■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
昨年に建部中学で行われた中2の生徒らと地元の大人、そして町外からの大学生を交えて、これからの夢や希望について語り合う”だっぴ”という授業。その後の展開については度々、伝えてきた。今回の「たけべ人」は、主催者であるNPO法人~だっぴ~で、中心的メンバーとして活躍する小野田春花さんに登場願った。
(取材・写真 三宅優 写真・今田龍希)
(プロフィール)
小野田 春花(はるか)
平成7年、岡山市に生まれる(23歳)
岡山赤十字看護専門学校を卒業後、
看護師として勤務。社会人3年生。
昨年はアフリカ、ブルキナファソを視察。
幅広い視野に立った活動を目指す。
ユニセフスタッフ、だっぴメンバー
しゃぼんだま部 部長。
大の建部ファンでもある。
先月、公民館で開かれた「たけべ部」部会については、当新聞にてレポートをしたが、当日、ゲストの小野田春花(おのはる)さんが中学生に語った話を先に紹介させていただく。
(おのはる)「はじめに、”私としごと”について話します。
私は看護師の仕事をしています。それで、お金を稼いでいるわけです。でもそれが、私のすべてではないって、いつも自分に言い聞かせていました。それで思ったんです。
”仕事”って”仕えること”って書くでしょう?だから、辛いんじゃないかって。で、”仕事”を”私事(わたくしごと)”って当てたら、パッて、ひらけたんです。
私は一つの役割が看護師であって、他にもユニセフスタッフだったり、
シャボンダマ部、部長(笑)でもあって、たけべファンでもある。これらすべての役割が自分の”しごと”なんだって。
だから、いつか仕事についた時、”わたくしごと”って書いてみて?きっと楽になるよー」
「”私と幸せ”について。”幸せ”って、皆、どんな時が幸せ?
私も”幸せって何だろうって、ずっと考えたことがあって。でもいつの頃からか、
小さな幸せを積み上げて、”幸せ”ってなるんじゃないかって。外国とかに行って、そこが自分に近くなると、”幸せー”、自分が一人じゃないと
感じた時なんか”幸せ”って。
そうやって、考えてみると、私にとっての”幸せ”って、”つながり”が、私を幸せにしているんだなあって、思います」
「”私とたけべ”では、昨年、アフリカのブルキナファソって国に看護師として行ったんです。そこで、海外に行っても、やることは地域のことであって
結局、どこでも、地域でのつながりが大事だと分かりました。そこから帰って、たけべと出会っあたんです。
建中の”だっぴ”の授業に参加して、みんな、仲が良くって、地域の人も、”ここに住んでるぞー”と思ってるんだなって分って、たけべファンになりました。
それからは、お母さんとかと温泉に来たり、近くのお店とかに食べに行ったりして、益々、たけべとのつながりが強くなっています(笑)」
この後、おのはるさんの問いかけから、思わぬ展開に!!!次にそれを紹介
(おのはる)「ねえ、みんなが今、たけべでやりたいこと、こんなのがあったらいいのにとかって、ない?」
(生徒)「うーん・・・私、たけべにプリ機があったら、いいと思う!(大人たちΣ(゚Д゚))だって、たけべってなんにも、
楽しいモノってないじゃん、プリ機があったら、友だちなんかと皆で、喜んで行くと思う」
(おのはる)「ヒェー、それって、超、面白い!では、それが実現するためには、どうしたらいいかを皆で考えるってどうかな?」
(生徒たち)「いいよー」
こうして始まった、プリ機設置計画、その進展はこれから随時報告するとして、おのはるさんにあらためて質問。
「いくつかお聞きしたいのですが、まず”だっぴ”で中学生と関わろうと思ったのは、どんなことからですか」
「自分のことで考えると、中学生の頃って、つまらないことで悩んでいることってあるじゃないですか。進路一つとっても、狭い範囲でしか考えられなくて、
自分は何もできないんじゃないかとか。
でも、高校、大学とかになると、考えが拡がって、そんなことどうでもよかったんだって思えるんです。
だから中学生のあの時に、それがわかっていたらどんなに楽だったろう。それで大人とか、色んな人と話す機会を与えてあげられたらなーって」
「おのはるさんが、看護師になろうとしたのは何がきっかけ?」
「小2の時、弟が生まれて、その立ち合い出産をしたんです。すごいなあーと感動して、この職業を受け継ぎたいなーって思って、その時からです」
「アフリカに行かれて、地域のつながりを再認識したと言われましたが、その辺をもう少し、教えてください」
「私、もともと国際医療に興味を持っていたのですが、今回、ブルキナファソに行って、どこであれ、やることは同じだと分かりました。
たとえば、トイレを置きましょうと言って、でも国の中にトイレがないわけで、必要と思ってないわけです。だから、地域の中で、衛生についてや子どもの病気の原因となることなどを、分ってもらうことから始めるわけです。
これって結局、人と人とが理解し合うことで、それは、どこへ行っても、やるべきことは同じ、たけべでもそうなんだと思いました」
「これから建部と、どのような関りを持ちたいですか」
「そもそも、”だっぴ”に参加してた、生徒と大人の人たちの姿がいいなあーっていうのが始まりで、
今後のたけべについて考えるのも、一緒に考えたいなって思ったんです。
そしたら今回、たけべ部のゲストで呼ばれて、
大人として、どこまでやれるかわからないけど、でも、やってみたいなぁって思っています」
「ありがとうございました」
(記者感想)
プリ機が欲しいと言われた時は、さすがに記者も???、別な大人だったら、何をバカげたことをと一笑しただろう。
しかし、おのはるさんたちの反応は違った。
えっ、面白い!と興味津々で、次に、それはでも、なぜ?って聞く。それから、生徒たちの”プリ機”の奥にひそむ思いを、少しづつ引き出して行く。
記者も、その先にある「たけべをもっと、魅力的にしたいから」という願いが伝わった時、思わず「うまいなぁー」と感心せざるを得なかった。
祭りが明けた朝、張りつめた気持が解き放たれたような浮遊感、まだ太鼓や笛の音が耳奥で鳴る。
当初は神楽が危ぶまれ、みこしの担ぎ手も心配された福渡八幡神社の秋祭り、
しかし100名からの人が参集し、歩き、担ぎ、舞い、叩いた。
神様を御乗せした、みこしが町中をねり歩き、家の先々では家族や近所の人が外に出てお迎えをする。
「よかったなあー、ええお祭りになって」
「みんな、元気に担(かつ)ぎょうるなあ」
「久々じゃで、太鼓の音を聞くのは、ええもんじゃ」
それぞれに、祭りを迎えられたことの嬉しさを口にする。
施設の広場では、ずらっと並んだ車イス。お年寄りが一行の訪れを待ちわびる。
白張に身を固めた輿守たちが挙げる「ワッショイ、ワッショイ」、子供神輿も負けじと「ワッショイ、ワッショイ」
小学生が2人が獅子を舞う、その小さな獅子に、手を合わせ、顔をほころばせ、見続けるお年寄りたち。
「ああ、本当に生きててよかったわぁ」とおじいさん。
別の施設では、屋上のフェンスの向こうにも、多くの利用者さんの顔、顔(^_-)-☆。そして、終わって、
「おーい、ありがとー」の叫び声。
年々、さびれ行く秋祭り、しかし、こんなに待ち受ける人がいる、わずかな数ではあるが目を輝かせ、神輿をかつぐ子どもたちがいる。
そして、久しぶりに見た、たくましい父親の姿と神楽舞う若者たちのエネルギー。
それと何よりも、町民一体となって成し終えたという自負。
「福渡、まだまだ、あきらめてはいられない」
(取材・三宅 優 写真・地域おこし協力隊、高橋律子)
夜、福渡の町に祭りの太鼓と笛、鐘の音が聞こえはじめた。
一時は、今季の神楽は中止と案内が回された。しかし、子供たちの中に神楽をやりたいという子が出てきた。
「それなら、鐘と太鼓だけでもやってみるか、笛はとりあえず音が出せる程度に・・・」
今月半ば、新しく神楽代表を引き受けた松下泰成さんが中心となって練習が始まった。
子ども8人、指導に若い人2人も来てくれた。
「鐘は太鼓の音を聞いて合わせるんだよ」
「笛は指を見て覚えなさい」
「よし、では、ちょっとそれに合わせて、舞ってみるよ」
真剣に動きを追う一人の男の子、「君は踊りたいのか?」
「ハイッ」
大人と子ども、一体となっての神楽の練習が動き出した。
練習5回目、子どもの数は11名、内、獅子を舞う子が2人。それに笛を受け持つ、若い女性3人も加わって大人の数も7名に。
「はい、今から練習を始めます!」(大人)
「よろしく、お願いしまーす!」(子どもたち)
「ドドドド、ドーン」太鼓の連打、緊張感が流れる。
「トントコ、トントン、トントコトン・・・」
「手が低い、肩より上に!」
「わかりました!」
わずか、10日ほどで見違えるほど成長した子どもたち。
松下代表が聞く、「どう、やってみる?いっぱいはできないけど、どこかで?」
嬉しそうに「ウン!」とうなずく。
今日、練習最終、懸命の祭りばやしが夜の福渡に鳴り渡る。
・・・祭りまであと2日(10月28日)
(取材・写真 三宅 優)
いつも、「ハイ、口を大きく開けてみてください」と言われるたび、恥ずかしいなあー。
そして、「ううーん、そうとう、汚れがついてますねえ」でトホホ。歯医者さんでの毎度のやりとり。
恒例となっている旭水荘の公開講座、今日は私も掛かりつけの杉山歯科医院、杉山院長先生のお話し。
題して「口から支える健康寿命延伸」。
定員いっぱいに集まった聴講者は、ほとんどは女性で健康への関心と学習意欲の旺盛さにいつもながら感心させられる。
先生まずは、平均寿命と健康寿命の違いについて「平均寿命は女性87歳、男性81歳。しかし健康上の問題がなく生活を送る人の平均は女性74歳、男性72歳です」
なるほど、長寿大国といっても、手放しで喜べない。
「ピンピンコロリが理想で、ネンネンコロリは避けたいと言われる所以です(笑)」
では、年とっても健康でいるための「全身状態と口腔の関係」のお話し。
➀「加齢」②「糖尿病」⓷「心疾患」④「脳血管障害」これらの諸症状を招く要因、または招かない対策として
口腔ケアがきわめて重要。
高齢者の一番の関心である「食事」、しっかり自分の口で食べるために、日頃の歯磨き、口腔内のすすぎ、口の運動が大切となる。
舌と唇の運動には「パタカラ体操」(パ・タ・カ・ラ、と発声するだけで効果がある)
驚いたのは、歳をとると誤嚥(誤って飲み込んで食べものが器官に入る)が起こりやすくなり、
それが原因で肺炎になることが増えている点(死亡原因の3位に浮上)。
飲み込みやすい「あんかけ」料理は良いらしい。
ここで新しい言葉、「フレイル」について。フレイルとは、健康である時と要介護の中間点の意味で、
ちゃんとケアすれば健康に戻る状況。
そこで、口の中もケアをきちっとすることで、オーラルフレイルを防ぐことができるとの結論。
(記者感想)
いやあ、口の中の健康が体のすべての健康につながっているとは、想像していなかった。
毎日当たり前に食事してきたが、それがいかに幸せなことか、後期高齢を目前に、歯磨きを怠らないよう胆に命じた。
(取材・写真 三宅優)
昨年に始まりました小さお祭りが、今月18日に開催されました。
岡山市の北に位置します建部町、その最北にある旧鶴田村和田南大蔵にひっそりと鎮座してます小さなお社、地域で「てんのうさま」と呼ばれています。
このお社や墓所を守ってきたのが大倉の皆様です。現在「大蔵平家保存会」会長の大倉卓雄さんを中心とする、ゆかりの人々による本格的なルーツ探しが始まったのは、一昨年の大倉本家の法要で古いお位牌と系図が発見されてからとのこと。
あちこちの有識者などにもお願いして解読しましたら、なんと日本の歴史の一ページに登場する人物だったことが判明。
位牌の主「白雲公判官佐行」は、当時横暴を極めていた平清盛を成敗せよとの、後白河法皇の命で謀議に加わった鹿ケ谷事件における、
平家物語に登場する平資行のこと。
判官とは皇室を警護し裁判も司っていた検非違使であることがわかり、戦いに敗れてこの鶴田の和田南の地に流罪となり住み始めたことがわかってきたというわけです。
それからこの「てんのうさま」と言われるお社からは、佐行(資行)・後白河法皇・戦の神、八幡様を祭っていたことが解明され、今日の日の祭り復活となったわけです。郷土や自分たちの歴史ロマン、いいですね!
(取材・写真 勝部公平)
今年の里山活動は天候不順のため、お天気の合間をぬって活動。8月から建設予定地の整備、資材の準備などを経て、今月月16日から18日の3日間で建てまえにこぎつけた「森の育て親」の面々。
入れ替わり交代しながら、基礎の配置、柱の建立、梁や軒板の取り付け、最後は屋根ふき。
本当によくやりました、建物をつくる大工仕事っていいですね。
一人ひとりが自分でできること得意なことを、みんなが気持ちを共有しながら、一つひとつ完成に向けて行動する。
汗をかいた後のコーヒータイムではワイワイガヤガヤ、こうしたプロセスが自己実現に結びついて達成感が味わえる一コマです。
新しいマキ小屋は、これから薪ストーブ用のマキを保管・乾燥して、薪ストーブ愛好家に提供していこうとの試み、里山会員の夢が一つ加わりました。
(取材・写真 勝部公平)
今日、福渡駅に一人の外国人が降り立った。
名前はカイル・カード。カナダ人。
彼、駅舎を出るや「Oh!Nobody here!」(おお!誰もいない!)と、つぶやく。
そうして前の商店街を歩き始めるが、やはり、誰もいない。
やがて店の中から一人のお客(実は記者)が現われ、バッタリ。
(カイル)「この町で初めて、人と出会いました」
(記者)「おお、ユウ アー ラッキー」(あなたは運がいいと、精一杯の英語(;'∀')
それからカイル、この町のことを記者にあれこれ(流暢な日本語で)質問。
近くを流れる旭川に興味を持ち、「今から、川を観に行ってきます!」と、再び歩きはじめる。
この展開、実はNHKテレビの国際放送向け番組の録画シーン。
旅人カイルが電車に乗り四国から岡山、鳥取へと向かい、途中でぶらりと小さな駅に立ち寄るというシナリオ。
今回は幸運にも津山線の当、福渡駅が選ばれた、と言っても何もない。10日後なら八幡神社のお祭りなのに・・・。
いや、そんなことはない、福渡には、いつだって、どこの家からも眺められる旭川がある。
カイル、川に行き、まず目にしたのは、木舟に乗る二人の男(漁協会長の岡田さんと友人)。
「なに、やってますかー」とカイル。
「カワガニを獲っとるんじゃあー」(岡田さん)
そこで、岸に戻って来たところで獲物を見せてもらう。いた、いた、モズクガニ。
それからカイルが、興味津々に聞く「この町の川と人との生活」。
今や海外に住む日本人は133万人。その人たちが、この情景をどう受け止めてくれるのか、
まさに興味津々。続きは、来年1月5日からのNHK国際放送(インターネットで可)まで、待つとしよう。
(取材・写真 三宅優 写真・建部町公民館 入野曜子)
建部上に鎮座する七社八幡宮、ここをめざして神輿たちがやって来た。境内には昔懐かしい、リンゴ飴、イカ焼き、お面の屋台。(欲しかったなぁ、月光仮面)
獅子の舞う御神幸には、大人と子どもが笛や鐘、太鼓を鳴らしてお供する。
鳥居の下を地面すれすれに神輿が通過、比較的ゆるやかな石段を登る。しかし、この後が難所。社殿の広場をねり歩き、そのまま一気に坂の上の仮屋まで駆け上がり安置する。
すでに、相当、体力を使っている輿守たち。何とかここで踏ん張って、最後の力を見せなくては。
「よーし、行くでー」走り出す白張連。
が、途中でズルズルと後退。
「ダメじゃダメ!もういっぺんじゃ」方向を変えて、再び。
「よっしゃ、ほんまに行くでぇー」
「オリャー!」一気に坂を駆け上がった。
無事、すべての神輿が収められ、神主がそろっての詔(みことのり)。
晴れ渡った空に、赤青八つの社名旗がなびく。
「中田魁組」の獅子が舞いだした。
右っ、左っ、見事な足の動きで、地を這い、大地を蹴って舞が行く。
境内を埋め尽くす人、人、人。その数、数千人。手に手に、カメラ(超プロ級からデジカメ、スマホまで)
をかざして、この演技を夢中で納める。
じいさんが太鼓を叩き、父親が笛を吹く。娘が鐘を鳴らして、息子が獅子の後を取る、一家総出の神楽連。
われらが、とっくに無くした”家族の絆”。それを見たのはきっと、記者だけではないはず。
(取材・写真 三宅 優)
秋っ晴れだ。キリンとトラ君も空を見上げて、「こりゃあ、今日は、わしらにゃあ、ちょっと暑いなあ」と二の足?
2年ぶりに晴れて、開催となった「ふくわたり。ふれあい・ふくし祭り(ふふふ祭り)」
午前10時には、町内の人や、近隣の施設にいるお年寄りが、ぞくぞくやって来た。
「やっぱ、このお祭りは、おいしいもんが安うて、知った人も大勢来るけんなあ」
そう言うおじいさん、「うどん」(150円)の次は「炊込みおこわ」(200円)。
どれも朝早くから、地元ボランティアが手作りで用意。
福渡町内会も18番「タコ焼き」(300円)をフル回転、男女総勢10数名が汗だくで当たる。
オープニングのはっぽね太鼓、「オカリナ野の花」と特設ステージが続く中、ふれあい屋台を一巡り。
ひときわ、子どもの集まるテント。「岡山建部医療福祉専門学校」の学生による「キッズコーナー」。
魚とりと輪投げをして遊ぶ子供たちと学生さん。この町で、ついぞ見かけなくなった光景に、少し希望がわいて来る。
「岸お好み焼き屋」さんの牛スジ焼きそば(300円)のいい匂い。ママゴト屋さんも久しぶりの「肉まん」(250円)は超ボリュームアップして登場!ぜんざい(100円)、焼き鳥(1本50円)、焼いも(100円)と、これ、一通り食べると、かなり満腹に。
公民館1階では、各施設の活動パネルと福小児童が描いた「ふふふ祭り」ポスターを展示。
ユーモアあふれる作品につい見とれてるうちに、記者も出場する「ピリカフラワーズ」によるフラダンスの時間。
あいかわらず、体が曲についていけず、ヨロヨロ。それでも惜しみない拍手に感謝!
この後、本日のスペシャルゲストによるミニコンサート。
地元ジャズボーカリスト、遠藤マリさんと、ジャズギターリスト、古川靖久さんによるセッション。
歌と演奏の素晴らしさは言うまでもなく、軽妙なおしゃべりでステージをつなげるマリさんに、
観客も時の経つのを忘れていた。
いつも午後になると、食べるものも食べたしと、帰リ始める人で会場は閑散とするのだが、今日は逆に人が増えてきた。
専門学校の生徒さんたちが連れだって来てくれたのだ。
こうなりゃあ、勢いづいてみんなで盆踊りだ。でも、だれも「建部音頭」なんて踊れない・・・シーン。
入野のおばあちゃん、「わたしが、一つやってみるわ」
「なら、わたしも」「オレも」、気がつけば、学生さんから市議に県議に今日のゲストまで、全員参加だ盆踊り。
事務局の杉山ゆいさん、「ぜんぜん、だれも踊らないかと思ったのに、これが今日の一番の感動です」
続いては、福小児童のポスター優秀賞発表!
「ふふふ祭り」松尾 実行委員長より、吉岡新之助君に表彰の授与。
残るは「ビンゴ!」だけ。
「たけべおこし」平田会長が番号を読み上げる。
「最初に24番!」
「あったー!」(こども)
「違うでしょ、それは、2番と4番でしょ(笑)」(母親)
そのうち、会場内の人たち全員が、1枚のカードを手にジワリジワリと番号の呼ばれるステージへ。
こうして、「あったー!」の歓声と「いいなあー」のうらやむ声が飛びかう中、
今年の”幸福度ナンバーワン”祭りは閉幕へと近づいて行った。
(取材・写真 三宅優)
朝、8時。ほうきにバケツ、ちりとり、ぞうきんを持った若者たちが建部駅に集合。「え?もしかして」
そう、毎日、建部駅を利用する人が「もう汚くて、どうにかしてほしい」と行き帰りのたびに感じている現状に、
建中、たけべ部の生徒たちが、私たちできれいにしようと立ち上がった。
そもそもの発端は、今月の「たけべ人」にも紹介している、建中「たけべ部」の生徒たちの”プリ機(プリクラの機械)を建部に置こう”との提案から始まる。
それが、どうして建部駅クリーン作戦につながったのかは、いずれ皆さんにお伝えする機会があると思うので、取りあえずは今日の報告。
記者も1年ぶりくらいに訪れた建部駅。いや、ひどい、ひどすぎる。待合室の床からイス、窓ガラス、そして天井に、虫の糞、クモの巣、手のひらサイズの蛾の死骸。ここに降り立った乗客は、息を止め、すばやくこの空間から抜け出るしかない。座ることはおろか、身体を近づけるのも引いてしまう。
「いやあ、地元の人は誰もきれいにしないんだよ」と近所の方のお話し。そう言えば、この手の話は福渡駅でも聞く、そのほかの公共的な施設についても聞く。
「だれも、気づいても、何にもせんのじゃ」と。しかし、それだけ嘆くのだったら、自分たちでやればいいのに・・・。
たけべ部の生徒たちは、そんな大人を見習わない、即、行動。これに、~だっぴ~メンバーのハナちゃん、おのはるさん、地域おこし協力隊の今田家族、公民館の入野職員が加わった。
まずは、天井から。長ボウキでユーサ、ユサ。鼻の穴が詰まりそうなほどのホコリ。掲示板を動かし、年代物のゴミを搔き落とす。周囲に備え付けの木製のイスには困った。びっしりと白、黒のフンの跡。
「ちょっと、コメリに行って来ます」と出かけた生徒たち。戻って来ると袋にはサンドペーパー。
ゴシゴシこすり続けると、ベージュの木肌が見えてきた。「これだったら、座りたくなるよねえ」
外では、今田君がトイレ掃除。ちびっ子たちも、本の片づけ。全員の力で磨いた建部駅。
「明日、みんな、気づいてくれるかなあ」
気づくに決まってる、だって心の中では、誰もが自慢にしてる駅だもの。
(取材・写真 三宅 優)
西日本豪雨から90日、多くの被災者が不安な生活を余儀なくされている。ここ建部では命を無くすことも、家屋を失うことも免れた。
その建部町、福渡学区で今日防災キャンプが開かれた。
午前9時には、福小児童、保護者、先生、地域住民、関係者2百名ほどが参集。校庭には自衛隊車が待機し、この集会の緊迫感を高める。
初めに川口地区、町内会長から7月豪雨の対応について報告がなされた。
川口地区は5年前に「川口自主防災会」を発足、これまでに緊急事態を想定した対策が練られて来た。
今回、初めての対応を迫られたのだが、6日深夜から翌日の対応、そしてその後の、検証と反省までの流れを聞き、
やはり事前の準備の大切さを痛感させられた。
続いての岡山気象台の職員の方の説明では、「雨の日は少なくなってるが、50ミリ以上(滝のように降る)降る日は増えている。福渡アメダスの計測では、
7月5・6日の雨量が45ミリ以上を記録し、観測史上1位となった」と伝えられた。
そのあと、この度の西日本集中豪雨の災害現場に出向いた
自衛隊岡山地方協力本部の方のお話しがあった。
パワーポイントによる映像での活動報告には、人命救助を第一に行動する必死の隊員の姿が映されていた。
イベント締めくくりは、日本陸上自衛隊の救援装備を体験する。トラック1台を軽々持ち上げるエアージャッキ、一度に200人分の食事を賄える野外炊飯車など。子どもも大人も皆、運転席でピースサイン。
最後に、隊長さんのまとめの言葉。
「それでも、救援がすぐに行くことは不可能です。一番近くにいる人が助けるしかありません、そのために地域の連携をしっかりと作ってください」
(取材・写真 三宅優)
武者小路実篤の好きな言葉に「日々是好日、美しき哉」毎日毎日がいい日だから今を大切に生きよう!
こんな言葉がピッタリの宮地地区の「いきいきサロン」に今月1日におじゃましました。
朝10時、開会、でも30分前ぐらいから三々五々に集まって来る皆さん。毎月のようにお茶を飲みながらのおしゃべり、時々ゲストを招いて話題に耳を傾ける。
この日も、幹事さんが「時間になりましたので、これから交流会を開催します」とあいさつを終え、お茶菓子とコーヒーの提供が始まりました。
今回はなんと、記者(勝部)がゲストとして呼ばれました。
何か楽しみながら、脳に刺激になることをとの依頼でしたので、まずは、頭と手を使ったお題を。
「折り紙で大中小の3角形を。それと4角形、平行4辺形を作って、全部合わせて、大きな3角形にしてください」
これにはグループで「ああでもない、こうでもない」と一生懸命に手と頭をフル活用していました。
脳トレで若返ったあとは、記憶力に挑戦。
「70~80歳代の皆さんが、子供の頃にあって、現在、無くなっているものを、グループで話し合って、思い出してください」
そうしたら次から次、「連想ゲーム」さながらに出てきます(笑)。
「馬んが」「牛んが」「トウミ」「発動機」「水車」「くど」「パッチン」「めんこ」「お手玉」
「福渡まで、映画を観に行った」「大宮橋の少し上流の岩場は小岩と言って、岩の上から飛び込むのが一番の遊びじゃった」等々。
もうワイワイ、ガヤガヤ、あっという間に時間が経過。
決して物が豊かではない時代、皆んなが知恵を出しあって工夫しながら生活していた、そんな日々が脳裏に浮んでくる。
こんな子ども時代を夢中になって送っていたのですね。
そういえば記者も終業式のあと、川遊びに夢中になって通信簿を川に流してしまい、お目玉をくらったことを思い出しました。
(取材・写真 勝部公平)