■「新たけべの彩時季」
久方ぶりの「たけべ人」紹介。
コロナは猛烈なハリケーンのごとくに地球上を席巻、未だにその落ちつき先も、今後の影響も予測がつかない。
誰もがかつてないほどの不安と手探りの毎日。それでもはっきり言えるのは、どうであれ人は生きていかねばならず、その基盤となるのはしっかりとした自分の足元。
今回のたけべ人、生まれも育ちも建部、この地で就農の道を進む入野龍之助さん。
(聞き手・勝部 公平 写真・三宅 優)
入野 龍之助(いりの りゅうのすけ)
1987年建部町生まれ(34歳)
建部中学から岡山理科大学付属高校に進学。
姫路の大学を卒業後、JA岡山に就職。
7年間の勤務を経て2019年5月、実家にて農業に専従。
目下、ぶどうの生産に力を注ぐ。
妻子と両親の7人家族。吉田在住。
(聞き手 勝部 公平) (ハウス内のブドウを前に)いや、すばらしいですね!これは何と言う品種ですか?
(入野)「シャインマスカットですね、今はこれだけでやっています」
今年の出来具合はどうですか?
「自分として、すばらしく良いとも言えないけど、今のところ、まあまあの出来だとは思います」
棟(ハウス)はいくつあるんですか?
「ハウスとしては5棟あるのですが、収穫しているのは1~4棟、次の準備とかも行いますので」
何房ぐらい収穫するのですか?
「うーん、どうですかね、天候にもよるし、2000から3000房、獲れるでしょうか」
一本の木でどれくらいの年数、収穫できるものなんですか
「植えてから10年から15年位は実を付けてくれますかね、この前の木は、僕が若い頃からありましたので、たぶん15年は経っているでしょう」
ハウス内ではこうした大きな機械で温度を保ちながら育てていくんですね、経費も掛かりますね
「そうですね、重油で温暖するのですが、経費は致し方ないですね、必要なことなので」
(場所を変えて)さて、さっそくですが、お生まれから今日までの経歴を教えてください
「1987年生まれの今年で34歳です。竹枝小から建部中学、岡山理科大付属高校、そのあと姫路の大学に4年いて、
卒業してからはJA岡山に7年間、勤務していました。2年前の2019年5月に吉田に戻って就農しました」
学校では何か部活とかされていましたか
「小学生のころはソフトボールで、中学、高校、大学ともバスケをやっていました」
お小さい頃から農業に興味がおありでしたか
「いえ、まったく(笑)、でも親がしているのを見ていたし、籾播きとかも手伝っていましたから」
JAではどんなお仕事をされてましたか
「営農を担当していました。ネギとか黄ニラの野菜部会を主にまわって農家の要望に対応して来ました」
じゃあ、その間の経験が今、活きているわけですね
「そうですね、まったく関係のない仕事ではなかったので、農業経営の大変さや高齢化の問題を身近に感じてきました」
(農業をやろうという)直接のきっかけは何かありましたか
「子どもの頃は継ごうとは思いませんでした、長男なのでいつかはというくらいです。でも、やめる1年ほど前から、この施設を定年退職してから受け継ぐのは難しいし、
親が元気なうちに教わった方がいいと考えはじめました。親からは農協に入ってからも、継げとは言われませんでした」
ブドウ農家を専業でやるのは建部ではあまりないのでは?
「ええ、これで生活していこうとするのは大変かなと思います。どうしても増やしていかなくてはならないし設備投資もある、僕は基礎があるのでやれているわけで。
野菜も作ってもいいんだけど結局、土地がいるし、まとまった使いやすい土地が特に必要で経営を成り立たたせるまでがむつかしいと思います」
その年代で農業をする人も少ないでしょう
「おそらく30代の僕なんかが一番の若手で、ほとんどは高齢者になります。野菜をやっている石井さんとか若い人は、まだごくわずかだと思います。
昔は家族で田植えの準備とかしていましたが、今はそうもいかず、歳を取ると体がうまく動かなくなるし、何人かでまとまってやるしかない」
そういう役割として営農組合があるのですね。組合の人からも学ぶことが多いのでは?
「ええ、僕は”戦後”を朝ドラでしか知りませんが(笑)、皆、戦後世代なので、ほんとにたくましくて、精神力、体力がたぶん違うと思います。
自分で生きていくことだけを考えていたと思う。今は自分で何とかしようではなく、すでにあるものに乗っかろうとするのが普通な時代ですから」
今の現状とかはどうお考えですか
「まあ、今はやはりコロナですねえ、特にお店をやっている人は大変だと思います、これからどんどんやっていけなくなるでしょう。
特に銀行から借り入れしているところは、いつかは返さなくてはならないですから。
逆にそういう流れで、田舎に帰って来る人が増えればいいとも思います。僕は都会で狭い家に住むのは苦手なので、それに無理して住む必要もないし、
コロナになると都会ではどこにも行けないですから。特に建部で言えば国道が中を通っているし、天候も比較的安定しているので農業をやるには好条件かなと、それにここは子どもが運動不足にならなくてすみます(笑)。そういった意味でも、この建部は住むには最高のロケーションだと思います」
これからの目標は
「ブドウで雇用を作ること、ここで仕事が見つからない人に一つの選択肢として仕事を提供できるようにしたいです。
それと将来的にはピラミッドをもっと大きくして、建部をブドウの産地にする。あとは皆が帰ってきても生活できる田舎にすることです」
どうも、ありがとうございました、ご活躍をお祈りします
(後記)
久しぶりに出会った、向上心の高い青年。
ご両親とは旧建部町時代からのお付き合いで、
お父上はブドウ栽培と稲作耕作を中心に地域の推進力として活躍。
お母上は町の高齢者・障がい者の支援施設で弱者に手をさしのべる活動をやって来られました。
そんな環境で育った若者が地域に戻って来た。
インタビューで
「働き場を増やす、雇用ができるような建部を目指したい」との頼もしい抱負を聞き、記者も感動を覚えました。
(勝部 公平)
久しぶりに早起きした午前7時、「朝だ、朝だーよ・・・♪」と口ずさみながら、歩いて「福わたり朝市」に出かける。
まん延防止処置で建部町販売所が臨時休業、出荷先を失った農家は大困り。そこで苦肉の策と急遽、その期間中(毎週~9月12日迄)土日に朝市を開くことに。
それを聞きつけて、福渡町内にも「緊急」の印が押された「お知らせ回覧板」が回った。
会場となっているのは国道53号沿いの建部トンネルを抜けて、すぐ右手の「八幡モーテル」駐車場。そこまでの道すがら何人かの自転車やバイクとすれ違う。
「早う、行かんと無くなるでぇー」近所に住むKさん。後ろのかごには大きなカボチャとナス。
白いテントが2基、、広い駐車場の隅に張られている。青いコンテナに並んでいるのはピーマン、オクラ、モロヘイヤ、ナス、玉ねぎ、キューリ、ジャガイモ、ツルムラサキ、トマト、ゴーヤ、ミョウガ、シソ、メロンウリ、カボチャ、ニラ、どれもがほぼ100円代、生花も並ぶ。大きなカボチャには「私、おいしかったです、食べてみて」の生産者のコメントが。
「あれ~、もうトマトがこれだけになってる、皆、早いわねえ」
知り合いのご婦人、慌てて来たそうだが、もっと先の人がいたらしい。
重たそうなカメラを抱え、そんなテント風景を収めているのはオニビジョンさん。
(記者)「朝早くから、ご苦労様」(オニ)「いえ、そちらこそ」
そのうち、近隣の人たちがほぼ出そろい、距離を保ちながらの会話。
「まあ、久しぶりねー、元気にしてた?」「まあどうにかねえ、そっちだって変わりはない?」
並べられたケースはいつの間にか買物難民の人たちにより半分ほどが空っぽに。
「まあ、明日もあるから、一番で来るわ」「そうよね、来週もあるから助かるわ」
農家と消費者をつなぐ朝市は、人と人の顔をつなぐ”いち(位置)”でもあった。
「福わたり朝市」は明日、9月4日、5日、11日、12日、朝7時から9時まで開催(少雨決行)。
(レポート・三宅 優)
以前、知り合いのお年寄りが車イスの生活になって聞かされた言葉。
「今思うと、何が悔しいかというと、もっと若い時にやりたいことをやればよかったとかでなく、つい最近のこと。
その時は歩けたのに、私はテレビの前に座って笑っていた、なんで一生懸命歩かなかったのだろう・・・」
失って初めてわかる、”自分の足で歩く”、この当たり前のことの大切さ、歩けることの喜び、そしてそのことへの感謝。
久しぶりに晴れ間がのぞいた日曜日、岡山でも蔓延防止で自粛が続く。せめて外に出て自然の空気に触れ、気分を解放しよう。
第411回目となった「建部町歩こう会」にこの日、同行
。
行程は例によって八幡温泉駐車場に集合、そこから親水公園の上の大宮橋を渡り大田地区へ。4つの神社とお寺を巡る、約8キロのウォーキング。
朝8時、参加者15名がそれぞれに距離を取り、マスク着用、会話も控えめに、いざ出発!
歩き始めて30分、すでに背中はビッショリと汗。道沿いの斜面にはいくつもの鉄砲ユリ。最初の目的地、熊野神社。
階段の数を確認してから自信のある人たちがお参り(記者断念)
そこから裏道を妙円寺へ。ここも自信のある方にお任せ。
途中、メンバー宅で休憩。ホッとくつろいで遠巻きでの会話。
「今日もなあ、どうしようか迷ったのよ、長く歩いとらんし、歩けるじゃろうか心配で、でもなあ友だちと会うのが元気になるのよ」
「そうそう、私だってそうよ、毎回、どうしようかって、でもなあ来てみたらやっぱり、楽しいのよ」
日吉神社、階段数、少にてお参り。お賽銭箱は本殿の中、最近これを狙ったドロボーが出没、まさに「罰あたりな奴」
天津神社、ここも結構、上まで行く。下りてきた時は11時も過ぎ、やがて誰ということもなく「う~ん、この先の天降布勢神社は次の機会に・・・」
遠くに青空、地上の天然サウナの中、気心知れた人同士、国道484号を出発点に向け、歩を進める。
次回は9月19日(日)行先は「吉備津彦神社&吉備津神社」
詳細はこちら
(レポート・三宅 優)
オリンピックが終わり、コロナは予想通りに拡大、今年もお盆の帰省をあきらめた人たちが、郷里に思いを馳せる。 西日本一帯は盆間中は大雨予報、一難去らぬ間にもう一難を迎えるか?何ごともなく過ぎてほしい、そんな願いの中、盆入り直前の建部の今を届けます。
8月11日、朝7時、今日も気温が上昇の気配。津山街道を石引乢を抜け上山へ、山頂の眺めを堪能。吹きよせる風にリラックス。
豊楽寺へ往く。お墓参りで行き交う車も多い山道もことのほか静か。仁王門の雄姿が迎えてくれる、何百年も変わらずここに建つ。
そのまま下神目に下る、途中に見事に咲いた蓮の池。 誕生寺川に出ると”水階段”が清々しい音を上げて流れ落ちる。
せっかくなので延江農園さんのアイガモにごあいさつ。
三樹山に抱かれて鎮守する志呂神社に参拝。
福渡駅、今年はここで「おかえり!」と出迎える光景も少ないだろう。 裏手の妙福寺では盆前の墓掃除に訪れる人がたえない。墓地の脇には「チアガールのボンボンみたい」な百日紅(サルスベリ)が満開。
商店街を抜け再び53号を南下、吉田の交差点「キシモトケーキ」の真ん前。この春、完成したばかりのコミュニティセンターは軽快な感じの建物。 これで大雨洪水警報が出ても心強い。
車で帰省する人が必ず、まっ先に目にするのはおそらくこの看板「ようこそ建部へ」
そこから旭川と土師方川の合流地点へ、ここから見える川の広がりは雄大。
建部駅、ちょうど岡山からの列車、12時30分着が入線。降り立ったのは2人、乗車はゼロ。 それでも駅舎は変らぬ風情で乗降客を待ち続けている。
建部小学校に向かう。周りを見渡すと青々と育った稲、「これぞ建部平野」の景色が広がる。
校庭の「タイヤのお山」も今日はひっそり。
建部上の七社八幡宮から山へ登る。記者とグルメレポーター合わせて127歳、「もう二人で登ること、たぶんないだろうね」と語り合いながら往く建部古道。
15分ほどで阿弥陀様、せっかくだからお賽銭とお茶をお供え。昔、遠足で誰もが眺めたゆったりとした旭川の流れ、鉄橋を津山線列車が通過する。
下山し「しあわせ橋」を渡る。今は水量は少ないが、カヌーの会場となる巨石の組まれた付近では白い水しぶき。ここはいつだって心が洗われた気分。
建部町観光物産案内所ではシキビが山盛りに、車が止まる度にそれを買い求めていく人。
八幡温泉にUターン、駐車場に新しくできた温泉水スタンドで「お家で温泉」気分を味わうのも一案。ここまで来たら足湯でミニ温泉も良い。
岡山市環境学習センター「めだかの学校」で気持ちよく水槽を泳ぐのは、天然記念物のアユモドキ。他にも旭川の魚たちが勢ぞろい。建部中学校ではは体育館の壁画とソテツの木がレトロ感いっぱいに健在。
今やたけべの台所となったスーパー「マルナカ」そして隣には「ザグザグ」。お盆中はいつも見慣れない若い家族連れでいっぱいになるが、今年は?それでも最近、車の数が確実に増えている。
お題目岩の前に立つ。「題目の岩にしみいるセミの声」 八幡橋のブルーのアーチを横目に最終地点福渡小学校へ向かう。
夏休みの校庭、つまらなげに遊び相手を待つブランコに吊り輪。
令和3年8月11日午後3時、福渡小学校の今。
(レポート・三宅 美恵子 写真・三宅 優)
「やっぱり、生のいい演奏は違いますなあー、ホンマに良かったわ」「普段、聞けない各楽器の紹介が楽しかったです」「あっという間でした、もっと聴きたかったわ」
本日、建部町文化センターで行われた「こども音楽鑑賞教室in建部」、終了後の大人の感想はまさに絶賛。子どもたちはというと、演奏中に退屈したふうな子は一人もおらず、一曲ごとに盛んに拍手。
開演、午後1時半、コロナの規制で一席間隔に設定された大ホール1階はほぼ満席。若い親子連れがほとんど、それと音楽好きの町内の高齢者(記者含め)。
2時、開演のベル、演奏者20数名が登壇、そして指揮者、山上純司 氏の登場。
1曲目 「ダダダ ダーン」といきなりのベートーヴェン第5番「運命」。各楽器がその与えられた旋律をみごとに奏でる。1楽章が終わり、指揮者から子どもにもわかりやすい
曲の説明がなされる。
2曲目、オッフェンバック「天国と地獄」より「カンカン」、運動会やカステラのCMでおなじみだ。自然と身体が動き出したくなる軽快な演奏。
そして楽器紹介へ。弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器、ピアノとそれぞれの演奏者が音色を披露。聴衆は 「へーこんな音がするんだー」と感心したように首を縦に振る。
4曲目「ディズニーメドレー」パレードで流れる曲、これも楽しいリズミカルな演奏。
最後に最近まで話題だった「鬼滅の刃メドレー」バラード調の悲しみのこもった旋律に会場がシーンとなる。
盛んな拍手に応えてのアンコール曲はヨハンシュトラウス
「ラデツキー行進曲」。大きな手拍子、小さな手拍子、聴衆も演奏者の一人になって参加、場内が一つになった。
わずか1時間だが満ち足りたコンサートに足どりが軽い。
昔のテレビで流れたおなじみの口調で 「いやあー、ホントに音楽っていいですね!」
(レポート・三宅 優)
昨夜は北の空に花火の音が聞こえたような。「そうか、志呂神社の夏越祭だな」
ステキな演奏会から帰ってきた夕方、記者地区で行われる八幡神社の同様の祭りに出かける。
120の階段を昇ると、すでに数十人の年配者がお待ちかね。
井手総代長を先頭に「水無月の夏越の払いする人ぞ 千歳の命 延ぶと言うなり」と和歌を唱えながら、茅(ちがや)の輪をくぐる。
去年、お会いした人が今年は一人二人とおられない。1000歳(ちとせ)とは言わないまでも、もう少し長く居てほしかったなと頭をよぎる。
この異常な暑さとコロナの災禍、皆、不安を抱きながらの毎日。しかし、それでも前へと歩まねば暮らしは成り立たない。
できれば、今日の岡山フィルコンサートで指揮者、山上純司さんが最後に言われた「勇気をもって生きていこう!」を合言葉に。
(レポート・三宅 優)