■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
建部に生まれ、建部で育つ。夢はもっと
奥深い田舎で暮すこと。
自然との共存をテーマに積極的な活動を
試みる佐藤 安奈さんの登場。
(取材・写真 三宅 優 写真提供・佐藤安奈)
(プロフィール)
佐藤 安奈(あんな)
平成5年、建部町吉田に生まれる
御津高校卒業後、岡山大学マッチング
プログラムコースに入学。
環境、自然、農村といった地域の
あり方について学ぶ。
卒論は建部の里山活動をテーマに上げる。
、 現在、生活協同組合おかやまコープに勤務。
吉田在住。
(聞き手・三宅 優) 小さい頃から自然が好きだったんですか?
「竹枝小学校の時、しっかり川で遊ばせてくれました。魚取りとかして、川を汚さないように教わりました。
田植え、稲刈りとかイイソも作ったりして、山で秘密基地をこしらえようとしたり、ホント小学校は楽しかったです。
学校で合鴨農法もやったことがあったんです。合鴨は食べれるよーっと言われて、いやだーと思って、結局、担任の先生が引き取って行きました。
学んだことは、合鴨は汚い糞がいっぱいポトポト落ちて大変だってこと(笑)」
その頃には「水辺の楽校」があったんですか
「いえ、私が卒業した後にできました。できて、とっても羨ましかったです」
中学ではどんな生活でしたか
「バスケ部に入って、バスケ一筋だったですね。でも中2の時、半月板を壊して、円板状半月板だったので、三年の大会に出るつもりが、とっても悔しくって・・・先生も良い先生でした」
高校はどちらですか
「御津高校です。下の姉も同じで、姉から”試験も楽だよー”とか、”テストに出るところも前もって言ってくれるよー”とか教わってたので。
とにかく、勉強したくなかったです、楽にやりたかった(笑)」
部活の方は?
「バスケに入部しました、一応、キャプテンになりましたが、いつも人数が少なくて弱小のままでした」
そこから、岡大に行かれたわけですね
「ええ、マッチングプログラムコースに入って、それは何かと言うと、自分に合った講義を何でも受けれるコースなんです。最終的には4年の卒論の段階で、どこかの学部を選ぶことになるのですが」
どんな勉強をされましたか
「農村の振興策とか、地域活性化、鳥獣対策とか・・・。最初、スローライフと言うか、”心豊かに暮らせたらいい”、どうしてみんなそこに気づかないのだろう?
何でもかんでも、値段をつけてしまうのか、自給自足でいいのにと思ってたんです。でも、大学の途中で、農村が生き残っていくには、しょうがないのかなあって考え始めて、じゃあ、学ぶかって(笑)」
卒論は富沢の里山活動を取り上げたのですよね
「はい、環境理工学部の環境経済学科を選択して、”建部の里山における地域活性化”というテーマで論文をまとめました。
当初、里山で活動する人たちから後継者がいないと言われて、週1回の活動だし、こんなに楽しいのに何だろうって考えました。けど深く関わってみると、若い人の生活はその通りに動いていないことや、
年寄りが生きがいにしていても、却って他所の者が入りにくいことが見えてきました。でも研究論文として、活性化のヒントになることが何も提示できず、
建部の全体がわかったけど、もっと一つのもっと絞り込んだテーマを追及すべきだったと反省しています」
やはり若い人にとっては、街中の暮らしに十分満足しているんだと思いますし、働き場所がそこにあるというのが大きいでしょう。
大学卒業後、安奈さんがコープに就職されたのは、どういう経緯ですか
「そうなんですよね、私も農業をしたかったけど、農業経営学も学んだけど、農業をやるにしても自由にできないのがわかって・・・。
それで結局、何が好きかというと、人と接するのが好き、体を動かすのが好き。生協を選んだのは、大震災の時、一番に援助したこと、地域貢献しているのがいいなあって。
売るためではなく、自分たちのやりたいことを実現している企業だと思ったからです」
3年経って、実際はどうですか
「配達に行って、”いつもありがとうねー”とか”便利にしてるわよー”と言ってくださって、お客様の声がすぐに聞けるのが
いい。動いて喜ばれる仕事ってあまりないと思います。でも、いつまでも現場にいられるわけではなくって、これからはマネジメントの立場に立たなくてはいけないのが、
今、ちょっと辛いです(笑)」
仕事以外に、いろんな活動をしていますね
「下神目のおばあちゃん家で、”建部ほったらかし農園”というのをやってるんですが、これは、気ままに農業をやりたいのと、できるだけ自然を壊さないでということで。
去年、秋にはサツマイモ掘りをしたんですが、あまり実が成ってなくて、皆んな、がっかりです(笑)。
後は”アスエコ”の環境学習指導者に登録していて、
めだかの学校の授業なんかに参加してます。いつか自分でプログラムを組みたいと思っています」
いつも、どんな仲間の人たちと活動してますか
「”あこがれスタイル”というESD団体の仲間です。皆がやりたいことをやって、憧れられる人になると言う意味で、自分に自信がなくても、ありのままの自分を認め、そのためのコミュニティスキルを高めていくのが狙いです」
昨年7月の大水害では、御津の国ケ原の災害地でボランティアに出られましたね
「おかやまコープでも呼びかけがあったのですが、明日と言われても、行きたいけど行けなくて。近いところで、御津国ケ原ネットを見て参加しました。
自分が何もしていないことを咎めていたので、少し気持ちが楽になりました」
今後の活動の予定は?
「タケノコ掘りです、今、一生懸命、下草刈りをしています、でも、もうイノシシが掘ってて、あと、10日間で山の草刈りも済ませなくては(笑)」
がんばってください(笑)
【記者感想】
いつもノルディックスタイル、または自転車を押して、我家の前を下神目に向って歩いて行く。
「不思議な女の子だなあ」が我ら夫婦の印象。それが「里山建部」のイベントで見かけ、吉田の「れんげ祭り」では威勢よく杵を振り下ろして餅つき。
メダカの学校の催事では、アスエコの指導員と一緒に生きもの調査。
「何者なんだろう?」
答えは身近な所から。当新聞、勝部編集長が「うん、吉田に住む安奈ちゃん、昔から自然大好きで、今、卒論で里山をテーマに書いてるよ」
なーんだ、不思議でも何でもない、我家の前で見かけるのは、下神目のおばあちゃん家に行くため。
「自転車で45分、おばあちゃん家まで行くのが私のスポーツですよ(笑)」
他にも、吉田の秋祭りには神楽の主力の舞手とか。
7月の水害における国ケ原の農場復旧作業では、強烈な猛暑の中、水に浸かった肥料を懸命にスコップで除去する姿が見られた。
「細っこいのに、タフだなあー」ここでも、そのバイタリティに驚かされた。
体を動かすのが好きで、奥深い田舎で暮らすを夢見る、常に「なんでだろう?」と疑問を抱いては立ち止まる。やはり永遠に未知数、”不思議な女の子”である。
(三宅 優)
2月22日朝9時30分、一時限の勉強が終わり、建部小学校の5、6年生が続々と体育館前の広場に集合。待ちに待った「旭川源流の碑」出発式です。
昨年の11月24日に富沢地区の山で切り出した栗の木の大木が田地子の神社に運ばれ、1カ月ほどかけて地区の人たちやボランティアで皮むき、磨きをかけた原木が建部小学校の工作室に移動。
5、6年生の子供たちが、碑の名前を筆文字で「旭川源流田地子川」と書き、原木に貼り付け、数日かけて大人の人たちと一緒にノミの使い方などを教わりながら木彫りを
しました。その後、各グループに分かれて「よいとこ建部」「田地子の棒つかい」などと自分たちの思いを書いた「のぼり旗」をつくりました。
出発式では田地子川流域の町内会長さんなども一緒に通行手形を田地子地区の本田町内会長さんに手渡され、子供たちは源流の碑を乗せたリヤカーの両側に立ち、飾り紐をしっかりと握りながらグランドを一周、公道に出ました。
リヤカーといっても道路交通法に則っとり、左側通行です。津山線の踏切を渡り、マルナカを右側に見ながら建部町文化センターへ到着。
3月2日の建部出発までここに展示されます。
その後、旭川の市内の中心部を抜け瀬戸内海へつながる三番まで下っていきます。そして県北の旭川流域の各地域を巡りながら8カ月ほどかけて、11月に建部の田地子地区まで戻ってきます。長い長い旅の始まりです!
(取材・写真 勝部 公平)
すっかり定番となった「めだかの学校」主催の建部での体験学習。
その中でもひときわユニークなのが、毎年この時季に開催の「親子環境学習フォーラム」、名称は堅苦しいのだが、内容はいたってやさしい。
従来の自然とのふれあいとは一味違って、人とのふれあいに重点を置き、建部の農村で守られてきた伝統や文化、人々の暮らし、それを丸ごと肌で感じてもらおうという狙い。
机上では簡単なこの企画、いざやるとなったら地域ぐるみの協力が不可欠で、それに応えられる地区を見出すのは、かなりの難題。
今回も、前日には会場となる神社境内の掃除や食事の準備などを整えてくれていた。
さて、時間は9時半(24日・日曜日)、会場前の駐車場に次々と車が到着、参加者は10家族の25名。どんな、体験が待っているかな?
まずは、実行委員長、河原陽子さんより開会の言葉。
「皆さんが、この建部町に来て、人や自然にふれて、ああー楽しかったわーと言って頂けることを願っています」そして大鳥居の前で記念撮影、「パシャッ!」
では、第1メニュー「花炭づくり」へ。松ボックリ、ドングリ、カシの実、南天・・・?「これなあに?」
「オクラの実だよ」するとそばで聞いていたお父さん、「あっ、これ、前に長男と来たときにスッゴイきれいね出来て、今も玄関に飾ってます」(うれしーねえ)
お好きなものをチョイスして空き缶へ。蓋をして、熾った炭火にのせて、出来上がりはお昼過ぎ。
焼芋も作ろう。これも出来上がるのは2~3時間後。側では火が焚かれ、寒ーい建部もここだけは野外温室。
古本先生から、この辺でどこでも見つかる「春の七草」を教わってから、次なる第2メニュー「自然素材工作」。
ヤジロベーと竹鉄砲、作り方は・・・の前に、どんなふうに遊ぶかデモンストレーション。
ヤジロベー、ドングリの両側に竹ひごを刺して、両端にもドングリ、すると、あら不思議「あっ、立ってる!」
竹鉄砲は、竹筒に濡らした紙玉を詰め込んで、竹棒でエイッと勢いよく押すと「スポッーン!!」
これを見て、ボクもやりたい、わたしもやると大騒ぎ、「まあまあ、急がなくても材料は無くならないよ、今から作り方を話すね」
スタッフの講師が説明を始めたものの、子どもたちの顔は「すぐにやりたい!」モード。そこで「じゃあ、とりあえず、考えながらつくってみよう。わからなくなったら先生たちに聞いてね」
境内の陽だまりのあちこちで、無心にノコで竹を切り、キリでドングリに穴を開ける親子の姿。
そのうち、「スポーン」「スポッ」と鳴り出して、テーブルではクロスケのヤジロベーが「ゆら~り」「ゆらり」
下の集会所から声がして「いまから、もちつきはじめまーす、A班の人は来てくださーい」第3メニュー「餅つき」開始。
木臼に入った蒸したて餅米、大人たちがこねた後、子どもたちの出番。「ヨイショッ!」「ヨイショッ!」とまわりの掛け声受けて、にぎった杵にも力が入る。
突いた餅は地元のお母さんたちといっしょに丸めてキナコとアンコで。「オレなんか、6つも食べたんだぜー」自慢する子、このあとの昼食が心配?
2臼の餅つきを終え、境内に設けられたテーブルに昼食が並びだした。
色とりどりの「おにぎり」とサトイモ、大根、コンニャクの「煮物」、黒豆、漬物、そして具沢山の「シシ汁」。
「うわー、餅、あんなに食べなきゃよかったー」後悔するも、おなかは一つ。それでも食べはじめると「うまい!もう一杯おかわりしよう」とタフな食欲のおとうさん。
昨年、朽ちた大杉を切り払った神社の空は広々と青い。その下のブルーシートで家族で食べる「田舎のごちそう」に誰もが満足気。
午後からは第4メニュー「お祭りや地域のお話し」
本田区長さんが昔、人々が使っていた農具やコタツ、秤(はかり)、大ノコを手に
「昔、この山里に4百人からの人が暮らせていたのは、お米を育てる川が流れ、冬、暖をとるマキがとれたからだよ・・・」と説明。
「そしてね、収穫の終わった村では盛大な祭りがおこなわれたんだよ、これから観てもらうは、棒遣い(つかい)と言って、旭川流域にだけ見られるんだよ」
鮮やかかな衣装に身を包み登場したのは、地元、小学5,6年生の児童二人、東(ひがし)君と行森(ゆきもり)
君。大人の背丈もある棒を手に、気合を込めて「カーン!」とぶつけ合う。退いては、また「カーン!」
参加者の子どもらも、自分と同年齢の子らが行う演舞に圧倒されたのか、「・・・」と言葉も出ず。
第5メニューは「田地子の里山歩き」。
本田区長さんをガイド役に全員でブラブラと道筋を散策、子どもの中には「ボク、もう帰りたい」の声。
ところが、前方で白い物が動いているのを発見、
「あっ、ヤギだ!」と駆け出し、産まれたばかりの子ヤギも顔を出す。
イノシシの檻(オリ)も見学し(「わたしも入ってみたい」「すごい、こんなに大きいんだ」)、三階建ての古民家も探検し(「タイムスリップしたみたい」)、
帰路に着く頃には、裏道を走り抜け、石垣によじ登りとすっかり村の子に。
フィナーレは「花炭」オープン。
ツヤツヤと黒光りして表れた、松ぼっくり、楓の実、栗のイガ・・・そして、オクラ(笑)
この日、参加者とスタッフで地区の人口は1.5倍に膨れ上がった。道筋でニコニコと笑顔で迎えてくれたお年寄りたち、互いに交わす言葉は少なかったけど、
「またきてね」と「また来ます」の思いはしっかりと伝わったようだ。
(取材・写真 三宅 優)
去年の7月の大雨、人々にもたらした災害の大きさは測り知れない。水で溢れた川辺の生き物はどうなっただろう。
その報告が聞ける今日の日を関心を以って待っていた。
竹枝小学校の「ふるさと学習」、毎年この授業では岡山理科大学の学生さんによる「旭川かいぼり調査」の報告がなされる。
午前9時半、まずは1~2年生が「土師方川の生き物について」発表。
「ヨシノボリ」汁もので食べるところもありますが、今はぜつめつきぐしゅです
「ザリガニ」あしは8本あり、子どもはカラがやわらかくてだっぴしてかたくなります
「メダカ」オスの尾ひれのトゲはメスが卵をうむとき、さするためです
「ヤゴ」水ロケットのようにすすみます。14回もだっぴするのが、ふしぎです
続いて3~4年生、「ヘチマについて」
へちまの名前は、唐ウリともよばれて、この「と」の字が「イロハニ・・・」の「ヘ」と「チ」の間(ま)にあるので「ヘチマ」だそうです(ヒェー!大人たちも感心)
「旭川の水質調査」もしました。CODテストの結果、よごれているのがわかりました。そこでゴミひろいをしました
5~6年生、題して「Youは何しに竹枝へ?」
「カメムシ」教室に来て、困らせるのはなぜ?冬眠をするためです。ミントの香りでにおいが消えます
「アシナガバチ」対応はそっとしておくこと、香水とかに反応するので強いにおいはさけてください
「スズメバチ」エサをさがしてきます。メスだけが毒をもっています。近づかないことです
「テングチョウ」水のあるエサが多いところにきます
「カマキリ」カマキリの頭にハリガネムシがはいって、脳をあやつります
けつろん、人間のつごうだけで、はいじょするのはまちがっています。きょうぞんがたいせつだとおもいます
子どもたちの発表で、保護者や地域の方らのうなずく姿が垣間見れた。
休憩後、岡山理科大生による「かいぼり調査報告」7月の大洪水の影響は?
まず生き物の種類について、ブルーギル、カムルチーなどが激減。いわゆる泳ぐ魚類は流されてしまったと考えられる。
そして調査種、「アカザ」と「カジカ」について「アカザ」は増え、「カジカ」は減少。
この理由として「アカザ」はこの時季、産卵期にあたり増水により産卵が活発になった。
逆に「カジカ」は3~5月に産卵を終えているため、流されたと考えられる。
また、去年の夏の川の水温が32℃の高温になったにも関わらず、生き物が生息できた理由の一つに「湧水」の存在が考えられる。
いくつかのポイントで湧水があり、その水を調べると砂防ダムの上の水質と同じだとわかった。水温が7度も低い、この「湧水」が適した環境を生み出している。
「水生昆虫」についても報告がなされた。
56種の存在が確認され、これだけの多い種類が残れたのには、この川がさまざまな生息環境を持つことと、昆虫自体に適応力があると考えられる。
最後に、岡山理科大、齋藤先生から総評。
「実に、子どもたちは、いっしょうけんめいに調べて、いい発表がなされました。CODテストなど小3の子の方がよく知っているぐらい(笑)。大水の後(県内)40か所を調べて、そのどこでも生き物が残っていました。生き物は知っているんですね、どうすれば生き残れるか」
(拍手!)
(取材・写真 三宅 優)
聞き慣れない名前だと、お思いの方も・・・。
「トレイルランニング」(以下、トレイルラン)。ウィキペディアをひも解くと、陸上競技の一種で舗装されていない山野を走るレース。
距離は数10kmから100kmを超えるものまであり、時間も数時間から数日かけることも。標高の高い地を走るなど、かなりの耐久力が求められ、
そのためマラソンと違って、必要な装備を入れたリュックを背負う。
国内でも開催されており、毎年1000人を超えるランナーが参加している大会もあるとのこと。
そんなエキサイティングなスポーツが、ここ建部で、今、広がろうとしている。県内の愛好者たちが集まり、トレイルランを市民スポーツとして確立しようと
「岡山県トレイルランニング協会」の設立に向け動き出したのだ。
その記念すべきイベントが、来月(3月21日・祝)に建部町文化センターで開かれることが決まった。事務局を担当する堀米 恵(けい)さんにお聞きした。
協会設立会場を建部にされたのはどうしてですか
「一番は、やはりこのロケーションですね。県内全域を対象として協会を設定しているので、どこからもアクセスが良くて
駐車場の確保が可能な建部が最適だと判断しました。それに、実際にトレイルできる自然がそばにあるのがいいですね。
僕自身も、ここは妻の実家でもあり、走り慣れていることもあります」
今回の設立イベントの注目点はなんですか
「日本のアドベンチャーレーサーの第一人者、田中 正人さんを講師としてお招きしています。また、県内のトップランナーによるセミナーもありますので、これらはレースをやる人にとっては、またとない機会になると思います
」
今後、建部との関りにおいてはどんなことをお考えですか
「できるだけ、地元を巻き込んで、地元の人の理解を得ながら進めていければいいなと考えています。
そのために子どもが参加できるワークショップなどもやれたらいいですね」
さて、またもや現われ出でし「たけべの魅力」。
今は人が踏み入れることの少ない山中を、舗装されていないでこぼこ道を、楽しめる場に変えていく。
そんんな時代の到来に、まだまだ建部はこれからが掘り起こされると期待される。
<詳細は下記より>
岡山県トレイルランニング協会
「 設立総会・
記念イベント開催案内」(PDFにて)
ホームページ
フェイスブック
(取材・三宅 優 写真・松下りえ 写真提供・岡山県トレイルランニング協会)
回覧板で案内が来た。福渡学区栄養委員会主催の交流会。「300円昼食付?」すぐに申し込む。
今朝10時、保健センター講堂に設けられた「コの字」のテーブルはすべて満席。ざっと60名、ほとんどの人が顔見知り。
「久しぶりね、あけましておめでとう」の声もちらほら。
最初は当然、栄養委員体操組による「岡山市民体操」から「♪♪・・・××」
ところが、今日の参加者は元気者ぞろいと来て、足を踏むたびにCDが飛ぶ。
はじめからやり直すこと4回、練習も終えやっと本番。「いやー動いたなあ」
今日の参加者、男性は4分の1、それでもいつもの集まりよりもグ~ンと多い(答えは最後に)。
栄養委員さんからは「野菜1皿、塩-1グラム、身体活動+10分」の提案。
野菜不足は今より1皿工夫して多くとる(毎日、野菜鍋でOK!)。
塩は麺のスープを残す(こりゃあ、もったいなくてできん)。
身体活動は近くは歩きと自転車(これも毎日OK!)。
入口から太鼓にクラリネットで「愛染かつら」の昔なつかしのメロディーで、やって来ました「みつちんどん」芸人123・・・7人の登場で老々男女、大喝采。
「ドジョウすくい」の名演技に男どもは目が煌々(コウコウ)。マジックショーでは、ご婦人どもが身を乗り出し、どこにタネがあるのかで目は釘付け。
全員合唱も、ただ歌うだけでは物足りないと、両手をあげて最初から最後まで手首を動かし「ギンギンギラギラ 夕日が沈む・・・♪」
最後は、保育園の出し物では定番の・・・そう、「ジンギスカン!」
「ジン、ジン、ジンギスカン・・・オホホホホー!ワハハハハー!!」で締めくくり。
時刻はお昼前、「どうりで腹が減ったわい」。
奥の料理実習室で10数名の栄養委員さんによる手作りランチが今か今かと出番を待つ。
本日のメニューは「鳥唐揚げ」「ホーレンソウ胡麻和え」「長いもとワカメの酢の物」具沢山の「けんちん汁」「青菜ごはん」とデザートの「豆乳寒天」。
ソワソワ顔のお父さんと「今日はいっしょに来たので、主人のお昼、用意しなくて済むわ」とニコニコ顔のお母さん。
そうかー、どうりで今日は男が多いと思ったわー「ワハハハハー!」
(取材・写真 三宅 優)
最強の寒波の到来におののく日本列島。建部平野も朝から白いものが舞い降りる。
そんな中、富沢地区鳥越池にある里山キャンプでは子どもたちのかけまわる姿。
今日(10日)は「めだかの学校」が主催する「炭焼き、マキ割り体験」の日だ。
だが、あいにくのインフルエンザ流行りで申込者多数がダウン。それでも8家族、19人とスタッフ10名余りが白い息を吐きながら集合した。
まずは、マキ割り体験!
と言っても、昔のように斧で割るのではなく、今は機械の時代。大型マキ割り機を操作して、直径50cmのマキを「メリッメリッー」と両断。
これなら、どんな大物でも大丈夫。続いては、炭焼き小屋探索!
先ほど割ったマキを窯の空気がなくなるまで燃やし続けたら、炭ができるんだよ。会長さんの説明に大人のほうが「へー、そうなんだ」と納得。
広場では山と盛り上げたモミ殻の上に立てたエントツから白い煙り。
じゃあ、今から焼芋作りを始めます。サツマイモを新聞紙でくるんで、それを水にビタビタと浸け、アルミホイルで包みます。後は、黒く焼けたもみ殻の中に入れて、お昼ごろにはできてるかなあー。
そして、本命「花炭づくり」。空き缶にモミ殻を敷きつめ、松ボックリ、どんぐり、桐の実、楓の実を入れて蓋をして、これは火起こしした炭の上に2時間ほど置いておくよ。
蓋に開けた通気穴の煙が透明になったら完成だよ。
まだまだ、やることいっぱい里山体験。今度は「マイ箸づくり」竹を切り出しナイフで削りながら、先を細く、丸ーくしていくよ。親子で協力してやろう。
その間、お母さんたちには最重要任務「イノシシカレー」作りが待ってるぞー。
玉ねぎ、人参、ザクザクとジャガイモは大きめに。オリーブ油でイノシシ肉を炒めて、2つの鍋で30人前、どうかなー、足りるかなー。
ご飯は釜で炊き上がり、プンプンプンといい香り。
見てみると、この里山で手を休めている人はだれもいない。みーんな、目の前の与えられた仕事に一生懸命。だから、やっぱりおいしいよね、自分らで作ったカレーライス。
満腹になってからは「お~い、子どもらよ、山からおりて来なー、缶を開けるぞー」
はたしてどうかな、ワクワク。
「できてる、できてない?ううーん、まだ早かったかなー」
大丈夫、どれにもちょっとくらいは、とってもきれいなピカピカの黒炭が!。
参加者の声「結局、街の中での休日は部屋にいるかしかなくて、でもこんな機会があれば出て行こうかなって・・・山を見るだけでも楽しい」
焼芋も、出来て、どうですかお味は?
「とっても、ホクホク、おいしいわー」と答えてくれたお母さん。
只今「カレシ(トモダチ)募集中でーす!」
そう、自然の中ではだれもが自由、照れることなく、いっぺんに子どもの頃に帰れる。だから、里山って「深い!」んだよー。
(取材・写真 三宅 優)
少子化、高齢化、過疎化・・・建部町に限らず、日本のありとあらゆる地方の中山間や離島で起きている課題。
今日は、その中で建部町福渡町内会が抱える「空き家問題」について、実際に地域振興の最前線で奔走されているローカルエンタープライズ代表の
藤井 裕也(ひろや)さんにお話を聞く機会が持たれた。
藤井さんは、ご自身も地域おこし協力隊の一員として上山集落の棚田再生にも関わり、その後も美作市梶並地区で地域活性化の先頭に立って来た。
尚、この会合には岡山市役所から事業政策課の宮本、安藤両氏も参席された。
はじめに、この会を依頼した福渡町内会会長、窪藪和男さんから福渡の空き家、人口減少について説明があり、60軒余りある空き家対策の急務が伝えられた。
それを聞いた藤井さん、「えっ?福渡は60軒ですか、僕の梶並は200軒ですよ」(ホー!町内会全員が驚き)
このあと、自身が梶並地域で取組んできた、移住者を受け入れるまでのステップを例に話が進められた。
主体となったのは有志(何とかしようという人たち)と地域おこし協力隊による協議会。そこをベースに行政と入所者を巻き込んだ活動へと発展。
移住希望者のための「お試しハウス」を設け、最低でも一年は住んでもらう。理由としては冬を体験してから決めてもらうことが大切だから(ここでも一同、その長さに驚き)
呼び込みは60代の人をターゲットにして、定住を強いるのではなく10年間、住んでもらうことを最善と捉え、若い人より確かな年代への誘致を図った。
途中、窪藪会長から「この福渡でやるには、やることがいっぱいあって、どこから手をつけていいやら、考えあぐねているのだが」との問いかけに、
「僕も、それでも、ここまで8年間かかりましたから、そう簡単にはいかないとは思いますが、ある程度のイメージと計画ができていればやれると思います」と話された。
(一同、また溜息)
行政側の宮本さんからも「まずこの地域がどこを目指すのか、他所の事例がここの事例になるとは限らないので、あくまでも時間をかけて、10年間とかの視点で固めていくことが大切では」とアドバイスがあった。
閉会後「そもそもの始まりが、不幸のはじまり」そんな言葉が浮かんだ。
記者ら(夫婦)は9年前、東京からこの地が気に入って移ってきた。妻は時給700円の仕事が見つかって喜んだし、私も駅が近いので嬉しかった。
この町の人には何が不足していると言うのだろう。
参加していた、田地子区長の本田さんが「私の地区から見れば、それでも福渡は恵まれている」とコメント。
そうだと思う、「ここには何もない」から考えが始まり、結果は「だから何も得られない」
福渡だけでなく建部町のさまざまな会合に出るたびに感じる疑問。
「これだけの生活環境を持ちながら、それを幸せと捉えられない大人たちの不幸」
記者の以前からの提言は「何もしなくていい、今あるものを良しとして、大事にし、それについて皆でわかり合い、そのために町内会は全力を尽くせ!」
なぜならそれだけでも、大変な事業なのだから。
(取材・写真 三宅 優)
ボウリングというと、かつての女子プロボウラー、中山選手や須田選手を思い浮かべる記者だが、さにあらず。
今も女子プロボウラー本間成美選手とか人気選手を輩出、人気らしい。
あるデータによると、日本のスポーツ人口の1位はウォーキングで、2位が、なんと
ボウリングだとか。そんなボウリング、この建部でも「ン十年」と続いてきたのをご存じだろうか。
「建部町町民親睦ボウリング大会」は今回で60回を重ねる超ロングスポーツ。
その大会の報告
が事務局の河原孝輝さんから届いたのでお伝えする。
「さる1月28日に津山市ツモクボウリングで開催、厳寒の折りにもかかわらず、老若男女24名の参加者があり、和やかに、また時折り歓声を上げ、
ゲームを繰り広げました。当初の目的である、親睦交友を深めるとともに、平素の運動不足やストレス解消ができたものと考えます。以下、当日の結果(3ゲーム)です」
優勝 藤本 恵子さん 551ピン(HDC150ピン)
準優勝 河本 恭世さん 521ピン(HDC144ピン)
3位 池永 明生さん 512ピン
ハイゲーム(スクラッチ)
男性 池永 明生 199ピン
女性 岸 唯奈さん 164ピン
次回、開催日は5月27日(月)20時~(ツモクボウリングにて)
「今の自分の思いをせいいっぱい発表します」(生徒代表)の挨拶で始まった、建部中学2年生の土曜授業「夢と希望を語る会」
朝9時15分、建部町文化センタ―大ホールに2年生と保護者が座った。
この日は他の学年も小ホールと校内で発表があり、かけもち取材が難しい。
オニビジョンさんも、この「夢と・・・」の発表に絞ったようで、記者も倣いメモ帳を開いた。
なお聞き書きゆえ、また初めて耳にする言葉もあり、内容に間違いがあるやもしれないことをお断りしておく(以下、発表順にを紹介)
「看護師になりたい。福渡病院に職場体験に行き、一人でも多くの人の助けになりたいと思った」
「整備士に。職場体験でハートアップワールドに行き、いろいろと学ぶことができた」
「人から信頼される大人になりたい。今は、一日一日努力してがんばりたい」
「病気の人の世話をしたい。きっかけは父が病気で、反応のない父を看護師さんが、お父さんの足を洗ってあげようと言ってくれて。もし看護師さんが声を掛けてくれなかったら、私は亡くなった父の体を拭いてあげることもなく後悔していたと思う」
「5人兄弟なので、小さい弟の面倒をよく見ます。卵アレルギーの弟には食べものを与える時も注意が必要です。今は子どもと接する仕事、ベビーシッターか保育士になりたいです」
「生物学者。理由として生き物が好き、生き物についてもっと知りたいと言う気持ちが強いから。大学に入り大学院に進んで、大学に残って研究をして。
成功する人は少ないかもしれないけど、がんばりたい」
「音楽の仕事。ワンオクロックのライブに行ったら、夢の中にいるようだった。ギターを小6から始めていて、高校に入ったらバンドを組みたい」
「教師になりたい。小学5~6年の時、いろいろ困ってたら先生が助けてくれた。建小に職場体験で行き、小さい子と触れ合うことの楽しさや大変さを学んだ」
「英語教師。理由の1つは英語が好き。2つ目は子どもが好き。3つ目は中学の熱心な先生から夢をもらった。今度は私がそれを与えたい。東京オリンピックや万博で観光客と会話して交流したいです」
「安定した人生を送りたい。人生は楽しいだけではなく苦しいことも多い、裕福なのも良いことばかりではないようだ、だから自分は安定した生き方が向いていると思う。親が安心して老後が送れるように今できることは勉強することだと思う」
「体育教師。スポーツが好きなので、好きなことを仕事にしたい。そのためにも、いい高校を卒業することが大切だと思う、多くの勉強をしなくてはと考えている」
「古生物学者。古生代の生き物、絶滅した恐竜とかに関心があるので。職場体験はめだかの学校で、魚の餌やり、室温チェックなどを教わったけど、中庭整備が最も大事だと知った」
「教師。建小に体験学習に行ってそう思った。建中の先生にもいろいろと教わりながら、進んで行きたい」
「スポーツトレーナー。野球で肘を壊したとき、療法士の方がトレーニングメニューを作ってくれて3カ月で復活できた。選手と接しながら、怪我のサポートをしたい」
「薬品を販売する登録販売者。薬局に職場体験に行きました。テレビでも薬の副作用のことが放映され恐さを知ってから、特別な仕事だと思った」
「野球選手。小5のとき、友だちに誘われソフトボールの楽しさを知った。将来は高校野球部から甲子園、プロ野球選手になれたらいい。そのためには強豪校に入りたい」
「将来の夢はまだありません。高校に行くぐらい、でもそれも行きたくはありません。今はそれ以上には夢は広がりません。職場体験はマルナカに行きました。失敗もありましたが、当たり前のことをするのがむつかしいと思いました」
「ハッキリはしないけど、地域の人に喜んでもらいたい。公民館で職場体験をして、たけべマルシェの荷物運びや場所の設営をして、皆に喜んでもらい達成感がありました。」
「父の後を継ぎ、お寺の住職になりたい。父と一緒に法事の手伝いをして、来られた方と楽しく話ができ、準備にもやりがいがあった。高野山にも行き、空海が観たのと同じ風景に興奮しました」
「整備士。ハートアップワールドに職場体験して、1日目は車を拭く作業でちょっと後悔しかけたけど、2日目からタイヤ交換とか楽しくなり洗車も苦にならなくなった。父が家のバイクを手入れするのを見てカッコいいと思ってた」
「N高校に入りたい。ネットコースだと自分の時間がもてて、全国のクラスメートとも友だちになれるから。他の高校にないカリキュラムがいいと思った」
「西大寺高校へ行きたい。県下で一つだけ国際情報科があるから。学校の催しも体育祭と文化祭の両方をやる秋桜祭があって、楽しそうだから」
「介護の仕事。父がしていたので興味を持った。それと小さい頃、手術をして人の助けを受けたから。家に祖母がいるし、お年寄りが安心して入浴などの介護ができるようになりたい。少子高齢化の時代、僕たちが支えていかないと、と思う」
「生物に関わる仕事。カエル、亀、恐竜、新聞で見つけると切り抜いて何度も読んでいる。福井県立博物館で恐竜発掘ツアーにも参加した。
職業体験はメダカの学校に行きずっと観察してても、飽きなかった」
「小学校教師。私も小学校で先生に助けられたので、福小に職業体験に行った。
テレビでいじめにあった子が自殺したのを聞いて、先生は一人一人の話を聞くことが大事だとわかった」
「土木の仕事。テレビを観て、外国人が技能実習生として日本で働いているのを知った。人手がないと日々の生活ができなくなると思った、土木は人気がないけど、人の役に立ちたいから」
「車の整備士。おじいちゃんとドライブしたのが楽しくって、本で車の勉強をした。職業体験はハートアップワールドに行ってタイヤの空気圧を測ったり、普段使わない工具を見せてもらった」
「祖父が理容師をやっていて髪を切るのを見てカッコいいと思った。小さい頃からお店に出て、お客さんに可愛がってもらったので、今は祖父と一緒に働くことが一番の夢!」
「保育士。兄妹が多いので、認定こども園に職業体験に行きました。子どもに懐かれ、ふれあって楽しかった。将来は国家資格を取れるよう、今から勉強したい」
「おもちゃを創る人。誕生日に仮面ライダーの変身ベルトをもらったのが嬉しかった。夏休みは6才の従弟と合体ロボットで遊んだ。今度は僕がおもちゃを創って人をたのしませたい」
「甲子園に出ること。小2から始めて、今、硬式野球が楽しくなった。全国大会にも出て甲子園も行きたい。でも、これからもっと厳しい練習になるけどがんばっていきたい」
「夢はまだないけど、竹枝小に職場体験に行って、作文の点検や計算ドリルをチェックした。先生から、×をつけるときは小さくしないと、その子が傷つくからと言われ、先生はいろんなことに気づかうので大変だと知った。今は高校に入って夢を見つけたい」
「大学に行きたい。そのための高校がどこがいいか、オープンスクールに行って、普通科と工業科4校を観て、やはり大学に行くにためには普通科がいいと思った」
「小さい頃からずっとやりたいことがありました。パティシエです。ケーキ屋さんに職場体験に行きワクワクして通いました。生クリームの計量の正確さには驚きました。同じ夢なら、人のため、人がよろこんでくれる夢に就きたいと思うようになりました」
「夢がまったくありません、大人になっても何になるか決まっていません。今は休み時間を活かして少しでも勉強して、少しでもいい高校に行くことを目標にしたいです。でもこの作文を書いていることは、将来の夢につながることの意思がある証明でもあると思います」
「あきらめない、達成感、やりがいがある。クラスの子は家を継ぎたいとか、しっかりとした考えを持っていて、同じ年齢なのにずいぶんと違うと感じた。
マルナカに職場体験に行き、疲れる日もあった、でも一日働いた達成感もあった」
「動物関係。トリマー、ドッグトレーナー、獣医師。家で犬を2匹飼い出した、ダックスフンドで病気にならないよう心掛けるようになった。できれば、ペットからも飼い主からも信頼されるトリマーになりたい」
「これと言った夢はまだありません。公民館の職場体験で文化祭のパネル出しを手伝い、とても助かったと言われたのがうれしかった。
僕は将来しっかりと働かなくてはなりません、しかし今のままでは・・・。中学の勉強をしっかりやらねばと思っています」
「まだ、ありません。正直どうしようか、私の友だちは具体的に何になるか持っていて。私は矯正をしていて、叔母が歯科衛生士をやっているので話を聞きました。歯科衛生士になるにも、道がいくつかあることが分りました。まだはっきりとは言えませんが、今の生活に、いっしょうけんめい取り組んで、ボランティア活動もやりながら見つけたい」
(記者感想)
今の中学生の置かれた状況の厳しさ、むつかしさが伝わった。「自由に、好きなことを、無限の可能性に向けて」の先に待っている、既定の枠組み。
生徒たちは、その障壁の前で、たじろみ、何とか乗り越えようと・・・。それでも、社会を変えられるのは、乗り越えた君たちしかいない。
(取材・写真 三宅優)