■「新たけべの彩時季」
「石で描くマティス展」動画
(ユーチューブ・1分36秒)
たけべ新聞8周年特別企画「石で描くマティス展」が、当新聞編集室ギャラリーにて開催された。
15日、底冷えのするガレージ展示場に大小、8点のマティス代表作を描いた石作品が並ぶ。前回「ゴヤ展」から5か月、この間、コロナの緩和から再猛威へと変遷し、ままならない時代への焦燥感が世の中に漂う。
この日、取材に来たoniビジョンの岡本記者から「絵画におけるマティスの最大の仕事は?」と聞かれすぐさま「色の開放」と答える。
これまで、色は何かを表すために(空の青、森の緑、人の肌色、リンゴの赤・・・)存在した。それを具体的なモノを再現するのでなく、色が主体となる絵画表現を切り開いた。
「色は色として味わうもの」まさに色がモノの従属から解き放たれる起点となった。
1905年、マティス「帽子の女」が発表された。その反響は天地がひっくり返るほどだった。赤、黄、青、黒、紫とチューブから出された絵の具が原色のまま塗りたくられ、額には緑の色が覆う。
「まるで野獣(フォーヴ)だ!」と叫んだ批評家の言葉から新しい絵画運動「フォーヴィズム(野獣派)」が誕生する。ルオー、マルケ、ブラマンク、日本でも里見勝三、萬鉄五郎、梅原龍三郎などがそれに触発されている。
ただマティス自身はこの後、徹底的な色の整理に入る。一枚の画面の中に最小限に必要な線と色を求めて孤独な戦いが続く。
これは記者が推測するに1917年前半までがその期間だと思う。この間の作品にはどれも背景に静寂があり、作家の自己を見つめる視線が感じられる。
元祖、ヘタウマとも言える「ピンクヌード」「豪奢Ⅱ」。
漫画チックで、およそこれまでの裸体画と似ても似つかない。この時のマティスの脳裏にあったのは、硬直化した西洋文化のアカデミズムをいかに撃破するか。絵画の自由への渇望。
エルミタージュ美術館の至宝「ダンス」空の青、地平の緑、オレンジの躍動する女たち。これに敢えて黄色と青のパネルを上下でなく左右で使う。
理由は
「とても難題な状況」で取り組みたかったから。2枚のパネルに一体感を持たせつつ、且つそれぞれが美しいかたちを追求する。
その後のマティスは復古したかのように、写実と抽象の折衷へと移る。長いスランプ、いや、大きく羽ばたくための模索の時だったのかもしれない。
リューマチを患い、車いすの生活に入ったマティスが辿り着いたのは「切り絵」。
「ブルーヌード」青い紙が大胆にカットされた曲線の形となって白い空間に置かれる。美しいのは「ブルー」の形?いや、切り取られた「白い」空間こそが美しい。
色を石の信号に置き換える仕事、それは絵の再現ではなく、石だとどうなるかを示すこと。主役は石であり、その石の個性が十二分に発揮されて作品となる。
石を並べる手が”ふと”止まった時、もうそれ以上、石を足すことはなく減らすこともない。最小限の石で最大の表現、目指すのは石のミニマリズム。
うれしい観客が来てくれた。T君、「それは、石にも命がある
ということですか?」
矢継ぎ早に質問を投げ掛け、作者を困惑させる(笑)
「いや、ぼくは、正直、今日、来たくなかったんですよ、あまり興味がなくてスミマセン(笑)、でも、観てみたら、なるほどーって、すごく、勉強になりました」
今度、上野に「ピカソ展」を観に行くそうで、「21世紀、第2のピカソ現る」が楽しみとなった。
「石で描くマティス展」動画
(ユーチューブ・1分36秒)
(レポート・三宅優)
今春3月、JR西日本主催の「ふるさとおこしプロジェクト」のニュースマガジンで当地が「福の町、福渡」として取り上げられた。それを契機として、7月、岡山デスティネーションキャンペーン
観光列車「SAKU美SAKU楽」をおもてなしするイベントへとつながった。
町民がこぞって参加する催しは大きな盛り上がりとなり、当新聞でも幾度となく取り上げた。
そんな町の姿が目に止まったのか、JR西日本岡山支社が主催する「第14回ふるさとあっ晴れ認定委員会」に「福の町たけべ福渡 たけべ福渡しプロジェクト」が「ええとこ」部門でエントリーされた。
これまで選ばれた「ええとこ」を見ると、国立公園・王子が岳や尾道市瀬戸田港など風光明媚な1級クラス。果たしてここに当地が並ぶなどとはハードルが高すぎ、でも光栄なことだ、精一杯、挑戦してみよう。
1日午前、この発表を任された記者(三宅)は会場となるホテルグランヴィアへと出かける。
会場となる3階広間では参加者、関係者の人らで、すでに熱気が充満。14回目となる今回のテーマは「持続と可能」。「ウーム、気軽に考えてたが、少し空気が違うぞ・・・」
「えぇとこ」「えぇもん」「うめぇもん」にエントリーされた13地区の発表者が席に座る。
続いて審査員が入場。一見してどの人も「相当、できそう・・・」
主催のJR西日本岡山支社、伊藤 暁「ふるさとおこし」本部長の挨拶。続く発表者13名の紹介。
えぇとこ部門
「真庭市 真庭あぐりガーデン」
「津山市 津山城西地区」
「岡山市 奉還町商店街」
「岡山市 福の町たけべ福渡/福渡しプロジェクト」(記者)
「西粟倉村 BASE101%/株式会社西粟倉村・森の学校」
ええもん部門
「岡山市 脱硫マッチ/中外燐寸社」
「赤磐市 岡山レース/岡山レース株式会社」
うめえもん部門
「笠岡市 喜多嬉かき/勇和水産」
「高梁市 高梁紅茶/百姓のわざ伝承グループ」
「矢掛町 石とカカオが生み出すチョコレート/石挽カカオissai」
「倉敷市 きびそば/富來屋本舗」
「岡山市 岡山カレー/OKAYAMAまちおこし隊」
「岡山市 畑でとれるアイス/AOBA」
聞いて「えっ、選りすぐりばっかり・・・」動揺が走る!
審査員の紹介。
「備前焼作家」渡邊 琢磨 氏
「フラワーエンターティナー」萬木 善之 氏
「株式会社 ビザビ代表取締役会長」 前坂 匡紀 氏
「湯郷温泉・ゆのごう美春閣 鷲羽山下電ホテル女将」永山 泉水 氏
「書家(玉葉書道会 主宰)」中村 文美 氏
「せとうち児島ホテルエグゼプティブシェフ」寺田 真紀夫 氏
「株式会社 辻本店 取締役製造部長杜氏」辻 麻衣子 氏
「エフエムおのみち パーソナリティー」河上 典子 氏
なるほど、思った通りの、その道のプロが勢ぞろい。 慌てて、スピーチ原稿に目をやる。
そう言えば、子どもの頃、発表がうまくできなくて泣いて帰ったことがあったことを思い出す(笑)
プレゼン開始。まずは、ええとこ部門の5地区から。
投影された一枚のスクリーンを前に、一人、2分間程度でのPR
と聞いてたが、各代表、気合が入ってかなり長め。
「やはり、もう少し、加えた方がいいのか・・・」不安がよぎれども、出て来るとき、妻から口を酸っぱくして言われた
「ぜったいに、これ以上、話したらダメよ!」を思い出し、踏み留まる(笑)
ええとこ部門が終わったところで、審査員からの質問へと移る。
「もっとも」と思える地域に質問が行く中で、内心「ホッ」、だったのだが、最後に「エフエムおのみち パーソナリティー」河上 典子さんから
「私は、黄色いハッピを着て来られた・・・」と話が向けられる。
黄色いハッピは建部らしい服装でと言われて持参したもの。誰もこんな格好をしそうにないので、ためらったのだが、今回、カメラマンとして一緒に来てくれた
「建部獣皮有効活用研究所 代表」の頼本ちひろさんから「三宅さん、それ(はっぴ)ぜったい、着た方が良いですよ」と
言われ、着用することに。
質問は資料として出した「たけべ福渡ウォークマップ」(誰が描いたのですか)
、記者=画家=10数年前に東京から移住=福渡町内会長と話が進み、さらに、流されても戻って来る「しあわせ橋」に至る。
気がつくと、一番長く話してしまったかもしれない、妻の怒る顔が浮かぶ(笑)
ええもん、うめえもん部門は、実際の商品、試食品が審査員に運ばれての進行。かつてのテレビ番組「料理の鉄人」を彷彿させる光景に、発表者の緊張が伝わる。
休憩を挟んでの最終発表。「あっ晴れ認定大賞」に、ええもん部門「中外燐寸社」「岡山レース株式会社」
うめえもん部門から
「喜多嬉かき/勇和水産」「石とカカオが生み出すチョコレート/石挽カカオissai」が選ばれる(おめでとうございます!)他のエントリーもすべて「あっ晴れ認定」を受賞。
最後に「株式会社ビザビ」前坂会長から総評があり、大賞選考がどこも良くて接戦だったこと、今日の参加者が岡山の旧来の住民と移住者の2つで構成されていること、
それらの力が合わさるかたちでの持続と進化に期待が持たれるとの趣旨が述べられた。
<そして記者の感想>
今回、参加して分かったのは、はっきりとしたポリシーを持った若者が
中心となって、ネットワークを最大限に活かして動いていること。
建部の山間に引き込もって気付かなかったことなのだが、そういった若い力が岡山(日本)を確実に新しい時代に変えつつあることを知り嬉しく思った。、
第14回ふるさとあっ晴れ認定品 マガジン
(レポート・三宅優 写真・ 頼本ちひろ JR西日本ふるさとおこしプロジェクト提供)