■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
東日本大震災及び福島原発事故を受けて
避難した人の数は復興庁の発表によると
今年8月現在で5万人。
そのうち県外に避難している人の数は約4万人で、
西日本一帯では岡山県が946人と最も多い。
今回はその避難者と真正面から向き合い、
サポートを続ける服部育代さんにお話を聞いた。
(取材・写真 三宅 優 写真資料提供・「ほっと岡山」)
(プロフィール)
服部 育代(いくよ)
1971年、栃木県佐野市生まれ。
日本大学芸術学部に在学中より様々な
社会活動に参加。 結婚後、2児をもうける。
2011年、原発事故を受け岡山へ自主避難。
現在、一般社団法人「ほっと岡山」代表理事。
建部在住。
(三宅)育代さんがやられている「ほっと岡山」って僕も十分理解できてなくて、あらためてどんな活動をされてますか
(服部)「一つには、これまで県内で活動する東日本大震災による避難者の受け入れネットワークが12ほどあって、その中には大塚愛さんのやられてる子ども未来・愛ネットワーク、蝦名宇摩さんのやられている瀬戸内交流プロジェクト岡山への移住を推進しているおいでんせぇ岡山さん、和気町のやすらぎの泉さんなどがあるんですが、それまでグループ同士のゆるやかなネットワークで来たのですが、5年ほど経って、だんだんと避難の状況も変わって来て、
よりきめ細かなサポートが求められるようになりました。
そこでその中の避難者からの相談窓口を一本化し、ワンストップの窓口にしようと、その役割を”ほっと岡山”が受け持っています。それ以外にも6つの役割を掲げていて、勉強会・啓発活動、情報提供、ネットワーク構築、行政との連携、交流会の開催、調査・研究・政策提言などの活動をしています」
主にどんな相談が寄せられるんですか
「受入れ当時は、住む家や仕事先や学校、費用の問題と言った外向きの相談が中心でした。それがここでの生活が長くなるにつれ、子どもの進学のことや金銭面の悩み、地域での阻害、不登校、離婚、それと戻る人も少しづつ出てきて、そういった個々が置かれているさまざまな状況での相談が増えてきました。もちろん全体的にはスムースに暮らしている避難者が多いのも事実です」
そういった相談に対してどのような対応をなさってますか
「月に50件ほど相談がありますが、現在、私たちスタッフ8名、内、当事者が6名、2名が岡山の人で、中に専門のカウンセラーもいます。週3回の相談日を設けていて、できる限り、ご本人の意向に添ったかたちで解決策が見つかるよう対応しています。月に1回、司法書士さん、臨床心理士さんにも来ていただいています」
でもこれから起きる新しい課題に対応するって、大変じゃあないですか
「確かにそれはありますが、5年目くらいに阪神淡路大震災を研究している関西学院大学の災害復興制度研究所の存在を知ったんですが、調べてみたらそこには行政対応の実例モデルがたくさんあって、すっごい指針になることがわかりました。そこで行政を動かすことで解決できる問題は、
私たちがつなげていこうと考えました」
なるほど、それで”ほっと岡山”は「行政との連携」を役割に掲げているわけですね
「はい、行政の力を借りることができるのに、知らないでいるといったことが多くあります。災害救助法の適用申請も自治体によってまちまちだったりします。早く行動して、早く解決に導くことが大事で、そのためには日頃から根気よく行政に声を届けることも大切なことだと思います。毎月、交流会を開催していて11月には浅口市でやるんですが、福島県、岡山県、復興庁にも来てもらって話を聞いてもらいます。原発で来ている人は今の社会に不満や要望を多く持っているので、キャッチボールのできるワークショップにできたらと考えています」
昨年の西日本豪雨では別のかたちでの活動がフェイスブックで見受けられましたね。
「ええ、東日本大震災での経験があったので、避難先での対応についての情報提供や救援物資の依頼といったことが多くありました。それをつなぐネットワークとの連携もできました」
今考えると、あの7月の災害では予見があったんですよね、その1週間前に公民館で開かれた、あんどう りすさんの「かぞく防災講座」(2018年7月1日発信)森田議員らも参加して、あれは”ほっと岡山”さんの啓発活動だったんですよね。そこで言われた「安全神話のあるところほど危ない」岡山に対する警鐘が鳴っていた
「そうそう、ほんとに、あれって、まさかすぐにそんなことが・・・でも、その通りだった」
今やだれが災害に遭ってもおかしくない、時代は大きく変わってきました
「それは私にとってもミッションが東日本大震災の避難者だけでなく、これから起こるあらゆる災害で暮らしを余儀なくされた方に、その方たちの意向を大事にしながら手を貸していこう、そのように変わってきました」
これからの活動ではどういったことがありますか
「311スタディーズという勉強会をしてるんですが、8月はハンセン病療養所を訪ねて当事者をテーマにフィールドワークをしました。来年3月にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の講演会を予定しています。また調査研究では定期的に避難者のアンケートを取っていて、”声になりにくい声”を届ける活動をしていきたいと考えています。それと”ほっとおたよりNEWS”という東日本大震災により岡山に避難されてる方を対象に無料配布している冊子があるんですが、ここでもさまざまな情報提供や広報を行っていきます」
活動範囲が災害全般に広がって休みなしって感じですね。ところで育代さん、若い頃の話を聞いてないけど、どうだったの?
「高校までは栃木にいて、予備校に行くんで東京、河合塾に入って、この時の出会いがすごく楽しくって、一水会の鈴木邦男先生とかがいて”右翼と語る会”なんかにも出てたんです。大学は日大芸術学部、専攻は写真学科。でも原発や生活困窮者の問題とか、そっちの方の関心が強くて。結局、6年いて、最後の体育の学科がどうしても取れなくて退学しました(笑)」
その後はデザイナーの仕事をして、結婚と進んだわけですね
「子どもが生まれたことが大きな転機ですね、子どもの未来のことをちゃんと考えたくなりました。”大地とつながる母の会”に入って鎌仲ひとみさんを招いて勉強会をしたり、2010年に”母と子の防災本”制作するときに、あんどうりすさんの記事を取り上げたりしました。その頃、もし原発被害が起きるとどうなるんだろうと回りに聞いたら、そんなの起きやあしないよって言われた、その時のことが原点になっています」
岡山・建部に来て、もう8年になりますね
「そうですね、早いですね。ここで安心して子どもを育てられたのがとても良かったと思っています。でも災害を想定すると建部はまだまだやらなくてはいけないことが多いと思います」
(三宅) ありがとうございました
「ほっと岡山」
岡山市北区東古松1-14-24コーポ錦1階
℡070-5670-5676 FAX086-230-4561
mail:office.hotokayama@gmail.com
フェイスブック
出会ったのは2012年2月、当ギャラリーに遊びに来てくれた。下の子が家中を探索して、何にでも関心を持つのに驚かされたことが忘れられない。
その後は「3.11の集い」で会ったり「たけべマルシェ」で顔を合わす程度。
とにかく忙しい人だ。FBで見ると災害に係わる情報が毎日のように載せられ、ご本人は
日本全国飛び回っている。
8年前の公民館発行の「タネピリカ2号」に寄せた手記には、
「3.11は多くの悲しみと犠牲をもたらしました。
ですが同時に自分がどのように生きていくかしっかりと向きあうことを気づかせた契機となりました。
そのスタートラインが自然豊かなこの建部から始まることが本当に嬉しいです、この契機の意味を決して忘れず祈りと共に日々を紡いでいきたい」と綴られている。
あれから、なんらブレることなく今を生き抜く育代さんに
エールを送りたい。 (三宅 優)
「終わった・・・」
福渡八幡神社、秋祭り。
御神幸が行く道々に立つ、お年寄り、その家族、昨年も会えた、そして今年も。懸命に一年を過ごし、迎えるお神輿。ここで暮した人たちが、共に抱く”祭り”への思い。
総勢122名、町内が空っぽになるほどの人たちが「行列」「神輿」「子ども神輿」「神楽」となって練り歩く。89歳の名人がバチを手に太鼓を打ち鳴らす。
壊れ行く地方、福渡も例外ではない。今やこの祭りだけが町のアイデンティティー。
子どもに聞いた「お祭りって楽しみ?」
「うん、すっごく楽しみー」
そして「だって、鐘、叩いたり、お獅子だってチョーカッコいいー」
大人(年配)に聞いた「お祭りが来るのはうれしいですか」
「いや、もうなあ、観るのはええんじゃけど、参加せえ言われるんが困るんじゃ」
やれやれ、今年も高齢化著しい課題に「秋祭り」の行方は・・・。
そうして始まった「大祭」当日。百数十の石段を登った上にある八幡神社の境内に集まった礼服姿の列席者、白張の輿守、はかまの神楽、青いハッピ姿の子ども神輿。
長~い神事を終えた参列者がホッとして境内へ。神様が輿に遷座され、獅子舞いを奉納して、いざ出陣。
町に下り、各所各所で練り、踊る。特別養護老人ホーム「旭水荘」手を合わせ、列をなし待ち受ける車イスの利用者さん。
暴れ獅子の到来に驚き泣き出したおばあちゃん、じっと演舞を見つめる顔の涙を指でぬぐうおばあさん・・・。
そんな光景を、だれもが気づいただろう。
「ワシらの祭りは、ワシらのためだけにあるんじゃない。この祭りを懸命に待ち望んだ人たちがいる・・・」
行列隊は進む。地域の支え「福渡病院」から53号線、商店街、建部支所、福渡駅・・・。
39人の輿守たちがその度ごとに立ち止まり「ワッショイ!ワッショイ」
猛者らの額は汗でベチョベチョ、顔も笑顔からしかめっ面。
祭りの始まりは無限に思えても、いつかはやって来る”祭りの終わり”
一行が上山の牧場に登る頃は陽が西に傾き、兵士たちに疲労の陰。
午後3時「友愛の丘ゼンセン」到着。館内を駆け回る大人神楽につづく子ども神楽、もう思い残すことはない。
興奮と脱力。
同じメンバーが、また集まることを祈りながら輿守たちの雄姿をカメラに収める。
(取材・三宅 優 写真・松下りえ)
このことを書きおきたいと思った。消滅寸前の福渡地区の神楽。
ここ数年、後継者だけでなく指導者も見つからなくて”もはやこれまで”状態。
今年も同様の成り行きで進んでいた。しかし、子ども会の女の子2人がやりたいと手を上げた。
(神楽の大人)「ほんとうに習いたいの?」
(女の子ら)「うん、習いたい!」
それで一気に空気が変わった。昨年もそうだった、男の子2人がやると言った。今年はその子たちが卒業し、でもそのうちの一人は出てくれる。
それだけではない、遠くこの地を離れていた若者らが戻って来ることになった。
「里帰り神楽」、回覧板で参加者名簿が伝わった。
「まあ、○○ちゃん、久しゅう会ってないわー、楽しみじゃわー」
この言葉を地元のお年寄りからいく人も聞く。
今日は祭り前夜、いつもは子どもら中心の「子ども天国」、それがどうした大人の方が多い、その「おとな天国」の舞いが始まった。
「サンバ」の音が叩かれる、体が戸惑いながらついていく。
「最初のタイミングがわからん」「からだが錆びついとるー」
10年?ぶりの神楽に若者らの感想が洩れる。
ドアが開き、入ってきたのは若者らの父。
「どうだろう、忘れとらんかなあ」
「シャギリ」。練習は獅子をかぶって大人、子どもの共演となった。獅子3体、コミュニティ狭しと動きまわる。
笛を吹き、鐘を叩く子どもらの目には、大人らが夢中になって踊る姿、友だちの懸命についていく姿が。
時刻は夜8時を過ぎ、まだ特訓は終わりそうにない。
「じゃあ、最後、あとは明日、本番!」
神楽代表の松下さんの声に全員が身を引きしめるのがわかった。
いよいよ明日、福渡八幡神社例大祭!
(取材・写真 三宅 優)
1週前が「建部まつり」、今日は「志呂神社の大祭」、共に晴れに恵まれる。
連休、いつも雨にやられてる、そんな感じがする昨今なので、何をおいても嬉しい。
三樹山の麓、志呂神社の境内には赤い幟がはためく。午後から本殿では遷座祭が粛々と執り行われている。
まだ真新しい神輿が社頭にでんっと構えてる。
今年の神輿は川口地区が担ぐそうで、知った顔の人らが白張を着て待ちかまえている。
その間、社務所の前では子ども神楽の踊り手たちが、緊張した顔をして順番を待っている。そして、そろそろという頃、子ども神楽が舞い始め、上の稲荷神社へと上っていく。
境内では県無形文化財、京尾御供「まがり ふと ちょうぎん」の三方を頂く総代さんが、御神幸の先陣へと歩き出す。
押されるシャッターの多いこと。
とにかく多いアマチュアカメラマン、狙うのは意外なシーン。ボンボンの付いた足元、わらじを結ぶ親子・・・。
神輿が動き出した。合わせて棒遣い、神楽も演に入る。笛、太鼓、鐘が鳴りだして、馬場の中をいよいよ(過酷?な)御神幸。
神輿は行ったり来たりのピストン輸送、一方、行列、棒遣い、神楽はゆっくりと踊りを続けながらの直進コース。
どこを観るのも良い、集会所のベランダ最上席は目的の演舞を見逃すまいとする観客でスズメの電線状態。
もう白張集団はヘロヘロ、担ぐではなくしがみつく者らも。でも、しかし、「これっくらいの馬鹿さがあってもいいんじゃない」と彼らの目が語ってる。
子ども神輿だって、何度往復してるだろう、「もうダメッ!って言うまでいくからね」ママさんらのスパルタ音が聞こえてくる。
チャッカリチビッ子も屋台の回りで言ったり来たり(笑)。
結局、この大祭の魅力は厳格に守り続ける神事、なんだけど、「今日の祭りを自分らで楽しんで盛り上げよう!」
そんな意気込みが随所に溢れる、そんなところにあるんだなぁっと感心した記者だった。
「おい、そんなのん気なこと言ってる場合じゃないぞ、来週(27日・日曜日)は・・・」
福渡八幡神社秋祭り!
(取材・写真 三宅 優)
関東、東北を襲った台風はやはりレベル5の結果を見せつけた。
「今までにない」「初めて経験する」と言った言葉が報道で伝えられるが、これが年内にもまた、そして毎年のように常態化することは間違いない。
中国地方は今回、うまく回避してくれたが、次は自分の番だと腹をくくるしかない。
そんな過ぎ去った後の晴天の建部町、今日、恒例の「建部祭り」が開催された。
午後1時、いつも通り八幡温泉郷駐車場に参集した建部郷8つの神社からなる神輿。その前では笛に太鼓、鐘に合わせて舞う神楽たち、棒遣いも叩き合う。
100人、200人それ以上、ちびっ子から大人まで祭り衣装を身につけて、わがお宮の旗の前で、てんでに舞い、てんでに囃す。
やがて一同は列をなし、先月、随神門修復を終えたばかりの「七社八幡宮」へと向かう。
すでに八幡宮では、この日を楽しみにしていた観客数百人が待ちかまえている。
「タコ焼き」「フランクフルト」「りんご飴」「フライドチキン」昔なつかしい「お面」の屋台も健在だ。
屋根が立派になった分、門が狭く感じる随神門、ここを腰を低く落として最初の神輿が通り抜ける。境内に敷かれた真砂土の埃が舞い上がる。二番、三番と神楽と神輿の列がつづく。
宮入りをした神輿が境内をネリ始めた。右にウヮーっと、左にグワーっと一気に駆け登るかと思いきや、
威勢のいい先輩仲間から「まだ足りん、もう一回、ねれー!」と言われUターン。
散々にくたびれた後、フラフラと無事、仮屋へと収まる。この間、観衆は「おお、おー、あぶない、あぶない!」とハラハラ。
宮司全員による詔(みことのり)を終え、いよいよ神楽奉納。見事に息の合った獅子の舞いを動画で納めようと皆、スマホ。
多自枯鴨神社の棒遣いの演舞が始まる。わずか数十軒の集落が守り続ける伝統芸、小学生の女の子もしっかりと受け継いでいる。
樫の棒が打ち鳴らす「カーン!」という音のみ、あとは荒い息遣いが聞こえるだけ。練習の賜物が観衆にも伝わる。
時間はいつの間にか午後三時、仮屋の前に再び集結した輿守たち、これから「宮開き」となる。
合図が鳴り「ウウオオー!」という唸り声をあげいっせいに社頭へ駆け集まる神輿。ひしめき合う輿と輿、何とか整列し、
そして「ウァー!」と一気に「高々」へ。
先ほどの荒さとはうって変わって静かに下りていく輿守たち、「
今年も終わりかぁー、また来年だなあ」その中の一人がつぶやくのが聞こえた
。
(取材・写真 三宅 優)
「大田(地区)に変わった人がいる・・・」と時々、耳にしていた。何でも手品が上手で、あちこちに出向いては喜ばれているとか。
その噂の人、河原徳一さんが福渡の老人会「すずらん教室」に呼ばれているという。さっそく福渡コミュニティセンターに出向く。
会場にはいつもながら、ご婦人中心に20名ばかり(それにしても男は好奇心がない、これじゃあ頭が固くなってボケも近い?)
河原さん一行到着、総勢5名。会長の徳さんを筆頭に女性4名の構成。徳さん自己紹介。
「僕が何で手品をやるようになったか言うと、アメリカ
に行ったことがあって、そこで言葉が通じないので往生して、トイザラスで買った手品の道具でやって見せたんですわ。そしたら受けて、手品は言葉がなくても通じるんですわ」
そのうち、私も仲間に入れてと奥さんが入って、右手が不自由な植田さんと80歳代の山本さん、谷さんら2人が加わった。
(徳さん)「信じれます?片手で手品しようって言うんですよ、皆さん何不自由なく両手が使えてもやろうとは思わんでしょう。
それと80過ぎて手品を覚えたいなんて考えますか?スゴイでしょう、今日はそんなメンバーでやっていきます(笑)」
植田さん登場。何もない左手を握ってモミモミ、右手に取りつけたフックで引っかけて、出てきたのはスカーフ(拍手)
山本さん「あなたの誕生日の日にちを当ててみます」
複数の数字のボードを見せながら「ここにありますか?」何枚かすると「〇日です!」(おおー)
谷さんは一本の紐で輪を3つ作る。「こうして、こうして、こうすると・・・」(ああ、輪がいつの間に3つ出来とるわー)
オオトリは徳さんの今日が初公開となる「なんでもBOX?」
奥さんがそばで「なんか家でゴソゴソ作っていましたけど、ほんとにうまくいくんじゃろうか、もう心配じゃわー」とヤキモキ。
それを聞いて徳さん、「そんな心配しとるんなら、ちょっとくらい手伝え!」と場内を沸かす。
何にもないよと一旦、見せた箱を閉め、ふたたび開けて何やらつまみ出す、テーブルクロス、ハッピ、バナナ、ラッパ、紙おむつ・・・。
前にかじりついて見ていた女性、「あれー、まあ、どうしてー?」思わず感嘆。
それを受け徳さん、「ええ反応じゃなあ、そういうのが好きじゃなぁー(笑)」
後半は参加者が実践、「輪ゴムマジック」と先ほどの「1本の紐で作る3つの輪」
ところがどうした、タネが分っても手がうまく動かない。
わずか数秒の動作に「こりゃあ、ボケ防止になるわー」のご意見。
参加者募集!!
毎月第3土曜日午前10時 !
会場:大田コミュニティーにて練習 !
「わたしも、わしも入れてくれー」を待ってま~す
(取材・写真 三宅 優)
今回は建部にある空手道の練習に励んでいる難波 優空(そら)君(建部小学校4年)をお家に訪ねました。
毎週2回、建部中学校や中田の体育館で妹の茉優(まゆ)さん(建部小学校2年)と一緒に練習に励んでおり、
その練習の甲斐あって、9月に岡山のジップアリーナで行われた「滴水会館全日本空手道選手権大会・小学生中学年組手の部」でみごと35人参加の中、堂々優勝を果しました。
ここでは強い身体をつくると共に精神力を養い、礼儀正しくなることを目標に教えているとのこと。
建部地区もチームでおこなうスポーツだけでなく、一人ひとりが励むことのできるスポーツが芽生えているというのは大変うれしいですね。
地域としてこのような多様なスポーツで子育て支援の幅が広がっていくことがますます大切だと感じます。
(取材 勝部公平)
先月の公民館主催「地域人づくり講座」は”防災”~命を守れ~がテーマだった。
今日2回目は、”その後、どう再建していくか”をテーマに、「災害時に役に立つ保険の知識」と題した講演が行われた。
講師は(株)FP相談センター、ファイナンシャルプランナー(FP)の佐藤 香名さんで、実際に災害に遭った後、どのように再建するか、最も重要な資金面
について「備え」と「支援」の両面から話された。
佐藤さん自身は4人の子どもの母であり、先の西日本大水害の折りには「同じ岡山に暮らす子どもを持つ母親として出来ることはないか」と、
支援団体「サンサポートオカヤマ」を設立、物資、有益情報提供などのサポートをした。
LINE@を通じて、ママたちだからできる物資のマッチングを行い、
実際、海外からも「白いスニーカー」が届けられたそうだ。
被災から1カ月、「モノからコトへ」とサポートは変わり、茶話会で寄せられた相談に弁護士、司法書士、建築士、看護師、FPなどで構成する”チーム岡山”で
対応するまでになった。「不安」を「安心」に変える、そのためには「知る」そのことで「見通しが立つ」と言う。
考えれば、人が生きている間はリスクに覆われている、ましてやこの異常気象、安全も安心も前とは比べようもないほど遠のいた。
後半は「すまいを取り巻くリスクに備える」保険について。
「火災保険」と「地震保険」の違いは”地震保険で家は建て直せない”なぜなら、火災保険の最大50%しか地震保険は下りないから。
地震は大規模災害のため、被災者の生活の安定に寄与することが目的。逆に地震で火事、津波に遭っても、火災保険では補償されない。
「う~ん、そうかー・・・とは言ってもこんな世の中、何があるかわかりゃあしない、入っておいて損はないか・・・」
スクリーンには被災後に書かれた倉商書道部のメッセージ「今を生きる」「明日へ」の文字が写し出されていた。人はどれほどの試練を受けようとも、やはり明日を生きていくしかないのだ。
講演が終わり今一度、我が「備え」について深く考える記者(編集長も)であった。
(取材・写真 三宅 優)