■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
建部に新しい生活を求めて来た人の中には、優れた才能や技術を持つ方がいる。
ナチュラルスイーツ「チュプ」のお菓子職人の西村加奈子さんもその一人。
建部の自然の食材を活かしたお菓子作りへの思いをお聞きしました。
(取材・写真 三宅 優)
(プロフィール)
西村 加奈子(かなこ)
昭和49年、京都府福知山に生まれる
高校卒業後、京都製菓専門学校に入学
卒業後、カフェ店に勤務。
5年後に退社、ウエディングケーキを
作る仕事に従事。
9年前、家族で建部に移住
ナチュラルスイーツ「チュプ」工房を起こす。
現在、家族4人暮らし。大田在住。
(聞き手・三宅 優)そもそも、お菓子作りに魅かれたのは、どういったことで?
「なんでやろなぁ、まあ田舎生まれやったから、お菓子屋さん、そういう華やかな感じに惹かれたのかなあ(笑)」
なぜ、京都で修行されたのですか
「京都の街並みが気に入っていたし、専門学校もあったので・・・」
卒業後に勤められたカフェではどんな仕事でしたか
「そこは、ドイツ風のどっしりした建物のカフェだったのですが、コーヒーの淹れ方からデザートづくり、料理まで、
カフェで必要なほぼすべてを任されました。でも最も学んだのは、やはり人間関係ですね」
そこに5年勤められてから、ウエディングケーキを作る仕事に就かれた
「そうです、下がイベントスペースになっていて、上でフランス料理とかのデザートとかを作るんです。子どもが生まれるまで、その仕事を続けました」
その後、建部に来られた。そのきっかけは何ですか
「子育てを田舎でしたかった、結局、京都は消費するしかない街です。もともと田舎でお米を作って食べて育ったので、田んぼがしたくて来ました」
どんな農業をされていますか
「田んぼが6畝と畑は4畝ほどありますかね、お米は1本苗の手植えで、機械は手押しの耕運機と脱穀のコンバインくらいです。
野菜は何でも、大豆はできた分だけ味噌にして、お米で麹を作って。子どもたちにも、家族で食べるごはんだからねと言っています」
お菓子作りへの思いをお聞かせください
「私が作っているのは、どれも子どもを育てていく上で、吟味してたどり着いたお菓子です。残ったお菓子は、子どものおやつにもなるので。
より安全で安心な材料に心がけて、できる限り自然のもの、それを一番、大切にしていきたいです」
いつも作られるのに、どれ位時間がかかりますか
「前の日に作りますので、夜中までかかりますが、夫婦で一緒にやっているので、それほど大変ではありません。夫(太蔵さん)もケーキの仕事をしていたので」
建部に住まわれていい点は?
「気ままに、自然の中で育てられるので、子どもを育てるのにはとてもいい環境だと思います。ただ、もっともっと、マルシェが建部で発展するとうれしいのですが・・・」
今後の夢とかありますか
「本当はカフェをやりたいし、料理もしたいのですが、どうでしょう・・・。今は子どもを連れてイベントとかに出店していくのを5年位までやりたいです。
気がついたら、子どもも手伝いをしてくれるようになりましたので(笑)」
ありがとうございました
【記者感想】
偶然の出会いだった。9年前、記者らが建部に越して来て間もなく、来訪者があった、西村夫妻だった。
以前、上にある牧場に見学に来た折り、車に残った子どもが、
中からロックをかけてしまい、困っていたところ、内の近所の方が助けてくれた。そのお礼に訪れて、ここにも移住してきた人がいるよと教えられたのだとか。
それから今日まで、「タネピリカ」「3.11追悼の集い」さまざまな形で交流が続いている。
加奈ちゃん、人柄は「チュプ」の意味(アイヌ語)通り、丸いお月さまのよう、子どもたちや、回りの人をやさしく見守ってくれている。
そんな加奈ちゃんの作るお菓子は、まさに混じりっけなしのナチュラルで甘すぎず、けっして人に媚びない味。
あと5年は続けたいと言う、その頃には上の子は高校生、家族で作ったごはんを食べて、逞しく成長した姿が浮かぶ。
(三宅 優)
この冬一番の寒さと雪が舞い散るこの日(今月26日土曜日)、大田の活性化センターに建部のスポーツ少年団の子供たち40人とスタッフ、家族あわせて総勢110名が白い息を吐きながら集合。
B&G建部海洋センターが昭和55年発足して間もなく始まった「建部スポーツ少年団交流オリエンテーリング」も今年で35回目になります。
今年は8チームに分かれて大田地区の名所旧跡などを地図を頼りにウォーキング。ポイントに到着するたびにチーム一丸となってクイズを解いていきます。
コースを歩きながらのゴミ拾いもチームの役割です。地域を訪ねて、そこのすばらしさを学ぶだけでなく、地域の美化活動もおこなう、生きた体験学習ですねー。
ご両親の中には、自分が子供の時にどこどこを歩いたとか、チームメイトの懐かしい話とかを語り、世代を渡って参加している家族が多いのに驚かされます。
約6kmほどのコースを3時間前後で巡る、友達どうしだけでなく指導員の先生とのコミュニケーションも深まり、今後の少年団活動の盛り上りに期待が持てます。
ゴールでは、お母さんたちが手作りでつくったカレーライスが待っていて、体にぬくもりを与えてくれました。
こんな活動が建部の子供たちを健全に育てていく要因なのだと実感しました。
(取材・写真 勝部 公平)
今日(1月27日)朝10時、建部町公民館にてレザークラフト講座が開催されました。
主催したのは「たけべジビエ研究所」と「建部獣皮有効活用研究所」双方による企画。
今回はレザーの中でも”カシミア”と言われる シカ皮を使ってのキーホルダーづくり。参加者は倉敷から来られた方を含め定員を超える
大人11名。乳幼児6名も行き場所が困るほどの賑やかさ。
この催しを企画したのは鴨井ジビエ研究所所長と獣皮研代表の頼本ちひろさん。
冒頭、頼本さんから「全国で害獣の被害額がどの程度かご存知ですか」と投げかけられ。100億円からの被害があると知らされて一同が仰天。それでも、イノシシ、シカが食肉利用されることが増えつつあると聞き安堵、しかし「毛皮は、ほとんど捨てられている」と聞き、また仰天。最後まで命のいただきモノを大切に生かすように心がけたいと述べられた。
さて、実践活用コーナー。まずは1.「コーナー落とし」
専用の道具を使い皮に丸みをつけたりする
2.「皮ホルダーに名前や絵を入れる」
電気ゴテで火傷しそうな作業
3.皮を貼り合わせる
両面テープで貼り、その後、糸穴を開ける
4.「縫う」
2本の針で周りを縫う(これに、かなりの男?らが困惑したらしい)
ここまでの作業、意外と簡単と思いましたが細かい作業、それも老眼?のせいで見えない。この後は早々ギブアップ、もっぱら観ることにまわりました。
頼本ちひろ代表によると、今回のディアスキンは、わざわざ東京の業者に”鞣し(なめし)”を依頼されたとのこと。獣皮を送るには前もって、ていねいに皮油を削ぐ必要があり、代表、自ら包丁で作業を行うそうです。
仕上がってきた獣皮は、非常に柔らかく肌触りの良いものでした。
開始から2時間、どうやら皆さんキーホルダーが完成したようです。出来上がりの満足はどうでしょう?
結果は「ジビエ研」の次なる開催に聞けるでしょう。
(取材・写真 沖 政信(めだかの学校)写真・松下りえ)
PS.昨日、雨宿りならぬ雪宿り?に寄られた三宅副編集長から取材して来るよう依頼を受けました(たぶん人手不足)。ジビエ研メンバーの私がお役に立てるならと気軽に引き受けましたが、難しいものですねぇ!
(いえ、いえ、これでレギュラー確定、これからもお力添え期待しています~編集部)
まっ白く覆われた小学校のグラウンド、今日は福渡小学校の全児童による「かがやきタイム」発表会。
「生活科・総合的な学習の時間」すなわち算数や国語、理科といった授業で教わらない、子どもたちを取り巻く社会のことについて自らが学ぶ、その1年の成果を伝える日なのだ。
体育館には先生、児童、保護者が中央にてスタンバイ、では一年生からおねがいします。
「にぎやかな いきもの事典」
校庭の草むらで見つけたバッタやカエル、ザリガニになったつもりで「どこに住んでるのかな、何が好きなの」と疑問に思ったことを
図鑑で調べた。
最後は「バッタだって、カエルだって、ザリガニだーって、みんな、みんな・・・♪」と合唱(拍手)
二年生「出会いスマイル・ふくわたり」
福渡学区のお店や施設を訪ねる。
「ファミマではバックヤードをみせてもらいました、人が通れるスペースにぎっしりと商品が並んでいました」
「ハートアップワールドでは大きな機械で車体を持ち上げて、下から整備していました」
「リバティではコーヒーを淹れるのを見せてもらいました。ここで質問です、リバティではコーヒーは次のどのやり方でお湯を入れるでしょう」
➀ヤカンで淹れる ②サイフォンの上から ③サイフォンの下から (答え③)
三年生「建部のお宝 発見隊」
建部で自慢できる場所を訪問、お話を聞く。
「たけべ八幡温泉」では家族風呂、露天風呂、レストラン、おみやげコーナーを見学、効能を教わる。
「めだかの学校」は館長さんと指導員さんから、魚の種類、数、特長を。
「佐賀牧場」へ。子牛が毎週生まれると聞かされ、福小の生徒数より多いとビックリ。一番の自慢は、品評会で一位に輝いた牛がいること。
四年生「シネマ福渡・旭川の環境つながり」
県北にある中和小学校と交流し、旭川の上流と建部の中流のつながりについて調べる。
「旭川ダム」の役目、昔の「高瀬舟」の役割、川石のかたちの違いを調査。川が上から下へと流れることで、人と人がつながって来たことがわかった。
五年生「学べる ふくまるニュース~身近なお年寄り」
ニュースキャスターとレポーターによるニュース番組形式で、お年寄り像に迫る。
(キャスター)「お年寄りが子どもだった頃の生活を紹介しまーす」
(レポーター)「代表的な給食は、コッペパンクジラの竜田揚げ、脱脂粉乳のミルクです。どんな味なのかは、わかりません」
「お風呂は水を外から運ぶので、週に一、二度だけだったそうです。あとは、もらい湯と言って隣の家のお風呂を借りていました」
「これは小学校の体操着でニットブルーマーと言います。これじゃあ、冬はとっても寒そうですね」
(キャスター)「それでは、最後に特集、お年寄り向け、オレオレ詐欺について再現VTRです」
(年寄りに扮した2人、黒メガネの男、登場)
「あー、もしもし、わしじゃ、わし」
「あー、ケンちゃんかなー」
「じいちゃん、タクシーにカバンを忘れて35万円いるんじゃー」
「よっしゃ、わかったー」
・・・この後、事情を知った、おばあちゃんと取っ組み合いのけんか。(会場内、大爆笑!)
六年生「FUKUWATARI 国際会議」
戦争、テロ、地雷、貧困、人種差別、宗教差別、世界で起きている問題について調べた。
そして、これらを無くそうと活動する人たちがいることを知った。
国際ボランティア、ユネスコ、ユニセフはこんな活動をしている。
キング牧師は黒人差別に反対してノーベル平和賞を受賞した。
世界には五歳以下の貧困の子どもが、日本の人口と同じだけいる。
イスラム教は悪い宗教ではないとわかった・・・。
(記者感想)
一年生の見つけた小さな生きもの、二年生の訪ねた地元のお店、三年生が見つけた建部の自慢、四年生が調べた旭川と人のつながり、
五年生が聞いたお年寄りの話、六年生が考えた世界の平和。
目の前の生命の尊さを知り、地域のきずなの大切さを学び、そして世界の人の幸せを想う、そんな、つながりの根源を目指す良い授業だった。
では最後に六年生の宣言「福渡から世界平和を」
(取材・写真 三宅 優)
「1(いち)2(に)3(さん)4(し)・・・」と数えて20からは?
当然「21(にーいち)22(にーに)23(にーさん)・・・」
え?こう数えるのは岡山だけ?
今日、午後、建部町公民館で開かれた「建部大学」の講演会。講師は「岡山弁はええもんじゃ」でおなじみ、岡山弁協会会長、青山融先生。
岡山の中でも、ここ建部町は備前、備中、美作が接し、3つの訛りが聞ける特異な地域。それにちなんで、催されて来た通称「岡山弁大会」。
先生はまさしくその仕掛け人。
さて「岡山弁再発見!」と題した講座、どんなお話が聞けたのか、まず冒頭の数のかぞえ方から。
全国では、「21(にじゅういち)22(にじゅうに)23(にじゅうさん)・・・」と「じゅう」を必ず読むそうだ。
これを聞かされた受講生らは一堂に驚愕「えっー、どこでも、そう数えるんじゃねえんかなー」
先生、曰く「省エネが好きな岡山人は、無くても意味が通じる言葉は言わない」らしい。
次に今や岡山弁の笑い話に必ず出る「はよーしねー!」(早くしなさい!)。
実はこれ、倉敷とかの備中だけ使われてて、備前の岡山市では「はよーせられー」、津山では「はよーしんちゃい」だとか。
倉敷出身の記者は「えっ、そうだったの?岡山中で言ってるかと思ってた!」
岡山の中だって、こんなに通じないのなら、他所から来た人らはどうすれば・・・。
大丈夫、青山先生が「共通語⇒岡山弁」における文法の置きかえ、「あい」⇒「えー」と言った語尾の変換をレクチャー。
「長い(ながい)}の「長gai」の「ai」の部分を「e(えー)
」と置きかえる。すなわち、「長えー」他にも「u」は「i」に。
「焼肉(屋)に行ってるんだ」⇒「焼きにきーに、いきょーんじゃ」などなど。
もう会場内、どよめき、「ここまで、わしらは違っとったんか」
まったくその通り、自分たちは中央(東京)へ近いつもりが「ゲッー、超ド田舎者!」
まあでも、それも笑って聞けるシアワセ。こうなったからには、徹底的にオキャーヤマ弁を極める?!!
そこで最後の例題:
東京山手線の列車の中、突如、叫ばれる「ケーココケーケー!!」
列車に乗っていた子どもが「ニワトリさんなの?」
他にもローマ字で表される岡山弁「OKD」「CBD」「ATUTT」など。
(答えはこの下に)
「もー、こけー、ひれー(披露)するにゃーもってーねー(もったいない)でー」
以上、岡山弁を残そう!!!!!!!!!!でした。
(取材・写真 三宅優)
<答え>
「東京山手線列車に乗りこんだ岡山の若者カップル。開いた席を男が見つけ、彼女を呼ぶ
”恵子ここへ来い!”(ケーココケーケー!)」
「OKD」(オーケーデー)すなわち、「大きいよー」(おーけーでー)
「CBD」(シービーデー)「しびぃーでぇー」(渋いよー)
「ATUTT」(エーテーユーテーテー)「合いたいと言うといて」(エーテーユーテーテー)
1月21日、建部小学校の工作室はにぎやかです。旭川の支流に源流の碑を田地子川に建立しようとの運動に建部小学校も参加しています。
岡山県下の市町村を「川の清流を守ろう、旭川をきれいに!」などのスローガンをかかげ、リヤカーを引き半年間かけて歩く活動。
今日は、のぼり旗の作成、碑の文字入れなどを行いました。思い思いの気持ちを絵や文字で表現、ネットワークのボランティアの皆さんの指導を受けながら、自分たちが書いた碑文の文字をノミで彫る作業などを5、6年生で行いました。
県北の蒜山高原から瀬戸内の海まで流れている一級河川「旭川」をきれいにすることをアピールしている「旭川流域ネットワーク」は、
平成15年から旭川流域の支流の各地に源流の碑を建立。各地域の人々と連携しながら私たちの川の環境を守る活動をしています。
今年の計画は。3月はじめに建部町を出発し、下流域の岡山市内をまわり、県北の市町村をリヤカーで半年間かけて岡山県下をめぐり、
予定では11月に建部の田地子地区に建立予定です。
この活動は賛同した一人ひとりのボランテイァが、自分ができることで参加しようと集っています。リヤカーを引っぱる役、情報を広める参加、参加もいろいろできます。
地域を守る地道な活動がここにもあります。
(取材・写真 勝部 公平)
今週、日曜日、「建部小学校森の学校」で小鳥の巣箱づくりを開催、参加家族で10個の巣箱を作りました。
前もって準備してあった杉板のキットを前に、釘打ちのやり方、板が安定する方法などを家族で相談しながらスタート。
釘を打つ人、支える人、この作業を通じて家族の協力の絆が強まっているなと感じました。
次は、小鳥の止まり木をつくります。里山の桜の枝で、小鳥の止まっている姿を想像しながら切り出し、釘で打ち込んでいきます。
完成間近になると、子供たちの釘打ちの技術も高まり、1個、2個と数を重ねるたび上手になり、大人がびっくりするほどトントントンと
軽快な釘打ちの音が聞こえてくるようになりました。
休憩時間は、マシュマロをこんがり焼いて温かいうちにシロップやチョコレートをつけて食べるスイーツタイム。
こんな楽しい体験が好奇心と成長を促すのだと確信しました。
(取材・写真 勝部 公平)
朝から建部小学校の子供たちが、そわそわしています。楽しい授業が待っているからです。
1、2年生は「昔遊びをしよう」地域の昔遊び名人による学校ボランティアの皆さんが25名近く集まり、一緒に遊んでいます。
遊びは、メンコ・あやとり・お手玉・羽子板・けん玉・コマ回し・竹馬・竹トンボ・ぽっくりなど、
地域のおじいちゃん、おばあちゃんに遊びのコツなどを教わりながら体験していきます。
子供たちは最初はぎこちなく、なかなか思うようにいかなく戸惑っていましたが、名人の指導力とコツをつかむ感性の高い建部っ子が相まって、
次から次へとものにしていき。自信に満ちた笑顔があちこちで見受けられました。
4年生は昨年学校の畑で収穫した大豆で味噌づくり体験をし、今日は地域の野菜や「菱川さんの揚げ」や「豆腐」を入れた味噌汁を作り、
この寒さを吹き飛ばそうとフウフウ言いながら楽しんでいました。
3年生は七輪に炭を入れ、火起こしをしがら、金網を敷いてお餅を焼いて楽しむ。
これも家庭では電気やガスの生活でなかなか炭などは手にすることができない社会になりましたが、
道具を使ったり、火おこしなどの体験をしたりすることの大切さが感じられる課外学習でした。
(取材・写真 勝部 公平)
ついこの頃のことで、ご存じの方も多いかと。鹿児島県の宇宙空間観測所から打ち上げられた固体ロケット「イプシロン」今回は人工で流れ星を生み出す計画が成されている。
中国も月の裏側に到着した、俄然、注目を浴びる宇宙。
そんな夢の広がる話題を受けてか、「めだかの学校」主催の「夜の水族館見学・冬の天体観測」には早くからの申し込みがあり、8家族20名、定員いっぱいの参加者が
19日土曜の夕刻に集まった。まずは、能登館長による「水族館の魚」のお話し。夜行性のウナギ、ナマズ、ギギなどの特長や特性について学ぶ。
建部町から唯一、参加された佐藤さんご家族。
「学校のチラシを見て来ました、子どもが魚とか大好きなので。近いのですが、意外と来たことがなくて、ちょうどいい機会だと思って」
そう、結構、町の人で、中まで入館したことのない方って多い。まあ、いつだって行けるというのもある。
時刻は5時、まだ夕日がサンサン、この間に「今日こんなのが観えたらいいなあ」の天体の話。講師は久富先生と藤井先生。
「プレアデス星団の中にあるスバルは5~7個の星が青白い光を放って観えるよ。距離は約400光年、1光年は光が1年掛けて到着する距離、
だから400光年は1600年代に発せられた光を今、観てるわけだよ」
中々に専門的で、大人も「フーム・・・」。でも子どもは、先生から時折投げかけられる質問に「ハイ」と手を上げ「〇○だと思います」
(先生)「スバラシイ、大正解!」
藤井先生からは「ナマズは夜行性だと言われましたが、私が、めだかの館長をしている時に、一度だけ”バシャバシャ”と跳ねたことがあります。
それは阪神大震災の前日でした」と人知を超えた、生命の持つ不思議なエピソードが語られた。
午後6時、そろそろ外は暗く・・・?いえいえ、今日は13夜、お月様がまばゆいばかり。
望遠鏡に映るのは、ハッキリとした凸凹のクレーター。その横に広がるはずの星々はわずかに点々。
やっと、先生に教えてもらって、何となくうっすらと、観えたのは「プレアデス星団スバル」
でも、ビルの光溢れる街中では決して叶わない、自然に囲まれた建部だからこその、この夜空。
市内中心部から来た参加者にも、そのことがしっかりと伝わったようだ。
「将来は天体博士にならなくても、環境博士になって下さい」藤井先生から子どもたちへメッセージ。
(取材・写真 三宅 優)
燃え盛る炎の向こうに張られた白いテントの下、ずらっと囲んだ女性陣。もう、さっきから話が止まらない。
「まあ、そーなの、うちなんかもねえー」
「うん、そう、そうなのよ、なーんにもしたくなくて・・・」
特別養護老人ホーム「旭水荘」駐車場に設営された「とんど焼き」会場。朝10時には、近隣のお年寄りがテクテクと歩いてやってきた。
手には正月のお飾りや古いお札、ドラム缶ストーブがバチバチと音を立てる。
記者を見つけたご婦人、「三宅さん、こっちにこられえー、いっしょに、ぜんざい頂きましょうよ」
火で焼かれたお餅入りぜんざいをすすりながらお話を聞く。
「この間ねえ、ここの入所者のおじいさんが誕生日で、ホームの人が何がして欲しいですかって聞いたのよ、そしたら、スシローで食べたいって。
それで連れてってあげたんだって。もーう、こんな施設、他にないでしょう。じゃから私は、最後はここに入ろうと決めてるのよ」
隣のグループの声も聞こえてきた。
「前の晩、お風呂の外で動けなかったの、私はなあ、義母(はは)の世話をしてないからなあ、嫁にもしてくれえ言えんが、もう自分で自分のことは面倒見るしかねえと思って・・・」
フン、フンとしきりに頷く人たち。
一人、離れて座る女性。「用事でたまたまここに来たんです、街中で火にあたるなんて味わえないですから、良い厄よけになりました。お年寄りが元気なのでびっくりしました」
田舎だからできること、たき火しながらのおしゃべり、それも、昔っからの人たち同志で。
さあ、煙にあたったことだし、そろそろ昼飯の用意でもするか、ねえ?ご婦人たち・・・。
(取材・写真 三宅 優)
この日は、どこも新年の始まりの行事が重なったようで、今年、地方議員選挙を控える議員さんたちも分刻みのスケジュールで各集会所を回る。
「
里山建部」の新年会場もその一つ。
今年で10周年を迎える当会には、山をきれいにしようと立ち上がった強者たちが顔を並べた。会長の重本さんが振返る。
「いや、ほんとに、10年よくやって来れました。それも藤原元会長のお力あってだと思います。この事業は人の力だけではかなわない、藤原さんが重機を使いこなして先頭に立って進めてくれた、そのことが本当に大きい」
当の藤原さん「そーんな、ことはありません」と首を横に振る。
メンバーらも控えめだ。「いや、僕はなーんにもしとりません、ただ、みんなに迷惑をかけんようにしてきただけです」
こんな仲間たち、気心が知れ、好きだから参加しているのが顔に出ている。
メンバーの多様さもこの会の魅力だ。佐藤誠さん、防災のスペシャリストであり、庭瀬の「まちかど博物館」の企画に携わる。
「”まちかど”は、自分の家で自分が考えた企画をやるんです、自分に負担がないのがポイント、あと、この間の水害のことですがハッキリわかったことがあります。それは向こう三軒両隣、小さい防災組織をつくることが最も大切」
それぞれの持つ、個性、技能、才能を汲み取り、単に力仕事の一人にとどめないで、互いに学び合おうとする会の姿勢こそ、ここまで続いた理由の一つだろう。
酒も進み、メンバーが釣ってきた「イイダコのおでん」に舌鼓をうちながら、話は会のこれからへと広がる。
「今までは、山をきれいにする活動が中心だったけど、これからは、マキ割り、炭焼き、植樹、シイタケ菌打ち、
こういった体験を通して、多くの人に使ってもらう活動をもう一つ加えたらどうか」
「そのためには、好きな人に集まってもらい、新組織で動かすのがいいのでは」
話は尽きない、今年もこうしてワイワイとスタートを切った「里山建部」、まだまだ進行中!
(取材・写真 三宅 優)
広い、明るい、あか抜けてる・・・(;'∀')。東京から越して来たって言ったって9年も昔、なかなか建部から出かけることのない身としては、
久しぶりのショッピングセンター。そんな一角に「我らが自慢の店が一堂に?」
こりゃあ「たけべ新聞」グルメレポーターとしては何としても行かなくっちゃ、激励取材じゃ!
さっそく松下りえ記者とトーコちゃんマンを伴ない「エブリイ Okanaka」津高店に出向く、時間は正午。
エントランスに入るや、真っ赤な振袖が目に、「あっそうか、今日は成人式なんだ」
今や建部(特に福渡町内)では、ちょっとお目にかかれない光景に嬉しい気分。
では、建部の仲間が集う「TAKEBE Cafe」、2階フードコートへ。
今回の出店はケーキハウスキシモト・
サニーデイコーヒー・
建部ヨーグルト・
石窯ぱんやnico・
たけべジビエ研究所・
すぎ茶屋の6店。
おお、いました、いました、おなじみの面々。この時点で「おなかすいたねー」と話していた3人、どっと空腹感に襲われる。
すぐにジビ研の「イノシシホットドッグ」にかぶりつく。
「ぅ、う、ぅ、うまーい」お試しセットの2本を頂いた私は、これでやっと落ち着く。
「何々、建部ヨーグルトのソフトクリームのアフォガード?これが、下野社長自慢の新商品か」
りえちゃん、コメント「ス〇バより、だぜんオイシイ!」(ホウー)最後のシャリシャリ感がいいらしい。
サニーさんの「たけべミルクコーヒー」、ウンウン、これってミルク奮発しすぎ!
トーコちゃんマンはキシモトの「建部ロール桜はちみつがけ」これもお得で贅沢!
nicoさんの「柚子の酵素ジュース」もサッパリ感あり、「ひまわりパン」と「チーズベーグル」を朝食用にゲットして、あっ、そうそう、せっかくだから、お客さんの声を取材しておこう。
「建部のむヨーグルト白桃」を手にされているご婦人に「いかがですか、お味は?」
「とっても、おいしいですよ」
それを聞いて「そうでしょう、実は私が製造してるんです」と喉まで出かかったが、何とか抑え、その場を去ることにした(笑)。
「TAKEBE Cafe」バンザーイ!!
(取材・三宅美恵子 写真・松下りえ)
「きめたー、きめたー、おまえ~と道ずれにー」大ホールに朗々と響きわたる歌声。先日、開かれた旭水荘の「新春カラオケ大会」の一コマ。
利用者さんたちが、得意の喉を聞かそうと、待ちに待った晴れ舞台、会場には車イスのお年寄りたち50名以上が入場して熱気がムンムン。
出場者はステージに出ると、やや緊張気味に曲の出だしを待つ。そして、♪~♪~♪と流れると、車イスに乗った右足がいつのまにかリズムを取り始める。
「つめたーい 心じゃないんーだよー、いまでも―好ーきさ いつまでも」(うん、うん、とうなずく観客の姿)く
この会を指導されるのが普段からフラダンス、ピアノ、歌、またいくつものボランティアにと大活躍の
地元にお住いの土居川真澄さん。ご本人もかなりのご年配(失礼!)のはずだが、どうして、どうして。
この日も軽妙な司会で場内を沸かす。
(土居川)「今日はすばらしく良く、歌われましたねぇ」
(出場者)「ええ、まあ、まあです」
(土居川)「もう、来年は歌手デビューするんじゃないですか」(大爆笑)
そうして、ご自分でも一曲披露。
「♪千の風になってーあの大ーきな空を 吹き渡っています~」
その音量の豊かさに、施設のスタッフからも「すごいなー」の感嘆の声。
カラオケの後は、ここの所あちこちで引っ張りだこ?のフラダンスチーム9名「御津・建部ハワイアンズ」、
当新聞グルメレポーターも参加し、壇上には赤白黄色のドレスの花が満開に。
終りに「きれいじゃったろう?(笑)また、今度、衣装も新しくしてくるからな」と土居川さん。
それを受け「楽しみに、しとります!」と最前列のおじいさん。全員がつられて「ワハハー!」の閉幕となった。
(取材・写真 三宅優)
新年の初詣は建部町内の中田にあります龍淵寺に行ってきました。
檀家の皆さんが年末に竹を切り、灯篭のデザインを考え電動カッターや糸鋸などで星などのカットを入れて、丹精込めて作った竹灯籠。
今年は100本ほどの灯篭をつくり、昨年のものと合わせて150本を参道や境内のあちこちに配置、お参りにきた人々を和ませてくれました。
この催し、5年ほど前からお寺さんと檀家の皆さんで相談、大晦日と元旦の年初めのおもてなしを明るくお迎えしようと始まりました。
檀家の大工さんが指導者になり、有志がコツコツと手作りで作成、取り付けています。
当日は、お寺さんが提供してくれた和ロウソクを灯し、そのロウソクの炎が揺れ動くさまは、新しい年を迎える最高のおもてなしになっていました。
若い人の参加も増え、岡山のイルミネーションとは一味違って、温もりのある日本的な飾りに感動を覚えました。
みんなの知恵と汗とがあれば何でもで<きるものですね。
(取材・写真 勝部公平)
「あけましておめでとうございます」
新年最初の読者の皆様へ「たけべ新聞」からのご年賀。
昨年、福渡八幡神社の大掃除の模様をお伝えしたが、その、きれいになったお宮さまの歳旦祭。
総代8人(記者も)は新年の2時間前から、冷気、押し寄せる境内にてスタンバイ、初詣客を待つ。
0時、下の大鳥居のある方から、かすかな人の気配。一番乗りは、お年寄りのご夫婦。
「ハァー、やっと石段をのぼって来たのよ、もうなあ、上がれんかと思うたけど、どーにか」
「ああ、ごくろうさまです、お餅とお神酒を頂いてください。今日はサニーデイコーヒーも用意していますよ」
次々と本殿前に息を切らした参拝客、「どうぞ、どうぞ、こちらでゆっくりしてください」
境内中央に置かれたドラム缶ストーブからは勢いよく火の粉が飛跳ねる。
午前1時過ぎから神事開始。石油ストーブ3台はほとんど役立たず、戸が開け放れた本殿内に座る事30分。
「フー、こりゃあ、苦行じゃなあ」この後は、つわもの共の徹夜組みにお任せ。
再度、境内にお勤めに上がった時には朝日も昇り、新しい年を迎えるにふさわしい雰囲気が木立の間から溢れていた。
顔見知りの方が、一人、二人、三人「ああ、本年もよろしくねー」「ええ、ええ、こちらこそ」
初めての顔もあちこち「○○さんの、お子さんたちよ」
「ああ、はじめまして、お父さんにはいつもお世話になっております」
今年、振舞いのコーヒーを献納してくださった「サニーデイコーヒー」さん家族もやって来た。
当神社、松尾泰寿 副総代長18番、ダジャレが爆発。
「二人で飲んでも、サンニー(三人)でコーヒー、言うんじゃ!」(くく、苦しいー)
三船さん家族、赤木さん家族、難波さん家族、松下さん家族、岸さん家族、大橋さん家族、佐藤さん家族、田渕さん、窪藪さん、竹中さん、川島さん、寺門さん、井手さん、入野さん、福村さん、谷川さん、河本さん、橋本さん、大藤さん・・・、地域のみんなと交わした「あけましておめでとう」
本年もよろしく、おねがい致します。
(取材。写真 三宅 優)