■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
豊かな水と肥沃な土地に恵まれた建部平野。
この自然から得られるさまざまな作物。
この十年、若い世代の農業へのアプローチが
拡がっている。当「たけべ人」でも、すでに
従事者の一人、河端陽一さんを紹介。
これまでの過酷な労働というとらえ方とは
異なり、土と触れ合うことに生きがいを抱く
新しいチャレンジャーたち。
今月は野菜作りに情熱を傾ける石井靖子さんの
登場!
(取材:松下りえ・三宅 優 写真:三宅 優 )
(プロフィール)
石井 靖子(やすこ)
昭和52年神奈川県横浜市に生まれる。
神奈川でご主人と出会い、7年前、
就農を目指して建部町に移り住む。
目下、夫婦でキューリを中心とした
野菜栽培を手掛ける。
2児の母
(松下りえ)やっちゃん(靖子)、出身は関東のどこ?
(石井靖子)「神奈川県の横浜市で、今もそこが実家です」
(三宅 優)どんなご家庭で育ちましたか
「うちは私と弟の4人家族で、父は建築板金の職人でした。母からは私に苦労させたくないので、勉強、勉強と言われてました。結構、亭主関白な家でした(笑)」
(松下)へー、そうなんだ。私ん家も職人一家だからそのへんすごくわかる~」
(三宅)なるほど職人の娘が二人の共通点だったわけですね。ところで学校では何かやってましたか
「小学校は合唱、吹奏楽に夢中でとにかく音楽が好きでした」
(松下)その時のことが、今、畑で歌うことにつながってるんだ(笑)
「そう、だれもいない畑で一人で大声を出して歌ってます(笑)。でも、すごく気持ちいいですよ、ストレス発散できます」
(三宅)高校を卒業されてからは、どうされましたか
「エクステリアの会社に就職しました。それから、いくつか転職してOLを続けてたんですが、24歳の時、心臓に腫瘍が見つかって手術したんです。その時が人生の転機となりました。毎日、ずっと同じ仕事をして平凡な暮らしをする、それも楽しかったのですけど、何も知らないでこのまま終わりたくない、他県にも行ってみたいなーって考えました」
(松下)長野に行って農業に目覚めたと聞いたけど、そこから始まるのね
「たまたま、アウトドア製品の販売会社が長野で仕事の募集をしてて行くことに決めたんです。
最初、車で走っているとレタス畑がずっと続くんです、直売所とかで、おばちゃんたちが、”ここの野菜っておいしいのよー”とか話していて。
長野って寒い所じゃないですか、至るとこに堆肥の山があってモクモク、モクモク発酵して、それを人が耕して土作りをしている、
”こんな仕事をしてみたいなあ”って、農業のあこがれ原点です」
(三宅)でも、すんなりとは到達しなかった
「”やってみたーい、いつかやってみたい”で5年間くすぶっていました(笑)。長野に3年いて結局、本社に戻ることになって、どうせ戻るなら違うことをしてみたいと思いました。神奈川に帰って厚木のバイク店に勤務を始めました。バイクの免許も取ったんですよ。
で、そこで、神奈川の大学を出て勤めていた主人と会って、岡山出身と聞いて、行ったことないからお盆休みに連れて来てもらったら・・・」
(松下)アッハハ、そこで農業魂が爆発!したんだ(笑)
「そっ、そう、胡蝶蘭の花を観たときの驚き、生産農家って聞いて、”なに、これ、ワァー”って、それで主人に、”帰りたくないから私、絶対にここに住む!”ってお願いしたの(笑)」
(三宅)「それですぐに農業にたずさわったんですか」
「いえ、胡蝶蘭の手伝いをしてたんですが、主人が花に興味がないので野菜に行きたいって。土作りからやってみたいと思ったみたいで、おじいちゃんがホウレン草をやっていて、最初はキューリから始めました」
(松下)キュウリにこだわるのって、何かあるの?
「土地が限られているので、狭い土地でたくさん採れるものって考えて、それが一番利益が上がるねって。
それと、キューリは年々高値傾向が続いているんです」
(三宅)今は他にどんなものを作られてますか
「年2回のキュウリ以外にほうれん草、そら豆、ニンニク、里芋です。3月にハウスでキュウリを植えて、露地で6月7月、またハウスで9月まで。そのあと10月、ほうれん草に入る、そんなスケジュールです」
(松下) どれくらい植えるの?
「キュウリは1回で440本くらい、ハウスでも植えるから・・・」
(松下) えっ、それって苗の数?だとしたら1本でいくつもできるから・・・ヘェー大変だー!
「そうなんです、夏の過酷な炎天下で2人でやってるので、もうそれは結構、大変(笑)」
(松下) 子どもの送り迎えとかどうしてる?
「子どもは朝、7時半には子ども園に預けるので、8時には畑に出て、暗くなる前までいて、それからですね」
(松下)フー、畑で歌いたい気持ちがわかるわー(笑)
「もう、歌がないと生きていけない(笑)、子どもの頃からずっと歌、聖子ちゃんのような歌手になるのが夢だった。
高校の時、カラオケ大会に出て歌って、二十歳の頃、ジャズのお店で歌わせてもらったり。実は私、建部で5年前に
NHKのど自慢に出たんです。備前大会で予選1000組の出場で20組が選ばれるのですけど、こりゃあムリと思って、ツナギと長靴姿で目一杯、”農業スタイルで来ました!”で出て、歌ったら合格したんです(笑)」
(松下)まさに、”やっちゃんここにあり”って感じだね(笑)
「主人のおばあちゃんがスッゴイ喜んでくれたのがとっても嬉しかったです」
(三宅) これからの目標とか計画とかありますか
「どうしても、農家って忙しくて休みが取れないんです、どうにか考えて休みが取れる農業を実現したいです。それと子どもたちに、野菜が採れてスーパーで並ぶまでを間近に見せてあげたいです」
(三宅・松下)ありがとうございました。
(松下りえ)
やっちゃんって一生、少女だよねー。
うらやましい性格だよね、こんだけ明るい人は岡山では見つからない?!
(三宅 優)
昨年の文化祭でカラオケ発表のトップを飾った靖子さん、年寄り演歌
てんこ盛りのステージにいきなり新風。どんな人だろうと、すぐに取材のお願いをした。
取材は1月の農閑期、畑に緑はなく少し寒々しい光景の中で行われた。
もっと暖かくなってからにすればよかったと後悔。しかし結果は、
想像以上に明るい靖子さんのキャラクターと、しっかりとした信念で
仕事に取り組んでいる姿を見るに、何だかこちらの心もホカホカとしてきた。期待どおりの人だった。
ここの印象は?の問いに「岡山に来て、いい人たちに囲まれているなあって感じがしてる」との答え。
僕らも、その気持ちがずっと続くように励まし、つながっていきたいと思う。来月、記者宅で行う「3.11追悼コンサート」でも歌ってくれるそうで、今から楽しみだ。
コロナウイルスの猛威は世界を席巻、日本での拡大もどこまで進むのかまったく予測がつかない。
そんな中での岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催、
「環境フォーラム2020」さぞや辞退者続出かと思いきや、少しの欠席(こちらは単に風邪をひいた)が出た程度で10家族20名以上の参加となった。
23日(日)朝8時、恒例の会場となった田地子地区「多自枯鴨神社」境内では、地元のボランテイァとスタッフが周辺からかき集めた杉葉や小枝でたき火を起こす。
樹齢1千年を超す大樹がなくなり少しサッパリした感がある境内だが、それでも今もって神々しさが漂う。
スタッフがあらかた準備を整え、待つこと2時間、到着しました、ガヤガヤにぎやかな親子連れ。
一行は「めだかの学校」能登館長の今日の学びのポイント「田地子の自然と文化に触れる・・・」の話を聞き、さっそく体験へ。
おなじみ「花炭づくり」。「今日は失敗しないぞー」とは、前回も参加の親子。原因は火力不足、そこで今回はスタッフが
たっぷりと炭火を起こして用意万端。さて、結果はいかに。
仕掛けを終えたら「焼イモ」のこれまた仕掛け。煙突の煙が上がるスクモの中にアルミホイルで包んだサツマイモを埋める。
出来上がりはいずれも2時間後。その間にやることはと言えば、これも恒例、建部の山の素材を使っての工作。
1つ目は「竹でっぽう」。篠竹(しのだけ)の太い部分と細い部分を使って、水鉄砲のように押し出すやり方だが、説明するには紙面ではちょっと面倒。
2つ目は「やじろべえ」竹ひごの真ん中、両端にドングリを差し込んでバランスを取りながら、一人立ちさせる。
講師はこの道、ん10年の古本さんと記者。共に子どもの頃はこれでよく遊んだ記憶が。
「スパンッ!」と誰の鉄砲が鳴ったのか、その音に刺激され「早く私も飛ばしたい」と鋸を引く手にも気がはやる。
やじろべえのドングリに帽子をかぶせ、土台には「まっくろくろすけ」も飾りましょう。
スタッフから「丸太切りの時間だよー」の声。でも中々、工作から動かない。
何人かが丸太に移動、やがて「餅つきの時間だよー」
今度は丸太から中々、離れない(笑)
そうして餅つき。参加者の高学年の女の子が進み出て「じゃあ、餅をつきたい子はここに順番に並んで!君は何年生?じゃあ後ろに」と采配を振るう。
「ヨイショッ、ヨイショッー」のかけ声。杵がフラフラする子も、うまく打てた子もとにかく体験。
パパの登場、「おお、さっすがー、やっぱ、音が違うよねえ」ママさんらの感心にさらにパワーアップ。
「おい、おい、臼が壊れるほど叩いちゃあ、おえんでぇー」スタッフの声にどっと笑い。
きな粉とヨモギ餅のあんこをいただいた後のお昼ごはんは、地元のご婦人たちが用意してくれた手作り料理。
腹がいっぱいでも、見るとお腹が減って来る。
炊込み御飯と筑前煮、煮豆にゴマ和え、お新香、シシ汁・・・「フー、一生分、喰ったなあー」腹をさすって満足気な親子。
午後からは、地域の昔の暮らしを学ぶ時間。田地子区長の本田さんが解説。
「昔の人は森にあるもので、すべてをまかなっていました。木を使って道具を作り、ワラを使って縄を編み、水は井戸から組む。そうして自給自足の生活をしていました・・・」
特別出演は田地子の子どもたちによる棒遣い、演舞。「カーン!」と打ち鳴る棒の音に全員が「シーン!
」と聞き耳を立てる。
ジっとしてたので少し体を動かそう「地域を探索」の時間。山には黄色いロウ梅、梅の花、石垣のある家を過ぎて、川のせせらぎ、覗くと暖かいので、小魚たちが水面に出て泳ぐ。向こうに白い何か「あっ、ヤギさんだー」。
前もって飼主さんに「シロ」(ヤギさんの名前)を見せてねとお願いしたら、待ってくれていた。
「シロ」と戯れ、イノシシ檻(おり)も見学、帰りは古道をテクテク、「へー、こんなに細かったんだー、昔の道って」何でも感心するのは現代ママ。
到着後には、開けてビックリ?の「花炭開缶」
「わぁー、見て見てこんなの」手には見事な黒炭栗イガ。
たき火の煙にあたって厄除、この後、参加者は元気な姿で帰路に着いた。
(取材・写真 三宅 優)
この日は建部小学校3年生、待望のお味噌づくりの日です。
去年の春、学校の畑にマメの苗を植え、成長を観察しながら収穫した大豆を使い、自分たちのお味噌を作ろうとの計画の第1歩です。
指導するのは子どもたちに畑の管理をしながら、生き物の成長体験を指導している戸田先生です。戸田さんは建部上にお住まいで、日夜、畑の手入れやプランターの花々を丹精込めてつくられているベテランです。
学年担当、西村先生の授業説明に続き、さっそくグループ別に米麹と塩をまんべんなく混ぜ、続いて昨日からことこと煮て柔らかくなった自分たちが育てた大豆をつぶす作業に入りました。
途中、つぶした大豆に鼻を近づけ匂いを嗅いて「青くさい匂いがする」「栗の匂いに近い」など一人ひとりの感性を高めながら進めていきます。
次に、つぶした大豆と麹を混ぜ、ハンバーグをつくる時と同じように空気を抜きながら滑らかにしていきます。
ブーンと発酵が始まりはじめ、各グループで作ったお味噌のかたまりを「おいしいお味噌にな~れ!」と祈りを込めながら樽の中に入れていきます。
数カ月後の熟成されたお味噌が楽しみです。こんな体験活動をふんだんに取り入れようとしている先生方と、地域ボランティアの連携が子供たちの情操を高め、子どもの感性の豊かさが身についていくのですね。
(取材・写真 勝部 公平)
昨日の「たけべはっぽね太鼓」公演の余熱が残る建部町文化センターで、今日も大きなイベントが。
岡山県トレイルランニング協会(OTRA)主催「トレイルランニングフォーラム2020」の開催。当新聞でも去年の設立大会を取材。記憶に新しい方もおられるかと思う。
1年目となる本日の催しではランナーとして著名な3人のゲスト(佐藤 光子選手 丹羽 薫選手 村上 宣寛 氏)が講師として招かれ、その生の話から学ぼうと、アスリートを含め大勢の参加者が会場に。
当建部町からも岡山マラソン出場の森田市議会議員、山岳登山愛好家の本田 義章さん、建部上区長、斉藤孝義さんが出席、建部の自然をベースに、どのようなスポーツが展開されるかに関心を持って臨んだ。
すでに、朝8時からの丹羽選手の指導による「ランニングセミナー」で八幡温泉駐車場から実際に町内を走るプログラムを終了し、
我々は午前10時からの本会から参加。
まずは総会が開かれ、村松達也会長が趣旨を述べる中、トレイルランナー宣言がなされた。
<トレイルランナー宣言>
「トレイルランニングは安全なスポーツです」
「私たちはトレイルで出会うすべての人々を尊重します」
「私たちは、自然環境とトレイルの保全を優先します」
「私たちは、トレイルを守るために地元の人々と協力します」
「これらの目的を達成するために、私たちは各地の大会と協力し、
大会が環境面や安全面でよりよいものになるよう努力し、もって地域社会へ貢献したいと考えます」
この後、各委員による活動報告等があり総会決議がなされた。また、岡山市出身でウルトラトレイルワールドツアー世界ランキング6位に輝いた丹羽選手に名誉会員が授与された。<>br
続いて、佐藤光子選手による「心拍トレーニングについて」の講演。
金髪のショートカットで登壇した佐藤選手。なんと7年前50代で日本山岳耐久レース(ハセツネ)優勝。「えっ?今、何才?」その若々しい容姿に
場内どよめき。
その佐藤選手、キャリアも凄い、40歳半ばから「大阪国際女子マラソン」11回出場。「mmmm-スゴイすご過ぎる」
佐藤さんの今日のお話は、「心拍計を使ったトレーニングの方法について」
スピードと心拍の関係を様ざまな視点から分析、心拍数から「健康状態がわかる」「体力(走力)レベルがわかる」「トレーニング効果がわかる」ことを
説明。
心拍トレーニングの方法として[目標心拍数(1分間)=220回 ― 年齢数]
記者(67歳)の場合153回を最高にそれのX90%(レッド)・80%(黄色)・70%(グリーン)の中でトレーニングを組み立てる。すなわち普段心拍数80程度記者の場合、グリーン(心拍数105回程度)の運動が望ましく、徐々に80%程度に、レッドに至ることには注意が必要。といっても、全く体を動かすことのない記者においては、今日のセミナーで心拍数を上げる体操をしただけで、かなりのアップ。ゆえに、日頃から運動を心がける人とはかけ離れている数値であることをご承知あれ(笑)。
午前の部は佐藤選手の実践を基にした中身の濃い話に引き込まれ、あっという間に終わる。
後半は二人の講師のお話が予定、なのだが誠に残念、午後に入った別取材のためやむなく会場を後に。
「OTRA」のこれからの益々の発展を祈る。
(取材・写真 三宅 優)
澄み渡る青空、開場30分前、現地到着。私の今日の使命は
チケット「も切り」の手伝い。
そうなのだ、これから行われるのは「建部はっぽね太鼓」20周年&師匠「芸歴35周年」その記念すべきコンサート。
こう聞いちゃあ黙っていられない、これまで建部のさまざまなイベントを盛り上げてくれた「はっぽね太鼓」の一世一代の晴れ舞台、何がなんでも応援せねば。
駐車場の至る所、あの人、この人、知った顔、皆、ボランティアで
誘導係。
ロビーをくぐる、おお、なんとすでに200人位の人、人、人。世の中、コロナ・・・で自粛ムード最盛なのに、これだけの人が?建部中学の生徒たちも会場係に駆けつけた。
そうなんです、「はっぽね太鼓」の20年は、建部と言わずさらに周辺にまでつながる20年、多くの人へ元気を分かち合ってきた。
だからこそ、これだけの観客。
いよいよ、開演。ワク、ワク、ワク・・・。
オオッ、いきなり挨拶なく本番「たけべはっぽね青年部]
がいっせいに打ち鳴らし、会場、一気にお祭りムード。
そして、次々と繰り出す太鼓パフォーマンス、それはまさに太鼓夢芝居・・・、
直径3尺の備中太鼓も運ばれて、太鼓、タイコ、たいこがホールに響く。
気がつけば後半、いつものメンバーが勢ぞろい、「はっぽね太鼓」が締めを取る。
「はっぽね満開夢神楽(ゆめかぐら)」、塩原先生がこの会のために作曲、振付をした
曲に全員の力が結集する。
大ホールを埋めた530名の観客、建部の町民もいっぱいだ、その一人一人が「よかったー!」の拍手で応える。
今日は本当にありがとう、お疲れさまー。
(取材・写真 三宅 美恵子)
当新聞、特集でもお伝えしている増加する建部の空き家を活かす検討会。それが本日から「たけべ家おこしプロジェクト」として活動の一歩を踏み出した。
設立総会となった今日、賛同する十七名が集まり、今後に向けての意見を交わした。
開会に当たり発起人代表の垣本さんから「建部の空き家の状況は日々増えており、手をこまねいているだけではいけない、何とかせねばの思いで立ち上げました」
の挨拶。
同じく発起人、大塚愛さんから「2年前、公民館で”空き家講座”が開かれ、空き家を何とかしたい、一方、移住希望者からは空き家が見つからないの声があり、
何とかつなげることで活用ができないかなあと、それが今日の発足になりました」との経緯説明。
「たけべおこし」代表の平田さんからは、この会の設立を明確にした「規約」の説明があった。(以下、要約)
(目的)
「会は建部町の空き家の対策に取り組むことで地域の活性化に寄与し、・・・新しい仲間となり得る人の受入れを進める・・・」
(活動として)
「空き家の実態調査把握。空き家活用における情報の発信。他の関わりのある組織との連携協力の推進」
(会員)
「会の目的に賛同した人たちで年会費500円を納め運営する」
等、・・・。
この後の質疑応答では「目的」とする部分の補足や「活動」の具体性について意見が述べられたが、これからの方向性は誰もが手探り。
それゆえに、柔軟な体制で臨むことで意見が一致。
「10年後を考えた時、このままではだめだ今、やるしかない」(垣本会長)の発言はだれもが異論のないこと。
まずは一歩を踏み出すことが大事との結論で、この日、集まった地域の問題意識を共有する「新会員」により規約は承認され、同時に役員の選任もされた。
会の最後に久米南町から参加していただいた地域おこし協力隊の柴田さんから自身が作成した「所有者さんに聞いてほしい 空き家の話」の冊子が紹介された。
空き家は「3年経つと家ではなくなる」そんな、空き家を無意識に放置することの是非を切実に問いかけている内容に「建部でもこのことを伝えたい!」との意見。
そうして、会は全員一致で設立を終え、次なる活動へとシフトを移すこととなった。
(最後に)
記者はこれまで多くの地域活動、行政主導の活性化プロジェクト等に接してきた。そして、その多くは実を結ぶことがなく終わった。しかし、いつだって「やろう!」という人がいて、はじめて「やれた!」という結果がある、だから、何度でもあきらめず「やろう!」が大切だと思う。
幸いこのプロジェクト、建部町では珍しく?(笑)、老若男女、地の人、他者の混成チーム。となれば、結構、オモシロイ展開になるかも・・・!
(取材・写真 三宅 優)
今日の建部町保健センターに集まった人たちは、いつもながらの地元高齢者(記者も)だが、この顔ぶれで一堂に揃うのは珍しい。
と言うのも、この会合、福渡学区4地域、川口、下神目、鶴田、福渡と広範囲で、中々会することがない。今回は福渡学区栄養委員主催でお年寄りを対象に「健康交流会」と銘打って開催しているものだから。
参加者はざっと40名、意外や男性陣も出席率高し。
当然、最初のプログラムは「岡山市民体操」、そして「上手に減塩しよう」のお話。
この後、昨年は「御津チンドン」さんがピーヒャララとやって来たのだが、
今年は同じく御津からハンドベルグループ「アップダウン カノン」さんが登場。
「歌うことは口腔ケア」と称して、「パ・タ・カ・ラ」の言葉を使っての歌の手ほどき始まる。
「パッ!」、を使って「鬼は外」、「タッ!」が続く「ウサギのダンス」、
「カッ!」、を使って「カラスの子」、「ラッ!」、は「高原列車はラララララ行くよー」
次は「中国鉄道唱歌」の合唱。
津山線駅が順に歌詞で登場、これは初めて聞いたという方も多い。
今度は道具を使って「パッ!」、、ムービングボール(百均にある)を振りながら口の運動。
声は十分出したので最後のメニューは「お雛様作り」。
あらかじめキットにして用意された「め雛」と「お雛」の頭(かしら)に十二単(じゅうにひとえ)ならぬ七単(ななひとえ)の端切れがセット。
一枚づつ着物を着せていくのだが、指先がどうも・・・男性陣の中から早々「ギブアップ」も。その点、女性陣は子どもの頃の着せ替え人形の経験からか、根気よく重ね着を。
「まあ、ええのができたわ」
さっそく同じ町内のご婦人方から「みやけさーん、お雛様を前にして私らの写真を撮ってちょーだい」
昼食は栄養委員さん手作りのお弁当。
献立は「サンマの梅肉煮」「ほうれん草の卵炒め」「里芋の煮もの」「出し巻き卵」「白菜漬け」「油揚げ具沢山味噌汁」、デザートに「杏仁豆腐+フルーツ」」
「うん、うん、どれも薄味」、でも魚と里芋にはしっかり味付け、漬物、みそ汁は物足りなーい位、塩分控え目。
全員でおいしくいただいた後は
「お楽しみタイム」。
くじ引きでも、もれなくもらえるのは・・・「おお、そうか、今日はバレンタインデー」
思い起こせばチョコをもらったのは、華やかなりし、若き・・・。
過去に浸ってる間に男たちは後かたづけ、女性陣は今夜の献立へと頭を切り替え、そそくさと会場を後にする(笑)。
(取材・写真 三宅 優)
気温は2度、富沢にある鳥越池前に建てられたテントの屋根には氷が張る。池の向こうでは薪を断裁するチェーンソーの音がひっきりなし。
今日は「里山建部」の月例の活動日。すでに早朝からスタッフが軽トラいっぱいの原木を運び込み、販売用の薪作りに余念がない。
そんな所へ、自然と向きあう暮らしを学ぼうと、岡山市環境学習センター「めだかの学校」の呼びかけで、市内に住む10家族25名の家族連れがやって来た。
午前10時、能登館長の開会のあいさつ。「本日の活動の大きな目的は3つ、1つは協力、2つ目は交流、3つ目は自然体験、この3点をしっかり実践して帰って下さい」
実行委員長(当新聞編集長)、勝部公平より、「知識ばっかりじゃあ生きていけない、体験、経験が大事じゃないかと、この活動を始めました」
一行はさっそく、里山メンバーが作業する炭焼き小屋キャンプへ移動。
重本会長の案内で、マキ割りや炭焼きの窯を見学。メンバーについても紹介を受ける。
「平均年齢70~歳の年寄りらが、月に何度かこうして集まり、自然の中で体を動かすことで、
有意義な時間を過ごしています」すかさず若いパパから「ホー、いいなあ」
集合キャンプに戻った参加者はさっそく体験に移る。
①「花炭」づくり。松かさ、椿の実・・・自然の植物を缶に入れ、蓋をして火にかけて炭にする。出来上がりは3時間後。
②その間、子どもたちは竹を切って削って、マイコップ、マイ箸を作る。道具はもちろん小刀。
③一方、お母さんたちには、昼食作りが待っている。
本日のメニュー「ピラウ」「ローストチキン」「スープ」ローストチキンはダッチオーブンで、他は大鍋で
燃え盛る薪の上で一気に作る。
「花炭」を載せたU字溝に入れられた炭火をけんめいに子どもたちが竹のフイゴで吹く。
「竹箸」自分の箸がないとお昼食べれないよ、と言われて慣れない刀を動かす女の子。
「ローストチキン」ダッチオーブンやってみたい人?パッと手が上がった数名のママさん。
「初めてだから、どんなふうにするのか知りたかったの」
そうです、そう、体験は子どもだけでなく、大人になってからも大切です。
誰にも(記者ら指導する側にとっても)どんなふうにできるかは未知数。火の加減、水加減、時間・・・「もう、そろそろいいかな?」「いやいや、もうちょっと」
こんな待ち時間がおいしさの秘訣。ヨダレがいっぱい溜まるから(笑)
時間は正午過ぎ。池の向こうからも「お~い、昼めしはまだかー」のサイン。
ピラウの蓋を開ける、「うん、十分、炊けてる」
「ダッチオーブンは?と、おお見事!」
昼食開始!!
「おいしいね」「おいしいー」
デザートは切ってきた笹の葉を炒った笹茶。「甘ーい」
「わー、めっちゃ、たのしいー」
お腹がいっぱいになれば、子どもたちのやることは山登り、山滑り。
大人たちは協力しての皿洗い。
そしてフィナーレ「花炭」開缶!どうだろう、できてるかなあ?
「ああ、まだ、茶色かったー」
「えっ、スゴイ、きれいにできたー」
「スクモを少なくすればよかったなあ」
「お父さんは、すげえうれしいよ、こんなのが出来た」
喜々交々(こもごも)の家族シーン。
午後2時半、風が急に冷たくなって、空もどんよりとした頃、閉会式。
「今日の体験は楽しかったですかー!」(スタッフ)
「たのしかったー!」参加者の嬉しそうなポーズで「里山体験」は終了!
また、次の機会にお会いしましょう。
(取材・写真 三宅 優)
フェイスブックで友達の安奈ちゃんからイベントの案内をもらった。「きこりさんになろうin建部」
そうか、彼らと会うのは10カ月振りだ、どれどれ顔でも見に行くか。
彼らとは、昨年4月に当新聞でも取り上げたが、岡山で自分らしい生き方を模索する若者たちのグループ
あこがれスタイルのメンバー達だ。どうやら今回も下神目にある安奈ちゃんのおばあちゃん家で、伐採作業をするらしい。
(Mちゃん)「ああ、ユウさん、お久しぶりです、私、覚えてますか?」(覚えとるに決まっとるじゃろうが、それほど、まだボケとらん)
今日のメンバーは、昨年のメンバープラス2人。さっそく、ノコだのカマだのを手におばあちゃんの山へ。
道々に近況報告が交わされる。
「最近、人とのコミュニケーションがうまくいかなくって、仕事が嫌でしょうがないよ」
「わかるよ、Macみたいにあんなにうまく人と接っしれる人ばかりじゃないよね。一度、辞めてみたら?」
「やめちゃえばいいんだけど、生活できないし」
記者も「いやな仕事だったら、やめた方がいいよ、やめたって、やって行けるよ」
リーダーのカッちゃんも
「俺なんか間もなく30歳になるんだぜー、でも俺は、俺の生き方を貫いて、いつまでも永遠の18歳でいてやるぜ!」
(Mちゃん)「それって、カッコいいじゃん!」
冬の山道は枯葉がいっぱい、足を取られながら目的地へ。
安奈ちゃんが「これとこれ、それと、あの木とその上の木、好きなだけ切ってね」
「ギコギコギコ・・・」こりゃあ、朝までかかるわ、記者も見ておれずナタで「ガッツン、ガッツン」
「倒れるぞー!」
斜面に転がった栗の木、断面にはカミキリムシの開けた穴がいくつも。
「じゃあ、これを下に降ろして皆で家まで運ぶから・・・」
安奈ちゃんのヘビーな計画を聞き、
さすがの記者も
「あっ、おれ、先に帰るから、またね」
と、”永遠の18歳”の真似はせず、”まもなく70歳だぜ”の行動に。
「あこがれ・・・」さん、またお会いしましょう、それまで元気でね(笑)。
あこがれスタイル←のFBはこちら
(取材・写真 三宅 優)
この日、朝の冷え込みは久しぶりに冬を感じさせた。
でも「まだまだ、こんなんじゃあダメだ。氷が張るくらいにビシッと寒うならんと、暖けえ春は来ん。
そうでなきゃあ野菜もええのができんで!」
今月、リニューアルした建部町産業観光物産案内所、通称「物産販売所」の前で出荷をするオヤジさん。確かに今年の冬は暖冬で野菜の出来がよくないと聞く。
新しくなった店内に入る。「おお、明るい!」
以前は店の中は野菜以外の品がメインで雑然と置かれていたが、今回、外の正面に並べられた野菜が店内中央に整然と並び、見通しもよく選びやすくなっている。何よりも床が新しく張り替えられ明るくなった。
これでお客さんは、寒い、暑いの外で選ぶことなく快適室内で買物を終えられる。
さっそくお客さん、まずはシイタケをカゴ半分くらい買い占め。「そうなのよ、御津に行ってもなかったのよ」
どうやら、お店をやってるのか、この近辺(御津、建部、久米南)をチェックするそうだ。いずれにしても消費者の行動範囲は広い。
その中で、ここ建部の販売所に来るにはそれなりの理由が?
「やっぱし野菜はここが一番新鮮で、どれも百円くらいで安いから」(先ほどのお客さん)
外の特設会場では、ミカンの詰め放題が300円。もう詰めるというより、袋の外まで盛り上げるいきおい。
黄色いハッピのスタッフも「もっと、乗せりゃあええよー」と気前のいい応対(笑)。
前を流れる旭川では地元民念願の「しあわせ橋」の復旧工事が着々と進む。向かいの「たけべ八幡温泉」から歩いて入浴客が建部の地産の品々を求めにやって来る日も近い。
(取材・写真 三宅 優)
朝9時、建部町文化センター大ホールで開かれた「夢と希望を語る会」、昔で言う立志式に臨んだ2年生たち。
これから5分間と言う長いスピーチが待ちかまえている為か、顔も緊張気味。
その第1部は板野先生を進行役に建中OBで、カヌーワイルドウォータースラローム日本一に輝く山根美千義選手がゲスト出演。優勝までの道のり、日頃のトレーニングの仕方、また中学時代の思い出などを語った。
(山根)「中学時代にカヌー部で3カ月サボったことがあって、そのあと結局、友だちを中学、高校と抜けなかった、そのことが強く自分に残っています。
国体に出場するようになってからは練習メニューが朝から夕方までびっしりとあって、冬は髪の毛が凍るほど、夏は水を体に掛けながらのトレーニング、15キロ漕ぎっぱなしのこともありました。
社会人になってからは、指導者もいないので仕事を終えて一人でやるしかない、・・・一番つらいのは練習場に行くまで。
行けばスイッチが入るのですが自分との戦いです。今は仕事と子育ての合間をぬって、わずか1時間でも練習の時間を確保しながらやっていて、目標は2冠を獲ること、世界選手権で結果を出すことです!」
いよいよ2部からは生徒たち一人一人がステージに立ち「夢を語る」
「薬剤師になりたい」 私がなぜ薬剤師になりたいかと言うと親戚に勧められたからです。薬剤師は国家資格で取るのが難しく、禁忌肢の問題もあります、でも資格を取るまでがんばりたいです。
「アニメーションの仕事をしたい」 僕がこの仕事をしたいと思ったのは「SHIROBAKO」というアニメを観てからです。これはアニメの制作進行の現場を舞台にした作品で、僕にとって人生の恩人でもあります(このあと作品の解説パフォーマンス)
「e-Sportsプレイヤー」 e-Sportsはゲームをする仕事です。特に「identity V 第5人格」と呼ばれるゲームは人気があります。僕もランキング100位以内に入りたいと思います。
「機械を直したり組立てる仕事をしたい」 僕は子どもの頃、よくレゴで遊んでいました。その頃から組み立てて物を作るのが好きで、今は父から教わって耕運機を動かすのが好きになりました。ですからそういった仕事に就きたいと思います
「保育士になりたい」 理由は小さい子の面倒を見るのが好きだから。
でも、保育士になるのも大変だし、なってからも大変なので頑張りたいと思います
「看護師、この道しかない」 1年前、曾祖父が亡くなって、今は曾祖母とジャンケンをして元気に笑っているのを見てこの仕事をしたいと思いました。福渡病院の職場体験では休憩の時、看護士さんが悩んでいる姿が印象に残り、誰からも頼りにされるこの仕事に就きたいと思いました。
「保育士」 認定こども園に職場体験に行きました。3日間でしたが楽しかったです。でも先生は休む間もないと知りました。だからこそ、やりがいがあると思いました。
「声優という夢」 アニメにはまり声優が好きになりました。特に声で感情を表現できるってスゴイと思いました。声を使って仕事をするだけでなく、観た人を笑顔にする仕事だと思います。
「ネイリスト」 爪のケアや爪に装飾するのがネイリストです。自分の趣味を活かして楽しみながら仕事をしたいです。一人前のネイリストになったら、母の爪にネイルをしてあげたいです。
「スコアラーになりたい」 僕の尊敬する野球選手4番は鈴木誠也選手です。もし僕が野球の名スコアラーになれば「侍ジャパン」に入れるかもしれません。そのために応援している広島カープの試合をシーズン通して観て勉強したいと思います。
「パティシェ―ル」 小学生の時、誕生日ケーキを作って誉められたのがきっかけです。その時からずっと変わりません。職場体験では「ケーキハウスキシモト」に行きました。プロの仕事を間近かに見て体力がいる仕事だと思いました。
「ドラマーになる」 父さんもドラムをしていて、クリスマスに電子ドラムをプレゼントしてもらいました。キーボードやギターもやりましたが、いつの間にかドラムを叩いています。僕が好きで憧れている「ONE OK ROCK」のドラマーのTomoyaが中学から継続してやっていたことを知り、僕もなりたいと思いました。
「eーSports」 すでに、I君が話したので言うことがなくなりました(笑)eーSportsはアメリカが発祥でゲームプレイヤーのことです。チーム戦なのでライバルとして、またチームメイトとして、今は同級生と夢を達成できるか日々考えて生活しています
「音楽が好き」(はじめにトランペット演奏)私は自分の気持ちを他人にうまく伝えられないで悩んでいたことがあります。でも音楽を聴いて勇気をもらいました。音楽は人を救い世界をつなげてくれます。そんな音楽に関わる仕事をしたいと思います。
「看護師」看護師になるには、学力を上げる、コミュニケーションをうまくとれるようにすることが必要だと考えています。人を看護する大変な仕事ですが”カッコイイ”看護師になりたいと思います。
「野球に関係のある仕事」 スポーツ関係、その中でも審判員か野球のカメラマン、共にやりがいのある仕事だと思います。カメラマンは以前テレビで「珍プレー好プレーショー」を観てカメラの撮り方でこんなになるんだと興味を持ちました。
「カヌーを続けたい」 私の将来の夢はハッキリしていません。でもカヌーだけは辞めたい、休みたいと思ったことがありません。今はタイムを縮めることに努力したいです。
「看護師」なりたい理由は3つあります。人を助けるのが好きで、職場体験は福渡病院に行きました。看護師になりたいと親戚や知り合いに伝えると「がんばって、いい看護師になってね」と言われうれしかったからです。
「サッカー選手」幼稚園の年長からずっとサッカーをやっています。今は「アクート岡山」というクラブチームに入っています。サッカー選手になりたい1番の理由は、いつも送り迎えをしてくれる母に恩返しをしたいからです。そのために、サッカーノートを書いて、猛練習をしたいと思います。
「管理栄養士」 今、病院施設では「NST」という患者さんの栄養管理をするところが増えています。私も自分で考えたメニューを食べながら楽しんでもらえたらと思いました。これからも食に関心をもって、日々、進化していく食に対応したいと思います。
「インテリアコーディネーター」空間のデザインをするのがインテリアコーディネーターです。ドラマの「家売る女」に出てくるインテリアが好きで観ています。
誰もが落ち着いて過ごせる空間を作りたいです。
「キャビンアテンダント」カッコイイ制服を着てみたいのと機内でのサポートをしてみたいのが理由です。外国人が多いので英語が使えるようになりたいです。
「美容師」理由は自分の力で収入を増やせるからです。反対に休みが少ないなど大変でもあります。でも髪を切ったお客さんの笑顔を見るととてもうれしいです。老若男女が集まる所なのでコミュニケーション能力を上げたいと思います。
「投資家」兄から投資の勉強をしろと言われたのがきっかけです。トレーダーは知識があればできるので、資格はいりません。将来はお金持ちになって、人のためにお金を使っていける人間になりたいと思います。
「英語が話せるようになりたい」英語ができれば、外国映画やドラマで字幕を読まなくてすみます。英語は世界の共通語で20億人が話します。多くの人と話せる可能性とビジネスチャンスがつかめると思います。(このあと堪能な英語でスピーチ)
「電子機器を製造する工場の社員」ラジコンや車が好きで、最先端の電子部品に関心があります。
これらは現代のユビキタス社会の根底を支えているので、そんな仕事に就きたいです。
総評を板野先生から「今日、君たちは5分間という時間を使って、自分の夢や将来をしっかりと伝えることができた。これから、
このことを自信にして前へと進んでもらいたい。そして、この後の3年生を送る会でもしっかりとした式にするよう頑張ってもらいたい」
そう、その通り「We can do it!」(僕らにはできる!)
(取材・写真 三宅 優)