■「新たけべの彩時季」
もうとっくに正月も明け、お飾りも取り払ったのに、気分は引き込もり状態。コロナ、大寒、光熱費高騰・・・心配事が多いためか、心も体も縮こまっている。
こんな時は災厄を祓ってもらいにお参りに行こう、と4週目の日曜日、「建部町健康づくり歩こう会」の建部郷六社巡りに参加。
朝8時、車の暖気運転に10分もかかるほどの冷え込みにもめげず、集合場所のたけべ八幡温泉駐車場へと向かう。
しばらく欠席が続き、久々に見るメンバーの顔。
マスク越しながら、目が張り切りモードに輝いてるのが分かる。新しい顔ぶれも加わり、今回の参加者は20名。
本田会長から新年の挨拶、そして悲しいニュース。当「歩こう会」の前会長、村岡さんの突然の訃報。
本当に長きに渡り、お世話をしてくださった村岡さんを偲び、全員で黙とうを捧げる
。
歩き始めは背中を丸め、腕をさすりながらの一歩一歩、徐々に体も温まり、少しづつ歩幅も広くなる。最初に詣でるのは「建部祭り」で有名な「七社八幡宮」
随神門の狭い入り口を見るたびに、よくこんな隙間を神輿が抜けるもんだと、いつも感心する。今年の祭りはどうだろう?やれるかな、やれるといいね。
広い境内にある本殿で、最初の願い事。
歩くことは、発見との出会い。誰かしら、何かを見つけ、何かに驚き、誰かの記憶を揺り起こす。
「今年は南天が赤いわねー」「やっぱり、寒いときれいに色づくのね」
「あら、あそこのお家にいつの間にか売り出しの看板が出てる」「どなたの家だったのかなあ」
畑には主人を待ちわびた夏の名残り。
富沢神社は石段がないので、お年寄りには詣り易い。あれ?でも、今年は鳥居にしめ縄が付いていないぞ。ここのしめ縄は他と反対向きに付けられているのが特徴で、結構好きだったのに。
中田天神宮までの山道の途中、去年と同じ場所で記念撮影。そして”心臓破り”と秘かに呼んでる、天神宮の石段。一段が高いので、登り切った時は太ももが張ってしまう。
それでも健脚者らはズンズンと進む。他人事ながら、山の上にあるお宮を維持する氏子の大変さを想像してしまう。
中田からは再び平野部に下り、建部駅前に出る。例年通り、ここの福祉交流プラザで休憩を取る。
今年で36年を迎える「歩こう会」その年間計画を皆で話し合う。時代とともにコースも変わり、歩く距離数も短くなって来た。無理をせず、それぞれに合ったメニューが選べる、
そんな自由さが長続きの秘訣だろう。
歩行距離「200キロ」達成の方に記念のバッチが贈られた。手帳には、いっぱいの紅いハンコ、その傍に
は几帳面に歩いた場所が。
「すごい、おめでとう!」(拍手)
さて後半は3社、まずは西原、厳嶋神社。平野部に在りながら、大きな木々が両脇に立つ参道。ここを歩くだけで神妙な気分になる。
ここで4番目の願い事、と言っても何かをお願いすることはなく、「今年も来れました、ありがとうございます」と唱えるだけ。
そこから中田新町を抜ける。江戸時代に岡山藩池田家が陣屋を置いた町。武家屋敷は取り壊され(これをそのまま残しておけば、今は世界遺産!)、商人家だけが
残ったが、それも洪水に遭いセットバックしたかたちで今の町並みとなった。
その旧家の一つ、「太田秀世家具工房」さんの玄関脇で見つけた今年の干支、毎年、奥様が端材を使って製作されている。
市場、眞名井神社、こじんまりしたお宮様。田では何を気にするではなく焚火。
最終、宮地神社。(本田会長)「あれ?入口、どこだっけ」
うっかりすると通り過ぎる、路地を抜けて田んぼに出ると、真っただ中に御らっしゃる。
境内に建つ「洪水記念塔」人の背の高さに水位が刻まれている。昭和9年、前を流れる旭川の氾濫。
参加した方が教えてくれた「うちのお爺さんがよく話してたの、大水で人が流されて、どうしようもなく、助けてあげられなかったこと」
脇には今年も愛しく咲く寒椿。
一行は正午過ぎには無事、集合場所に到着。
次回は2月19日。詳細はコチラ
(レポート・三宅優)