■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
偶然なのかもしれないが建部で昭和45年に
生まれた人の中には地元で懸命に事業に
取組む方が多い。当新聞でも取り上げた、
松下泰成、横原雅之、
杉本正樹さん達。
そして、今回登場の岩崎吉基さん。
中国地方でも屈指の規模でシイタケの
生産を手掛ける「マッシュマン福渡」を
動かす若社長。シイタケに掛ける情熱を聞いた。
(取材・勝部 公平 写真・三宅 優 )
(プロフィール)
岩崎 吉基(よしき)
建部町生まれ宮地在住。
シイタケ生産工場を父親より引継ぎ
中国地方でも有数の規模まで拡大。
有限会社マッシュマン福渡、
代表取締役。4児の父。
趣味は釣り。
(勝部)僕は岩崎さん家とは、おじいさんの頃からの付き合いでね、あの頃、僕も福渡の石引に仕事場があったので、
いろんなことを教わった思い出があります。自然と対峙する時はこうするんだよって、実にていねいな仕事をする人だったですね」
(岩崎)「私はじいさんからは、あんまりそんなこと教わってないですね。もともとがダムの上に居たんで、山のことはお手のもんだったと思います。それこそ、松下(泰成)のじいさんらとパラオに戦争に行って帰って来た人ですから。いつだったか、町内会で鷲羽山ハイランドに行った時、じいさんがいないので探したら、ジェットコースターに乗ってたんです。怖くなかったのかと聞いたら、わしら戦争に行ってたのに、こんなのが怖いわけなかろうがって言われました(笑)」
(勝部)そうだねえ、昔の歳よりって腹が座っていたよねえ。じゃあ、いつ石引に下りて来ることになったの?
(岩崎)「うちの親父が、山の上じゃあ何もできないので、じいさんに家ごと下に移すからと説得して、昭和、何年だったかに来たそうです」
(勝部)シイタケ栽培はいつごろから?
(岩崎)「最初、移った石引の家で原木でやってたんですが、風通しのことやらで文化センターの方でやるようになって、20年ほどやって、平成8年からここの場所ではじめました。会社になったのは平成12年からです」
(勝部)現在、規模的にはどのくらいですか
(岩崎)「業界的な表現で言うと、1年間で70万菌床を取り扱っているわけで、これは個人での扱い量では中国地方で一番クラスかな。出荷量は毎日、約2千個です。これを40棟の工場で生産しています」
(勝部)出荷先はどんな所です
(岩崎)「県内、岡山、倉敷、津山、京都の市場に出しています。そこから全国に回っていて、前にうちの若い者が東京のスーパーに行って、会社のシイタケが並んでいたよーって、嬉しそうに教えてくれました(笑)」
(勝部)今、従業員は何名ですか
(岩崎)「中国からの研修生を含めて30名ほどでやっています」
(勝部)菌から採集までの期間はどのくらいですか
(岩崎)「約、3カ月、その後、休ませて、また3カ月、3回で廃棄するサイクルです」
(勝部)工程ではどこが一番大変ですか
(岩崎)「う~ん、芽かき(間引き)の時、それから3日もすると採集ですから」
(勝部)経営的な面での苦労は
(岩崎)「やっぱ、人でしょう。人の確保、これが一番の悩みです。同時に、一年中通して従業員を抱えると言うことは、
年間通じて仕事をしてもらう状況を作らねばなりませんから、安定した生産と出荷体制が絶対に必要となります。今度、カンボジアからの研修生を受け入れる予定で、工場前に寮を作っています。それと中国に戻った研修生も2名、また戻って来てくれるそうで、ほんとに嬉しいですね」
(勝部)企業としての強みは何ですか
(岩崎)「シイタケ業界は菌床栽培が9割と言われています。そんな中で安定的に出荷ができる体制を持っていることは一番の武器ですね。6000個を場所を移動させないで一発で採集する方法で効率化が図れ、管理が楽になりました」
(勝部)そうですねえ、これだけ大規模な建物を使って、時期をずらしながら毎日収穫できるようにするには相当工夫がなされたでしょう
(岩崎)「1棟ごとに温度、湿度、水やり、成育に応じて管理する、でも、このおかげで安定生産が可能になったわけです」
(勝部)これから仕事上でやりたいことは?
(岩崎)「従業員の休みを増やしてやりたいですね、今は地元の人が少ないので、働けるような環境に変えていきたいなと考えています」
(勝部) ありがとうございました
「(有)マッシュマン福渡」
岡山市北区建部町宮地293-2
℡086-722-1081 FAX086-722-4039
(勝部 公平)
久しぶりにお会いして、すっかり若手実業家の雰囲気。
特に印象的だったのが、椎茸の菌床の作り方の説明に各棟を手順よく社内を案内していただき、クリーンで塵ひとつない工場内。
温度と湿度管理設備の説明にも、業界のトップランナーをめざして経営計画を立てていることが垣間見ることができました。
「建部から全国へ向かって羽ばたく」こんな夢に向かって邁進している岩崎さん、がんばってください。
(三宅 優)
実は記者宅は10年前、岩崎さんのご実家だったのを譲り受けたもの。今も柱の所々に移築の時のホゾ跡がうかがえる。
あの時、会長さんをお訪ねし工場内を見せていただいたのだが、あれから10年、工場内は、はるかにグレードアップ。
1棟ごとに6000個の菌床が整然と並ぶ様は見事というしかない。作業工程も機械化により流れ作業が進んでいる。
ここまでに導いた吉基さんの手腕に感服。
そんな吉基さん、家では完全に子ども中心で自分は居候ですと謙遜するが、跡継ぎも修行中とのことで、
事業の更なる展望が膨らんでいる。
「やるのかなあ、やるとしても体育館かなあ」雨予報の建部町、朝から雨雲レーダーと睨めっこ。それもそのはず、今日は建部の全小学校・保育園の運動会。
でもどこを取材しよう、取材に行けるのは2人、学校は3つ。とりあえず記者(私)はこのところご無沙汰の地元、福渡小学校へ。
「おっ、外でやるんだ!」曇天の下、校庭には白いテントが待ちかまえている。下には、すでに保護者や地域の方々がスタンバイ。
開会宣言は保育園の頃から見てきた女の子(もう小学6年生か)。続いて今年のスローガン「それ行け!イノシシ!みんなのあきらめない力で優勝だ!」を叫んだあとはいよいよ開始!
「玉入れ」「かけっこ」「ミッションインポッシブル(?借物競争)」「綱引き」ほぼ定番の競技が目白押し。
その間に保育園児のチョコチョコかけ回る微笑ましい出演もあり、応援に来た保護者、身内はスマホやカメラを片時も離せない。
高学年による「よさこい」表現は、いつの間にかたくましく成長した子どもらに、目を見張り身を乗り出して観賞する
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいじいさん、ひいばあさんまで。
組体操もズッコケてもやり直しながらどうにか完成だ。
最後は運動会の華「チーム対抗リレー」
「〇〇ちゃ-ん、イケイケー、がんばれー!」
さっきまで来賓席で慎ましく座っておられたご婦人も、この時ばかりはと声を張り上げる。赤・白抜きつ抜かれつのグランド一周。
そして「バッバーン!」ゴールを知らせるピストルの音。
途中、雨に降られはしたが終日、外で駆け回ることのできたラッキーな運動会。
記念撮影は今年が最後となる六年生たち、思い残すことのない笑顔で「パシャリ!」。
(取材・写真 三宅 優)
まずは建部小学校と駆け参じた記者(勝部)、このあと竹枝に移動して、もし雨ならそれも難しくなるので気がせきます。
建小の宮尾校長先生の挨拶も「雨がふる予報ですが、やれるかぎりがんばりましょう!」と雨モードで始まりました。
赤・青・緑・黄いろに分かれた四チーム代表による開会宣言。今年のスローガンは「最後まで、全力、協力、建部っ子」です。
雨対応のため変更してのプログラムは1番「応援合戦」でスタート。大太鼓の鳴り響かせて各チームの熱演が繰り広げられました。
つづく2番は「3・4年リレー」子どもらの一生懸命な走りぷりに目がくぎ付けになっている時に電話が、「ネコが怪我して病院に連れてって」
そこで急いで竹枝へ。竹枝のスローガンは「チームのパワーで勝利をつかめ!」
曇り空の下グラウンドでは保育園児とお母さんによる「おさんぽにいこう!」の真っ最中。
お手製のプログラムボードには「チビッ子忍者・・・」「救出大作戦」「2020竹枝オリンピック」とか読んで楽しいプログラム満載です。
「大玉リレー」を観戦後、残念ながらここで退出することにいたしました。
それでも、2校とも元気な子どもらの姿を垣間見れて、ホッとしました。
(取材・写真 勝部 公平)
「うん?ピザとオペラ?・・・💡そっか、どっちも
イタリアーノか!」ということで今日の午後、ピッツェリア「マル屋」に向かう。
「夢のコラボレーション」と題された(確かにここで演奏会が開かれるなんて、夢にも思わなかった、笑)コンサート、
歌うのはもちろん建部の歌姫ことオペラ歌手、佐藤麻衣子さん。キーボード演奏は谷 以知子さん。共に長い音楽歴をお持ち。
まずは、店主マルコの開演ごあいさつ。「スィニョーラ、スィニョーレ、ベンヴェヌーティ・・・グラッチェ」(紳士、淑女のみなさんようこそ、・・・ありがとう)
そして佐藤麻衣子さん「以前、マル屋のお客さんからカンツォーネが聞きたいって言われたのがきっかけで、マルコが良いよってそれで実現しました」
店内には音楽好きとおぼしき10名程のお客さん、いち早く情報をキャッチしてやって来たオニビジョンさんも
重いカメラを肩に最高のシーンを狙って動き回る。
第1曲、イタリア民謡、パヴァロッティの18番でもある「帰れソレントへ」
ソプラノの透明な声が静かに広がり始め、哀しい熱唱がクライマックスをたどり着く。「ブラーボー!」
次に「♪サンタールーチーアー、サンタールチーアー・・・♪」で有名、これもイタリア民謡「サンタ・ルチア」
高い声量に耳がやっと慣れてきて3曲目テンポの速いリズミカルな「フニクリ・フニクラ」。
4曲目はお客さんと一緒に身振り手振りで歌う「鬼のパンツ」。
全員が虎の毛皮でできたパンツを履くところはオニビジョン「建部ニュース」9月30日で。
ピアニスト、谷以知子さんの独奏はショパン「ノックターン」、当新聞グルメレポーターの一番のお気に入り曲。悲しい旋律に聴衆はシーンと・・・そして拍手。
後編は日本の歌、「もみじ」「赤とんぼ」「小さい秋見つけた」秋を感じる曲にいつのまにか気持ちはゆったり。
アンコールに答えてフィナーレは「ふるさと」をみんなで歌った。
「やっぱ、カンツォーネもいいけど日本の唱歌もええなあー」
わずか1時間のコンサート、でもこんな小さな町でこんな豊かな時を過ごせるなんて、それこそ「夢のようなコラボレーション」。
マル屋さんと演奏者お二人にあらためて「ブラヴォー!」
(取材・写真 三宅 優)
急に肌寒くなってやっと秋の感じ、文化祭シーズン到来、今日は建部中学校の「飛翔祭」。
明りが閉ざされた講堂に案内されて、目に飛び込んできたのは、3色のいくつもの輪を描くペンライト。生徒たちのパフォーマンスが真っ最中。
前列の生徒席からは音楽に合わせて手拍子が打たれる。
「ああ、やっぱりこの純な盛り上がりこそ、中学生だな」一年に1度、やっと自分たちを解放できる、そんな雰囲気が伝わって来る。
2年生が演じるのは「花火大会」と題する劇。学校を舞台に日常で起きるクラスメートとの仲たがい。建部の花火大会をクライマックスに再び友情へとつなげる、小さな出来事を一つのストーリーに組み立てた脚本が光る。
今年最後の3年生ロックバンドも会場を沸かす。大人社会へのあこがれと不安、そんな入りまじったモヤモヤを吹き飛ばすかのように叩きつけるドラム。
3年生の演劇は「走れメロス」。それぞれのシーンに合わせて作られた舞台背景、登場者の衣装、どれもよく考えて制作されているのに驚く。
主演メロスを演じるのは女子生徒、この主人公の力の入った演技が最後まで観客をひきつける。女性役を男子生徒が演じるのには爆笑。
先の体育会からわずか2週間、どんなスケジュールをこなして生徒たちはこれに臨んだのか。頭の切り替え、集中力、チーム力、若いがゆえに備わった才能と言うしかない。
午後からは文化センター大ホールに移っての「たけべ学習」発表会。
「国際・地域交流コース」「環境コース」「情報発信コース」の3つの縦割り構成メンバーによる建部に視点を置いた研究発表。
建部の地名、中田新町、白石城などその成り立ちを調べた5チーム。建部がこんなに歴史の残る地域だったことに愛着を感じ関心を持ったと発表。
「環境コース」は、めだかの学校を拠点に田地子川水質検査、生き物調査、ゴミ回収運動を報告。
この後、ロビーに展示された芸術コースの「手作りカルタ」を観る。妖怪カルタ、歴史上人物カルタ、アニマルカルタなど興味のあるテーマを見つけてそれぞれに創る。
”の”「 野口英世 自分が研究していた病気にかかって死ぬ」(う~ン、辛辣)
「情報コース」は自分が大好きなことをテーマにHPで発信、「犬のきもち(イヌ大好き)」「妖怪」
「韓国ファッション」「カヌー」など、ロビーに展示中のパネルからURコードを読み取ればページにアクセス。子どもたちは今を生きる。
校長先生の講評。
「93名の人が自分の言葉でしゃべった、それが何よりもこれからの自信につながると思う。先生は建中のみんなを信じてほんとうによかった」
(取材・写真 三宅 優)
「私の大すきな建部の花火と妹の笑顔」
「花火もきれいだったけど負けないくらい屋台もにぎわっていた」
「空の上から妹とぼくを、ひいおじいちゃん、おばあちゃんがみてくれてるいるとおもった」
今年の建部町納涼花火大会、終わってしまえば遠い思い出。そんな夏の楽しかった一夜が再び絵画になってよみがえる。
建部町公民館で今日から始まった「花火大会絵画展」、建部の保育園、小学校の児童らによる40点余りの作品が展示されている。
作品の1点1点に水彩絵の具、クレヨン、色鉛筆などでそれぞれに花火の印象を映し出そうと工夫の跡が。
「あたたかい色とつめたい色であらわしました」
「てんてん(点々)をいっぱい描きました」
屋台の様子を描いた作品では威勢よくタコ焼きを焼く男の人や、
うれしそうに焼き鳥を手にするお客さんの姿が克明に描写されていて、観る者を思わずニヤリとさせる。
それぞれに付けられた感想文もそれぞれの思いが伝わって楽しい。
この展覧会は来月末まで、建部町公民館ロビーにて開かれている。
(取材・写真 三宅 優)
暑いぜー、たけべ八幡温泉ONSEN広場は直射日光ギンギンでまるでサファリパーク。
そうだよね、本来なら気温も下がりそろそろ長袖が欲しい季節、夜はお月様をゆっくり眺めようとなるはずが。日本全国、気温上昇中、平均1.2も度高くなってきている。
そんな中、開かれた恒例「たけべマルシェ」、今日も若いファミリーを中心に意外や意外、結構なにぎわい。
遠くに出かけるにはかったるいし、かといって普通の屋台が並んでてもつまらない、そんなニーズにうまくマッチしたのだろう。
出店の顔ぶれは「建部ヨーグルト」「キシモトケーキ」「サニーデイコーヒー」「焼き鳥 勇の樹」「スイーツチュプ」「からあげぜんちゃん」と建部の誇る専門店
、それに「ママゴトヤ」「たけべジビエ研究所」が加わってのいつもながらの手作り感ムンムンの構成。
本部受付では前回好評の「お店をたずねるクイズラリー」を実施中。
ひとひねりした楽しみ方が待っているのもここならでは。
お客さんに聞いてみよう、ジビエ研究所の「シシコン丼」を召し上がってるお嬢さん。
「えっ、おいしいーですよー、このシシニク、今月獲れたんですって(笑)」
ストローアーティストの平田さんにも。
「ううmm、シシニク丼にこの半熟タマゴがからんだところが、また絶品!」
色鮮やかなマンゴーサンデーを手にした中学生さん。
「マンゴーの味がしっかりして冷たくてサイコー!」
キシモトケーキさんに注文した方に運ばれたのはお月見パンケーキ。
「ウワー、カワイイー💛」
いつの間にか足湯の湯船では、チビッ子が我慢できなくなってプール代わり?
地元、建部上にお住いのご家族の会話。
「ああ、今日もよく遊んだね」(母親)
「それより今夜から獅子舞の練習が始まるんじゃない?」(父親)
「あっ、だいじなこと忘れてたー」(子ども)
(取材・写真 三宅 優)
自然災害との戦争が始まった、悲しいけどそう認めざるを得ない。この日、公民館で開かれた「また来る災害に備える」~わが家を守る・地域を守る~と題しての講座、
お話をしてくださった岡山大学大学院環境生命科学研究科教授、西山哲先生の講演を聞き終えての
感想。今月3日夜の新見の例(1時間に120mmの雨)が生々しい。
以下、先生のお話を断片的だが記してみたい。
通常、1h・50mmの雨は「バケツをひっくり返す雨」と言われる、この発生回数が過去(1975年)に比べ現在1.4倍に増加。逆に弱い雨は減少し、
「たまに降ればどしゃ降り」が多くなる。
それだけでなく、線状降水帯と呼ばれる「いつまでも降り続く状態」が発生しやすくなっていて、
50㎜の雨が4時間続いた場合200㎜に達し、これは今の日本のインフラ構造物が200㎜以上に耐えられる設計ではないため崩壊を意味する。
この場合、どこに逃げてもダメで、”自ら命を守る”しか方法はない。そのための3つの要素、「知る」「準備する」「行動する」=「マイ・タイムライン」作成が重要となる。
タイムラインとは「いつ」(=主な災害の発生時点から逆算した時間帯)、「何を」(=事前に行う防災行動内容)、「誰が」(=防災機関や組織または住民)を基軸に
防災に係わる組織が連携し災害に対するそれぞれの役割や対応行動を定めたもの。
住民行動を例にすると、
「台風上陸の予報(3日前)」この時点ではタイムラインレベル0⇒心構えを高める
「台風が近隣河川に影響の恐れ(2日前)」レベル0⇒さらに準備を進める
「上陸、内水(道路に水が溢れる)氾濫発生の見込み」レベル1⇒心構えをする
「内水氾濫発生」レベル2⇒避難行動の確認
「河川の氾濫による浸水発生(外水)」レベル3⇒高齢者避難、住民準備
「氾濫危険水位過(外水)」レベル4⇒避難
「堤防決壊、土砂災害発生」レベル5⇒命を守る最善の行動
ただし、岡山県は内水が最も多く、レベル2での避難が望ましい。なぜなら道路は一瞬で川になり、ここを土石流が流れだすと避難場所にたどり着けない。
これを、自分に置き換えて具体的にどうするかが「マイ・タイムライン」
その1「知る」=命を守る情報を知る(避難を経験する・自分のハザードマップを作る、そのために実際に避難所まで歩いてみる、夜間に歩くなど避難先迄のリスクを知る)
その2「準備する」=命を守るための行動計画(いつ逃げる・誰と逃げる・危険な場所を避けて逃げるには?を決めておく)
その3「行動する」=命を守るための実践(家族で話し合い、一人でも逃げることを確認、”私は逃げているから”が他人、家族を救う)
目指すのは「逃げ遅れゼロ」。
そのためには、家族、地域でのコミュニケーションが極めて重要
⇒災害に強いコミュニティ作り
あらためて記者の感想。
60歳以上に多い「今まで何もなかったから自分の所は安全」と考える傾向。
しかし岡山県は洪水被害が大きな県として、過去10年間で7番目であることはあまり知られていない。
この日の参加者もほとんどが年配者で自治会の長が中心。
「いい話を聞いた、が多分、大丈夫でないか」で終わるのだろうか。
「今までとはまったく違う時代になった」としっかり受け止めたなら、次なる行動はすぐにも浮かぶはず。
みんなでタイムラインプロジェクト・国土交通省関東地方整備局
マイ・タイムラインで豪雨に備えを(NHK解説委員室)
(取材・写真 三宅 優)
「建部祭り」、この神社の石段を輿を担いでどれだけの人らが駆け上がっただろう。
その中でもひときわ狭い随神門を腰をかがめてくぐり抜ける、男たちは力の見せ所と競ってきた。
そんな随神門、建てられたのは268年前(寛延4年)、屋根の葺き替えは大正14年とあり、経年の劣化著しくこのたびの修復事業となった。今日はそのおめでたい「完成報告祭」。
大安の朝、10時、「トントントントトトトト・・・」宮司の打ち鳴らす太鼓の音で神事が開始。
本殿に参列した総代、輿、神楽代表、協賛七社の総代ら20数名は深々と頭を垂れ、神様にご報告申し上げた。
以下、当修復委員会長、齋藤孝義さんのお話。
「今回の修復の主な目的は①に長年の劣化により傷んでいた基礎を水平にし、柱を垂直にする。
②に傷んだ瓦を撤去、屋根地老朽部交換し銅板葺きにすることにありました。で、費用の方は屋根の修復800万円、左右随身像(これも200年以上経過)80万円、これは100年~200年単位の大規模な修復となりましたが、これで百年は大丈夫と思います」
本殿の神事を終え、参列者は随神門に移る。門、両脇に鎮座する随身像が公開された。
「おおっ」色美しく塗り替えられた左右の像、感慨深く見つめる参列者。
七社八幡宮総代長、井口松治さんのコメント。
「これで、心おきなくあの世に行けます、(もしこれをやっていなかったなら)ご祖先様になんと怒られるやもしれませんから(笑)」
責任感ある大人たち、後の世代にツケを負わせるのではなく、自分たちの時に解決する、真の大人の姿をここに見る。
そして来月はいよいよ例大祭、七社の神輿がこの赤銅色に輝く門をくぐる日はもう間近。
(取材・写真 三宅 優)
晴れ渡る空、通り抜ける風、建中グランドは絶好の体育会日和。
赤、青、黄のユニフォームに分かれた生徒たちの暑い熱戦が今、始まろうとしている。
観客席には日頃、顔を合わせることのない父兄の姿。この日のために、確実に休暇を押さえての応援?
来賓席はと見ると、交番のお巡りさん(いつもご苦労様です)、町内会長さん(毎回、大変ですね)、小学校校長(休日出勤に感謝)、各ボランティアの方(ありがとうございます)。
開会式、全員体操の後、競技1番目は「80m走」3人で1・2・3位を競う。いくら足に自信があっても、もっと速い子2人が相手となると3位、遅くても、それより遅い2人と走れば1位になれるという、運が作用する競技。
2番目は「玉入れ」保育園の運動会では定番だが、中学版はカゴの高さがはるかに高い、約3.5m。なので、園児たちのようにむやみやたらにポンポンと宙に放り投げたりしない、慎重、冷静、的確。
「ムムー、盛り上がりは保育園に負けるなあ」これは、やはり中学生には物足りないようだ。
3番もおなじみ「障害物競走」テニスラケットにボールを乗せてはよくあるパターン、1輪車に砂袋を積んで押すのは建部風?
休憩の後、生徒、来賓、保護者、先生、総合の綱引き。生徒数に比べ、対抗する大人数が少ないので記者も参戦。
「ヨーイ、ピー(笛)!」
「そ~れ、そ~れ!」やったー、大人チームの勝ち!
午前の部、最終「800mリレー」さすがに選りすぐりの選手たち、スタート地点での構えに迫力あり。
「パーン」ピストルの音、土を蹴る響き、歓声。いつの間にか練習を終え応援に駆けつけた少年野球チーム。
「にいちゃーん、がんばれー」弟の声援、兄が1位でカーブを曲がる姿・・・。
(取材・写真 三宅 優)
岡山市防災訓練が9月1日(日)「防災の日」に建部小学校でおこなわれました。
岡山市が政令指定都市になって初めての単独訓練が市内3か所で行われ、そのメイン会場となった建部会場には
建部小学校学区の地域から110名ほどの住民が参加。
南海トラフ巨大地震を想定し、建部エリアは震度5強との設定で訓練開始です。
土石流が発生し、土砂や丸太などが道路を遮断、通行していた乗用車が巻き込まれで閉じ込められ、家屋が倒壊し、中に住民が脱出できないでいる。
ドローンを飛ばして状況確認、大型ユンボ―で土砂や丸太を撤去、鉄なども切断できる大型カッターで屋根を切り取り、中にいた人を救助。
最後はヘリコプターが飛来し救助、さながらテレビドラマを見ているような消防士の行動に思わず拍手がおきる。
建部の住民は災害が発生した時の避難者の立場で、体育館内で避難所生活の実習。
簡易トイレの作り方、段ボールベットや間仕切りの囲い作り。三角巾を使っての応急手当の実習などの体験。
外では、消火器の使い方、火災時の煙の中の歩き方、土嚢の作り方、火起こし体験、ロープで救助体験等々盛沢山の防災体験でした。
大森岡山市長も駆けつけ一緒に訓練に参加、閉会式で「岡山人は災害に対して安心しすぎる、公助だけでなく自助・共助が一番大切ですので、平生から今日体験したことなどを意識して行動のとれる市民になってほしい!」と述べられた。
最後は、小学校の給食室で作ったおにぎりと味噌汁をいただきながら帰途につきました。
(取材・写真 勝部公平)