■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
ケニアからやって来た植物科学者。
日本の最先端の農業技術を学び、
自国の若者たちのため教育施設を
つくりたい。
岡山大学に留学して3年、母であり、
学生である彼女を祖国の家族が応援する。
建部に偶然ふらっとやって来たアフリカの
親善大使、この9月に故郷に戻る予定の
アナに遅すぎた出会いを悔やみながらも
渾身のレポート。
(取材・三宅優 )
(プロフィール)
アナ・カテンジェ・インデッチェ
Annah Khatenje Indeche
1970年、ケニア共和国生まれ
9人兄弟の長女として、家族の期待を
一身に背負い勉学に励むが、高校卒業後
すぐに父親が他界し断念。
その後、低賃金の仕事を続ける中、偶然、
高校の研究室助手の職を得る。
そこでの経験を重ね、農業技術大学に就職。
2016年10月よりJICA(ジャイカ)の
協力で岡山大学に留学中。
建部町には公民館の依頼で英会話講師として
来町。現在、岡山市内在住。
初めての子どもたち、「では名前を教えて」とアナ。
「わたし、サヤ」「わたし、チノ」「わたし、ラナ」「ぼく、ハルキ」
そして次の会話が始まると、彼女は一人ずつ正確に名前を呼んで授業を進めた。
庭に成るブルーベリーの下に行って、
(アナ)「サヤ、カム、ブルーベリー、ピック(さや、ブルーベリーを採ろう)」
(サヤ)「ブルーベリー、ピック」
これをすべての子と話すと、また「ハルキ、メニー、ブルーベリーズ、ピック(はるき、たくさんのブルーべりーを採ろう)」
同じだが少し変化した言葉に変わる。こうして、何度でも何度でもくり返し、耳に焼きつくまで続ける。それも、きわめて大きな声で、近所中とかではなく遠方にまで届くほどに。
できるだけ自分を目立たせず、他人と協調することを良しとする日本。相手にしっかりと自分を伝えなければ、生きていくことの難しい他国・・・。
(聞き手・三宅 優 通訳・松下りえ)
ケニアのどこで生まれましたか
(アナ)「ケニア西部のKakamega(カカメガ)という町です」
お国の言語、宗教、主な食べものを教えて下さい
「公用語は英語です、スワヒリ語が一般語で、他にKikikuyuはケニヤ中央部の方言、あとKIluhyaのカカメガの方言があります。
どれも話すことができますが、残念ながら日本語はできません、ゆっくりと学びます。宗教は私はクリスチャンです。
主食はトウモロコシの粉で作ったウガリというものでビーフと野菜のシチューが代表的です」
どんな家で育ちましたか
「私の家族は子どもが9人いて、私は長女で生まれました。家は茅葺き屋根で壁は泥で出来ていて床には牛糞を塗っていました。これはカカメガの典型的な民家の作りです、でも10歳ころに父が鉄板屋根の家を建てました、床と壁は以前と同じでしたが。最近になって、私たちは壁も床もセメントを使うようになりました」
子どもの頃の生活はどうでしたか
「私にとって、カカメガで育った子ども時代は楽しいものでしたね。両親は経済的に裕福ではありませんでしたが、
大変愛し合っていました。子どもに対しても必要なことはしてくれました。学校がない自由時間には野外で遊びましたが、
家事の手伝いもしました。川から水を汲んで来たり、近くの茂みから燃料のマキを集める、調理、掃除、洗い物など。
農場の仕事はその時によってちがいますが、植栽、除草、収穫、トウモロコシや豆の脱穀もしました」
学校はどういう仕組みですか
「私の時は6歳から小学校に入って7年、そこで中学に入る全国試験を受けて中学で4年、そして高校の入学試験を受けて2年ありました。大学は国家試験に合格した上で3年、ただ私の場合は大学には行きませんでした、なぜかと言うと父が高校を卒業した直後に亡くなったからです。今の教育体制はプライムスクール8年、ハイスクールに4年、ユニバーシティが4年です」
今のご自分の家族は?
「私より2歳年上の愛情のある夫と子どもが3人、下の子は8歳です。今は仕事場に近いケニア中央部に住んでいますが、カカメガには私たちが結婚して住んでいた家と生まれた実家があります。休暇中には戻っています」
男女間の役割はどうですか
「アフリカでも通常、家のことは女性の役割です、ですから、私が勉強をしている間、夫が家の面倒を見ているというのは一般的ではありません。でも夫は私の強い思いを理解してくれていますし、応援をしてくれています。このことは家族にとって容易なことではありませんが、私たちは前向きであろうと努力しています」
社会に出てからのことを教えてください
「高校を卒業後、私は職業資格を持っていないため、低賃金の仕事をいくつかしました。そんなある日、高校の研究室助手をやらないかと声がかかりました。私はそこで研鑽を重ね、その後、農業大学校に就職しました。そこは”Jomo Keniyatta” 農業技術大学と呼ばれているケニアでも有数の公立学校で、私は園芸学科の実験室アテンダントとして働きました。後には大学の教育も受けることができ、現在はフィールドテクノロジストとして働いています」
岡山大学では農業のどんなことを学んでいますか
「私の研究はトマトの尻腐れ病とカルシウムの供給についてです。大きさのことなるトマトの果実(大・中・小)のカルシウムの供給の仕方、トマトの品質を低下させる尻腐れ病に対する影響を研究したいと思います。尻腐れ病の果実は販売することができず、農民にとっては大きな損失となります。日本のトマトでの発生事例が、ケニアに戻っての取組みに大変重要です。私は、この岡山大学で農業学博士号(Ph.D in Agriculture)を取得しました」
岡山に来た時の印象は
「私は岡山がとても静かだと感じました。環境がとても穏やかできれいだと。1年過ぎても、車の騒音が聞こえませんし、公共交通機関は組織化されています」
ご家族は今のあなたをどう理解していますか
「彼らは私がやると決めたら、どんなことも打ち負かす女性だと理解しています。それに、いつもやろうとすることを共有してきましたから、今その機会が訪れたと捉え、支えてくれています。いずれにせよ、このことは、私たち全員のためでもあるのですよ、ハハハ(笑)」
ご家族とのコミュニケーションは
「私は技術の進歩について神様に感謝します。スカイプ、フェイスブック、メッセンジャー、ワットサップなど、さまざまなプラットフォームを通じて簡単にやりとりできます」
帰国後、あなたがやろうとすることは何ですか
「今、私の頭の中にはたくさんのことが起きています。博士号を取得するということは、特に農業において多くの人が私を頼りにしてくれることを意味しています。国内には大学に進学できない若者がたくさんいます、彼らは農業に情熱をもっています。私はそういった若者を対象に農業技術の優れたセンターを設立したいと考えています。そこでは短期の専門的で実用的な農業生産コースや、さまざまな園芸作物の付加価値のある生産が学べます。可能であれば、彼ら卒業生にローンを提供する金融機関とのパートナーシップを確立させて、彼ら自身のビジネスが進められるようにしていきたいです。このプログラムで、かつては絶望的に見えたこれら若者の生活水準が引き上がることができるのであれば、私の人生の目的は達成されたと言えるでしょう、それは、大きな夢(It's a big dream!)です」
日本に来てよかったと思えることは
「日本に来たことは良かったと思います。一つは、ここに一人でいることで、より深いレベルで自分の人生を振り返る時間を与えられました。二つめは、日本の農業生産で使用されている基準の高い技術(グリーンハウス・水やり、温度、コンピューター管理・水耕栽培・・・etc)を見ることができました。そして最後に、ここで私は心に残る人々と出会うことができました、自分を祝福したいと思います」
日本で驚いたことは?
「トマトが3個で300円で売られてたのには驚いたわ、だって、国ではその10分の1だから(笑)」
日本の文化でよく理解できない点は
「日本の文化はユニークですが、それは注意深く見ていると、私たちの文化とそれほど変わらないことがわかりました。物事のやり方は違うかもしれませんが、
目的は同じです。例えば、日本では敬意を表す挨拶の印として、お辞儀をします。私の国では握手をします。手の握り方で互いが
どれほど重視しているかが伝わります。言おうとしていることは、動作は異なっても、コミュニケーションは同じであるということです」
これは便利だなって何か買って帰りたい物は
「確かにコンビニのアイデアが大好きです、生活が楽になります、ハハハ」
あなたはあなたの子どもにどのようになって欲しいですか
「親としては、子どもたちが健康で勉強に励み、成功したキャリアを持って社会に影響を与え、責任ある市民で、幸せな結婚生活であることを望みます。
が、まあ、これは私の願いで、結局のところそれは彼らの人生であって、彼らが何を達成したいか、彼らが下す決定を尊重するのが私の義務ですね」
今、あなたが世界のことで最も関心を持っている問題は?
「開発途上国の観点からすると、最も懸念されるのは、不公平が原因で富裕層と貧困層の格差が拡大することです。正直な所、私はそれが純粋に非人間的な問題だと思っています。人は利己的になり、自分のことだけ考えるようになり、自分の仲間や兄弟姉妹の苦しみを完全に無視するようになります。慎重に見ていくと、一度これが侵されると、他のすべての悪意が働きはじめ、持続可能ではない社会が生まれます、悲しいですね」
これまでの人生でもっとも悲しかったことは?
「それは、私の父が、私に(Big Education!)高い教育を極めなさいと教えた、そのことが現実になっていることを、今は決して知ることができないということです」
(*注・右上、肖像はお父さんの写真をもとに記者がスケッチしたもの)
逆に楽しかったことは??
「今のわたしの生活の中で私の家族、特に夫と子どもたちから、私の学問的進捗について私を励ましてくれること、それは兵士に勇気を与えます」
岡山(建部)の人へのメッセージがあれば
「私は3年近くここに住んで、みなさんがご自分の人生をどのように歩んでいるかを観させてもらいました。あなたたちは温かく、幸せな方たちです。さまざまな背景の人々を受入れ続けています。幸福は波のようなものであることを思い出しながら、互いに対する思いやりの行動で世界をより良い場所にしましょう」
ありがとうございました
(記者感想)
今回の彼女へのインタビューはあらかじめ質問事項を書面で伝えて、回答をもらうかたちで行った。その後、直接お会いして更に話を聞いた。
すでに国の若者の絶望的な現状や世界の貧富の差を憂うコメントに接していたので、
「ケニアはアフリカの中では比較的豊かな国じゃないですか?」と私は聞いた。
「えっ?どこがですか?」と何度も首を振りながら
「ナイロビの都会には、ものすごい大きな邸宅に住んでる人がいるかと思えば、その周りでは”スラム”が、とても沢山の貧困の人が住んでいるのよ、それはそれはとっても沢山の・・・」
浅い理解だった、そのあと彼女が話してくれた自らのこと。
「私が学校に通うために、おばあちゃんが4年間、資金を出してくれたの。その後、お父さんは土地を売って私を高校に通わせてくれた。
お父さんは、私にBig education、大きな学問を身につけて、貧困にあえぐ人たちを救えと教えてくれたの、それが私の使命であり、Big dream 夢でもあると考えるようになったわ」
彼女が、そのお父さんの命日にフェイスブックに載せた、少し首をかしげて書きものをするスーツ姿の父の写真。文には毎週金曜日にお父さんが買って来るパンとお肉が楽しみだったこと、子どもたちが立派に成長したことなどが綴られていた。
50歳を前にして、これから国の若者に農業を教えるセンターを創設すると言う、そのために、まず自らが博士号を取るために単身日本にやって来た。
なんと壮大な野心だろう。実際、話が世界の不公平、貧富の差に及ぶと、両手の握りこぶしが強く震えるのを見た。
強いだけでなく、寛大な心の持ち主、自分の生きている使命をしっかりと頭に描いている人。ケニアの農業の指導者として、若者たちの希望の星として活躍を応援したい。
(グルメレポーター・三宅美恵子 感想)
人柄は何よりも、こんな小さなローカル(個人)新聞なのに一つ一つ丁寧に答えてくれたことが、その誠実さを物語っているでしょう。
その回答文は(A4、13ページも!)、出だしから「読むのが楽しみ!」を予感させた。実際、我が子の将来については、「社会に積極的に影響を与える人、責任ある市民であって欲しい」と・・・、育て方が違うねえ!、これからの国に対する夢があるんだろうなあ!
さらに読み進めると、彼女のまじめさと思慮深さ、いつも相手のことを思い、”置きかえる能力”のある人だと分かる。
会った印象は、「日本人の49歳に比べて若い!」そして話すにつれ、可愛さ(チャーミング)が際立ってきた。あと3カ月、日本での良い思い出を土産にして、帰国についてほしいと願うばかりです。
(取材・写真 三宅 優 写真・通訳 松下りえ)
朝6時過ぎから町内会役員が茅刈りをおこない、神社の夏越の祓のための輪づくりをすませた7月28日、富沢地区民が待ちに待った「第2回富沢夏祭り」が開催されました。
昼からの準備の前に雨雲が襲来、にわか雨があり、遠くでは雷がゴロゴロ。
心配しながら午後2時には20人ほどの皆さんが集まり、会場設営と夜店のメニューの準備で大忙し。
やっと5時からの開会にこぎつけました。
今年も150人ほどの地区民の参加を得て、藤原町内会長の
「今宵は思う存分踊り、交流をして元気でこの夏をのりきっていきましょう!」との挨拶でオープン。
定番の生ビール・かき氷・焼き鳥・焼きそば・フライドポテトに、子供たちが楽しみの「スーパーボールすくい」に加え、今年は町内の篤志家からスイカ十数個の寄付があり、スイカ割り大会がおこなわれ、子どたちの「エイやー」の掛け声で参加者は一個ずつ持ち帰って大喜び。
踊りは「炭坑節」「東京音頭」に加え、地元の「たけべ音頭」を取り入れ、作詞にある建部の四季折々の情景を感じながら踊りました。
フィナーレは大抽選会とナイヤガラ花火で余韻にひたって家路につきました。
20年ほど途絶えていた夏祭りを復活させた皆さんは「こんな少子高齢化時代だからこそ、人と人との交流が大事なんじゃ」と祭りの意義を感じ取っており、こんなことが地区民のみなさんにとって地域おこしなのかもしれませんね。
(取材・写真 勝部 公平)
27日、B&Gで開かれた岡山市環境学習センター主催「サマースクール」は次ページでレポートの通り。閉会式の15時、突然鳴りひびく雷音。
あわてて帰宅に向かう記者、このあと福渡八幡神社の「夏越祭」の仕事が待っている。ずっぽりと濡れ、着替えて出かける。
境内でも突然のスコールに幟は仕舞う間もなくビッショリ。
17時、神事が本殿で行われる中、境内では聞き覚えのある声、声、声。
「ああ良かった、来てくれたんだなあ」
そして全員で茅の輪をくぐる、ひたすらに健康を願い、左に1回、右に、そして左に。
祭事は夜9時まで、その間、次々と百数十段の石段をのぼって氏子たちがやって来た。
最終参拝者は当新聞編集委員、松下夫婦と愛娘トーコちゃんマン。
それを見て記者も「この子たちのために、この社に神様がいらっしゃる。そんな本来の神社に戻せたらなあー」
と意を強く願うのであった。
(取材・三宅 優 写真・難波義明 松下りえ )
27日土曜日朝9時、気温はグ~ンと上って30度。この暑さの中、川口にあるB&G海洋スポーツセンターには市内からの親子連れ28名が集結、
岡山市環境学習センター「めだかの学校」が主催する恒例「サマースクール」に出席した。
サマースクール実行委員長で当新聞編集長でもある勝部公平による開会式あいさつ。
「今ほど、子どもたちに体験が求められている時代はありません。体験だけが子どもを成長させるのです、自然の中で大いに楽しみながら学んでください」
午前の体験は「カヌー」と「ロープワーク」。
チームはAB、2つのグループに分かれ、まずは全員でカヌーにおける諸注意と艇の取り扱い、基本動作を学ぶ。最初はチーム全員の協力を強め安全を確かめるための人数確認、バディを取る練習。
BG指導員による「バディ!」の連呼に二人一組が右手を合わせ「オー!」と手を差し上げる。続いて「番号!」の声に、「1(イチ)!」「2(ニ)!」「3(サン)!」・・・と答えながら手をおろす。最後尾が何番かで、×2の人数がそろっていることが分り、いなくなった人数も素早くつかめる。
さっそく始めての経験に親子は緊張してバディを取り合った。
続いては艇を川まで運ぶ、これも二人一組。ヨロヨロ、フラフラの場面にはすぐに手の空いた者が補助に入る。協力と安全の精神を身につける。
ここから実践編、パドルの操作の仕方。自分の肩幅で順手で握ったパドルを右のパドルが90度に立ち、左が水平の状態で前に突き出す。
そのまま右、左、左に移る時に手首を曲げパドルを水面に垂直に当てる。何げない動作だが、これができないと艇は前に進まない。
出艇はAグループから。その間、Bグループは「ロープワーク」指導は古本博史さん。
「はい、では一番簡単なロープの結び方から、船が岸に戻って来てロープで係留する時に、一回、回して左に投げて、それを回して中に入れる。ハイ、引っぱってみて」
古本さん話ながら数秒でくくったロープ、子どもが引っ張るがピタッと緩まない。
「はい、これが巻き結びというやり方で、新聞紙をゴミに出すときなどに使うと、束がまったく崩れないで運べます」
「すごーい!」(子ども)
目の前で、ロープの先を2度、クルリクルリと回すだけなのを見て「簡単じゃ」と皆が挑戦、が、これがムツカシイ。
(お母さん)「えっ、なんで、私、すぐにほどけちゃう」
次々とロープ結びのマジック?が伝授されるが、見る限り簡単、でもなかなか同じにはならない。
そうこうしている中に、カヌー体験のグループが1艇づつ到着し始めた。どの顔にも自分の力で漕ぐことができた満足感があふれてる。
「どうだった?」
(子ども)「うん、やれたよ、川の向こうまで行けたよ」
このあとは、グループが交代しての学習。
午後からは場所を上流に移しての岩滑り。昨年は豪雨を受けグランドが冠水、川床も土砂で埋もれ1回目のスクールは中止となった。この岩滑りも2年ぶり。
この日、第2ダム堰堤下の水量は流れるには絶好?の量。一同はヘルメットに救命胴着を身につけ、岸から川の中ほどまで進む。
「ヒャー!」足を捕られて水中の倒されたのを最初に、あとは「キャー!」「オオ、オレもやるで!」「パパ、見て、平泳ぎじゃー」と
言葉とも、奇声ともとれる歓声。
お父さん、お母さんだってゴロンゴロンと流れいく。「イテ、イテテテー!」岩に尻がぶつかり、そのたび悲鳴。
午後2時も過ぎ、帰還を促すハンドマイク。まだまだ浮んでいたい子どもたち。この光景だけは、2
年前いや記者が関わり合った8年間の変わらぬ姿だといえる。
(取材・写真 三宅 優)
「水無月の夏越の祓(はらえ)する人ぞ千歳の命延ぶと言うなり」
古くから詠われた和歌を唱和しながら茅の輪をくぐり、これからの半年、みそかまでの健康を願う「夏越の祓(はらえ)」が、いわゆる「輪くぐり」。
山陽新聞にも志呂神社の見事な輪が紹介され、参拝を計画されている方も多いのでは。
志呂神社のようにイベントはないのだが、ここ福渡八幡神社でも明日、輪くぐり祭が行われる。今日は早朝から総代5名(記者も)と当新聞グルメレポーターが参加し輪作りに汗をかいた。
輪に使う茅(ちがや)は、何か月も前から生える場所をチェックし確認しておく。ところが、今年も当てにしていた所の生育がいまいち。
急きょ、目星をつけた所はギリギリまでこれで足りるかと気をもんだ。
昨日、某畑のそばで茫々と育った茅を前にホッと胸をなでおろす。
刈り取った1mほどの茅を1本1本、引き出しては選別。結構根気がいる作業だが、グルメレポーターの現場監督の指示に従い、高齢者らは黙々と手を動かす。
藁のベースに茅をくくりつけるのも難易度が高い。弛まないように縄を「男結び」にする。
「やったー、できた!じゃあ、取りつけよう」
「ねえ、でも、ちょっと歪んでない?」
「う~ん、年寄りが精一杯やった、これで良しにしよう(笑)」
「ワン!ダフル」
福渡八幡神社の「輪くぐり」は
7月27日(土)17:00~21:00
お待ちしています(総代一同)
(取材・写真 三宅 優)
先週(15日)レポートした福渡町内会における「地域活力創出事業」、昨日は鶴田地区「アクティブ鶴田連合会」の第17回会合が開かれた。
夕刻、会場の鶴田連絡所の調理室を訪ねると連合会副会長の橋本規敏
さんと女性ボランティアお二人が懸命に手を動かし「ジビエコロッケ」作り、真っ最中。
ゆで上がったジャガイモをつぶし、玉ねぎ、ひき肉を炒めて混ぜ合わせる。
(女性)「今回のジャガイモは水っぽくなくて、しっかりまとまるわ、これはいいわ」
橋本さんによると、この会で9度目となる試作品作り、毎回、反省と改善をくり返し、
そのたびに新レシピで挑戦してきているとのこと。
(橋本さん)「ま、とにかく試行錯誤ですわ、どうせ作るなら、これはおいしいというものにせんといけんでしょう」
目の前のフライパンにドバドバっとオリーブオイルが注がれる。しっかりと丸められた
ポテトに卵をくぐらせ、衣をまぶして投入。揚げ物の香ばしい匂いが立ち上がる。
揚がり具合を真剣に見つめる女性たち。「目を離したらなあ、すぐに色が焦げて黒くなるからなあ」
何度も目と耳と鼻で最適を確かめてきた、それでも気は抜けない。
定刻18:00、会議室では連合会会長の小野則正さんと各区長さん数名、それと、この日は
岡山市北区北地域包括センターの末繁さん、保健福祉局地域包括ケア推進課の江田さん、社会福祉協議会の岡山市支え合い推進員の藤村さんが参席。
御三人は建部町の中でも活発な活動を続けるアクティブ連合会から学べる点や今後の協力体制について相談に来られた。
(江田さん)「鶴田地区は私たちが取り組んでいる、地域を支え合う組織が働いています。こうした会合が毎月欠かさず開かれている、すごいですよね。
こういった活動が他地域でも広がればと思い、今日は来ました」
その活動の源は多分、連合会メンバーの生まれ育ったここへのこだわりにあるのでは。会議冒頭に小野会長からいただいた資料、「鶴田城址」?
(小野さん)「なにも、僕らはコロッケを売るために、こんなことやっとらんよ。これ、鶴田の歴史や文化を伝えるのが目的じゃ。
そういう重要なものを放っておいて、子どもや孫にここを渡せんじゃろう」
地域活性化は経済面のことではない、自分たちの住んでいる地域に誇りを持てるようにすること。
この後、記者は退席し、会議の方向がどうなったかは知らない。ただ言えることは、元気な地域には責任感ある大人、それも目標を掲げて進もうとする人たちがいるということ。
(取材・写真 三宅 優)
親にとっては夏休み最初の週末、数日の雨も一休憩した午前、特別養護老人ホーム「旭水荘」の地域交流スペースには、この日行われる科学実験教室に参加の児童20名と保護者が勢ぞろい。
老人ホームに子どもたちがなぜ?
「地域の方にできるだけ多くホームに来ていただきたくて」(高田施設長)との主旨で今回で4回目となる。教室には入所者さんがこの日のために、作った涼しげな魚君たちが泳いでいる。
今日は「水の出るとき、出ないとき」と題して、岡山理科大学の森田先生と科学ボランテイァの学生さん4人による出前授業。
まずは質問、授業を受け持ったのは愛称、ペンちゃんこと石原君。
「醤油さしの2つの注ぎ口、この一方を指でふさいで傾けると醤油は?」
あらかじめ渡された答え用紙には「ア・いきおいよく出る イ・ポトポト出る ウ・出ない」「その理由」「結果」が書き込むようになっている。
さてでは実際に確かめてみましょう。そうして、答えは「ウ・出ません」
では「蓋をしたペットボトルに横穴(10mm)を一つ開けて水槽で水を満タンにして持ち上げると水は?」
こうして全員に答えの「ア・イ・ウ」を挙手で予測してもらい、理由も聞いて、実際の実験で確かめていく。
この場合も答えは「ウ・出ません」
ではでは「その横にもう一つ開けると水は?」(答え:やはり出ません)
ではではでは「上下に一つづつ開けると水は?」(答え:下が勢いよく出ます)
「では、穴の形を細い長方形にして水平に開けたら?」(答え:やはり出ません)
「縦に開けたら?」(答え:勢いよく出ます)
後半は前の結果で得られた、「水が出ないのは水の表面に膜があるんじゃないの」という問いを確かめる実験。
解説は学生の愛称”せらっち君”。
「ペットボトルの横に長方形で縦長に開けた穴から水が出るのは、上から空気が入り下から出るから。
でも、水平に長方形に開けた穴にも上下があるから上から空気が入るのでは??どうかなやってみよう」
子どもらは、そのペットボトルの穴に鉛筆を差し込んで確かめる・・・結果は「出ない」。
今度はペットボトルの底に(直径10mmほどの)穴を開ける。これは記者も「さすがに底に穴が空いてたら水は洩れるに決まってる」だったが、
結果は「もれない」。
ではレンコンのようにいくつも穴を開けたら・・・なんと、これも同様。
もうこうなればと、底を切り取り、網(ネット)をかぶせて持ち上げたらどうなるか(あっと驚くから、やってみて)
逆にキャップに10mmの穴を開けて逆さにしたらどうなるか。答えは「出ない」
15mmだと?
最後に森田先生のムツカシイ水の分子のお話。「水は分子でできていて、表面に沿って互いに引っ張り合う力が働いています、これを表面張力と言います」
そして、その表面張力が働く大きさには”限界(げんかい)”というのがあって、それが10mmらしい。
フーム、長く大人をやっていても、子ども同様に知らないことって多い、まさに目からウロコの「子ども(大人の)科学実験教室」であった。
子どもたちはこのあとお楽しみの「やったー!カレーライスだ!」を楽しんだ。
(取材・写真 三宅 優)
*旭水荘「夏祭り」は8月3日(土)夕刻だよ!
すでに公報等でご存じの方もおられるるだろう、岡山市が推進する「地域活力創出事業」、先日もオニビジョンで鶴田地区「アクティブ鶴田連合会」の地産品を使ったパンとコロッケの販売の取組みが紹介されていた。また、地元3店(建部ヨーグルト・キシモトケーキ・サニーデイコーヒー)が立ち上げた「たけべカフェグロップ」も試作品がイベント等でお披露目されている。
そして昨日、福渡町内会が設立した「福のわたし事業部会」による初、試食会が開かれた。
朝、9時には町内の栄養委員、愛育委員のボランティア10数人が、コミュニティハウスに集まり、
試供品作りに精を出した。
「羊かんの大きさはこれくらいかなあ」
「ねえ、モナカのアンはいつ詰める?」
誰も、今までにやったことがない作業に戸惑い気味。
それでも午前10時には、吟味役、総勢30人分の羊かん、モナカがテーブルに。おいしいお茶も配られて、さてお味の方は?
「甘さはちょうど・・・しっとり感はいまひとつ」
「干柿を入れた味はするけど・・・」
なかなか皆さん、すぐに「うまい!」とはいかない。そして徐々に、「羊かんは、ちょっとだからうれしいのよ」
「今は糖尿を気にする方が多いから、あまり喜ばれないわ」
「どうせならモナカの皮は桜の形でなくっちゃ」
「干柿を買ってきてまで作るほどじゃあないわ」とストレートなご意見。アンケート用紙には、〇をつけるだけでなく
びっしりとした感想が盛り込まれていく。
積極的な出席者の姿勢に、同席された岡山市事業政策課の宮本課長補佐からも、「これから1年掛けて、どういう売り方が良いかをじっくりと研究してほしい、そして楽しい地域にしていきましょう」と励ましがあった。
この日は商品デビューと併せて「たけべの自然と人と暮らし」をテーマにデザインした包装紙も発表され、
テーブルでは商品化に向けたアイデアや提案で大いに盛り上ることとなった。
閉会後、窪藪町内会長が、「どうであれ、皆さんがこうして関心を持って集まられた、そのことがまず大きな一歩でしょう」と記者に話した。まさしくそのことが、この事業のめざす活性化の意味であることは間違いない。
(取材・写真 三宅 優)
*「たけべ楽考」来月号にて、建部町の上記3つの事業の取組みを特集予定!
玄関の自動ドアが開くと、開放感あふれる明るいスペースのテーブル席にいつもの顔。
「おっ、なんだ、みんな来てるじゃない」「まぁー、みやけさん、お久しぶり!」
小雨降る、土曜の朝、「葵の園・岡山福渡」1階デイケアに集まったのは同じ町内のご婦人方と利用者さん、スタッフの方とで30余名。
これから月に一度の「ふくふくカフェ」が開かれる。今日の講師は「音楽療法士」の内田先生。
まずは、両手を上げてグーとパー、これを「もしもしかめよ」を歌いながら、交互に出す。これは楽勝、次はグーとチョキ。
「・・・世界のうちで」あれれ、チョキが3本指?けっこうムツカシイ!
今度はチョキの上にグーを乗せてカタツムリ、これを左右交代で、歌うのはもちろん「でーんでーんムシムシカタツムリ」
これも上にツノがのったり、上下、グーになったり、難易度2。
難易度3は「あいうえお」それを一文字づつずらして「いうえおあ」「うえおあい」と読んでいく。ウ~ン頭が混迷してきたぞ。
難易度4、「たなばたさま」をアイウエオの母音だけで歌う。”ささのはさらさらのきばにゆれる”「アアアア アアアア オイアイウエウ」顎が相当に疲れる。
難易度5、「どんぐりころころ」「もしもしかめよ」「水戸黄門」をそれぞれの曲回しで歌う。”人生楽ありゃ苦もあるさ”を”もしもしかめよー”に合わせると、
あら不思議、暗く沈んでた曲が、何ともウキウキ「水戸黄門」に。
最後は「幸せのワルツ」(星影のワルツ替え歌)の合唱でしめくくり。
「ふくふくカフェ」来月は8月10日(土)10時、「薬に関する質問会」だよ。
(取材・写真 三宅 優)
「ままにおこられませんように」七夕の短冊にしるす、子どもの無邪気な願いごと。
西日本豪雨から1年、真っ青に晴れ上がった午後、たけべ八幡温泉で催された「たけべマルシェ」を訪れる。
年寄りナシ、いるのは子どもたちと若いパパママばかり。さっきまでの昼の「代みて」とはうって変わって聞こえてくるのは、ハシャギ回るチビッ子どもの雄叫び。
「〇○ちゃーん、見て~、これ!」
「クイズの答え聞いてバッチもらうんだー」
手にしたクエッションボード。
「キシモトのケーキ屋さんは甘党?辛党?」
「アルモンデのフォーはどこの国の食べ物?」とあらかじめ、今回、出店したお店と対話して回る初の試み。
子どもだけでなく、森田市議会議員や「シオンホール」の江田さんも挑戦。
小さな会場に小さな手作りの仕掛け。一角では何食わぬ顔で「たけべおこし」平田さんが子どもを前にストローアートを披露。
すっかり定着した「タケベマルシェ」、見渡せば、30代からのファミリー層がほぼ中心。
出店者も「建部ヨーグルト」「キシモトケーキ」「サニーデイコーヒー」の「たけべカフェグロップ」チーム、「からあげゼンちゃん」「やきとり勇の樹」「ニコパン」「アルモンデ」「ママゴト屋」など不動の建部地産グループ。
まだまだ日本列島、雨季はこれから、今日のこの1日に感謝。
(取材・写真 三宅 美恵子)
久しくなくなっていた農村行事「代みて」。
田植えが終わり人々がホッとくつろぎ、嫁さんは実家に里帰り、誰もがこの日の来るのを待ちわびていた。
里山建部で「なら、わしらで、復活じゃ!」と始まってもう4年。気がつくと62歳だった記者は66歳、68歳だった編集長は72歳。
その編集長が今日も「もうこれからは、年寄りだけで楽しめる会にしようや!」と開き直った老組(ろうそ)宣言。乾杯の後は老組員による近況を報告へ。
「リタイアしてからは、昼に一杯やって昼寝して犬の散歩して終りです(笑)」
「毎日毎日、草刈りばかりです」
「毎週、病院通い、痛い痛いと言いながら秋祭りのワラジを作っています」
「マッカーサーより恐い女房の顔を伺いながら過ごしています(笑)」
「何も趣味はないけど竹トンボを体育館の天井まで飛ばしてみたい」
最後に重本会長。
「私もいつまで、できるじゃろう、2年?3年・・・」(ここで「いやあと50年は大丈夫!」の声)
それを受け「困ったなあ~」
「若い」とか「元気」とか励ます言葉はあるだろうけど、冗談を受け止める余裕が頼もしい。
話は次のプロジェクト。丸太小屋の事務所づくり、メンバーがいつでも集えてお茶を飲み話ができる空間。
「本当はこういうスペースほど小学校の空き教室とか使って、地域にわかるように整えるべきなんだよねー」と会長。
どこかで手遅れ、どこかで今さらどうしようもない状況。きっと「やるべきことはやった」と老組が言うにしても、やれなかったことへの無念は果てしなく大きい。
(取材・写真 三宅 優)
水害から1年、何ごともなく晴れ上がった空が妙にうれしい今日。昨年は中止となった岡山市環境学習センター「めだかの学校」主催の
7月企画授業「旭川の石に描こう」が開かれた。
形も色も質感も違う旭川の石、それは一人一人の個性が異なるのに似ている。そこに自分の形を見つけ、色を加え姿をつくる。
どれも同じではなく、どれもがオリジナル。
今日は市内から2家族7名が参加、色とりどりの石の中から、フッと心に感じた石を選び制作に入った。
講師は記者とグルメレポーターの妻で、この授業を始めて8年が経つ。この間、多くの才能あふれる子どもたちに出会い、
毎回が楽しみ。
今回もそんな期待がすぐに実際となった。
「未来からの落下石」赤く一気に引かれた閃光。「夏の虫」岩にしがみつくコガネムシ、カブトムシ、蛾。
1つの石に2つの形を見つけた「ハートの中のハート」
手は止まることなく、次々と石を見つけては描く子どもたち。頭の中にあるものの方が多すぎて、筆が追いつかない。
後半はガラリと思考を変えて「石で描く」、白いキャンバスに石ころを並べて像を描く。
これも前半同様にすぐに手が動き出す。現れてきたものは「??」
「ヘリコプターに救助を待つ人」(スゴイ!)「ウサギ」(たしかに!)
では先生も、当センター職員の沖指導員のポートレート。
朝のわずかな時間、集中した子どもたちの頭から無二のイメージが解き放たれ、それを目の当たりにできた記者ら夫婦にも心地よい刺激が残った。
(取材・写真 三宅 優)
梅雨前線は九州に豪雨をもたらし、東へと移動。今週、ずっと雨マークの建部は曇りへと変わり、どこの町内も草刈り機の音が絶えない。鶴田の市道でも、委託を受けた草刈り隊が道の両脇の法面に沿って、気の遠くなるほどの山道を上へ上へと刈り進んでいた。
以前は地区の人らでやっていたのだろうが、建部町の中でも過疎化、高齢化が顕著な鶴田地区、家の周りをやるだけで精一杯だろう。そんな鶴田で小さな池の周辺に広がるアジサイに出会う。
雨季を彩るアジサイは、今年は町内では中々、きれいに咲いたのに出会えない。水面にうっすらと浮んだシルエットが清々しい。向こうに回り込む道が無い分、切り取られることもなく、ただひたすら咲くだけ。きっと地区の人らが大事にしているこのアジサイ、しばらく人の心を癒してくれる日が続きそうだ。
(取材・写真 三宅 優)