■「新たけべの彩時季」
元旦に起きた能登半島大地震から3週間、今も救援活動が続けられる。一刻も早い復旧を願わずにはいられない。
この時期、建部町では例年、防災訓練が各地域で行われてきた。記者の所属する福渡町内会でも昨年に引き続き、建部町公民館と共催で「子ども防災教室」を実施、子どもを含め40人が参加した。
福渡町内の小学生は今や10名以下、少子高齢過疎化が進む、とは言え子どもは町の宝、将来を担う貴重な存在、その子たちに地域との関わりを持たせ、育む(はぐくむ)ことが重要だ。
昨今の年寄りは「私はもうこれから先はどうでもいい」と自分のことを述べるが、自分の後を気にかける様子が見られない。どんなに年取ろうとも、より良いものを
子や孫に残そうと努力するのが大人としての役目。
1月20日(土)午前9時半、第1会場となった公民館1階ロビーでは開始30分前から参加者が受付にやって来た。
本日のカリキュラムは第1会場で「避難施設の確認」「避難場所での避難の体験」「防災備品庫の確認」、その後、徒歩で第2会場(福渡コミュニティ)へ移動。
コミュニティでは昨年に作成した福渡オリジナルの防災カルタを使っての「カルタ取り」
、消防団による「消火器の使い方」講習、栄養委員による「炊き出し訓練」と災害救助用炊飯袋(ハイゼックス)での「炊飯体験」が組まれている。
参加者はオリエンテーションを受け、早速に避難施設を見て回る。
3階にある避難場所「和室」は25畳、20人ほどが収納可能。主に要配慮者を優先する対応となる。
部屋に収納された座布団を使ってのベッド作りや、マットと緊急毛布での休息の仕方を学習。
参加者から「こんな、畳のある部屋なら、くつろいで休めるから安心だわ」の声。大きな体育館での避難の実際を思うと、恵まれたスペースだと言える。
2階にはカーペットが敷かれた「図書室」が避難場所として使われる。コロナ蔓延時は感染者用の部屋に設定予定。
それ以外にも小さい子ども連れ家族用としても利用できる。収容数は30名ほど。これ以外にも会議室やロビーなど空きスペースが使える。
続いて徒歩で第2会場へと向かう、わずかな距離だがこの道さえ困難になるやも知れない。
コミュニティ到着、調理室から煮炊きのいい匂いが漂ってくる、被災地では温かい食べ物が求められていると聞くと後ろめたい気持ちになる。
昨年、「福渡みんなの防災団」では地域に即したものを作ろうと発案し「福渡防災カルタ」が出来上がった。
それを使って今回も「カルタ取り」を計画。
「忘れない大地震のあったこと」地域についてだけでなく日頃の大切な心がけも標語にした。子どもたちは耳で聞き素早く「絵」に反応する。遊びながら繰り返すことで学習が深まるのが狙い。
次は子どもが読んで、大人が取る番。「しあわせ橋は安全のシンボル」出水時に何度も流されてきた「しあわせ橋」が増水の危険を伝える。
消防団の団長さんが外で消火器の使い方を伝授してくれる、しかし冒頭「消火器の使い方を説明しますが、でもその前に、子どもは実際に火を見たら消そうとしないで逃げてください、そして大人に知らせてください」とのお話。
消火剤の代わりに入った水道水を鬼が描かれた的に向けて放水、鬼はすぐに退散、消えてしまいました(笑)
「もう、お腹が減ったよー」の子どもの声。みんなでお皿リレーで出来立てカレーを運ぶ。お皿にはラップを敷き、洗い水が少なくて済むようにした。
お年寄りが「こんな、温かいおいしいカレーを頂けるなんて、申し訳ないなあ」とポツリ。他の人もウンウンとうなづく。
能登でのニュースで伝えられた災害救助用炊飯袋(ハイゼックス)を使っての炊飯を試みる。鍋でゆで時間30分、味は「結構、いいよ」との評価。
しかし、やはり心配なのは、米が手に入るか、水は?火は、薪は? 鍋は大丈夫そう。
最後に子どもらの感想。
「避難場所がどんなだかよくわかった」
「カルタとりが楽しかった」
「消火器を使ったのがうれしかった」
「カレーがおいしかった!」(全員)
(記者コメント)
避難施設から福渡の町並みを眺める、ここに能登半島地震クラスの揺れが起きたらどうなるだろう。
そうした場合、着の身着のままで多くの人がここに来ざるを得ない、その時、最小でもどんな対応が可能だろうか、考えが頭で交錯する。
記者らが町の自主防災組織を立ち上げて4年目、かつての団塊世代がパワーを失っていく中、その役割だけは年を経るごとに重くなっている。
大切なのは同じことの繰り返しだとしても根気よく続けること、それと少しづつでも充実を図ること。
そのためには地域住民が協力し合い積極的に役割を担っていくことが重要。人任せは絶対にダメ、その時に泣くのは自分自身である。
(レポート・三宅 優 写真・松下泰成 松下りえ)
大変な年明けとなりました。能登半島地震で被害を受けられた方には心よりお見舞い申し上げます。
さて今月14日は建部町内では「とんど祭り」が行なわれ、地域の道すがらお飾りを抱えて歩いている人に多く出会いました。
とんど祭りは全国各地で行われて「どんと焼き」と言う地域もあります。新しい年を迎えた時、歳神様がやって来たとして家々に門松やお飾りを飾り供え、お餅やおせちを頂く日本風土に根ざした古来からの風習のひとつです。
「とんど」は小正月とも言い、歳神様が帰られ時、旧年の御札やお飾りなどを燃やして山にお帰り頂くために火を焚く行事です。
「とんど」は「どんどん」が訛ったとも言われ、高くたなびく煙でこれから一年間の無病息災を祈る行事でもあります。
雲一つない晴天の中で行われた田地子、富沢地区の祭りを取材しました。
いずれも、地区の役員さんが燃す木々や竹などを準備し、井げたやインデアンテント型に組み、焚きつけの松葉などを下に敷く方法です。
田地子地区では肥松(こえまつ)のトーチを厄年の人や子どもたちが点火、炎が立ち上がると参加者全員がこれを身体に受け、この一年の無病息災を願いました。
両地区とも、ぜんざいやミカンなどの振舞いで老若男女の年始めの交流会で盛り上がっていました。コロナで地域の交流や絆が薄くなってきた今日、こんな行事が大切だとつくづく感じました。(勝部公平)
福渡地区では町内の養護老人施設で「とんど」が行われる習慣があります。町中なので火を焚くことができない家が多いことから、ここに各自が持参し焼いてもらいます。
この日(15日)も沢山のお飾りやお札が運ばれ、昨年一年の感謝を伝えていました。
町から少し山に入った記者のいる石引自治会でも何十年も続いて「とんど」が行われてきました。
14日(土)の朝、自治会長さん宅の庭に班内の家族が集まり、たき火を起こしました。3世代がこうして顔を合わせ一つ火に当たる、忘れていた何かが戻って来たような、心温まる一時でした。
(レポート 写真・ 勝部 公平 三宅 優)