■「新たけべの彩時季」
「石で描くセザンヌとモネ」動画(ユーチューブ・3分30秒)
すっかり、ポカポカ陽気になってゴールデンウイークも間近、となればどこかに行きたくなるし、連れてってとせがまれる?
だがコロナ高止まりの岡山県、人の密集地は何としても避けたい、だとしても、いよいよ明日からゴールデンウイーク。それならこのページでゲージュツに触れてみるのはどうでしょう?
昨年から始まった、当新聞特別企画「石で描く名画展」、その第4回目「セザンヌとモネ」が今月、公開された。保管ができないので1日限りの展覧会となったが、その全容をお伝えしたい。
では、ゴールデンスペシャル企画「石で描くセザンヌとモネ」じっくりご鑑賞ください。
会場はいつも通り、当新聞編集室のある「ドレミファミリアアートギャラリー」のガレージ。ただ今回は2人の作家を並べるので、場所が狭くモネの大きな作品は前庭に展示。
襖3枚、長さ5メートルを超える作品は「柳のある明るい朝」の題名にふさわしく陽を浴びて偶然にも映える。
午前10時、同じ町内の人たちが次々と鑑賞にやって来る。
「まあ、ミヤケさん、今回はだれ?なんだか前より、もっと石が増えたみたい」(スミマセン、ついつい多くなって・・・)
「あっ、これは観たことある、ゴッホでしょ、自画像」(いえ、セザンヌの自画像・・・)
セザンヌ「グラスと果物ナイフのある静物」、そして「キューピットの石膏像のある静物」セザンヌが何十日、何か月も掛けて描いた作品。
並べられたリンゴはそのうちに腐り変色。
石膏像は腐らないと取り組んだが、時間を置くたびに描く位置が変わり、複数の視点が存在する絵画となる。
これが人だと、もっと大変だった。セザンヌのモデルたちは皆一様に不機嫌だ、それもそうだ、ちょっとでも動こうとすると「じっとしてろ、リンゴは動かない!」
それでも根気よくポーズをとったのは、モデル料が支払われたから。銀行家の跡取りは金持ちだったのだ。「トランプをする二人の男」「赤いチョッキを着た少年」
朝は室内で、昼食後は野外で、それが日課だった。
「サンヴィクトワール山」プロバンスにある名山を何枚も描いた。松林の間から、家並みの手前から、さまざまな角度で。
しかし、いつしかそれは山と空と大地が一体となって、光の黄と形を示す赤、深さを導く青によって作り出される色のハーモニーへと変わった。
晩年に挑んだ「大水浴図」、裸婦たちの顔はいくつもの線が引かれ、形を成していない、身体に至ってはまるで”丸太棒”。ほとんどの部分が描き残されたまま。
これに触発され、わずか10年後、ピカソは「アビニョンの娘」を着手。そして更にセザンヌの「自然は球体と円筒、円すいからなる」の言葉から「キュビズム」へと進む。
セザンヌは印象派と行動を共にするが、最終的には離れて行く。パリの空気が合わなかったことと、モネたち印象派が光のみを追いかけ、絵画の構築性に欠けることが不満だった。
しかし「それでも、何と素晴しい眼を持っていることか」とモネを讃えている。そんな印象派が「印象派」と呼ばれることとなった作品「日の出(印象)」。
光の中にたたずむ母子「日傘をさす婦人」モネの妻がモデルと言われている。
「ヒナゲシのある風景」描かれているのは、さん然と輝く光。それは時間を止め、その一瞬の生きているよろこびを伝える。
セザンヌは同じ風景を同じ時間にキャンバスを立て制作した。モネは同じ風景を朝、昼、夕と異なる時間に幾点も描いた。
「一枚で完成したと言うのは、放漫なことだ」(モネの手紙)この「積みわら」は夏の終わり朝の作品。
「舟遊び」は国立西洋美術館の所有。ジベルニーの庭に作られた蓮池に掛けられた「日本橋」、これも季節、時間を変えて連作が残された。
この石の作品群も光の効果に寄る部分が大きい。朝と午後、夕刻ごとに違う光を受け、石が輝く面、影をつくる面の変化。
モネ最晩年の大作、「柳のある明るい朝」、原作は全長12m。この作品の前に立つと観客は描かれた景色を眺めることは無理。 眼に入るのは色の連なりと筆触の動き、それが無限の空間へと導く。絵画が「眼(め)」だけでなく「身体(からだ)」で鑑賞する世界。
モネの作品を表現する上で、石が映えることそれを念頭に下地作りを進めた。
障子紙に青色ガッシュを滲みこませる。それを襖(ふすま)3枚に敷く、縦95センチ、長さ5m40センチの、原作2分の1のベース、20日間の闘い。
一瞬にの光を追い求めたモネ、永遠に変わることない真理を求めたセザンヌ、互いの残した業績は今も受け継がれている。
「石で描くセザンヌとモネ」動画(ユーチューブ・3分30秒)
(レポート・ 三宅 優 )
建部の朝は、靄(もや)立ちこめる。お花見あとの春気分なのだが、「うー寒い」
でも町内のあちこちから季節を伝える旬の情報がいっぱい、ウズウズと閉じこもっていたら気持ちがコロナに負けてしまう。
そんな休日の建部町、富沢を拠点とする「里山建部」では、今日、岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の「春の里山散策・たけのこ掘り」が行われた。
参加したのは市内中心部の家族ら6家族16人。参加者は先導車に誘導され、めいめい目的地に移動。途中、緑豊かな里山風景を楽しみながら。
会場に到着、目前には見事に整備された竹林、その下には「ニョッキ、ニョッキ」「グ~ン、グ~ン」たけのこ、タケノコが勢ぞろい。
タンポポの群生する草むらに設置された家族ごとのテーブル席、そこで講師のタケノコの育て主、松本さん、同じく杉本さん、竹細工、担当の河原さん、
そして当新聞編集長で里山の主宰者、勝部が紹介される。
その間、こどもらはと言うと、「あっ、何々がいる!」「わー、こんなのつかまえた!」開いた手袋に乗っていたアマガエル。虫取り網を振りまわして大はしゃぎ。
「でも今日はタケノコ掘りに来たんでしょ?」親の説得にやっと回れ右。
そこへ、80歳半ばを過ぎても変わらず竹林の保全に心血を注ぎ、竹を知り尽くした松本名人が来られ、その師匠がツルハシを手にタケノコ掘りの仕方を伝授。
「傾いた方の前から鍬を入れます、そうして両脇、また前、両脇、そうして前の根元からグッサリと打ち込んで、持ち上げ・・・」
「ウワッオー!」(参加者)
掘り起こされた見事なタケノコ。
そうして、いっせいに始まりました、見よう見まねのタケノコ掘り(笑)
「この辺からやってみよう、せ~の!」
・・・でも意外と地面は強固、ツルハシも跳ね返される。
それでも家族団結、「せ~の、せ~の!」唱えること数十回。
「あっ、チョッと動いて来た!」
グラグラ、ドシドシ、ウ~ン、コレデモカー・・・「ズサッ!」
ずっしりとした竹の子が登場。
掘り始めは手こづってたけど、慣れて来ると「もう1ッ個、掘りたーい」
「タケノコ掘り」、街の人ではやったことがないだろう、すっかり親子ではまり込む(笑)
午前中は肌寒く、お日様が恋しく思われたが、昼も近くなると日影に移り、時おりの風がすがすがしく感じられるように。
各参加者の手には苦労して掘り上げたタケノコ。どうして食べよかな、筍ご飯、天ぷら、煮物、チンジャオロースー・・・。
締めは編集長、勝部から。
「人と自然との接点が里山です。ここで人の手が入ることで自然は生き返ります。竹もそのままでは密集し荒れてしまう、タケノコを掘ることで林が生きていける。今の私たちに必要なのは、本来あるべき互いが共存する生き方ではないでしょうか」
会場を鳥越池ベースキャンプに移してからは自由時間。「竹切り体験」「竹トンボ」「竹笛」、講師の河原さんの準備した竹遊びに子ども(大人?)が夢中。
陽射しに移るシルエット、里山時間はゆっくりと流れる。いつの間にか子どもらは山のてっぺんに設けられた展望台、目がけて土まみれの登頂アタック。
こうなると親が止めても子は気かぬ、好きにさせましょう。
木陰に掛けられた網かごにはモンシロチョウ。それ以外にもいっぱいおみやげ見つけたのかな。
今日の感想文「たけのこのほり方をはじめてしった、しぜんにかんすること、なんでも行いきたい」
自然に関することたくさん身につけて、力強く・・・羽ばたいて!
(取材・勝部 公平 三宅 優 )
小さな桜を味わった先週だが、やはり「桜はたけべ」を自負する町民の思いは「見ごたえのある桜」?
2年間コロナで中止だった、たけべの森公園の「はっぽね桜まつり」が今日、開かれた。
記者は急に出店が決まった団体の手伝いで行くことになり、せっかくなので現地にて生発信。
午前9時、会場の芝生大広場にはこじんまり、テントが1,2,3・・・10テント、再開されたと言っても現状に応じた
縮小規模での開催。
それでも、建部で採れたての山菜、野菜、コゴミ、ワラビ、ウド、新玉ねぎ、ほうれん草が並ぶ。
「建部町観光協会」、地元ナチュラルスイーツの「チュプ」、地元ボランティアによる、うどん、シシ汁、山菜おこわ、地域の手作りいっぱいの「あったかブース」が並ぶ。
見覚えのある看板だと思ったら7~8年前?に当新聞グルメレポーターが描いた作品(笑)。
「朝の光で桜を撮りたい」広場の前に続く桜トンネルを行く。
身体いっぱいにサクラを受け止めながらの散歩、「小さな桜、豪華な桜、ともに今を謳歌」
名所「藤右衛門桜の小径」は桜より山ツツジが見事。辺りにはミツバチの「ブ~ン」が飛び交う。
広場では若者たちによる「ヒップホップダンス」軽やかな衣装とリズミカルな動きで観客を引き付ける。
スマホを構え前を陣取るのはパパママ親衛隊。
「子どもらの3年ぶりの演技を逃してはならぬ」撮り手の熱い思いがつたわる。
続いて登場は「建部はっぽね太鼓」。同じく3年間のブランク、練習もほとんどできなかったと聞く。
第1打の「ド~ン!」、瞬間に「ああ、この音・・・」何とは言えない感動が沸き起こる。
「そ~れ!」
「どっこい、どっこい、どっこい・・・」
「そ~れ!」
ピーピーピー ピーヒャララ・・・笛が唄い大太鼓が吠える。一打、一打、いつくしむように、まるで長い眠りから覚めた獅子。
休憩所の中央テントや芝生に敷いたブルーシートには、まだお昼前だが大勢の「花より団子」
会場はとにかく広い、コロナの感染密度は薄く、心配することなく楽しめる。
「ねえねえ、私も撮って」ギャラリーの注文を受け「パチリ」
大人も子どもにも人気?駄菓子屋さん、綿菓子はフル稼働。スイーツ「ちゅぷ」にもひっきりなしのお客さん。 大事そうに駆けてきた子どもの両手にはラーメン。
再び、広場催し場、「お待たせしました」と「晴吹」出演。今も3年前のにぎやかだった演奏シーンが浮かぶ。
管楽器のチューニングの後、代表の佐藤さんが、相変わらぬ軽妙な語りで曲紹介。知っているメロディが奏でられると会場からは手拍子。
「パプリカ」では子どもらが体をくねらせながら手を叩く。
大きな拍手で迎えた「アンコール!」
「宇宙戦艦ヤマト」の演奏と船長に扮する歌い手のパフォーマンスにお花見気分はここで最高潮に。
見る物も見て、食べるものも食べて、・・・観客は帰るでもなく、さらなる挑戦へ。
丸太切りをする人、消防士に挑むちびっ子・・・。
さあて、そろそろ帰りの仕度をするか、でも、ラーメン「あがりゃんせ」と「建部ヨーグルト」には長~い列。
(取材・三宅美恵子 写真・三宅 優)
4月最初の日曜日、鳥のさえずる声に目を覚ます。廊下のカーテンを開けると、まばゆいばかりの光。
「そうだ、やっぱり桜を観に行こう」
これまで6年に渡って、たけべの桜を取材してきて、でも今年はコロナが収まらないこともあるけど、どことなく気分がのらない。それが、きれいに晴れた空を見て「今日が、もったいない!」。
家を出て、坂道を下るとすぐの山に桜。クマザサに覆われた中にスクッと立つ。道々の畔や畑にはタンポポ、すみれ、つくし、家々の庭にはジンチョウゲ、レンギョウ、ユキヤナギ、ヒメコブシ、さまざまな花が咲き誇っている。そんな中を散歩しながら町中へ。
今は医療専門学校となっている旧福渡高校の校舎前、桜が迎えている。
そばに残された当時の碑、「自ら学び 我が道を 雄々と 行かん」福高の学生たちの声が聞こえて来そう。
隣の山あいにある妙福寺。門前にこれぞとばかりの桜、「まるで京都にでも行ったみたいじゃ~ん」
まわりでは、ブンブンと日本ミツバチが収穫中。山門の両脇に睨みをきかす金剛力士も今日ばかりは花見を楽しんでる様子。
傍らの今月の聖語を拝読すれば、「仏くようの功徳は莫大なり」
仏さまに会いに来たんじゃないけど「多いに眼福、莫大なり!」
そこから線路伝いに山すその小さな公園へ、「福渡上ちびっ子広場」。ちびっ子じゃないけど(笑)。
「ブランコで サクラ眺める また楽し」来年は弁当作って食べに来たいな。
郵便局までテクテク、八幡橋のたもと、そこから向こう岸に渡りトボトボ。変わりなく満開の姿を見れたことに感謝。
そこから右岸に沿ってトポトポ、二差路におわします交通整理の桜巡査。
対岸を望むと幾台も車が停まってる。そろそろ、カヌーの季節だね、きれいになった幸せ橋での応援は始めてだよ。
「めだかの学校は~」春の小川広場はお客さまでいっぱい。
「ママー、おにごっこしよー!」桜の下で、子どもと親の遊びの時間。
建部っ子たちの学びの場、建部中学。桜は刈り込まれこじんまり、でもこのシーンを見て思い出す卒業生は多いと思う。
親水公園。建部町の自慢、建部文化センター。その土手沿いに、まだ若い桜並木、旭川のせせらぎ、独占しようもないほどの河原、子どもらが駆けめぐる。
しあわせ橋を対岸に戻り、サクラ河川敷を行く。若い人たちがてんでに車を止め、家族時間を満喫。
以前だったら「ユニバーサル」だの「ディズニー
」だのに行ってただろう世代。コロナのおかげで却って自分の身の回りのいいところを見つけられたのかな。
帰路に着く。石引川の桜、これまで幾度となく、この下で宴を楽しんでいた人たちの顔が浮かぶ。
あの人、この人、少しづつ「さまざまなこと思い出す桜かな」(近くに建つ、松尾芭蕉の句碑)
福渡八幡神社、室町以前にさかのぼる由緒正しいお宮様。そこで広がる桜に手を合わせ、今日、一日に感謝!
(おまけ)
ギャラリー前の桜をバックに、今年もサン太(愛ネコ)といっしょに「ええニャー、さ・く・ら!」
(取材・三宅美恵子 写真・三宅 優)