■「新たけべの彩時季」
先日、竹枝小学校に子どもを通わせるお母さんから、
「今度、学校の前の河原で”水辺の楽校”を開いて、親子で春の七草をみつけてお粥にしようってなったの、こんな時期で室内では何もできないから。よかったら観に来てください」とお声がけ頂く。
たしかに例年なら、この月は「ふるさと学習」発表会が開かれ、理科大の学生さんも参加して「かいぼり調査」の報告がある。
毎回、大盛況でそのままだと3密を防ぐのはむつかしいのかもしれない。
前回レポートをした里山の体験学習「親子環境学習フォーラム」に続き、晴天の土曜、”たけえだ水辺の楽校”へと向かう。
陽射しはすっかり春だとはいえ、吹きよせる風はまだ冬の冷たさ。竹枝小学校、駐車場には数十台の車、午前中は授業参観が行われている。
せっかくなので遠巻きに体育館の授業を見させてもらう。5年生の図工の時間だ。でも先生のお話はスクリーンを前に「タブレットを起動させて写真をピックアップ・・・」と手順を説明。
鉛筆で靴を写生する・・・これは記者も半世紀以上も前だがやっていた。でもモチーフは靴そのものではなく、まずタブレットで自分の靴を撮影して、その中から1点、気に入った構図を選んでそれを見ながら描く。
慣れた手つきで写真を何十枚も取り出し、次々に選択・削除する子どもたち。
「なーるほど、単なる図画ではなく同時にパソコンの操作と情報の処理、自分に必要とする写真を瞬時に見分ける目を養う、スゴイ!」
頼もしい授業を終えたらすぐに下校時間、走り出す幾人もの子どもたち。ヒンヤリとした風も吹きとばすいきおいだ。
行き先は、前を流れる旭川。
途中、いつものようにヤギを観ようと探したが、からっぽ。
「そうなのー、ヤギね、死んじゃったの」「えー、だって、まだ若かったのに」たしか記者の飼っているヤギたちよりも後にもらわれて来たはず。
「生きものがいなくなると、さみしいよね」大の動物好きなお母さんもションボリ。
「しょうがないよ、命あるものはいつかは・・・」そう口にした記者もちょっぴりさみしい。
河川敷では”水辺の楽校”の先生で地元の川原さんが大鍋を沸かしてスタンバイ。さっそく授業が始まる。
(川原先生)「今日はね、みんなに春の七草をつんでもらいます。もう七草の授業は何年もしてないので、覚えている人は少ないかな。春の七草、言える人?」
それぞれてんでに「ごぎょう、はこべら」「なずな せり」「ほとけの・・・」
(川原先生)「おぉ、いきなりそこから来たか、”せり なずな・ごぎょう はこべら・ ほとけのざ・すずな すずしろ・はるのななくさ”だよね。
これは昔は旧暦の1
月7日の節句の日におこなわれていたんだけど、今だと2月の初旬から中頃にあたるのかな。だから今日は2月の下旬だけど良しとしてみんなで七草をとりましょう」
手に手にザルを持ち校庭横の田んぼへと向かう。この竹枝小のすばらしいところは川で遊べる、生きものが飼われている、学校に田んぼがあること。実際、地域のお年寄りらから田植え、草取り、稲刈りまで教わりながら体験する。
学校と地域の協力があってのことだが、なによりも教育を学校任せにしない、大人たちの責任意識が強いことが特徴。
さて昼も近くなったけど収穫のほどはいかがかな?ザルには山盛りのぺんぺん草(なずな)に、ひよこ草(はこべら)。
「これって、コッコ(ニワトリ)ちゃんがだい好きなんだよ」
コッコちゃんを飼っていた(?)お母さんが、娘に戻ったような顔で話しかける。
さて七つのうち、すずな(かぶ)すずしろ(だいこん)は用意されてるし、残るは「せり
」
川へUターン。河口にできたビオトープ、そこに群生するのはセリ。
七奉行そろい踏みで、後はショウヤクのみ。親子で「これは何」「これは〇×△じゃない?」と一つづつ手に取って仕分けしながらきれいにしていく。
「おかあさーん、もう、おなかすいたよー」
「わたしもー」
時間は正午をまわる、大鍋ではお粥が湯気を立てて七草が来るのを待ち構えている。
「できたよー」河原先生のひと声に、マイ箸、マイお椀をかかえて子どもらがかけ寄る。
「う、うま~い」「あちちち、フー、あついー、けどおいしい」
川のせせらぎ、トンビの舞う青い空、春の芽吹きを足裏に感じながら食べる炊きたての「七草がゆ」
「お代わりは何回した
?」(記者)
「ぼく、四捨五入で10回(6回)!」
川原先生が搗(つ)いてきてくれたお餅も入れて記者もいただく。
「ううー、うまーい!」思わず、
「・・・お、おかわりくださーい!」(笑)
”たけえだ水辺の楽校”はその名のとおり、楽しく学べ、そして・・・「おいしいー!」
(取材・写真 三宅 優)
建部の”売り”ともいえる里山の体験学習。しばらく行われずにいたのだが、今日ひさしぶりに市内の親子を招いての授業が行われた。
「親子環境学習フォーラム2021」、地元の有志と岡山市環境学習センター「めだかの学校」の協力で開かれるこの催しは、
里山の暮らしに肌でふれられると毎年、大人気。リピーターの多いのも特徴。
コロナ禍で募集は半分となったが参加者はそれでも親子で7家族16名。
ベースキャンプはいつもの建部町田地子地区にある多自枯鴨神社。
朝8時半、めだかの学校で受付をすませた参加者は車で田地子地区へ移動。町の風景がしだいに奥深い山里の景色に変わる。
到着したのは千年以上の伝統を持つ地元の神社。鳥居をくぐると大きな木々が「よく来たね」と迎えてくれる。
境内ではすでに地元の人とスタッツフが火が起こして用意万端とお待ちかね。さて開会のあいさつ。
実行委員長(実は記者)より「自然の中で遊び、たのしかったなあーって思い出をつくって帰ってください」
では活動①「花炭づくり」
里山にある自然のもので炭作り。松かさ・ドングリ・栗のイガ・ツバキの実・・・を空き缶に納めてスクモを入れ熾った炭の上で焼くこと2時間。
つづいて活動②「焼いも作り」
スクモ(お米の殻)の山にエントツを立てて火を入れる。モクモクしたらぬれ新聞紙とアルミフォイルで包んだサツマイモをもぐり込ませて、これも待つこと1時間。
活動③「竹細工づくり」竹を使ってこんな遊びができるんだよ。
一つは、おなじみ「ヤジロベー」竹ひごを火であぶってカーブさせドングリを真ん中と両端につけると「あらっ不思議」一人でバランスとってゆ~らゆら。
二つ目は「竹デッポウ」しの竹を切り、筒にしてくす玉を詰めて細いしの竹棒で押し出すと「スッポンー」と玉が飛び出すよ。
三つ目、「体操人形」竹の弾力性を利用して、竹に通した糸をゆるめたり、張ったりして竹人形に鉄棒をさせるんだよ。
間もなくしたら境内に「ポ~ン」「スパーン」「ポンッ」の音が鳴り始める。
講師の先生らもそれぞれの工作のやり方を子どもから(親御さんも)の質問されてんやわんや。
「これ、どうして飛ばないんですか」(講師)「それは、玉が小さすぎるんだよ、もっと大きいのをさがしてつめるといいよ」
「竹を曲げたら折れちゃいました」(講師)「火でゆっくりと温めながら曲げていってください」
「ヤジロベーのがすぐに倒れちゃう」(講師)「竹ひごをもう少し曲げて両端のドングリも重いのに変えてみて」
そうこうしているうちに、煙りの上がるスクモの方からいい匂いがしてきた。「やきいも、焼けてるよ~」
「ン~、めちゃうまい!」たき火を囲んで、まっ黄色いホクホクの焼いもをほうばる。知らない同志の子どもらの会話がはずむ。
「どこの学校?」「〇〇小学校だよ」「オレ、○○小」
焼いも片手に宿題も塾のことも忘れてただ火にあたる、な~んにもしないいっとき。
いつの間にか、たき火の管理は子どもたち。せっせ、せっせと山の杉っ葉を運んで火にくべる役は女の子。
「私、火あそびが一番おもしろい!」
工作も一段落、やり足りない子は「丸太切り」に挑戦。自分の力で最後までノコを引いて切り落とす
「ウッヘェー、やったぞー」
時間もそろそろお昼どき。スタッフの「おにぎりと味噌汁とお餅を取りに来てくださ~い」の声。
てんでに思い思いの場所でお昼ごはん。お餅は花炭を仕掛けていた炭火の上で焼くのがいいかも。
手作りの草餅が「プ~ッ」とふくらんでくるのを見るだけで「なんだか、いいよねえ、こういうの・・・」
大人たちの頭にどこかにしまってあったなつかしい記憶がよみがえる。
午後からは「地元のお話し」講師は田地子地区の区長を務める本田義章さん。
「ここではね、私たちのおじいさんや曾おじいさんの頃は全部、回りにあるものを使って生活していたんだよ。山に入って木を切ってマキにする。そこで炭小屋を作って炭にする。
この樽(たる)は木と竹でできているし、この縄だって稲の穂であんであるだろ、これらはプラスチックや発泡スチロールと違って最後にはすべて土に戻るんだよ。
一年にすることはお米作りで、水を引いて苗を植えて、お米が獲れたらお祭りをして神様にささげる、そのくりかえし。だから、みんなに思い描いてほしい、こうした自然から得たものだけで人々が暮らしていたことを」
花炭を開缶の時。さあて、今回はどうかな、でき具合のほどは・・・。
「わっ、わっ、いい感じ!」「オッ、まっ黒じゃん!」どうやら満足のいく出来だったよう。
例年より2時間短縮の体験学習、それでも終わってからの笑顔は今まで通り。帰りには神様にもしっかりと手を合わせて願いごと。
講師スタッフ、協力していただいた地元の方たちも、それを見てホッと一安堵。
コロナで沈んでいたけど「またやろう!」という気持ちが沸き起こってきた。
(レポート・三宅 優)
建部町文化センターでの催しが3連続となった。マスク、手の消毒、間隔を持つを遂行することでのやり方が定着してきたようだ。
この日、行われたのは岡山市・ESD市民協働推進センターが主催する「地域活動リーダー養成講座」。
前回は昨年1月に「伝統芸能継承活動を通じて」の
地域コミュニティの可能性を考えるがテーマだった。記者も「建部町伝統芸能伝承保存会」メンバーとして参加している。
さて今回は「郷土愛による持続可能な地域づくり」がテーマ。基調講演とパネラーによるディスカッション形式で、建部からは「たけべおこしプロジェクト」代表の平田慎一 氏がパネラーで登場した。そもそも題目に掲げた「郷土愛」なんとも古めかしい言葉を使ったものだが、逆にこの企画を立てた若い世代には新鮮かもしれない。
平日の午後だが文化センター小ホールのひな壇席は間隔をあけてほぼ埋まり、当地域からもリーダー格の人が多数見受けられる。
基調講演が始まる。最初は岡山大学・准教授の岩淵泰 先生による「地域のアイデンティティ ー
まちづくりに生かすには?」(以下、記者の速記による箇条書)
2019年都道府県の愛着度ランキングでは岡山県は18位(ちなみに1位は北海道)
そのことから、なぜ岡山市で郷土愛を取り上げないといけないか?
1つはは、人と地域を結びつける”核”が弱まった
2つ目は、競争社会や個人が大切になる中、みんなともいたい
3つ目として、私の住む場所がどこにでもあるような個性のないまちになる
まちづくりのレッスン「まちの宝物をさがす」~実例として矢掛の宿場まつり大名行列~
郷土愛のつくり方 ①住んでいる人が決める
②住んでいる人が話し合う
③外から応援団がやってくる
④行政、企業、市民団体が関わる
⑤次世代を巻き込む
⑥地域の魅力を育てる
そしてその楽しさを一人、二人と伝えていく
続いて、同じく岡山大学・教授の前田芳男 先生による講演「地域の学びを通してリーダーを育む」
現在の地方における人口減少は50年以上も前に集団就職で都会に若者を送り出したことから始まる。
子どもの頃に川の冷たさを知った人は郷土の愛着につながる
その場で生身に触れることの大切さ=若者に体験活動をいっぱいさせる~聞き書き活動(植林するおじいさんのお話し)
「今の木は何代か前の人が植えた木で、これは50年先に育つ苗木だよ」
やるなら徹底的に楽しんでやる⇒
自分たちのイベントは自分たちで作る
(実例)
「若者たちで名所づくり」まちの木を💛ハートのかたちに剪定し人が集まる場に変えた
「湯島 ウミガメが産卵する島にする」何もない所と言いつつ住民、皆が満足して生活をしている島。
ウミガメに産卵の場所をつくろう、砂浜の清掃、ウミガメの勉強会を行う。子どもに肌で感じる体験をさせる
第2部はパネラーディスカッション。登壇者は、瀬戸内市移住交流促進協議会「とくらす」会長の菊池友和 氏,
造山古墳蘇生会の定廣好和 氏、大和をもっとよくしよう会(吉備中央町)の難波武志 氏。
失礼を承知でそれぞれの簡略な自己紹介をすると。菊池 氏「地域おこし協力隊で来県、以来、瀬戸内市への移住促進事業に携わる」
定廣 氏「造山古墳の蘇生事業を立ち上げ、地域の再生につなげる」難波 氏「吉備中央町大和地区でよくしよう会を結成し地域活動を推進」
平田 氏は「たけべおこし、たけべ家おこしプロジェクト、商工会青年部、ストローアーチストと幅広い活動で建部に旋風を起こす」(以下、主な発言を箇条書)
(移住者と地域との関係について)
(菊池 氏)「できるだけ地域の人が疲れない移住を推進してきた。今では相談会での移住ブースが最も多い。
地元の人が地元をよくしようと言う例は少なく、移住者がとけ込もうとしている方が多い」
(学校教育だけで郷土愛を育てられるか)
(定廣 氏)「年寄りが教えるしかない、それにはまず地元が好きだと言えることが大事で、なくなりつつある地域の由緒ある地名とかを子どもに伝えることも大事。そう考えると我々がやるべきことはもっともっとある」
(地域の良さをどうやって見つけるか)
(難波 氏)「地の者はここの良さがわからない、他の者から果物がおいしいとか言われて見直す。それでも、よそから誉められると地域の人らもまたやろうとなる。今では大和をよくしようと言えば大抵、同調してもらえる」
(地域を守る意識をどう育てるか)
(平田 氏)「僕は地域を守るのに理由はない、当然のことだと受け止めている。自分の家が火事になったら消防が助けてくれますよね、じゃあ、その消防の人の家が火事になったら、僕が助けに行く。自分が助けてもらうことがあれば、自分も人を助けるのが当たり前だと思う」
(聴衆の中から女子高校生に感想を聞く)
(高校生)「私は今まで岡山ってなんにもないなあって思っていたのですが、今日聴いて、自分から見つけていくことがすてきだなあって感じました」(拍手!)
まとめとして両講師から「学ぶことがなくなったら生きる力を失う。新しいことをやっていこうというガッツが求められる。
また、そのために人にはサードプレース、家以外でのんびりできる所が2カ所(職場、飲み屋など)必要」
熱い討論を終えた後は出演者から出された質問に答える「クイズ大会」。
景品は豪華なご当地グルメとあって、会場内は最後まで盛り上がりを見せていた。
(レポート・三宅 優)
人は老いるもので、病気にもなり、いずれは死ぬ。ずっと若いままで病気もせず、ひたすら生き続けることを望んでも理に適わない。
だからこそ、与えられた命をどう幸せに生きるかが大事。
市場尚文先生のお話には、一貫してこのメッセージが込められていると思う。
この日、建部町文化センターでは小地域健康教室連絡会議(各自治会で高齢者を対象とした健康づくりを推進する組織)の
研修会が行われ「コロナ禍でも健康づくり~人生100年時代の健幸術~」と題した
市場尚文先生(葵の園・岡山福渡 施設長)の講演会が催された。
小ホールの会場は1つ置きに座ってほぼ満席。市場先生のプロフィール等は昨年、福渡での健康教室における当新聞掲載記事を参照いただき、まずはおなじみのギター片手のさだまさしの歌から。
”幸せをありがとうぬくもり届きました・・・宝物をありがとう・・・生まれてきてよかった”(ハッピーバースデー)
そして、聴講者が最も関心を持つ「コロナとどう向き合うか」のお話。
まず先生は、これまで人類が経験した「パンデミック」の歴史を紐解きながら、新型コロナウィルスの特性について説明。
感染力が1人から2~3.5人(風邪の場合は1人から多数へ)致死率は3.3%(SARSは9.4%、MERSは34.4%)潜伏期間が1~14日と長く(風邪だと2~4日)
発症前に2次感染のピークがあることなど、従来の感染症と違う点をきちっと理解した上での適切な対応が必要と説く。
その点に関して、会場内に問いかけて「今日の会場に来られてる方でお知り合いに感染された人がいますか?」結果はゼロ。
「そうなんですよね、それくらい日本では感染率は低いということをまず念頭においてください。アメリカは12人に1人が感染し、日本は300人に1人です。
それが同じに報道されている」
特に気にかかる点として「マスコミ等が”過去最大”というフレーズで毎日、流すことで必要以上に心配にさせている。私見ですが今、重要なのは冷静になることじゃあないでしょうか」
続いて「こういった中だからこそ、自身の免疫力をアップを図りましょう」免疫力アップの健康術の話しに入ったが、先生、”コロナ禍”に熱を入れ過ぎた為、残り時間がわずか(笑)。
よってこの内容についても前回記事を参照、願うことに。
とにかく先生のお話、自分の医師としての経験や様々な医療活動の体験を踏まえてのことなので説得力十分、聴く者はいつのまにか「うん、うん」とうなずいている。
フィナーレは美空ひばり「愛燦燦(さんさん)」
”愛、燦燦(さんさん)とこの身に落ちて・・・人は哀しい 哀しいもの・・・人生って 嬉しいものですね”
わずか1時間、もっと聴いていたい思った聴衆も多いはず、が終了。
この後、各協力組織からの連絡、町内の養護老人施設の紹介に移ったが、講演の中でも先生が言ってたように、この健康教室
「各町内に拠点を持ち、それを支える組織がある建部、これは”建部モデル”として誇ってよい」ほどに素晴しいもの。
過疎高齢化、そんな中でも互いに助け合う地域づくりに励む人たちがいる
。改めてこの日、参加した「小地域健康教室」建部会議のメンバーに感謝。
(レポート・三宅 優)
人が夢を語れるのは何歳までだろう、10代?20代?
希望を語るのは?・・・30、40、いやいや60歳までは・・・では、それより上の世代は何を語る?
それは、おそらく「知恵」 当新聞の創設以来、レポートを続けてきた建部中学2年生の立志式、今年はどんな夢と希望が語られるだろう。
2月6日(土)朝、この日は将来を夢見るにふさわしい晴天。建部町文化センター大ホールでは建部中学2年生26名が発表を待つ、10時いよいよ開始。
*以下、記者の速記メモより発表の内容に即し要約にて記載(順不同)
「ネイリスト。お店の人の爪がすごくきれいだったのを観て。そのためには専門学校で学ぶ必要があります。将来はネイルサロンを開き、たくさんの人を笑顔にしたい。」
「学校関係、医療関係の仕事、海外青年協力隊に入り視野を広げ自分を成長させるなど興味のあることがいっぱいです」
「安定した将来が夢。いい職業に就き、家族を安心させ自分も困らないようにするため。そのためにしっかりした経歴にしたい」
「工業高校に行きたい。そのために勉強は苦手だが1日1~2時間勉強をしている。将来は他の人の気持ちも汲めるようになりたい」
「今はお菓子作りに興味があります。お手伝いをしているうちに好きになりました。将来のことはわかりませんが好きなことにどんどん取り組みたい」
「ダンス、ピアノ、パフォーマンスをするのが大好きです。楽しそうに仕事をする両親を見てきたので、好きなことを仕事にしたいです」
「僕は夢はだれかに語るものではないと思うので語りません」
「中学の音楽教師か高校の吹奏楽部の顧問、楽器のインストラクターになりたい、音楽の良さを知ってもらえるように」
「ラッパーになりたいです。小さい頃に聴いたとき心が躍りました。ラッパーは不良ぽいイメージですがそうではありません。お前は無理と言われても僕はあきらめません」
「中学の先生、中でも理科の先生になりたい。実験が面白いので。もしなれたら理科を好きになってもらいたい」
「自分の生き方をしたいです。好きなスポーツを活かし社会のルールーを守って相手の気持ちを考えるような自分らしい生活をしたいです」
「建築関係、特にインテリアデザイナーになりたい。もう一つはスポーツに関係した仕事。家族みんなで体を動かすのが好きなので」
「ブリーダーになりたい。動物が好きなのと、家が田んぼの中なので近所迷惑にならずに飼えること、それと新しい品種を生み出したいからです」
「アニメーター。アニメを観てどのように作られているか興味を持ちました。将来は自分のアニメを放映したいのと、元気や勇気を与えるアニメを作りたい」
「昔からの夢で音楽関係の仕事に。たくさんの曲を作りたいし、CDを販売するのもいいなと思います。そのために音楽の専門的な知識を身につけたい」
「私の夢は、安定した生活。それには目的を持つことが大事で。今、気になっているのは運送業、でもこれから変わるので新聞、ニュースをよく観ていきたい」
「東京に行って安定して暮したい。いろいろな本を薦められる本屋の書店員になって、子どもや大人、外国人とも話せるようになりたい」
「日本のすべてのお城を巡りたい。お母さんがお城が好きで、すべてに行くことを目標にしていたから。首里城と彦根城がとくに大好きです」
「センベイを作る仕事。爺ちゃんにすすめられた。爺ちゃんのセンベイはスーパー、温泉、外国にも売られていて、包装シールを貼る作業を手伝って、興味を持ちました」
「幸せな家庭を作るお母さん。私のお母さんを見ているし今の生活が幸せだから。そのためには、仕事と家庭を両立する力とお金を貯めることが大事だと思う
「だれかの役に立つ仕事をしたい。どの仕事にも共通する目標として、人と接することができる、勉強できるようになる、困った人に声をかけられるを達成したい」
「僕が気になる仕事では運送会社があります、それには大型トラックの免許が必要です。もう一つはシステムエンジニアで、パソコンで情報設計をする仕事です」
「看護士。母の仕事が看護士なので、母から、他人の看護をする中で自分自身も成長できると教わりました。今はとにかく勉強して夢に向かってガンバリたいです」
「自分には好きなことがたくさんあるので、いろんな仕事ができると思う。その好きなことを仕事にして、大事に育ててくれた親に恩返しをしたい」
「機械関係の仕事、スマートフォンの中を覗いてみたいと思ったから。
もう一つは楽しい人生。大人になって友達と遊んでいられる人を見てうらやましく思った」
「音楽関係。つらいことがあっても元気づけられたし、いろんなときに音楽に救われて、音楽は世界に共通している。日本だけでなく世界にも目を向けれるのが音楽だから」
(記者感想)
生徒一人の持ち時間は3分ほど。その間、原稿なしでスピーチを終える。それだけでも結構、大変。
世界が一つにつながっている時代、自分の考えを人に伝える力(ディベート)は益々、重要となるのだろう。
今日の発表を聞き、14歳の若者が考える夢が意外と堅実なこと、それに至る計画性を持っていること
に感心させられた。没個性的にも感じたが、それが表面的な受け取めだとすぐにわかった。
ロビーに展示されていた彼らが創作した季節をモチーフにした和菓子の作品。
白い猫(ユキ)を描いた「白い雪」、二つに割った断面に花火がはじける「夏祭り」、南国ハワイのイメージ「アロハまんじゅう」など、創造的で菓子屋さんが見たら飛びつきそうな出来栄え。
自分の中にある他人とは違う自分、その大切な能力を信じて前へ前へと進んで欲しい。
(レポート・三宅 優)
コロナ禍と寒気で取材も縮こまりぎみ、積極的に外に出て行かないとこのまま消滅の憂き目?(笑)。
そこで自らにテーマを課し記事作りに励むことに。今月のミッションは「春を探して」
さっそく編集長(勝部)が赴いたのは、大田地区にあるセツブンソウの群生地。
「そりゃーあまりにも早すぎるんじゃあない?」当新聞グルメレポーターが予想したとおり、
「うん、やっぱり、まだだった」空振りに終わって、若干気落ちした面持ちでやって来た勝部、
「それでねえ、これを撮って来た」次にカメラで見せてくれたのは満開の梅。
「ああ、ここね、そう言えば今までもここが一番早くて、見事ですよね」
毎年のように写真に収めていた富沢、田地子川沿いに咲く紅梅、コロナでその前のことが遮断され、すっかり忘れていた。
では、と記者(三宅)が出かけたのは地元(石引地区)の、とある山の斜面。
当グルメレポーターが「あそこに行ってごらんよ、あそこが一番早く出ているから」と教えてくれた。
日当たりのいい傾斜地に積もった枯葉を手で払いのける。「おお、出ている、出ている」
大人の親指ほどのまだ固くつぼんだふきのとう。
「やっぱり春は近い」確信を得、人に気づかれないように枯葉をもとに戻す(笑)
下りがけに近くに住む同年代の男の人に出会い立ち話。
「何か、山で見つかりましたか
?」(男性)
「もう、ふきのとうが出ていました」記者の返事に、すかさず顔をほぐした男性。
「おぉ、ありゃあええもんじゃ、味噌にしても天ぷらにしても・・・」
記者が「そうですよね」と答えると、
「でも、今の若い人には分らんじゃろう、わしらの子どもの時分はあんなのばっかり食べとった、せえでもうまかったなあ」
ふきのとう、つくし、セリ、ヨモギ、タケノコ・・・あんなのばっかりの季節は確実にそこまで。
(レポート・三宅 優 写真・勝部 公平)