■「新たけべの彩時季」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
今月は家業の石材店を継ぎながら、小中学生のバスケットチームの
指導に当たる岡本浩太郎さんです。
(プロフィール)
岡本 浩太郎(こうたろう)
1986年、建部町に生まれる(32歳)
岡山南高校にてバスケット部で活躍
卒業後、実家の岡本石材(有)に入社
仕事の傍ら、小中学生のバスケットチーム
「御津オールスター」のコーチを務める
8年前に私や三宅副編集長らとで立ち上げた「リバーサイドバザール」、残念ながら3年前に終了となったが、その活動メンバーの若手代表として参加してくれたのが、今回、登場の岡本浩太郎君。久しぶりに会い、若い頃のことや仕事について話を聞きレポート。
(取材・写真 勝部 公平 ・写真提供 岡本 浩太郎)
生粋のたけべっ子はたくましい!
建部中学校から岡山南高校に進学、即バスケット部に入部、岡山県ベスト16までいきました。
建部から岡山南高までは津山線で岡山駅、それからバスや自転車で市の南地域まで通い勉学、そして部活。若い時がハードな環境ほど人は育つのですね。
石屋も柔軟な対応が大切
卒業してからは、父親の浩実さんの後を継ぐべく岡本石材(有)に入社、一から仕事を教わる。
石の種類や墓のデザインばかりでなく、その後のフォロー、お客様とのつながりが一番大事とのこと。
これからの業界のことを真剣に考えている若者です。
現在、専務として営業と施工の実務責任者として東西奔走、お客様のニーズに答え、丁寧な対応が求められていると話されました。
葬祭業界も激動の時代
高齢化社会到来で、この業界の変化が激しいそうです。最近、多いのは「引き墓」と言う、遠くにお住まいの方が故郷に帰れないので、
墓を無くしてほしいとの依頼や、「寄せ墓」と言う、先祖の墓が複数あちこちに散らばっているのを一か所に集め、供養したいとの依頼、
また、自分の家の墓がわからないので探してくださいという申し出もあり、山の中に入ってあちこち探すこともあるそうです。
墓地の維持管理の依頼も多く、カタログに「お墓のお掃除代行いたします」と載せたら、評判になり現在20件ほどあるそうです。
年中きれいに管理してほしいという依頼や、年に一度、お盆にあわせての清掃依頼など、遠くは真庭市まで出張しているそうです。
こんな時代だからこそ大切なこと
自分の夢は、いかにお客様のニーズに答えられるか、お客様の心に寄り添えることができるかを追求していきたいとのこと。
地元の葬祭関係者の皆さんと一緒になって「終活セミナー」を開催できたらとの思いがあるそうです。
なぜ墓が必要か、いろいろな葬儀の形態について、故人に末永く寄り添うためには等々、後々までフォローができる石材店でありたいとの
強い思いが伺えました。そう言えば、岡本石材のカタログには葬祭についてのエンディングノートが記載されており、
墓石のご案内ばかりでなく、家族の不安に寄り添う姿勢も感じられました。
人生の生きがい、バスケット!
現在、御津・建部を中心とする「御津オールスター」のコーチとしてメンバー小学生30名のお世話をしているそうです。
岡山県大会ではいつも上位に食い込み、中国大会出場を果たしています。
そして、中学生チームを立ち上げ、岡山県バスケット連盟にも
クラブチームとしては初めて加盟し、岡山県下から団員が参加しています。
ちなみにチーム名はジェムストーン(原石)だそうで、磨けばきらりと光るそうです。
社会人になってからもバスケをやってみようと思ったのは、自分の会社の運営に役立つことがあるのではと考えたこと、
実際に、組織の運営や人の育て方など勉強になることが多々あるそうです。
少子化の時代、学校単位では限られたスポーツしかできない昨今、こんなクラブチームが多くできたら、子どもたちの夢も叶えられますよね。
「岡本石材(有)」
岡山市北区建部町中田540‐1
086-722-0033
(取材・写真 勝部公平)
今朝、記者宅は珍しく6時起き(普段は9時)。軽トラに1輪車、スコップ、アイスボックスを載せ出発。めざすは御津、国ケ原。
車は同じ町内の家から借りた。「国ケ原の農場が大変なんよ」「聞いたわ、そうなんじゃてなあ、車使ってええから、行ってあげて」
苦しんでる人がいれば、素直に同情し力を貸してくれる、そんな方がいるからこそ我らも、ここに住む。
集合は7時、陽は確実に熱帯日を感じさせている。無数に並ぶビニールハウス、どこだろう、まさか、これらすべて?いたるところが歪み、裂かれ、崩れている。
不安がよぎる、数人程度じゃ焼け石に水。
定刻に集まった20名ほどのボランティア。
農場主さんから、作業内容が伝えられる。
〇資材置き場に積み上げられた、水に浸かった腐葉土とパレットの撤去。
〇次に、倉庫の中の山積みの肥料を外に搬出。
〇3つ目は、水が引いたあと、ビニールハウスに残ったゴミの撤去。
〇4つ目は離れた所のトマト農場の掃除。
一斉に取りかかる。堆肥袋から落ちる汁を体にかけないよう、一袋ずつトラックに載せる。これは女性陣中心、軍手がすぐにドロドロになる。
しかし、若い女性らは、ひるむことなく、休むことなく。すべて取り除いて、地面が現われた時の感動。
倉庫の中に入る、蒸せるような熱気と肥料の臭いが迎える。黙々、ひたすらモクモク、いつかは終わる、その光景を思い浮かべる。
2m近く、泥水に浸かったラインがビニールハウスにくっきり残っていた。中はまるで、映画「戦場のピアニスト」で使われたコンピューターグラフィックの
廃墟シーン、大人の頭より上から、残留物が垂れ下がる。これも、モクモク、しかし、さすがに中は暑い、外が木陰に感じるくらい。
休憩タイムは子どもも大人も大喜び、ラーメン店「あがいやんせ」さんから「かき氷」の出前ボランティア。
この時点で、応援団は若い親子連れを中心に40名を遥かに超えていた。年長トップは、むろん記者(66歳)、2番目は妻(56歳)。
その2番目が「さあ、終わらすぞ!」と尻を上げる。ハウスから出たゴミを軽トラで運ぶ作業、繰り返し、くり返す。
軽トラ運転者は、ボランティアの中学生の担任の先生。みんなが声かけあって、やって来た。
昼、「まんまの杜」さんが作ってくれた、おにぎりとおかず、冷やし汁。「ううーん、生き返るー」
今回のボランテイアの呼びかけ人、「みやちゃん」もうれしそう。「みやちゃん」こと宮地大介さんは「NGOチームはるはる」のメンバーで、災害の翌日には西平島に泥かきに入ったという。仕事の休日を使ってボランティアに出かける、超、頼れる男!
ここシャッターチャンスは逃せない。
が、アレ?「カメラがなーい!」
これまで、記者と数々の名シーンを焼き付けてきたニコンデジカメ。
無駄とは分っても、心当たりをウロウロ・・・。
そんなわけで今日の模様、ボランティアで来た大塚愛ちゃんのガッツな働きも幻に。(ゴメン、イラストでがまんして!)
では、60名の共に汗した仲間たちよ、また会おう!
(取材・三宅 優 写真・松下りえ 写真提供・原田ますみ)
17日、開かれた、「建部町花火大会」緊急会議、その席上は重い空気に包まれていた。
比較的小規模の被害ですんだ建部町。来月11日に予定した花火大会を実施するかどうか。浸水被害のひどい隣の御津では中止が決まった。
委員の一人が発言した「まだ行方不明の方もいられて、この暑い中では、たくさんの人が復旧に汗を流してる。そのことを考えると、
私は花火をやる言う気にはとてもなれん」
この意見に対して、誰もがテーブルを見つめる。心情は皆同じだ、だからと言って、やめることが力になるのだろうか。
「やろう、やりましょう、われわれで、その日、一生懸命、義援金を集めて支援に代えて行きましょう」
委員長の提案に委員たちが意を決して頷いた。
今日の午前、御津、宇甘東コミュニティセンターに「がんばろう御津・建部連絡チーム」10名が集まった。
行政の手が届かない災害地に、ご飯の提供などを通じて復旧を支援しようとするもの。
顔ぶれは、地域協力隊の面々(あくまでも自主的な参加)と、ここに新しく越して来た人たち(記者を含め)だが、
なんとか、自分たちが関わるこの地を良くしたいと思いを一つに取り組んでいる。
その拠点となる場所が地元の地区長の協力で、このコミュニティセンターに決まった。
この復旧活動は長期戦となることがすでに予測されている。その段階ごとに課題は変わり、それに合わせた対応が求められる。
最大の懸念は被災者のメンタルケアにどれだけ手が差し伸べられるか。
その意味でも、ボランティアが見放さないというメッセージを送り続ける意味は大きい。
この21日、土曜日、午前中、御津、国が原の岡山県農商さんの復旧作業が行われる。
大勢の応援が必要だ。
町内から近いので、「それなら、自分もやれる」と言う人の、参加を乞う。
090-9209-4013(三宅まで)
(取材 三宅優)
建部上の山根、今福地区で起きた山崩れ。谷筋からの鉄砲水が下の住宅地を襲った。水に押し流された土砂は、ズルズルと民家のガレージ、床下、庭、側溝を埋め、まだ足りないと田や畑に溢れ出た。恐らく今回、建部で際立つ災害の一つと考えられる。
その復旧はすぐに始まり、道路の方は行政と自治会の人たちで通行可能までにしたが、民家に押し寄せた土砂は手つかず。この復旧作業が今日から始まった。
朝8時、40人を超える地区の人、ボランティアが集まりいっせいに作業に入った。敵は汲んでも、汲んでも尽きることない土砂水、そして、刻々と上がる気温。
本部テントには飲料水、氷、冷タオル等が用意されているが、次々、汗と変り、追加を求めにスーパーへ、。しかしそれでも
冷たい飲み物が底をつく。
30分やって10分休憩が、20分やって、そして10分に。それでも、集まった人たちは、あきらめる気配はない。
これだけの人がそろった時でないと、やれないことがあるからだ。
斎藤町内会長が申し訳なさそうに言う。「暑いので大変ですが、今日、できる限り、よろしくおねがいします」
遅れれば、また大雨が来るやもしれない、早くかたずけることが、次の被害を少なくする。
休憩、時刻は10時。「えー!、まだ、これだけしか時間がたってないの?」もう、十分に働いた気分。
そんな中、女性陣が配ってくれるありがたい補給の数々。お昼には手作りおにぎりも届いた。
地域が一体となって、この難関を乗り越えようとしている。
この数千倍の被害を受けた倉敷、真備のことを思えば、これくらいはどうということはない。
午後4時、全身、汗と泥にまみれ「もう、今日は、ここまでにしよう!」町内会長の一声で、
皆が、冷たいビールの待つ我が家へと向かうこととなった。まだ、明日もある!
おつかれさま!!
「代満(しろみて)」かつては日本全国に見られた田植えの終わった時期、苗の成長を願う祭り。農家の嫁は3日の間、実家に帰れる。
「そりゃあもう、うれしかったんよー」と、あるおばあちゃんは話していた。百姓のだれもがホッと一息つき、この後の夏、秋の農作業に向け、
鋭気を養う。
里山建部のメンバーも今日はそれぞれの仕事を一段落させ、久しぶりに酌み交わそうと集まった。まずは、古式宜しく榊の奉納から。
「みんな元気でいられますように・・・」地域おこし協力隊の今田君とチビっ子も願ってくれた。
よし、じゃあ、あとはタコを食べながら、積もる話に花を咲かせよう。
このタコを食べる習慣、一説には「タコのように、苗の根が地に吸い付いて張るように」との言い伝え。
今日の建部地方、湿度100%。タコを頬張る間も首筋からダラダラと汗。しかし、メンバーたちの意気は一向に下がる気配なし。
「私も80歳を超え、このあと何年やれるか・・・」長老の弱気な発言にも、「そんなことはない、あと20年は大丈夫!」と激が飛ぶ。
人生の後半で出会った仲間たち、互いを励まし、互いをいたわる。”里山を守る”は、”人のつながりを創る”ことだと実感した。
(取材・写真 三宅 優)
建部町公民館で開かれた市民協働事業、ほっと岡山・岡山市主催「かぞく防災講座」。
会場となったのは3階の和室。
「なんで和室なの?」参加者の一人”ハナちゃん”こと花房さんも、いぶかしげに入室。
正面では今日の講師、あんどう りすさんが、埋もれるばかりのグッズを拡げお待ちかね。
さあ、どんなお話が聞けるのだろう。聴講に来た人たちの顔ぶれはと言うと、若いママさん中心。いつもなら地域防災に関心の高い、お年寄りが圧倒的なのに。
まずは、グループに分れ自己紹介(?)自分が呼ばれたい名前(ニックネーム)と由来、子どもの頃の好きな遊びを言い合う。
「これって、避難所でもとっても有効なんです。呼んでもらいたい名前で呼び合うことで親しみがわく」互いに助け合う関係をつくることが大事。
りす先生の防災入門は、のっけから真髄へ。
「僕は”ヤっちゃん”です、ヤスオって言うので。カエルを獲ってよく遊んでいました」
「私、”ユキちゃんのおかあさん”ユキっていう犬を飼ってるから。おままごとが大好きだった」
「仕事は何ですか?」「はい、カメラマンです」「ボクは今、無職、何かいい仕事ありませんか・・・」
3分の予定が、このまま3時間突っ走りそうな盛り上り。いえ、いえ、今日は防災について学ぶ日なので
それくらいにして先生の話を聞きましょう。
りす先生は、これまで自らの阪神淡路大震災体験とアウトドアの知識を活かし、具体的な防災への取り組みを提唱している第一人者。
「安全神話のある所ほど危ない、対策をとっている地域ほど安心」
その事例が次々と上がる。
「その時に何ができるか?なにもできない。だから普段の準備がたいせつ」(ナルホド)
「みなさん、1時間あたり100ミリの雨が降るってどれくらいってピンっときます?
100キロの体重のお相撲さんが1平米ごとにドンっと落ちてくる重さです」(ヒェー!超わかりやすい)
それから、地震、洪水、土砂崩れ、ありとあらゆる災害時で役立つノウハウ、そしてツールの伝授。
こんな時はこれが役立つ5点セット。➀携帯電話 ②ホイッスル ③LEDヘッドライト
④マルチツール(ハサミ・ナイフ・つまようじ・ピンセット・ヤスリ・ドライバー)
⑤ビニール袋
最後に、古武道の技で人命救助。
横たわる森田卓司議員(モリちゃん)を我が編集長、勝部公平(かっちゃん)が助け起こす。
そして、無事救助された人と、救助を行った人とで先生に「ありがとう」の拍手!
アウトドアのプロ、勝部編集長いわく「いやあ、さすが日本全国講演するだけのことあるわ、よく知ってるわー」
。
あんどう りす先生の講演は9月9日(日)「ほっと岡山」主催で市内中心部でも開かれるので、
ぜひ、あなたも救助されに出かけては?
(取材・写真 三宅優)