■「新たけべの彩時季」
一年の中、建部っ子がもっとも熱くなるのは、オリンピックでもワールドカップでも夏の甲子園でもない。それは「秋祭り」、なぜ?
小学生の頃、だれもが早く大きくなって自分もやってみたいと思った。そして高学年、初めての神楽。首が曲がりそうに重く感じる獅子頭、
歯が折れそうなほど懸命に食いしばって、覚えたての舞いを踊る。腕がだるくなり、肩も下がり、指導を受けながら負けじとがんばる。2年目はずっと楽になり、
3年目は待ちどおしくて・・・、そうして大人になって、太鼓が響き、鐘が鳴り、笛が聞こえて体が動く。
こうして10年、20年、30年、笛や太鼓で育った祭り男に女たち。
それが、今年ばかりはまったく以って難しい。先日(23日)開かれた「建部町伝統芸能伝承保存会」(会長 二宮 誠)臨時総会では、出席した各地区の保存会すべてが「本殿祭」のみ実施、神輿、神楽、それに併せた子どもたちとの練習を取止めるとの報告がなされた。
「3密を防ぐ手立てが見つからない」「対策を立ててもリスクが残る」「DVDを渡して忘れないようにと言うしかない」苦渋に満ちた決断だったことが各代表の
発言から伺えた。
この事が今年だけのことなら、来年に期待すればいいのだが、ずっと常態化するとしたら・・・「俺たちの祭りはどうなるんだ」
世界中が大きな転換点を迎えていることは確か。だが、その方向は見えてこない。
「withコロナの時代」に建部の祭りをどう続けていくか、知恵と創意と勇気で乗り越えていく時がやって来るのかもしれない。それまでは熱い思いを蓄電しておこう。
*写真は昨年の様子
(レポート・写真 三宅 優)
7月14日の雨で損傷し通行止めとなっていた「しあわせ橋」が行政の素早い対応で復旧。さっそく、陽の照りつける橋を歩く。
靴底に伝わる水のせせらぎ、川の水面をこれほど身近に覗ける喜び。「贅沢だなあー」と思わず声が出る。
人によって「無くてもいい」「税金のムダ」と意見はあるが、およそ贅沢なんて「いらないものにお金をかける」こと。
ランボルギーニに乗らなくても軽自動車で事は足りる、電車で行けば車もいらない、とは言え、自分の気に入ったものを持つ嬉しさは、何事にも代えがたい。
建部の町民にとって何が贅沢かって、それは「人が川を楽しむための橋を持っている」ではないだろうか。
川の中央に立ち下流を眺める。川石がいくつも並ぶ、その中でもとびきり大きな台形の石「何かに見える・・・」
空耳(そらみみ)ならぬ「空見」(そらみ)?ある日ある時、ある形が見えたとき心はいつもその形を描いてしまう。
『日船上人』江戸時代始めの日蓮宗不受不施派の高僧でこの地で布教、八幡温泉を発見したとされる。その方が座禅を組んでおられるような後ろ姿。
以前そのことが頭に焼き付いてからは、川床の石を持ち上げ御頭を据えることを夢見てきた記者(笑)。
今日は頭に見立てた小石をヒモに付け、
手摺のちょうどいい位置に下げてみた。スマホで撮る。
南に向かい、お唱えをするお上人。橋の上からそのお姿を描き、手を合わす歩行者、そんなシチュエーションが展開で来たら「しあわせ橋」はもっと楽しくなる。
僕らの地域はエジプト、ローマ、パリとは言わないまでも、魅力が山のよう。大切なのはそれをかたちにする想像力。
(レポート・写真 三宅 優)
ここ数日の熱さは、猛暑を超え熱暑。コロナだけでなく熱中症の心配に苛まれる。
そんな中、ここ福渡地区では明日が八幡神社の「輪くぐり」。今朝は朝7時から町内の人たちによる境内の清掃作業が行われた。年配から若い人まで参加しての作業は、まだまだ地域のつながりが残っている証しと安堵。
さっそく、きれいになった境内にブルーシートを敷き輪作りに入る。
今年の茅(ちがや)はこの春、記者宅前の草刈りをして、当グルメレポーターが焼畑をした後に芽吹いたもの。大人の肩まで伸び、その色合いは濃い緑になった。
「ッムー、立派じゃなあ、今年のちがやは」
茅狩りを担当した窪藪町内会長もほれぼれ。まずは総代全員で選別作業。
手は動くが口も動く。その話の中心は歳のこと
「もう、わしも兄弟が亡くなってしもうて、わし一人じゃ」
「Yさん、何才になったん?」
「おっ、わしか、わしは70じゃ」
「おかしいじゃろう、若う言い過ぎじゃ」
「ハハハ、バレたか(笑)」ほぼ全員が70をとうに過ぎている、でも頭は青年?
藁でできたベースに茅を巻く、2人で押さえて一人が縄でくくる。いわゆる「男結び」。
「三宅さん(記者)もこれから後継者なんだから覚えておきなよ」(Yさん)
「えっ?もうこれ以上は勘弁してよ(笑)」(今年で3年目)
小1時間、見事な輪が出来上がった。青々と生命力あふれるかたちの誕生。
すべての町民の健康を願う福渡八幡神社の「輪くぐり」は、明日の午後3時開始。
くぐり方は「左に1回まわり」→「右に1回まわり」→「左に1回まわる」。
(レポート・写真 三宅 優)
帰省の一歩はどこだろう。電車なら建部駅、福渡駅、神目駅。車だと53号、鹿瀬橋を渡った「ようこそ・・・」の建部町の頃にできた案内看板が建つ吉田に入った時。
「ああ、やっと着いた、すぐに実家だ」そう安堵。むろん帰ったら親兄弟からの質問攻めが待っている。
「あんた、なんにも連絡して来んで元気じゃったん?」
「ああ・・・(見れば分かるだろう?)」
「毎日、何を食べてたん?」
「いろいろ ・・・(そんなこと聞いてどうするん?)」的な会話。
それが、今年は・・・電話をしてどうするかを聞く。
しかし恐らく、建部を離れた人の方が田舎の現実に驚いたと思う。
「あんた、今年はお願いだから帰って来ないでね」
「えー?・・・」
大変なのは回りの目、仮にそれで感染者だとなれば、ここにいられなくなる、そんな心配が覆っている。しかし、それでも今年の帰省はよした方がいい、帰っても嫌な思いをするだけだから。
「あそこは東京から戻って来てるのよ」「まあ、うちだって我慢してるのに」
気が滅入る話はこれぐらいで、そのうち皆、方法を見つけると思う。そうした時はこれまで通り懐(ふところ)深い、優しい顔のふるさとが待っている。
そうだ、今年のお盆はリモート帰省にしてみたら?
「たけべ新聞」が全身に汗をかき、気温38度の建部を巡って、ほっかほっかの盆の入りをスケッチ。気分だけでも「帰った建部」を味わって!
目からウロコなお話だった。
先日、建部町観光協会の江田さんから「三宅さん、とっても面白そうな講演があるんだけど、いっしょにいきませんか?」とのお誘い。令和2年度岡山県観光ボランティアガイド連絡会総会で、京都の住民がガイドするミニツアー「まいまい京都」を主催する以倉敬之さんの話が聞けるという。
「こんな時に大丈夫かいな、年寄りが街中に出て」
「そんなことを言ったら、街中に住む老人はどうするんじゃ」
こんな会話が交わされる建部、皆、コロナ情報ウィルスに感染。
「それにタイミングよく、先日、OHKテレビ”なんしょん?”(写真2枚目右)で、
建部ボランティアガイドとしてデビューしたばかりだし・・・(笑)」と言うことで、昨日(6日)駅前にある「サンピーチOKAYAMA」へ。
講師の以倉さんは2011年より、税金に頼らず参加費収入で運営する町歩きツアー「まいまい京都」を立ち上げ、今では年間700コース、300人を超えるガイドさんを揃えるまでに成長。テレビ番組「ブラタモリ 清水寺」「ブラタモリ 京都御所」などにも多数出演されている。ちなみに「まいまい」とは「うろうろする」という京ことば。
講演題名は「withコロナ時代の観光ガイドと人気ツアーの作り方」
聴講に来た県内でボランティアガイドに携わる方たちの関心も「どうしたら魅力のあるツアーが作れるか」にある。
以倉さん、開口一番「withコロナ時代、これからますます本質的な力、”企画力とファンを作る力”が不可欠です」
「まいまい京都」のツアーは、1コース定員15名程、参加費2500円~、所要時間2~3時間、距1.5~3kmの設定が主。
参加者は4割が地元から。年代も40台を中心にほぼ平均的に広がる。リピーターは5回以上が6割という驚異的なリピート率だ。
その理由が一番にガイド役。「まちの最大の魅力はモノやコトではなくヒト(人)」と言い切る。
「ルートを探すのではなく、面白い人を探す」
「まいまい・・」ガイドさんは、御用庭師、女性僧侶、大工棟梁、占い師、妖怪の子孫、ミュージシャンなどなどユニークな個性派ぞろい。
記者はここでまず”目からウロコ”。確かにこれまで地域の観光案内を企画してきた時、決まってルート作りから入っていた。
興味深い場所をつなげて完成。
しかし知らない人が案内パンフを手に回っても、それはちっとも楽しくないのだ。そこが面白くてしょうがないという人と一緒に行くから楽しい、だからこそファンが付き、リピートにつながる。そんな当たり前のことを忘れてた。
そして「まいまい・・」のコース例。
仕事への愛情をガイド【無鄰菴】「御用庭師のお仕事拝見!名庭の美を紡ぐ、わざと心に迫る~庭師の七つ道具、見方・表情・愛し方、南禅寺方丈から花咲く春の無
鄰菴へ~」
趣味への愛情をガイド【御土居】「タモリさんを案内したガイドと、御土居でOh!
京都を囲む巨大土塁~京都高低差崖会凸凹ツアー!巨大城壁がつらぬく鷹ヶ峰台地へ~」
タイトルを読んだだけでワクワク、何だかわからないが行ってみたい、引き込まれる案内コピーが並ぶ。他にも行政との共同企画「雨水をためる地下巨大トンネルを探検」ツアーや、「部落史研究者と歩く、六条河原刑場跡を巡る」ダークツーリズムと呼ばれるツアーなど実に多彩、練りに練った企画満載。
しかしそんな「まいまい・・」さんも、今年4月コロナの非常事態を受け、大幅なダウンを余儀なくされる。
そこで考えたのが「オンラインツアー」。ライブ配信することで3密を防ぎ、逆に参加者を増やすことができる。災いをチャンスにつなげた、まさに”目からウロコ”
この日の講演、わずか90分、身振り手振り、力を込めて話される以倉さんから、
この仕事が面白くてしょうがない「人」が伝わって来たのは言うまでもない。
さあ、もはや大型バスで大挙呼び込む時代は終わった、われらも「ブラタモリ しあわせ橋を渡る編」に向け、いざマイマイ建部。
(レポート・写真 三宅 優)
8月に入り、回り中で聞こえてくるのはセミの声、そしてコロナへの嘆息。
岡山で80数人、連日の報道で県民の心配度が加速する。そんな中、先日(7月31日)、毎年秋に実施される「ふふふ祭り」の第12回
実行委員会が開かれた。
昨年は雨天のため中止となったが、今回はコロナにおける実施の可否が議題。
出席したのは町内に拠点を置き活動する「障害者生活支援センター こら~れ」「福渡町内会」「メンタルボランティアさくらの会」「建部町公民館」「福渡小学校」「旭水荘」「岡山・建部医療福祉専門学校」
「葵の園・岡山福渡」「NPO法人なでしこ会」の団体で、代表者らにより真剣な意見が交わされた模様。
その内容について、当「ふふふ祭り」事務局を担当する杉山ゆいさんからの寄稿を以下、掲載(全文)。
『第12回ふくわたり・ふれあい・ふくし祭りの実行委員会が開催されました。コロナの影響で町内のイベントが次々と中止決定される中、「ふふふ祭り」も例外でなく中止が決定されました。
ただ、「ふふふ祭り」の目的はイベントを開くことではなく、地域がつながり助け合い、誰もが安心して暮らせる地域を維持し続けることです。イベントはそのための手段です。
地域について考えた時、今、一番の問題はやはりコロナ。コロナウィルスの予防も大事ですが、岡山県内でも続々と感染者が増える中、「感染しても安心して暮らせる地域」を考える段階に来ているのではないか。地域に感染者が出た時、自分が感染した時にどうしたらいいか。地域に何ができるか、防災と同じように考えることが必要ではないか。
建部町は地域の支え合いが生きている地域。コロナになっても差別を受けることなく、助け合いながら安心して暮らせると分れば、体調不良も訴えやすく感染拡大予防にもつながるのでは。そんな話し合いがされました。
具体的なアイデアや計画には至りませんでしたが、「建部町は感染しても安心して暮らし続けることができる地域」という思いを一人でも多くの地域住民と共有していくことが、今の私たちを取り巻く恐怖の一つを克服することにつながるのではないでしょうか』
先週来、岡山に限らず日本全国に覆い始めている「コロナに罹るかもしれない、コロナをうつすかもしれない」不安感。そのことにより、閉ざされていく人の心。
新しい生活スタイルで求められるのは、「コロナをあたり前として受け止め、互いを許しあう」そんな大人社会の実現ではないだろうか。
杉山さんからの提言に、記者もそんな時期に差し掛かっていると強く感じた。
(レポート・三宅 優 特別寄稿・写真 杉山 ゆい)