■「新たけべの彩時季」
(レポート・勝部 公平)
7月10日朝10時、富沢の里山建部広場に国旗が掲揚され「ボーイスカウト都窪・第2団」のキャンプが開かれました。
団員25名はテキパキとした行動でテントの設営、本部用のターフテントに備品の配置、仮設トイレの設置などの準備を進めます。
日本ボーイスカウト連盟は、1911年神奈川県の片瀬海岸で当時の乃木希典大将が最初のキャンプを行い、以来脈々と奉仕の精神を行動規範とした青少年育成スカウト団が活動しています。
都窪・第2団は庭瀬・撫川地区を中心とした活動をさかんに行っていて、建部の里山を会場として選んだ理由としては、第1に自然が豊かで地域を大切に守っている。
二つ目は自分たちで火を熾こし、炊事やキャンプファイヤーができることだそうで、あらためて人と自然の大切さを考えさせられました。
翌12日には、朝5時からテントの撤収、朝食の準備、朝礼と、規則正しい行動に感心させられました。
少しプログラムが遅れると団長から「自分たちで建てた計画なので、自分たちで完遂するように」との指導がされます。最近の子育ては楽しければいいという風潮がある中、人間社会に大切なリーダーシップの育成や行動規範のあり方などの体験がキャンプ活動の随所に表れていました。
この日は里山建部のメンバーたちも数カ月ぶりの例会で12名が参加し、池周辺の草刈りや植栽した桜の下草刈りなとを行いました。
池の周辺では、子供たちとの明るい挨拶が響いてきました。
最後に、団員たちは冬の間に作っておいたマキの運搬を手伝ってくれ、さわやかなしめくくりで帰途に着きました。
追記:参加したボーイスカウトの指導員さんとの一問一答
(記者・三宅)「ここでのキャンプはどうでしたか?」
(指導員)「自然に戻って、火が使えて、しかも歩いてスーパーに行けて、おまけにおいしいアイス(建部ヨーグルト)も食べれた(笑)、もう最高でした!」
(レポート・勝部 公平)
少しづつ落ちついた日常が戻りつつある、町中の行事も小規模ながらも再開され始めている。
この日、建部中学では「たけべ学習」が行われ、そのうち1チーム(1年生から3年生までの縦割り編成)が学校近くの田地子川で「生きもの調査」を行った。
午後2時半、20名程の生徒が網とバケツを手にどんよりとした空の下を歩いて河岸までやってきた。
指導にあたったのは水生昆虫のスペシャリスト能登先生、これまでも「かいぼり調査」などに関わって来られた。
この日の田地子川は雨の後の増水も引き、水も澄んで採集には最適な環境、ただ空模様が今ひとつはっきりせず、雨も考えて時間を早めることに。
先生から今日の目的や注意点、採集の仕方を手短に説明を受けた生徒たちは、さっそく水の中へ。
採集時間は20分、はたして短時間で成果は集まるか?
最初に「あっ、獲れた!」と歓声が上がったのは1年生のグループ。
「うん、これはカワムツだね」共同で授業に当たった岡山市環境学習センター「めだかの学校」の沖 指導員が答える。
獲れているのか、いないのか、ゴミがやたらとすくい上がる中、すぐに20分経過。時おり川面を吹き抜ける風が気持ちいい。
そのうち
「バケツを持って岸に上がって下さーい」
バケツから水槽に移し出されたのはなんと、ドンコ、ヨシノボリ、カワムツ、ヌマチチブ、シマドジョウ、オイカワ、そしてギギにカジカ。他にも、サワガニ、ミナミヌマエビ、ヤゴ、トビケラの類。いつの間にこんなに!
先生がその一つ一つを示しながら名前、特徴を伝えていく。
「カジカは水がきれいなところにいます、このサワガニもそうです。これはコオニヤンマのヤゴ、黄色と黒のきれいな縞模様のトンボになります」
そして、しめくくりとして「これらはどこにでもいるわけではなくありません、こうして地元の人がこの環境を大事に守っているから観ることができます」
と述べられた。
最後に「めだかの学校」の今後の計画について、「館内に”田地子川”をテーマにした水槽の完成をめざしています」 とうれしい企画も披露された。
(取材 写真・三宅 優)
場所は変わって、ここは竹枝小学校。以前もお伝えしたことがあるが、ここのヤギが死んだのが
、かれこれ半年以上も前。その間、子どもは言うに及ばず親、特にお母さんたちから「寂しいよねえ、ヤギさんがいないのって」「子どもがエサやりを楽しみにしてたのに」と惜しむ声、続出。
学校との話し合いで、お母さんたちが面倒を見ることを条件にやっと新しくヤギを飼うことに。
やって来た2頭の子ヤギは白と薄茶のメスで、名前は「只今募集中!」とか。
以前からあった場所に新しく家を作ってもらい、そこで寝起きをすることに。
そしてこの日、学校の授業の合間をぬって子どもらと念願の「餌やりお披露目会」が開催。
世話役の親たちが前もって刈っておいたイタドリやトウモロコシの葉を準備してその時間を待つ。
午前10時過ぎ、生徒たちのざわめく声、1年生から6年生までヤギ好きの子がゾロゾロ。
はじめは恐るおそる遠巻きに餌をやっていた子どもたちも、慣れるにしたがい、
「ん~もう、かわいい!」と体に触り、「ねえ、だっこしていい?」と次々にアプローチ。
授業の時間が近づいても名残惜しそうに。「お母さんに毎日、見に行ってねとお願いしたのー」
そうか、心配だものね、でも、お母さんたち、これからの長い年月、それこそ大変だなあ、ヤギ飼い(自称ペーター)記者の心配も募る。
(取材 写真・三宅 優)
たけべ新聞も5年を経て、コロナもありここで一休止。当、副編集長(三宅)も「産休」(本業の作品を産み出すための休暇)を宣言、かねてから構想の「石ころアート」の制作を始めた。
その最初の作品、レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」がどうにか完成、そこでこれまでの経緯をまとめてみた。
(話・三宅 優)
[きっかけ]
(三宅 優)「東京にいた頃はキャンバスに絵の具で描いてた。それが段々と古臭く感じるようになって、新しい表現方法を探すようになった。
でも、CGや映像を使いこなす能力は無いし、そんな時(11年前)ここに越して来て、周りが石ころだらけなのに驚いた。それで、これで何かできないかと思った」
[石を並べて描く意味]
「当初は石にペイントして、それはそれで面白い。ただ、作品に仕上げると、どうしても残しておきたくなる。
これまで、身内の絵を描いていた人が亡くなって、その処分に困る光景を目にしていたので、迷惑のかからない残し方はないかと考えた。
それで、子どもの頃よく一人で石を並べて顔を作って遊んだことを思い出して、じゃあ、それを写真に撮って残そうと10年ほど前から始めた」
[最後の晩餐を選んだ理由]
「家に古いフスマがあって、ずっと傷み具合を眺めているうちに、自然とその絵が結びついて来た。
この作品も傷みが激しいが、ダビンチのすばらしさを十分に伝えていたし、絵画史上でも最高だと思う。ただあまりに大作なので、すぐにはできないと考えていた。
それがこの数年、他のことに時間を費やされることが多くなって、すごく焦りが生じた。したいことから、すぐやろうと思った」
[制作の仕方]
「壁画の修復前の写真と修復後、それとNHKのCG再現図を参考に進めた。最初にデッサン(石で)した”手”の大きさからフスマの数を割り出した。それで11枚分とわかった。
進め方は下描きなし、全体を頭に描きながら最初の石を決める。そこから次の石へ、また次の石へと後はオーケストラの指揮者のように石のハーモニーを追い求める」
[結果]
「これを始めることの理由の一つにインスタグラムで残そうとの考えがあって(これだとさらに迷惑にならないから)、それには大きさや並び方などに決まりがあって、今回は9枚に収めることにした。結果的に無理な部分が出たが、もともと模写とか再現が目的ではなく、あくまで石そのものが生み出す新しいビジュアルを創り出したかった」
[希望]
「何もしなければ誰の人生も短い、十代でもボーっとしてれば、あっという間に老人。逆に何かをしようと思えば、今からでも時間は十分。
なので、”たけべ石ころだらけの美術館”を創りたい(笑)」
(話・三宅 優)