建部の最新ニュース

  2020年1月

   ■「新たけべの彩時季」

1月の彩時季
(左上から右へ)
*「南天満開」 *2日 「何でもBOX」全開!8日 「つばめ」発刊
11日 建部小「昔あそび」15日 「とんど焼き」 *出来すぎ?大根
*「幸せ橋」工事進む  *19日 「伝統芸能保存会フォーラム」25日 「はっぽね太鼓」猛練習!


 ■今月の「たけべ人(びと)」

建部で活き活きと活動する人にスポット。

 東京一極集中の今、地方は自らの情報を
 発信する術に弱い。ましてやそういった県内の
 さらに中山間部においては、ただただ受け身で
 しかない。
  そんな中、建部町においては強力な応援団が
 存在。ケーブルテレビ「oniビジョン」。
 建部での出来事を伝える「御津・建部ニュース」
 町内の様々なイベント・行事・活動を放映、
 町民の耳目の役目を担っている。
 新年最初の「たけべ人」は、誰もが出会った
 ことのある「oniビジョン」記者、松本和之さん。
 (取材・写真 三宅 優)



 ■今月の「たけべ人(びと)」

建部で活き活きと活動する人にスポット。

 東京一極集中の今、地方は自らの情報を
 発信する術に弱い。ましてやそういった県内の
 さらに中山間部においては、ただただ受け身で
 しかない。
  そんな中、建部町においては強力な応援団が
 存在。ケーブルテレビ「oniビジョン」。
 建部での出来事を伝える「御津・建部ニュース」
 町内の様々なイベント・行事・活動を放映、
 町民の耳目の役目を担っている。
 新年最初の「たけべ人」は、誰もが出会った
 ことのある「oniビジョン」記者、松本和之さん。
 (取材・写真 三宅 優)


(プロフィール)

松本和之  松本 和之(かずゆき)
 1980年岡山市北区楢津に生まれる。
 高校を卒業後、専門学校でマルチメディアを学ぶ。
 2001年、「oniビジョン」に入社。
 以来、カメラマン、記者として市内及び建部町を回る。
 現在、岡山ネットワーク株式会社(oniビジョン)
 放送部係長。 

  


(三宅)お生まれは、岡山市内ですか?
 (松本)「ええ、今いる楢津、備前一宮です」

松本和之  じゃあ、学校もそこで通われて、何か部活動とかしてましたか
 「中学の頃はソフトテニス部でした。でも高校とかでは特にはしてなかったですね」

 高校を出られてメディア関係の専門学校へ進まれたのには、何かお考えがあったのですか
 「ちょうどその当時、パソコンが伸び始めた時代で、これからはこの方向が広がる、そういう時代になるなーって。 それで、岡山理科大学専門学校で今は無くなったのですが、マルチメディア学科に入りました」

 その中で映像に興味を持たれたのはどうしてですか
 「学科コースに映像、コンピューターグラフィック、インターネットがあって、まあ、映像がいいかなって思ったんですが。撮る楽しみを感じたのは、友だちとちょっとしたコントをして、ここで右に動いて・・・とかやって、普段は物静かな友人が照れくさそうにやるのを見て、ああ、映像って、人の素(す)の部分が出るんだなあって思ってからですね」

 専門学校を出られて、まっすぐに今の会社に入られてどうでしたか
 「当初、学校で習ったことがまったく役に立たず驚きました。使っている機材も全然違って、大きなカメラを肩に担ぐタイプだったし、 まあ専門学校ではハンディカメラで撮る楽しさを習った程度ですかね(笑)」

松本和之  でもそれって一番大切なことを学んだわけですね(笑)最初はどういう仕事から始まりましたか
 「いきなり実践でしたね。先輩記者といっしょにカメラマンとして取材現場に出されて、撮って来て、映して、 ああじゃない、こうじゃない、構図ができてない、何を撮ってんの、何撮りたいの?と言われるそんな始まりですね」

 いきなりとは結構きついですね
 「まあ、社会ってこんななのかな、社会人ってそういうもんかなーって。いやな気持はなかったですね、根本的に好きだったので(笑)」

 どういった地域を回られたんですか
 「当初は市内中心部が主だったんですが、エリアが増えて今は瀬戸、足守高松、御津と建部をカバーしています」

 何人ぐらいで仕事をされていますか
 「各地域が4人、中心部を入れて10人ほどで動いています」

 放映迄はどういう流れですか
 「取材を終えて本社で、まず収録した素材をパソコンに取り入れるんですが、その間にニュース原稿を書きます。 デスクが原稿をチェックしてOK!が出たら、ナレーションの録音に入ります。テロップも自分で作ります。早くて半日で仕上げます、 放映日は決まってるんで、それまでにやればいいんですけど、僕はどっちかと言うとせっかちな方で・・・(笑)」

松本和之  ああ、その点は僕も同じで、すぐやらないと落ち着かない(笑) 仕事に慣れてご自分で変わったこととかありますか
 「やはり新聞やテレビによく目を通すようになりました。世の中の情報をどう伝えているかとか、同じ取材で他局がどういう報道をしているだろうといったことに目が行くようになりました」

 これまで特に印象に残った取材はなんですか
 「2005年の岡山国体の生放送ですね。その時、中継の映像を本社で受ける仕事だったのですが、3か所からの映像を同時切り替えしたり、録画したのを 後に入れ込んだり。昼間は国体で夜、選挙の開票が重なる日もあって大変だったです」

 現在の仕事のフィールドは社内が中心ですか
 「基本的には、oniビジョン内での仕事が中心ですが、夏の高校野球は他のケーブル局と一緒に放送に当たります。 野球会場も3か所あるので共同で仕事に取組んでいきます」

 建部地域を受け持たれるようになったのはいつ頃ですか
 「5年位前ですね、それまでは市内中心、カメラマンメインでやってて、そのあと一人でこちらに取材で来るようになりました」

 どうですか、建部って
 「建部、いいですね、やさしいです皆さんが。それこそ里山で、いっしょにご飯食べようや―とか暖かく迎えてくれて、お世話になってます」

松本和之  やっててよかったなーと感じるのはどんな時ですか
 「よく”今度いつ放送するん?”とか声を掛けられるのですが、そんな時、楽しみにしてくれているのが伝わってきますね。”きれいに撮ってよー”とかも言われます(笑)。それと面白いのは、意外なんですが、RSK、OHK、NHKとかがここでは多いのですけど、その人たちも取材先で”oniビジョンさん?”って聞かれると知って、oniビジョンって根付いているなあってうれしく感じました」

 これからやりたい方向とか教えてください
 「建部でまだまだ回れてない所があるので、本当に隅々まで回って、こういう人がいるんだとか、小さいこと、小さいイベントとかも、もっと紹介していきたいです。しょっちゅうは来れないけど、行けれるかぎり行きたいと思います」

 ところで仕事を離れて、趣味とかは?
 「マラソンです。8年前から始めて4年前、吉備路マラソンに出て岡山マラソンにもずっと、すべて完走しました。目標は4時間を切ることです。 時には岡山駅をスタートして建部まで来て、温泉に入って電車で帰る、片道35キロの練習をすることもありますよ(笑)」

  それは、存じませんでした(笑) またこれからもよろしくお願いします
 


(記者感想)

 
松本和之  「oniビジョン」の記者さん達とは、ここに移住して来て以来、ほぼ10年のお付き合い。町内のイベントや公民館の行事などに参加するたびに出会う。 その後には必ず、町内の方から「三宅さん、大きゅう出とったよー」と言われ、 あわてて確認をすることに。その間、記者の方は何人か交代されたが、どの人も気さくで、真面目 な印象。松本さんも同様。
 4年前「たけべ新聞」を発刊してからは、取材先でのバッティングが多い。こちらは写真が主体なので、 松本さんがどんな映像を撮るのか興味深く見させてもらっている。
 逆に松本さんから「この間、たけべ新聞に載っていた〇〇さんのことですが、面白そうな方なので取材できないでしょうか」と尋ねられることも。 こんな時、「ああ、たけべ新聞を見てくれてるんだなあ」と、こちらもうれしく思う。
 今や「oniビジョン」は地域の情報を活き活きと伝えてくれる無くてはならない存在。 それをしっかりと担ってくれているのが松本記者であることは言うまでもない。

 (三宅 優)  





 『明日へのバトン in 岡山』はっぽね太鼓の猛練習をレポート2020年1月25日発信

はっぽね太鼓 はっぽね太鼓  文化センター大ホール、観客はまったくいない、なのにピーンと張りつめた空気。
 ステージに勢ぞろいした「はっぽね太鼓」のメンバーたち、そして その前に両足を拡げ、立つ黒いタイツ姿の男性。
 「一、二、三、ドッコイ、ドッコイ!」腹底から出る声。
 「ソーレ!」メンバーが応じる。
 「いや、”ソーレ” が重要なんだ、リズムと共に、”ソーレ”のかけ声も芸のうちなんだ」
 今日は来月(2月23日)に控えた「はっぽね太鼓」20周年記念事業「吟遊打人 塩原良 芸歴35周年記念コンサート」に向けてのリハーサル。
 その、吟遊打人こと塩原良先生、指導の猛練習、おのずと師匠の声にも熱が入る。

はっぽね太鼓 はっぽね太鼓  「限界を超えて打っている時の拍手は、観客から思わず出るもの。間違えないための太鼓は、太鼓じゃない、打つ内に自分が変わっていく、それが音になるんだ。
 ダーン、ダーン、ダダー!腹の中に鉄の玉があって、それがガッーと上がってくる感じに!」
 「そこは打ちたいのをちょっとこらえるんだ、気持ちを溜めるのがコツ。今、僕が10年かかって得たものを1分で君たちに伝えようとしてるんだ、じゃあないと僕は来る意味がない、じゃあもう一度やってみよう!」
 年齢は70代から小学4年生まで20名以上で構成される「はっぽね太鼓」。結成20年、よくぞここまで、いや年々、輪が広がっている。
 理由は何?
 答えは「塩原 良の魅力」。
 プロと素人の差なく、全身で指導に当たる。その圧倒的な説得力、時には冗談をまじえ生徒をリラックスさせる。
 「今の動作は、まるで皆がお茶をしてる時、安倍首相が突然来て立ち上がったみたいに固いよ (笑)」
 そして、35年間、懸命に模索し精進してきた中から発せられる言葉。
 「僕らは苦しいことを伝えたくてやっているわけではない、だから、苦しいことを乗り越えて、自分に自信を持って臨んでほしい」

はっぽね太鼓  (小学生メンバーからメッセージ)
 江坂 藍里さん「お客さんからスゴイ!って言ってもらいたい」
 橋本 莉央さん「お客さんに感動してもらって、建部の宝ものと思ってもらいたい」

公演日:2月23日(開場13:30)14:00開演(上演120分)
 開場:建部町文化センター大ホール
 チケット:全席2000円(建部町文化センター他プレイガイドで)  問合せ:090-7543-5033(事務局 中田) 

「さあ、残りの練習日を励んでいこう!」(塩原先生)

 (取材・写真 三宅 優)



 「祭りがなくなれば地域もなくなる」伝統芸能を守るフォーラム開催! 2020年1月20日発信

協同フォーラム 協同フォーラム  昨日(日曜)午後1時半、岡山市勤労福祉センター5階に集合した面々。県内の各地域に伝わる伝統芸能を地道に守り続ける会の代表たちだ。
 岡山市・ESD/市民協働推進センター主催「伝統芸能継承活動を通じた地域コミュニティの持続可能性を考える」と題した地域協働フォーラム。 ここに我が町から「建部町伝統芸能伝承保存会」がエントリーされた。他に招かれた4団体と併せて、それぞれの活動の事例、地域に及ぼす意味、 そして抱える課題について発表した。
 はじめに、岡山大学名誉教授の三浦健志 先生の講演がなされた。
 先生は美咲町境地区にこれまで11年にわたり交流を続け、この間、学生を地域に連れ、 田植えやソバの種まきなどに参加させてきた。今では地元、境神社の秋祭りの獅子舞や御神輿の担い手として大きなマンパワーとなり年間延べ100人以上の参加がある。
 結論として「お祭りありきではなく人がいることが重要で、そのために行きたい、帰りたいと思わせる何か、若い世代を引き止めるツールが必要」と説かれた。

協同フォーラム 協同フォーラム  事例発表に移り、一番バッターとして「御津獅子舞継承活動実行委員会」石原栄さんが登壇。
 これまで行ってきた「全国獅子舞フェスティバル」の活動とその間の団体数の減少に対して取った対策について報告がなされた。 2年前からはシンポジウムを開催、地元、高校との連携を深めている。

 次に立ったのは我が町代表、延江耕一さん。スクリーンに写し出された建部町マップには12地区に渡る保存会が印されている。
 聴衆から「ほー!」のため息が洩れ、「何で、建部はこんなに盛んなのだろう」の?が伝わる。
 延江さんは、担い手不足を女子に門戸を拡げることでカバーしてきたことや、小中学生の半数が今でも参加する風土が建部には残っていることを伝えた。
 また、今後の課題について①学校教育での取組 ②記録を残し伝えること ③外との連携 の重要性を挙げ、最後に「伝承が目的ではなく、暮らしやすい町にすることが目的です」と締めくくった。

 3番目は、玉野市八浜町波知に伝わる「波知獅子舞保存会」廣畑一夫さん。  100世帯ほどの集落で行われる秋祭り、その練習風景が映像で流された。 真剣に大人から教わる子どもの姿が感動を呼ぶ。

 4番目は、瀬戸内市「喜之助人形フェスタ市民実行委員会」から藤原泰之さん。
 糸あやつり人形を使い、瀬戸市を元気にしようと発足したこの会は、これまで28回もの公演を実施。 年間30回の講座を開いて来た。
 劇団参加者は延べ212人に及び、今は3Dによる人形作りからシナリオまですべて自前で制作している。

 ラストは真庭市「吉森堂盆踊り 吉守組」入澤真士さん。
 5つの集落が寄り合い、太鼓が奏でるゆっくりとした大宮踊りを継承。運営を担っているのは消防団の吉守組、当日の屋台なども手掛ける。
 資金面は集落にある発電所の清掃管理をすることで賄っていて、人の減少がやはり課題だと言う。

協同フォーラム 協同フォーラム  この後、パネラーによるディスカッションに入った。コーディネーターはESD推進センターの高平センター長。
 高平さんが投げかけた質問テーマ①「伝統芸能はコミュニティの持続可能性向上に寄与しているか?」
 答え:5団体、ほぼ寄与している。
 当町、延江さんからは「最たるものである。なぜなら町内の3世代が一体となる行事はこれしかなく、祭りが地域の最優先の話題にもなっているから」との力強い発言。
 瀬戸市、藤原さんは「お母さんのお腹にいるときから人形劇を見せつける、それくらいで取組まないとと考えている」これまた頼もしいコメント。

 ②の質問「活動を継続するための工夫・苦労は?」
 「吉守組」入澤さん「若い世代が消防にいるので向こう20年は大丈夫(笑)」
 「喜之助人形劇」藤原さん「市内19校の小学4年生を対象に応援キッズを募集、子ども新聞を作らせて劇の感想を載せるなどに取組んでいる」
 「波知獅子舞」廣畑さん「小中学生までは離れないようにできるだけ関りを持たせています」
 延江さん「12団体で格差はあるが、共通して教育の場での地元の伝統、文化を教える工夫が必要だと考えている」
 「御津獅子舞」石原さん「カルチャースクールを行っている、とにかく効果は継続でしか生まれない。今後は学校との連携、移住者を取り込むことに重点を置きたい」

協同フォーラム 協同フォーラム  最後、建部町から一緒に応援に駆けつけた東さんから質問、「先生のすばらしい活動には前から関心があって、お聞きしたいと思っていたのですが、 岡大の学生はどうすれば来てくれますか?」(うなずく聴衆)
 三浦先生「窓口はありませんので、教師の社会貢献の分野として関心のある先生をつかまえてくださいとしか言えません(笑)」

 また聴衆の一人、造山古墳会長さんにもマイクが向けられ、荒れ果てていた古墳を整備しボランティアガイドを養成することから始めた苦労話を聞くことができた。
 この日のフォーラム、とかく行政主催の催しはお堅い話だけでフラストレーションが溜まるのが常だが、今回、出席したパネラーたちは並々ならぬ熱意の持ち主。 会はその熱意に動かされて進行。
 どうやら地域コミュニティの持続可能性のカギは、この強烈なリーダーシップを発揮する”人”がいるかどうかに掛かっているようだ。 

 (取材・写真 三宅 優)



 煙りにあたり無病息災。建部の「とんど焼き」点描 2020年1月15日発信

とんど焼き とんど焼き  昨夜、少し雨が降ったせいか暖かい、と言っても、朝の里山は薄暗く靄(もや)がかり。
 小正月の今日、一番は神社での「とんど焼き」。四本の竹を立て、四手を取りつけた小舞縄で囲む。
 一年間、飾られてきたしめ縄、古いお札、御守を一つづつていねいに火にくべる。 無病息災の役目を果たしたお札は灰になって空高く舞う。
 次は地区の「とんど」。別名「女(おんな)正月」とも言うだけあって、集まったのは皆、ご婦人。
 餅が焼けるまでには相当の時間が掛かる、それまで、あれやこれやと話しましょう。
 「ありゃりゃ、三宅さん、餅の先が真っ黒にこげとるよー」
 ボーっとして、餅をこがすのは毎年の事、それも変わらぬことで良しとしよう。

とんど焼き とんど焼き  10時からは「旭水荘」での「とんど焼き」。福渡町内の人らがこぞって参加。
 ドラム缶から立ち上る煙の向こうの特設テントの下には、おなじみの顔(^_-)-☆、顔。
 「どうも明けまして・・・」と、ごあいさつする方も何人か。ここでの男女比も断然、女性強し。
 施設のスタッフの方が忙しくお汁粉とコーヒーを配る中、当方は持参した建部町PR誌「つばめ」を宣伝。
 「まあ、ええのが出来とるわー、2冊貰うわ」
 「フンフン、ホンマじゃなあ、私も」
 あっという間に20冊完売。その後しばらく、冊子を眺めながらの町中談義。

とんど焼き とんど焼き  はじめに席を立ったのは男性軍、女性はまだまだ話足りない?
カメラを向けると「美人ぞろいで、どこを撮ってええか困るじゃろー(笑)」

 それでも、やがて一人去り、二人去り、最後に両端にいたお二人が互いの顔を見合わせて、
 「アレー、まあ久しぶりじゃなあ、、元気じゃったー?」
 「ボチボチよー」と近寄り、手と手をタッチ!
 どうやら、良い一年になりそうな予感・・・。

 (取材・写真 三宅 優)



 今日だけは全員が少年、少女に戻る時間 2020年1月11日発信

昔遊び 昔遊び 建部小学校、校庭に笑いが聞こえる。土曜の朝、凍りそうなかじかんだ手でスチールのパイプを持ち、竹馬に乗る児童たち。
 そばでは、お父さん、お母さんが心配そうに眺めているが、お年寄りが前に立ち「そう、ゆっくりゆっくり、そうそう」と子どもらを励ます。

 恒例、建小、土曜授業「昔あそび」。今日は18名の地元ボランティアが参加、 「竹馬」「コマ回し」「竹とんぼ」「羽子板」「メンコ」「あやとり」「お手玉」「けん玉」を伝授。
 (お年寄り男性)「昔はなあ、わしらは下駄とかゾウリを履いとったけん、そのまま素足で竹を親指で挟んでしょうたなあ」
 (お年寄り女性)「男の子はパッチンじゃって、女の子は紙の着せ替え人形じゃった」
 (男性)「今は、これ(スマホをする動作)で、着せ替えじゃもんなあ」(笑)

昔遊び 昔遊び  体育館では「カーン、カーン!」と小気味いい音。
 親子で対決、昔、正月の定番、「羽子板打ち」
 はじめは1回しか返せなかったのに、見てる間に2回、3回と打ち合いが続くように。こうなると面白い、そのうち大人同士の対決が始まる。「あッー」と悔しがるパパの声。
 マットの上でひときわ賑わうのは、昔で言う「女の子あそび」の「あやとり」「お手玉」
 「玉はいつも同じ位置に投げるのがコツよ」続けさまに、3つのお手玉を宙に挙げて操るおばあちゃん。

昔遊び 昔遊び  お母さんと向かい合って何やら苦心顔の女の子。両手の指にに掛けた毛糸の輪。
 それをお母さんが「だから見てて、お父さん指でこの糸を取って、それをお母さん指で・・・」とやって見せる。
 記者が感心して「やっぱりできますね、ついこの前まで少女だったものね」と誉めたつもりが、
 (お母さん)「いえ、今も少女ですから」(笑)と返される。
 記者も毛糸を半世紀以上ぶりに手にすると(記者は女の子あそび専門だった)、アレレ、指が、指が勝手に動き出し、何を目指すのかわからないままに。
 出来上がっていたのは 「ブリッジ(橋)」脳のどこかに大事に仕舞われていた子どものあそび。
 
 昔遊び 昔遊び 竹トンボが体育館天井をすれすれまで上がり、羽子板の羽が行ったり来たり、けん玉は見事に台座に納まる。 昨日までの少年少女、それより前の少年少女、そして今・・・全員を巻き込んで「昔あそび」はまだまだ続く。

 (取材・写真 三宅 優)



 「新・たけべの冊子」できました!2020年1月8日発信

つばめ つばめ 仕事始めから数日、故郷を訪れていた子どもたちもそれぞれの生活場へと飛んで行き、建部はまた元通りの静かでちょっと寂しい?里の風景に戻った。
 そんな中、今、特集号「たけべ楽考」でも紹介したが、建部の魅力を外に伝えるPR誌が完成した。
 町内若手グループ「たけべおこしプロジェクト」が企画して、これまで発行されていた「たけべ暮らし」を刷新、建部の今を伝える内容になっている。
 題して「つばめ」
 「ふるさと建部から街を目指していった人の多くは、必ずと言っていいほど秋祭りに帰ってきます。そこにあるのは、ふるさと建部への思いや誇りです・・・ 」(文中より引用)

つばめ つばめ  この建部には、ここ建部にしかない魅力がある。その魅力をより多くの人に知ってもらいたい、そして訪れて欲しい、そんな願いが誌面の1ページごとに ギッシリと込められている。
 情報欄も盛りだくさんだ。既存のお店はもちろん、今回、初紹介となる建部上に2016年オープンした「Cafeふらり」、この春、福渡にオープン予定の民泊「1911House」を掲載。変わりつつある建部、新しい郷土の姿が展望できる。
 さっそく、できたてを手にこの日、開かれた岡山市環境学習センターの「めだかクラブ」会合で披露。皆も「良いものができた!」と大喜び。

 この小冊子、アンケート付きで一部100円にて建部町公民館にて販売中。
 アンケートに「冊子の値段」についての問いがあるが、記者の感想として
 「自分たちの住む町に、これだけの愛情をもって無償で取組む人たちがいること自体に価値がある」

 町民のみなさんへ!!
 どんどん買って息子や娘、友だちに送ってあげてください!


 (取材・写真 三宅 優)



 「なんでもBOXクラブ?」新年、GO!GO!2020年1月2日発信

なんでもBOX なんでもBOX 「2020年、あけましておめでとうございます」

明るい幕開け、明るい話題。
 世の中には、いるもんである、「誰が?」
 損得抜きのまったくもってのお人好し。
「えっ、それってアンタのこと?」
 「ううう、たしかに親兄弟親戚、回りから言われ続けてきたけど、私なんか吹っ飛んでしまうぐらい」

 発端は昨年11月に「oniビジョン」の松本和之記者(今月のたけべ人)から電話で  「三宅さん、この前、載ってた手品の○○さん、取材できないでしょうか?」。
 確かに、その前の10月、福渡の老人クラブが招いた「大田の手品グループ」、あまりに面白いので興にのって記事を書いた。 その後はそれで途絶えていたのだが・・・松本記者からの依頼を受け記者も同行することに。

 毎週、第3土曜日に集まっての練習会。「場所はどこですか?」と聞くと自宅敷地だと言う。
 「水車があったのは記憶にあるけど、あそこにそんな建物あったかなあ」
  久々に通る太田の国道、前方右、「あれっ、いつの間にかハウスが建っている!」
 とにかく、やる事、なす事、マジックのように早い。どうして早いかって・・・カラクリなし、全部、自分でやるから。 そうなんだよね、世の中、人にお願いしてる間に自分でやった方がはるかに早いってことがままある。
 中に入ると、廃材を使って完全自適、「手品の仲間の集会ルーム」が鎮座していた。

 (大田の手品グループ・自己紹介)

  河原 徳一(通称・徳さん)職業、元バイク屋・整備士

なんでもBOX なんでもBOX 「最初は福渡の53号でバイク屋をやってたんだけど、ブームでなあ、女性が免許を取るのが。それでヨーコちゃん(奥さん)にも教えに行って、そしたらバイクが急発進、あわてて手をつかんだのが縁じゃ(笑)。
 じゃけど、そうしとるうちに前の山の妙見さん、これが当時、バスで人が参拝するほどに賑わっとって、そこの拝み屋さんに占ってもらったんじゃ。 そしたら”これから運勢が変わる”言われて、こりゃあ、いつまでもバイク屋をやってられんと思うたんじゃ。
 せえで取引先のスズキディーラーに勤めに行って、そのあとホンダ。中学しか出てねえのに雇ってもらって、新車のノルマが15台あったんじゃけど、せえが全部売れたんじゃ。
 総会があって表彰される思うて行ったけど、これが中・四国全体ではそれほど成績が良うねんじゃ、ワシが一番売っても何にもね貰えんのんじゃ。せえで悔しいけん、本田宗一郎にせめて握手をお願いしたんじゃ。本田宗一郎は握手を絶対せん言う人でなあ、それをわしが無理にしてもろうて・・・(つづく)。
 手品?これがまた話すと長いんじゃ(短く短く・・・笑)。
 15年前になるけどブラジルに出先機関があって、それまで東大出の者が2人も行ったんじゃけど、皆、ノイローゼみたいになって帰ってくるんじゃ、せえで、社長も考えて、今度は一番頭の悪い奴に行かしたらどうじゃろうと考えたんじゃな。それで、わしに行ってけえ言われて。(短く、短く)
 行ったらなあ、現地の人間と言葉が通じんのんで、打ち解けんのじゃ。せえで出たのがこの輪ゴムじゃ、指に掛けた輪ゴムを”エイッ!”と別の指に入れ替えたんじゃ。手品は言葉がなくても通じるんじゃ。
 スーパーのなあレジに行って、白い紙をみせてこれで払う言う振りをすると、店の者が”ノーノー”言うんじゃ、それをサッと紙幣に変えるんじゃ。
 もうなあ、子どもらが寄って来て、紙を持ってきて、わしのも変えてくれえーいうんじゃ。
 せえでなあ、皆になぁ、わかってもろうて・・・。そのうち、いろいろ聞けるようになってなあ、会社の支配人を呼んで話をして、悪いところを直させてなあ・・・。
 そうそう、ここで手品をやるようになったのは2017年の6月からじゃ。 ただ、手品を見せるんじゃあなくて、来た人、皆が手品をやれるいうこと、その辺にあるものを使って金をかけないでやる言うのを第一にしとる。
 これまで10か所くらい呼ばれたけど、今までは月1回、別の場所を借りて練習をやってたんじゃけど、 やはり、自由に集まって使える場所が必要じゃと思って、電柱や廃材をもらってきてこれを一人で作ったんじゃ。今日はええ機会じゃけん、グループ名も ちゃんと作ろうと思うて、”なんでもBOXクラブ”はどうかなあと思うとるんじゃ」
(記者が以前書いた記事からヒントを得たそうで、名誉なことです)

なんでもBOX なんでもBOX  植田 信子(のぶこさん)
 「私は19歳の時に右手を無くしまして、障害者になりましたんですが、ここに参加するようになったのは障害者の会で田渕さんに誘われまして。 最初、手がないひとが手品をするのはどうかなあと言われたんですが、でも、どうしてもやってみたくて、それで徳さんに右手を使える道具を作ってもらって、 こうしてやっています。でも、いざ自分でやってみて、何で何にもない箱からモノが出てくるのか、今でもわからん(笑)」
(なでしこ作業所でいっしょに働く当新聞グルメレポーターもその努力ぶりを実感!!)

 田渕 綾女(あやめさん)
 「私はなあ、徳さんとは鶏糞が縁で、ここで野菜を作りょうて、徳さんが鶏糞をタダで届けてくれるようになって知り合いました。 実は、私は60歳で自動車免許を取ったんです。 と言うのも、それまで2輪車に乗ってたんですけど人工肛門を付けるようになって、乗れんようになって・・・。
80歳になって手品を始めたのは、私は料理を作るのが好きで、せえで手品よりもここで皆に、 私が作ったものを喜んで食べてもらうのが楽しみで参加しています」

(主夫歴、○十年の記者も感動の家庭料理!!)

なんでもBOX なんでもBOX
hspace=  河原 功(イー君)
 「僕は、徳さんの甥です、徳さんの兄の息子です。僕もこの建物の屋根を作る時だけは手伝いました((笑)じゃあ、今からこの5枚の色紙を使って実際に手品をお目に掛けます・・・(ナント、色紙は千円札に、そしてそれは1万円札に、そうして最後は5色の紙ペラに)。
 次に僕が してみせるのは指を使って曜日を当てる手品。これは覚えるとホントにボケ防止になります。まず指の関節ごとに1月、2月、・・・(?????)これは昔の人は普通にやってて、ああその日は何曜日じゃけん言うて、日を決めてたんです」
(365日、ぴたりと曜日が的中、なんだけど不思議だなー)

 谷 愛子(あいこさん)
 「大田の住んでいて、ヨーコちゃんに誘われました。ボケ防止になると思って参加して1年位になります。たいして何にもできないんですが、やってて楽しいですよ、 こうして集まれるのも、話ができて・・・。指で暦を当てるのは私も子どもの頃に覚えて、みんなの前でやって人気者になったことがあります」
(いつでも、子どもの頃の自分を語れる素直な方・・・)

 山本 照枝(てるえさん)
 (魚やさんの照枝さんと言えばだれでもご存じ。十八番は数字を書いたボードを使って「あなたの誕生日を当てます」ですが、この日はお休み)

なんでもBOX なんでもBOX  河原 洋子(ヨーコちゃん)
 「私は何も言うことがありません(笑)、ここで生まれてここで育ったことぐらい。
 小学生のころは前の山を2つも越えて土師方の学校まで行きました。帰るころになると薄暗うなって、それでもいっしょうけんめいになって通ってました。
 ある時、帰りにうしろでゴソゴソっと音がしたんです、それで後ろを振り向くと、 ヘビのような、それにしては短うて、頭がずんぐり丸いのが立っとったんです。ウヮー言うて走って逃げて帰ってきたんじゃけど、人に言うても信じてもらえんのじゃけど、ありゃあ今でもツチノコじゃったと思います(笑)」

(徳さんの”何でもBOX”一番の宝物)

 一通りの自己紹介、いえ、人生いろいろを教わりました。そうして手品実演。でも、このシーンはこの日、同行した「今月のたけべ人」でも紹介している 「oniビジョン」松本記者の今月中旬放送の「御津・建部ニュース」をご覧あれ。
なんでもBOX なんでもBOX  デモンストレーションを終え、綾女さんの手作り料理での昼食会。「祭り寿司」に「肉じゃが」「ハリハリ漬け」・・・などを頂きながらの語らいの時間・・・。
 最後に徳さんから。

 「とにかくみんないっしょうけんめいにやっている。手がなくても手品をやりたい、80歳になっても新しいことに挑戦。 世の中、五体満足、健康な人ほどあれがない、これがないと不満を言うけど、でも見てみられえ、障害があってもこんな前向きな人がおるいうことで、元気をもらえるじゃろう。 わしは、そのことを伝えたいんじゃ。
 せえと、この前なあ、二人で10年用パスポートを取ってきたんじゃ、ブラジルに行こうと思って、また来てくれーと誘われてなあ、今、ヨーコちゃんを説得しとんじゃ(笑)」

 (ヨーコちゃん)「私は行きませんよー、行きたくありません!」(全員、大笑)

 年老いての人生は失望ばかりじゃない、この歳になったから、こんな素晴らしい人と出会えるのだから。
 ふと浮かんだクラーク博士の言葉。

 「Boys, be ambitious like this old man!」(少年よ大志を抱け この老人のように!)

 (取材・写真 三宅 優)





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