■「新たけべの彩時季」
里山に春がやってきた!
寒の戻りが厳しい今日このごろ、春の足音が一歩一歩聞こえてきます里山、田地子川の岸辺では桃や梅のピンク色の花がまばゆいばかりに咲いてます。
里山では黄色いマンサクの花が春の訪れを知らせてくれ、スイセンの花やネコヤナギの花が彩とりどり、日だまりではムクドリ、メジロがさえずり始めました。心がウキウキなり華やぐ春が近づいてますよー!!
(レポート・勝部 公平 )
2月4日は立春で、この時期に合わせて行われるのが立志式。数えで15歳になったことを祝う、いわゆる「元服」の儀式。建部中学ではこれに習い、毎年、中学2年生による「夢と希望を語る会」を開いてきた。
当新聞も2016年より取材を続けて来た。昨年はコロナの影響で当新聞での掲載ができなかったが、今年は建部町文化センター大ホールで開かれると聞き、聴講に赴いた。
この日、発表したのは33名の生徒、2年前より増加。以前は(2021年)の会では「ネイリスト」「ダンサー」「ラッパー」「アニメーター」と今どきの職業が希望に上がっていた。さて、今日はどんな夢が聞けるだろう、ワクワクとした気持ちで席に着く。
以下、記者の速記による発表のダイジェスト(掲載は発表順ではなくランダムです、聞き落としがあるかと思いますがお許しください)
「自動車整備士になりたい。母の車が故障して、直してくれるのを見て、人を助けていてカッコいいと思いました。将来は整備士1級を取るようがんばりたい」
「職場体験で建部支所に行きました。保健センターの人が八幡温泉で、みんなの安全のために働く姿が良いなと思いました。」
「アメリカNBAの選手になりたい。アメリカのバスケットリーグに入り、規模の大きいところでプレーしたい。キングジェームズのようなスゴイ選手と対戦したい」
「まだ夢がありませんが、姉が高校受験で毎日必死で勉強していたのを見て、姉のようになりたいと思いました。自分のことを決めてがんばっている人を尊敬しています」
「日本では過疎化が進んでいます、建部でも耕作放棄地が増えたりしています。私は建部の良いところをもっとPRして過疎化なくしたいです。去年、JRのSAKU美SAKU楽列車が福渡駅に来た時、わたしは吹奏楽部で歓迎しました。乗客が喜んでくれたことがうれしかったです。これからも建部の町おこしに参加したいと思います」
「介護福祉士になりたいです。お母さんが働いている職場体験に行き、苦手なことを言われたり、汚いものを片付けるといったことでも平気でやっているのを見て、なりたいと思いました」
「ソフトテニス部に入っています。友達に誘われたのがきっかけです。いい点は、友達といっしょに頑張れる、休まず朝練に行ける、部活のない時も友達と練習できることです。
テニスをやって分かったのは、がんばることで成果が出ることです、なのでこれからも続けたいです
「マクドナルドの職場体験で仕事の大変さを知りました。それでも職場の人が笑顔で応対して、終わった時、お客様にありがとうと言われ、それが実感できる仕事がいいと思った」
「美容師になりたいです。理由は美容師は専門学校で着付けなどたくさん勉強ができるからです。美容師になるには国家資格を取らねばなりませんが、お客様の要望通りにしてあげられる美容師になりたいです」
「小学生の時、転んで手をケガしました。病院に行き、手がジュクジュクするほどだったのですが看護師さんが、大丈夫よと言ってくれて安心しました。看護師は人の命を支える大切な仕事です、そのために今から勉強やコミュニケーション力を高めていきたい」
「英語を学びたいです。英語はイギリスが発祥の国ですが、今では世界の標準語になって多くの国で使われています。それで英語を学ぶことは大切だと思いました。そのためには、その国の文化を知ること、それと日本語を正しく理解しておくことが大事だと考えます」
「努力を続けること。私は努力を続けるのが苦手です。ですから努力を続けられる人になりたい、そのために、家で勉強する時、テレビを観ながらするのは止めるなどしていきたいです」
「保線員は鉄道のレールの点検や補修をする仕事です。私は職場体験でJRに行き、職員の人が一つ一つ、地味だけど大切な仕事をしていることを知りました。私は保線員になりたいと思いました」
「いま日本では誹謗中傷された人が20代で10%います。それは容貌に対してだったりします。私は誹謗中傷を無くしていきたいと思います。そのためには、まず人の個性を認めることが大事だと思います。私はイジメや誹謗中傷を無くし、そんな人を助けたいと思います」
「サッカー選手。小さいころから運動が好きで、小学4年生でサッカーの選抜に選ばれました。でも中学では劣るようになり、それで毎日練習して、今、県の選抜に選ばれるようになりました。サッカーは私に目標を与えてくれます、それが仕事になれば、もっとすばらしいと思います」
「タバコの被害のない明るい未来にしたい。タバコは吸う人だけでなく、まわりの人にも悪影響があります。またポイ捨てなどで町が汚れ、犯罪が増えるなどが起こります。
私はタバコ被害を無くしたいです」
「将来の夢、アドリブですが、家を建てる大工になる、自動車、バイクの免許を取る、大人買いする。自動車の免許はインスタなどでカッコいい写真をよく見るので、大人買いは見て楽しいのと旅行が好きだからです」
「父との約束、卓球の県大会で勝ちたい。父から新しいラケットを買ってもらった時の約束でしたが、父はその前に亡くなりました。私はサーブを見直したり早く打ち返す練習をして、次の県大会に出場して父との約束を果たしたいです」
「新聞記者。将来、ネットでさまざまなことを知らせるようになりたい。そのためには専門知識が必要で、読書やできるだけ多くのニュースを観たり、わかりやすい文字にすることや色を変えるなどの勉強をしていきたい」
「物を作る仕事。小さいころからプラモデルなどを作るのが好きで、父が自動車の部品を作る仕事をしているので、自動車部品を作る仕事に興味があります」
「決まっていません、でも、地域に貢献できる人になりたい。それと人の役に立つ人、それは相手も自分もうれしいと思います。
仕事に誇りを持てる人、労働環境を改善することも大切だと思っています」
「公務員です。それは親が公務員だからなのとお金も普通に稼げるからです。その中でも、子どもが好きなので福祉にたずさわる公務員になりたいです。そのため勉強やボランティアをして、人と人との交流ができる地域づくりに励みたい」
「保育士の仕事をしたい。保育士になるには資格を取り人とのコミュニケーションが大事です。私は認定こども園の職場体験で学んだことを活かしていきたいと思います」
「養護教諭は保健室の先生です。保健室は心のケアで、行ってホッとしました。今はまだ高校に行くことがまず一歩ですが、将来、頼りがいのある養護教諭になりたいと思います」
「NBAの選手。本場アメリカで戦ってみたいです、ジェーソン・ウィリアムスに憧れています、パスの上手な選手になりたいです」
「英語ができるようになりたい。私はJRの人が外国の人と英語で話していてカッコいいと思いました。そのために英語のテストの点を上げ、有名大学に行き、目標として英語でスピーキングできるようになりたいです」
「スポ少で野球に入りました。今は全国大会を目指しています。社会人になっても野球を続け、たくさんの友だちをつくりたいです」
「八幡温泉に職場体験に行き、人から、ありがとうと言われる接客業がいいと思いました。ほかにデザイナー、製造業、医者、農家。特に農業は祖父がおいしい野菜を作ってるで、すばらしい仕事だと思います」
「小学校の前に子猫が捨てられていて猫を飼うことになりました。それで動物が捨てられていることを調べて、そのようなことを無くしたいと思うようになりました。将来は預かりボランティアなどしたり、動物に関わる仕事をしたいと思います」
「部活でバレー部に入っています。きっかけは小学生の時、テレビで世界大会を観て感動したからです。中学では先輩の姿に励まされ、きびしい練習もしてきました。私はカッコいい先輩とバレーボールに出会えて本当に良かったです。これからもキャプテンとして頑張っていきたいです」
「医師になりたい。理由はコロナの後遺症を無くし、ウィルスを防ぎたいのと、地方に医療を届けたいからです。建部よりもっと医療の不足しているところがあります。私は患者の心に寄りそえる医師になりたいと思います」
「まだ決まっていませんが、学生の間に頑張りたいことがあります。勉強を頑張りたい、苦手科目を克服したい、部活のソフトテニスの部長になってまとめる力を身に付けたい、人とのコミュニケーションをできるようにしたいです」
「11月の職場体験を前に、自分の夢と向き合いました。私は小さいころバービーちゃんと遊ぶのが大好きでした、それでヘアーメークやスタイリストなどどれもいいと思いましたが、
自分に合った、今の自分が将来の自分になれるようにがんばりたいです」
(黒瀬教頭先生による総評)
今日の発表を聴き、みんな、しっかり堂々と今の温度感で語ることができた、立派な発表だったと思います。
私ごとになりますが、最近、父が亡くなりまして実家の美咲町で遺品整理をしました。その中に私が書いた作文が大事に取ってありました。
「将来の夢」と書いてある作文には私が「学校の先生になる」と書かれ、当時、人気になったテレビ番組で、デビューしたての水谷豊さんが主演した「熱中時代」というドラマに憧れを持っていたことが記されていました。
それでも、その後の私は節目、節目で、あの仕事がいいのでは、こんな仕事もあると迷う時がありましたが、子どもの頃に描いた夢が思い出されたのだと思います。
これから皆さんが人生の分かれ道に立った時、今、決心したことが頭に浮かび、進路を選ぶ指針になるのではと思いました。
(記者感想)
教頭先生の言葉に触発され、思い起こせば、記者も中学1年で「画家になる」決心をしたことが思い出される。そうして夢の実現を求め、美術大学まで進み、その後、挫折、サラリーマンとなった経緯。再び画業に入ったのは40歳を目前にしてで、そうさせたのは子どもの時の決意だった。
それでも70歳になった今だって順調に進めているわけではなく、その度に浮かべるのは「画家になる」その時の決意である。
(レポート・三宅優 )
年末に建部町公民館より「今度、子ども向けにハザードマップの学習会ができませんか?」の発案を受ける。しかし、今どきの子供は大人以上に忙しい、やっと月末で調整が取れた。
とは言うものの、さて、確かに以前より公報で出されている地域版ハザードマップは大人も頭に入りにくいほどのモノ。これを子どもに分かりやすくとなると「町を拡大した地図を描き起こすしかないな」
もう一点、「これだけでは子どもを退屈させてしまうのは間違いなし」そこで、当新聞スタッフで小学生の母、松下りえさんに相談。
「防災カードゲームをしたらどう?国土交通省でもカードゲームを出してるよ」
「それはいいアイデア!」さっそくダウンロード・・・したのだが、カードの内容がイマイチお役所的で面白みがない。
「う~ん、じゃあ、作るしかないか」そこへ、当新聞グルメレポーター(妻)
「だったら、犬棒カルタにしたら?」
と言うことで、犬棒カルタならぬ「福防カルタ」(福渡防災カルタ)に着手。
正月返上で3日3晩(実際は半月ほどかかった)
ポイントは2つ、「どうしても入れておきたい防災用語」「地域の防災で重要なこと」これに即して「ああでもない、こうでもない」と喧々諤々で文章をひねり出す。
「い」から「京」まで48枚が完成。密を避けるため、老人センターカルタ大会の回覧版のニュースを参考にさせてもらって、カルタの大きさはA4サイズにして、立ったまま取れるように新聞紙の棒を用意することにした。
1月29日(日)、子どもと保護者、町のお年寄り、栄養委員、スタッフ、公民館長の計29名が町のコミュニティハウスに集まり、
「子ども防災教室」が開かれる。杉山館長の挨拶の後、ハザードマップの学習をスタート。
(記者)「これは旭川、この上流に雨が降ると・・・さて、みんなのお家はどこですか?」
地図上で「雨雲」を福渡の町上に移動、透明シートに描かれたハザードマップをかぶせて、町のどこが「浸水」「土砂崩れ」の危険があるかを目で確かめる。
「ええー、僕の家、赤い色の中に入ってる」子どもの心配する声。
「だから、そうなっても困らないように準備しておくのが大切なんだよ」
ハザードマップに続き、本邦初公開「福防カルタ取り」
始めに48枚すべてを読み上げて絵を見せる。そして畳の上に並べ、新聞棒を手にした子どもたちが、まわりを取り囲み、始まり始まりー。
「雨の中でも逃げる時はスニーカー」「あっ、あったー!」
「犬も慌てて飛び出しケガをする」・・・最後の2枚はもう、全員が同時に「タッチ!」ジャンケンポンで決定。
参加賞は全員にトラベル収納ケースに入った「お楽しみ福袋」「わーい!」
子どもだけ楽しむのじゃ、つまらない?「大人も」と、今度は子どもが読んで、大人たちでカルタ取り。
「しあわせ橋は安全のシンボル」「ハイッ!」おばあちゃんたちの素早い反応に子どもらもタジタジ(笑)
3番目のプログラムは杉山館長が講師となって「消火器の使い方」授業。模擬用消火器から飛び出す水に子どもらが大はしゃぎ。寒波の中での水鉄砲は熱く終了。
時間は午前11時を過ぎたばかり、でも子どもらから「あー、おなかすいたー」の声。それもそのはず、コミュニティのキッチンからはカレーのいい匂い。
これ以上、待たせると暴徒化?(笑)、最後のしめくくり、栄養委員さん特製「カレーライス」で昼食会。
今日の感想は?
「消火器の水鉄砲が楽しかった」
「福袋がうれしかった」
「みんなで食べたカレーがおいしかった」
「カルタ取り勝負が楽しかった」
「カルタの読み上げができてうれしかった」
(追記)
この後、子どもたちは、野外授業に出かけたそうな。川を渡り、山を登り、ヤギを訪ね、「私たちの町は、こんなになってるんだ」
と、納得。
そう、防災のスタートは「まず、自分の住んでいるところを知ること」だものね。
(レポート・三宅優 写真・松下りえ 松下泰成)