■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
昨年の7月豪雨による災害は安全神話の
岡山に大きな教訓を残した。県民の多くが
自身にも降りかかるかもしれないわざわいに
これからどう対処するか真剣に考え始めているようだ。
今回はそんな被災後に重要な再建資金をいかに
調達するかをファイナンシャルプランナー(FP)の
満倉 誠さんにお聞きした。
(取材・勝部公平 写真・三宅 優)
(プロフィール)
満倉 誠(まこと)
1971年、建部町川口に生まれる。
福渡高校卒業後、企業に就職。営業一筋に20年を経た後、2009年独立。
「満倉FP事務所」を設立。
現在、ファイナンシャルプランナー、
宅地建物取引主任者
トータル・ライフ・コンサルタント
損害保険募集人の資格を持つ。
建部川口在住。
(勝部)満倉さんはここの生まれですよねえ、同級生にはどんな人がいますか
(満倉)「この前、たけべ新聞に岩崎君が載ってましたよねえ、彼とは小、中といっしょでした」
(勝部) 「ということは、すぎ茶屋の杉本君や、松下君、横原さんといっしょなんだ。この歳の人って地元で起業する人が多いねえ」
「そうですねえ、松下君も建築の方をやっていて事務所を自宅に持ってきたみたいですねえ。よくフェースブックでトーコちゃん(松下さんの娘)の写真とか見せてもらってます(笑)」
(勝部) ここは親御さんの実家ですが、戻って来たのはいつですか
「2008年です、親父が倒れたのでお祖母さんの面倒を見ることになって、それで帰って来ました」
(勝部) それまでは、どんなことをされてたんですか
「高校を出てすぐに岡山市内の布団屋さんに就職してルート営業をしました。それから印刷会社に入って愛知、静岡とその後、住宅関係の会社に入りました。
ずっと20年間、営業の仕事をしてきました。その頃は夜12時まで働いていました」
(勝部) ファイナンシャルプランナーになろうというきっかけはなんです
「帰って来て、何かしなくてはと思って宅建の資格を取ったんですが、それだけではなあと思ってFPの資格を取りました。大体が営業一筋でお客さんの話を聞くのが好きだったので。でも、まだその当時、FPの認知度も低いのでアフラックの保険も始めました」
(勝部) よくここで、事務所を開く決心をしましたねえ
「もともと家は親の代まで5代つづく醤油屋だったんですが、ここに醤油を並べていた所を改装して2009年1月に開設しました。
最初は地元を1軒、1軒、飛び込みで回りまして、保険の見直しや開拓をしていきました。訪問先では中々、会えなかったり、断られることもあったんですが、
それまでお袋が醤油で回ってたので話すと、あぁ、あそこの子かなぁって。そんな時、親ってすごいなーって、つくづく思いました」
(勝部) 特に保険業に関わろうってのはどうして?
「やはりその母親が癌で亡くなったことが大きいですねえ。59歳だったんですが、それまで病気を何もしなくて保険にも入っていませんでした。
その経験、あの時、入っておけばよかったなあって思いました。そういったことでお勧めするんですが、逆にお客様は入らされていると感じられるようで、
でも、実際、癌や病気に掛かると保険はありがたいと思います」
(勝部) そうですねえ、僕らも年取ったら取ったで、どうにかなるなんて考えてたら、
人生100年だとか言われて、これから自分の設計をしなくてはいけなくなりました
「ええ、今は70歳くらいだと若いねーと
言われます(笑)。世間では盛んに長生きのリスクが言われています、そういった意味でご自分のライフプランをしっかり立てることが重要になります」
(勝部) 具体的にはどんな計画を立てるんですか
「これから先、自分の生活でどのようなことがあるか、例えば家を直すとか、子どもが大学に入るとかそういうライフプランと、どれくらい費用が必要でそれに対して収入はどうなのかのキャッシュフロー表をつくることで、
人生の設計ができるわけです。そんなときに、宅建の知識とかFPとしての見方がお役に立つと思います。
現状をよく理解して、今のうちから備えましょうと提案させていただいてます」
(勝部) なるほどねえ、顧客はどういう人が多いですか
「個人で60代以上、建部町の方が多いですねえ。とくに今は消費税がアップして、これまで掛けていた保険の見直しをする方が増えています。それと住宅ローンの相談、
手続きのお手伝いの仕事もやっていて、他に損保もあるので広島を中心に中国地方一帯をカバーしてやっています」
(勝部) 建部もこれから川の氾濫や土砂崩れが頻繁に起きるでしょう、自然災害に対応した保険が必要ですよね
「今の時代、何が起きるかわかりませんのでねえ。火災保険は災害対応だけでなく、火事後の片づけ費用とか盗難、テレビを壊したとか天井の水漏れにも出るので
適応範囲が広いと思います。地震保険は任意ですが、南海トラフとかもありますし、地震による火災は地震保険でしか適用されません。何とかなると皆さん考えられますが、
その時になると、あれに入っておけば良かったと・・・」
(勝部) そうですね”備えあれば憂いなし”ですが、中々そうはいきません
「実際、火災保険に入っていたかどうかで、被災されて仮設住宅に入られた方が、新しく家を建てて出て行くのが早いかどうか分かれる現実があるわけです」
(勝部) 日頃から再建するための費用を積み立てておくのが、保険ですね
「その通りだと思います」
(勝部) ありがとうございました
「満倉FP事務所」
岡山市北区建部町川口553番地
℡086-722-0211 FAX086-722-0215
mail:info@mitukura-fp.com
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建部のような農村部で、人生の設計について相談できる人がいるということは心強い限りです。
日中はほとんど外に出ているということで、その間、事務所を任されている地元の森本さんが、
代りに相談に乗ってくれるそうです。
帰りに、後ろにある醤油蔵を見せてもらいました。
「よく、夜中にオヤジがもろみを混ぜに蔵に入っていました。小麦から大豆まで一から作りょうたです、大豆に水を入れふやかして、薪で炊いて小麦とあわせて、
藁のゴザにのせて、もろみに入れて、小さい頃から見ていてたいへんだなぁーって。当時は箱で醤油を買っていた時代で、よくビンにラベルを貼る仕事を手伝ってました」
懐かしそうに、そう話してくれたことが印象に残りました。
(勝部 公平)
霜降りる朝の建部平野。7時半、フー寒い。布団から出るのをもうちょっと伸ばして・・・いやいや、今日は竹枝小学校のフェスティバル、餅つきが始まってしまう、それ急げ。
国道53号、旭川には靄がかかり、さすがに週末とあって行き交う車も少ない。
8時過ぎ、小学校前に到着、校内からは「ヨイショッ、ヨイショッ!」の掛け声が。顔なじみのお父さんらが、2つの臼の回りに立ち子どもらの餅つきを見守る。
(記者)「いくつ、突くんですか」
(父親)「2升が8臼かなあ」ええ?半端じゃないなあ。
最初のもち米をつぶしてある程度まで大人がつく。その迫力ある打ち方に、子どもの目は大人への尊敬のまなざしと変わる。
そうして、つき上がった餅はそばに控えし女性陣らと子どもたちの手で次々と丸められた、その数800個。記者もあんこ餅、きな粉餅、からみ餅といただく。
「う―む、つきたてはうまい!」
フェスティバルまで、まだ時間があるので、陽の当たる校庭でボケ―っとする。考えてみると、待ち時間があって何もすることなくて、ボーっとするのって久しくないなあと気づく。
やがて体育館入り口の方から「どうぞ、お入りくださいー」の声。
子どもらの笑顔に向えら入場。「座布団、イス、お好きな席にお座りください。ストーブも赤く燃えております」
開会の言葉。「ちいきのみなさん、今年一年間、田植え、稲刈り、いっぱい教えてくれてありがとう。今日は私たちが感謝の気持ちでおもてなしをいたします。これからも竹枝っ子を見守って下さい」
感謝第一弾、歌のプレゼント。手話を交えて「世界が一つになるまで」を歌う。
「♪世界が一つになるまでずっと手をつないでいようー・・・♪」暖ったかさ100%。
各クラスからのおもてなしは「迷宮迷路」「シューティングゲーム」「的あて」「マッサージ屋」「漢字早書き対決」など9つ。
記者は喜々として、まず「マッサージ屋」さんへ、クジで「肩たたき1分延長」を引く「ヤッター!」
3分は長い、それプラス1分、その内、子ども同士が相談「手が痛くなったから2分に変えよう」
つづいて「漢字早書き」へ。先客ご夫婦が児童と対決中。「言(ごん)べん」の付く字を1分間で書く。
(審査員)「・・・ハイ、時間です」
(パパ)「えっ、もう?オマエいくつ書けた?」
(ママ)「2つ」
(パパ)「オレ、1つ」
(子ども)「ぼくはというと、1、2、3・・・14です」大人陣、完敗(笑)。
記者の問いは「人べん」。”優”(ラッキー、自分の名)”仁””仕””仙”・・・9つ書く。対決者はと言うと8つ、僅差で勝利!
「シューティング(輪ゴム鉄砲)」コーナーでは、真剣な面差しで森田先生(市議会議員)が挑戦。他のコーナーのいたるところで、子どもたちに遊んでもらう大人たちの無邪気な姿。
そろそろ、朝方いただいた餅がこなれたなと感じた時分、醤油だしのいい匂いが会場に漂いはじめる。
名札の色ごとに輪を作っての会食。お盆にのせられて届いた「お雑煮」。カツオ、昆布、煮干しで取った出汁、その出し殻は佃煮になって配られる。
おいしさに、あっという間にペロリ。前に座られた愛育委員さんに「三宅さん、お代わりあるみたいだから持ってきたげるわ」
「あっ、どうも」お椀を渡す。(すぐに好意に甘える)
前よりも、どっと具沢山の大盛り。これも見事、完食。
「ごちそうさまでした、全部いただきました」
(愛育さん)「そうよねー、痩せてるけど、食べれると思ったもん」(大食漢でスミマセン)
校長先生のお話「人が大好き、自然が大好き・・・竹枝小学校の目指す言葉のとおりに子どもたちは育っています・・・」
ホントそうですね、いつ来ても、こんなに人なつっこい顔に会えるんだもん。
帰りはキューイとお餅のおみやげを手に「また来年も、呼んでねー」と心の中で呼びかける。
(取材・写真 三宅 優)
どんより曇り空、かなり冷え込むが、さて今日の出足はどうだろう?
恒例となった「建部町ふるさと野菜市感謝祭」、地元の人らによる100%手作りのこのイベント、昨年は最終まで人が途絶えることがないほどに大盛況、
記者も体験コーナーで参加した。
今年も江田事務局長からのたっての願い(?)でやることに、題して「やさい仮面をつくろう」。野菜のキャラクターを描いて仮面にするワークショップ。
ちなみに記者が用意したお手本?はピーマンにPの字を入れて「Pーマン」、ニンニクにキン肉マンの顔を組み合わせた「ニンニクマン」など(笑)
朝8時半、会場となっている福渡三本松下旭川河川敷にはテントがズラリ。すでにほとんどの出店者が準備を終え、スタンバイ。
「巨漢、カボチャ」も何キロあるでしょうとみんなからの回答を待っている。当新聞グルメレポーターも、なでしこ共同作業所のスタッフとしてフランクフルトとポップコーンを販売すると早々出かける。
開始1時間後、いつもの元気をもらえる「はっぽね太鼓」、つづいて傘の華咲く「傘踊り」。音が鳴り始めると寒さもどこかへ飛んで行く。
会場をすっかり覆った、焼き鳥、牛串焼、焼きそば、タコ焼き、鮎の塩焼きの匂い。
「う~ん、たまらんぜー」と、どこからか聞こえてるわけではないけれど
、朝飯食べて来たはずだけど、イス席では豚汁(安い100円!うまい!具沢山!)すする人、唐揚げ(からあげぜんちゃん)ほうばる人、ぜんざいに舌鼓する人、
まだ10時過ぎたばかりだよ、おかあさん。
側に沿った国道53号からは次々と警備員の誘導で車が下りて来る。
中には岡山ナンバー以外に倉敷ナンバーも。どうやら、何かやっていそうなので寄ったようだ。
ステージでは、地元っ子のヒップホップ。観客は食べ物を片手にスマホで撮影。
テーブル席を占拠した、おばちゃんたちは積もり積もった身の上話し。
「そうなのよ、そうそう、わたしだってそうよー」
「そうなんだけどなかなかそう言われてもねー」
なにがそうなのか、そうでないのか、わからないけどそうらしい。
「仮面コーナー」が意外な人気で、記者は取材に行けない。
そうこうしているうちにラッパの響き、建部中学の吹奏楽部の出番だ。
「ちょっと、待っててねー」とカメラをつかんで「それっ」と駆ける。
先日、文化祭に出演してくれたメンバーが一列に並んでの登場。
地元中学生の演奏に観客からは一曲終わるごとに大きな拍手。
いつの間にかテントに挟まれた通路にはごった返すほどのお客さん、どうやら今年も大盛況の模様。
正午を過ぎるとお客さんはますます増え、というか朝からの人が帰らないので必然的に増えている。
「ビンゴやって、餅投げやって、でも、どっちが先なんだろう? あのースミマセン・・・」
「スタッフ」の腕章を見て、記者に聞いてきた子連れのママさん。
(記者)「餅投げの後ビンゴだよ」
(ママ)「じゃあ、それまでいましょうね」
(子)「うん、ぼく、ビンゴがしたい!」
そして餅投げの時間到来。
(実行委員長)「みなさん、餅投げのルールーを言います。最初は子どもだけで拾います、そうでないと危ないので」
子どもらがゾロゾロっと前へ。
「こんなに子どもが、おるんか!」あきれたのか、うれしかったのか黄色いハッピのおじいちゃん。
紅白餅とお菓子の袋、いっせいに放られて、あっという間に子どもは終わり。
一方、大人の意気込みは子ども顔負け、手提げ袋をいっぱいに広げて待ち構え。
「おーい、こっちだよー」「先生、ここ、ここよー」
投げる森田先生(市議会議員)「えーいっ!」そこまで距離が届かない。
これまた早々、完了。
「もーう、ここは投げる餅が少ないわー」不満の女性、見るとマルナカのレジ袋の半分の量。
いやいや、餅投げは年代を超えて盛り上ります・・・じゃあ、ビンゴはどうなる?
午後1時半、お待たせ、ビンゴ開始!
「最初、27番!」そこからの長~いようで、あっという間のワクワク時間。
何十回もの呼ばれた番号を目を皿にして、カードを探す人(記者)たち、しかし、「ない!近い数字ばかり呼ばれとる」
幕引きはなかなかやって来ない。
「もうこれで景品はありませんので・・・」(残るは大根とエンピツ・・・)
それでも、その後、追加の景品の提供がある。
そうして「野菜祭り」はいつ終わることない楽しさいっぱい抱えたままフィナーレへ。
「よーし、来年は”たけべハローウィン”仮装パレードだ!」
記者の興奮にグルメレポーター(妻)の「そんな(若くいられる)保障がどこにあるの?」の冷淡な声(笑)
(取材・写真 三宅 優)
イベント目白押しで何かと慌ただしい今月だが、小さな息抜きを紹介。「鎌あげ祭り」昔はこの地方の農村ではどこでも行われていた行事。稲の収穫が無事終わり、働いてくれた鎌に感謝すると同時に自分たちのねぎらい。
富沢「里山建部」でも、田植えの後の「しろみて」以来、4ケ月ぶりとなるこの日の祭り。
ベースキャンプの鳥沢池周辺の草刈りを終え、山裾もきれいに伐採された。
会の事務局長である当新聞編集長、勝部が津山まで行って買ってきた「ホルモンうどん」と鮎の塩焼きを前に、メンバーたちはくつろいだ表情で酒を酌み交わす。
平均年齢70半ば、男たちはこれまで自分たちの仕事目標を立て、そこに向って全力を注いできた。今、また倉庫を一つ造作しようと計画している。
衰えることのないエネルギー。しかし、会長の重本さんが言う。
「いやあ、今まではねどうにかやって来れましたが、今年は後ろの山は森林組合にお願いしました。若い後継者がなかなか、むつかしいんですわ。
山を守る、それだけで精一杯です、イベントで市内から人を招く、それはまた別の事業で、これをどうにか若い人らに委ねられれば、少しは先が見えてくるんですが・・・」
確かに一時は30代~40代の人らの参加をよく目にしたが、最近はあまり出会えない。どこかで流れが止まった感じ・・・。
「今が正念場なんですかね?」里山の事務局をする当新聞編集長、勝部に聞いた。
「う~ん、確実に、ここに愛着を持つ若い人らが増えている、その者たちが引きつぐまでの時間との闘いかな」
どんな道のりにも足踏みの時があると思う、無論そのまま消滅に向かうことだって。しかしどっちに転んでも、やった者たちが「やって良かった」と満足するのであれば、
それが最大の成果だと思う。
(取材・写真 三宅 優)
午前11時、そろそろ腹へったなあーって頃、私ことグルメレポーターは副編集長のピンチヒッターで取材へ。
どこへ?そりゃあ、もちろん「たけべマルシェ」!
天気は秋晴れ、気温も上昇、野外のイベントには最高のシチュエーション。
並んでいました、赤、白、黄色に青、緑、カラフルテントが文化センター中庭、法寿庵横にズラリ。
もちろん、センター内では今日が2日目となる「建部町文化祭」真っ最中。詳細は昨日上げたので、私は食べる方に一直線!
まずは、甘いものでもゲットしよう、「キシモトケーキ」でどら焼き、スイートポテトを。えっ、完売(´;ω;`)ウッ…
(岸本さん)「すいませんねえ、こんなに早くなくなるとは。今度はもっと作って来ますね」
そうか、しかたない、あっ、ジビエコロッケ、新聞で特集している地域活性化事業「アクティブ鶴田」のヤツに違いない、一つくださーい。
(鶴田地区のおばちゃん)「あれ、さっき、もう売れてしもうたんよ」うううー。
聞いてみると昨日、6時間もかけて160個作って来たけど、1時間ちょっとで完売。今度はジャガイモができる頃を待つしかないとのこと。トホホ・・・。
カレーの匂いがしているけど、マジ、昨晩、うちはカレーだったし3杯も食べちゃったからなあー。
ここは、がまん、食べてる人に聞くだけにするか。まずはテーブルで建部中学「たけべ部」の生徒たちお手製カレーを食べるご婦人。
「どんな味ですか」
(ご婦人)「トッピングでゆで卵を頼んだのよ、具が細かくしていてマイルドなので小さい子も食べれるわ」
なるほど、作り手が中学生だから、激辛ではないようだ。その隣は「カレー77」さんのカレーを前にしたお友だち。
(同年代のご婦人)「大人の味だわね」ほほー、って言うことはちょっぴり辛口か。
肉まんを見つけた、「ママゴトヤ」。何回か食べてきたが、そのたびに向上してきているのがわかる。今回はどうかなー。
うう、前よりもっと本格派、250円は高くない。
ついでに、店主でマルシェ主催者である雨宮さん(コトちゃん)にインタビュー。
「どう?今日のマルシェの感想は」
「あのね、みんないっぱい来てくれてうれしい、とくに中学生が(スタッフとして)参加してくれたのが一番うれしかった」
そう言えば、制服姿の中学生が多いのに驚いていたのだった。
さて「スイーツチュプ」でスコーンと「nico」で、いつものパンを買おう。おお、そう思ったらケムケムのいい匂い。炭火焼きの焼き鳥の前に立つ。
「勇の樹さん、1本ください!」
市の並ぶ奥に設けられた食事スペースでは、顔見知りの家族連れで溢れんばかり。そりゃそうだ、文化祭にやって来た人たち、みんな地元の人たち、
その人たちがほほ笑んで、話し込んでゆっくりと・・・。
そんな合間を、子どもらがはしゃいで、駆けって、寝ころんで。多いなあ、子どもたち、子どものお店もできている。
(公民館、入野さん)「今回は竹枝、建部、福渡の3つの小学校から子どもたちがお店を出しているんです。自分らで考えて、自分らで作って、自分らで販売する”子どもちっちゃ市”なんです」
アクセサリー、イヤリング、ネックレス、マフラー、ブローチ、フェルトの小物・・・ひとつ200円位からの可愛い手作り作品が並ぶ。大人たちも興味本位で覗いてもついつい「ひとつ買うわね」。
子どもに作る楽しさ、手渡すよろこびを知ってもらいたい。
買物で入れてくれたニュースペーパー製、手提げ袋もマルシェ、こだわりの一つ。子ども、地球、環境、そして持続可能な社会の実現・・・。
ロビーに入る。あっ下野社長(建部ヨーグルト社長)、その前には獅子舞が、「チャンチャンチキ、チャンチキチャ・・・」
鐘と太鼓で踊り出した神楽の後ろに足が4つの優雅な踊り、2人獅子の気負わぬ動き。自分たちペースでそれでも守り抜く、鶴田地区、和田神社の妙技を披露。
やがて文化祭は最終に。大ホールでは「岡山ヴェルデ吹奏楽団」のお出ましだ。「水戸黄門」「大江戸捜査網」の時代劇から「パプリカ」まで聴衆を沸かせる。
そして、いつものフィナーレ。(いつもであることに感謝!)
楽団員、建部中吹奏楽部員、町民、観客一体の「ふるさと」大合唱。
ありがとう、ありがとう、の拍手がつづく。
岡山ヴェルデ吹奏楽団との大合唱、動画
(取材・写真 三宅 美恵子・三宅 優)
しっかりと冷え込んだ土曜の朝、建部町文化センターに向かう。「えっ?」なんと駐車場は満パイ。そしてロビーに入るとその通り、押すな押すなの人、人、人。
やがて全員で始まった「岡山市民体操」
これって文化祭じゃなくて体育祭のノリじゃん。
「いえいえ、健康あっての文化です」(健康づくり建部部会の方)なーるほど。
「第39回建部町文化祭」公民館主催講座、一年の総決算。
記者がメンバーである「フードバンクを考える会」のブースでは「食べものを大事にしろー!」と火山爆発で訴えている。
その奥の「大蔵平家保存会」では運良く保存会会長に捕まって(笑)30分みっちりの講義が始まっている。
「そもそも大蔵家は平安時代にさかのぼる平家の時代・・・」
やがて大ホールから聞こえてきました太鼓の響き、と言えば「建部はっぽね太鼓」、これを皮切りにステージの部が開幕。
今回は総合司会を地元ヒップホップダンスの子どもたちが任されて、何やら新企画続々の予感。
第2プログラムのカラオケトップを飾ったのは石井靖子さん。客席で振られるのは「がんばれ💛やすこ」のプラカード。親衛隊も駆けつけての大賑わい。
演歌ムード一本やりのこれまでとは違う、これまたフレッシュな光景にニンマリ。
展示部門を回ってみよう。書道、オッと、当新聞おいしいモデルの松下トーコちゃんの書「ことり」の文字。
「確実に成長してるなあー」進歩途絶えて久しい我が身が恥ずかしい―。
「世紀の祭典」中学1年生の作品、見事。そうか来年は東京オリンピックだった。
小ホールへ足を運ぶ。最初に目に飛び込んだのは介護施設の利用者さんによる色鮮やかなパネル。テーブルにも手芸、切り絵、紙細工・・・などなど。
パワー満開。隣には「葵学園」の生徒さんの活動発表。この機会にみんなに知ってもらえるいいチャンス。
手編みのセーター、パッチワーク、ボトルフラワー、八幡彫り、ビーズアクセサリー、園芸、平田君の「ストローアート」、建部川柳、俳句の会。
「日溜りは 母の懐 冬椿」98歳、井手 房野さんの句。
もう一つエレベーター横の展示室。旭水荘の利用者さんの一文字書。「金」、「花」、そして「百」。今年、百歳になるおばあちゃん作。
義理の母を指導したのは服部恵子さん。「よう、書けとるじゃろう」
そばでしきりに感心していた森田市議会議員「こんな風に自分でも書けませんよねえー」
二階、吹き抜けの回廊には「水彩画教室」の静物画が。モチーフの表情の一つ一つをすべて見落とさず、描いて重ねた筆のあと。
制作にかかった一人一人の、長~い時間が室内に満ちている。
ロービーでは中島みゆきの歌に合わせ「手話クラブ」の”手話うた”が始まった。
2階からのぞき込むように見つめるヒップホップの子どもたち。
参加者が一体となって盛り上げる、みんなの祭典。
大ホール入り口ではさっきから知人、友人、家族の出たり入ったりの忙しいこと。
「もうなあ(カラオケ)聞きとうないんよ何度も。せえでもなあ、あとで機嫌が悪い(亭主)けんなあー(笑)」
「次に出る人が知り合いじゃけん、来てねって言われてなあ」
そうそう、その思いやり、助け合い無くして田舎は存在しません。
ソファアでくつろぐのは展示でがんばった「ケアビレッジたけべ」のお年寄りたち。
(記者)「たけべ新聞です、お写真撮っていいですか」
(介護スタッフさん)「まあ、たけべ新聞さんですって、みんなで新聞に載せてもらいましょうよ」
(記者)「ありがとうございます、では、いきますよ、ハイ」パチリ!(笑顔)
お~い、今年もありがとうね文化祭、出会えた顔が何十と・・・。
明日は続いて文化祭Ⅱ、そして、お楽しみ「たけべマルシェ」で”爆発だー!”
(取材・写真 三宅優)
取材から帰ると、妻(グルメレポーター)から、いつも「どう、何か拾い物があった?」と聞かれる。
たいがいは「うん、まあね」と答える。こんな時は書いてみないと自分でもあったかどうだか、まだ決められない心境。
むろん即座に「う~ん、記事にならん」と言うこともタマ~にある。
今日はというと「ウッ、かなりね・・・」とそれ以上、語らない。
その後を話してしまうと持ち帰った拾い物が減ってしまいそうだから。
今朝、建部上にある「老人センター」で催された『ようこそ!人生の下り坂へ』と題する講演会、講師として来られたのは「老いと演劇」OiBokkeShi(オイボケッシ)主宰、菅原 直樹さん。
菅原さんは栃木県宇都宮市出身で、2012年に東日本大震災を機に岡山に移住。以来、役者で且つ介護福祉士の仕事をされながら、認知症ケアに演劇的手法を用いた「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。このたびは、建部で活動する「カナリアの会」「ボランティアたけべの会」の合同研修会の一環で招かれた。
さて玄関を入ると、いい~香り「サニーデイコーヒー」さんがお出迎え(さすが!)。会場ではいつもながらに女性優勢50名+男性5名ほど。
オニビジョンさんも久しぶりに松本記者の顔、職場体験中の岡山大安寺中等教育学校の女子生徒さん2名を伴いやって来た。
さっそく菅原さんのワークショップ1、「アソビリテーション」
(菅原)「遊びって、できないことをするから楽しいですよね、でも、年とるとだんだんできなくなって、できない自分を責めるんです。
そうじゃなくて、できないことを楽しもう、そんなゲームです」
参加者半分が中央に輪を作り並び、体の頭から足先まで(頭1、鼻2、肩3、腹4、膝5、足先6)番号を付ける。
それを号令役が好き勝手な番号を言い、そのたびに全員、自分の部分を指さす。これは楽勝。次に、いっぺんに番号を2つ呼ぶ。右手は正解、でも左手で指したのは別の部分?かなり、できなくなる。
さらに指さすのは別の人の体、ますます混乱。終いのルールは毎回、同じ人ではない人を指す。もう、何が何だか、頭グチャグチャ。
続いて残り半分は「イス取りオニ」。
空いたイスが1脚、そこへ老人(菅原さん)が座ろうとヨタヨタ近づく。そうはさせない(かなり意地悪)と、そこへ一人が移動。今度はその空いた席に老人が、それもさせずと別の人。しかし、とかく気づくのは近くの席の人、なので老人は難なくその隣の席に座れてしまう。
途中で「シャッフル!」が掛かり、同じ席に座れないルールが発動、これで会場は老人を阻止するのか、自分の席を見つけるのか、カオス状態の大笑い。
(菅原)「体を使った遊びは、何も子どもの特権ではないんです、大人がやっても楽しい。演劇も体を使った遊びで他者とのコミュニケーションなんです」
ワークショップ2「イエス・アンド・ゲーム」 認知症の人との介護の現場で演技者になって接っしてみる体験。
(菅原)「たとえば”〇〇さん、お食事ですよ”と介護者が声を掛け、患者さんが”旅行に行きたい”とまったく違う返事が返る。
そこで”〇〇さん旅行じゃなくて、ご飯ですよ”と相手の言動を正すのでなく、肯定(イエス)で”そう、じゃあ、車を用意しなくちゃね”とさらに(アンド)提案する。相手の感情に寄り添う関り方で演技者になる事が大切だと思います」
では7人チームで輪になって、順番に介護士さんと認知症の方になって実演。
(介護役)「XXさん、食事ですよ」
(患者役)「プールに入りたい」
(介護役)「ステキな水着、着ましょうね」
これは、スムースにいきました。
(介護)「△△さん、お風呂でっすよ」
(患者)「お風呂はいやじゃ」
(介護)「いや?こまったなあ・・・」
認知症のずれた返事ができなくて、ついまともに答えてしまう(大笑い)。
今度は反対バージョンを菅原さんと演技。
(介護役、菅原さん)「〇〇さん、ご飯ですよ」
(患者役)「皇后さまになりたいなあ」
(介護)「そんな、今から皇后さまになんか、なれるわけないじゃないですか」
(患者)「なりたい、なりたい、手を振ってスマイルしたい!」
困った菅原さん、先輩介護士を呼びに行く。
(先輩)「〇〇さん、そうねえ、皇后さまステキよねえ・・・」
安心してうなずく患者役(観ていた参加者も演技力に大絶賛)。
(菅原さん)「一方的に自分の価値観を相手に押し付けても人は変わらない、話を聞いてくれることで信頼が生まれると思います。
何故そこまでして受入れなくてはならないのかと言うと、今の世の中は進歩主義が現実、でも老人ホームに入るとそんなの妄想に過ぎないとわかる。
だからこそ、今、この瞬間を楽しませてあげなくては・・・」
ワークショップの後、菅原さんと演劇を共にする岡田忠雄さんのドキュメンタリー『演じて看る』が上映された。
岡田さんは91歳で同じ年の認知症の妻を10年間、介護している。その日常は演技の連続。
寒い日、いきなり家に帰ると言い外へ出ようとする妻、だって、ここが家だよって言っても聞かない。そこで、じゃあタクシーが来るまで待ってよう、お母さんもいっしょに迎えに来るからねと、なだめて部屋に戻る。カレーを作る岡田さん、もう食べたという妻。そう、と言って自分で食べる岡田さん。(場面を前に、涙を拭う参加者たち)
中に出てきた菅原さんの劇に岡田さんが演じる役のなり切り様も凄い。老々の重い介護を抱えているとは到底、見えない。
それはまさに「今、ここを共に楽しむ」姿、
だからこそ妻に寄り添い、受入れる自分があるのだと心から思った。
「老いと演劇」OiBokkeShi公演ご案内(PDFで)
(取材・写真 三宅優)
朝9時半まで開かれた「福小音楽発表会」、その後を受けて開かれた福渡学区「防災キャンプ」。
まずは震度5強の地震を想定した児童の引き渡し訓練。
迎えに来た男の人を前に、(先生)「○○君、(この人は)あなたのお父さんですか?」
(生徒)「はい、そうです」混乱した中、子どもを間違った人に渡してしまうのを避けるねらい。
今年で7回目となる「防災キャンプ」、毎回、災害を想定した様々な体験が組み込まれてきた。
昨年は真備にも出向いた自衛隊の食料援護車のデモンストレーションが記憶に新しい。
案内によると今回は自分の家のハザードマップを作るらしい。
午前10時、開会。
今日、冒頭に話しをしてくださったのは岡山市危機管理室の原山博昌さん。
これから30年以内に70~80%の確立で起こると言われている南海トラフ地震のメカニズム、それにおける岡山市内が受ける被害、防災の仕方、避難の仕方についてスライドで説明。また豪雨、土砂災害における対応についても、実際の福渡学区のハザードマップを前に危機感をうながした。
(原山さん)「自助、まずは自分の命を守って下さい、そうでなければ人も助けられません。そして共助で地域の人を守って下さい。公助は10%の役でしかありません」
川口地区の藤原町内会長は地区で作った「各地区ごとのハザードマップ」を紹介。
自治会、消防、愛育委員、栄養委員らで構成する自主防災組織の重要性を訴えた。
このあと、地域の栄養委員さんによる、水で作る「アルファカ米」の作り方。
そして、いよいよ体験「自分の住む家のハザードマップ作り」
(福渡地区での作業、拝見)
町内会長さんから「福渡はコミュニティをとりあえず避難場所に考えてください」
それを受け(男性)「でも、あそこだって3~40人も入れば、すぐにいっぱいになる」
(若いママさん)「えー?じゃあ、うちは入れなかったらどこに行けばいいの?」
それから白地図を前にケンケンゴウゴウ、あそこがいい、ここはダメ、車で行くのか、行かないか・・・。
他の地区でも、なかなかスムーズに自宅から避難場所までの安全ルートは描けない。
家にいるのが一番安心な人もいるし、年寄りだけで暮らす人もいる。土砂崩れ、レッドゾーン、浸水危険の人。
自分のハザードマップが最優先だが、地域としてしっかり避難先を確保していなければ、逃げ場所も自分で作るしかない・・・困った。
その間に先ほど仕掛けた保存食が出来上がる。「ワカメご飯」の味は?
(グルメレポーター)「う~ん、梅干しが欲しい・・・」(ぜいたく言ってる場合じゃない!)
(取材・写真 三宅優)
福渡小学校の体育館、児童たちの座る後ろには、ずらっとお父さんたちのカメラの3脚。
どこかいい場所はないかなとキョロキョロ、運よく家の近所の方が「三宅さんここへ座られー」と譲ってくれた。
「校内音楽発表会」昨年までは建部町内3校合同で開かれていたが、今年からは各校で開くことになった。
その第1回目、福小のテーマは「かがやきあふれるハーモニー」。
ステージ、最初を飾ったのは1~2年生11人による斉唱。「子犬のビンゴ」を歌いながら掲げる「B」「I」「N」「G」「O」「🐕」。
自分の体が隠れるほど大きいプラカードが微笑ましい。
3~4年生18人の合唱は、おいしいドンブリご飯の歌「♪天どん、かつ丼、うな丼、ちょっと高いよイクラ丼・・・ああ腹いっぱい♪」楽しさいっぱいにできました。
5~6年生、高学年18名は「大切なもの」
「・・・大切なものに気がつかない僕がいた ひとりきりじゃないことを・・・」
ひときわきれいな高音部が響き渡り観客もじっと聴き入る。
合奏は「風を切って」。
大太鼓、アコーディオン、エレクトーンらが、いっせいに鳴り始める。
マリンバを叩く子の目は手元を見ることなく、指揮者の動きをひたすら追いかける。
全員合唱は「ありがとうの花」
そして最後、校長先生の言葉。
「今日まで毎日、練習を重ね、休み時間にもがんばってた、それは本当に、かがやきあふれる姿でした・・・」
(取材・写真 三宅 優)
(有)景山建設さんの「第7回かげやま感謝祭」が今月3日、吉田にある会社内に設けられた会場で開かれました。
この催し、民間企業が地域のために「日頃のご愛好に大感謝!」をと、毎年、手づくりで行なっています。
受付で参加者全員に配られた記念品も、日頃の仕事で使った木のハーブ。袋から「ひのき」のブーンと香りが、心が落ち着くプレゼントでした。
今年はハウス設備のメーカーさんが、キッチン・トイレ・洗面などについての新しい展示・相談に乗ってくれており、
田舎で最新の設備に手で触れられると参加者にも好評。
内装で使うタイルを使っての世界に一つだけのモザイクタイルの鍋敷きづくり、糸のこで作る来年の干支「木のねずみ」、建築現場から出た「端材」でつくる木工教室など、魅力あふれる体験コーナーも満載。
モノを大切にし、身の回りにある素材を使ってのイベント、日頃の景山建設さんの家づくりに対する思いが随所に見受けられました。
(取材・写真 勝部公平)
(沖 政信 客員記者レポート)
11月3日午前8時には竹枝学区ふるさと活性化協議会、岡山淡水魚研究会、岡山理科大学ほかのスタッフが集合し、10時の開会に向けてテントや水槽などの準備が始まりました。
鹿瀬橋の下あたりでは重機がすでに轟音(ごうおん)を響かせて川を堰き止めています。9時40分頃に堰ができたのですが例年より水量が多く時間を要したようです。
地元女性有志によるシシスキ丼、鮎の塩焼きの準備と共に美味しそうな匂いが鼻を刺激してきました。
一般参加者が320名以上、スタッフや大学生を含めると総勢520名以上が竹枝地区に集まって来ています。
開会式後、まずは川のクリーンアップを実施。
「川はゴミ箱じゃない!」を合言葉に子どもから大人まで熱心に取り組みました。
そのあと全体を4つのゾーンに分けて3つのゾーンに一般参加者とスタッフが川に入って、1つのゾーンは地元の人たちで投げ網での地調査をしました。
魚は27種類と例年より少し多く、近年、個体数の確認が大きく減少したアカザは922匹と昨年並み、カジカは208匹と増加傾向でした。
前回、見られなかったニホンウナギが一匹、尺アユが二匹、揚がりました。
竹枝の人々の地元に対する愛着と自然を大切にする心には本当に胸を打たれます、良い行事でした。
(取材・写真 沖 政信)
(勝部 公平レポート)
この日、朝9時前から竹枝小学校のグランドには学生や親子連れが次々と車を駐車、「第12回かいぼり調査」にやって来た。
旭川の一部を堰止めて干上がった川床を4つに区分、「岡山淡水魚研究会」等の実行委員会メンバーの説明を受けながら川に入り、
小石を動かして魚や水生昆虫や貝などを網ですくい、バケツに入れて、本部に設営された水槽に運ぶ。
こんな光景が午前中いっぱい続いた。
テントでは地元の特産品や鮎の塩焼きなどでもてなし、今年もインターネットやチラシ、各地域でおこなわれている水辺教室の参加者など、
岡山市内を中心に親子連れが参加、他に岡山理科大学の学生、地元のボランティア、中には「めだかの学校」行事に参加している親子もおり、
自然に対する関心が高くなっているのを肌に感じる。
所定の時間内で見つかった川の生き物、魚類はアユ、ウナギ、ナマズ、ギギ、ドンコ、ヨシノボリ、ウグイ、アカザなど24種類、甲殻のカニ類5種、トビゲラ、ヤゴなどの水生昆虫26種、カワニナ、シジミなどの貝類2種類などが捕獲され、絶滅危惧種のアカザは大水にも耐えながら成育、生物のたくましさを実感。
この調査は2006年にスタートし「アカザ」や「カジカ」の生態や分布を調べようとして始まった。
指導している吉鷹先生は「絶滅危惧種に登録されるということは死刑宣告と同じなのです、この活動を通じてより多くの皆さんが、自然との共生、自然にやさしい生活スタイルへの啓蒙になれば…」と話し、一人でも多くの人が自然を守る活動に理解してもらおうと参加者の疑問・質問にも丁寧に答えていた。
(取材・写真 勝部公平)
秋晴れの日、とうとう8カ月ぶりに旭川源流田地子川の碑が帰ってきました。
昨年の11月24日に「里山たけべ」の山中から切り出された一本の原木、
多自枯鴨神社前の広場で皮むき・乾燥・面づくり・リヤカーの準備を整え、
建小5~6年生が思いをこめて幟(のぼり)旗やお面へ文字を書いて今年2月15日に建部小学校へ移動。
最後の仕上げを終え、建部文化センターを経て3月2日、いよいよ建部を出発、岡山市内の各地を周り、御津・加茂川・江与味・北房・勝山・美甘・新庄・最北の蒜山中和・鏡野町富・久世・落合・久米南など37か所を廻って建部のめだかの学校へ到着。遂に11月2日、田地子に戻って来たのです。
この日は田地子川流域の富沢・宮地・市場からの参加者も35名ほどが加わり、神社前の田地子川の川辺に建立しました。
建立式典では旭川源流ネットワークの会員、流域の人々など70名を超える人で賑わい、
全行程500キロを経て建立された源流の碑への思いと活動の達成感を述べ合いました。
全コースを訪問した地元の村岡さん(85歳)は
「訪問先の皆さんの温かい出迎えや、旭川流域の自然の恵みなどを体験でき感無量です」と話されました。
式典後には多自枯鴨神社の棒遣いの演武が奉納され参加者を魅了しました。
引き続き行われた交流会でも大いに盛り上がりました。
旭川流域には美しい自然、豊かな水の恵みをもたらしてくれる150もの支流があり、多様な風土を形成しています。
この流域をつなぐことで「この川をより良い川にし、次代の子供たちに引き継ごう」を目的に、今回の「旭川源流ネットワーク」の活動がなされました。
これまで、リヤカーで源流の碑とともに支流の各地を訪問、
20年以上も続けています。
支流に住む者として、頭の下がる思いです。
(取材・写真 勝部公平)
10月31日、東京渋谷の交差点は、何万人という人でにぎわうハローウィンパーティー、どっこい建部でも田舎のハローウィンが行われました。
建部小学校では、校内の野菜畑で各学年ごとに、思い思いの野菜を春に植えます。1、2年生はサツマイモの苗を土まみれになりながら植え付け、水やり、夏の日照りを心配しながら秋を迎えました。
そして「エィヤー」の声をかけながら芋づるを友達と一緒になって引っ張るお芋ほり、出来の方はまあまあでした。
そのあと恒例のお芋パーティーの方は雨で順延して、ちょうどハローウィン当日と重なりました。
今年は、建部のどこにでもあるもので芋を焼こうとのことで、シルバーボランティアの片山さんと当記者の勝部で、焚き付けには枯れ枝や杉の葉、穫り入れ後、
田んぼに落ちている稲わらなどを準備、「すくも(稲のもみ殻)焼き」を体験してもらいました。
子供たちは自分の選んだお芋を濡れ新聞紙とアルミホイルで包み、真っ黒になった「すくも」に入れていきます。30分ほどすると、こんがりと焼けたお芋さんの完成です。
中庭の緑の芝生の中でワイワイガヤガヤの楽しいお芋パーティーの始まりです。
世界中で行われているハローウィンパーティーは農産物収穫に感謝する祭りです、まさに建部小学校のお芋パーティーは自分たちの収穫祭でした。
(取材・写真 勝部公平)