだ。
明治時代の鉄道遺産「メガネ橋」を抜け、失くしたものは何でも見つかると言う「失せ物の神様(畔越大明神)」で手を合わせ(ただし見つかったら、お揚げをお供えすること、見つけてくれるのはゴンギツネさんだから)、走れー、大粒の雨がポッツン、ポッツン。
商店街の酒屋さん、今は廃業したお店の店内へ。
「ハヨ、ハヨ、中に入られて、腰を下ろして、ゆっくりして、ブドウとイチジク、めずらしくないけど、ここで採れたから食べてね」女将さん、前の旅館の女将さんも一緒。
「ずっと、遅いなあと待ってたけど、お一人、帰られたわ、何かお役に立てることがあればいいけど・・・」
外は先ほどが嘘のように叩きつける雨。
この雨が止む間、町の人と学生たちと、どんな会話が交わされたのだろう、女将さんと案内役の友谷さんによる昭和の頃の町の説明は覚えているが、大半はゆっくりと時が過ぎていった印象。
「この前の道を中鉄バスが走っていたのよ、ダムの工事で大勢の人がここで寝泊まりして、旅館も何軒もあってバーや、食堂、パチンコ、映画館まであったのよ」
当時の商店マップを見つけて来てくれた。茶色く、色褪せた広告地図、ここにかつての繁栄の「夢のあと」が刻まれる。
いつの間にか”雨あがる”。女将さんが「ああ、サッパリしたわ、もう、歩いて行けるわよ。
少しはお役に立てたかどうか、また、いつでもいらしてくださいね、年寄りだから暇にしてますからね」と冗談交じりに言う。
福渡の町、「肉屋」「魚屋」「薬局」「クリーニング屋」「郵便局」「銀行」「役所」「公民館」「国立病院」などがある、年寄りが歩いて必要とする所に行けるコンビニエンスタウン、こうして年寄りが顔を合わせて話せる空間の残る町。
それでもこれが最後の楽園となるかも知れない、我われはそれを守っていけないと感じているから。
そんな思いが、学生さんに伝わってしまったのかも知れない、それはマズイ、マズイ(とにかく年寄りは悲観的、明るい展望はなかなか語れないからねえ)
先に帰る生徒さんを見送りに駅へ。そこで同じ列車に乗るために来られた女性。
友谷さんが声を掛け、大地さんに紹介するも先生もビックリ、今日、巡った場所で押しに押したスタンプの作者、イラストレーター神吉李花さんとバッタリ!
学生たち、一斉に作品集を出しサイン攻勢、気さくに応じる神吉女史。奇遇とはこのこと、授業の締めは、出会いで締めくくり。
次の電車に乗ることにした残留組の目的は山田精肉店(Yamada
deli実家)の揚げたてコロッケ。
ここでも女将さんは「今から揚げるからちょっと待っててね」と気さくな対応。
一個ずつ袋に入れられた熱々コロッケを手にして学生さんも「もう、感激で、美味し過ぎて・・・言葉にならない!」(さすが、食べ盛り!)
先ほど出会った神吉さん、話を聞かせてくれた町のお年寄り、温かいコロッケ・・・福渡フィールドワークの1日は閉幕の時を迎えた。
(記者感想)
行く先々で何かを発見、立ち止まり語り合う、大地先生のフィールドワークを目の当たりにして、記者だけでなく学生たちもびっくりしたに違いない。
大地さんのフィールドワーク論は既成概念を持たず、そこに赴き、そこで聞き取り、そこで気づいたことから始める。
それて思い出すのは、記者が学生の時、教わった民俗学の宮本 常一先生。いつもマイペースで、下駄ばきでカバン代わりの風呂敷包みを持ち、学生にも気軽に声を掛ける人だった。
訪れた村を自分の足で一軒ずつ回り、そこの民家に泊まり、いろりを囲んでじっくり話に耳を傾ける、それがもっとも大切だと話された。
一方、大地さんのフィールドワークは遊びの精神に満ちている。行く先々で何かを発見し、子どものように立ち止まる、
「私がこれを始めたのは、田舎をもっと面白くしたいと思ったから、それはこの町に生まれた自分だからできる」との言葉にそれが表されている。
さて、この続きは今月18日に行われる「オンライン交流会」へとつながれていくとのことで、故に学生さんの感想もお聞きしていない。
いずれにしても、学生さんのフィールドワークは始まったばかり、長い人生の中で”自分で興味を持ち、それを自分の目で確かめ、そして考える”
そんな習慣が身に付いていくことを願っている。
(レポート・写真 三宅 優 写真提供 河本大地さん 松下りえさん 友谷清志さん)