建部の最新ニュース

  2020年3月

   ■「新たけべの彩時季」

3月の彩時季
(左上から右へ)
1日古墳を探せ!  *コロナ拡大  *8日里山炭焼き始まる
11日3.11追悼13日学童の寺子屋はじまる20日河川敷花見準備
25日マスクを配るボランティア  *タンポポと土筆  *31日お別れ




 ■今月の「たけべ人(びと)」

建部で活き活きと活動する人にスポット。
  建部町が岡山市に合併して何が変わっただろう。
 良かった点、悪かった点、共にあるのだろうが、
 最近しきりと町民が口にするのは、細かい所に
 手が届かないもどかしさ。特に高齢化著しい
 建部町において、お年寄りの抱える悩みは多い。
 そんな課題に身近に寄り添って相談に乗り、また
 様々な催しを企画して、お年寄りのみならず、
 障害を持つ人のための支援をするのが、岡山市
 社会福祉協議会。今回の「たけべ人」は、
 その建部支部で奮闘する香本 幸男さんです。

 (取材:勝部 公平 写真:三宅 優 )

香本 幸男
(プロフィール)
 香本 幸男(ゆきお)
 1977年久米南町下弓削に生まれる。
 高校を卒業後、福祉の短大に入学。
 修学後は宇甘川荘、ほのぼの荘に勤務。
 現在、岡山市社会福祉協議会建部支部に在職。
 社会福祉士。
 建部町宮地、在住。  

    

(勝部公平) 香本(こうもと)と書く名前は珍しいですが、ご生まれはどちらですか?
 (香本 幸男)「 久米南町の下弓削です。そこにずっと住んでいました 」

 建部に来ることになったのはどういうことで?
 「そもそも建部に来たのは、福渡ほのぼの荘の建部町福祉協議会で働いてたのと、旭川と温泉と釣りと桜が大好きなので来ました (笑) 」

香本 幸男  ああ、その頃、介護のワークショップをゼンセンでもやったことがあるね?
 「ええ、当時、勝部さんはセンター長でしたね 」

 福祉にたずさわったきっかけって何ですか
 「もともと私は目が不自由だったもので、高校の時、岡大で目の手術をしたんですけど、その時、私よりずっと目の悪いというか、まったく目が見えない人がいて、 その方が桜が観たいといって、私が連れて行ってあげた。そうしたら桜の匂い、風が伝わって来てとても喜ばれたんです。それで、自分よりももっと悪い人がいて、 私にもできることがあるって思いました」

 それで卒業されて、どういう道を進まれましたか
 「福祉の短大の介護福祉科に入りまして、その後、御津の宇甘川荘に5年、ほのぼの荘に移ってからは11年です。社協に来てからは4年になります」

香本 幸男 そうか、もうそんなに長いキャリアになるんだ。社協に移ったのは何か?
 「施設でできることは限られていて・・・私は、やっぱり在宅のケアマネをやりたかったのです」

 でも、社協でも香本さんは本当に熱心にやられて、大きな市の社協ではできないような、きめ細かい仕事をされてますよね
 「幸いなことに、私は老人センターにいることができたので、どこにどういう人がいるというのがわかるので、連携が取りやすいのがありがたいです」

 今、ここの活動としてはどんなことがありますか
 「健康増進教室でラジオ体操を毎日、もう3年になります。カナリア歌おう会、未楽来(ミラクル)カフェ、健康教室ふれあい・いきいきサロン、運転ボランティア・3世代お飾りづくり・・・」

香本 幸男  私のいる富沢では、いきいきサロンに30人は来ますよ
 「ええ、来年度は4つサロンができます、各町内に1つずつ作ることを目標にがんばっています。私は地域のみなさんが居られる場所づくりをしていきたい、それが防災にもつながると思っています。近くにあの人がいる、こういう人がいるという、そういった交流が大事だと思います 」

 運転ボランティアも充実するとうれしいですよね
 「そうなんです、もっと運転ボランティアが増えれば、交通手段のない所もカバーできるのですが・・・ 」

 温泉に入れるサービスがまだ続いていますね
 「60歳までは400円ですがそれ以上は100円、毎日やっていて、子どもから大人までどなたでも来られていいので。でも、入浴される方もだんだん少なくなってきていて、これを増やすにはどうすればいいかと悩んでいます 」

香本 幸男  もったいないですねー、八幡温泉と同じ源泉が100円で楽しめるなんて信じられないですよ。
 「だんだん高齢化して人口も減って来て・・・勝部さんのやっている里山とか、たけべおこしとかのいい活動で広く知ってもらって、 建部に移住してくれる人を増やしていくのがいいと思うのですが。1つの町内会に2世帯が移住してくれれば今の世帯数は維持できます」

 地域の他の組織とかの連携はどうされていますか?
 「建部町地域包括連携会議とかで定期的に顔を合わせて互いに意見交換をしながらやっています」  

 そうですね、地域が協力して盛り上げていくのが最も重要ですよね。香本さんは岡山弁大会にもレギュラーでずっと出演されてますね
 「あれは、ほのぼの荘にいた頃、町民向けに寸劇をやる機会があってやってて、そこで声が掛かった、それが間違いでした(笑) 」

香本 幸男 (三宅)えっ、ほのぼの荘で劇をしてたんですか? 
 「 はい、各地域ごとに、西原編とか大田編、竹枝編といったそこの地域ゆかりの地名や名所を岡山弁で盛り込んだシナリオを作成してやっていました」

 そうそう、あの頃は竹枝の”かいぼり”の佐藤康彦さんとかもいて、色々やってたねえ
 「ほのぼの荘の文化祭で、”一人一人の文化祭”というテーマで、おじいちゃん、おばあちゃんに子どもの頃の遊びや料理を昔語りしてもらって文集にしたり、”福渡ふれあい福祉祭り(ふふふ祭り)を立ち上げたり考えたり・・・ 」

(三宅)その本をベースに、僕ら移住者で「たけべのお話」という冊子を作りました
(勝部)意外な所でつながってたんだねえ。香本さんの話を聞くと自分のしたいことを仕事にしてきたように思えます
 「ええ、名前(幸男)負けしていません、本当に人とかかわる仕事をさせていただいて幸せです(笑) 」

 最後に、これからの夢とかあります 
香本 幸男  「成年後見人を少しやりたいと思っています。これから高齢者や障害者で自分でお金の管理ができない人が益々、増えてくるんじゃないかと。80歳の親が50歳の障害を持つ子どもの面倒を見ている、その親が亡くなると財産を当人が管理できなくなる」

 弁護士や専門の方とかに頼むと、結構費用が掛かりますからねえ
 「それと、家族と言っても他に居なかったり、もう守り切れない現実があります。その人たちの面倒をみる、夢というより、やりたいですね」

 ありがとうございました 


(記者感想)

香本 幸男
(三宅 優)
 建部に来て10年、さまざまな場所、催しで顔を合わせてきた香本さん。ふふふ祭りでは拡声器を手に呼び込み?を、”岡山弁はええもんじゃ”では派手な衣装で主役を演じ、主催講座では段取りよく司会をこなす。何が専門なのだろう?と不思議に思っていた。
 今回のお話を伺い、福祉一筋、真面目一徹と知る。 人は近くにいても、その人を知ろうとしない限り深く理解することはない、灯台もと暗しを反省する。建部社協に、困った人に光を届けたいと思ってやまない灯台守がいたことが心強い。



 別れの時は、新しい旅立ちの時・・・ 2020年3月31日発信

入野さん  町内の関心がコロナ一色、「自分も危ないかも・・・」、「いやいや、建部は大丈夫・・・」不安と憶測が入り乱れる。
 そんな中、気がつくと明日から4月。予断を許さない状況とは言え、日本社会では今まで通りに事が動く。公務員の人事異動。
記者の周りでも何人かが退任、転勤と決まった。建部町公民館では3人が離れることに。そのうちの一人が入野曜子さん。

マスク  赴任から7年、彼女が関わった数々の公民館企画。「建部の歴史を学ぶ」「ESD世界大会」「タネピリカ」「トライ&トライピアノコンサート」 「未来塾」「たけべおこしプロジェクト」「タイムカプセル」「だっぴ」「たけべマルシェ」「小学校防災キャンプ」「夏休みお化け屋敷」「フードバンク」「たけべ部」、そして「建部はっぽね太鼓20周年コンサート」での見事なナレーション。

入野さん  まだまだあるに違いないが、そのどれもが彼女の果たした役割が大きい。先日は県内の全公民館が選ぶ最も優秀な活動で「たけべ部」がグランプリに輝いた。
 そんな入野さんの次なるステージは足守公民館だ。
 「ここからも近いし、またちょくちょく来ます」と挨拶をしてくれたが、ちょっぴり寂しいのは変わらない。
 別れはいつだって、新しい旅立ちの時、笑って送るとしよう。

 (取材・写真 三宅 優)




 「こんな時だからこそ」第2弾!マスク作りボランティアの活動 2020年3月25日発信

マスク マスク  取材自粛ぎみの当新聞だが、「oniビジョン」の松本記者から、ボランティア建部の会でマスクを作って配るそうですとの情報。
 そうか、さすが建部のご婦人たち動きがいいなあとマスク着用で社会福祉協議会のある「老人センター」に赴く。
 会場入り口で身振り手振りで松本記者に説明をしていたのはボランティアの佐々木会長さん。
 「ニュースで高校生が600枚のマスクを作ったのを聞いて、私も作ってみたんです。これまで会では、ふれあい給食を一人暮らしのお年寄りに届けていたんです、安否確認も含めて。それが、こんな時になって弁当がくばれなくなって、そうだ、じゃあマスクを配ろうって。それで何人かに話したら、お弁当の代わりに配ってあげようやーとみんなが賛成してくれたんです。で、今日と明日で170枚作れたら、そこから来週にかけて届けることにしたんです」

マスク マスク  材料は持ち寄り、端切れ、市販布、家にあった布、それを洗ってノリを落として使う。ところが見つからなかったのがゴム紐、どこも買い占められたようで無い。
 散々探して、意外やすぐ近く商店街の「中田文具店」で発見、灯台下暗しとは正にこのこと。
 ボランティアの人数は約30名、ということは一人5~6枚を製作せねば。
 「もうなあ、目も悪いし、指もよう動かんからなあたいへんじゃ」そう言いながらも針で1目、1目を縫っていくさまは、昔取ったきねづか。
 「最近はもうこんなことせんからなあ、ミシンの方が早いし・・・」いえいえ、手際のよさに感心。
 布を裁断する人、縫製をする人、途中登場したミシン掛けする人、役割分担よろしくマスクが順調な生産体制に入る。

マスク マスク 手を動かしながらも会話は続く。その内容はやはり「もうどうなるんじゃろうなあ、コロナ・・・」
 「何もかもが中止になってなあ、ホントにどうなっていくんじゃろう・・・」
 そうだね、ついつい気持ちが暗くなるよねえ、でも、こんな時だからこそボランティアの活動が勇気を与えると思うよ。
 記者の感想にoniビジョン松本さんも「そうですね、こうやってみんながすぐに集まって、やるというのがすごいですよね」
 きっと来週には、手作りマスクを付けたお年寄りの姿が町内であちこち見られるだろう。当新聞グルメレポーター(妻)も試作品を頂きさっそく着用、
 「これで、コロナなんか怖くない!」(当グルメレポーターの一言)

 (取材・写真 三宅 優)


 「こんな時だからこそ」建部の学童ボランティアの活動 2020年3月23日発信

学童 学童  コロナウイルスのため里山祭りが中止になりホッと(笑)していたら、市場の里山会員のメンバー達から、市場地区で今月初めから「市場コミュニティ」で子供たちの学童保育をしているという情報をもらった。
 何か手伝えることはないかと問いかけた所、工作やレクリェーションで子供たちに体験活動を提供しようと話がまとまる。さっそく、子供たち同様にしっかり手洗い、うがいなどして活動開始です。
 3月13日の朝8時半から垣本町内会長さん、片山さん、市川さんと共に、水鉄砲や紙鉄砲づくり、ブンブンゴマ、折り紙を使った頭の体操などを一緒に行う。

学童 学童  この市場地区は元小学校の校長先生である市川さんを中心に、地域の皆さんが交代交代で子供たちを見守るボランティア活動に参加しています。
 垣本町内会長は「こんな時だからこそ、地域の協力、ボランティアでの手伝いが大切です」との発言、思いがひしひしと伝わってきました。
 隣りの中田地区では、地区内にあります龍淵時で寺子屋が今月7日から始っていました。
取材で伺った日も9人の子どたちが、1時間目は国語、2時間目は算数、3時間目は道徳などと、小学校の時間割と同じように進めていました。 ご住職の浅沼さんに伺いますと、これまでに檀家の子どもたちの夏休み合宿の経験があり、市場地区と連携を取りながら開校したとのことです。
 こんな力が建部地域にあるなんて嬉しいですね。本堂の脇にある掲示板には「陰徳あれば陽報あり」の聖語が掲げられており、まぶしいぐらい輝いていました。

 (取材・写真 勝部 公平)


 コロナにも負けず、福渡河川桜はスタンバイOK! 2020年3月20日発信

桜準備  春分の日といえど朝はさすがにまだ寒い。それでも福渡町内の人たちは、午前7時には「建部町産業観光物産案内所」下の旭川河川敷に軍手、長靴姿で集合。約40人がいっせいに草刈り、清掃に動き出す。
 間もなく開花が待たれる桜並木周辺をきれいにしようというこの活動は「福渡愛護会」が呼びかけとなり、今日も大勢の参加を得た。草刈り機を使う人、熊手をかく人、ゴミを集める人、やり慣れている人らの行動は無駄がなく、あっという間に数百メートルにも及ぶ並木道はきれいさっぱり。 

3.11 3.11  続いての作業は提灯の設営。お花見に定番のこの”ぼんぼり付け”は、一昨年から始まり、夜桜に訪れる人らに好評だ。
 赤、青、黄、緑の提灯を日中に眺めるとこれまた昭和レトロな感じで親しみ倍増。(手前自慢?)
 終わってみると1時間ちょっと、やはり人の力は偉大なり。自分たちの町にある自分たちの桜並木、だから自分たちの手で大事にしよう、 そんな素直な思いでつながるこの町にコロナなんか恐くない?

(写真・レポート 三宅 優)



 あれから9年、今できること 2020年3月11日発信

3.11  3月11日、8年間続けてきた「3.11追悼の集い」は開かれなかった。しかし、もともと集まることに意味があったわけではない、忘れないでいることが目的だった。
 間近になっても問合せがあった。「やはり、中止ですか・・・」
 「ええ、今年はお家で一人一人の胸の中で追悼をしてください」そうお願いした。
 届けられていた数百個の牛乳パックは、1月末にはすべての作りが完了した。
 「今年は環境に優しい暮らしをイメージして葉っぱの形に窓を開けたよ」と妻(当新聞グルメレポーター)が嬉しそうに言った。
 その点火作業の手伝いも大勢の方が声を掛けてくださったが、結局、集まりの自粛が求められていることと逆行するのでお断りした。
 「迷惑はかけられないよ、二人でやればいいよ」と妻が言い、「うん、まあそうだね」と私(記者)も答える。
 そうは言ったものの、数百個の点火は大変だ。そこで池用の9個のサークルのうち8個をいつものガレージに並べ、9個目を池に浮かべることにした。 これだと点火も比較的スムースだし、設置も二人でやれる。

3.11 3.11  午後5時、点火。
 1個、1個のキャンドルに、あの日のことを思い返しながら火を灯す。午後6時、完了、黙祷。
 私たち二人の残された時間も、そう長くはない。しかし、それでも今日を生きていられる、だからこそ1日を大切にしたい、意味のある1日にしたい。
それは決して自己保身の生活ではなく、社会の助けとなるよう生きる。 10年前、亡くなられた多くの人たちが教えてくれた最も大切なメッセージだと思う。

(写真・レポート 三宅 優)



 里山の早春譜、届く・・・。 2020年3月9日発信

里山  コロナの不安はまだまだ続くが、閉じこもってばかりいられない。里山建部から今季初めの活動報告が届いた。
鳥越池の向こうに立ち昇る煙、炭焼きの開始だ。窯を設えてから幾年月、今では里山の風物詩、メンバーの男たちもそれなりに歳をとった。 だが不思議とその表情は10年前に出会ったままだ。全員が体を動かすのが好き、人と協働するのをいとわない、笑いがいつもの挨拶。 いいメンバーに恵まれた。

里山  原木の丸太に打ち込むのはシイタケ菌。これを採集して販売するのが目的ではない、自分たちで実りを味わうのが喜び。 大きな事業など考えない、あくまでも身の丈に合った活動。「里山建部」事務局の勝部(当編集長)は言う。
 「この会はこの会に今いる人たちのための会であって、後の人たちは、後の人たちで自分らの楽しみを作り出して行けばいい。 むろん、その時には人生100才まで働けと言われ、楽しむなどという生き方は残ってないかもしれない。しかしそれは、結局は自分の人生をどう生きるかなのだ。 人に言われて生きるか、自分で決めて生きるか」

里山  この春の「里山まつり」は当然として中止となった。メンバーにもちょっと気が抜けたような一面がある。数百人がこの富沢地区にやって来るなど10年前には考えられなかった、そのイベント取止めは確かに寂しい。しかし勝部が言う。
 「今回のことは、里山のこれからを考え直すいいきっかけのような気がする、自分たちに本当に大切なことはなにかを考える・・・」
 窯から上がる白い煙りがやがて透明に変わるまでの三日三晩。今年はどんな風合いの炭が誕生するだろう。

(レポート・三宅 優 写真・勝部 公平)



 「32の古墳を探せ!」見失った建部古墳を再発見!く 2020年3月1日発信

古道を歩く 古道を歩く  コロナ一色の日本、そして建部町でも。学校、公民館、施設、あらゆるところで行事が中止。当新聞の取材スケジュールもほぼ空白。まあこんな時もあるか、でもいつまで?
 この日、地元の仲間と前から計画のあった小さな山歩き。これは外の活動だし参加者も地元民なので心配なし。そこへ、オニビジョンの松本記者「いやあ、どこもイベントが無くなって・・・」。
 そしてさらに、福渡にオープンした民泊滞在中のアメリカ人ご夫婦も。
 「せっかくなら、じっくりと日本を味わいたいと思い、ここに6週間居ることにしました。今日は面白そうな計画と聞いて参加しました」

古道を歩く 古道を歩く  ニューヨークから来たというアキラさん(横浜出身)と妻のトレイシーさん、ご主人の故国をもっと深く知りたいと去年の夏から1年間、全国を旅している。
 アキラさんが面白そうと言ったこの山歩き、ただ歩くのが目的ではなく、旧建部町の頃に文化財の指定を受けていた古墳群、今では長く放置されて、 在りかが不明となっている大き目な古墳について新たに見つけようという試み。
 場所は建部上に鎮座する法寿山、山中、旧建部町教育委員会資料によれば、ここに32の古墳群があると地図にも明記されている。しかし草や木が伸び放題に覆う自然相手に、地図にはこの辺とあっても、一向に見つかるものではない。記者もこれまで10回ほど上がったが、再発見はない。

古道を歩く 古道を歩く  さて建部里山ハイキングクラブ、本田隊長率いる探検隊に「タケベのビーナス」は頬笑むか?
 朝、9時、建部七社八幡宮を出発した一行は直線に急こう配の斜面を四号、五号墳へと向かう。
 昨日の雨で地面の枯葉はビッショリ、おまけに体が触れるたびに小枝から水滴がポタリ。そのうち「これが、そうだな」まずは地図上と一致。
 六・七・八と探すが手掛かりなし、とりあえず町指定「五輪塔」で一休憩。つづいて上へ100m、3号墳、そして、このままでは古墳体験にならないと、確かな形の残る1号墳へ。そこから再び急斜面を165m上へ29号墳「よう、わからん」
 水平に移動し「31号は結構大きいと書いてある」「うん、これだ、間違いない」灌木を切り払い、立札を建てる。「31号」。
 参加者で大田の「なんでもBOX」主催の河原さん「今日、3月1日はワシの誕生日じゃ、その日に31号が見つかるなんて、何か特別な意味があるような・・・」と、感激ひとしお。

古道を歩く 古道を歩く  世紀の再発見?に気を良くした一隊は、建部古道に出て山頂方向へ32、27、26、25、24号墳へ。さらに・・・「いや、いや、もう、お昼になったから、あとは次の楽しみに残しておこう」

 万歩計では7000歩、3.5キロのトレッキングもやっと終了。
 最後にアキラさんの感想「今日は建部の古い歴史に触れることができて、とても楽しい時間を過ごせました」

 なんにもないけど、探せばきっと見つかる、たけべ再発見の旅へウエルカム!

 古墳群地図


(取材・写真 三宅 優)





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